先日紹介した『文藝春秋』12月号、好評発売中であるようです。
ちゃんと販売期限が切られているのね(この号は来年2月9日まで)。そうでないといけません。
『文藝春秋』は海外向け配信もあるんですね。
同年代の俊英に出会ったら電子版で読んでくださったとのこと。「この著者らしい無意味に難解な言葉で言いかえれば」をすらっと諳んじて笑ってくださった。
なお、ここで取り上げた日本思想のダメ状況の症状の例として取り上げた、社会学者によるエンデ『自由の牢獄』のとんでもない誤読に基づくイスラーム論は、『アステイオン』の1998年夏号(第49号)に載ったものである。
サントリー文化財団が編集している『アステイオン』(最新号)は、ウェブではほとんど読めない。最近少しずつウェブ上に情報を載せるようにし始めていて、バックナンバーの目次や表紙が見られるようになっているけれども、第50号以前は目次も載っていない。
というわけで1998年夏の第49号はウェブ住人にはその姿形も想像がつかないだろう。
なので私のリアル蔵書から、表紙印影をここに特別公開してしまう。
いや、幸せな時代でしたね。
「巻頭二大論文」が
グローバリズム=虚構
自由主義=牢獄
と華麗に断定して否定していれば良かったんですからねー。その先は何も考えていない。その先が本当に大変なのに。
この時代、まだまだ日本は国際社会に本当に触れることもなく、法・制度的には自由でも、社会からの同質化圧力の下で自由は実際にはなかった。グローバル社会についても、自由についても、本当は何も分かっていなかった。
ナショナリズムの障壁に守られてグローバリズムは遠い世界の出来事だった。もともと自由ではないので自由の根拠が何なのかも知らないでいられた。
だから安易に「グローバリズム=虚妄」「自由は不自由」などと一方的に日本語で断定して悦に入っていられた。それらは翻訳教科書の中の観念でしかなかったから、「全否定して超克する」という空疎な議論が可能になった。
これを英語で言ったら「この人は哲学の基礎的なところを分かっていないのではないか?」とばれてしまう(あるいは、まさか大学の文学部の先生がそこまで無知なはずないだろうと思われて、ただ理解不能になる)。
思想界にはまだバブルの余韻があった。むやみに金回りが良かったから「近代の超克」をいつの間にか成し遂げた気になっていた。正確には、バブル時代に人格形成をした人たちがこの頃フル活動で文章を書いており、それを載せてくれる雑誌がまだいっぱいあった。団塊世代の転向組・反近代論者と、1960年前後生まれのバブル入社組が、スカーと無知を放散していて、それが「現代思想」だと思われていた。
この人たちは幸運な時代に生きていた。
「海外留学なしで外国文献を数冊つまみ食い(読み間違い)して振りかざして日本語で分かりにくい文章を(そもそも本人がよく分かっていない)書いていれば評価された、インターネット普及以前の最後の時代」の産物です。
なお、
上は団塊世代の京大教授(人間・環境学研究科)
下はバブル入社組の京大助教授(人間・環境学研究科)
(いずれも当時)
現代の京都学派ですな。
編集後記は「“今を時めく”京都大学の二人のスター学者の「競作」で巻頭を飾ることができました」と高揚感に溢れています。
これでは「文学部や教養課程はいらん」と言われてしまうのも無理はないな・・・
インターネットやデータベース、アマゾンなどで、リアルタイムに海外の最先端の学術成果が手に入るようになると、こういった日本ローカルの勇ましい議論はさすがに恥ずかしくて言えなくなったはずだが・・・・まだ言っている人がいるなあ。「え、グローバリズム?虚妄でしょ。自由なんてない」と言ってみせる人たち。その人たちがそんなことを言っていられる経済基盤と自由は誰がどこで確保しているんでしょうね。これぞフリーライダー問題。
団塊世代・バブル入社世代は大学でもメディアでも過剰に大きな席を占めてしまっていて、その座を明け渡さない。学問はそういうものだと勘違いした固定読者層がいるから、そういう読者向けの商売になると編集者がハイエナのように群がり原野商法的出版を繰り返す。
そこに媚びて仕事をもらわなければならない人たちが私の同世代や下の世代の中にもいる。それを止められるわけではないが、違う道を示したい。
* * *
なお、実は現在『アステイオン』の編集委員を末席で務めさせていただいておりまして、先日の編集会議では、「検証特集をやろう!」「バックナンバーを書評して表紙写真を再録」とか盛り上がっておりました。サントリー財団って良いところですな。
実際、「ニューアカ」「脱構築」から、言うだけ番長系「反近代」のお歴々をもてはやしてきた黒歴史は、日本思想史の重要な局面として対象化しないといけない。
そんな作業は国際的な業績になりにくいことと(嗚呼グローバル・スタンダードの非情さよ)、存命の方が多い(当たり前だ)のでやりにくいというところが難関だが。