昨日は、シリア内戦の現在の焦点がマンビジュを中心とした、北部のトルコとの国境地帯にある回廊をめぐる諸勢力の競合になっていることを地図で示しました。最近もこのような記事が出ています。
シリア北部のトルコとの国境地帯には、クルド人勢力の三つの飛び地(西からアフリーン、コバネ、ジャジーラ)が点在し、そこにクルド系民兵組織YPGが勢力を強めて、それぞれの飛び地を範囲を拡大してクルド人が多数派ではなかった地域(例えばテッル・アブヤドTal Abyad)を含めて実効支配の範囲を広げ、かつ飛び地を結合させようとしている。
ここで回廊のように残ったユーフラテス河以西でクルド人の多いアフリーントの間の回廊、国境付近の町でいうとジャラーブルス(Jarabulus)からラーイー(al-Ra’i)そしてアアザーズ(Azaz; A’azaz)にかけてのエリアが、「イスラーム国」と、イドリブ付近の反体制派にとって補給路となることから、重要性が増しています。
このエリアに関わってくる諸勢力を図示しようとすると、(1)アサド政権がアレッポ北部で勢力を回復、(2)クルド人勢力が勢力を拡大し、ユーフラテス河以西にも伸長、(3)イスラーム国の伸長、(4)反体制派諸勢力の合従連衡、ヌスラ戦線などのイスラーム主義勢力と、より世俗的な勢力の関係、(5)米国の空爆と支援、(6)ロシアの空爆と支援、(7)トルコの支援と勢力圏確保、(8)イランやヒズブッラーの部隊派遣、といった多種多様な勢力の動向が関係するので、とても一枚の地図には載せられません。
今日はひとまず、今年2月の攻勢で、(1)のアサド政権支持勢力が、民兵集団も動員して、アレッポ北部で点と線のように支配領域を広げて、イドリブ周辺の反政府勢力とトルコをつなぐ「回廊」の切断を図ったという事象を見てみましょう。シリア内戦の動向を規定する重要な出来事です。
昨日のシリア北部のより広域の地図と一緒に見ていただきたいのですが、今年2月のアレッポの周辺の地図。
“Syrian War Could Turn on the Battle for Aleppo,” The New York Times, February 12, 2016.
水色の部分がアサド政権軍の支配領域で、濃い水色の部分が今年2月初頭の攻勢で拡張した部分です。アサド政権側は、アレッポを迂回してぐるっと回るような位置を抑えていますが、支配領域を先に延ばして、クルド人勢力のYPGが支配しているアフリーンに接するところまで支配下に収める。
非常に狭い範囲なのですが、全体状況から見ると、反体制派とトルコとの間の補給路を切断する大きな意味を持つ攻勢です。
さらに拡大しましょう。
“Syrian rebels losing grip on Aleppo: Russian bombardment helps pro-Assad militia close in on key northern city held by opposition forces for three years,” The Guardian, 4 February 2016.
アサド政権軍は2月1日に始まった攻勢で、ヌブル(Nubl)からザハラー(Zahra’a)へと支配領域を伸ばしました。これらの町は、シーア派が多く、スンナ派の原理主義的な思想を抱くヌスラ戦線などが反体制派の主流になって政権を倒すと、迫害されるという恐れを持っており、政権支持派が多いとされます。そのような町を、ヌスラ戦線などが2012年以来3年にわたって包囲していましたが、それを「救出した」ということでアサド政権は正統性を主張しました。
ヌブルとザハラーの制圧によって、アサド政権はイドリブ近辺を拠点とする反体制派を封じ込めると共に、さらにアレッポの南方のゼルバから北方に前線を伸ばして、アレッポの反体制派を包囲しようとしました。
この時は、反体制派ももう終わりか、とまで報じられたものです。
“Syrian rebels are losing Aleppo and perhaps also the war,” The New York Times, February 4, 2016.
しかしこういった「キャンペーン」では報道向けに大々的に戦果を発表するのですが、後が続かないのが常です。大げさに発表するだけでなく、アサド政権は全土を掌握するには兵員が足りなくなっている模様です。こういった作戦を行うたびに兵站が伸び切ってしまい別の場所が手薄になる。直後に逆にアサド政権とアレッポの間のハナースィル(Khanasser)で反体制派の攻撃により補給路を絶たれるなど、一進一退が続いています。
しかし和平交渉をやりながら、2月初頭にこうやって攻勢に出て、有利な立場で2月22日のケリー・ラブロフ合意、27日発効の「敵対行為の停止」に持ち込み、その後やる気のない和平交渉で時間を潰した挙句4月から5月にそれが予想通り崩壊し、また全面的な戦闘に戻っているのですから、軍事力で紛争を終わらせることはできなくても、軍事力と外交的策略を組み合わせることで、内戦を永続的に戦うことを可能にする、というアサド政権の戦略目標にとっては大きな効果を得た作戦だったと見られます。
また、アサド政権の攻勢に際して、クルド人勢力はどの程度協調したのか、あるいはトルコはどのように反応したのか、などより詳細に検討しなければならない面が数多くあります。
ロイターが2月15日に出してきたこの地図が、もっとも完備しているかもしれません。アサド政権の攻勢を支えたロシアの空爆の箇所や、アサド政権の攻勢と同時期に勢力範囲を広げようとしたYPGの動き、そしてYPGに対抗するトルコの動きも図示されています。トルコはアアザーズでYPGの攻勢を退けたが、YPGはメナグ(Menagh)基地は制圧している。
“ISIS cuts off crucial government supply line to Syria’s largest city,” Business Insider (Reuters), February 23, 2016.