『エコノミスト』読書日記の第1回の発売日は4月28日(5月6日号)

 月一回の読書日記を始めます、と告知したのですが(読書日記の連載を始めます(週刊『エコノミスト』)2014年4月1日)、第1回の掲載号の発売日を誤って4月21日(月)としていました。

 今気づいたら実際には4月28日(月)発売の5月6日号に掲載でした。すでに原稿は出してあるので、お待ちください。

 今更ながら、書いてからタイムラグがあるんですね。

 2011年の「アラブの春」以来、ウェブ媒体への寄稿に力を入れていましたので、締め切りから発売までの感覚を忘れていました。

 昨年は『エコノミスト』に何度か書きましたが、時事問題についてだったので、校了日ぎりぎりまで締め切りが延びていたのですね。書評などは早めに原稿を確保しておくようです。

 もともと私は、月刊の総合誌・論壇誌に多く書かせてもらってきたのですが、「アラブの春」で、国際政治の動きが新しいメディアに媒介されて加速する現象に直面し、ウェブ媒体の可能性に気づかされたことと、月刊誌・論壇誌の相次ぐ廃刊や部数低下、広い世代への訴求力低下に、方向転換を迫られました。

『フォーサイト』(新潮社)では極限までのリアルタイムの発信を試みてきました。

 今回あえて紙媒体の週刊誌に戻った理由は・・・・

 連載書評でお読みください。

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 書評といっても、まさにこれだけタイムラグがあるのだから、速報性や話題性を競ってもしょうがない。紙幅に制限があるから情報量も限られている。リンクも貼れない。

 もっと長いスパンで、本を読むこと、買うこと、書くことがどう変わっていっているのか。その中でなおも本を読む価値とは何か。そんなことを、5週に一度という、間延びした間隔ですが、継続して考えていく、そのような欄にしたいと思っています。

 第一回は「本屋に帰ろう」というテーマ。
 
 なお、ウェブ媒体や電子書籍を否定したり敵視したりするつもりはありません。ノスタルジーから本屋と活字・紙媒体を礼賛するのは、あまり意味はない。

 そもそも極端な活字派の私だってこのブログを書いている。

 今回の書評エッセーと本の選択自体が、インターネットで下調べをした結果、ウェブ雑誌の「マガジン航」にヒントを得ていると、文中でも断っております。

 私たちの生活とインターネットや電子書籍は分かちがたくなっていて、そこから大きなものをすでに得ている。だからこそ紙の本にも街の本屋にも新しい価値や役割が生まれてくる。そういう前向きな姿勢の「本屋本」を紹介するのが、今回の趣旨です。

 連載で書ききれなかったことは、このブログにも書いてみましょう。

 4月28日発売号でのエッセーの中核の部分は、本は究極にはデータだけやり取りできればいいように見えるのだけど、でも実は「モノ」として不器用に厳然として存在することにこそ本の強みはある、という点。

 この点は別の場所でもう少し深めてみたいものだ。

 そして、本屋は「モノ」としての本を売っているのだけれども、しかしモノと読者が出会う場と機会という「経験」を提供してこそ意義を持つ。インターネット書店や電子書籍が発達した現在、これは「逆説」に近い。「モノ」としての制約を極力超えてくれるのがインターネット書店や電子書籍の強みなわけで、この点でリアル店舗は不利に決まっている。

 しかし「モノかデータか」という二分法は現実の私たちの生活では無意味なんですね。本がモノとして厳然とあるからこそ、モノと人の出会いというモノならざるものを生み出す人や場所に価値が出てくる。

 インターネット書店は圧倒的に便利です。ウェブ雑誌は効率的で、全国・世界各地の図書館から本やデータを取り寄せることが一層容易になっている。けれどもだからこそ、モノとしての本の価値が出るし、リアル書店も見直される余地が出てくる。

 これまでと同じやり方をしていてはだめだけど、新しいやり方でこれまでの書店や出版社の全員が生き残れるとは限らないけれども、やり方によっては、書き手と書店が新たに読者とつながることができる。可能性はむしろ広がっている。それをどう生かすか、知恵の絞りようだ。