このブログはこれまでに書いた本や、あちこちに書いて見つかりにくくなった論文やエッセーなどを一覧できるようにとも考えて立ち上げたのだけれども、なかなか時間が取れない。単行本については、本屋に行けば売っているものなので、広告のように見えてもなんなので、必要な時が来るまでは掲載を控えているのが実態です。
今回は専門業界の人以外はほとんど目にしたことがなさそうな論文を一本紹介。
先日、『中央公論』で行った井筒俊彦についての鼎談を紹介しました。(「井筒俊彦のイスラーム学」)
私が井筒俊彦について語ることになった原因の一つがこの論文。
池内恵「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『日本研究』第36集(国際日本文化研究センター)、2007年9月、109-120頁
前の職場(国際日本文化研究センター:略称「日文研」)で、カイロ大学文学部と一緒にカイロで研究シンポジウムをやった。その時の英語での発表を、日文研発行の学術誌『日本研究』に日本語訳して載せたもの。
実は、この論文の事は長い間忘れていた(記憶から封印していた)のだが、今回の鼎談の準備のために探したらインターネット上で出てきた。
最近は学術誌の多くが無料でインターネット上に公開されているか、あるいは少なくとも有料のデータベースで公開されているので、便利になりました。
井筒の特有の生い立ち(父から受けた精神修養=内観法)が、生涯にわたる思想研究の方向性を定め、彼のイスラーム認識はあくまでも井筒の側の関心事によって切り取られたもの、というのが趣旨。
井筒のオリジナリティと魅力は、中東諸国(特にアラブ諸国)一般で信仰されているイスラーム教とはかなり離れたものであるがゆえに成立している。これは別に「偏向」を批判しているわけではないのですけれども。
私自身この論文については、海外でのシンポジウム向けに「業務」として設定したテーマであり、職場の学術誌に何かを出さねばならなかったという必要に応じて書いた論文でもあり、ということであまり「業績」として意識したことはなかった。
単に中央公論社版の著作集を最初から順に読んで、必要箇所を書き写しているだけにも感じられましたし。あまり上手に書けている文章ではありません。
異教徒がイスラーム教について論じることなどできるはずがない、とインテリすらも固く信じるエジプト人向けの初歩的解説と、井筒に対する過剰な期待が膨らみすぎて誤解も増していた、少し前の日本の現代思想業界に向けのこれまた初歩的解説とが、全体に混じりあっていて、どことなく不完全なものという印象があった。そんなわけで印刷されてきた論文も本棚の奥にしまったきり埋もれてしまって、今や自分でもどこにあるかわからなくなっていた。雑誌『アステイオン』に若干の短縮・増補を加えたものを載せたこともあるが、あまり発展させられなかったのでもやもやっと頭の中で残っている。
けれども、最近出ている文学系の井筒論を見ると、井筒の思想の基本的な展開の筋道については、どうやら私がこの論文で書いた方向性とあまり変わらないものを見出しているようだ。
今となっては、「井筒は、なぜ、何を、どのように考えたか」という点については、この論文で書いておいたことで十分ではないかという気もする。少なくとも、その後たくさん出た井筒論が、必ずしも何か新しいことを発見してくれたという気はしない。むしろこの論文で書いた井筒の思想を踏まえてそれぞれの書き手がそれぞれの思いを追加していったものが近年の井筒論だろう。
その意味では、基礎的な事実を明らかにする大学の研究と、それを踏まえて想像・創造していく文学・評論との分業は出来ていると思う。
私が書いた中でも最も体裁の良くない、不恰好な論文で、できれば誰にも読んでほしくないですが、今思い返すと意味があったのかな、といろいろな意味で思う一本。
そのうち、井筒俊彦についてはまた改めて取り組んでみたいと思っている。
日文研は4年余り勤めただけで東京に移ることになってしまったけれども、折に触れ共同研究員として研究会に呼んでもらってきた。今日も日文研の研究会のために京都に来ております。
中東研究者なのに日本研究の研究所に身を置かせてもらったことは本当に得難い経験でした。その前は思想研究なのに開発途上国の政治経済研究の機関に就職したり、今はエンジニアや科学者ばかりのインキュベーション・センターのような職場にいたり、考えてみると普通の「学部」に務めたことは一度もない、「なんちゃって大学教員」の不思議なキャリアパスを歩んでおります。来し方行く末。