【寄稿】『中東協力センターニュース』に「1979年以前のサウジアラビア」にまつわる言説について

『中東協力センターニュース』4月号に、近年に高まる「1979年以前のサウジアラビア」という政治言説について、分析を寄稿しました。

池内恵「ムハンマド皇太子と『1979年以前のサウジアラビア』」『中東協力センターニュース』2018年4月号,  28 −41頁

近年に、サウジアラビアをめぐる言説の中で、支配的な要素となりつつあるのが、「1979年以前のサウジアラビアは、宗教的に寛容で、女性も社会参加をしていた」という言説です。

これは研究史から見て全く無根拠とは言えないのですが、かなり意図的に歴史認識を変更しています。国際テロリズムとジハードの関係、その背後の国家の支援や社会の規範に関する限り、「歴史修正主義」とすらなりかねないものです。

この言説が世界の言説空間に広まったのは、サウジのムハンマド皇太子がこれを用いたからですが、それをニューヨーク・タイムズ紙のトマス・フリードマンがどのように「援護」したか、代表的な論説を特定して、その言説を分析しました。

 

【寄稿】『中東レビュー』にエルサレム問題について

アジア経済研究所の研究雑誌『中東レビュー』に、米中東政策についての分析が掲載されました。3月末にウェブにアップロードされました『中東レビュー』第5号の、「政治経済レポート」の中に収録されています。エルサレム問題について、2017年末から2018年初にかけての段階で、少し踏み込んだ分析をまとめておきました。

池内恵「トランプ大統領のエルサレム首都認定宣言の言説分析」『中東レビュー』Vol. 5, 2018年3月, 6-12頁 【雑誌全体を無料でダウンロードできます

『中東レビュー』には編集に助言しながら、なるべく欠かさず投稿し、地域研究と国際政治の手法・知見を踏まえて現状をたゆまず観察し、かつ日々の短期的な動きに追いまくられることなく1年ぐらいのタイムスパンで対象を分析し、論文として育てようとしています。

【寄稿】東大出版会の『UP』3月号に、「シーア派とスンニ派」および宗派主義の政治について

寄稿しました。

池内恵「中東の紛争は『シーア派とスンニ派の対立』なのか? 宗派主義という課題」『UP』第47巻第3号・通巻545号、東京大学出版会、2018年3月、40−46頁

「中東問題はシーア派とスンニ派の宗派対立である」と、よく言われますが、それは本当なのか。どの部分で本当で、どの部分では本当ではないのか。イラク戦争後のイラク新体制をめぐる紛争と、「アラブの春」後の中東諸国の混乱で、「シーア派とスンニ派の対立」「宗派対立」といった言葉は人口に膾炙するようになりましたが、実態はどうなのか。より適切な分析概念は何なのか。考察しました。

これは次に出る私の本の主題でもあります。

また、この論考は、「文献案内」として、大学の授業などで中東の近年の政治について考えていく際の、副読本のように用いることができるように工夫してあります。「アラブの春」後の政治変動をめぐる文献を、(1)大規模デモによる社会からの異議申し立ての原因や効果、(2)統治する側に回ったイスラーム主義勢力、(3)政軍関係、(4)国際的介入、などに分類して紹介した上で、近年の動向として、(5)宗派主義論の研究が多く現れていることを示してあります。中東について、最新の研究動向を追いながら現実を見ていくようなタイプの授業の、副読本、文献案内となるように考えて書いた論考です。

大学が変化していく中で、必ずしも各教員が自分の専門分野そのものだけを教えるのではなく、変化するニーズに応えて授業をしていくという傾向がある中で、中東現代政治を、大学の教養課程で、今では容易に手に入る英語文献に取り組みながら、勉強していけるための道しるべとして書いてみました。

【学会報告】3月17日に日本安全保障貿易学会で中東秩序の再編について

学会報告の予定の通知です。同志社大学で行われる、日本安全保障貿易学会25回研究大会で、トランプ時代の中東地域の構造変容について大きな見取り図を出してみたいと思います。

池内恵「トランプ政権と中東秩序の再編」日本安全保障貿易学会・第25回研究大会・第2セッション「中東情勢及び中東に対する輸出管理」2018年3月17日(同志社大学室町キャンパス)【プログラム

これが今年度の学会報告としては最後になりそうです。

2017年度は各学会の共通論題パネル(「シンポジウム」等の呼び名がそれぞれ違いますが)での報告の依頼が、集中的に舞い込みました【学会報告の一覧はこちら(日本語のもののみ)】。ほとんど毎週末のようにどこかの学会で報告していたような時期もありました。これまでの研究をまとめる良い機会と考え、お引き受けして精一杯務めさせていただきましたが、報告が終わると今度は学会誌への論文投稿が待っており、そこで苦労しているのが現在です。出口が見えつつありますが・・・

与えられた共通論題のテーマに沿わせて私の関心事項や懸案の課題についてまとめて発表したのですが、メディアの変化がイスラーム法の解釈の制度に及ぼす影響について(宗教法学会)、イスラーム思想とリベラリズムの関係をめぐるもの(政治思想学会、日本社会思想史学会、日本ピューリタニズム学会)といった、少しずつ重なり合ったテーマに取り組むことになりました。これらをそれぞれの学会誌の性質に合わせて論文として構成し直しております。これらが、全体として、私の研究を前に進めるものとなればいいのですが。

これ以外に、日本国際政治学会や戦略研究学会では自ら応募して、ジハードの国際政治や中東の戦略環境の変化について報告しました。これらも近く学会誌などに論文として投稿する予定です。

(年度末までにアンカラのシンポジウムで英語での報告の予定がありますが、これらを総合したような内容になりそうです)。

【寄稿】『季刊アラブ』に、アラブ政治の「啓蒙専制君主」へのトレンドについて

日本アラブ協会が発行する『季刊アラブ』の新年号の巻頭に寄稿しました。特集「2018 中東情勢を読む」の一部です。

池内恵「『啓蒙専制君主』の時代に『イスラーム国』消滅後の中東」『季刊アラブ』2018年冬号, No. 162, 2−4頁

エジプトのスィースィー大統領やサウジアラビアのムハンマド皇太子が、独裁的な統治手法を用いるのと同時に、宗教面での自由化や改革を唱導する趨勢について、それがアラブ世界の政治社会と規範理念の根本的な変化をもたらすのか否か、検討するための歴史・思想的枠組みについて考えてみました。この問題は引き続き要検討、といったところです。アラブ諸国の現実を見る際に一つの検討要素として欠かせないところと思います。

【寄稿】トランプ大統領のエルサレム首都認定宣言について

寄稿しました。

池内恵「米トランプ大統領のエルサレム首都認定宣言」『中東協力センターニュース』2018年1月号, 1−7頁

2017年12月6日のトランプ大統領によるエルサレム首都認定宣言のテキストを、それ以前の米大統領の仲介姿勢と比較して、どこが変わってどこが変わっていないか、まとめておきました。その後の展開についてはまた別の論考で分析していきます。

【テレビ出演】日曜夜のニュース番組「BS-TBS週刊報道Life」でエルサレム問題について

事後になってしまいますが、本日(2017年12月10日)夜9時−のBS-TBSの「週刊報道LIFE」に出演し、トランプ大統領のエルサレム首都承認について、またエルサレム問題の構造について解説しました。

この番組は元フォーサイト編集長の堤晋輔さんがレギュラー・コメンテーター出ているご縁から、同じ曜日の同時刻に同趣旨で放映されていた「週刊BS-TBS報道部」の時代から、大きな事件があった時に出演しています。

2015年1月20日に問題化した「イスラーム国」によるシリア日本人人質殺害事件については、奇しくも2月1日未明に事件の悲惨な結末が明らかになった日に(この日も日曜日でした)に、あらかじめ出演が予定されていたため、十分にスタッフとやり取りをして地図やフリップなどの準備をした上で、かつ速報性のある報道を行うことができました。

人質事件が終わった直後に、以前から予定していたチュニジア調査に行ったところ、帰ってきてから間もなくチュニスのバルドー博物館でのテロが起きたため2015年3月22日に出演、さらにパリの同時多発テロ事件に際して2015年11月15日にも出演しておりました。

エルサレム問題については、トランプのエルサレム首都承認宣言・演説に合わせて『フォーサイト』にまとめて分析を書いていました。

池内恵「トランプがエルサレムを首都承認した後に何が起こるか」『フォーサイト』(中東 危機の震源を読む 94)2017年12月6日
池内恵「トランプは演説でエルサレムと『東エルサレム』を分離できるか」『フォーサイト』(中東通信)2017年12月7日 00:45
池内恵「米国はイスラエルにトランプ演説への反応を抑制するように水面下で要請」『フォーサイト』(中東通信)2017年12月8日 01:20
池内恵「トランプのエルサレム首都承認の宣言文と演説テキストの違い」『フォーサイト』(中東通信)2017年12月8日 01:30
池内恵「トランプはエルサレム首都承認と大使館移転の意志表明した直後に大使館移転繰り延べ命令に署名」『フォーサイト』2017年12月8日 01:53
2017年12月8日 01:53
池内恵「エルサレム問題は何が『問題』なのか」『フォーサイト』(中東の部屋)2017年12月8日

番組スタッフもこれらを読み込んだ上で、地図や写真を加えて付加価値をつけてくれました。

テルアビブの米大使館を即座に移すことが可能であるはずのエルサレムの二つの総領事館の位置や、1989年のレーガン政権末期に、すなわちキリスト教福音派(エヴァンジェリカルズ)の影響が最も強かった政権の最後に、西エルサレムに大使館の候補地を事実上取得する賃貸契約を行なっている点を指摘するなど、テレビ番組としては極端に専門的な内容になりましたが、分かりやすかったというご指摘もあちこちでいただいています。

なお、番組ウェブサイト(http://www.bs-tbs.co.jp/syukanhoudou/life/)に事前に掲載された番組内容は下記の通りでした。

12月10日OA内容
トランプ大統領「エルサレムを首都」の衝撃
アメリカのトランプ大統領が中東エルサレムをイスラエルの首都と認定した。各国が反発を強めるなど、波紋が広がっている。
なぜ今、トランプ大統領は決断したのか。混迷の度が深まる今後の中東情勢は?その歴史的背景から、世界情勢に与える影響まで、専門家と読み解く。
ゲスト:池内恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

【寄稿】『外交』で中東情勢をめぐる座談会

座談会の記録が刊行されました。

外務省が発行する『外交』(かつての『外交フォーラム』が民主党政権時代にリストラされたものの後継誌です。現在は三度都市出版の企画・発売に戻っています)に掲載されました。

池内恵・今井宏平・田中浩一郎・岡浩「『ポストISIL」に潜む新たな混迷」『外交』Vol. 46, 2017年11月30日発行, 「外交」編集委員会(編集), 外務省(発行), 都市出版株式会社(企画・発売), 116-129頁

岡浩・外務省中東アフリカ局長(前トルコ大使・アラビア語研修でサウジアラビアに二度の勤務経験のある方です)と、イラン分析の田中浩一郎さん(最近慶應義塾大学SFCに拠点を移されました)、年初に中公新書からトルコ現代史を刊行された今井宏平さんと、ご一緒しました。サウジアラビアやレバノンの動向など、対談で将来の見通しとして話していたことが、編集作業の間にも現実化して、未来形を現在形・過去形に直していく作業で校了寸前まで気が抜けませんでした。

局長室の場所を提供していただき、我ら研究者が喋りまくるのを静かに頷いて聞いていらした中東アフリカ局長が印象的でした。いや、いい加減疲れますよね、この中東情勢の展開の早さと破天荒さ。

【寄稿】『文藝春秋オピニオン』の2018年版に「イスラーム国」後の中東について

寄稿しました。大変忙しくて、ちょっとお知らせが遅れてしまいました。

池内恵「『イスラーム国』後の中東で表面化する競合と対立」『文藝春秋オピニオン 2018年の論点100』2018年1月1日(発行), 文藝春秋, 38-41頁

奥付の発行期日は来年1月1日となっていますが、2017年11月9日発売です。

例年寄稿している『文藝春秋オピニオン』の2018年度版ですが、今年は「2018年の10大テーマ」の6番目になりました。

面倒ですが一応確認しておきますと、思い出せる限り2013年版から寄稿しているのですが、私の担当するテーマの順位は36→48→70→6→7→そして今年は6に戻っております。別に番号が重要度を示すわけではないのですが、文藝春秋編集部がどのように中東・イスラーム問題を位置づけているかは、日本の世論のある部分の推移を示しているとは言えるでしょう。

「イスラーム国」が2014年6月のモースル占拠で国際政治の中心的課題に躍り出た後の2015年版(2014年11月発売)では「70位」と、なんともはんなりとした対応をしていたのですが、2015年1月20日の脅迫ビデオ公開に始まる日本人人質殺害事件の政治問題化と、奇しくも同日に文藝春秋から刊行された『イスラーム国の衝撃』によって、この問題の位置づけが一気に(少なくとも文藝春秋内部では)上がり、2016年版では一気に6位に躍り出、同程度の認識が3年間続いたようです。来年はどうなるのでしょうか。「イスラーム国」はタイトルに入らないでしょうが、中東問題が大問題であり続けることは変わらないと思います。

「10大テーマ」となると、『文藝春秋』の読者に馴染みのある対象と書き手が並ぶので、よくまだ「イスラーム国」と中東をこの位置に選んでくれたものです。新聞やテレビでは「イスラーム国」のモースルとラッカが陥落する話は分かりやすいように見えるのか、そこだけは報じられます。クルドやトルコやサウジやシリア・アサド政権やロシアや米・トランプ政権などの動きが複雑に絡んだその後の中東情勢は、複雑すぎて記者が記述することが不可能なのかもしれません。

目次を見ますと、書き手のラインナップが、テーマ以上に、濃い。。。

私の前が石破茂先生、その前は宮家邦彦さん、わたいの後ろが冨山和彦氏で、その後ろに佐藤優・櫻井よしこ・藤原正彦と続くという、こってりしたラインナップです。私はこの中の置かれると非常に線の細いあっさりした書き手と見えるのではないでしょうか。

何かと評判の三浦瑠麗さんも、論点15「『政治家の不倫』問題の本質はどこにある」と、近年ライフワークとして掴んだ(かに見える)「女性と権力」に真っ向から取り組んでいます。

従来よくあった、オヤジの「権力と女性」問題ではなく、働く女性論にも一般化させたん女性政治家論により「女性と権力」という問題を浮き立たせた新機軸の発掘で、他の追随を許さない地位を確保しています。来年は私よりも前に載っているでしょうね。それも良きかな。

さて私の方は地味にしかし分析と見通しの提示として実質のある内容を心がけまして、「イスラーム国」が領域支配を縮小していく中で、今後の中東情勢について展望したものです。中東国際政治が変動する中で、最も重要なのはサウジの内政であり、そこにイスラエルを絡めて米トランプ政権を抱き込もうとする動きが出る、それと北朝鮮危機とがリンクされれば・・・といったスペキュレーションを含む本稿は10月前半に書いていたのですが、それが部分的に現実化していくので、10月25日の最終校了直前に細かく修正しました。

【掲載】時事通信にラッカの「イスラーム国」拠点陥落についてコメント

時事通信にコメントを寄せました。シリアのラッカの「イスラーム国」拠点を、米国に支援されたSDF(シリア民主軍)の部隊が制圧したというニュースへのコメントです。地方紙各紙に掲載されていくと思われますが、時事通信のウェブサイトでも公開されています。

「◇シリアでも「クルド問題」起きる」時事通信(2017/10/18-21:22)

ラッカの陥落はそれなりに重要な画期ですが、現在のシリア情勢・中東情勢の焦点は別のところにある、といったことをお話ししました。

そもそも「ラッカはイスラーム国の首都」という通説は根拠が不確かです。「イスラーム国」の理念からは、2014年7月にカリフ位を宣言し、金曜礼拝で演説を行ったモースルが、カリフ政体の首都でしょう。

全世界を覆うカリフ制政体を構成する「州(wilaya; 英語で言うstate)の一つとしてシリアがあり、シリアの州都(’asima; capital)であったのがラッカということでしょう。連邦制とstate capitalという観念が理解される英語圏ではある程度容易に理解できることが、日本ではうまく理解できず言葉にもできないようです。

しかし「ラッカは首都」という翻訳上の誤解に基づき、「首都だから重要」と論じていくのは、循環論法でしょう。そういう報道には(いまさらですが)釘を刺しておきました。とはいえ、メディアの報じ方に注文をつけると「面倒くさい人」ということになり、コメントが載らなくなる傾向があります(世代が代わるとまた依頼してくるようになるので、そのことはあまり気にしていません)。

現状では「イスラーム国」が「州」を称していた領域での「州都」は、ラッカ陥落で全て失われた、という意味づけです。

【今日の一枚】(34)過去1年の「イスラーム国」支配領域の縮減

久しぶりに「地図で見る中東情勢」のカテゴリーに項目を加えてみましょう。

【中東情勢の分析については、2014年から15年にかけては、このブログでかなり詳細に行っていましたが、『フォーサイト』「池内恵の中東通信」欄にいわばスピンオフしていきましたので、日々の分析に関心がある方はぜひそちらをご覧になってください。このブログでは地図や名著迷著からの抜き書きなどを中心に随時話題を提供していきます】

(PCでは)画面右側の「カテゴリー」のところの「地図で見る中東情勢」をクリックすると、これまでの地図を紹介した記事の一覧が表示されます。

ちょうど一年前の2016年9月のエントリでは、シリアとイラクでの「イスラーム国」および各勢力の支配領域を、トルコがアレッポ北方へ侵攻した時点の地図で示しておきました。

ここ一年間、シリアやイラクのニュースでは「イスラーム国から○○を奪還」という形式のものが多かったですね。必ずしも「『イスラーム国』の領域支配がどれだけ縮まるか」はシリア情勢やイラク情勢の中で常に最も重要なものとは言いきれないのですが、国際的にこの側面が特に注目されるのが現実ということは確かです。もちろん重要ではあります。

イラクでは「モースルを奪還」、シリアでは「ラッカを奪還」というニュースが連日のように伝えられてきましたね。長期間にわたって「もうすぐ奪還します」というニュースが流れ続けるということは、かなり手こずってきたということでもあります。

一年前の地図を見ると、モースルとラッカを含む領域が「イスラーム国」の支配領域として塗られていますね。

最新の地図を見てみましょう。

出典:“Islamic State and the crisis in Iraq and Syria in maps,” BBC, 1 September 2017.

これはBBCのものです。9月1日付けの、「イスラーム国」関連の地図をまとめた記事ですが、公開後も地図が追加・アップデートされていくようで、この地図は9月4日現在とされています。

この地図を若干ズームした地図が例えば下記の記事にも掲載されています。

“Iraqi Kurds ‘prepared to draw own borders’, Barzani warns Baghdad,” BBC, 11 September 2017.

このタイトルからもわかるように、現在の関心は「『イスラーム国』が領域を失うかどうか」ではなく、「誰が『イスラーム国』からどこの領域を奪うか」に関心が集まっています。イラクでは「イスラーム国」掃討作戦をイラク政府軍とそれに従うシーア派民兵と、北部のクルド人自治区の民兵ペシュメルガが競って行ってきましたが、クルド人勢力は例えばシンジャールなどの「イスラーム国」から奪還した領域を含めたクルド人独立国家の設立を目指しています。

同様に、シリアでも東部のラッカは、米国が支援するクルド人勢力PYD-YPGを中心としたシリア民主軍(SDF)がほぼ全域を制圧し、南東部のデリゾールの制圧では、SDFとアサド政権軍が競っています。どちらかが制圧するかで、その後の再建される国家のあり方が大きく変わってくるからです。

次のアル=ジャジーラの地図では、「イスラーム国」支配領域は黒で塗りつぶされています。

出典:“MAPPED: The battle against ISIL,” al-Jazeera, September 5, 2017.

「イスラーム国」は広い領域を統治することはできなくなっても、都市でゲリラ活動を行ったり、立て篭ったりすることは続けているので、contested cityという項目が建てられています。いちおう制圧が終わったとされているラッカなどですね。

おまけ:

Reuters はGraphicsのコーナーで、今年2月から8月にかけての半年で、シリアでアサド政権軍やクルド人勢力や「イスラーム国」などの支配地域がどう変化してきたかを、スライドショーのようにして示してくれます。追いかけるのが面倒ですが・・・

“Battle for control in Syria,” Reuters.

【寄稿】『中東協力センターニュース』7月号にシリア内戦の競合する停戦枠組みについて

忙しさに紛れて、少し通知が遅れてしまいましたが、シリア内戦への停戦調停に関する分析を『中東協力センターニュース』に寄稿しています。

この論考をほぼ書き終えてから7月半ばにヨルダンのアンマンに出張に行き、国際会議に参加していたのですが、ちょうどその頃、ヨルダンでの交渉からシリア南部での部分停戦の合意が米・露・ヨルダンの間でまとまったので、関連する情報も集めることができました。

池内恵「シリア分割への道? 競合する停戦枠組み」『中東協力センターニュース』2017年7月号, 8-14頁【クリックするとPDFで論文が開きます

【談話】今朝の日経新聞に中東情勢をめぐって

今朝の日経新聞に談話が掲載されました。

「混迷深まる中東 どこへ サウジ、イスラエル接近も 東京大学准教授 池内恵氏」『日本経済新聞』2017年7月4日朝刊

聞き手は日本経済新聞編集委員の松尾博文さんでした。エネルギーや中東が専門で、現地特派員・支局長も経験した方で、以前から知り合いで私も普段から記事を読んでいることもあり、大変話が弾みました。紙幅の都合から、サウジとイスラエルの接近という、話をした中で一番際どいところを中心にして掲載されましたが、このインタビューを機会に中東情勢全体の現状と見通しについてまとめる機会になりましたので、有益でした。

全く偶然なのですが、明日の夜10時から、日経の系列テレビ局BSジャパンの「日経プラス10」に出演して、「イスラーム国」のイラクでの支配領域の陥落後の中東情勢について話をすることになりましたので、そちらで時間をとって話してみたいと思います。

【寄稿】『国際開発ジャーナル』7月号に中東諸国・国際秩序の変動について全体像を

国際開発・国際協力の専門誌である『国際開発ジャーナル』に寄稿しました。「変わる世界秩序」とのタイトルを付されたリレー・エッセーの第2回。

池内恵「中東と動揺する世界––––アラブの春とイスラム国の行方」『国際開発ジャーナル』No. 728, 2017年7月号, 20-23頁

ここのところ講演を依頼されれば喋るようなことを、標準的な講義録のつもりで、各要素を短めに詰め込んで見ました。ここの要素について一本ずつ論考が書けそうです。

本号にはこの他に、アジア経済研究所のアフリカ研究者で現在ジェトロ理事(『国際開発ジャーナル』の論説委員でもある)の平野克己さんの論考「援助政策がめざすべきものは」や、東大副学長やJICA理事長を歴任し、今年4月から政策研究大学院大学(GRIPS)の学長に就任した田中明彦先生へのインタビューなどが掲載されています。

また、今号の特集は「ダッカの教訓を忘れない」というもので、中東研究者の保坂修司さんによる地域専門家の養成の必要性を訴える論考や、コントロールリスク社などの担当者の発言も載っています。

【イスラーム政治思想のことば】(10)サウジの新皇太子(次期国王)への「バイア(忠誠の誓い)」

6月21日朝、サウジ、そして中東を揺るがす発表がありました。サルマーン国王が、皇太子のムハンマド・ビン・ナーイフを更迭し、実子のムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子を皇太子に昇格させたのです。

そのサウジ内政や国際関係に及ぼす影響については別の場所で考えましょう。ここでは「イスラーム政治思想のことば」シリーズの一環として、皇太子の任命の正統性を確保するために、現在サウジ発のメディア報道やSNS上で溢れている言葉を紹介しましょう。それは「バイア(忠誠の誓い;bay’a; oath of allegiance; pledge of allegience)」という言葉です。

サウジの王政は統治の正統性を示すために、イスラーム法に基づく政治思想を援用することが多くあります。全イスラーム教徒の共同体(ウンマ)を指導する「カリフ(あるいは「イマーム」)」を名乗ることはないまでも、聖地メッカとメディナを実効支配していることから、「二聖モスクの護持者(Khadim al Haramayn; Custodian of the Two Holy Mosques)」を称号として掲げています。

そして、政権の根拠に、有力者そして国民全体から「忠誠の誓い(バイア)」を受けている、ということを誇示して、支配を正統化しています。

国王が亡くなって次の国王が立つ時に、まず然るべき王族や宗教学者の有力者が「バイア」を行なってみせます。今回は、国王ではありませんが、次期国王となることが確実な皇太子を任命した、それもこれまでの実力者の皇太子を存命のまま更迭して、国王の年若い実子を昇格させたということから、盛大にバイアの儀式が行われました。

バイアによって正統な権力が成立するという観念の定式化とその手続きについては、イスラーム政治思想を体系化したイスラーム法学者マーワルディーの『統治の諸規則』のイマームの定立に関する記述にまとめられていますし、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』でも、主要なスンナ派法学者の定説に基づいてこの概念が紹介されています。

サウジアラビアでは前国王のアブドッラーの時代に、次期国王あるいはその前提として皇太子を選出する際に、まず初代アブドルアジーズ王の直系男子の子孫からなる王族会議(王族の中でも中枢の家系のみ)で選出する形式をとることになりましたが、この次期国王選出のための特別な王族会議も「忠誠委員会(Hay’a al-Bay’a; Allegiance Council)」と名付けられています。まず王族の中の有力家系の代表が「バイア(忠誠の誓い)」を新たな皇太子・次期国王に対して行って「選出」し、選出された者が忠誠の誓いを受け入れる、という形式を踏んで、王権が立ち上がるのです。

あたかもカリフ(イマーム)を選出するようにイスラーム法上の「バイア」と似通った手続きで国王・次期国王を選出することで、サウジ王家は自らのイスラーム法上の正統性を印象付けようとしています。

スンナ派ではカリフの政治権力を前任者が次期(息子でもいい)を指名(つまり世襲)することすら正統な「選出」であるとしている、現実の実効支配を重視する現実追認の傾向が目立つ体系ですが、有力者による合議(シューラー)の上、政治権力者を選出してバイアし権力者はバイアを受け入れる、という手続きをとることは重視します。現実に人々が従わない権力はその役割を果たせないと考えるからです。血統だけで継いでいくことには意味がなく、実力を伴って、イスラーム教を護持する役割・義務を果たして初めて、権力者であると考える。

そうなるとまず、前任者から後任者の指名(サウジの今回の場合は国王による息子の皇太子任命ですね)が行われた上で→忠誠委員会による合議の上でのバイア→大臣や知事や宗教学者の有力者などによる、より広い有力者によるバイア→国民全体のバイア、と忠誠の誓いを誓う人々の輪を広げていく形をとります。

今回はサウジ王家の、あるいはアラブ部族の権力継承の慣例を破り、これまで制度化されていた継承の規則も一部変更してまで行う皇太子任命ですから、各階層のバイアを確実にすることは重要です。忠誠委員会でも、現在の34名の定数のうち31名がムハンマド・ビン・サルマーンの皇太子任命に賛成した、と発表されていますから、つまり全会一致ではないわけです。そうなるとより一層、国民の各階層から、多数がバイアしているということを示さなければなりません。

さらに今回は、これまで皇太子だったムハンマド・ビン・ナーイフが、解任されたといえども存命ですから、これがバイアするかどうかが重要です。

そこで、前皇太子の更迭と新皇太子任命の発表があってから間もなく、ムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子が新皇太子にバイアした、との報道が国営通信社によってなされます。サウジ政府は、ムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子がムハンマド・ビン・サルマーン新皇太子にバイアする場面を撮影して、これを各メディアを通じて大々的に宣伝し、インターネットで拡散させました。サウジ王家内部が分裂している、あるいはそこから、それに呼応する国内勢力がある、という印象を万が一でも内外に与えては不安定化につながると危惧して先手を打ったのでしょう(この映像についてもサウジの在外反体制派は、軟禁されたムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子が強制されているだけで、都合の悪いところを映さないようにしている、と腐しています)。

サウジ政府の英文広報紙というべきSaudi Gazetteは一連のバイアについて次の記事で伝えています。

“Generational shift: Princes, officials, ulema, citizens pledge allegiance to Prince Muhammad as crown prince,” Saudi Gazette, June 22, 2017.

新皇太子任命が発表された時点では「忠誠委員会」のみがバイアしている状態です。そこで、さらに御触れを出して、まず王族のより広い成員に対して、当日夜にサファー宮殿でバイアを受け付けるぞ、と伝えたということですね。ここに非王族の政府高官や高位の宗教者も来なさいという国王の御触れはこのようなものです

王宮でのバイアの様子は、例えばこの記事から。アラビア語が読めなくても映像や写真を見れば様子が伝わってきます

最終的に全国民がバイアすることを求められるのですから、この王宮でのバイアに、一般市民も原理的には来ていいはずですが、おそらく身分が低い者が行くことはあまり想定されていないでしょう。

上記の記事にもありますが、各地の王子・知事(王族の場合が多い)は新皇太子に代わってバイアを受けよとの王の御触れも出ています。

バイアの儀式といっても簡略で、礼をして握手するだけですが、これはコーランの表現にも多いアラブ人の「商取引」で、契約を締結する際に握手する慣行をおそらく引き継いだものでしょう(そもそも「バイア」という言葉は「売り買い」を意味する言葉です。臣民は王に服従を「売る」代わりに安全の保証といった見返りを買うのです。なお、コーランでは、信仰も神と人間が行う商行為であって、て、神の命令に従って現世で義務を遂行することで、来世での幸福を「買う」かのような表現が多く見られます)。

政府の音頭取りに応じ、SNS上では「私は皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンにバイアする」という一文がハッシュタグとなって流通し、バイアの様子を拡散したり自らSNS上でバイアをして見せたりする発信が相次いでいます。

原則は目下の臣下が権力者に服従を誓い、権力者がそれを受け入れるという形式ですが、映像で見てみると、はるかに年上で実力者の前皇太子(57歳)に対して、第三世代の王族の中でも最年少の部類に属す新皇太子(31歳)は、いちおう一瞬だけ跪いて見せ、握手の最中も最後まで頭を相手より下げているなど、傲慢に見られないように務めています。同様に、メッカのサファー宮殿で行われた、王族や政府高官たちによるバイアの場でも、王族の中での目上の人や、平民でも長年主要閣僚を務めた重鎮に対しては、結構頭を下げてみせています。

こういう絶妙な間合いの取り方は、アラブ人の兄弟・従兄弟・友人などの間の関係に、日常的に見られることです。一族の中で羽振りのいい男は、それ以外を従えるのですが、それは金銭的にもその他も何かと面倒を見る義務を伴います。目下の親族については普段から何かと目を配っておいて、住むところの世話から職探し、娘の縁談まで、何かと便宜を図ってやらないと、親族からも叛逆されます。

そのため、一族のリーダー格は、毎日のように、親族や、あるいは血縁関係がなくとも盟友関係にある友人や、世話を焼いている子分の家を、ぐるぐる巡回していたりします(逆に定期的にそれらの配下から訪問を受ける応接間=マジュリスが家にあったりします)。そういうのに同行して観察したことがありますが、アラブの男であるってことは、大変なんですね。大物は大きな態度で羽振り良くして見せていないといけない。そうしないと馬鹿にされるのです。みなさんプライドがありますから、子分格は、親分が親分っぽくないと容赦無く馬鹿にし、逆心を抱きます。人間は自由であり、プライドを持つのです。

かといって偉そうにしすぎてもいけない。人を従えるアラブ男はこの絶妙のバランスを身につけています。このあたりは私には計り知れないところです。

というわけで、今日も地回り行くか、という風情の知り合いに人類学的興味でついて行くと、一軒一軒、慕ってくる親族や子分のところを回るのですが、あの家はお金に困っているらしい、といった情報を、回りながら自然に集めて行く。そして困っているらしい家に来ると、迎えに出た子分(といえどもその家の当主)があたかも「バイア」のように頭を下げて手を差し出してくるところを、抱擁するように握り返しながら、さりげなく、目にも留まらぬ速さでどこからか出してきた札を握らせます。本当に「いつどこから出してきた!」と叫びたくなるような速さであり円滑さです。それは優雅ですらあります。

そしてこの渡し方が難しい。まず、親分が子分にお金を渡して庇護しているというところは、相手にはもちろん、第三者にもある程度は伝わらないといけない。それによってああ親方様はありがたい、苦しいということをちゃんと理解してくれて援助してくれてこれでなんとか病気の息子を病院に連れて行ける・・・と一同安堵するのです。

しかし、それによって相手が公衆の面前で、あるいは小なりといえども従えている家族の前で、屈従を強いられたと見えてしまうこともまた、避けなければならないのです。

人間は神以外には従属しない、というイスラーム教の信仰を誰もが内在化していますから、わずかばかりの金をこれ見よがしに恵んで尊厳を踏みつけにした、と相手あるいは第三者に受け止められては、大変なことになります。お金を渡してある相手ほど、お金を恵まれることによって屈服させられ、人間の尊厳を奪われている、という思いを蓄積させていることがあり、ある時突然敵になる、ということが結構あるのです(だったらお金なんか渡さなければいいじゃないかというと、そうではなく、渡さなければあいつはケチだ大物ぶっているけどたいしたことない、と陰口を叩かれ、離反されるらしいのです。面倒くさいですね)。

あくまでも、あたかも対等の男同士が友情を確かめ合っていて、しかし余裕があり寛大な男が、相手の窮状を偶然知って、運良く神から与えられていた自らの富を喜んで分け与える、相手はありがたく神の恩寵を受ける、という形が、ほんの一瞬の挨拶の際に交わされる握手と共に受け渡される数枚の折りたたんだ札によって表現されていなければなりません。アラブで男であるって大変なことなんです。私にはとても勤まりません。

大変ですが、津々浦々の「大物」のアラブ男は、この作法を身につけていることも確かです。どうやって身につけるんでしょうね。それは私にも完全にはわかりませんが、やはり最初は家庭の中で兄弟と切磋琢磨しながら、そして一族や地域社会の中で、揉まれながら身につけていくのでしょう。努力だけではなく、天性の才能が磨かれて開花するのでしょう。これを身につけられないと、あるいは天性として備えていないと、やがて脱落して、従う側に回ることになります。

アラブ人の兄弟というのは、必ずしも長男が自動的に偉いわけではなく、体の大きさとか頭の良さとか商才とかコミュニケーション能力とかに総合的に優れた者が、やがて台頭して兄弟、そして一家・一族を率いるようになります。

サウジだけでも、全国の津々浦々の家庭に始まる、アラブ男たちの「マウンティング」の膨大な積み重ねがあって、多くの「バイア」を集める男たち同士がさらに戦ういわばトーナメント戦を勝ち抜いた、全国の最高峰が、ムハンマド・ビン・サルマーンなわけです。そう考えると、映像で見る限り、もしかするとあまりにそっけなく、あっけなくも見えるバイアの儀式に、実はどれだけの重みがあるか、見えてくるでしょう。

「イスラーム政治思想」というと、近代西洋の政治思想のようにあたかも書斎の思想家が緻密に書いたテキストの中にあるように想像する人がいるかもしれませんが、思想をこね回した作品は、実はほとんどありません。あっても影響力は皆無です。実際には、アラブ社会のこのような人間同士のコミュニケーションの中で生まれる権力が政治思想の本体であって、その上澄みを言語化し定式化したのが有力な思想テキストと言えるでしょう。

【寄稿】「ソマリエメン」と言ってみたかっただけ?『中東協力センターニュース』4月号に

少しこの欄での通知が遅れましたが、『中東協力センターニュース』4月号に論考を載せております。

池内恵「『ソマリエメン』の誕生? 紅海岸の要衝ジブチを歩く」『中東協力センターニュース』2017年4月号, 10-20頁【ダウンロード

四半期に一回の頻度で定期寄稿している『中東協力センターニュース』ですが、今回は、先月のジブチ訪問の報告として、若干紀行文的な要素を加味した論考です。そうは言っても、結局、かなり解説や分析に近づいた文章になっています。

地図は見繕って便利なものを拝借して載せてみましたので、元の記事に遡って読むなどして見るといいでしょう。

読み直して見ると、一部の箇所で、「ソマリ人」と「ソマリア人」がそれほど意味なく書き分けられてしまっているところがあり、かといって完全にどちらかに統一することも難しいので、次に関連テーマで書く時にはさらに詰めて調べて適切な語用を見出していこうと思います。

また、18頁の19行目の「何時にも渡って」は「何次にもわたって」とするべきでした。いずれにせよ硬さが抜けない文章ですが。

今回は、とにかく世界に先駆けて「ソマリエメン(Somaliemen)」という造語を作って使ってみた、というところが一番の肝でしょうか。

米国が9・11事件以後、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯をひとまとまりのものとして、「アフパック(Af-Pac)」と呼んで統合的な対処策を探ったり、「イスラーム国」がシリアとイラクの国境地帯を制圧し実効支配したことから「シラーク(Syraq)」と呼ばれたといった先例と同様に、ソマリアとイエメンの間の人的・物的・思想的交流のインフラの存在とその深化の可能性や、それと同時に進みかねない、ソマリアのアッシャバーブとイエメンのAQAPの相乗り現象の進展、それに対する米国トランプ政権による対ソマリアと対イエメンでの対テロ作戦の強化と一体化、といった事態がより十全に進めば、やがて「ソマリエメン」が語られることになるでしょう。

四半期に一回のこの定期寄稿は、毎度、逼迫した日程の中で時間を捻出し、最新の情勢や、私自身の研究の展開の中での新しい興味対象などから熟考してテーマ設定を行い、締め切りと校了の最後の最後の瞬間まで頭を捻って(編集部には極度の負担をかけて)脱稿・校了します。

研究者としての利益からは、一つのテーマにもっと長い時間かけて取り組むために、この寄稿のために割いている時間を振り分けたほうが得になる、という考え方もあると思います(今は、研究者の環境が極めて厳しくなっており、私自身が通常よりはるかに厳しい条件を選んで赴任してきているので、本来であれば研究者がするべきではないこのような比較衡量が時に頭をよぎります)。けれども、3ヶ月に一度、必ず、中東と隣接地域や国際社会全体も視野に入れて、今何が重要か、将来に何が重要になるかを徹底的に考え直す時間を作ることは、一つ一つはそれほど重要に見えなくても、積み重ねることで、何かが見えてくるきっかけになるのではないかと信じて続けています。