トルコのシリア北部に対する政策は1991年のイラク北部に対するものとそっくり

トルコ国会は10月2日(木)にシリアとイラクへ軍の越境攻撃を認める決議を採択した

これによってエルドアン大統領・ダウトウル首相の現政権はシリア・イラク情勢に軍事的に対処するためのフリーハンドを得たことになる。

米主導のイラクとシリアでの「対イスラーム国」への空爆にトルコが参加を渋ってきたことはすでに書いた。空爆に参加しないだけでなく、NATOに提供してきたインジルリク空軍基地の使用をこの件に関しては拒否した。

それではこの決議で、トルコの立場は変わったのだろうか?

おそらくそうではない。その後の閣僚の発言や軍の実際の動きを見ても、トルコの立場は変わっていない。

シリアとイラクへの軍事介入を一つの選択肢として承認したことは、自動的に米主導の軍事行動に参加することを意味しない。軍事行動はとるかもしれないが、手段も目標も米が湾岸産油国とヨルダンを従えて行なっている軍事行動とは異なるものとなるだろう。なぜならば、トルコが考える介入の目的と、アメリカの介入の目的が食い違っているからだ。

そのことはシリアのアサド政権も当然分かっていて、米が実際にシリアを空爆してもなんら阻止する手立てを講じておらず、事実上受け入れている(シリアの親分イランのローハーニー大統領がこれに苦言を呈していたりする)のに対して、トルコ国会が武力行使を承認しただけで強く反発している

先日書いたように、トルコはシリア領内での「安全地帯」設置を掲げている。今回の決議も、「安全地帯」構想を実現するための手段としての軍事行動を承認したものと考えていいだろう。「安全地帯」構想は、シリアの領土の実質上の分割と、北部がトルコの実質的な勢力圏に入ることを意味し、アサド政権の長期的な排除を意味する。

米国のシリアでの軍事行動の目的は「イスラーム国」の抑制と破壊のみである。それに対してトルコは国境を接し、国境を超えた住民のつながりや経済圏を有するがゆえに、シリアをめぐる国益はもっと複雑であり、単に「テロリストを空爆する」というだけの政策では受け入れられない。「イスラーム国」が手が付けられないほどに伸長するのは困るが、イスラーム国だけを攻撃しても問題は解決しないとする立場だ。

トルコとしては、アサド政権が統治できなくなったシリア北部でクルド人武装勢力が伸長し、トルコ領内のクルド人の反政府武装勢力PKKと一体化することを恐れている。押し寄せてくる難民は経済的・社会的負担を招くだけでなく、武装勢力・不安分子の侵入をもたらしかねない。クルド人難民がシリアに戻って「イスラーム国」やアサド政権と戦うならともかく、トルコのクルド武装勢力に合流してトルコ政府と戦いかねないのである。「イスラーム国」に対抗する地上部隊勢力を育成するという形で、欧米やイランがシリアのクルド人武装勢力に武器を提供する動きに、トルコは神経をとがらせている。シリア北部のクルド人勢力の中で台頭している武装勢力YPG(人民保護部隊)はPKKとの関係がささやかれる。「イスラーム国」対策に供給した武器は、その武器はやがてトルコに向けられかねない。

また、YPGはアサド政権と決別したわけではない。アサド政権が存続すれば、政権の手先としてトルコ側にクルド独立闘争を仕掛けてきかねない。イランの属国となったシリア・アサド政権がクルド人勢力を手先にして国境越しに攪乱工作を仕掛けてくる、というのはトルコにとって耐えがたい。

こういった複雑な事情を抱えているトルコにとって、「テロの脅威がある」といって「イスラーム国」だけ破壊して米国が去れば、極端な話、トルコ・シリア国境がアフガニスタン・パキスタン国境のようになりかねない。

トルコにとっては、欧米が主導してシリア北部に安全地帯を設定し、実際に空軍力でそれを実施するのであれば、トルコも重要な役割を担い、それによって勢力拡大という利益を得たい、というのが原則的な立場だと思われる。

もちろん「同盟国ではないのか」「イスラーム国の伸長を黙認してきたのではないか」という米側からの批判の声が高まるのは避けたいので、若干米の意に沿う形での介入を行うかのような印象を醸し出している様子がないわけではない。決議に際しては、対「イスラーム国」であることを協調しているものの、実態は異なるだろう。

野党のCHP(共和人民党)は、武力行使承認決議は対「イスラーム国」ではなく、対アサド政権だ、と批判しているが、実態としてはそのような側面を含むだろう。

エルドアン政権は軍事行動の選択肢にフリーハンドを得たうえで、「安全地帯」構想を受け入れるよう米に求めて、交渉が続いている模様だ。
“Turkey to sit down at negotiation table with US after mandate vote,” Hurriyet Daily News, Oct. 3, 2014.

アメリカはこれをすぐには受け入れないだろうが、欧米諸国による空爆だけでは「イスラーム国」の攻勢を止められないことが分かってくれば、選択肢の一つに浮上してくるだろう。

これには前例がある。1991年の湾岸戦争の際にも、イラク北部で、現在のシリア北部のように、クルド人難民がトルコ国境に大量に押し寄せる事態が生じた。それに対して当時のオザル大統領は、国境を封鎖し、軍事力でイラク軍とクルド部隊の双方のトルコ側への伸長を阻止したうえで、欧米と協調して、「飛行禁止空域」をイラク北部に設けさせ、現在のクルド自治区(クルド地域政府)の成立の発端を作った。空軍基地の提供などで湾岸戦争の遂行に不可欠の役割を果たす見返りに、国内へのクルド問題の飛び火を阻止するスキームを欧米に受け入れさせ、トルコの勢力圏をイラク内に延伸したと言えよう。トルコの軍事力と地の利を提供して欧米の力と正統性を引き込んで、イラク側にクルド問題を封じ込め、トルコの経済圏として影響下に置いたのである。

上にリンクで示した二つの記事を読んでいると、1991年の話が今の話とほとんど変わりなく感じられる。クルド難民が大量に押し寄せ、トルコが国境地帯に封じ込めようと躍起になっているところとか、状況もそっくり。

おそらく当時のオザル大統領がイラク北部に関してやったことと同様のことを、エルドアン政権はシリア北部について試みようとしているのではないかと思われる。

アサド政権の排除か、それが実現しない間は「安全地帯」のシリア北部への設定が必要、という解決案を示すトルコと、シリア問題への解決案は出さずに、「イスラーム国」のみを対象にした「外科手術」的な介入を行ないたい欧米諸国との立場の隔たりは大きい。

そのため、トルコは当面は「安全地帯」構想を掲げて交渉しつつ、「イスラーム国」とYPGらクルド人武装勢力の「相討ち」による双方の消耗を図る期間が長く続きかねない。必要に応じて、今回の決議で得た越境しての軍事介入の選択肢を限定的に行使しつつ、長期戦で臨むだろう。

これに対してはトルコのクルド武装勢力PKKが反発している。PKKの指導者でトルコの獄中にあるアブドッラー・オジャラン氏は10月1日、シリア北部の国境地帯コバーニーで「イスラーム国」と激しい戦闘を繰り広げているYPGが殲滅させられるようなことがあれば、PKKとトルコ政府との間で進んできた和平プロセスを打ち切ると宣言している。

トルコ(エルドアン政権)・シリア(アサド政権)・クルド武装勢力(PKK/YPG)の3者がトルコ・シリア国境でせめぎ合う中に「イスラーム国」が泳がされている状態だ。