されどわれらが日々

引き続き体力の限界まで二本の論文を書きながら火曜日にある別の論文の報告会の準備。

というわけで中東情勢解説はお休みして、最近出たインタビューの紹介。
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「アメリカの覇権にはもう期待できない──大国なき後の戦略を作れ」『文藝春秋』2014年3月号(第92巻第4号)、158-166頁。

雑誌全体は、今回の芥川賞発表と、ちょうど150回になる芥川賞の歴史を振り返る号なので、なかなか面白いです。「レガシー・メディア」の面目躍如というべきでしょうか。

村上龍・宮本輝対談を読むと、村上龍(75回・1976年上半期)の方が宮本輝(78回・1977年下半期)よりも受賞が先だというのが今から見ると不思議な感じ。「泥の河」「螢川」を書いている最中の宮本輝が「限りなく透明に近いブルー」を読んで焦った、という話。歴史は一方向的には進みませんね。

両者は友好的・常識人的に対談していますが、最後の方で村上龍が「乱暴に言えば」とことわって、「近代文学の役割とは〔中略〕近代国家が発展するなかで、置き去りにされた少数派の声を代弁したり、個人と共同体の軋轢によって生じる「悲しみ」を描くことだった」と本当に乱暴にまとめてしまって、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」と宮本輝的な小説を同列に並べ「近代文学の代表としてまだまだ頑張ってくださいね」と芥川賞選考会の後に声をかけたなんて言い放っています。

ようするに近代文学はもう「オワコン」だが、伝統芸能のように続けてくれる人がいるとありがたい、ということですか。

芥川賞=日本の近代文学の社会的機能のもっとも明確な表出、という意味では、記憶に残る受賞作として柴田翔「されどわれらが日々──」を挙げている人が多いのが興味深い。「作家」としてフルタイムで活動していた時期はほとんどないであろう、端正な独文学者のこの小説は、今この雑誌を読み、執筆を依頼される年代・階層の人生に深く影響を残したのでしょう。柴田翔さん自身のエッセーも載っています。毎回同じことを書いているような気がしますが、やはりいいですね。

小説が歴史を写すというよりは、この小説と柴田さん自身が、日本近代史の欠かせない一部なので、定期的に同じことを回顧するのが御役目のようで、それをいつも通り果しておられます。超秀才の近代西洋文学研究者が、日本のある段階に適用して近代文学を「実作」して、それが成功したという、学者作家の不滅のサクセス・ストーリーで、誰も真似することはできないでしょう。

この方に大いにお世話になったであろう、また憧れ、目標にした時期もあるであろうこの人、今こんなことをしているようで。

近所の商店街の本屋で街歩きガイドのところに平積みになっていたので表紙に衝撃を受けて思わず買ってしまった(汗)。不穏当な発言はありませんでした(安堵)。

柴田翔さんと同じことをやってもできないしやってはいけない、と思い定めるという意味で、その後の方向性に大きな影響を与えたのではないかと思います。

柴田翔先生は、本当に重要なことをして、それ以外では無用に「渦中」にいようとしない、一度当たったスポットライトを二度三度求めて右往左往しない、という生き方を示してくれているという点でも尊敬しています。それも、日本の近代史の一段階を体現するような作品を残してしまったことからくる余裕や責任感に由来するのでしょう。もちろん人間だから焦燥感とか、もしかして嫉妬心とかも一瞬湧くのかもしれませんが、と下世話に想像しますが(すみません)、それを表に出すことは決してない。

* * *

私のインタビューの方は、内容は、中東情勢を見ている人間が日本と東アジア情勢を見たらどう見えるか、というような内容。靖国参拝問題なども、遠ーくからはどう見えるか。

結論は「だから大学院を活用してください」だったりする。

日本は巨大な知の消費国であることは確かでそれは素晴らしいことなのだけれども、二次使用どころか三次使用・四次使用の方ばかり活発で洗練されていて、根本的なアイデア(第一次情報)を生み出しているかというと、そこに社会的関心(時間と労力)も、お金もたいして払われていないというところがある。

大学院は博士課程以上で第一次的な知を生産して、それを真っ先に有効に活用できる人材を修士課程で育成して企業・官庁に循環させる、というのが本来のあり方。

日本の大学は役に立たない、というのは、日本のエラいさんたちが自分が大学に通った(通わなかった)時代を回顧した、まったく現実に合わない認識に基づいている。

東大などは研究と共に、高度の教育機能を果せるような実態はある。なぜかというと教員は入れ替わっているから。大学の人事の流動性が低いと言っても、財界と比べればきちんと定年があるから入れ替わっていますよ。政治家と違って二世が学科を継いだりしないし。

日本の大学を企業や官庁などがもっと有効に使ってくれればいいのにね。社員が20代半ば、30代半ばで一回ずつ修士に一年ずつくるような人事をやっている会社はほとんどないので、国際的にみると個人の力が弱い、視野が狭いという点が否めない。「グローバル人材」というならまず自国の研究・教育機関を活用しないと。社会の側が利用しないなら、大学院ではこれまで通り研究者養成に特化するしかない。だって研究者になりたい人しか来ないんだから。

* * *

仕事でよくご一緒する先生方は、近年盛んにこういった場に出ていって発言してくださっていますので心強いのですが、私は純粋ドメスティック人材として、レガシー・メディア(日本の大学を含め)再興に尽くしていきたいと思います。

最終的に文化の水準というのはその国の言語でどれだけ活気のある議論が成り立っているかで測られると思いますので。

災後の文明

ものすごく重く重要な(私にとって)論文を二本、何が何でも金曜日までに、、ということで昼夜を問わず死力を尽くして完成(ほぼ)に漕ぎ着けましたが、もう頭が動きません。

途上国経済よりも私が低体温になっている感じがします。

外は雪。。

中東問題解説はお休みして、見本が届いた近日発売の共著をご紹介。


御厨貴・飯尾潤(責任編集)『「災後」の文明』阪急コミュニケーションズ、2014年2月

(Kindle版も出てた)

震災後の社会と政治を、政治学・行政学・思想史の研究者が集まって何度も研究会をして、読みやすい「教科書」のようにまとめました。

復興政策を国や自治体から見るだけでなく、社会学や思想史や経済学、国際関係論から見る章もあって多面的になっています。

遠藤乾、柳川範之、梅田百合香、牧原出、堂目卓生、川出良枝、苅部直、牧原出、村井良太、佐藤卓己、武藤秀太郎、伊藤正次・・・目についたまま挙げてみても壮観です。このメンバーが同じ部屋で同じテーマを議論をしたこと自体が信じられません。

*震災後に家族とかコミュニティの絆が高まった、という話があったけれども、それはデータを厳密に見ていくとどうなのか(大竹文雄さん)

*「ソーシャル・ネットワーク元年」としての東日本大震災の後の「リアリティ」はどんなものか?(五野井郁夫さん)

*リスボン地震後の知の変容(川出良枝さん)

といった話が「災後」という枠の中でぶつかり合っています。

時間ができたら他の人の章をじっくり読んでみます。

私は「二つのツナミの間で」(276-286頁)を寄稿しています。私のはたぶん最も短くて、他の章はもっと力作です。

論文を書きすぎて頭が動かないのでそれではまた。

トルコ経済はどうなる(3)「低体温化」どうでしょう

米国でのテーパリング(超金融緩和政策の縮小)がなぜトルコ経済に影響を与えるかというと、私は専門ではないので、関わったお仕事でエコノミストの皆様に教えていただいた話を引き写します。

PHP総合研究所で「グローバル・リスク分析プロジェクト」というのがあるのですが、これに2013年版から参加させてもらっていましたが、2014年版が昨年12月後半にちょうど出たところでした。
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「PHPグローバル・リスク分析」2014年版、2013年12月

無料でPDFがダウンロードできます。

この報告書は2014年に顕在化しかねないリスクを10挙げるという趣向のもの。リスク②で「米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化」という項目を挙げてあります。

それによると、

「(前略)2014 年は米国の金融政策動向が、新興国経済の行方を左右するだろう(リスク②)。近年の新興国ブームの背景には先進国、とりわけ米国の緩和マネーの存在があったが、2013 年12 月、連邦公開市場委員会(FOMC)は、2014 年1 月からの量的緩和縮小を決断し、加えて、今後の経済状況が許せば「さらなる慎重な歩み(further measured steps)」により資産購入ペースを縮小するだろうとの見通しを示した。量的緩和策の修正は、新興国から米国にマネーを逆流させることになる可能性が高い。」【6頁】

ということです。そこで新興国が「低体温化」するわけですな。

「2014 年は、2013 年末に開始が決定された米国の量的緩和縮小の影響で、新興国の景気が冷え込む「新興国経済の低体温化」がみられる可能性が高い。」【14頁】

「低体温化」という形容がどれだけ適切かは、今後の展開によって評価されるかな。

どういうメカニズムかというと、

「とりわけ、経常収支が赤字でインフレ傾向の新興国は、経常赤字をファイナンスすることが難しくなる上、通貨下落によりインフレに拍車がかかり、緊縮政策をとらざるをえなくなる。」【6頁】

なんだそうです。

しかも、この緊縮政策が政治的理由で取れなくて、いっそう危機を引き起こす可能性があるという。

「2014 年には4 月にインドネシアで総選挙、7 月に大統領選挙、5 月までにインドで総選挙、8 月にトルコが大統領選挙と重要新興国が選挙を迎えるが、これらの国々はまさにインフレ懸念、貿易収支赤字国でもある。有力新興国のうち、ブラジルでも10 月に大統領選挙が行われる。選挙イヤーにおける政治の不安定性に米国の量的緩和政策の修正が重なると、これらの国々の経済の脆弱性は一気に高まり、しかも適切な経済政策をとることが政治的に難しいかもしれない。」【6頁】

「これらの国々の経済政策は、中央銀行によるインフレ抑制のための金融引締め(金利引上げ)と、選挙対策を意識した経済成長を志向した政策との間で立ち往生する可能性も考えられないではない。」【15頁】

トルコ中央銀行の1月28-29日にかけての大幅利上げは、こういった疑念を払拭するため、というかもはや「立ち往生」していられなくなったのですね。

そして、日本にとっては、

「対中ヘッジに不可欠のパートナーであるインド、インドネシア、ベトナム、そしてインフラ輸出や中東政策における橋頭堡の一つであるトルコといった戦略的重要性の高い新興国が、米国の緩和縮小に脆弱な国々であるという点は2014 年の日本にとって見逃せないポイントである。」【7頁】

なのです。

トルコ内政の混乱に関しては、予想通りというよりも予想をはるかに超えた大立ち回りになってしまっていますが、それについてはまた別の機会で。

ちなみにこのレポートで挙げた10のリスクは次のようなもの。

1. 新南北戦争がもたらす米国経済のジェットコースター化
2. 米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化
3. 改革志向のリコノミクスが「倍返し」する中国の社会的矛盾
4. 「手の焼ける隣人」韓国が狂わす朝鮮半島を巡る東アジア戦略バランス
5. 2015 年共同体創設目前で大国に揺さぶられツイストするASEAN 諸国
6. 中央アジア・ロシアへと延びる「不安定のベルト地帯」
7. サウジ「拒否」で加速される中東秩序の液状化
8. 過激派の聖域が増殖するアフリカ大陸「テロのラリー」
9. 米-イラン核合意で揺らぐ核不拡散体制
10. 過剰コンプライアンスが攪乱する民主国家インテリジェンス

1と2が世界経済、3,4,5が東アジア・東南アジア、6,7,8,9が中東を中心に中央アジアやアフリカに及ぶイスラーム世界。

(10はこういうリスク評価などインテリジェンス的な問題に関わっている専門家が感じる職業上の不安、でしょうか。)

なお、リスクの順位付けはしていないので、リスク①がリスク⑩よりも重大だとか可能性が高いとかいったことは意味していません。

念のため、私は執筆者の欄では50音順で筆頭になってしまっていますが、もちろん経済関係の箇所は書いていませんのでご安心ください。中東に関わる部分も、数次にわたる検討会や文案の検討に参加して議論しましたが、それほど大きな貢献をしてはいません。

所属先との関係で名前が出せない人も多いので、実際にはもっと多くの人が関わっています。

中東やイスラーム世界というと危険や動乱や不安定を伴うので、こういったリスクや将来予測についての地域・分野横断的な作業に混ぜてもらうことが多く、勉強させてもらっています。来年も呼んでくれるかな。

しかし「不安定のベルト地帯」と「秩序の液状化」を抱え、「テロのラリー」が始まっていて、それどころか「核の不拡散体制も揺らいでいる」って、中東・イスラーム世界は何なんでしょうか。そんな危険かなあ(自分でリスクを指摘しておいてなんですが)。

テーパリング自体は昨年後半ずっと「やるぞやるぞ」という話になっていたので、このリスク予測プロジェクトのかっこいいエコノミストのおじ様、お姉さまたちからさんざん聞かされており、分かったつもりになっておりましたが、実際にここまではっきり影響が出るとは、実感していませんでした。

まさに12月末というこのレポートの発表予定日あたりに、テーパリングが実施されるかされないか、という話になっており、もしレポートを発表した翌日に実施されたりすると一瞬にして古くなった感じになるのではらはらしましたが、エコノミストの方々は「予定原稿」みたいなものを事前に作っておられて、ちょうどレポート刊行直前に発表されたテーパリング翌月実施の決定に対応して、ささっと直して無事予定通りに最新の情勢を踏まえて刊行いたしました。さすが。

トルコ経済はどうなる(2)テーパリングって何だっけ

経済専門家にとっては初歩中の初歩なようだけど、ここでおさらいしておくと、トルコがその渦中にある問題は、トルコ一国の問題ではなく、米国の金融緩和縮小が途上国にどう及ぶかという問題。

昨年半ばごろから世界経済の時限爆弾というか自爆スイッチのように恐れられてきた、米国が続けてきた超金融緩和政策の見直し、いわゆる「テーパリング(tapering)」が、ブームを超えてバブルのようになっていた新興国経済にどう影響を与えるかということ。

「テーパリング」というのは、昨年から経済関係者によって急に使われるようになった言葉で、蛇口を徐々に占めて水の流れを先細りにしていくようなイメージ。平易な解説は例えばこれ

アメリカも決して金融「引き締め」に回るのではないが、「蛇口を全開にするようにしてマネーを供給してきた超金融緩和政策を、徐々に絞って先細りにしていくよ」という意味で用いられている言葉のようだ。

経済って状況変化によっていろんな言葉が発明されていきますね。

で、このテーパリングで一番打撃を受けるのが、アメリカが不況対策で盛大に提供してきた安いマネーの恩恵にあずかって経済発展してきた、近年羽振りのよかった新興国。

新興国といっても数は多く種類は様々なので、「どこの国がもっとも危ないか」が昨年後半から盛んに議論されてきた。

トルコはめでたく(?)その最有力候補に挙げられていた。

トルコ経済はどうなる(1)深夜の果断な利上げ

1月22日に「トルコはもう三丁目の夕日じゃないよ」と書いてから、トルコ経済はずいぶん動いた。

劇的だったのはトルコ中央銀行が1月28日深夜に緊急の金融政策決定会合を開いて、翌日未明にかけて、直前の予想よりもさらに大きな幅の利上げを行ったこと。

1月末に世界中の新興国に伝染した通貨危機の不安を打ち消すための果断な措置。これが効果をもたらすか、注目されている。

これは単にトルコ一国の経済に関わることではない。世界経済の変化の中で、近年にブーム的な発展を遂げてきた新興国が今後どうなるか、トルコはその試金石と言っていい。新興国相互の影響関係や、日本などに及ぼす影響も深く大きい。

基本的なところをおさえておくと、1月28日-29日のトルコ中央銀行の動きが注目を集めて、ある意味驚かれたのは、「政治的な理由で、トルコはこのような果断な金融政策を採用できないのではないか」と疑念が持たれていたからだ。エルドアン首相は政権維持のために景気の維持にこだわって利上げを渋っており、トルコの中央銀行に独立性があるかどうか疑われていた。

それにもかかわらず、トルコ中央銀行が予想を上回る幅の利上げを行ったことで、新興国に広がる通貨危機への対処能力を市場に対して示した、肯定的な動きと基本的には見るべきだろう。

ただ、それが功を奏するかはいろいろな要素が絡むので予想がつかない。

そして、「ここまでしなければならないということは、よほど危機的な状態なのか」「トルコ中央銀行は事態がコントロール不能になっていることを認めた」「ということはほかの新興国でも」といった憶測を呼んで、かえってパニックを誘発しかねない要因にもなっている。

パニックを誘発して稼ぎたい人もいっぱいいますからね。

そしてエルドアン政権はもっぱら現在の危機を投機筋の陰謀に帰している。陰謀はあるかもしれないが問題はトルコの経済に隙があること。それを中央銀行が塞ごうとしていることは確かだ。

ただそこには当然副作用があって、何よりも、これでもう急成長は見込めない。問題は崩壊するまでいくかということ。

当面は劇的な変化は起っていないようだが、危機を回避したとは到底言えない。トルコの経済発展を支えた欧米や中国などの状況は様変わりしている。トルコ内政やシリア問題・イラン問題など外交も思うようにいっておらず、トルコの「勢力範囲」「経済的後背地」である中東が不安定性を増している。

しかし何よりもトルコそのものの経済的な基礎の脆弱さが、他の新興国と同様に、あぶりだされている。

前のめりの成長と、繁栄を先取りするような生活を享受してきた近年のトルコだが、苦しい段階に来ている。

中東の中で唯一、東アジアの経済発展と若干似たタイプの発展経路をたどってきたトルコは、実は日本や韓国などが抱える問題もかなり共有している。

そんなところも含めてトルコの経済・社会にはこのブログでも注目していこうと思う。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?

出ました。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁
外交Vol 23

「2020年東京オリンピックに向けて」ということで、「2020年に日本は世界はどうなっているか~」的なおざなりな(失礼)企画がメディアの各所で一巡したように思う。

そんな中で、「2020年の中東と国際秩序」というようなざっくりとしたイメージでの依頼を受けて、それに対して表面的には全く異なるテーマで寄稿したもの。

最近よく議論している、米国の覇権の希薄化による中東秩序の流動化・・・といった話を期待されたのかもしれないけれど、同じ話を何度もやって稼ぐのは私の流儀ではない。

むしろ、グローバルなイスラーム主義勢力の側は、2020年における世界をどのように構想しているのか。これについて、世界の中東専門家の間では話題になっている話を、ぜひ今一度考えてみるべき素材として、紹介した。

元ネタは2005年にヨルダンのジャーナリストで、アル=カーイダに関わったテロリストたちと一緒に政治犯の刑務所に入っていたフアード・フセインという人による調査報道。

『クドゥスル・アラビー』というロンドンのアラビア語紙に長々と連載されたこの分析記事によれば、2005年ごろまでに、ビン・ラーディンより若い「第2世代アル=カーイダ」が現れており、その代表格が、イラクで宗派紛争に火をつけることに「成功」したザルカーウィー。

彼らが思い描く、2020年に実現したい、実現するであろう世界とはどのようなものか。フアード・フセインはこれを詳細に紹介してくれている。

それによれば、2000年から2020年までの間に、グローバルなジハード運動は7つの段階を経て発展すると構想されているという。そして、第4段階の2010年から2013年にかけて、ジハード運動は「復活と権力奪取と変革」の時期に入る、と2005年の時点で予見されていた。

なんと、アル=カーイダの第2世代たちは、2010年から2013年にかけて、次々とアラブ諸国の政権が崩壊する、と見通していたというのである。「諸政権は、正当性と存在意義を徐々に失っていく」。

これは「ノストラダムスの大予言」のような、後になってから「実はこの部分がこれを意味していた」的なことをほじくる話ではなくて、実際に2005年に、世界中で読まれているアラビア語紙に大々的に連載されていて、「アラブの春」以前にも言及・論評・分析の対象になっていた記事の中に書いてあったことであり、私は単に紹介しているだけである。

(なおアラビア語が読めて根気が良ければ、元の記事をインターネット上で無料でダウンロードして読むことも可能です)

それでは2014年以降、2020年までの間に何が起こると、アル=カーイダの若手世代は考えていたのか・・・・

続きはコチラにて。

アマゾンで売り切れていればこちらへ。

ちょっといい話

吉田類の酒場放浪記。オープニングのあの曲、Egyptian Fantasyというんですね。

ニューオーリンズに学会に行った際に、入った店でバンドが弾いていたので検索してみると・・・

ものすごく有名な曲なんでしょうが、名前を知りませんでした。

これからはあの番組を見るのも仕事の一部ということで。

週刊文春中吊り広告によると吉田類「下戸疑惑」らしいですが、ファンタジーなんだからいいじゃないですか。

今日は仕事できませんでした。

disappointedの用法

昨年暮れの安倍首相の靖国神社参拝について、まず在日米大使館が、そして米国務省が「失望した(disappointed)」と声明を出したことはずいぶん議論の的となった。

日米関係の中では異例の表現だったので、この「失望」がどの程度の「失望」か、米国が同盟国に対して発する表現として、どのような意味を持つのか、注目された。

中東問題を観測している私にとっては、「よく聞いたことがあるな」という表現である。

イスラエルの入植地拡大に関して米政権が用いてきたのが、この「disappointed」という表現である。

簡単に検索してみると(disclaimer: 包括的なちゃんとした外交史の研究の結果ではありません!)、オバマ政権の国務省報道官の声明に限ると、次のようなものがある。

2010年9月27日 国務省クローリー(Philip Crowley)報道官が、当時米の仲介によって再開されていたイスラエル・パレスチナ和平交渉の中で、パレスチナ側が交渉の前提条件としていた「ヨルダン川西岸と東エルサレムへの入植地拡大の凍結」を、交渉再開前に設定していた期限を超えてネタニヤフ政権が延長しなかったことについて、「失望した(We were disappointed)」と声明。

2010年10月15日 国務省クローリー報道官が、エルサレム北方のヨルダン川西岸内の二つの入植地(RamotとPisgat Zeev)内での240戸の住宅建設をイスラエル政府が承認したことに対して、「失望した(We were disappointed)」と声明。

ここまでは、2010年夏にワシントンDCにイスラエル・パレスチナ両首脳と、エジプト(ムバーラク大統領!)とヨルダンの両首脳を呼んで再開した中東和平交渉を頓挫させかねない動きとして、イスラエルの行動を批判したという文脈。

2011年9月27日 国務省ヌーランド(Victoria Nuland)報道官が、イスラエル政府がこの日にヨルダン川西岸の入植地内に1100戸の住宅建設を承認したことについて、「深く失望した(We are deeply disappointed)」と声明。「deeply」が加わっている。

“We consider this counterproductive to our efforts to resume direct negotiations between the parties and we have long urged both parties to avoid actions which could undermine trust, including in Jerusalem, and will continue to work with parties to try to resume direct negotiations.”

文脈としては、これに先立つ2011年9月23日に、パレスチナ自治政府のアッバース大統領が国連加盟を申請しており、それに対する報復として、ネタニヤフ政権が大量の新規住宅建設の申請を認めたという経緯がある。

2012年12月18日 国務省ヌーランド報道官が、イスラエル政府による入植地拡大計画の発表に対して、米国は「イスラエルがこのパターンの挑発的行動に固執していることに深く失望している(deeply disappointed that Israel insists on continuing this pattern of provocative action)」とさらに強い表現で批判した。

これに先立つ2012年11月30日、国連総会でパレスチナのオブザーバー国家としての加盟を認める決議が圧倒的多数で採択された。これに対してネタニヤフ政権は、ヨルダン川西岸に大幅に食い込み、パレスチナ国家独立の際には主要な都市となるラーマッラーとベツレヘム間の交通を阻害するE1回廊への大規模な入植地拡大計画を発表した。E1回廊での入植地建設拡大は、独立したとしてもパレスチナ国家の地理的な一体性の維持が著しく困難になるものとして特にセンシティブな問題だった。ここにネタニヤフ政権が手を付けたことで、米国として最大限の不満を表明したものと見える。

ほんの数秒間だけの検索ですが、古いものではこんなものが出てきます。

1977年7月26日 米カーター政権のサイラス・ヴァンス国務長官が、記者団に対して次のように語った。

「We are deeply disappointed, we have consistently stated and reiterated during the Prime Minister’s visit here that such settlements are contrary to international law and are an obstacle to the peace making process.」

ちょっと意訳しますが、「イスラエルの入植地建設は国際法に反する、和平プロセス構築の障害となると、米政府はずっと言ってきたし、先ほどワシントンを訪問したベギン首相にもあれほど言ったのに、なおも入植地建設を承認したので、深く失望している」といった内容。

(なお、この年の11月20日、エジプトのサダト大統領がエルサレムを電撃訪問し、クネセット(イスラエル国会)で演説。翌年のキャンプデービッド合意、翌々年のイスラエル・エジプト和平条約につながります。結果的に米民主党政権と折り合いの悪かったイスラエルの右派政権がはじめてのアラブ・イスラエル国家間和平に踏み切ったことになります)

包括的に調べたわけではないので、次のようには即断しないでください。

「米民主党政権が、同盟国の右派政権が意に沿わない行動に出た時に用いる最大限度の表現:必ずしも具体的な制裁・対抗措置を取るとは限らない」

共和党政権下ではどう言ってきたのか、このような声明の裏で実際にはどのような措置が取られ、イスラエルにどの程度の不利益が及んだか、長期的な国際世論にはどう影響したかなど、よく考えないといけません。

日本とイスラエルでは、周辺地域の環境や、米国世論と国際社会への発信力、戦後の国際秩序内での正統性(ホロコーストから生還したユダヤ人の国家建設としてのイスラエル建国という大義名分は、アラブ世界やイスラーム世界が強く反対しても、先進国・主要国においてはオールマイティーといっていい力を持っています)が異なります。また、米国への依存度も異なりますので、意味合いも、このような声明をもたらしたことの帰結も異なります。

Al Monitorで読む中東

中東情勢について、ニュースとその「読み方」を知るのに便利なのが、『Al-Monitor』

タイムリーに中東の新聞の論説の翻訳や、代表的な知識人や専門家のオリジナル原稿が載る。

現地のメディアと欧米メディアとの中間ぐらいの線を行っている。

例えばエジプトの最新情勢と、チュニジアとの比較論

このブログの過去のエントリ【これとかこれ】を読んでいた人にとっては、そんなに目新しくはないかもしれないが、これ以外にもイランやシリアやレバノンやトルコなどについて常時報道や論調を的確に紹介してくれているので、情勢の雰囲気や、議論の構図が手早く分かって、非常に便利。

どちらかというとリベラル寄り、だか、すごくイスラエルに批判的ではない。

サウジについてはかなり批判的な論調が多い。マダーウィー・ラシード(Madawi al-Rasheed)というロンドン大学のサウジ政治・政治人類学の有名な先生がしょっちゅう書いている。名前を見ればわかるが、サウド家に滅ぼされたハーイルという首長国を支配していたラシード家の末裔の人なので、「恨み骨髄」というか、サウジアラビアの現体制について良いことを書くことはない。

批判としてはいつも鋭い。ただし彼女の「見通し」となるとあんまり当たらない。いつも今にもサウド王家支配が崩れそうなことを書いているから。

今回の論説「サウジの新しい書き手たちはイスラーム的な解放の神学を提示する」は、サウジの社会の側の変化を取り上げることで、間接的にはサウジアラビア社会の厚みと内側からの変化の可能性を書いているという意味で(つまり単に王家の支配が民衆の支持を失って崩壊するという単線的な変化を近い将来に想定していない)、普段よりマイルドな印象。

米国の中東政策がうまくいかない⇒中東のことを本当には良く分かっていないからだ⇒現地メディアの報道や論調をリアルタイムに反映してくれるメディアが欲しい⇒お金出してくれる財団や個人が出てくる、というメカニズムが働く米国がうらやましいです。

中東について毎日アップデートが欲しい人はぜひこのAl Monitorをチェックしてみてください。

遅れに遅れていた論文がぎりぎり大詰めなので、今日はこれまで。

超大国の店じまい? オバマ大統領の一般教書演説2014

今年のオバマ大統領の一般教書演説(1月28日)、録画しておいて見ました。

全文ももう出ている。

一般教書演説は、アメリカらしく空元気かと疑うほどに大統領の口調も会場の反応もハイなことが多いのだが、今回はこれまでになく淋しい心象風景が伝わってきた。黄昏の超大国。

予想通り、ひたすら内政問題に終始した。

外交は最後の方にちょっとだけおざなりに。アジア・太平洋地域については特に少なく、具体的なことは何もなし。アジアへの「ピボット」「リバランス」という話はもうどこか遠くに忘れ去られている。

外交については中東・南アジア、対テロリズム関係が大部分だが、いずれもブッシュ政権時代に始まったことを「どう終わらせたか、終わらせつつあるか」という話。

オバマ政権の6年目に入って、外交面では「覇権」の負担の縮小を図り、負の遺産を整理していく「コストカッター」型の、オバマ政権の性質が明らかになってきている。

昨年は「損切り」を派手にやりましたからね。

アフガニスタン撤退後の治安悪化は確実視されるが、とにかく撤退を決定。

さらに、シリア問題では、「オバマ・ショック」の急展開。すっかり足元を見られました。
間髪入れずイランへ怒涛の歩み寄り。
エジプトではクーデタを非難したあげく、打つ手なくまた歩み寄る。もう抑えが利きません。

エジプト、サウジ、イスラエル、トルコなど同盟国は一斉に自活の道へ。命かかっていますから。

今年の一般教書の「1行」を選ぶなら、これ。

I will not send our troops into harm’s way unless it is truly necessary, nor will I allow our sons and daughters to be mired in open-ended conflicts.

「本当に必要でない限り、われわれの部隊を危険な場所に送りません。われわれの息子や娘たちを、果てしない紛争の泥沼へと送ることはしません。」

こう明言している以上、ペルシア湾岸の第5艦隊は水上に浮かぶ張子の虎、と受け止められるだろう。

演説の締めくくりに、非常に長い時間をかけて、議場に招かれた一人の傷痍軍人を紹介した。重い障害を負った、元陸軍特殊部隊のCory Remsburgさん。彼との出会い、アフガニスタンでの路上の爆弾による負傷の経緯。意識不明となり長期間死線をさまよい、奇跡的に蘇生しつらいリハビリの過程にある。

オバマはCoryさんの言葉を引くが、これはアメリカ社会の現在の心境を表現しているのだろう。

“My recovery has not been easy,” he says. “Nothing in life that’s worth anything is easy.”

また、

Our freedom, our democracy, has never been easy. Sometimes we stumble; we make mistakes; we get frustrated or discouraged.

という。

「超大国であることはたやすいことではないよ」と実感したアメリカ。重い負の遺産を背負い、傷の治癒に専念するアメリカは、当分の間、中東に強い影響力を行使することはできないだろう。そうなると、地域大国と域外大国の思惑が入り乱れる、予測しにくい時代が続きそうだ。

レクサスと日本外交

苦し紛れに即興的に作った造語「LEXUS-A」が、一人歩き、とまではいかないが、おそるおそるお散歩中、ぐらいか。

1月26日の『東京新聞』で、木村太郎さんが連載「太郎の国際通信」に寄稿した「元米同盟国連盟が拡大中」というコラムで引用してくださいました。冒頭の部分をご紹介します。

「LEXUS-A(レクサスーA)という言葉に出合った。といってもトヨタ製の乗用車のことではない。League of EX US Alliesの頭文字をとったもので「元米同盟国連盟」とでも訳すか。池内恵東大准教授の造語で、英国の国際問題誌モノクルの記事の中で紹介されていた。この「連盟」に属するのはサウジアラビア、イスラエル、トルコなどで、米国が中東政策を転換してシリアのアサド政権を延命させ、イランとの核交渉で妥協したことで外交的に「はしごを外された」面々だ。」

『モノクル』(Monocle)というのはイギリスの雑誌で、最先端のデザインやライフスタイルやファッションと、グローバルな政治経済情報が心地よく混在した、日本にはない形態。

なぜだか知らないが原稿やコメントの依頼が来た。調べてみると表参道にショップを構えていて、特派員までおいている。かなり頻繁に日本の最先端科学技術や、食文化、伝統工芸などを取り上げている。

この雑誌に寄稿した文章(Satoshi Ikeuchi, “Bloc Building,” Monocle, Issue 69, Vol.7, December2013/January2014, p.124)の末尾の部分、

But why not strengthen ties with other abandoned or burned ex-US allies, such as Saudi Arabia, Israel and Turkey? Someone might want to come up with a name for this new bloc. I have a suggestion: the League of ex-U.S. Allies, or LEXUS-A.

というところが該当箇所です。

ま、軽い冗談ですよ。でもちょっとは日本でそういう風に考え始めているんじゃないかな、アメリカさん。

流麗な英語になっていますが、私一人ではこんなに上手に書けません。内容は完全に私が考えたものですが、英語表現・文体はかなり編集側に手を入れてもらっています。忙しくてまったく時間が取れなくて辛うじて夜中に数時間の時間を作って、眠いところを必死に書いて送ったところ、オックスフォード出の切れのいい女性の日本特派員が、”You’ve done a great job.”とか言いながら手際よくピーッと全部上書きして直してくれました。

「お前は良い仕事をしたよ」と言われて、「上手に書けてたんだ」とは思わない方がいいようですね。特にイギリスの英語。

よっぽど無骨な英語だったんだろうなあ。

英語の婉曲表現が実際には何を意味するか、それを知らない人はどう誤解するかを面白おかしく対照表にしたものがインターネットに出回っていた。

探してみると・・・

“Translation table explaining the truth behind British politeness becomes internet hit,” The Telegraph, 02 Sep 2013.

例えば

Very interesting とイギリス英語で言うと、実際には That is clearly nonsense を意味していて、しかし聞いた方は They are impressed だと思って満足してしまう、とな。幸せでいいじゃないですか。

With the greatest respect…なんて丁寧に言われていると実際には You are an idiot と言われているんだと言われても、分かりかねます。

Quite good は本当は A bit disappointing なんだそうです。これはよく言われてきた気がする・・・

I only have a few minor comments は、実際には Please rewrite completely と言われているんだそうです。うひゃー。

それはともかく、Lexus-Aを最初に引用してくれたのは、日経新聞特別編集委員の伊奈久喜さんの「倍返しできぬ甘ちゃん米大統領(風見鶏)」『日本経済新聞』2013年12月22日

「中東専門家の池内恵東大准教授が「Lexus-A」という新語を造った。レクサスAと発音する。新車の話ではない。「League of Ex US Allies(元米国同盟国連盟)」の略語だ。サウジアラビア、トルコ、イスラエル、日本、さらに英国がメンバーらしい。」

もちろん問題となっている対象は私が見つけ出したことではない。ユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏が2013年にJIBs(Japan, Israel, Britain)を、米国の後退によって困った立場に立たされる同盟国としてひとくくりにした。さらに今年は年頭の「世界の10大リスク」の筆頭に「困らされた米同盟国」の問題を挙げている。

しかしむやみに悲観的になることもない。米国の同盟国は、たいていは技術があったりお金があったり生活水準が高かったりするのだから、米国抜きで(元)米同盟国連盟を組んで豊かに暮らせばいいんじゃないの?という意味を込めて作ってみました。こちらの方が明るくていいと思います。

「【日米中混沌 安倍外交が挑む】同盟国との関係を悪化させたオバマ外交と安倍首相の地球儀外交」でも引用されているようです。

エジプトは「ちょっといい加減なファシズム」に邁進中

チュニジアで憲法が成立して湧き立っているのに対して、同日同刻、エジプトは軍人大統領推戴に向けてまっしぐら

予想されていた通り、1月26日のマンスール暫定大統領のテレビ演説では、移行期の工程表を変更して、議会選挙ではなく大統領選挙を先に実施すると発表。これで、軍人出身者が出馬し、対抗馬を実質上許さずに、少しでも反対を唱える人たちはデモ禁止法や法廷侮辱罪で投獄して当選し、大統領は議会の制約なく独裁権限を振って威圧した上で、不正選挙で形だけの議会を選出する、という方向性が定まりました。

30-90日以内に大統領選挙を実施する、というので、後はタイミングを見計らってのスィースィー国防相推戴が予想されます。

27日にマンスール暫定大統領は、スィースィー国防相を元帥に昇格させた。前任の、ムスリム同胞団のムルスィー大統領が准将から大将に一気に昇格させたスィースィーですが、今度は元帥になってしまいました。

(ただし、ムバーラクやその前のサーダート、ナーセルなど、歴代の軍人出身の大統領は元帥ではなかった

同時に軍最高評議会(SCAF)が会合を開き、スィースィー国防相の大統領選挙への立候補を認める

SCAFはスィースィーの国防相辞任、後任に参謀総長を昇格、といった人事も決めたそうなので、これで決定でしょう。

正確には、軍最高評議会は「スィースィー国防相に立候補の判断を委ねた」とのこと。「非常時だから」といって軍籍を離脱せずに立候補する可能性もある。

ムバーラク時代に最高憲法裁判所判事に抜擢した女性判事(オバマがムスリム同胞団に資金援助している、といった陰謀論で有名)は憲法上スィースィーは軍籍離脱する必要がない、と主張している。

軍のクーデタを支持したサウジアラビアの資本の衛星放送局アラビーヤは、かつてハンサムな軍報道官アリー氏にインタビューしていた。内容はなんだか現在の展開と違っているようだ。スィースィー将軍は統治よりも国防を大事にしている、軍は前回の選挙でも軍人出身候補を支持しなかった、だから今回もしない、といったことを言っている。このインタビューに基づいた新聞記事が、SNS上で矛盾を指摘されると、消えてしまった。「立候補しない」と言っていたじゃないか、という批判を封じたいようだ。

国営『アハラーム』紙によれば、スィースィー立候補要請の署名が25万人分集まったという。その他いろんな小規模の翼賛デモが報じられています。

エジプトの国営・民間メディアからは怒涛のようにスィースィー礼賛の記事が発信されていて、フェイスブックやツイッターの画面がパンクしそうです。

2011年の教訓から、ソーシャル・メディア上を一方的な情報で埋め尽くして印象操作するという手法がエジプトでは確立されています。クーデタも軍政もフェイスブックで発表される時代になりました。

SCAFの会合が終わって、スィースィー国防相が大統領宮殿に向かっているということなので、数時間以内に大統領選挙出馬表明が行われるのではないか

エジプトは「ちょっといい加減な、人間的な、効率性に劣るファシズム」に向かっているようです。詳しくは、池内恵「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁を読んでみてください。写真もふんだんに入っています。

刻々と展開がネット上で実況中継されているところですが、結果はほぼ分かっていることだし、明日早いので、おやすみなさい。(2014年1月28日午前1時現在 日本時間)

答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由

中東・イスラーム学のブログを始めてみて10日ぐらいしかたっていないけど、ほかの同様のブログでは何を言っているのかが気になってきた。

まずチェックしたいのは、ファン・コール先生(ミシガン大学教授)のブログ「Informed Comment」

英語圏の中東情勢ブログの最高峰。誰も追随できない。エントリ数がすごく多い。重要なニュースへのリンクが早い。コール先生のお友達の優秀な学者のコメンタリーや論文なども即座にリンクされる。ウェブ上の中東情報のうち、それなりに重要なもの、面白そうなもの、話題になっているものを選り分けてくれるClearinghouseの地位を確立している。米国の政治ブログの最優秀賞のようなものをもらっていたこともある。

もし本気で中東について毎日追いかける気がある読者は、私のブログより先にコール先生のブログを見てほしい。

そしたら、、、

1月25日の記事に、
Why Tunisia’s Transition to Democracy is Succeeding while Egypt Falters, By Juan Cole, Jan. 25, 2014
「なぜチュニジアの民主主義への移行は成功しつつあり、エジプトは躓いているか」

(!)

私の方でも1月25日に、
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」
という記事を載せているので、キャー、あんまり違っていたらどうしよう、でも全く同じだったら真似したと思われる。

と思ってドキドキしながら比較してみました。(なお、時差があるので、日付は同じでも私の方が半日早くアップしています。念のため)

コール先生の方は、チュニジアでうまくいっている理由(エジプトでうまくいっていない理由)について5点にまとめている。要点は、

(1)チュニジアでは軍が中立を保った(エジプトでは繰り返し介入して不安定化の要因となった)
(2)チュニジアではイスラーム主義派が自制して、立憲プロセスでイスラーム法条項に固執しなかった。野党政治家の暗殺事件に対する辞任要求を呑んで内閣総辞職を約束した。
(3)チュニジアでは労働組合の全国組織(UGTT)が自立的でかつ強力だったため仲介役を果たせた(エジプトの労働組合は自立的でも協力でもない)
(4)チュニジアの世俗主義派は宗教政党ナハダ党の排除を要求しなかった(エジプトではムスリム同胞団の全面排除を図って、持続的な抗議行動を招いている)
(5)チュニジアの経済は若干ながら改善している(エジプトではムスリム同胞団期と軍政期を通じて経済停滞)

それに対して私の方も、偶然にも5点の箇条書きで(私は普段あまり箇条書きはしないで文章にする癖がありますが)、チュニジアでうまくいった理由をまとめていました。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

としてありました。

私の方では「司法」という要因を入れているのに対して、コール先生は経済要因を入れている、というぐらいが違いでしょうか。

経済については、どれだけ実態が数字に反映されているのか、それが政治にどう影響するのか、正直に言って、私にはよく分かりません。

むしろエジプトの場合に、司法が危ない要因だなあ、と以前から思っていたのが(池内恵「エジプト民主化の混乱要因は「司法の独立」」『フォーサイト』2012年6月14日)、昨年7月のクーデタ以来暴走を極めているので、失敗要因として入れねばと思いました。チュニジアでは民意を受けた立憲議会が憲法を自ら作り出していくことを司法が妨害していない。エジプトでは、「前の憲法に照らして、新しい憲法は違憲」と言い出しかねないほど、司法が邪魔をしました。比例代表制は違憲、という無茶な判決で議会を解散させたのが大きかった(池内恵「司法判断により議会は解散、大統領選挙は実行」『フォーサイト』2012年6月15日)。

どちらが正しい、というわけでもないでしょうし、どちらもすごく短い時間で、その日思ったことを書いているだけだと思います。

ほぼ同日同刻に、米国と日本で、中東研究者が同じことについて考えてブログに書いていたと思うと、心が温まります。

まあこの話題、「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」で書いておいたように、現在の重要な論点なので、どこの国でも専門家の頭にはよぎっていたはずですけれども。

チュニジアで新憲法制定 組閣も

1月26日深夜、チュニジアの立憲議会が新憲法案を可決。信任投票の必要はなく、そのまま制定へ。

149か条からなる新憲法

ジュムア新首相も組閣名簿をマルズーキー大統領に提出。こちらは議会で承認されるかどうかまだ分からない。内務大臣の再任をめぐって、世俗派がイスラーム主義派を突き上げるという構図。

チュニジアの立憲プロセスの重要性については集中的に書いてきたので、改めて列挙します。

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」(1月26日)

「チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議」(1月25日)

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖

エジプトがまた一歩、局地的・低強度ながら「内戦」に近づいている。

その画期と言えるのが、1月25日のシナイ半島北部シャイフ・ズワイドでの軍ヘリコプター撃墜だ。当初はエジプト政府当局は機器の故障が原因としていたが、実際には撃墜されたことが明らかになった。

1月24日のカイロ警察本部はじめとした4ヵ所の爆破テロで犯行声明を出したアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの守護者)が、軍ヘリ撃墜についても26日に犯行声明を出した【声明ビデオ】【ユーチューブの犯行声明ビデオは日本時間27日夜の9時の時点で16万ビューを超えている】

翌26日にもシナイ半島で軍兵士を乗せたバスを襲撃して3名を殺害している。

私にとっての「まだ見ぬエジプト」が急速に姿を現している。

私にとってのエジプトは、1990年代から2000年代の、イデオロギー的分極化や経済格差や根深い社会問題が、とてつもない規模で存在しながら、なぜかそれが国民社会の分裂や秩序の崩壊には至らない、けだるい共同幻想の中に微睡んだ、腹立たしいほど停滞した、だけど安全な国。

あのかつてのエジプトは、もう戻ってこないのか。

少なくとも、すでにエジプトは政府に対するinsurgency(武装・組織的反乱)が恒常的に行われている国、という点に異論はないだろう。つまりイラク戦争後のイラクや、アサド政権下で内戦に陥ったシリアと、程度と規模は異なれど、同類ということになる。

このことを軍と軍支持層は現在、必死に否定しようとしている。軍礼賛のフェイスブックページには、1995年の米オクラホマシティ連邦政府ビルの爆破事件の写真を掲げて、このような事件があったからといって米政権が崩壊したわけでもなく、内戦になったわけでもない。エジプトも大丈夫だ、という元気づけているのか何なのかよくわからないエントリが載っていたりする。

アメリカで少数の狂信者が単発の事件を起こした事例と、より社会に根深く定着し、歴史の長いジハード主義運動を混同するのは、自己欺瞞というべきだろう。

アンサール・バイト・マクディスの犯行声明で衝撃的なのは「ミサイルを使用した」と主張していること。軍側もミサイルの使用を認めている

地対空ミサイル(Surface to Air Missiles: SAMs)を反政府勢力が大量に入手し、使いこなしているのであれば、エジプトの治安情勢は異なる次元に入る。

『Mada Masr』紙はこう記す。

According to David Barnett, research associate at the Foundation for Defense of Democracies, the use of SAMs in this attack is of key significance, due to the important role helicopters have been playing in military operations in Sinai.

“Before yesterday there had been no credible reports that Sinai jihadis had yet used a SAM in their attacks in North Sinai… If Ansar Beit al-Maqdes continues to use SAMs, the heavy reliance on helicopters in Egyptian operations in North Sinai could become unsustainable,” he said.

地対空ミサイルを配備した勢力に対しては、軍の作戦は自由に展開できなくなる。鎮圧にはより大規模な砲撃を行う必要が出てきて、民間人の死傷者も格段に増加する。反乱勢力側は潜在的には民間航空機を打ち落とすこともできることになり、カントリー・リスクがさらに高まる。

リビアのカダフィ政権が崩壊し、その武器庫が略奪にあって、中東から北アフリカ・サヘル・サハラ地域に武器と武装民兵が拡散した。ここでとくに警戒されたのが、地対空ミサイルの拡散である。これについて、次のように分析したことがある。

「リビアのように、軍の一体性が崩壊し、反カダフィで蜂起した諸部隊が地域ごと、派閥ごとに群雄割拠して一部で新生リビア国軍との衝突が生じている現状では、まずは軍の再統一を支援する必要がある。それよりも前の喫緊の課題は、内戦中に行方の分からなくなった1万発に及ぶミサイルの追跡だ。特に携帯式の地対空ミサイルが各国のテロリストに拡散すると、民間航空機の安全が脅かされる重大な危機をもたらす」(池内恵「米国務省「政軍関係次官補」のリビア、エジプト、サウジ訪問」『フォーサイト』2011年12月13日)

当時盛んに心配されたものだが、ついにエジプトでも地対空ミサイルが使用されてしまった。

現在はまだシナイ半島で使われているだけだが、これがスエズ運河を超えて「本土」でも使用されるようになると、これは完全に内戦だろう。カイロやデルタ地帯の人口密集地での一連の大規模な爆破テロを見ると、地対空ミサイルが本土で使用されるのも時間の問題に感じられる。

本土でも地対空ミサイルが使用されるようになれば、エジプトの治安状況は、1973年の10月戦争以降には経験したことがなかった水準の危険度となる。しかも、危険は敵国イスラエル空軍機の来襲によるものではなく、エジプト軍が人口密集地で、武装集団相手に自国民を巻き添えにしながら戦闘を繰り広げることに由来する、という前代未聞の事態になる。

そうなってもなんら不思議ではない。昨年7月3日のクーデタ以来の軍による反体制デモ弾圧の規模は、殺害した数からいえば、2011年のリビア・カダフィ政権や、同年のシリア・アサド政権の弾圧の水準に達している。両国はその後内戦に陥った。

「エジプトではそんなことは起らない」という通念が、エジプト専門家や、外務省などの担当者、駐在したことのある記者などの間にはある。それはかつてのエジプト社会に広まっていた通念に依拠している。

しかし客観的にみて、昨年7月以降の状況は、1990年代とは異なっている。政府の弾圧の規模と強度も、反政府派が入手しているとみられる兵器の規模も格段に異なる。

また、エジプト人の抱いている主観的な認識も、過去3年で大きく変わったのではないか。

このまま軍・警察がムスリム同胞団やその他の野党勢力を弾圧・排除しながら武装反乱集団と対決していくのであれば、警察・治安機構が散発する小規模のテロを抑え込んだ「1990年代のエジプト」ではなく、軍が反政府武装組織と長期間にわたり血塗られた内戦を繰り広げて、社会・経済の停滞と民心の荒廃の果てに、その特権を守り抜いた「1990年代のアルジェリア」型の展開になりうる。あるいはパキスタンのように、軍政とイスラーム主義武装勢力が恒常的に紛争を繰り広げながら共存していくのかもしれない。

もちろん、「そんな危ないところには誰も行かない」というタイプの国になってしまう。アルジェリアと違って大規模な天然資源のないエジプトには、そのような選択肢はないはずだが。

なんとか踏みとどまってくれればいいのだが。しかし7月3日のクーデタは、過去にエジプトが「踏みとどまって」きたことの根底にあった、社会の一体性の紐帯を破壊してしまった気がする。

革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに

チュニジアの立憲プロセスに関して補足。

そもそも、「革命」の成果の確定としての「憲法制定」の重要性、というものが日本ではきちんと理解されていないのかもしれない。だからチュニジアでの成果について、日本と欧米とでここまで報道が異なるのかもしれない。

「革命」の最重要部分としての立憲政治については、ウェブ上で論説を書いたことがある。

池内恵「「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る」『シノドス』2013年12月9日
その一部分を引用しておく。

(前略)
ハンナ・アレントは、世界史上に数多く起きてきた「革命」の多くは実は「反乱」に過ぎず、それが「自由の創設」をもたらすという「奇蹟」を伴わない限り、多くは混乱と分裂のもとで再び独裁の軛に繋がれる結果に終わったと指摘する。しかし往々にして人々の関心は「反乱」の劇的な側面に向けられ、「自由の創設」の地味な側面への関心は高まらない。

「歴史家は、反乱と解放という激烈な第一段階、つまり暴政にたいする蜂起に重点を置き、それよりも静かな革命と構成の第二段階を軽視する傾向がある」(ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、223頁)

静かな革命における「構成」とはすなわち憲法制定(コンスティチューション)である。アレントによれば「根本的な誤解は、解放(リベレイション)と自由(フリーダム)のちがいを区別していないという点にある。反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無益なものはないのである」(アレント『革命について』224頁)。

アラブ世界の社会・政治変動に関するわれわれの関心も、ともすれば「反乱」の局面にのみ向けられてはいなかったか。デモよりも内戦よりも、自由の構成=憲法制定という地道で労の多い過程こそが、革命のもっとも重大な局面であるとすれば、「アラブの春」を経たチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、この段階での困難に直面しているといえる。それは成功を約束されたものではないが、失敗を運命づけられてもいないし、まだ終了してしまったわけでもない。

(以下はシノドスで)


ハンナ・アレント『革命について』 (ちくま学芸文庫)