【寄稿】『国際問題』11月号に、エジプトと環紅海地域について

日本国際問題研究所の『国際問題』に寄稿しました。

池内恵「『大国エジプト』の没落と再興──紅海岸諸国の雄としての台頭」『国際問題』第656号(2016年11月号), 13−19頁 【論文へのダイレクトリンク

テーマは、ここのところ興味を持っている、中東とアフリカの境界領域の「紅海」のサブ地域としての形成について。その中でのエジプトの地位について。

『国際問題』は歴史と伝統のある論文誌で、近年はウェブ版となりましたが、年会費を払って会員になって事前に予約しておくと、オンデマンドの紙版も送ってもらえるようです。

一箇所、昨日ウェブで公開された際に誤植を発見したので、急遽差し替えをしてもらいました。現在のものは修正後のものです。

編集工程で、私が付していない傍点が14頁の一節に付されてしまい、ゲラで気づいて修正を支持したのですが、手違いで反映されずに残ってしまいました。

しかし紙版でお手元に届いた会員の方には、傍点が残ってしまったものが届いているかもしれません。ホームページで訂正が出ています。【訂正箇所についてはこちら

今月中ですと、プリントアウト可能なファイルがダウンロードできます。刊行日の翌月からは、会員以外はプリントアウトはできなくなりますが、閲覧のみ可能なファイルがよく探すと提供されているようです。

試しに、以前に寄稿した論文をバックナンバーから探してみました。

池内恵「『アラブの春』をどうみるか 中東政治研究の再考と刷新のために」『国際問題』第605号(2011年10月号), 1-9頁

【寄稿】『文藝春秋オピニオン 2017年の論点100』にグローバルなテロの拡散について

寄稿しました。

論点100のうち第7の、「テロの世界的拡散」について執筆しました。

池内恵「テロの世界的拡散 その先には何があるのか」『文藝春秋オピニオン 2017年の論点100』2017年1月1日発行(2016年11月4日発売)40-43頁

『文藝春秋オピニオン◯◯年の論点』企画には2013年以来毎年執筆しているのですが、今年はもう、いよいよ自分の重要な論文仕事でいっぱいいっぱいで、とてもこういった一般向け論考には手が回らず、パスしてしまおうという気が湧かなかったわけではありません。

しかし、現状分析としても、日本の言論状況の中での中東・イスラーム論の位置づけの確認という意味でも、定点・定時観測として、年刊の媒体に書いておくことにも意味があるかと思いまして、必死で原稿を出したわけです。

統計的に意味があるかどうかわかりませんが、池内の担当テーマが100の論点の中で占める位置という意味では、2013年以来、順位が36→48→70→6ときて、2017年度版ではワンランクダウンの「7」でした。蓮舫とホリエモンの間にいます。知名度と収入がガクンとへこんで第7位です。

【寄稿】『中東協力センターニュース』にバーブル・マンデブ海峡の安全通航をめぐる緊張について

『中東協力センターニュース』の10月号に寄稿しました。

池内恵「バーブル・マンデブ海峡をめぐる緊張の高まりとその背景」『中東協力センターニュース』2016年10月号、11−16頁

上記リンクから、私の記事に直接アクセスできます。

中東協力センターのウェブサイトの中の刊行物コーナーである「JCCMEライブラリー」に収められています。

『中東協力センターニュース』には、「中東 混沌の中の秩序」と題して、2015年4月以来、四半期に一回のペースで、分析を寄稿していますが、その7回目です。その前には「『アラブの春』後の中東政治」と題して2012年6月から2014年10月まで8回連載していましたので、合計15回目になります。「アラブの春」を共通の枠とすることをやめてから7回目ということになります。

【寄稿】『朝日新聞』オピニオン欄でイスラーム主義活動家の主張にセカンド・オピニオンを

本日の『朝日新聞』朝刊のオピニオン欄に、コメントが掲載されています。

「奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん」『朝日新聞』2016年10月21日付朝刊

私のコメントは、この日のオピニオン欄の大部分を占めるターリク・ラマダーンへのインタビュー「イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん」に付された、背景解説のようなコメントで、いわば「セカンド・オピニオン」を提供したものです。

スイス出身・エジプト系の著名なイスラーム主義活動家ターリク・ラマダーンが、先月来日して、各地で講演などを行ったのですが、その際に彼にインタビューした朝日新聞社の国末憲人さんが、いわば「裏をとる」形で私に解説とコメントを要請し、それに私が応じたため、このような形式の紙面が実現しました。

イスラーム主義の思想家は、時と場合に応じて、相手の知識の程度に応じて、読者・聴衆の抱く(想定された)固定観念に応じて、実に巧みに戦略的に言葉を使い分けます。

そのため、イスラーム教の基本的かつほぼ変更不能な規範と、一時的にその思想家がその場に応じて言っていることとの間の、あるいは「言わないこと」との間の、食い違いがあるのか否か、あればそれは何であるか、どれほど重大なのか、その食い違いによって論者はどのような効果を生じさせているのか、かなりそのテーマに関する議論に習熟し、かつ意識して基準を定めて取り組まないと、正確に理解することも言語化することもできません。

イスラーム主義思想家が繰り広げている言語闘争とはまさにそのような、ズレをうまく突いてくるものです。そのような闘争を行う言論の自由はありますが、同時に、理解した上で受け入れるなり、問いかけを返すなりしないといけません。

私のコメントは「イスラーム教の規範を西欧社会で受け入れるなら、非リベラルな規範の部分も受け入れるということを認識して覚悟した上で受け入れるんですよね?」と釘を刺すものとなりました。

世界各地で行われている主張と問いかけのぶつかり合いの一端を紙面に反映させられたことは、稀なことですが、新聞の社会的機能を有益に担えた事例でしょう。

この機会に、国末さんと、今世界で起こっていること、西欧で起こっていることの深い部分について、徹底的に議論をし、ある程度の認識の共有をできたことは、非常に有益でした。今後もこのような稀な機会は逃さないようにしようと思っています。

【寄稿】「web中公新書」がオープンしました

中公新書を紹介するウェブサイト「web中公新書」が今日オープンした模様です。

寄稿していたので、掲載の連絡を受けて見てみました。どことなくかわいらしくて落ち着くサイトですね。

このウェブサイトの基本コンテンツ「私の好きな中公新書3冊」を依頼されて、短い紹介文を寄稿しました。

池内恵「決定版を目指す心意気」web中公新書, 2016年10月20日

私が選んだ3冊は、

平野克己『経済大陸アフリカ 資源、食糧問題から開発政策まで』
細谷雄一『国際秩序 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』
待鳥聡史『代議制民主主義 「民意」と「政治家」を問い直す』

でした。

中公新書はいい本がありすぎて、とても3冊だけでは足りないですね。奇をてらっても仕方がないので、素直に選びました。

「中公新書はスタンダードな入門書の決定版だ」という観点から選びましたが、同じ基準でも他に数十冊は選べそうです。

特に最近は、同世代の研究者が次々と、これは定番となるなと予感するような、完成度の高い、しかも新しい視点で書いた中公新書を、出していきます。書く方もすごいですし、編集部もよく頑張っていますね。

他にも、三浦瑠麗さんや武田砂鉄さんなどが同じく「私の好きな中公新書3冊」を挙げています。

今月『欧州複合危機』を刊行した遠藤乾さんの著者インタビューも掲載されています。

そして、私も3冊の中に入れた『国際秩序』の著者の細谷雄一さんのインタビューが載っているではありませんか。

読んでみますとこれは、このサイトのオリジナル・コンテンツ!、本邦初公開?ですね。

細谷先生の書斎、それも母屋の書斎とは別の、もう一つの書斎部屋が公開されています。なんと細谷さんの自宅マンションは別室付きで、「アネックス」には息抜きのための本が置いてあるとか。なんとも羨ましい。

しかも随分手をかけて本棚を整備しているようではありませんか。同世代の先端を走っておられます。

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【寄稿】『プレジデントFamily』で先端研・イスラム政治思想分野が紹介

インタビューが掲載されました。

『プレジデントFamily』2016年10月号(2016年秋号)、58-59頁

こういう形態の雑誌に載ることは少なかったので、私自身が理解を試みたうえで説明しますと、『プレジデントFamily』は、将来の大学受験に備えた小学生の子を持つ親向けの雑誌です。そのような親子をターゲットにした様々な教育・受験産業の広告も多く載っています。

今回は全体が「東大」特集で、「東大生174人の小学生時代」が総特集のタイトル。東大合格者とその親の体験談などが種々載っている中で、「世界を変える! 刺激になる『こんな研究、こんな先生』」というコーナーがあり、イスラム政治思想分野(池内研)の様子が見開き2頁で、研究室の中での写真と共に紹介されています。

私以外にはウイルス学の河岡義裕先生(医科学研究所・ウイルス感染分野)、宇宙物理学の村山斉先生(カプリ数物連携宇宙研究機構)が取り上げられています。

相手が小学生だろうが親だろうが私は手加減しないので、通り一遍の「イスラームっていいですね」という話ではなく、イスラーム教の規範が現代の国際社会の中でどのような場面で問題化されるのか、その根本を論じています。

編集部も、頑張って理解し表現しようとしてくれました。

私の写真には「願望で世の中を読み解いてはいけない」などと強烈なキャプションが大きくかぶさっています。

なお、この雑誌のホームページは、最新号表紙の写真と編集長の言などに続き、いきなり「媒体資料」「広告料金表」などが掲載されているように、教育・受験業界の広告媒体としての性質が強く出ております。要望に応じてタイアップ記事などを編集部が提案してくれるようです。

念のため、池内研は掲載してもらっても何ら利益を得るところはないので、広告料等はもちろん払っておりません。東大特集のコンテンツとして、受験生の親子と同様に、取り上げられているという形式です。

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【寄稿】日経新聞「経済教室」への今朝の寄稿と、過去の寄稿のリスト

昨日お知らせしていましたが、今朝の日本経済新聞朝刊の「経済教室」欄に論稿が掲載されています。

池内恵「流動化する中東(下)シリアの混乱、収束みえず  トルコへ波及懸念高まる」『日本経済新聞』2016年9月1日朝刊

「経済教室」からは時々依頼を受けて書いています。書き手としては、新聞の寄稿としては例外的に長い字数を書くことができることや、しばしば新聞社ではありがちな、旧弊なイデオロギーに合致した記事を求める編集部からの横槍がなく、全般にストレスの少ない媒体です。企業・官庁勤めの人たちの共通認識を形成するということもあり、意識して総合的な見地を出そうと試みています。

経済学の人たちとは違ってめったに依頼は来ませんが、節目には書いてきた記憶があります。あらためて並べてみますと7本ありました。

外部寄稿は権利問題が曖昧だったこともあるのか、日経電子版の検索だけでは出てこないものがあるようなので、日経テレコンの検索で検索して、出てくる情報をそのままリストアップしました。

リンクは日経電子版にあるもののみ貼っておきます。日経テレコンなら全部読めるかというと、そう単純ではなく、古いものは外部執筆者の寄稿は本文が収録されていなかったりします。

(1)日経電子版でも日経テレコンでもタイトルも本文も出てくる。(2)日経電子版ではタイトルも本文も出てこないが、日経テレコンではタイトルも本文も出てくる。(3)日経テレコンでのみタイトルは出てくるが、本文は出てこない、といったさまざまな場合があるようです。

新聞の寄稿はタイトルやサブタイトルがどれなのか明瞭でないので、日経テレコンの見出し情報を張り付けておきます。その当時の所属などが含まれているので、今となってはそれも情報です。

最初は2003年5月に書いているんですね。まだ20代で、若かったなあ・・・「イラク侵攻で早期にサダム・フセイン政権が崩壊し、ブッシュ大統領が勝利宣言をしたものの、問題は国家再建ではないか」という出だしを記憶しています。あれから幾星霜、中東は大きく変わり続けています。

(2004年のものまでは、日経テレコンでもタイトルのみで、本文が出てきません。これらは『アラブ政治の今を読む』『イスラーム世界の論じ方』に採録されています)

エジプトのムバーラク政権直後に各国に波及する最中に書いた「中東民主化(下)ドミノの行方」では「変化の方向性は一様ではない。一連の変化が「民主化ドミノ」として作用し、公正で安定した中東が出現する可能性はないわけではないし、それを日本も支援すべきだが、当面は「変動ドミノ」として、各国の抱える固有の政治・経済・社会問題が噴出する混乱期を見越して対策を取っておかねばならない」と書いていました。

その後、固有の政治・経済・社会問題が噴出し過ぎて、もう何が、なんだか。

リストに「さわり」のところをいくつか抜き書きしておきます。詳しくは日経電子版で。日経テレコンを契約している大学や官庁・企業の人はそちらで。

(1)「イラク復興と世界経済(中) アジア経済研究所研究員池内恵氏(経済教室)」2003/05/08  日本経済新聞 朝刊

(2)「イラク暫定政権へ主権移譲 国際日本文化研究センター助教授池内恵氏(経済教室)」2004/07/01  日本経済新聞 朝刊

(3)「中東民主化(下)ドミノの行方 東京大学准教授池内恵氏(経済教室)」2011/02/25  日本経済新聞 朝刊
「中間層の厚みが成否左右 受け皿なく混乱も」
「これらの体制構造疲労と社会内の根深い対立を強権によっておさえ込んできた国々では、体制批判を口にすることの恐怖心をかなぐり捨てた民衆による、大規模デモによって政権に強い圧力がかかる。政権の大幅な譲歩から政権崩壊まで、さまざまな変動を、もはや与件としてとらえなければならない。政権と軍部とイスラム組織に加えて、「大規模デモ」を重要な政治的行動主体として、当面のアラブ政治は進んでいくだろう。」
「変化の方向性は一様ではない。一連の変化が「民主化ドミノ」として作用し、公正で安定した中東が出現する可能性はないわけではないし、それを日本も支援すべきだが、当面は「変動ドミノ」として、各国の抱える固有の政治・経済・社会問題が噴出する混乱期を見越して対策を取っておかねばならない。」

(4)「シリア内戦と国際秩序(上) 東京大学准教授池内恵氏(経済教室)」2013/09/26 日本経済新聞 朝刊
「米軍のシリア攻撃にオバマ政権の姿勢は揺れ動き、9月14日にロシア主導で「シリアの化学兵器の廃棄」をめぐる米ロの合意が結ばれた。しかし、これをあたかも「幕引き」のように受け止めるならば、問題の性質と意味を根本的に取り違えることになる。」
「シリア内戦は幾重にも行き詰まり、膠着状態にある。2011年3月の大規模反政府デモ発生から2年半を経たシリアの状況には、次の4点が顕著になっている。(1)対立の構図は地域間・階級間闘争の様相を強め(2)闘争の軍事化が進み(3)宗派紛争への転化が見られ(4)グローバル・ジハード勢力の侵入が進む。」
「内戦の泥沼化によって危惧されるのは、シリアがグローバルなジハード主義者たちの新たな聖域となることである。ジハード主義勢力の伸長は、欧米の支持と支援を阻害するとともに、反政府勢力間の足並みの乱れや分裂の要因にもなっている。
反政府勢力の多数がグローバルなジハード主義者とはいえず、アルカイダとつながる組織も主流ではない。しかし「圧政者に対するジハードは義務である」という規範は多くのイスラム教徒に共有されており、シリア内外の一般ムスリムが、反アサドで武器を取って戦うことを宗教的義務と感じる状況になっている。」
「シリアをめぐって明らかになったのは、米国の中東へのコミットメントの意志と能力の低下であり、関与を減らそうとする国民的意思を反映したオバマ大統領の消極性である。投資や技術や教育といった分野も含めれば、米国に取って代わる超大国は現れていないが、同盟国の政権が米国に寄せる信頼や、反米諸国が米国の意向を恐れる度合いという意味では、米国の覇権が希薄化しているといえよう。
これがオバマ政権期の一時的な現象ではなく、より長期間持続する趨勢であるならば、今後は、米国の抑止力の下で安全保障を確保してきた中東の同盟国は、独自の行動を取りかねない。」

(5)「強まる地政学リスク(下)東京大学准教授池内恵氏――民主化挫折、過激派に勢い、中東全域、不安定化も(経済教室)」 2014/09/12 日本経済新聞 朝刊
「では中東の地政学的リスクとはいかなるものなのだろうか。日本にとって不可欠である、中東産原油・天然ガスの国際市場への安定供給についていえば、これほどの混乱にもかかわらず、むしろ原油は値引きした密輸を含んだ自生的なルートで市場に流れ続けており、原油価格の急騰や供給・運搬ルートの途絶といった事態が近く生じるとの観測は、むしろ沈静化している。
また、イランの核問題での対立によるホルムズ海峡の閉鎖や、パレスチナ問題をめぐる地域規模の動乱といった、周期的に危機意識があおられるものの現実化しなかった致命的な一撃の可能性も低い。
問題はむしろ、中東全域で治安や政治の安定度がおしなべて低下することで、中東地域に対する政治的・経済的な関与への自由で安全なアクセスが制約されることである。域外の政府や企業は、地域大国の代理戦争や宗派間対立、問題ごとに組み替えられる流動的な同盟・敵対の関係、それによって性質や場所を変えて勃発する紛争といった「複雑怪奇」な中東情勢がもたらす多種多様な地政学的リスクの回避に、多大な労力を払わなければならなくなる。」
「しかし、世界のムスリムの一部を過激な行動に駆り立ててきたのは、アラブ諸国の政治体制が「不正義」であり、それを倒すためには背後で支援する外国勢力にも打撃を加えなければならないという認識と思想である。これが払拭されなければ、事態の根本的な解決には至らないだろう。紛争と対策の長期化を予想すべきである。」

(6)「イスラム過激派の脅威 「テロ思想」強まる拡散懸念 池内恵 東京大学准教授」2015/1/27付日本経済新聞 朝刊
「全世界のイスラム教徒の大多数は、平和を望み法を順守する市民である点で他の宗教や無宗教の人々と変わらない。問題は教義に含まれる政治・軍事的な規範であり、その特定の解釈を強制力(ジハード=聖戦)で実践しようとするイデオロギーである。」
「事件後、米国は全力を挙げて対テロ戦争に取り組み、世界各地のアルカイダの拠点を破壊し活動家を摘発した。潜伏下に置かれたアルカイダは「組織からイデオロギーへ」の変貌を遂げた。ビンラディンやザワヒリら中枢組織の指導者は音声や映像メッセージをインターネットを通じ配信することで、世界各地の共鳴者を感化させ、扇動した。
イデオロギーとしてのアルカイダは各地に独立した支部や関連組織を生み出していった。「フランチャイズ化」や「ブランド化」と呼ばれる。」
「先進国の移民イスラム教徒の間には、大規模な武装組織化は摘発を招くため、小規模な組織を多数、相互に連絡なく形成し、それぞれが自発的に象徴的な標的に向けてテロを行う、ローンウルフ(一匹おおかみ)型のジハード実践の扇動がなされた。
このようにして、アルカイダの中枢の直接の指揮命令系統にはつながっていない、非集権的で分散型のネットワークに、グローバル・ジハードは担われるようになった。変貌した組織の原理を理論化した思想家アブー・ムスアブ・アッ・スーリーは、先進国で小規模の組織が自発的に行うテロを「個別ジハード」とし、世界各国からジハード戦士が結集して大規模に武装化・組織化することを「開放された戦線」と定義した。」

(7)「流動化する中東(下)池内恵東京大学准教授――シリアの混乱、収束みえず、トルコへ波及、懸念高まる(経済教室)」2016/09/01 日本経済新聞

【寄稿】明日(9月1日)日経新聞「経済教室」に

明日、9月1日の日経新聞「経済教室」に寄稿しています。3回シリーズ「流動化する中東」の第3回(下)です。体調を崩していたので間に合うかおぼつかなかったのですが、最終回にどうにか間に合いました。

シリーズのこれまでのところを見てみました。上は、間寧さん(日本貿易振興機構アジア経済研究所中東研究グループ長)、中は田中浩一郎さん(日本エネルギー経済研究所中東研究センター長)です。

間さんはトルコのエルドアン政権とギュレン派の対立など内政を中心に、それに絡んだ欧米との関係の冷却化に言及しつつ、トルコはロシアと欧米と両方との関係をもって梃子にしてきたことから、軋轢の高まる欧米との関係も、決定的に悪くはならないのでは、という見通しも示唆していらっしゃいます。

田中さんは、米国のエネルギー資源の中東依存度の低下、原油価格の低迷などを背景に、米イラン核合意で高まったサウジアラビアの危機感が、イランとサウジの対立を激化させ、地政学リスクを高める要因となっているといった点を含め(雑なまとめですみません)、トルコの「イスラーム国」や他のシリアのイスラーム主義民兵への支援などについて、ニュアンスに満ちた解釈を示しておられます。

それに対して私の方は、「アラブの春」以後のアラブ諸国の国家と社会の崩壊が、民兵集団の跋扈する武力の多元化状況をもたらし、トルコやロシアなど地域大国・域外大国の介入が加わって流動化する流れを主に議論しています。

「経済教室」はシリーズの他の回が誰になるか、どんなテーマと内容かを教えてくれないのですが、結果的に相互補完的になるのが不思議です。

また、単争点的な議論をしない人が主に執筆依頼を受けるためか、総合的な部分では重なるところが多いようです。トルコから、イランから、アラブから見たとしても、いずれも米国やロシアとの関係が及ぼす影響を考慮しますし、非国家主体の台頭にも着目します。また、アラブの問題にイランやトルコが介入することが当たり前になってきたため、切り分けて論じることに、またどれか一つの視点を絶対視して議論することに、意味があまりない時代になってきました。

そのため、どの視点からも、結論に違いはないのではないでしょうか。

【寄稿】『中央公論』9月号に宇野重規さんとの対談が

宇野重規範さんとの対談が『中央公論』9月号に掲載されました。

宇野重規・池内恵「宗教と普遍主義の衝突」『中央公論』2016年9月号(8月10日発売)


『中央公論』2016年9月号

テロや難民問題、そしてSNSの時代の民主主義そのものが、欧州に発し世界に広げてきた普遍主義の理念の限界をあらわにしていく、という課題について対談の席を設けていただきました。

お相手は最近『保守主義』(中公新書)が売れている宇野さん。

私自身は、自由主義や人権といった観念の普遍性そのものが捨て去られたり乗り越えられたりしているわけではないが、その適用の限界が見えてきている、そしてグローバル化の中でイスラーム教という別種の根拠を持った普遍主義との間で摩擦が生じている、という点を、日々の事件や事象の中に常に見出していますので、それについて理論的に考えられて、勉強になりました。

私自身は西欧起源の普遍主義は嘘だ!という立場では全くないのですが、自由や人権という理念を無自覚に内在化していることで、逆にイスラーム教の別種の普遍主義の主張が存在して力を持ち、現に世界の人口のかなりの割合を動かしていることに気づけなくなり、適切に対処できなくなる、そしてそここそが、西欧の近代の自由や人権の基礎が綻びるところなのだ、という問題を以前からあちこちで論じていますが、それをまとめて言う機会を、そして言って受け止めてもらうならもっとも適切な相手を得ました(宇野さんにとって私が適切な対談相手だったかはわかりませんが・・・)。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の出版意図についても話したりしています。

対談した頃にNHKのスクープがあって、巻頭特集をそっちで組むために、編集部は忙しかったようですね。。。

縦横にお話できて、誌面に乗りきらないところも多くある、有益な対談でした。

【寄稿】Voice9月号に『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』についての談話を

長めのインタビューがVoice 9月号に掲載されました。

池内恵「甦るサイクス=ピコ協定」『Voice』2016年9月号(8月10日発売)、183−189頁


『VOICE(ヴォイス) 』2016年 09 月号

この雑誌は初登場です。

目次の前後はこんな感じ。「おもてなし」に経営マインドを持ち込もうとしているアトキンソンさんが英国議会主権を語っているらしい。門川大作京都市長の対談と混同してしまった。

連載コラムには山形浩生さんとか三浦瑠麗さんなど。

Voice2016年9月号目次

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の内容を土台に、現在の中東情勢についても議論しました。本を書きながら普段考えていることを活字にしたような形です。

【寄稿】『週刊エコノミスト』の読書日記では『「憲法改正」の比較政治学』を

『週刊エコノミスト』の読書日記欄に寄稿していました。もう23回目になるんですね。

池内恵「改憲をめぐる憲法学者と政治学者の『一騎打ち』」『週刊エコノミスト』2016年8月2日号(7月25日発売)、59頁

取り上げたのは駒村圭吾・待鳥聡史編『「憲法改正」の比較政治学』(弘文堂、2016年)でした。

「しかし昨夏の安保法制国会可決の際にピークを迎えた「護憲」論には不可解なところが多くあった。護憲派を自認する側が、東大法学部を序列の頂点とする権威主義や、内閣法制局長官に代表される法制官僚による特権的な解釈権を主張して、自らの政治的立場を正当化したのである。これは到底自由主義と呼べるものではなく、偏差値信仰に依拠した擬似封建的な身分制度に基づく特権官僚支配を擁護する立場とすら言っていい」

・・・なんて書いていました。

この現象をイラン・イスラーム革命後のシーア派法学者が保持する三権に超越する権を参照して考えてみました。神の法とその神秘的・超自然的・無謬の解釈能力を持つイマームとその代行者たる法学者という頑強な信仰・理念の体系があり、それが広く庶民に支持されているイランの場合に比して、日本の場合はこのような憲法学者の立場はどのような根拠に基づいているのか。

フェイスブックでは今回の連載寄稿について、二度ほどフォローアップを書いてあります。

告知が遅れてしまったので雑誌は書店にはもう置いておらず、またいつも通りKindleなど電子版には掲載されていないので、アマゾンの在庫へのリンクを貼っておきます。

『中東協力センターニュース』への寄稿リスト(2012〜2016年)

『中東協力センターニュース』への連載寄稿は、「『アラブの春』後の中東政治」との通しタイトルで、2012年から14年にかけて8回にわたって続け、その後雑誌の月刊化・ウェブ化に合わせて2015年4月にリニューアルし「中東 混沌の中の秩序」としてから、今回が6回目です。連載と言っても毎回別のテーマについて分析しています。リニューアルを機に連載間隔を3号に一回、つまり四半期に一回と決めて、必死に守っています。

月刊誌時代の『フォーサイト』の連載「中東 危機の震源を読む」では月一回、決められた日を締め切りとする定時・定点観測を行っていましたが、『フォーサイト』がウェブ化してからは連載をアーカイブ的蓄積として活用しつつ、新たに「中東の部屋」そして「池内恵の中東通信」を設け、事態に即応した臨機応変の、半日単位での即時性を追求しています。

その反対に『ブリタニカ年鑑』では一年に一度というのんびりした間隔での、世界のイスラーム教をめぐる動向に限定した、定時・定点観測を行うことになっています。

『中東協力センターニュース』の連載寄稿はこの中間ぐらいで、四半期に一度、その時点での中東やイスラーム世界に関する重要な課題を選んでまとめてみることで、頭をリセットするために使っています。これを重ねていくと、論文や単行書へとつながっていきます。

ツイッター(@chutoislam)では分単位の隙間時間にニュースをリツイートすることに限定し(時々遊びがあります)、フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)では、ソーシャル・リーディングの過程で刺激さえて思いついたあらゆることを試しに書いてみる、という具合でしょうか。そこから何かにつながることもありますし、何にもつながらないこともあります(たいていは直接的には何にもつながらない)。フェイスブックからアゴラへの転載を一部許可しているのも、偶然何かにつながればいいかな、という軽い気持ちからです。

それらの複数のメディアへのアクセスをこのブログで一括して行うポータルとしての機能を高めたいところです。

『中東協力センター』への寄稿がかなり溜まったので、この間の中東の変化を振り返る意味も込めて、リストにしてリンクを貼っておきます。何回かは、刊行された時にブログで告知をするのを怠っていました。そもそも2013年まではブログも存在しなかったわけですし。全て無料でダウンロードできます。また中東協力センターのウェブサイトのJCCMEライブラリーには他の論稿も一覧になっており、ダウンロードできます。

「『アラブの春』後の中東政治」
第1回「池内恵「エジプトの大統領選挙と「管理された民主化」『中東協力センターニュース』2012年6/7月号、41-47頁
第2回「政軍関係の再編が新体制移行への難関──エジプト・イエメン・リビア」『中東協力センターニュース』2012年10/11月号、44-50頁
第3回「『政治的ツナミ』を越えて─湾岸産油国の対応とその帰結─」『中東協力センターニュース』2013年4/5月号、60-67頁
第4回「アラブの君主制はなぜ持続してきたのか」『中東協力センターニュース』2013年6/7月号、53-58頁
第5回「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁
第6回「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」『中東協力センターニュース』2014年2/3月号、74-79頁
第7回「急転するイラク情勢において留意すべき12のポイント」『中東協力センターニュース』2014年6/7月号、67−75頁
第8回「中東新秩序の萌芽はどこにあるのか 『アラブの春』が一巡した後に」『中東協力センターニュース』2014年10/11月号、46−51頁

「中東 混沌の中の秩序」
第1回「中東情勢を読み解く7つのベクトル」『中東協力センターニュース』2015年4月号、8−16頁
第2回「4つの内戦の構図と波及の方向」『中東協力センターニュース』2015年7月号、12−19頁
第3回「ロシアの軍事介入による『シリアをめぐる闘争』の激化」『中東協力センターニュース』2015年10月号、10−17頁
第4回「サウジ・イラン関係の緊張 背景と見通し」『中東協力センターニュース』2015年1月号、14−25頁
第5回「エジプト・サウジのティラン海峡二島『返還』合意―紅海沿岸地域の安全保障体制に向けて―」『中東協力センターニュース』2016年4月号、9−20頁
第6回「ラマダーン月のテロ続発の思想・戦術的背景」『中東協力センターニュース』2016年7月号、14−22頁

【寄稿】ラマダーン月のテロについて、宗教的背景と論点整理を『中東協力センターニュース』に

2週間ほどブログの更新を休んでおりました。ドイツから南仏にかけて、じっくり考えながら動いておりましたので、ネットの繋がりも悪く、時間もなく。地図シリーズ、毎日更新していたのが途絶えてしまいましたが、そのうち再開します。まずは論文を優先ですね。

その間に出版されていた成果を順次アップしていきます。まずはこの一本。

池内恵「ラマダーン月のテロ続発の思想・戦術的背景」(連載「中東 混沌の中の秩序」第6回)『中東協力センターニュース』2016年7月号、14−22頁

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イスラーム教の断食月であるラマダーン月は、今年は7月5日に終わりましたが、この時期にテロへの扇動がなされ、実際にテロが相次ぎました。日本での一般的な印象や言説として、「敬虔さが増す断食月になぜテロをやるのか」という議論がありますが、異なる宗教規範の元では、断食が課されているということと異教徒・背教者との戦闘行為への熱が一部で高まることとは矛盾しない場合があります。事件に関する基礎的事実関係を整理しつつ、そのあたりの議論の混乱の解消を試みたもので、ぜひ読んでみてください。

ラマダーン月の終わりとともにテロの連鎖が終わるのではなく、むしろラマダーン月のテロ続発に触発されたのか、7月後半には特にドイツやフランスでテロが続きました。私の西欧滞在中にローン・ウルフ型のテロが西欧でピークに達した感がありました。

世界を見るためのインフラを誰がどこで作っているのか

今朝(6月16日)のFacebookへのポストを転載しておきます。日経新聞のニース・テロに関する記事「呼応テロ、世界に拡散 ニース襲撃で仏政権打撃」 (2016/7/16 0:53)を素材に(特にそのタイトルを素材に)書いてみたものです。

ジハード主義のテロは組織の指揮・命令ではなく、共通の理念への義務を訴える扇動に「呼応」するというメカニズム、一般に理解されてきたと思う。

みなさん気づかないと思うけど、分散型のジハード運動に「呼応」するといった言葉一つだって、学界の大勢に抵抗して、「問題のある人」「反イスラームの人でしょ」と(文字通り)致命的な陰口を叩かれながら、私が言い続けていなかったら、現在このような報道にはなっていないと思う。文系の学問の必要性を示すためにあえて自画自賛しておきます。

書いている記者がどこまで学問的な成果を意識しているかは知らない。当然である。すでに流通している観念を踏まえてなんとなく書いているだけだろう。

問題はまだ流通していないものを流通させる段階を誰が担っているのか。それは学界の場で担われているのであり、しかも学界の支配的な勢力の通説はしばしば短期的には間違う(間違いが是正される制度が組み込まれていないと、中期的・長期的にも間違い続ける)。

私が学界の通説に従っていれば、今もなお、学界も、それに従って社会も「イスラームは平和的なのでテロは関係ありません」と言い続けているでしょう。イスラームはある意味で平和的だけど、権力や軍事やテロにも関係することがあります、ということは、言ってしまえば簡単に見えて、実はそう簡単に言えないことなのです。共通認識になってしまった後は、「当たり前でしょ」という話になるが、誰がどうやって「当たり前」にしたのか、少し考えてみてください。

みなさんが使っている言葉の一つ一つを、誰が調べて、定義して、使えるものとしているのか、考えてください。これまでになかった、あるいは見えていなかった事象についてそれを捉えるための概念とは、突然どこからか降って湧いてくるわけではないんですよ。

対象を認識し、適切に概念化する作業を誰かがどこかでやっていないと、社会全体が誤謬を信じ、誤った論理でやりとりすることになる。そういう社会はいっぱいある。日本も色々な側面では誤謬を信じている。もちろん西欧もアメリカも、部分的に誤謬を信じている。

重要なのは学習すること。学習できる制度と人と空間を作っておくこと。それがある社会とない社会には、大きな違いがある。

「呼応」なんて一般概念だから誰が使ってもいいと思うかもしれないが、ジハード主義の組織メカニズムがそのようなものであると示しておかないと「組織的なつながりがないからテロではない」といった話になってしまう。「組織的なつながりがない、理念によって自発的に動員されるテロがあり、それはジハード主義の運動として認識されているのですよ」と示しておいたので、現実の動きを見て「呼応した」と認識できる。

命令されたり強制されたり騙されたりするわけでもないのに「自発的に呼応する」というのは、英語では言いにくいものなので、日本語で研究をしていることの利点でもある。世俗化した西欧社会では紙に書かれた宗教規範を、一定の人たちが勝手に読んで勝手に触発されるという現象を理解しがたい。単に「遅れている」と思ってしまう。

昔こういうことを含むジハード主義によるテロについて書いたところ(正確には、呼ばれて外務省の中の研究会でその文章を元にこのテーマについて話したところ)、大使の奥さんで大学教授、という人にレジュメと配布資料が渡り、「池内は反イスラームである」といって役所の外郭団体の雑誌で常軌を逸した攻撃文を書かれ、ばら撒かれた。しかも、役所の外郭団体というものは、大使夫人には頭が上がらないから、反論の掲載も許されなかった。私はこういうところが、日本の役人社会のダメなところだと思います。勝手に身分制を作っている(ただし大使夫人の旦那はノンキャリだが、一般社会に対してはえらく傲慢なご夫婦だ)。

その攻撃文が日本語ウィキペディアの私の項目の元になってしまっていたりする。下らない。日本の集合知とはその程度のもの。

私なりの落とし前のつけ方は、絶望はするが、あきらめず、弛まず研究を続け、出せるところで必死に実績を出し、是正の機会をうかがうこと。あきらめません。

何年も経って大使夫人が攻撃文を載せた媒体を出す外郭団体への役人天下り組や企業出向組が人事異動で入れ替わった頃に、そこから連載を依頼された。それ以来連載をずっと続けていることは、私の誇りです。

ま、こんなことを書くと問題視されて連載が中止になったりするかもしれないが、損をするのはその媒体を読んでいる読者であり、日本の中東業界の人である。

世界は完全ではないが、無知と無知に依存した権力に対する抵抗とはこういう積み重ねだと思う。

天下りは人口学上増えすぎていて、現役世代に必要な資源が回らなくなっているので、時々バッサリ整理せねばならない気はするが、殺生は好まないので、ほどほどにやっています。ただ、役人の奥さんまで権力を持つのはやめてほしい。あくまでごく一部の例だが、アラブ関連は社会の辺境なので、変なのも多く巣食っている。役所世界は役所を守るからそういうものを問題視すると問題視した側が排除される。

テロの時代の論理と倫理

7月1日のバングラデシュ・ダッカのカフェ襲撃事件について、NHK地上波の土曜日朝の番組「週刊ニュース深読み」で「”親日国”でなぜ? バングラデシュ テロの衝撃」が放送されていたのを見て、書いてみました。

ゲストの人たちは開発援助関係の人が多く、個々に言っていることは間違っていないと思うが、問題はそれらを全体として意味づける時に全員が少しずつ従う「空気」であり、その積み重なりによって方向付けられる結論と、そもそもの問題設定と前提のいずれもが、おかしな論理で成り立っている。なぜこうなるのだろうか。

以下はFacebookで朝に発信したものです。アゴラにも「日本でテロ事件の議論が見当はずれになる背景」として転載されました。

バングラデシュの事件について、NHKの土曜日の朝の解説番組を見ていたら、やはり日本での議論の仕方は、やはりテロ事件に対する反応としては、全般に見当はずれであった。

日本の議論の仕方で面白いのは、殺された側である日本社会の側が、反射的に「あれが悪かったのではないか」「これが悪かったのではないか」と忖度すること。

いやこれ、毎回毎回繰り返されると、文化人類学的な対象として、面白いと思う。学校のいじめで、「いじめられた方も何が悪かったか考えろ」という「空気」を教師と学生の両方が共有して、もっぱら被害者の方を「教室の和を乱す原因を作った」と追い詰めていく構図も、ここから来ているのではないか。

和が乱れる事件があったら、まず被害者側に「落ち度がなかったか」を問い、改めさせる。それによって将来にまた和が乱れることがないことを祈る。それが日本の「平和」なのだろう。

イスラーム教という神の絶対規範を基準にしてテロを行う相手に直面するという心理的な苦痛を、日本社会の「和」を尊びそれぞれが(特に弱い立場が)自分の「落ち度」を省みて忖度するという反応で、なんとか収めようとしている。

結局「現地のためになる支援になっていなかった」「現地のことをよく知らなかった」という話になってしまっていた。論理展開はもちろんずれている。論理的でない議論は日本のテレビではよく見るので、いちいち指摘していられないから普段見ないのだが、仕事に関わるときだけは見ざるをえない。

出ている人たちは、日頃から非論理的に話をしている人たちではないと思うが(特にゲストの人たちはそうだろう。NHK 社員の人たちはもしかしたら普段から非論理的なのか?と思ってしまったりするがわからん)日本の公的な場所で表出される議論はなぜこう非論理的になるのだろうか。

そもそも日本の支援と欧米の支援には違いがあり、どちらにも利点と失点はある。日本人の現地社会の接し方と欧米とも違いがある(場合もある)。

特に日本人が狙われたわけでもないという大前提も踏まえられておらず、またも「親日国なのになぜ」という誤った問いを繰り返している。

そして結局は、「バングラデシュは親日だが支援が悪かった→テロが起こった」といういくつもの論理的誤謬を含んだ因果関係につなげてしまっている。

「支援が悪かろうが良かろうが、テロは起きます」という現実を提示しては、「番組にならない」と考えるので、「場の空気」を必死に皆で守ろうとするのだろう。しかしこれこそが論理の放棄である。

もちろん番組で提示された新たなタイプの支援は、うまくいけば、悪いものではないと思う。ただし、規模はとてつもなく小さいし、それでバングラデシュの貧困も、バングラデシュのエリート層の抱えるコネ社会から汚職から傲慢なテロの思想の広がりといった問題も、解決できない。「援助をしたとしても、すぐには全体を変えられないが、そもそもすぐに全体を変えられない、当事者たちがそもそも変えられない構造があるから援助をする」というのがそもそも援助なのである。

このような援助の本来の考え方からは、「援助をしてもテロは起こるし、援助が一定の成果を上げて社会が底上げされればやはりテロをやる中間層が増えるということは当然予想しないといけない。それでも援助はやるんです」と言えないのであれば、わざわざお金を出して援助をやることに私は反対だ。人のお金を使って自己満足をすることは倫理的な行為ではないと私は思う。

NHKの番組では、結局「よくない支援をしたからテロが起こった(のではないか)」という話になってしまっている。しかしこれが日本社会の「ことの収め方」なのだろう。

事件が起こったことを機会に、いや事件が起きても起きなくても、支援はもっとよくなるのではないか、と検討するのは良いとは思う。しかし大前提は「支援をしてもしなくても、支援の仕方が良くても悪くても、別の理由でテロは起きる」ということであり、その厳しい現実になぜ目を向けられないのか。なぜそこから目を背ける言説をせっせと人々が生産するのか。これが不思議である。

それは「メディアが悪い」などということではなく(もちろんひどく悪いが。私はNHKBSだけは有益だと思うので、地上波はBSを成り立たせるための隠れ蓑として存在してくれているだけでいいと思っている。膨大なコストだが、それがなければBSの存在は許容されないだろうから、いいのである。無知にはコストが伴うのである)、もっと根深い、日本社会の問題であると思う。

「イスラーム教を理解していなかった」「いやそれよりもバングラデシュを理解するべきだ」といった話にもなっていたが、理解することは大変大切ですが、テロも理解しないといけません。

それによって、「理解していようがいまいが、テロをやってくる相手は別の論理と正義があってやってきますよ」という理不尽な現実に目を向けざるをえなくなるが、これに抵抗する日本社会のものすごい力を感じて、いつもながら、土曜日の朝から疲労するのであった。あまり生産的な疲労ではない。

イスラーム教を理解していなかったからといって殺される理由はない。それが自由主義。小難しいことを言うまえに基本を押さえないといけない。でもその自由主義は、日本には十分にないのだね。

ダッカ事件をめぐって(3)ジハードの論理

ダッカ事件に際しての備忘録その(3)。

ダッカ事件に際しては、ジハードという理念を奉じて攻撃を行う場合の、武装集団(あるいは個人)側からの世界の見え方、敵の見え方について、日本の常識や通念からは理解しにくいことにより、知らず知らずのうちに、あるいは半ば意図と願望と思惑に基づく、事件の基本的事実を捻じ曲げる議論が無数に発信されていきました。

これらがSNSで集約され、一定の人間の頭の中では「事実」となっていくのもまた、SNSは可視化してくれます。そのような仮想現実を強固に頭の中に備え付けた人が、メディアなどで影響力を持つことは、民主主義にとって重大なリスクを増大させます。

思い込みから脱洗脳するために、役に立ちそうな記事をいくつかシェアしましたが、その一部にはコメントをつけました。それらのうち1つをここに転載します。これはアゴラにも転載されています。

7月3日 17:14 https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10205282278655536

 池内恵「ダッカテロ 〜 日本人が知らないジハードの論理」『アゴラ』2016年07月03日 18:00

(時事通信)実行犯、20~28歳学生か=標的は「外国人と異教徒」-バングラ

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070300088&g=isk

ジハードの 論理からいって、このような手順は基本。

【また、実行犯は人質になったバングラデシュ人の男性店員に対し、ベンガル語で「心配するな。われわれは外国人と非イスラム教徒を殺しに来ただけだ」と話していた。一人ひとりにイスラム教の聖典コーランの一節を暗唱させ、できなければ殺害したという。】

穏健なイスラーム教徒がこれを回避するには、例えばバングラデシュと日本という国同士が和平を結んでいるから、その国民を殺してはいけない、などと反論できますが、その和平が、多神教徒でイスラームを受け入れない国とのものだから無効、と唱えると、少なくとも平行線になり「見解の相違」になってしまいます。

なお、イスラーム教徒もジハードの一環として攻撃の対象になる場合がありますが(今回は治安部隊の要員が複数亡くなっている)、敵と同盟したことを理由に正当化する思想が強くあります。あるいはなんらかの理由でムスリムではなくなった(背教した=不信仰者・カーフィルになった)ととらえてジハードの対象にすることを「タクフィール」と呼び、今現在のイスラーム過激派の問題の中心の問題です。

それについて日本の多くの人が知らないのはやむをえないですが、知らないからといって存在しないなどと言い張ってはいけません。