チュニジアのウクバ旅団の脅威についてのJane’s事前の予測

昨日は、チュニジアのテロに関して、関与が疑われる最有力候補としてのウクバ・イブン・ナーフィア旅団について、それが「イスラーム国」の一部と言えるのかどうか、「アンサール・シャリーア」など他の組織との関係はどうかなど、混乱の所在と論点を提示したが、まだまだ議論は尽きない。

チュニジアという日本でよく知られていない国であるために、そもそもウクバ旅団について報道で名前さえ触れられないので、議論がしにくい。例えばJane’sのこの記事などを読むと、多少は整理されるのではないか。

“Katibat Uqba Ibn Nafaa recruitment efforts increase risk of terrorist attacks in urban centres in post-election Tunisia,” IHS Jane’s Intelligence Weekly, 20 November 2014.

しかし昨年11月の段階で、(1)新政権は世俗派主体である、(2)内務省の取り締まりが強まる、(3)アンサール・シャリーアの中からより多くがウクバ旅団の武装闘争に関心を移す、(4)リビアやシリアから帰還兵が帰ってくるとウクバ旅団の戦闘能力が増す、といった理由から、チュニジアの中心部でテロの可能性が高まり、カスリーン県などで攻撃が強まる、と予測しているのはさすがである。

しかしここでも観光客を狙うという可能性には触れられていない。

政府機関や治安関係の施設が狙われることは当然予測されていて、政府ももちろん対策を取っていたのだが、そこでソフトターゲットに移る、というところは常道ではあるが、リアルタイムで予測するのは難しい。テロをやる側も意図を隠すからである。

一部を貼り付けておこう。

FORECAST

A new coalition government led by the secular Nidaa Tounes party is likely to continue the security crackdown on religious extremism in an attempt to mitigate the risk of domestic terrorism. This effort is likely to lead to further defections from Ansar al-Sharia to Uqba Ibn Nafaa and accelerate the return of Tunisian militants from Libya and Syria, which is likely to increase terrorism risks in urban centres in the one-year outlook. The return of jihadist veterans will probably improve the group’s organisational and combat capabilities. Uqba Ibn Nafaa is likely to attempt to launch attacks against government officials, buildings, and security assets in Kasserine, Kef, Kairouan, Sidi Bouzid, Ariana, Sfax, Gafsa, and Tunis with both shooting and IED attacks.

チュニジアのテロを行った集団は「イスラーム国」に属するか否かーーウクバ旅団について

チュニジアのテロについて、どうも現地の報道と、日本の報道に乖離があって隔靴掻痒である。その中間には、英語圏の国際メディアの報道があるが、こちらは現地報道のうち共通認識と言える部分をかなり吸い上げつつ、「イスラーム国」や「アンサール・シャリーア」「アル=カーイダ」などのグローバルなジハードの展開についての記事へと結びつけている。日本の報道ではある程度以上複雑(に日本の読者に感じられる)ことを捨象してしまうので、結局曖昧な部分が多くなり、記者やデスク自身がわからなくなってしまい、混乱した報道になる。

そもそも現場で射殺された犯人の一人の名前についても、当初Hatem al-Khashnawi (el-Khachnaoui)と報じられたが、現地のアラビア語紙ではJabir al-Khashnawiとしているところが多い(一部・一時期にSabir al-Khashnawiとしている場合も)。これについては、事件をきっかけに犯人の故郷カスリーン県に取材に行った日本の新聞・テレビ局の記者が、確認してくればいいはずなのだが、確認してくれていない。

現地紙では早くから、カスリーン県の地元の警察当局の話として正確には「ジャービル」だと書かれていた。当初の報道で、別の兄弟の名前などと取り違えたのではないかと思う。そういった現地報道を認識しておらず、犯人の名前という重大な基本情報についてこれまでの国際報道でブレや矛盾があることも気付かず、すなわち、家族に話を聞きに行っても犯人の名前すら確認していないということであれば、いったい現地で何を聞いているのだという話になる。

有力なテレビ記者が現地から自分の思いだけを語り現地の声を聞かずに日本政治についての独りよがりの弁舌で貴重な放送時間を費やす事例があった。せっかく4年ぶりにチュニジアに行ったのなら、もっと現地に目を向けて欲しかった。

特に混乱が多いのは、事件の背後に「イスラーム国」がいるのか「アンサール・シャリーア」がいるのか、(そしてなぜか指摘されないが)「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」がいるのか、あるいはチュニジアの地元の自律した勢力がやったのか、という問題。

読売の電子版の昨夜配信の記事が、良いところに踏み込もうとしているのだけれども、結局挫折している感じがある。

「被害者収容の病院襲撃や現場撮影し投稿も計画か」読売新聞 3月23日(月)21時13分配信

日本の報道機関が、どうしても日本人の犠牲者関連の社会部的なものになりがちな中で、現地の報道から、事件そのものとその背後に迫ろうとする努力は買いたい。しかし、よく知らないので踏み込めない、という躊躇が見られる記事になっている。もっと頑張ってください。

なお、読売が参照したと見られるこの記事については、フェイスブックで何度か紹介しておいたので、そこから記事になったのかもしれない【】【】【】。

これを手掛かりに、裏を取ってグローバル・ジハード報道に活かしてくれるとありがたい。どこが混乱していて、どこを解明してくれると私としても助かるかについて、以下に指摘しておこう。

シュルーク紙の元の記事には「イスラーム国(あるいはISやダーイシュ)」という言葉は一つもない。事件後の夕方に「現場の写真を撮ってウクバ・イブン・ナーフィア旅団のウェブサイトに送った者が逮捕された」とあるだけだ。それなのに読売記事で「イスラーム国」のサイトに送ろうとしたと書いたことに、確かな根拠があるのかないのか、そこがポイントである。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「アンサール・シャリーア」に属するか否か、あるいは「イスラーム国」に属するか否かで、日本の報道機関は混乱してしまっている。

まず、チュニジアでの議論では、少なくとも、関与が疑われる最有力候補はウクバ・イブン・ナーフィア旅団だ、と組織の名前や人物を特定して議論するからわかりやすい。英語圏でもきちんとこの名前を出した上で、それが元来「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」と関係が深いが、「アンサール・シャリーア」や「イスラーム国」との関連もでき始めているので、今後もっと関係が深まるかどうかが注目される、という方向で報じられていることが多い。そこから今後の注目点が少しずつ絞られてくるわけであり、解明されていない部分が明らかになってくる。

ところが日本の報道機関は、「馴染みがない」という理由からか、「ウクバ・イブン・ナーフィア旅団」という名前を報じない。そこから、日本の報道機関に属する人たち自身が、何について報じているのかわからなくなってしまい、混乱が生じている。英語報道で「関連」を触れているからといって、そこから類推して「アンサール・シャリーアが声明」「イスラーム国と関連した組織」と報じてしまっては、実際に活動している組織そのものに目を向けることができなくなってしまう。

対象を明確に限定した名前で呼ぶのは、報道あるいはそもそも認識の基本である。私が「イスラーム国」は「イスラーム国」と呼べ、と言っているのも、きちんと名前を呼んで特定しないと、何について語っているのかというコミュニケーションの基本が曖昧になって、自分自身が混乱していくからである。

今回の犯行集団はまだ「イスラーム国」であるかどうかわからないのだから、わからない段階で犯行集団そのものを「イスラーム国」と呼ぶのは時期尚早である。犯行集団そのものと関係がありそうな組織が全くないなら仕方がないが、現地紙報道ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が一番関係がありそうなのだから、まずその名前を挙げて、報じていくべきだろう。

「イスラーム国」側がこの事件に声明を出していることはまずは「イスラーム国」側の問題であり、チュニジアの組織と本当に関係があるかは、今後の解明を待たねばならない。そして、報道陣はそれを解明するために現地に行っているのではないのか。

チュニジアの現地の組織とシリアやイラク、あるいはリビアに最近進出している「イスラーム国」が、具体的な協力関係に入ったのであれば、それを伝えることはスクープである。あるいは「アンサール・シャリーア」や「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」など別の組織との協力関係で生じたのであればそれもまた重大な情報だ。

今回日本の報道でよくある混乱の一つが、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団のものとみられる声明を「アンサール・シャリーア」の声明と断定してしまっていること。確かに、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団とアンサール・シャリーアは、構成員が重なっている場合があることは指摘されるが、指導者は異なり、同じ組織ではない。

アンサール・シャリーアの指導層がこの事件の直前に威嚇的・扇動的声明を出していることは当初大きく報じられたが、そのことと、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が事件直後に事件そのものについての詳細な声明を出していることとの関連は、依然として曖昧である。この事件をアンサール・シャリーアが行わせたかどうかがわからず、ウクバ旅団のものとみられる声明をもってアンサール・シャリーアが犯行声明を出したと同定することは早計に過ぎるのではないか。

逆に、読売の報道のように、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団を「イスラーム国」と同一視するのも時期尚早で、もし明確な根拠なく同一視して書いたのであれば、世界の報道機関の水準からぐっと落ちて、先頭集団からは完全に脱落する。少なくともシュルーク紙の元記事ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「イスラーム国」の一部だとは書いていない。それを「イスラーム国」と断定したのは読売の判断であるが、これは根拠があるのか。

もしかすると記事を読んでもらった現地のアルバイトなどが「ウクバ旅団はイスラーム国だ」と言い切っていたのかもしれないが、そうであれば、その根拠こそをぜひ教えてもらって、さらに調べて欲しい。

もちろん、将来この旅団が「イスラーム国」入りする可能性はある。今回の事件が、「イスラーム国」との初の連携作戦であったと華々しく宣言される可能性はある。それこそがグローバル・ジハードの基本メカニズムであるからだ。

だから私も注目しているのだが、そのようなつながりを示す事実を発見することなしに、「たぶん関係あるんでしょ?」という推測だけで「イスラーム国の一部」と断定してしまうと、それは素人の勘違いということになり、混乱を招く情報にもなる。

なお、「ウクバ・イブン・ナーフィア」とは北アフリカを征服した7世紀のウマイヤ朝の将軍の名前。北アフリカでは有名な名前である。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団は昨年9月20日に「イスラーム国」を支持する声明を出しているが、それだけでは「イスラーム国」の一部とは言い難い。今回の事件をきっかけに、より具体的な関係が見えて来れば、それこそ一大事である。それがあるかどうかを世界の報道機関も諜報機関も注目しているのである。よく知らずに「イスラーム国」と書いてしまったのであれば、フライングだろう。

もし「ウクバ旅団はすでに「イスラーム国」の一部として行動している、今回の事件はまさにその最初の例だ」と言い切れる根拠があるのであれば、ぜひそれをさらに掘り進めて報道してほしい。そちらであれば世界最先端のスクープになる。今回の事件が国際的に注目される理由はまさに、その可能性があるかないかが注目されているからだ。

私としては、むしろ逆に、ウクバ旅団の方が、「イスラーム国」やヌスラ戦線などシリアの組織に引き寄せられているチュニジア人を引き戻して、自分の組織の傘下に入れようとしている可能性もあると思う。「イスラーム国」の軍門に下るのではなく、「イスラーム国」と同じようなことを自分たち主導でやろうとしている、ということである。どの国の組織もあくまでも「ジハード」をやりたいのであって、イラク人やシリア人の「イスラーム国」指導部に従いたいのではない。やるなら自分達が指導者になりたい、と考えているだろう。イラクやシリアに移った時はそれは現地の指導部に頭を下げているが、自分の国でやるときは自分たちが指導する、というのが当然である。「イラク・イスラーム国」から送り込まれてシリアに行ったシリア人が、シリアでは自分たちが主導権を握ってヌスラ戦線を「イラク・イスラーム国」から自立させていった経緯があるように、グローバル・ジハードも実際の政治的な主導権においては、ローカルな土地と人の結びつきによって規定される面が大きい。

リビアを新たな聖域とするグローバル・ジハードの次の目標はチュニジア、エジプト、アルジェリアの不安定化(2月18日エントリの再録)

3月18日のチュニジアでのテロについて、情報を取りまとめております。この事件の直接的な背景が何であったのか、この事件をきっかけにチュニジアや北アフリカに今後何が起こってくるのか、考えています。

そもそも、チュニジアを中心とした「アラブの春」によって政治変動が様々に起こった諸国について、現在本を完成させる途中であり、そのためにチュニジアそのものについての情報のとりまとめと発信は後回しになっていました。

しかし、事件から1ヶ月前の2月18日に当時滞在していたチュニスから、下記のエントリをフェイスブックに投稿していました。基本的には、今回の事件は、このような文脈で起こってきたものと考えています。チュニジアのテロ事件の政治・国際政治上の文脈について問われれば、簡潔には今でも下記のようにお答えします。

以下に再録しておきます。「半年」といった広い範囲での予測・警告しかできないことは、私の力不足ではありますが、社会・政治を見る学問の可能性の限界でもあると考えています。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202680339168675
2月18日
#‎リビアのイスラーム国‬

リビアは「イスラーム国」からの「帰還兵」の聖域となるのか

リビアで最近急に「イスラーム国」の活動範囲が広がった背景として、「イスラーム国」中枢がシリアやイラクで活動に参加していた北アフリカ系の人員をリビアに投入している様子が伝わって来る。
 幾つかのエジプトの新聞は、サウジの『リヤード』紙の17日の報道を引いて、バグダーディーはリビアのシルトに小規模の部隊を送り込んだと報じている。部隊の司令官はチュニジア人で、チュニジア政府が帰還を認めないのでリビアに流れたという。カダフィの周りで雇われていた傭兵がこれに参加しているなど、興味深いが事実かどうか判断しようがない、ありそうな話が書いてある。リビアを聖域にして北アフリカ系の武装集団を集結させると、チュニジア、エジプト、アルジェリアが揺らぎかねない。シリアを聖域にしてイラクを揺るがしたモデルを繰り返そうとしているのだろう。これに周辺諸国がどう対応するかを、今後半年は注目していかないといけない。

【追記 3月21日】
このようなリビア発でのチュニジアの過激派の刺激や浸透について、2月のチュニジア現地滞在時のテロ事件を紹介した記事を、明日のテレビ出演のテーマに関する今朝のエントリでも示しておいたが、下記に再び列挙する。2月18日のアンサール・シャリーア系のウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省・治安部隊員4名殺害の事件と、政府のそれへの対応についてである。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

この前後の動きについては資料は多く集積しているが、整理してお見せする時間が到底ない。一部は明日3月22日の番組の中で口頭で話せるだろう。

「イスラーム国」の表記について

*フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で日本時間2月14日14時30分頃に投稿した内容ですが、長期的に参照されるようにこちらに転載しておきます。

*「イスラーム国」「IS」「ISIL 」「ISIS 」「ダーイシュ」のそれぞれの由来と、それぞれを用いる場合の政治的意味は、『イスラーム国の衝撃』の67−69頁に詳述してあります。

NHKは「イスラーム国」を今後「IS=イスラミックステート」と呼ぶことにしたという。

 日本の事情からやむを得ないとは思いますが、言葉狩りをしてもなくなる問題ではありません。長期的には問題の所在の認識を妨げてしまうのではないかと危惧します。短期的に勘違いする人たちを予防するために仕方がないとは言えますが、しかし、低次元の解決策に落ち着いたと言わざるを得ません。

(1)「イスラーム」と呼ぶとイスラーム諸国やイスラーム教徒やイスラーム教の教義と同一であると思い込んでしまう人がいる→どれだけリテラシーがないんだ?
(2)「国」と呼ぶと実際に国だと思ってしまう人がいる→同上。

 本当は「イスラーム国」を称する集団が出てきてもそれにひるむことなく、どのような意味で「イスラーム」だと主張しているのかを見極め、「国」としてどの程度の実態があるのかを見極め、どの程度アラブ諸国の政府・市民、イスラーム世界の政府・市民に支持されているのかを見極め、日本としての対処策を決めていく、というのが、まともな市民社会がある大人の先進国ならどこでもやらなければならないことです。

 今回NHKは政府と一般視聴者の抗議に負けて、市民社会での認識を高める努力を回避しました。それは結局日本の市民社会がその程度ということです。

 私は括弧をつけた「イスラーム国」を用いつづけてきました。『イスラーム国の衝撃』でもタイトルと見出し(これは出版社が決める)以外は「 」を徹底してつけました。本人たちがそう呼んでいるのだから仕方がない。それが普遍的に「イスラーム」でも「国」でもないことは、「 」を付ければ明瞭です。「俺には明瞭ではない」という人は、実態とは異なる名称を伝える紛らわしい情報を「俺にとって心地良いから」よこせと言っているだけです。

 NHKが「イスラーム国」に共感的だから「イスラム国」と呼んできたなどという事実はまったくありません。組織の当事者たちが「イスラーム国」と呼んでおり、世界の中立性の高いメディアも英語でそれに相等する表現を用いているから、日本語でそれに相等する「イスラム国」の表記を用いてきただけでしょう。

 「イスラム国」と呼ばれていればそれがイスラムそのものでイスラム全体で国なんだろう、などと思い込む消費者の側に大部分の問題があります。「俺が勘違いしたのはNHKの責任だ」などというのももちろん単なるクレーマーの横暴な主張にすぎません。ただ、現実の日本社会の水準はそれぐらいだから、それに合わせて報道することを余儀なくされた、報道機関の敗北でしょう。

 ただし、ここで苦肉の策で、中立性を保とうという努力が認められます。要するにより徹底的にBBCに依拠したのですね。BBCはIslamic Stateとまず呼んで、その後はISと略す。NHKはまず「IS」と呼んで、カタカナで「イスラミックステート」と説明をつける。
 
 しかし元々はアラビア語の組織名なのに英語訳に準拠するのは、ぎこちないですね。まあグローバルな存在だから英語でいいという考え方も成り立ちますが、苦肉の策であることに違いはありません。

 BBCは英語だからIslamic Stateと呼んでISと略すのが当然ですが、NHKで日本語の中にここだけ英語略称のISが出てきて、組織名の英語訳であるイスラミックステートがカタカナで出てくる理由は、説明しにくい。NHKの国際放送であれば自然に聞こえますが。

 なお、政府・自民党のISILは明らかに米政府への追随です。米系メディアはISIS とすることが多い。

 アラビア語の各国のメディアは「ダーイシュ」とすることが大多数になっている。これは明確に敵対姿勢を示した用語であり、「イスラーム国」側・共鳴者は「ダーイシュ」と呼ばれると怒ります。

 グローバルなアラビア語メディアであるアル=ジャジーラは「Tanzim ”al-Dawla al-Islamiya”」と、括弧をつけて、冒頭に「組織(tanzim)」を付しています。最近は単に「Tanzim “al-Dawla”」と略すことも多くなっている。「「国家」と自称する組織」ですね。「イスラーム」であるならばそれは絶対的に正しい存在だ、と思う人がアラブ世界の大多数なので、「イスラーム」とはなるべく呼ばないようにしつつ、「ダーイシュ」という各国政府の用いる罵り言葉は使わないようにしているのですね。BBCと似ていますが、よりアラブ世界の実態に即した用語法です。

 BBCでは昨年から、Islamic Stateと略称ISで一貫している。世界標準とはその程度の水準のことを言うのです。

 最新のニュースでも、タイトルでIslamic Stateと書いています。

Islamic State: Key Iraqi town near US training base falls to jihadists

 本文の最初で、

Islamic State (IS) has captured an Iraqi town about 8km (5 miles) from an air base housing hundreds of US troops, the Pentagon says.

 と書かれている。まず「Islamic State」と書いておき、その後「IS」とする。今回NHKは、より英語そのままに(ただし略称を先に出してくる)準拠することにしたのですが、日本語としてはややこしくなりました。

 「イスラム国」という言葉を遠い日本で言葉狩りしても、組織の実態は変わらない。かえって日本側で、謎めいた「IS」という略称のみが出回って実態を理解する能力が落ちる可能性がある。長期的には日本の市民社会の水準を上げるためには役に立たない。

 ただし、日本は「救世主」を「キリスト様」にしてしまってそれが終末論的な救世主信仰であることを忘れた(知らないことにして受け入れた)国だから、同じようなことは随所に起こっているのだろう。

 NHKも最初はBBCに準拠して日本語訳して「イスラム国」としていたが、とんでもない誤解をする政治家や評論家までが出てきて、反発して消費者として抗議したりする人も増えたので、ついに英語そのもので表記することにしてしまったというわけです。

 もちろん「イスラム国と呼ばない」というのも日本社会の意思表示ではあるので、それはそれであり得る選択かとは思います。ただ、そうすることで外国の実態を見えなくなる可能性は知っておいたほうがいいでしょう。

 昔はごく一部の人しか外国の実態を見ることはなかったので、超訳をいっぱいして日本語環境の中の箱庭仮想現実を作ってきました。情報化・グローバル化でそれが不可能になったことが、現在の知的・精神的な秩序の動揺を引き起こす要因になっていると思います。苦しいですが、もう一歩賢くなって、自分の頭で考えるようになるしかないのです。

 日本で「イスラム国」と呼ばなければシリアやイラクやリビアやエジプトの「イスラーム国」を名乗る勢力の何かが変わるかというと、変わりません。日本政府やNHKや日本企業などが「イスラーム国」を作り出してそう呼んでいたのであれば、日本で呼び方を変えれば何かが変わるでしょうが、今回はそういう事態とは全く違います。

 日本政府やNHKに抗議して呼び方を変えさせるよりも、「イスラーム国」そのものに抗議して名前を変えるか行動を改めるかさせるのが、正当な交渉の方向でしょう。また、「イスラーム国」の活動を十分阻止しておらず、黙認していると見られる周辺諸国の政府に抗議して政策を変えさせるのも、本来ならあるべき抗議活動なはずです。

 それらの政府は国民の言うことなど聞かないのかもしれませんが、だからといって遠い日本の政府や報道機関に話を持ち込んでも、知的活動や言論を阻害するだけです。

『中東 危機の震源を読む』が増刷に

2009年に刊行した『中東 危機の震源を読む』が増刷されました。

2004年12月から2009年4月までに、国際情報誌『フォーサイト』誌上で行った、毎月の「定点観測」をまとめたものです。当時は『フォーサイト』は月刊誌でした。

足掛け5年にかけて行った定点観測を見直すと、その先の5年・10年にわたって生じてくる事象の「兆し」があちこちに散らばっています。自分でも、書き留めておいて良かったと思います。そうしないとその瞬間での認識や見通しはのちの出来事によって上書きされ、合理化されてしまいます。

瞬間瞬間での認識と見通しを振り返ることで、現在の地点からの将来を展望する際の参照軸が得られます。

今年になって中東やイスラーム世界が突然話題になったと思っている人は、この本を読んでみれば、今起こっていることの、ほぼ全てが2000年台半ばから後半にかけて生じていたことの「繰り返し」であることに、気づくでしょう。それはより長期的な問題の表れであるからです。

当時からこういった分析を本気で読んでいた方にとっては、今起こっていることは、驚くべきことではなく、「来るべきものが来た」に過ぎないでしょう。

新しい帯が付いています。

中東帯付カバーおもて小

裏表紙側の帯を見てみましょう。

中東帯付カバーうら小

ここで項目一覧になっているのは、この本の目次から抜き出したものです。今新たに作ったキャッチフレーズではありません。

*アメリカ憎悪を肥大させたムスリム思想家の原体験
*イラク史に塗り込められたテロと略奪の政治文化
*「取り残された若者たち」をフランスはどう扱うのか
*風刺画問題が炙り出した西欧とイスラームの対立軸
*安倍首相中東歴訪で考える「日本の活路」

なお、裏表紙の真ん中に刷ってある「イスラームと西洋近代の衝突は避けられるかーー」云々も、初版の2009年の時から印刷してあります。

このような議論は「西洋近代はもう古い」「イスラーム復興で解決だ」と主張していた先生方が圧倒的に優位で、「イスラーム」と名のつく予算を独占していた中東業界や、中東に漠然とオリエンタリズム的夢を託してきた思想・文学業界では受け入れられませんでした。

しかし学問とはその時々の流行に敏感に従うことや、学会の「空気」を読んで巧みに立ち回ることではないのです。学問の真価は、事実がやがて判定してくれます。

ヨルダン人パイロットの殺害映像公開で分かった、人質交換交渉の内実

 2月3日に公開された「イスラーム国」の殺害声明ビデオによってヨルダン空軍パイロットのムアーズ・カサースベ中尉の殺害が明らかになりましたが、ムアーズ中尉は1月3日にすでに殺害されていたことがヨルダン政府によって明らかにされています。

 1月27日に公開された脅迫映像では、ムアーズ中尉が今回のビデオで焼殺に使われている檻の中にいる写真を、後藤さんが掲げさせられていることから、以前から殺害されていたことは明らかです。

 こうなると、犯行グループが2・3・4本目の脅迫映像で持ち出した、サージダ死刑囚の釈放との交換での人質釈放の仄めかしは、ヨルダン政府に対する罠であったことがわかります。
 
 1月28日付のブログの記事(「人質殺害脅迫の犯行グループが期限を24時間に:生じうる交渉の結果を比較する」)では、交渉論からあり得る4つの可能性を論理的に抽出して検討しました。それは「ムアーズ中尉が生きているか死んでいるかわからない」事を前提にしていました。その前提の上で4つの可能性が考えられました。
 
 「死んでいる」場合は、(1)(2)と(4)の可能性しか存在しません。「生きている」場合にのみ、さらにいろいろな好条件が重なると、かろうじて(3)になりうる(しかしその場合も政治的な負の帰結は大きい)というものでした。

 1月28日のブログから抜粋して見直してみます。

(1)非常に悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉(パイロット)を殺害、後藤さんを殺害。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府の体面失墜、武装集団の威信高揚。死刑囚を釈放したのに対して、相手方は殺害した遺体を送りつけてくる、という最悪の結果は、中東諸国が他のイスラーム主義武装集団と行った交渉ではあった。ヨルダン政府は、「イスラーム国」が本当にムアーズ中尉が今も生きているのか、生きて返す意思があるのかを、必死に見極めようとしているだろう。ヨルダン政府にとっては、そこが絶対に譲れない一線だ。日本人人質を併せて解放してもらえるかどうかは、あくまで副次的な要素だろう。

(2)悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を殺害、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府は、日本の金でヨルダン人パイロットを売ったと嘲笑・非難される。

(4)このままでは最も可能性が高い、悪い結果
人質が殺害され、ヨルダン政府は死刑囚を解放しない。ヨルダン政府の方針は守られるが、日本政府の目的は達せられない。

 上記三つのいずれも悪い結末のうち、(4)が比較の上ではまだマシというものでした。

 パイロットについて交渉の余地があるかのような希望を持たせる「イスラーム国」側の脅迫によって、(3)という実際には存在しない選択肢が提示されたというのが、今回の日本・ヨルダンへの脅迫の実態でした。

(3)最良に見えるが実際には重大な帰結を付随する結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を解放、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→日本にとっては良い結果に見えるが、イスラーム国はサージダを宣伝に活用し、おそらく仲介者を通じて資金も受け取る。ヨルダン政府は死刑囚への寛大な措置と、日本人人質も救った英明さを強調できるが、アンマン・テロ事件の重要実行犯を解放する超法規的措置で、威信を問われる。日本政府は、ヨルダン政府に大きな借りを作り、金銭面だけでなく、政治的、そして人的支援を、ヨルダン政府に一旦緩急ある時求められる。

(3)の選択肢が存在するためには、「パイロットが生きている」という条件が満たされないといけません。パイロットが生きているかどうか分からないと、最悪(1)の結果になることが怖くて、ヨルダン政府は死刑囚を釈放できません。最終的にヨルダン政府は釈放の決断をしませんでした。パイロットが生きていることを確証できないだけでなく、生きていないとする情報が多くあったのでしょう。

 そして、実際に以前からパイロットは殺害されていて、人質の生還をかろうじて可能にする可能性を含んだ(3)の選択肢は、最初から架空のものだったということが、2月3日に出てきたパイロット焼殺映像によって明らかになりました。

「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している

「イスラーム国」による日本人人質略取・脅迫事件は、人質二名の殺害という結果に終わった。

今回のテロ事件の発生に関して、安倍首相の中東歴訪およびその間の発言が事件を引き起こした、あるいは少なくとも「口実を与えた」とする議論が提起されている。

因果関係論であれ、責任論であれ、事実に基づいて行う必要がある。

最大の論点であり、また誤った情報が流れているのは次の問題に関してである。すなわち、安倍首相が1月17日のエジプトでの演説で提示した「イスラーム国」と戦う周辺諸国への経済援助をめぐる表現が、「非軍事的である」ことが明確だったか否か、という問題である。

演説で示した経済援助の「内容」が非軍事的であったことは明瞭なので、論点は「表現が適切であったか否か」である。

そして「テロ組織を刺激した」「テロ組織に口実を与えた」かどうかが論点であるようなので、ここでは「『イスラーム国』がどう受け止めたか」に議論の対象を絞ろう。そもそも「イスラーム国」の受け止め方が正当なのか、中東やイスラーム諸国の受け止め方を代表しているのか、「イスラーム国」の受け止め方を考慮して政策や表現を決めなければならないかは大いに疑問があるが、ここは百歩譲って、「『イスラーム国』はどう受け止めたか」を検証してみよう。

さて、このように問題の核心を定義した上で、まともに情報を分析すれば、答えは異様なまでに簡単に出る。

「イスラーム国」は安倍首相が中東歴訪の際にエジプトで表明した「イスラーム国の脅威と戦う周辺諸国」への援助が「非軍事的」であることを明確に認識している。

ある武装組織が、敵とする政府の政策をどう認識しているかが、ここまで明瞭に証拠として残っていることは滅多にない。極めて興味深い事例なので、写真も交えて、分かりやすく解説してみよう。

「イスラーム国」が安倍首相の発表した中東諸国支援、特に「イスラーム国」周辺諸国への支援が非軍事的であることを認識していることは、1月20日の第1回の脅迫ビデオで明瞭にされている。

ビデオは当面このページから見られるので、容易に検証可能だ。

ここは各社が互いに追随して同じ過ちを犯す日本のメディアの重大な取りこぼしなのだが、どの報道も、黒覆面の処刑人(ジハーディー・ジョン)が読み上げる脅迫・声明文のみに注目した。英語で語る文面が日本語訳され、無数に日本のテレビに映し出され、読み上げられた。

しかしそれらは「イスラーム国」が何を主張したか、に過ぎない。

「イスラーム国」は日本の何を問題視したのだろうか?安倍中東歴訪のどこに文句をつけ、殺害・脅迫を正当化したのだろうか?そして、安倍首相が演説で発表した中東諸国支援策をどのように受け止めて問題視したのだろうか?

これは簡単に分かる。

1月20日のビデオの冒頭の部分を見ればいい。

日本のメディアで繰り返し流されたのは、いわば脅迫ビデオの「本編」である。後藤さんと湯川さんを座らせて、黒覆面・黒装束の男がナイフを掲げて脅す「本編」の前に、いわば「導入部」がある。導入部では安倍首相中東歴訪のニュース映像が引用され、アラビア語のニュースサイトが切り取って映し出される。この導入部が日本のメディアでほとんど報じられず、その貴重で興味深い内容が分析されないので、本来は存在しないはずの議論が沸き起こるのである。つまり、「非軍事的であることが伝わったのか?」という議論である。

きちんと脅迫ビデオを見れば、アラビア語と英語がある程度できれば、問題は簡単過ぎるほど簡単に解ける。最初の10数秒で答えは出てしまうのである。「イスラーム国」自身が、日本の2億ドル援助は「非軍事的」であると認めている。認めた上で「であるがゆえに、ジハードの対象とする」と主張しているのである。日本が軍事的になったからイスラーム国に狙われた、とする議論は、根拠がないことがわかる。非軍事であってもジハードの対象とする、というのが今回の脅迫の趣旨なのだ。

1月20日脅迫ビデオの「導入部」を見てみよう。

場面(1)冒頭の誓約

 冒頭にまず「神の御名において」という定型的な宗教的誓約文が出てくる。これは「イスラーム国」に限らずあらゆる出版物や映像に用いられているものである。

1月20日脅迫ビデオ1

場面(2)NHKワールドのニュースを引用

 次に、NHKワールド(英語国際放送)のニュースから映像が切り取られ、安倍首相のエジプト・カイロでの演説の一部が引用される。日本のアナウンサーが読み上げる英語ニュースに、「イスラーム国」がアラビア語で字幕を付けている。

NHKのキャスターが首相中東歴訪の意義を紹介する部分が切り取られている。

“He has announced a multimillion dollar aid package to the Middle East and expressed concern about the spread of extremism in the region.” (首相は中東への数百万ドルの支援パッケージを発表し、過激主義の中東地域への広がりへの危惧を表明しました)

「イスラーム国」のつけたアラビア語は英語に忠実に訳しています。

1月20日脅迫ビデオ2

1月20日脅迫ビデオ3

場面(3)BBCアラビア語放送のウェブサイトを画像で取り込み

 ここでNHKワールドの音声は流しながら、画面にはBBCArabi(英BBCが放送するアラビア語国際放送)のウェブサイトの安倍エジプト訪問の記事が映し出される。これが動かぬ証拠。

1月20日脅迫映像4BBCArabi

 ここで切り取ってくるBBCArabiのホームページはこれです。アラビア語のタイトルから検索すれば簡単に出てきます。

1月17日安倍首相エジプト訪問BBCArabi

http://www.bbc.co.uk/arabic/middleeast/2015/01/150117_japan_pm_mideast

両者を見比べてみましょう。脅迫ビデオには、英語が付いていますね。元のBBCArabiの記事にはありません。アラビア語がわかる人向けの放送局のウェブサイトだからです。しかしこの脅迫ビデオは日本と世界に向けているので、全編にわたって英語とアラビア語の二言語になっています。アナウンサーや登場人物が英語でしゃべるところにはアラビア語の字幕がつき、逆にアラビア語のホームページの画面を切り取ってくる時は、英語で訳を付けているのです。

右上の記事タイトルはアラビア語で「安倍が「イスラーム国」との戦いを非軍事的支援で支える」となっています。

これに「イスラーム国」が付けた英訳では、アラビア語原文に忠実に、あるいはむしろ若干BBCArabiよりも正確に、「Abe Pledges Support for the War against Islamic State with Non-Military Aid (安倍がイスラーム国との戦いに非軍事的支援を約束した)」とあります。「イスラーム国」に「 」をつけていないのは、「イスラーム国」側が自分たちは真のイスラーム国であると主張しているからでしょう。そこだけがアラビア語原文と異なっています。

重要なのは、「イスラーム国」が意識的に付けた英訳で「Non-Military(非軍事的な)」と明記されていることです。「イスラーム国」が情報収集に使うアラビア語や英語のメディアからの情報を正確に受け止め、安倍首相が発表した支援策が「非軍事的な」ものであることを認識していることが明瞭になっています。

安倍首相が「イスラーム国」周辺諸国に2億ドルの軍事援助を行うと誤解されたからテロの対象になったのではなく、2億ドルが非軍事的援助であることを「イスラーム国」が明確に認識していながら、なおも日本・日本人をジハードによる武力討伐の対象としたと宣言した、ということがここから明らかです。そうであるがゆえに事態は深刻なのです。

「テロと戦っている周辺諸国」を支援するという表現を用いたからテロ組織に目をつけられた、という批判もあるようですが、安倍首相が演説で日本語で用いた「戦っている」に、外務省(あるいは首相側近のスピーチライター)はfighting againstではなくcontending with という曖昧にぼかした英訳を付けています。contending with を用いることで、「戦う」だけではなくもっと広い意味で「取り組む」「立ち向かう」という意味を含ませたのでしょう。「イスラーム国」に対して明確に軍事的に対処するヨルダンやサウジアラビアなどと、トルコやレバノンなどのように正面から政府が軍事的に対処することを回避しながら立ち向かっている国があり、それらがいずれも治安の不安定化や難民の流入に苦しんでいるので、それらの国々の取り組みをまとめて表現するには、contending withというぼかした表現は適切です。

 「イスラーム国」は脅迫ビデオでcontending withという安倍首相の発言(英訳)を問題にしていません。

安倍首相の演説シーンからは次の部分を切り取ってきています。再びNHKワールドのニュースより。

場面(4)安倍カイロ演説からの引用

1月20日脅迫ビデオ5首相発言部分

“The international community would suffer enormous damage if terroirsm and weapons of mass destruction spread in the region” (テロと大量破壊兵器がその地域に広がれば、国際社会は多大な打撃を受けるだろう)。「イスラーム国」がつけたアラビア語字幕も原文に忠実です。

中東に行った各国首脳が、現地国首脳と同意できる、よくある表現です。「テロと大量破壊兵器の脅威」を表現したから「イスラーム国」が怒った、というのであれば、ほぼ全ての国の首脳が「イスラーム国」を怒らせていることになります。

なお、ロイターやBBCの英語版では、本文ではきちんとcontending withを使って報じているのですが、タイトルではbattling withを使っている場合があり、対立図式を明瞭にして報じたきらいがあります。おそらくそういった英語版を踏まえたBBCArabiではさらに大げさにWarを意味するharbにしてしまっていて、そこからイスラーム国を刺激した可能性はあり得ると思いますが、それは対立図式を明瞭にしたい英語圏メディア、対立についての微妙な表現がほとんど使われないアラビア語圏メディアに、より大きな責任があると言えます。外務省はきちんと訳しているのですから。記事のタイトルでは面白くしたいので対立を明確にしたのですね。

もちろん英語圏メディアが対立図式を明瞭にして報じ、アラビア語メディアがそれをもっと単純化することも考えて発言しろ、という批判はあり得ますが、現に「イスラーム国」と戦っている諸国を歴訪して、日本は旗幟鮮明にせず逃げ隠れしてお金ですます、というのは現地の政府から評価を受ける姿勢ではないでしょう。

重要なのは、「イスラーム国」がある意味最も冷静で、「非軍事的」であることを認識し、英訳できちんとそう記しているということです。

そもそも「イスラーム国」が「非軍事的」と言っているのに、「自分には軍事的に感じられる」と騒ぐ人は、一体どうしているんでしょうか。

ワイドショーやニュース番組などのいい加減なフリップが作る「空気」に流され、検証がないままに、多くの論者がいつの間にか「軍事的な援助だと誤解された」という無根拠な情報を事実であるかのように信じて議論をしてしまっている。それが国会論戦にまで反映されてしまっている日本。それに比べて、紛争地の武装集団に過ぎない「イスラーム国」の方がはるかに情報収集・分析力において優れている、という気がいたします。

【議論する前に、安倍カイロ演説の全体をまず読んでみたらいかがだろうか。「中庸」を連発して、エジプトで対立する軍とムスリム同胞団のどちらにも与しないよう、限りなく腐心しています。「安定」を司る現政権の軍部に一歩歩み寄りつつ、ムスリム同胞団など穏健派を切り捨てないようにしている。外務省の細心の注意が偲ばれる文章です。これで巻き込まれたのは災難としか言いようがない】

日本語版
「中庸が最善:活力に満ち安定した中東へ 新たなページめくる日本とエジプト」2015年1月17日、於・日エジプト経済合同委員会

英訳版(翌日日付)
“Speech by Prime Minister Abe “The Best Way Is to Go in the Middle”

後藤さん殺害映像から読み取れる人質事件の性質と犯行勢力の目的について

本日朝5時半以降のフェイスブック・アカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)での発信を整理してまとめておきます。

1.1月20日から2月1日にかけての人質事件の基本性質について
 2月1日午前5時すぎ(日本時間)からソーシャル・ネットワーク上で公開された「イスラーム国」による人質殺害声明ビデオにより、人質となっていた後藤健二さんが殺害されたことがほぼ確実となった。

 人質がオレンジ色の囚人服を着せられて映像に出させられた後には、交渉・身代金・捕虜交換によって解放されることはないというこれまでの通例と同じ結果になった。

 過去にイラク・シリアで「イスラーム国」に関連する組織によって略取された人質が、身代金・捕虜交換で解放された事例は、「イスラーム国」側が公に政治的要求を出すことなく、最初から最後まで水面下で推移した事例だけである。そのような事例は、活動資金目当てに末端組織が行った場合と、中枢が最初から公に政治化しない(水面下での利益を取る)判断をした場合とがあるだろう。

 日本の場合はヨルダンやトルコのように、人質と引き換えにするための囚人・捕虜を持っていないため、通常の人質解放交渉のためのカードを持っていない。
 
 そのため、2億ドルを払って数年分の活動資金を提供するか、人質が殺害されるかという極端な選択肢を突きつけられた。「イスラーム国」側は、実際には身代金よりも、全面的に政策を撤回し「イスラーム国」に屈従する、日本政府が受け入れ不能であることが予想できる要求を行った上で人質を殺害し、最大の恐怖と混乱を生じさせ、関心を集めることを目的としているだろう。
 
 重要なことは、非軍事的な資金供与を行う者も敵であると明確にしたことである。それによって、軍事行動への参加は控えながら、経済支援・人道支援にとどめている各国にも、明確に宣戦布告を行ったことになる。ただし、イスラーム法学上のジハードの理論からは、直接的な軍事力を行使する勢力だけでなく、資金供与などの間接的な支援を行う勢力も、討伐の対象とするという解釈を「イスラーム国」を含むジハード主義勢力は従来から採用しており、大きな姿勢の変化はない。

 ジハード主義勢力の世界観の中で、軍事的関与を行わず経済支援を行う国の代表として日本が狙われたというのが今回の事件の基本的な性質である。
 
 「イスラーム国」に対しては、米・英・仏やサウジアラビア・UAE・ヨルダンなど直接的に軍事的に参加する国だけでなく、経済支援や金融制裁や司法協力などによって参加する国が多くある。世界中の大多数の国がなんらかの形で協力・支援を表明している。

 世界の多数を占める、間接的な支援を行う国に対して、テロによる実力行使の対象となると警告することで、支援を控えさせようとするのがより大きな目的だろう。

2.殺害声明ビデオの形式について

 日本時間朝5時頃に公開されたビデオによる人質殺害声明は、A Message to the Government and People of Japanと題されている。タイトル画面の下部と、その後は左肩に「フルカーン・メディア」のロゴが付いており、ジハーディー・ジョンと見られる処刑人が登場する。

 今回のビデオはこの事件を通じて5本目となる脅迫・殺害映像である。映像の形式や要素、そして全般的な質は、1月20日の第1の脅迫映像に戻っている。「イスラーム国」の斬首殺害による犯行声明・脅迫ビデオの形式は、2004年以来定着した、この組織の「アイデンティティ」とも言えるものである(詳細は『イスラーム国の衝撃』の第3章と第7章にまとめてあります)。

 ただし背景となる地形は前回と異なっており、より奥地に入ったように見える。

 形式や要素や質を大きく異にする2・3・4本目の脅迫映像については、その意図や経緯について不透明な部分が残る。今後の検証を待ちたい。

 仮説としては、一部の勢力が矛先をヨルダンに向け、サージダ死刑囚の解放を要求してヨルダン政府を揺さぶろうとした可能性があるが、その勢力が後藤さんあるいはヨルダン人パイロットのムアーズ・カサースベ中尉を解放する権限あるいは身柄そのものを確保していたかどうかすら定かではない。

 捕虜交換の可能性を示唆することで、ヨルダン政府を振り回してダメージを与えるためだったのか。あるいは複数の勢力の足並みの乱れがあったのか、現時点では確定的なことは言えない。

 本日のビデオ映像で、イラクのアル=カーイダから「イスラーム国」に至る一連の武装勢力の中枢が、一連の殺害映像で繰り出してきた、相手に恐怖を与え、萎縮・屈服させようとするテロ映像の形式と質に戻った。

3.今回の殺害声明の内容について
 殺害声明ビデオの中での処刑人の発言は短いが、重要な要素を含んでいる。
 
 第一は、イラクとシリアでの「イスラーム国」による領域支配に対する有志連合の「弱い鎖」としての日本を制圧しようとする要素である。前半の、You, your foolish allies in the Satanic coalition…という部分にそれが明瞭である。
 
 第二は、グローバル・ジハード的な、自発的な呼応によって各地で日本人・日本権益への攻撃を触発しようとする部分、あるいはそれによって日本人を萎縮させようとする要素である。特に次の部分である。
…will also carry on and cause carnage wherever your people are found. So let the nightmare for Japan begin.
 これまでに「イスラーム国」はこういった発言を無数に行っており、これまでに呼応した例はそれほど多くない。ただしフランスでシャルリー・エブド紙襲撃事件に呼応して警察官を殺害しユダヤ教徒向け食料スーパーに立てこもった男は「イスラーム国」への共鳴を表明していた。世界のイスラーム教徒の圧倒的多数はこういった扇動を相手にしないが、少数の突発事例の出現は想定する必要がある。

 末尾に殺害声明ビデオ内で「ジハーディ・ジョン」と呼ばれる処刑人が読み上げた声明文を収録しておく。

 To the Japanese government: You, like your foolish allies in the Satanic coalition, have yet to understand that we, by Allah’s grace, are an Islamic Caliphate with authority and power, an entire army thirsty for your blood.
 Abe, because of your reckless decision to take part in an unwinnable war, this knife will not only slaughter Kenji, but will also carry on and cause carnage wherever your people are found. So let the nightmare for Japan begin.

人質殺害脅迫の犯行グループが期限を24時間に:生じうる交渉の結果を比較する

「イスラーム国」より、24時間以内の後藤さんの殺害を脅迫し、サージダ・リーシャーウィーの釈放を要求する声明が出ました。

交渉の内側について私は情報を持ちません。交渉論的に、生じうる結果を場合分けし、それぞれの政治的帰結を考えてみました。

1月28日午前2時の段階でフェイスブックに投稿しておいたポスト(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202573053326596)を再録しておきます。

(1)非常に悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉(パイロット)を殺害、後藤さんを殺害。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府の体面失墜、武装集団の威信高揚。
 死刑囚を釈放したのに対して、相手方は殺害した遺体を送りつけてくる、という最悪の結果は、中東諸国が他のイスラーム主義武装集団と行った交渉ではあった。ヨルダン政府は、「イスラーム国」が本当にムアーズ中尉が今も生きているのか、生きて返す意思があるのかを、必死に見極めようとしているだろう。ヨルダン政府にとっては、そこが絶対に譲れない一線だ。日本人人質を併せて解放してもらえるかどうかは、あくまで副次的な要素だろう。
(2)悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を殺害、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府は、日本の金でヨルダン人パイロットを売ったと嘲笑・非難される。
 私は、イスラーム国がムアーズ中尉を生きて返す可能性は極めて低いと思う。付随して、ヨルダン政府を嘲笑するために、「より罪の軽い」通りがかりと言っていい日本人を返す可能性はないわけではない。その時日本は手放しで喜ぶというわけにはいかない。
(3)最良に見えるが実際には重大な帰結を付随する結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を解放、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→日本にとっては良い結果に見えるが、イスラーム国はサージダを宣伝に活用し、おそらく仲介者を通じて資金も受け取る。ヨルダン政府は死刑囚への寛大な措置と、日本人人質も救った英明さを強調できるが、アンマン・テロ事件の重要実行犯を解放する超法規的措置で、威信を問われる。日本政府は、ヨルダン政府に大きな借りを作り、金銭面だけでなく、政治的、そして人的支援を、ヨルダン政府に一旦緩急ある時求められる。自衛隊派遣等を求められる事態も将来に生じないとも限らない。ヨルダン政府は、すでに人員の危険を冒して、日本人人質の奪還に動いている。テロリストを解放すれば、将来の危険が増す。裏で渡る身代金はイスラーム国とその中核の武装集団の活動を支える。より酷くない悪を選ぶしかないが、中長期的に見てどれが最も「悪い」結果なのかは、判断がつきかねる。
(4)このままでは最も可能性が高い、悪い結果
人質が殺害され、ヨルダン政府は死刑囚を解放しない。ヨルダン政府の方針は守られるが、日本政府の目的は達せられない。時間が切迫しているが、取れる手段は限られている。
 可能性はこれらだけではない。今回も映像の編集が貧弱で、これまでの脅迫映像で使われていた背景映像がなく白無地の背景で、動画による人質の発言などが盛り込まれていない、等を考えると、(1)武装集団が従来の機材を使えない状態にある。すなわち軍事的にかなり打撃を受けている。処刑人が第2回の映像から出てこないのは、負傷・死亡したか、別の場所にいて撮影の場に来られないといった理由が考えられる。(2)第2回の映像以来、それまでとは違う武装集団が後藤さんの身柄を奪った、という可能性もないわけではない。これらの武装集団側の状況変化によって、展開は早まりもするし、新たな要求が出る可能性もある。

今回だけなぜ静止画像なのか?

この記事でも触れられているように、これまではJihadi Johnが出てきた時には、必ず動画で殺害そのものを描く映像があった。

しかし今回は静止画像と被せられた音声のみである。
http://www.reuters.com/article/2015/01/24/us-mideast-crisis-japan-usa-idUSKBN0KX0MN20150124

何よりも、Jihadi Johnが全く出てこない。背景もいつもの荒野と青空ではなくただの白無地である。

しかも後藤さんは遺体の写真を掲げていて、実際の遺体は写真の中に小さく映るだけである。場所や時期などが判然としない。

最初の殺害予告は動画で、従来のものと形式は似ていたが、合成の疑いがあり、二人の人質が同一の時と場所に居なかった可能性がある。また、予告映像で人質が喋っていないので、撮影された時期がわからない。

早期に湯川さんは殺されていた可能性が捨てきれない。

どこかこれまでとは違う手順で犯行や脅迫が行われている様子がある。

何か無理をして脅迫案件を作り出しているのではないか、という気がする。軍事的あるいは資金的に追い詰められているのだろうか。

確たる結論も根拠もないのだが、これまでと同じスタイルの映像を作れず、これまでの映像と比べると格段に完成度の水準の低い静止画の宣伝映像を出してきた理由は何なのだろうか、腑に落ちないところがある。

「イスラーム国」による日本人人質殺害と新たな要求について

昨日午後11時過ぎに公開された日本人人質の一名の殺害声明については、まず午前12時30分ごろまでの情報をまとめておきましたが、その後は、取り急ぎ参考情報をフェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)から発信しました。

下記に、ツイート的に断続的に発信したポストを再録しておきます。1月25日午前1時〜4時30分ごろにかけての断続的にメモとして記しておいたものです。

(1)
 非常に痛ましい情報です。

 テロリズム調査会社のSiTEが、人質の一人(湯川さん)を殺害したとする犯行声明ビデオを入手したと発表しています。SiTEの最新のリリースのホームページにつながらないので、Daily Beastの報道を転載します。
http://www.thedailybeast.com/cheats/2015/01/23/isis-executes-japanese-hostages.html

 真偽を私は確認する術がありません。ただ、過去の例からは、SiTEの情報・分析は、イスラーム主義過激派に関する限り、確度が高いものであったと記憶しています。
ISIS-linked Twitter accounts have distributed a video showing one of two Japanese hostages held by the group. In the video, Kenji Goto Jogo said fellow hostage Haruna Yukawa had been beheaded and that he would die next if the terror group’s demands are not met. ISIS had demanded $200 million from the Japanese government in exchange for the two men, but Jogo said it now wants the release by Jordan of female would-be suicide bomber Sajida al-Rishawi. He is shown in the video holding a photo of Yukawa beheaded (which is used in this story), but SiTE blurred the image.

(2)
 同じくSiTEの情報に依拠した報道です。
http://www.usatoday.com/story/news/world/2015/01/24/isis-islamic-state-video-beheading-site-report-released/22269675/

 SiTEはツイッターで伝わってきたユーチューブの映像を分析して、犯行声明と断定したようです。映像は静止画像で、後藤さんが写真を掲げている模様です。

 犯人はこれまでとは要求を変えているようです。後藤さんの命と引き換えに、ヨルダンで死刑判決を受けている、Sajida al-Rishawiの釈放を要求しているようです。

 サージダ・リーシャーウィーは、イラクのアル=カーイダ(「イスラーム国」の前身)の創設者ザルカーウィーの側近の妹で、2005年のアンマン・ホテル同時多発自爆事件(グランド・ハイアット、ラディソン等を爆破して60人が死亡した、ヨルダンの近年の最大のテロ)の際にも自爆テロ要員だったが生き残り、逮捕されて死刑判決を受け、上告中です。

 犯行勢力は、日本政府が人質解放交渉の拠点を置いたヨルダンに矛先を向けてきたようです。それによって日本・日本国民と、ヨルダン政府・ヨルダン国民との間に亀裂を走らせようとする戦術と思われます。

 ヨルダン政府が、歴然とした自爆テロ実行未遂犯を釈放する可能性は薄いと思いますが、日本国民がヨルダンに釈放せよと圧力をかける事態が生じれば、それは別の国際問題を引き起こすと考えられます。

(3)
 後藤さんが読み上げさせられている要求では、身代金の要求は明確に取り下げ、サージダ・リーシャーウィーの釈放のみを要求しています。

 2005年のアンマンのテロはヨルダン社会に「反アル=カーイダ」の世論を高めた決定的な意味を持つ事件です。その際にサージダは自爆ベルトを身につけて起爆に失敗して逮捕されました。夫はラディソン・ホテルで自爆し、結婚式に参加していた人たちを中心に38名を殺害しています。そのような犯人の釈放を行えば、今後多くの人々を巻き込むテロが生じる可能性が高いため、ヨルダン政府にとってはこの要求は受け入れることがきわめて難しいと思われます。
 
 日本とヨルダンの関係を揺るがせようとする意図を持った要求と考えられます。

(4)
 今回のビデオは、全体で2分52秒でそれほど長くありません。
 また、画面の背景が白で、頻繁に使われてきた荒野に青空の背景を用いていないところがこれまでと違うところです(背景はこれまでも合成であったとみられますので、実際に外で撮影する必要はありません)。

 また、後藤さんは、湯川さんの実際の遺体ではなく、遺体を写したと見られる写真を手にしているところから、湯川さんが以前にすでに死亡していた可能性、あるいは後藤さんとは別の場所で殺害された可能性があるのではないかと推測します。
 SiTEのホームページではリリースを何度かアップデートしているようですが、おそらくこれが最終と思います。その中では、映像の中で読み上げられた要求の全文が書き起こされています。繋がりにくくなっているようなので、要求の部分のみ暫定的にここに貼り付けます。

 日本政府への要求の部分は、明らかに、犯人側が作ったものを読み上げさせられている文体です。家族に向けた部分とは異なっています。

0:00
[Text]

This message was received by the family of Kenji Goto Jogo and the government of Japan

0:10

[Voice attributed to Kenji Goto Jogo]

I am Kenji Goto Jogo. You have seen the photo of my cellmate Haruna slaughtered in the land of the Islamic Caliphate. You were warned. You were given a deadline and so my captives acted upon their words.

[Prime Minister Shinzo] Abe, you killed Haruna. You did not take the threats of my captors seriously and you did not act within the 72 hours.

Rinko, my beloved wife, I love you, and I miss my two daughters. Please don’t let Abe do the same for my case. Don’t give up. You along with our family, friends, and my colleagues in the independent press must continue to pressure our government. Their demand is easier. They are being fair. They no longer want money. So you don’t need to worry about funding terrorists. They are just demanding the release of their imprisoned sister Sajida al-Rishawi. It is simple. You give them Sajida and I will be released. At the moment, it actually looks possible and our government are indeed a stone throw away. How? Our government representatives are ironically in Jordan, where their sister Sajida is held prisoner by the Jordanian regime.

Again, I would like to stress how easy it is to save my life. You bring them their sister from the Jordanian regime and I will be released immediately. Me for her. Rinko, these could be my last hours in this world and I may be a dead man speaking. Don’t let these be my last words you ever hear. Don’t let Abe also kill me.

(5)
 なお、イスラーム主義武装勢力との取引で、人質と交換で囚人を釈放することは、アラブ諸国及びイスラエルを含む中東諸国の政権が、過去に行ったことがあります。ただし、それは中東諸国の政府と国民にとってきわめて重要な意味を持つ人物が人質に取られている場合に行う切札であり、ここで日本人の人質のためにヨルダンに重要な自爆テロ未遂犯を釈放してほしいと要求する場合には、現地においては極めて重大な要求と受け止められることを理解しておくべきです。

 ヨルダンの場合は、昨年12月24日にシリア空爆に参加して墜落して「イスラーム国」側に人質に取られたヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ(Muadh al-Kasasbeh)中尉の救出が大問題になっており、米軍の特殊部隊による救出が試みられて断念され、最後の手段として「イスラーム国」メンバーの釈放が検討されてきました。

 「イスラーム国」の側は、最も力を入れているプロパガンダ紙『ダービク』の最新号でムアーズ中尉を大きく取り上げて、ムアーズ自らにヨルダン政府に命乞いの嘆願をさせ、ヨルダン国民の感情を高ぶらせています。「我々は皆ムアーズだ」というツイッターのハッシュタグでムアーズ釈放を要求する運動も起こっています。

 その際の最重要のカードとして浮上しかけているのがサージダ・リーシャーウィーでした。日本人人質の救出のためにサージダを釈放してほしいと要求することは、ムアーズ中尉の捕虜交換による生還の可能性をなくすものとヨルダン国民に受け止められかねないことを、日本政府・国民は深く受け止めておくべきです。

(6)
 いくつかムアーズ中尉が捕虜になった経緯について、大手メディアの記事を紹介します。これらはイギリスやアメリカの新聞でも大きく報じられているテーマであり、ヨルダンだけの話題ではないことをご理解ください。
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/24/islamic-state-shot-down-coalition-warplane-syria

(7)
 ムアーズ中尉の自らの救命嘆願について。『ダービク』でのインタビュー仕立ての記事による宣伝を中心に取り上げられています。
http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/war-with-isis-i-was-shot-down-by-missile-says-captive-jordanian-pilot-in-interview-with-islamic-state-publication-9949326.html

(8)
 ムアーズ中尉の父親が「イスラーム国」に、息子を返すように要求・嘆願している点などが報じられています。シリアでの「イスラーム国」と有志連合国の戦闘で、「イスラーム国」側が捕獲した最初で唯一の捕虜であることが、ムアーズ中尉の象徴性を高めています。
http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/father-of-pilot-captured-by-isis-pleads-for-militants-to-show-son-mercy-9944885.html

ガーディアンの記事へのリンクも加えておきます。
Jordanian pilot’s father appeals to Islamic State
Militants have given no word about Muadh al-Kasasbeh, who was captured after his plane came down over Syria
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/25/jordanian-pilot-muadh-al-kasasbeh-islamic-state

(9)
 米国は1月1日にムアーズ中尉の救出作戦を試みましたが断念しました。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2894384/US-Special-Forces-forced-abandon-attempt-free-Jordanian-fighter-pilot-held-hostage-ISIS-shot-Syria-helicopters-come-heavy-fire.html

(10)
 もし日本がサージダの釈放をヨルダン政府に求めた場合は、端的には、1億ドルの身代金をヨルダン政府に裏で回す代わりにムアーズに代えて日本人人質の命を買った、という世論がアラブ側に生じてくることは否定できません。
 
 すでに、ムアーズ中尉の釈放を求めるアラビア語ツイッターのハッシュタグ「#クッルナー・ムアーズ」では、そのような会話が交わされています。
 
 ムアーズ中尉の釈放と、そのカードとしてのサージダの扱いは、現地ではきわめて関心の高い、デリケートな問題であることを理解した上で、国際的な発信をする必要があることに、日本の皆様はご留意ください。
 
 日本政府によるイスラーム国周辺国への難民支援への拠出が「イスラーム国の気に障った」ことを問題視した多くの日本の論客が、ヨルダン国民の多数を占めると思われるムアーズ中尉釈放を求める声も、決して、無視されないことを、私は強く要求します。それは日本人の他者に対する顧慮の念、異なる社会への理解力の程度を示すことになるからです。

ガーディアンの記事も加えておきます。
Let Muadh go: Arab Twitter users plead for pilot held by Isis
A solidarity drive for Muadh al-Kasasbeh, the Jordanian captured near the Islamic State ‘capital’, goes viral online
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/27/twitter-users-in-arab-nations-join-campaign-for-pilot-held-by-isis

(11)
 アラビア語の「#われわれはムアーズだ」のハッシュタグには、「#サージダ・リーシャーウィーと日本人人質の交換」というハッシュタグが添えられるようになってきており、ヨルダン側では、釈放に反対する動きが出てくる可能性があります。

(12)
 アラビア語の「#われわれはムアーズだ」のハッシュタグを見ていると、ムアーズの無事を祈る人に混じって、「イスラーム国」の旗を掲げる者が、ヨルダン政府に対して、「日本人の血よりヨルダン人の血は安いんだろ」といった挑発を行うツイートが出てきている。これらが実際に「イスラーム国」の内部の人間によってツイートされているとは限らないが、「イスラーム国」やその支持者にとってはそのような意味を持つ要求であることがわかる。

(13)
 もしヨルダン政府がここでサージダを釈放すれば、「ムアーズ中尉のためには釈放しなかったのに、日本人のためには釈放するのか、自国民の命は安く見積もっているのか、裏で(あるいは表で)もらう援助のために自国民の命を売ったのか」と「イスラーム国」から非難されるという展開が予想できる。
 
 さらに、そのような非難を高めるために、意図的にその後すぐにムアーズ中尉を殺害したような場合は、日本とヨルダンの関係においても、ヨルダン政府と国民の関係においても、最悪の事態になりかねない。

 もちろんそのような苦境に追い込むために、サージダと日本人人質の交換という提案をしてきているものと考えられる。ヨルダン政府の苦しい立場をついてきた要求である。

(14)
「#サージダ・リーシャーウィーと日本人人質の交換」というハッシュタグは、「イスラーム国」支持者(当事者であるかどうかはわからない)が主に用いているようである。ヨルダンのアブドッラー国王の写真に「教訓学んだか?」などと挑発するものがある。
 サージダを釈放せずに人質が殺害されれば日本から責められ、釈放した場合はムアーズ中尉を見捨てて裏金をもらったと蔑まれる、という苦しい立場にヨルダン国王を追い込もうとしているようだ。

(15)
 ムアーズ中尉を捕虜にした経緯についてはロシアの宣伝放送が詳細に報じている。米主導の有志連合への当てつけもあるのだろう。
http://rt.com/news/217331-isis-jordan-warplane-down/

(16)
「イスラーム国」はムアーズ中尉の殺害の方法をツイッターで募集するなど、挑発・愚弄の姿勢が明白で、解放する気があるのかどうかそもそも分からない。サージダの釈放を求めることで、日本人人質の問題をムアーズ中尉の問題と絡め、最大の政治的な効果を挙げようとしているようだ。

「イスラーム国」による人質殺害声明の基礎情報:さらに情報があればフェイスブックで発信します

午後11時過ぎ(日本時間)にツイッター上に公開された映像の中で、シリアで「イスラーム国」によって拘束されていた二人の日本人人質のうち、湯川遥菜さんの殺害が発表されました。

私はこの映像の真偽を判断する能力を持ちません。

テロリズム調査会社のSiTEが映像を分析して真正と判断している模様です。SiTEはこれまでに、高い精度の分析能力を示してきました。

(SiTEのリリースには繋がりにくくなっています)

https://news.siteintelgroup.com/Jihadist-News/japanese-hostage-haruna-yukawa-beheaded-second-hostage-stipulates-new-is-demand-in-video.html

前日にSiTEはツイッター上の、イスラーム国に関係のあるとみられる人物らの流す噂として、すでに人質一人が殺害されたとされたと報じていた。

https://news.siteintelgroup.com/Jihadist-News/jihadists-on-twitter-circulate-unverified-rumor-that-islamic-state-japanese-hostages-have-been-killed.html

映像では、静止画像で後藤健二さんの姿が映っており、手にした写真には湯川さんと見られる殺害された遺体が映っています。

私自身が元の映像を確認しましたが、ここにはリンクを掲載しません。SiTEのリリースでは残虐な部分はぼかしてあります。

映像には後藤さんと見られる音声が重ねられており、その中で犯行を行った勢力は、新たな要求を出しています。

新たな要求によれば、これまでの身代金の要求は明確に取り下げ、代わりに、後藤さんの命と引き換えに、ヨルダンで死刑判決を受けている、サージダ・リーシャーウィー(Sajida al-Rishawi)の釈放を要求しているようです。

サージダ・リーシャーウィーは、イラクのアル=カーイダ(「イスラーム国」の前身)の創設者ザルカーウィーの側近の妹で、2005年11月9日のアンマン・ホテル同時多発自爆事件(グランド・ハイアット、ラディソン等を爆破して60人が死亡した、ヨルダンの近年の最大のテロ)の際にも自爆テロ要員だったが生き残り、逮捕されて死刑判決を受け、上告中です。サージダの夫アリー・フセイン・アリー・アル=シャンマリー(Ali Hussein Ali al-Shamari) はラディソン・ホテルで自爆し38名を殺害しています。彼女自身が自爆ベルトを身につけて起爆させようとして失敗し、逮捕されました。

この要求は、日本政府が人質解放交渉の拠点を置いたヨルダンに矛先を向けてきたことを意味します。正確には、それによって日本・日本国民と、ヨルダン政府・ヨルダン国民との間に亀裂を走らせようとする戦術と思われます。

ヨルダン政府が、歴然とした自爆テロ実行未遂犯を釈放する可能性は低いと思いますが、日本政府あるいは国民がヨルダンに釈放せよと圧力をかける事態が生じれば、それは別の国際問題を引き起こすと考えられます。そのことが「イスラーム国」側の狙いと考えられます。

私自身は、犯行勢力にいかなる情報源も持っていませんので、この殺害事件そのものについては有益な情報提供をできません。

その政治的・外交的波及については注視し、適宜発信していく所存です。

参考情報があれば、フェイスブックで発信します。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi

『イスラーム国の衝撃』の主要書店での在庫状況を調べてみました

「サポートページ」を立ち上げてみたのだが、そもそも「書店に行っても置いていなかった」「インターネット書店では品切れ」のため手に入らないという声がかなり届く。

増刷がかかっており、1月28日に2刷、1月30日に3刷が流通するとのこと。もう少し待ってください。

ただ、いくらなんでも初刷1万5000部が1日ですべて売り切れたとは思えない。ネットから直接買える経路では売り切れたにしても全国の書店にはまだあるはず。

それで調べてみました。

在庫状況は、文藝春秋のウェブサイト上の『イスラーム国の衝撃』のページの下の方から辿っていくことができます。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610136

確かにインターネット書店は軒並み売り切れ。1月21日頃にはほとんどすべてのインターネット書店で売り切れていたようです。

中古書店が新品らしきものを1200円〜3000円弱で売りに出している(1月24日現在)。供給が間に合わない間に生じた時限的市場を果敢に開拓しています。
コレクター商品
中古品

丸善・ジュンク堂では全国の店舗での前日集計の在庫状況が一覧で出てくるので便利だ。
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/stock.php?isbn=9784166610136
あるという表示がされている。このデータが現実を反映していたらの話ですが。

紀伊国屋では各店舗の在庫状況が、オレンジのアイコンをクリックすると出てくる。
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnSfStockSearchStoreSelect.jsp?CAT=01&GOODS_STK_NO=9784166610136

ない店もあるが、ある店もある。

やはり、完全に売りつくしたのはインターネット書店であって、全国のリアル書店の倉庫にはあるはずなんですよね。

これは新書の棚が、一冊あたりで、狭くなっていることが理由です。各出版社が、経営が苦しいので新書をあまりもたくさんの点数を出しすぎなんです。一冊ごとの質が下がるだけでなく、一点あたりの陳列面積が狭くなる。

そうするとこの本のように一時的に爆発的に売れている場合、売場に出してあるものが売れて補充されない間に本屋に行った人は、棚にないのでないものと考えてしまう。そうなると書店で買わずにインターネット書店で買うようになる。しかしそうするとインターネット書店に一度に殺到するので、品切れになって入荷期限未定ということになり、品薄感が仮想的に高まる。

出版社が、自分の経営のために、一時しのぎで膨大な点数の新書を出すことで、必要な本を流通させる機能を書店が果たせなくなっています。出版社が本屋を殺しているんです。

各出版社は粗製濫造の本の出版点数を減らし、一点あたりを大事に作って、長く、たくさん売っていくべきです。

そうすれば隣国ヘイト本や、学者もどきの現状全否定阿保ユートピア本など、煽って短期的に少部数を売り切るタイプの本はなくなっていきます。

元来が出版のあり方について一石を投じるつもりで書いた本でしたが(その意図や、事前の出版社との折衝で何を問題視し何を要求したかなどは、そのうちにここで書きましょう)、結果的に出版界の池に巨石を放り込んだ形になりました。

この本の発売日に、本書の帯に偶然掲載しておいたJihadi Johnが出演する脅迫ビデオが発表されたという、私の一切コントロールできない事情によって販売を促進したという面は多大にありますが、それ以外にも、本ブログでの問題提起が予想外に大規模にシェアされていった現象が大きな影響を及ぼしています。

興味深い現象です。続けてウォッチしていきましょう。

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ

本日、シリアの「イスラーム国」による日本人人質殺害予告に関して、多くのお問い合わせを頂いていますが、国外での学会発表から帰国した翌日でもあり、研究や授業や大学事務で日程が完全に詰まっていることから、多くの場合はお返事もできていません。

本日は研究室で、授業の準備や締めくくり、膨大な文部事務作業、そして次の学術書のための最終段階の打ち合わせ等の重要日程をこなしており、その間にかかってきたメディアへの対応でも、かなりこれらの重要な用務が阻害されました。

これらの現在行っている研究作業は、現在だけでなく次に起こってくる事象について、適切で根拠のある判断を下すために不可欠なものです。ですので、仕事場に電話をかけ、「答えるのが当然」という態度で取材を行う記者に対しては、単に答えないだけではなく、必要な対抗措置を講じます。私自身と、私の文章を必要とする読者の利益を損ねているからです。

「イスラーム国」による人質殺害要求の手法やその背後の論理、意図した目的、結果として達成される可能性がある目的等については、既に発売されている(奥付の日付は1月20日)『イスラーム国の衝撃』で詳細に分析してあります。

私が電話やメールで逐一回答しなくても、この本からの引用であることを明記・発言して引用するのであれば、適法な引用です。「無断」で引用してもいいのですが「明示せず」に引用すれば盗用です。

このことすらわからないメディア産業従事者やコメンテーターが存在していることは残念ですが、盗用されるならまだましで、完全に間違ったことを言っている人が多く出てきますので、社会教育はしばしば徒労に感じます。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。

下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。

(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。

第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)

(2)ビデオに映る処刑人がイギリス訛りの英語を話す外国人戦闘員と見られる問題
 これまでイギリス人の殺害にはイギリス人戦闘員という具合に被害者と処刑人の出身国を合わせていた傾向がありますが、おそらく日本人の処刑人を確保できなかったことから、イギリス人を割り当てたのでしょう。欧米出身者が宣伝ビデオに用いられる問題については次の部分で分析しています。

第6章「ジハード戦士の結集」《欧米出身者が脚光を浴びる理由》(159−161頁)

(3)日本社会の・言論人・メディアのありがちな反応
「テロはやられる側が悪い」「政府の政策によってテロが起これば政府の責任だ」という、日本社会で生じてきがちな言論は、テロに加担するものであり、そのような社会の中の脆弱な部分を刺激することがテロの目的そのものです。また、イスラーム主義の理念を「欧米近代を超克する」といったものとして誤って理解する知識人の発言も、このような誤解を誘発します。

テロに対して日本社会・メディア・言論人がどのように反応しがちであるか、どのような問題を抱えているかについては、以下に記してあります。

第6章「ジハード戦士の結集」《イスラーム国と日本人》165−168頁

なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。

そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

『イスラーム国の衝撃』プレヴュー(1)目次と第1章

文春新書で1月20日に出る『イスラーム国の衝撃』ですが、アマゾンなどの予約注文画面では目次が出ていないので、ここで公開。

1 イスラーム国の衝撃
2 イスラーム国の来歴
3 蘇る「イラクのアル=カーイダ」
4 「アラブの春」で開かれた戦線
5 イラクとシリアに現れた聖域
6 ジハード戦士の結集
7 思想とシンボル−−−−メディア戦略
8 中東秩序の行方
むすびに
文献リスト

「1 イスラーム国の衝撃」では、2014年6月から7月にかけての「衝撃」を描写しつつ、具体的にどこがどう衝撃だったのか概念的に整理しておく。そしてこの本の全体構成。イスラーム政治思想史と中東比較政治・国際関係論の両方から見ていくということですね。これは方法論としてその両方が役立つ、ということです。同時に、対象となる「イスラーム国」の実態が、グローバル・ジハードの思想・理念の展開と、「アラブの春」による中東地域政治の変動が結びついたところにある、ということです。

これがおそらく現在のところ「イスラーム国」を説明するための一番合理的な視点の組み合わせなのではないかなと思います。この見方で見ていくと、イラクやシリアで勢力を伸ばす組織の構造原理や、そこに集まっていくグローバルな人の流れの背後にあるメカニズム、さらにはベルギーやカナダやオーストラリアなどで散発的に生じている「ローンウルフ」型の呼応・模倣の動きとどう関係するのかなど、「イスラーム国」という多角的な現象の総体が統合的に理解できます。

もちろん「俺(私)はずっとイラク(あるいはシリア)を見てきたんだ、イスラーム国はイラクとシリアで活動しているんだから、イラクとシリアの現場のリアルな実感だけが真実なんだ」というタイプの視点からの議論は常に傾聴に値します。それらは「イスラーム国」として現れてくる現象の全体像とは別ですが、全体像を構成するための必要なパーツです(それらが適切に全体と結びつけられれば、の話ですが)。

もちろん、「イスラーム国という現象は実はどうでもいい。本当に日本人が知るべきはイラク(あるいはシリア)だ」という視点・主張はあっていいでしょう。「イスラーム国」について興味を持ったついでに、「イスラーム国」絡みでイラクやシリアの政治・社会について勉強してみる、というのは悪いことではありません。というか、大前提としてイラクについてもシリアについても大多数の人は何も知らないし、知ろうともしていない。「イスラーム国」がらみでにわかに参入してきた社会学者や宗教学者などの書き手においておや、イラクについてもシリアについてもイスラーム思想の基本についてまともに勉強する気がないのです。なのに書く(笑)。なんなんだろう。それでは「イスラーム国」について読み手がよくわからないのは当然です。だって書き手がそもそもわからずに書いているんですから。

(ただし、それぞれの分野について「分かっている」地域研究者は、そちらはそちらで特有のしばしば強烈なバイアスをかけてくるので、それらを差し引いて読んでいく必要があります。初心者にはちょっと難しいかもしれません。「バイアスは中東のスパイス」だと思って読みましょう)。

私も地域研究者としてはそういったパーツの開発を細々とやっていますが、同時にそれらのパーツが持つ意味をどう評価するかは、全体像との総合に依存しているので、余計な価値判断や業界の自己主張抜きで全体像の構成と個々のパーツの評価を行うにはどうすればよいかを常に考えていて、その一つの結論をこの本に書いてあります。

また、イスラーム思想の研究は、それぞれの思想が生まれ出てくる根拠となる地域性を詳細に見極める必要が常にあり、地域研究的視点は絶対に不可欠と考えていますが、同時に、一旦思想として発信されてしまうとその後は特定の地域に限定されずに広がるところにイスラーム思想の特徴があり、そこは「自分は特定の地域の地域研究者である」というアイデンティティ・プライドに過度にこだわらずに視野を広く取ってみていく必要があると考えています。極東の島国の一人の中東研究者のアイデンティティや、身も心も縛られた業界論理などというものは、中東の現実にはまーーーったく関係がない、ということに気づかされる瞬間を、中東に関わっていれば幾度も経験するはずです。

(話は飛ぶようだが、NHK「マッサン」の描写にイライラする人たちにはわかってもらえるかもしれない。それも芝居の中のマッサンにではなく、そのようなマッサンしか造形できない脚本家にイライラする人たちには。理想とか大義を追求する人、というものを現代の日本の脚本家は描けなくなっているのではないかな。筋を通す人=未熟で空疎な「理想論」を振りかざす人、ということになってしまうんだよね現代の日本の脚本家に描かせると。大義を追求するってもっと違うやり方で実際にやって見せている人はあちこちにいると思うんだが、多分脚本家の身近にそういう人がいないんだろうな、という気がする。「清濁併せ呑む」タイプの人物造形はやたらとうまい、というところから、今時の脚本家の生態・交際範囲がそこはかとなく伝わってくる。まあそれもいいんだけどね。マッサンについては脚本グズでも俳優が美男だからこれでもなんとか許せるとかいう次元の話になってしまっている気がするが・・・)

もちろん「イスラームは近代西洋の領域国民国家を超えるんだ、リベラリズムは偽善だ、世俗主義は差別だ」といった信念・願望・主張などを「イスラーム国」をネタにしてガンガン連打するといった本があってもいいですが、それは日本の書き手(あるいはそれを受容する読み手)の心を自然主義的に表出しているという意味ではリアルかもしれませんが、イラクやシリアや中東やイスラーム世界の現実を写し取る枠組みとしてはそれほど適切ではないと考えています。そういう本は固定読者層がいるのである程度売れますし喜んで出すメディア企業は数多ありますが、「イスラーム国」理解にも中東理解にも直結はしません。ある種の勇ましいモノ言いから勇気をもらうタイプの特定ファン層への訴求力が抜群に高い「関連商品」として買うならいいのではないかな。

ただ、「なんでも否定」系の人たちが一定数以上になると社会不安、政治システム崩壊の原因になるので、超越願望・支配欲求・現状否定が強すぎる書き手と読者の存在はある程度注視していた方が、市民社会を守り育てていくためには重要なことだと思います。

そのためにも、言論の自由は重要。

自由にしておくから無茶・無謀・妄想・陰謀論的なことを言って恥じない人たちが可視化されるのです。同時に、「あ、これ陰謀論ね」ときちんと指摘してあげないと市民社会は育たない。面倒臭いが仕方がない。そういう人たちから悪口とか言われていろいろ妨害される立場になるとさらに鬱陶しいし個人的には不自由になるんだが仕方がない。

「イスラーム国に共感する若者」なるものは日本には社会・政治現象として取り上げるに値する規模では存在しないと思いますが、「イスラーム国に共感する若者」なる言説に「萌えて」しまっている年配(高齢)の方々は、メディア・言論業界を中心に多くいます。これは一種の社会現象・思想的現象と言ってもいいかもしれません。その背後には日本社会の逆ピラミッド的な人口構成からもたらされる特定世代に付与された過度の発言力や、団塊世代からバブル入社世代の知識人(*注1)に特有の、世代・職能的(*注2)な固定観念(とそれを赤裸々に吐露することが許される社会環境、権力関係)があると思われます。

*注1 「知識人」は大学院に何年か在籍してから就職→言論活動を開始することが多いのと、一般に社会の流れから若干遅れるので、一般の「バブル入社世代」の+3〜5年以降に社会的に存在し始めます。
*注2 「職能的」というのは、大学院などを経由したりメディア産業に関わったりすると、社会全体、あるいは同世代とはずれた価値観や思想を内在化することが多いので(多くは大学院やメディア業界内で支配的な上の世代の価値観に順応・同質化・擬態するため)、世間一般を対象にした世代論と、メディア・言論人についての世代論は多少/かなり/すごくずれざるをえません。

ただし、上に示した第1章の概要でわかるように、私の本ではこれらの日本のグダグダについては、書いてありませんので、それらを期待する読者は買わないでください。最初から最後まで、ごくわずかな例外を除いて、中東とイスラーム思想についての本です。日本のイスラーム理解についての論争とかはしていません。一冊の本という限られたスペースに、重要なことをどれだけ入れられるかを追求した本ですので、それらの極東の島国の浜辺に届いた余波的な部分は全部省略されています。

万が一誤った期待に基づいてこの本を買ってしまって、不愉快な思いをされる方々が出ないようにするためのお知らせです。

* * *

このブログは「今すぐ伝えたい中東情勢分析」と、「本には書きたくない日本のグダグダ」が交互に現れるぐらいのバランスを意識していますが、最近グダグダ記述多いかなとここで反省。しかし分析は本に書いているものですから、ここに書く頻度が減ります。

さて、この本の全体構成、コンセプトや第1章について冒頭で若干記しましたが、内容はあくまでも本の本体を読んでみてください。このブログ・エントリを素材に議論しても意味ありませんので。

本が出る前に時間ができたら第2章以降も紹介したいですね。しかし今年は5日(月)早々から大量の成果物を提出していかなければならず、その準備を年末年始ずっとやってきてまだまだ終わっていないので時間がありません。第2章は、2001年の9・11事件から今までの、グローバル・ジハードの展開とアメリカ主導の対テロ戦争との相互作用を、一気にまとめるという、今回の本で一番苦労した章です。この章だけで1冊以上本が書けそうですが、それを1章に濃縮しました。それではまた。

【寄稿】『文藝春秋』12月号にて「イスラーム国」をめぐる日本思想の問題を

今日発売の月刊『文藝春秋』12月号に、「イスラーム国」をめぐる日本のメディアや思想界の問題を批判的に検討する論稿を寄稿しました。

池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『文藝春秋』2014年12月号(11月10日発売)、第92巻第14号、204-215頁

文藝春秋2014年12月号

なお、タイトルは編集部がつけるものなので、今初めてこういうタイトルだと知りました。内容的には、もちろん各国の「若者」の一部がなぜ「イスラーム国」に入るのかについて考察はしていますが、若者叩きではありません。むしろ、自らの「超越願望」を「イスラーム国」に投影して、自らが拠って立つ自由社会の根拠を踏み外して中空の議論をしていることに気づけない「大人」たちへの批判が主です。

*井筒俊彦の固有のイスラーム論を「イスラーム教そのもの」と勘違いして想像上の「イスラーム」を構築してきた日本の知識人の問題

*「イスラーム国」が拠って立つイスラーム法学の規範を受け止めかねている日本の学者の限界はどこから来るのか(ここで「そのまんま」イスラーム法学を掲げる中田考氏の存在は貴重である。ただしその議論の日本社会で持つ不穏な意味合いはきちんと指摘することが必要)

*自由主義の原則を踏み越えて見せる「ラディカル」な社会学者の不毛さ、きわめつけの無知

*合理主義哲学と啓示による宗教的律法との対立という、イスラーム世界とキリスト教世界がともに取り組んできた(正反対の解決を採用した)思想問題を、まともに理解できず、かつ部分的に受け売りして見当はずれの言論を振りかざす日本の思想家・社会学者からひとまず一例(誰なのかは読んでのお楽しみ) といったものを俎上に載せています。すべて実名です。ブログとは異なる水準の文体で書いていますので、ご興味のある方はお買い求めください。 「イスラーム国」「若者」に願望を投影して称賛したり叩いたりする見当はずれの「大人」の批判が大部分ですので、これと同時期に書いたコラムの 池内恵「「イスラーム国」に共感する「大人」たち」『公研』2014年11月号(近日発行)、14-15頁 というタイトルの方が、『文藝春秋』掲載論稿の中身を反映していると言っても良いでしょう。 『文藝春秋』の方は12頁ありますが、これでも半分ぐらいに短縮しました。

*「イスラーム国の地域司令官に日本人がいる?」といった特ダネも、アラビア語紙『ハヤート』の記事の抄訳を用いて紹介している。もっと紙幅を取ってくれたら面白いエピソードも論点もさらに盛り込めたのだが。 おじさん雑誌には、おじさんたちの安定した序列感によるページ数配分相場がある。それが時代と現実に合わなくなっているのではないか。 原稿を出してやり取りをする過程で、これでも当初の頁割り当てよりはかなり拡張してもらいました。しかしそれを異例のことだとは思っていない。まだ足りない、としか言いようがない。 はっきり言えば、このテーマはもうウェブに出してしまった方が明らかに効率がいい。ウェブを読まない、日本語の紙の媒体の上にないものは存在しないとみなす、という人たちはもう置いていってしまうしかない。なぜならばこれは日本の将来に関わる問題だから。 国際社会と関わって生きている人で「日本語の紙の媒体しか読みません」という人はもはや存在しないだろう。 私としては、『文藝春秋』に書くとは、今でも昔の感覚でいる人たちのところに「わざわざ出向いて書いている」という認識。 なぜそこまでするかというと、ウェブを読まない、しかし月刊誌をしっかり読んでいる層に、それでもまだ期待をしているから。少なくとも、決定的に重要な今後10年間に、後進の世代の困難な選択と努力を、邪魔しないようにしてほしいから。 時間と紙幅と媒体・オーディエンスの制約のもとで、その先に挑戦して書いていますので、総合雑誌の文章としては、ものすごく稠密に詰め込んでいます。多くの要素を削除せざるを得なかったので、周到に逃げ道を作るような文言は入っていない。 それにしても、この雑誌の筆頭特集は、年々こういうものばかりになってきている。 「特別企画 弔辞」(今月号)に始まり・・・ 世界の「死に方」と「看取り」(11月号) 「死と看取り」の常識を疑え(8月号) 隠蔽された年金破綻(7月号) 医療の常識を疑え(6月号) 読者投稿 うらやましい死に方2013(2013年12月号) これらがこの雑誌の主たる読者層の関心事である(と編集部が認識している)ことはよく分かる。よく分かるが、こればかりやっていれば雑誌に未来がない、ということは厳然とした事実だよね。 今後の日本がどのようにグローバル化した国際社会に漕ぎ出していくのか、実際に現役世代が何に関心をもって取り組んでいるのかについて、もっとページを割いて、掲載する場所も前に持っていかないと、このままでは歴史の遺物となってしまうだろう。 その中で、芥川賞発表は誌面に、年2回自動的に新しい空気を入れる貴重な制度になっている。 しかし普段取り上げられる外国はもっぱら中韓で、それも日本との間の歴史問題ばかり。朝日叩きもその下位類型。基本的に後ろ向きな話だ。 そのような世界認識に安住した読者に、国際社会に実際に存在する物事を、異物のように感じとってもらえればいいと思って時間の極端な制約の中、今回の寄稿では精一杯盛り込んだ。 15年後も「うちの墓はどうなった」「声に出して読んでもらいたい美しい弔辞」「あの世に行ったら食べたいグルメ100選」とかいった特集をやって雑誌を出していられるとは、若手編集者もまさか考えてはいないだろうから、まず書き手の世代交代を進めてほしいものだ。 しかし『文藝春秋』の団塊世代批判って、書き手の実年齢はともかく、どうやら想定されている読者は「老害」を批判する現役世代ではなく、団塊世代を「未熟者」と見る60年安保世代ならしいことが透けて見えるので、これは本当に大変だよなあ、と同情はする。