週明けの弾丸出張で、カタールのドーハに、3月に続いてまた行くのですが、いつものことながら湾岸産油国に行くのは気が重い。エジプトやシリアやレバノンで中東研究の基礎を学んだ私自身の経験が影響しているのかもしれないが、文化的な深みや知的活動の活発さ(質はさまざまだが)があるエジプトやレバント(シリアやレバノン)には、どんなに厄介な条件があっても、いざ行くとなるとわくわくする。
しかしペルシア湾岸の産油国は、国全体が「ドラ息子養成システム」にしか見えないことがあり、失望や困惑を最初から味わうことが多い。だいたい、行ってもほとんどカタール人やUAE人といった、現地の国籍を持って永住権を持っている人にほとんど出会わないのだ。会議でも挨拶の部分は現地国籍の人でも、中身になると外国人同士のやり取りになる。ペルシア湾岸産油国では、カタールやドバイなど、人口の過半数が外国人労働者で占められる首長国も多く、実質的な経済活動は外国人が担っている場合がほとんどだ。
「新興国ビジネス」を推進する側からは、石油・天然ガスで潤うペルシア湾岸産油国は夢の国のように描かれがちだが、実態はそんなものではない。少なくとも日本人にとっては。もちろんむやみに大きなモールやビーチを楽しみに行くだけならいいが、仕事で行くとなると、「エスノクラシー」とも呼ばれる、国籍によって身分・権利・待遇に厳然と差をつける、「詳細なアパルトヘイト」と言ってもいいような制度の暗く重苦しい空間に放り込まれる。そこでは産油国の国籍を持った市民が経済特権を持つ一級市民で、その中で首長家や有力部族家が政治的な権利を持つ主権者である。
欧米人は産油国の一級市民とほぼ同格の経済的地位を与えられ、法外な報酬を得る。しかし産油国に来る欧米人の側は「本国で食い詰めて、金に釣られて地の果てに来た」という都落ち意識が強く、「こんなとこにいられねーよ」とくだを撒き、「儲かるからいてやる」と露骨に差別意識で凝り固まっている。
日本人はと言うと、欧米人と比べるとびっくりするほど安い給料でなぜか自発的にせっせと働いてくれる、都合のいい中間技術者として重宝されることがある。重宝といってもヒエラルキーの中ほどに位置する使用人として扱われているだけで、「アラブ人は親日的」なんてことはありません。単に欧米人に対して感じるコンプレックスを日本人に対してはまったく感じないので「気が楽」と言うだけ。「日本は素晴らしい」とか言っていた人の前に金髪・青い目・白人限定の欧米人が通ると、突然上の空になって、露骨に「ピュー」とそっちに行ってしまいます。
欧米の国際メディアや人権団体からそれほど強く批判されないのは、やはり金の力。仲良くしていればいいことがあるかもしれない、となるとみんな黙る。欧米人を十分に儲けさせ、いい思いをさせているから、湾岸産油国はある程度以上叩かれないのです。あらゆることで西欧から「人権侵害」を批判されてしまうトルコなんて、天と地の差があるほどの人権・民主化先進国なのにね。
湾岸産油国は、欧米社会の裏表を露骨に感じることができる空間でもある。そういう意味でたいへん勉強になります。
「セカイ」を知るためにいいんじゃないでしょうか。
2022年ワールドカップも「金で買った」疑惑が広く知られているが、追及の矛先は鈍い。
そしてワールドカップに向けて各種施設の突貫工事が続くのだが、そこでの労災死の数が尋常ではない。亡くなっているのはもっぱら末端の建設労働者だ。この職種はエスノクラシーではインドやパキスタンやネパールなど南アジア系の出稼ぎ労働者に割り当てられることが多い。労働者は「カファーラ」と呼ばれる雇用・ビザ形態により雇用者に非人道的にしばりつけられ、極端な低賃金、劣悪な生活条件で働かされ、抗議しようものならビザ・パスポートを取り上げられ「不法滞在」として刑務所に放り込まれて懲らしめられたうえで国外追放となる。
一つのレポートでは、2010年のワールドカップ招致決定以来、カタールでネパール人労働者が400人以上死亡しているという。2013年だけでも185人のネパール人労働者が死亡している。
そして、インド人労働者は2012年初から2014年1月までの2年余りで500人以上死亡しているという。
実際の数字はもっと多い可能性すらある。インド人とネパール人労働者だけで2010年以来1200人が亡くなっているという数値もある。
人口当たりの労災死者の数を日本に大まかに換算すると、「2020年東京オリンピックまでに、施設建設で毎年移民労働者3万人以上が死んでいきます」といったイメージになる。それでもオリンピックやりますか?と問われたら、日本ではできないだろう。(なお、メインスタジアムの設計は、日本のオリンピックと同じくアラブ系イギリス人のザハ・ハディード)
これに、同様に現場の労働者として従事することが多いフィリピン人やタイ人やマレーシア人など東南アジア系を入れると、労災死の数はどれだけになるか見当もつかない。
批判しているのはインド政府や欧米の人権団体だが、それに対してカタールなど湾岸産油国の政府は欧米人の法律家やメディア・コンサルタントを雇って、欧米の法律用語を使って欧米メディア上で反論するので、ある程度以上の追及はなされない。外から見ると、欧米人が批判して欧米人が反論して高い報酬をもらうというマッチポンプにも見える。
なお、カタールの居住人口は2010年のセンサスでは169万6563人で、74万4029人とされた2004年から倍増。増えた大部分は外国人の出稼ぎ労働者であることは確実だ。男女比が76対24というのだから普通の出生で増えたものではありえない。
居住人口のうち、カタール国籍を持つ者が何人いるかは明確ではないが、今回のカタール政府の反論の中では「25万人」で85%が外国人だとしている。そうすると居住人口は外国人労働者を含めて167万人程度と把握していることになる。
昨年後半から今年にかけて、特に目新しい話題でもないワールドカップ招致裏金疑惑や、これまでもわかっていたはずの尋常ではない数の労災死について報道が出てきた背景には、湾岸産油国内部での対立がおそらく影響している。
3月にはサウジアラビア・バーレーン・UAEがカタールから大使を引き揚げて対決姿勢を明確にしたが、これに先立つ時期にカタールをめぐるスキャンダル報道が続出したのは示唆的だ。結局、サウジ系のマネーの力が有形無形に作用して欧米メディアや人権団体のカタール批判が拡大したのだろうと推測できる。
労働条件の悪さや、国際的スポーツイベントの招致・開催に関する不透明さでは、カタールは他の湾岸産油国と質的に変わりない。デモを弾圧しながら毎年強行するバーレーンのF1グランプリはその一例だ。
カタール首長家の全面的支援によりドーハに設立されたアル=ジャジーラでは、カタール以外の湾岸産油国の人権侵害は頻繁に報道するのに、スポンサーのカタールのことになると沈黙する、という印象が強く、近隣の産油国にとって腹に据えかねることだ。
ムスリム同胞団への支援などで湾岸産油国内部の対立が激化したことを背景に、サウジに近い筋が欧米メディアや人権団体を刺激してカタール叩きをやらせているのだろう、とまともに中東を見る人なら即座に推測できなければならない。サウジ王家の中枢から直接的にそういう働きかけがなされたかどうかはともかく、欧米メディアや人権団体も、潜在的なパトロンのサウジやUAEの顔色をうかがっていて、「カタール不利」と見ると、サウジからの「ゴーサイン」が出たと認識し、いきなり居丈高にカタール叩きをしている、といった雰囲気だ。
するとカタールも欧米の人権問題専門の弁護士やメディア・コンサルタントを雇ってこれに対処するので、産油国はうっぷんを晴らしたり胸をなでおろしたりする一方で、欧米の各方面も潤って「win win」、・・・という、どうしようもない構図がある。
4月17日のGCC緊急外相会合で、サウジとカタールの和解への一歩が模索されたとみられるので、今後は相互の批判は収束していき、それと共に欧米メディアや人権団体の批判も弱まって、カタールの労働者の人権問題も改善されたかのような印象がどことなく広がっていくのだろう。
そして、この空騒ぎの原資は、原発が止まったからと足元を見られてとてつもない額で天然ガスを買わされている日本が出している、というのも腹が立つ話である。
空騒ぎと言っても実際には多くの人命が人知れず失われているわけで、劣悪な条件で法的権利を奪われて使い捨てにされているインド人・ネパール人労働者の命と、日本の電力消費者の懐から知らずに出ていくお金がつながっている、と言うことも、日本人には気づいてほしい。「新興国バブルに乗れ」と煽るだけではなく。