イスラーム世界の価値規範と、われわれの世界の価値観で、食い違うところは随所にあります。
もちろん、イスラーム世界一般とは必ずしも常にくくることができず、穏健な一般市民と、過激派の間で同じものを見てもまったく異なる印象を持つ場合はありますが、今回はイスラーム世界一般に、価値規範上、正統とされ高い価値を置かれているシンボルが、事情を知らない日本の一般市民には単に否定的な、邪悪な印象を与えてしまう事例を取り上げてみよう。
この旗を見てください。国際ニュースに注目していた人たちには、すでに見慣れているものと思います。
「イスラーム国」が掲げる旗ですね。この下や上に、「カリフ制イスラーム国」とか、少し前に作ったものでは「イラクとシャームのイスラーム国」と書いてあるものもありますが、基本はこのモチーフです。上の行に白抜きで「アッラー以外に神はなし」と書かれており、その下の白い円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と書いてあります。正確には、
アッラーの
使徒なり
ムハンマドは
というように、アラビア語で下から上に読むと意味が通るような順序で書いてあります。後で書きますが、これには理由があります。
この黒旗は、「イスラーム国」の専売特許なのかというと、そうではありません。
例えば、ソマリアで勢力を持っているイスラーム過激派の「アッシャバーブ(al-Shabaab)」も、2006年ごろから、つまりほぼ「イスラーム国」の前身となる「イラクのイスラーム国」と同時期に、この旗を使うようになっているのが確認されています。
例えばこんな写真があります。
出典:Harakat al-Shabab & Somalia’s Clans
大勢の女子生徒の誘拐で有名になった、ナイジェリア北部のボコ・ハラムが公表した映像ですが、
左後ろを見ると、やはりこの旗が映りこんでいますね。アラビア語が何だか「金釘流」に見えますが・・・
イエメンに拠点を置いている「アラビア半島のアル=カーイダ」も同じ図柄の旗を用いています。
「そうか、じゃあ黒旗は過激派の旗なんだ」と思った方は、早とちりです。
“Islamic State flag burning ignites controversy in Lebanon,” al-Monitor, September 29, 2014.
この記事にあるように、うっかりと(おそらくは異教徒が)この黒旗を焼いたりなどして、「イスラーム国」への反対を表明しようとすれば、多数のムスリムから強い反発を受け、暴動が起きかねません。
レバノンの法務大臣も、非難声明を出し、裁きを受けることになる、と警告しています。「イスラーム国」に対してではなく、「イスラーム国」の黒旗を焼く運動に対してです。
“Lebanese minister calls for ISIS flag burners to face trial,” Asharq Al-Awsat, 31 August, 2014.
先代のローマ法王が「イスラーム教がジハードの武力の下で拡大した」と発言したら世界中で暴動が起き、少なからぬ人命が失われましたが、同様の事象すら生じかねないものです。
われわれが「黒旗」に持つイメージと、イスラーム世界の宗教的な伝統・価値規範に根差した黒旗へのイメージは全く異なります。
われわれの「黒旗」へのイメージは、おそらく「海賊旗」に代表されるものでしょう。
こんなのもありましたね。
シリアの戦況を示す地図などを情勢分析のために見ますが、各陣営の配置を旗で示している地図がよく出回ります。シリア政府の旗、シリア反政府勢力(自由シリア軍)の旗がいずれも「三色旗」系統の、近代の民族主義・革命にまつわる配色なのに対して、イスラーム主義系統の諸勢力の旗の国旗は目立ちますし、われわれの抱く認識枠組みでは、「海賊」が迫ってきているかのような不穏な印象を与えます。時代劇でもゲームでも、黒旗はたいてい悪者を意味します。
しかしイスラーム教の文脈では、黒旗は、ムハンマドが戦闘で掲げていたものとされ、極めて肯定的な意味を持ちます。
そしてその黒旗に「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白の文言が染め抜かれた、「イスラーム国」らの黒旗は、宗教的に侵すべからざるものとして、政治的な立場に関わらず、多くのイスラーム教徒に受け止められます。ごくごく一部、西欧諸国などで、移民が受け入れ社会の価値観に順応していることを示すために、無理をしてこの旗をからかったり、稀には破いて見せりしますが、むしろその周りで多くのイスラーム教徒を疎外し、憤らせ、かえってテロに向かわせているかもしれません。
これは非常に厄介な問題です。こうすればいい、という解決策はありません。「ある」と言い放っている人たちは、むしろかえって問題をこじらせる側の一部ではないかと思います。たとえ善意や思い込みであっても。
イラクとシリアでの「イスラーム国」の主体や、その制圧した領域の統治のあり方を伝えてくれる写真・映像は、彼ら自身が出してくる宣伝映像を除けば、きわめて限られています。
非常に多く用いられるのが、これでしょう。
黒旗を掲げるだけでなく、おどろおどろしい目出し帽をかぶっている、ということで、われわれの目には非常に不気味に恐ろしく感じますね。
しかし次の写真はどうでしょうか。これもまた、欧米の主要メディアでよく用いられている写真です。
スポーツ選手が勝利の喜びを表現しているような、爽やかないい顔をしている、とつい思ってしまった人もいるのではないでしょうか。欧米のメディアでは、特に記事の内容が肯定的・否定的であるのには関係なく、これとそれに類似した写真が使われます。単純に「欧米のメディアはイスラーム国を一方的に敵視してイメージ操作をしている」などと、一部の日本の「ものの分かった」風の人が言っているようなことは当たらないことが分かるはずです。
こんな写真もあります。頭の軽そうなお兄ちゃんたちが黒旗を振って走り回っていますね。サッカーのどこかのチームのサポーターかフーリガンでもあるかのようです。
これらの写真はいずれも今年6月のラッカで撮られたとみられるものです。
「イスラーム国」は6月にイラク北部で急激に支配地域を拡大し、同時にシリア東部ラッカでの支配を固めた。このころラッカで「イスラーム国」の戦闘員たちの写真が多く撮影され、ロイターなど国際メディアに渡りました。その後外部からのアクセスが困難になり、住民の行動が制約されたとみられることから、あまり情報が出てきていません。
6月には「イスラーム国」はラッカで戦利品の戦車やミサイルなどを引き出して堂々とパレードをやっていました。シリアのアサド政権もまったくこれに手を付けずに放置していたのです。
先ほど掲げた「いい顔」してる若者の写真もこういった場面で撮影されたようです。
黒旗を原型にした、県のマークなども作られて、中心広場に塗られました。
黒旗というのは、もともとムハンマドが戦闘で掲げていたとされることから正統性があり、イスラーム史上の歴代の政権が用いてきました。
また、終末論的にも黒旗は象徴です。世界の終わりが近づくと、東の方角、ホラサーン地方から黒旗を掲げたマフディー(救世主)の軍勢が現れて現世の邪悪な勢力を打倒す、という趣旨のムハンマドのものとされるハディース(発言の伝承)が広く知られています。そこからも現在のジハード主義者たちが、自らが「世直し」の運動であるという自覚と主張を強めるために黒旗を用いるのでしょう。なかなか抵抗しがたい、またイスラーム教徒を引きつけ易いシンボルなのです。
そして、白地の円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、下から上に書いてある特徴的なロゴにも、宗教的な意味があります。
ムハンマドは読み書きができなかった、ということはイスラーム教徒の側が誇らしげに語るところです。文字すら解さなかったムハンマドだからこそ、その口から伝えられた啓示は神の言葉であるに違いないと「論証」するのです。
イスラーム教団が強大化し支配地域を広げると、ムハンマドは教祖であるだけでなく政治指導者となり、軍事司令官となりました。家臣に命令を出したり、外国の君主に宣教・宣戦布告の書を送りつけたりする機会が出てくる。そのようなとき、側近が文章を書き、ムハンマドはそれに印章を押しました。
そのいくつかが現存しています(と信じられています)。
例えばこれ。エジプトのムカウキスという統治者あるいは知事に宛てて送ったとされる親書です。
右下に丸い印章が押されているのが見えますね。この印影を図案化したものは広く出回っています。「イスラーム国」をはじめとして、黒旗を振る人たちは、このモチーフを使って、自らの軍勢を「官軍」と主張しているのです。これはシンボル操作としてかなり効果的です。少なくともこの旗そのものにイスラーム教徒であれば誰も正面から異を唱えられないからです。この旗を冒涜したと非難されるような言動をなせば、厳しい社会的制裁を覚悟しなければならない。
単にこの図案がカッコいいから用いたのか、というとそうでもなくて、深い意味があります。
この印章が押された現存するムハンマドの親書には、いずれも周辺諸国の君主・統治者に、イスラーム教に改宗してムハンマドの支配する国家の元に下れ、と呼びかけたものです。コーランの第3章64節を引用するのが通例です。コーラン第3章64節のうちこの部分です。
言ってやるがいい。「啓典の民よ,わたしたちとあなたがたとの間の共通のことば(の下)に来なさい。わたしたちはアッラーにだけ仕え,何ものをもかれに列しない。またわたしたちはアッラーを差し置いて,外のものを主として崇ない。」
(日本ムスリム協会ホームページ)
ムハンマド自身が、周辺の諸国の統治者に向けて宣教を行ない、その後従わない者たちを討伐していった。その事績を想いおこし、自らを奮い立たせ、人々を従わせるか少なくとも恐れさせる。そのような心理的効果をムハンマドの印章は持ちます。
日本で言えば「水戸黄門の印籠」のようなものです(ちょっと軽すぎますが)。
円の中に、なぜ
アッラーの
使徒なり
ムハンマドは
という順で書かれているかというと、歴史上残っているムハンマドの印章でそのような順で記されているので、そのまま用いているのです。ムハンマドの事跡は絶対的に正しいとされるのですから。
エジプトでも、ムバーラク政権崩壊後に、タハリール広場に黒旗を掲げた集団が現れたことがあります。
「アラブの春」後に活動を活発化させた「アンサール・シャリーア(啓示法の護持者たち)」を名乗る各国の集団は盛んに黒旗を用いるようになっています。ムハンマドの印章のモチーフが入っているものを用いる場合と、そうでない場合がありますが、その違いが思想の違いに由来するのか、あまり関係ない単なるデザインなのか、私はまだ判定できていません。
なお、「アンサール(護持者)」とは、ムハンマドがメッカから一度「ヒジュラ(聖遷)」してメディナに移った際に、ムハンマドらを受け入れて助けた「護持者」たちのことを言います。
これらの集団のアル=カーイダの中枢組織あるいは各地のアル=カーイダや「イスラーム国」との関係はまちまちで、共鳴して傘下に入ると申し出る場合もあれば、そうでない場合もあります。これらのシンボルはアル=カーイダや「イスラーム国」の専有物ではないので、勝手に用いても誰も文句を言わないのです。
リビアでは現在激しい戦闘が続き、「アンサール・シャリーア」がベンガジを制圧して「イスラームのアミール国」を宣言してします。イエメンにもアンサール・シャリーアを名乗る集団は出てきています。
ここはチュニジアのアンサール・シャリーアの写真を見てみましょう。
なお、ムハンマドは白旗も用いていたという伝承もあるので、同じ図柄で白黒を反転させて白旗を掲げていることもあります。例えばこれ(チュニジアのアンサール・シャリーアの記者会見)。黒旗はal-Uqabやal-Ra’yaと呼ばれ、それとは別にal-Liwa’と呼ばれる軍旗(隊ごとに掲げる旗)の白旗があるという具合に、用語を使い分ける傾向があるようですが、素材や使い方などの詳細は私にはよく分かりません。
出典:Nawaat
ムハンマドの印章が入っていない、黒地に白で信仰告白「アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」のみを記した旗であれば、もっと前から、諸勢力によって90年代にはすでに広く使われていました。
有名なのはこの場面。
この有名な写真は、1998年の会見の際に撮影されたとみられ、パキスタン人ジャーナリストが撮影したものであるようです。
引いてみるとこんな感じ。
黒地に文字だけのこのヴァージョンは、もっと広範に広がっています。図柄とその意味は歴史や宗教テキストに由来すると言えども、近年にその政治的意味を定め、多くの組織が用いるようになった転換点は、いつ頃、誰によってもたらされたのか。そこにムハンマドの印章を加えて今の大流行の図柄に仕上げたのは誰なのか。
もう少し調べてみたいと思っています。