【寄稿】本日のオバマの対イスラーム国でのシリア空爆許可演説について『フォーサイト』に事前に書いてあります

日本時間今朝10時(米東部時間9月10日夜9時)から、オバマ大統領が対イスラーム国の戦略、特にシリアへ空爆の範囲を広げる件で、注目度の高い演説を行った。【一部分の映像

オバマ910演説

事前に内容は予想できていたので、今日未明のうちに『フォーサイト』に論評を出してあった。

池内恵「オバマのシリア介入演説は米国と世界をどこに導くのか」『フォーサイト』2014年9月11日

実際の演説はやはり予想通り。一方ではレトリックでもはや「ブッシュか?」とすら思われるような表現を多用しつつ、もちろん地上軍派遣は否定し、シリアでやることは、イエメンやソマリアでやってきたことと同じ、といった説明をした。世論一般の「超大国なんだから何でも解決できるだろう」という素朴な自負心に応えつつ、保守派の切歯扼腕をなだめつつその過剰な期待を冷まし、「オバマよ、お前も戦争大統領だったのか」と逆恨みをすでに買っているリベラル派の反発を避ける方向性。

“We will hunt down terrorists who threaten our country, wherever they are”
“This is a core principle of my presidency: If you threaten America, you will find no safe haven.”

だそうです。

「どこにいても捕まえるぞ」
「アメリカを脅かす者に聖域はない」

ですね。

しかしまあ、副大統領のバイデンさんは確か先日、地獄の門まで追いかける、といったらしいし、そっちの方が「ブッシュ的」で、オバマさんはやはり上品というべきか。不良の喧嘩みたいな役割を演じる大統領ポストの一つの側面には向いてないよね。

幅広い同盟を組んで、現地の同盟者にやってもらうよ、という方面は、例えば

“This is not our fight alone”

“American power can make a decisive difference, but we cannot do for Iraqis what they must do for themselves, nor can we take the place of Arab partners in securing their region.”

目的も手段も明確で、出口戦略心配ありませんよ、は例えば下記のように。
“Our objective is clear: We will degrade and ultimately destroy ISIL through a comprehensive and sustained air strikes strategy.”

メディアに煽られて国民が、「地上戦やらないなら空爆大賛成」になってしまい(ワシントン・ポスト紙の世論調査では7割以上がイラク空爆支持、6割5分がシリアへの空爆拡大も支持)、「弱腰」「戦略ない(と自分で口滑らしたせいもあるが)」と批判されて、7日のNBCのプライム・タイムのインタビュー番組Meet the Pressで今日の演説予告をしてしまい、大々的な開戦演説みたいのをせざるを得なくなっていたオバマ大統領。まあもともとメディアを使って風を起こして大統領になった人だから仕方がないともいえるが。

直前に演説の内容をほとんどメディアに配ってしまったりして、「大演説」「大戦略」への期待値を下げるメディアコントロールをしたようだ。

どうしようもない状況に手をこまねいていると「戦略ない」「立場分かってんのか」と罵られるが、やると言えば「もっとやれ」と右派に煽られ、しかし「出口戦略はあるのか」と問い詰められでも現地に頼れる同盟者がいないじゃないか実際の現地の同盟者はイランになってしまっているけどそのことは今は言っちゃまずいよねうふふとか書かれても、みんな本当だってことはオバマ大統領はもちろんわかっているだろうけど、黙って耐えるしかない。アメリカ大統領もつらいよのう。

『フォーサイト』の連載では、雑誌のタイトルも意識して、重要なことについて事前に書いて、逆にあまりフォローアップはしない。起こった後にはいくらでも報道されるからね・・・と思ったら日本語ではあまり報じられなかったりする。事前の解説も事後のまとめもやれ、などという読者がいたとしても、購読料(とそれに基づく原稿料)を考えたら、絶対無理と分かってくださいませ。ボランティアでやっているようなものですから。

しかしこのブログでは時間ができたら経緯や詳細についての続報など、やってみるかもしれない。

【寄稿】「イスラーム国」の衝撃──『中央公論』10月号

イスタンブルから帰国して以来、あまりに忙しくて更新できないでいた。「中東の地政学的リスクの増大」についての関心が高まり、セミナーやレクチャーに駆け回っている。その間にも仰せつかっている各種報告書の執筆が相次ぎ、論文や著書の執筆が滞っている。危機的である。

それでも一つ成果が出た。9月10日発売の『中央公論』10月号に、イラクとシリアでの「イスラーム国」の伸長の背景と意味を論じた、長めの論稿を寄稿しました。

池内恵「「イスラーム国」の衝撃──中東の「分水嶺」と「カリフ制国家」の夢」『中央公論』2014年10月号(9月10日発売)、第129巻10号・通巻1571号、112-117頁

中央公論2014年10月号

本日は差し迫った仕事があるので、解説などを書く余裕がありません。包括的に書いてあるので、手に取ってみてください。

トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)

今日までイスタンブールにいる。昼過ぎから、仕事が一息ついて、夜便に乗って帰る前にちょっと街に出られた。

今日はトルコの戦勝記念日で祝日

街は赤地に白抜きの新月と星のトルコ国旗で溢れている。

トルコ戦勝記念日の国旗街中

アンカラでは就任三日目のエルドアン大統領が一日がかりの式典で、建国の父で戦勝の功労者ケマル・アタチュルクを顕彰し、来賓をもてなしていた。

トルコ戦勝式典8月30日

ちょうどいい。

このブログの「地図で見る中東情勢」のシリーズの一環として、「第一次世界大戦後のオスマン帝国の過程における民族・国民国家の切り分け」をテーマに地図をまとめて紹介しようと思っているが、なかなか時間がなくてできないできた。

トルコの戦勝記念日は、オスマン帝国の崩壊から現在のそれぞれの民族・国民国家への分割独立までの間のもっとも重要な画期の一つ。

トルコの「戦勝」から今年は92周年だという。どこを相手の戦勝かというとギリシャに対して。トルコ共和国が独立する際に周辺諸国と戦った(トルコ側はこれをトルコ独立戦争と呼ぶ)が、一番大きな敵がギリシア。

第一次世界大戦でのオスマン帝国の敗北に乗じて、1919年侵攻してきたギリシアの軍勢を、ケマル・アタチュルク率いるトルコ軍が撃退して現在の領域を確保したのが1922年8月30日。この日が戦勝記念日とされている。

詳細を記せば、8月26日-30日の「ドゥムルプナルの戦い(Battle of Dumlupınar)」あるいはトルコの言い方で「総司令官の野戦(Başkumandanlık Meydan Muharebesi)」 でトルコがギリシアに勝利し、トルコ独立戦争の大勢が決したのがこの日。

近代のトルコ共和国が現在の領域に、国際社会の承認を得て正式に成立したのはその翌年の1923年。その実質が戦場で定まったのが1922年の8月30日ということになる。

第一次世界大戦の終結からこの日まで、イスタンブール周辺とアナトリア半島、また現在はギリシアに属する旧オスマン帝国領土では戦乱が続いた。

1914年に始まった第一次世界大戦は1919年に終結。しかし中東、特にアナトリア半島では戦火は収まらず、むしろ激化した。

(1)サイクス・ピコ協定(1916年)

ドイツの側について敗れたオスマン帝国は、大戦中に、映画『アラビアのロレンス』で描かれているような、英仏を背後にしたアラブ人の反乱で、支配下のアラブ領土を失っていた。

アラブ領土の分配についての大戦中の密約は有名なサイクス・ピコ協定。これについてはまた書きますが、一応ここで掲げておきましょう。

サイクス・ピコ協定DW
出典:Deutsche Welle

しかしアラブ領土を手放すだけではすまず、トルコ人が多く住むイスタンブール周辺やアナトリア半島の大部分まで、近隣のギリシアやイタリア、あるいは独立を主張していたアルメニア人、クルド人などの領域として、あるいはそれらの背後にいる欧米列強の支配領域として、分配されそうになった。

弱体化したオスマン帝国に侵攻する、かつて支配下に置いていた諸民族や近隣諸国と、その背後にいる列強(英・仏、そして忘れられがちだが、オスマン帝国の領土の多くを奪ったのは帝政ロシアおよびソ連である)の領土割譲要求に対して、オスマン帝国スルターンは譲歩を重ねた。

(2)セーブル条約(1920年)

その最たるものが、セーブル条約(Treaty of Sevres)。1920年4月19日から26日にかけてイタリア西部のフランスとの国境に近いイタリアン・リビエラと呼ばれる風光明媚な地域にある保養地サンレモ(San Remo)で開かれたサンレモ会議での協議に基づき、同年8月10日にパリ郊外のセーブルで調印された。

セーブル条約(1920)
出典:Wikipedia

セーブル条約によって、オスマン帝国の領域は黄色の部分だけになってしまう。青色に塗られた領域、つまりアナトリア半島のエーゲ海沿岸のイズミルを中心とした範囲、そしてヨーロッパ側の主要都市エディルネを中心としたトラキアを、ギリシアが得るものとされた。水色に塗られたアナトリア半島東部には、大規模なアルメニア人国家が成立するものとされた。アルメニア人を背後で支援していたのはソ連だった。

当時の地図ではこのように描かれていた。

セーブル条約の地図原本(1920)
出典:Wikipedia

(3)トルコ独立戦争(1919‐1922)

これをオスマン帝国スルターンは受け入れた。しかしケマルらトルコ軍将校たちは受け入れず、戦争を続けた。ここからオスマン帝国の消滅と、民族国家としてのトルコ共和国の建国という道筋が決定的になる。ケマルらトルコ民族主義者たちは軍事的に侵入勢力を撃退していくと共に、1920年4月にアンカラで大国民議会を招集した。これがイスタンブールのオスマン帝国スルターンと帝国議会に代わる、トルコ民族を代表する独立政権に発展していった。

戦線は東部(主に対アルメニアとソ連)・南部(対フランス・シリア)・西部(対ギリシア)とあった。それぞれを示すのがこの地図。

トルコ独立戦争の際の戦線地図
出典:Wikipedia

(4)アンカラ条約(1921年)

大国民議会側の勢力は、侵攻する周辺諸国と列強勢力の足並みの乱れにもつけこんで形勢を逆転していった。

1921年10月20日に、トルコ大国民議会とフランスが結んだのがアンカラ条約。

この条約でフランスがトルコとの戦争を終結させるとともに、サイクス・ピコ協定に基づきセーブル条約で確認されていたトルコとシリアの間の国境を、トルコに有利に引き直した。それによって、メルスィン、アダナ、アンテプ(現ガーズィーアンテプ)、キリス、ウルファ(現シャンルウルファ)、マルディンといったアナトリア南部の諸都市をトルコ側に編入した。トルコ大国民議会勢力は、サイクス・ピコ協定に基づいて第一次世界大戦中に奪われた領土の一部を実力で取り戻し、セーブル条約でオスマン帝国が認めた国境線を引き直した形になる。トルコの対アラブでの国境画定はこの時点でほぼ終わった。

「ほぼ」というのは、1939年に、第二次世界大戦直前の国際情勢を背景にしてトルコはフランスに対して優位に交渉を進め、フランス委任統治領シリアからイスケンデルン(現ハタイ)を割譲させるからである。

(5)ローザンヌ条約

1922年8月30日の対ギリシア戦勝を受けて、1923年7月24日にローザンヌ条約が結ばれた。これによって第一次世界大戦とそれによって引き起こされたオスマン帝国の崩壊が完了したことになる。

トルコの版図を決めた条約の地図
出典:Wikipedia

東部ではアルメニアの領域を縮減し、アナトリアからギリシアの勢力を駆逐しての独立だったが、オスマン帝国支配下の土地には諸民族が混住していた。第一次世界大戦の間から、トルコ独立戦争にかけての時期に、さらに戦争終結後の国境画定に伴い、アルメニア人の強制移住や、トルコ人とギリシア人の住民交換によって、多くの人々が難民となると共に、戦火の中で、あるいは虐殺によって多くが命を落とした。

トルコの抱える「歴史認識問題」としての「アルメニア人虐殺」の問題や、トルコとギリシアの住民交換という事象については、また書いてみたい。ギリシア人が多く住む都市としてのスミルナ(現イズミル)や、トルコ人が多く住む(ケマルもここの出身)サロニカ(現テッサロニキ)といった都市が、物理的には存続しても、住民の入れ替えによって実質上消滅・変質した。こういった相次いだ歴史の悲劇については多くの書物が書かれている。それらもそのうち紹介しましょう。

今回はトルコ共和国の領土の確定を軸に第一次世界大戦が中東秩序の形成にもたらしたものを解説したのだけれども、アラブ諸国を軸にしたり、アルメニア、あるいはクルドを軸にすればまた違う書き方ができる、シリーズ化して解説していきましょう。

~夏休みの自由研究の課題を発表~トルコの英字紙3紙を読み比べてみよう

いつもはこのブログではかなり懇切に中東に関するメディアの紹介や新聞記事の内容を解説していると思うが、今日は忙しいし、せっかくトルコにいるのでいろいろやることがある。

なので今回は媒体と記事のタイトルだけ。ちょうど夏休みの自由研究を駆け込みでやる時期なので、頑張ってみる人は自分で読み進んでください。

ちょうど滞在中の8月28日には、先日の大統領選挙の結果を受け、エルドアン首相が大統領に就任した。代わりに首相にはダウトウル外相が首相に指名された。翌29日にはダウトウル内閣が発足。

エルドアン大統領就任2014年8月28日
エルドアン新大統領夫妻とギュル前大統領夫妻

今後のトルコを基礎づける重要な動きが続くが、これをどう報じ、論評するか、トルコは各新聞が明確に党派性を打ち出すので、いわば「ポジション・トーク」が満載。慣れてくると読まないでもほぼ内容の見当がつき、タイトルや筆者の名前を見るだけでほとんど隅々まで予想できるようになる。

そのようになるための訓練として、下記の課題。

【課題】トルコにはウェブ上で読める主要な英字紙が3つある。『Daily Sabah』『Hurriyet Daily News』『Daily Zaman』の三紙のエルドアン大統領就任、ダウトウル首相就任、ダウトウル内閣組閣についての記事を読み、それぞれの媒体の政治的背景と、論調の特徴、相互の対立点についてまとめてみる。

という感じでいいんじゃないですか。

ウェブの紙面はどんどん更新されてしまうので、8月28日から29日午前にかけて画面に大きく出ていた記事をピックアップしてURLを張り付けておきます。

1.Daily Sabah
ERDOĞAN SWORN IN AS FIRST DIRECTLY ELECTED PRESIDENT OF TURKEY

SUCCESS STORY OF THE MAN WHO HAS BEEN LEADING TURKISH POLITICS FOR OVER A DECADE

NEW PM DAVUTOĞLU SEEKS SECOND ECONOMIC BOOM

PRESIDENT ERDOĞAN AND PRIME MINISTER DAVUTOĞLU

PRIME MINISTER DAVUTOĞLU ANNOUNCES THE NEW CABINET

BABACAN: THE ONLY MINISTER TO SERVE IN ALL AK PARTY GOV’TS SINCE 2002

“NEW TURKEY” MEANS NEW UNION AND PEACE

12 MORE GÜLENIST OFFICERS DETAINED OVER ESPIONAGE

2.Hurriyet Daily News

Erdoğan sworn in as Turkey’s 12th President

As it happened: Erdoğan takes over Turkey’s presidency after tense parliamentary ceremony

Erdoğan as 12th president and successor to Atatürk

Main opposition leader slams Erdoğan, boycotts presidential inauguration

Davutoğlu takes helm, pledges unity, harmony with presidency

The prime foreign minister

3.Daily Zaman

Kılıçdaroğlu: CHP won’t respect Erdoğan until he respects Constitution

Erdoğan sworn in as president, main opposition boycotts ceremony

Several media outlets denied entry to presidential palace

Turkish police fire teargas at protesters after Erdoğan sworn in

All 13 officers detained in Adana set free

Power back on in tense Southeast towns

Incoming Prime Minister Davutoğlu to announce new cabinet

Davutoğlu announces new government, Çavuşoğlu new foreign minister

Davutoğlu pledges to toe the line for Erdoğan

Erdoğan uses aggressive, discriminatory rhetoric in farewell speech

Attendance at Erdoğan’s inauguration not to be as planned

Historic character of mansion destroyed in renovations for Erdoğan

束の間の休息──ボスフォラス海峡を見渡す

イスタンブールでの会議終了。「中東協力現地会議」。日本の中東に関係する各社と官庁・機関が一堂に会する年に一度の恒例の行事。今年はイスタンブールで開催。講演を務めるために呼んでいただきましたが、私にとっても、日本の中東関与の現状を総攬する貴重な機会になりました。

しかしすぐに次の仕事が。日本時間深夜の雑誌校了時間までに論稿の最後の手直しを行なわないといけない。あと1時間ほどがタイムリミット。

しかし一息ついてもいいよね?

この景色を見ると最後の頑張りが効きます。イスタンブール北部郊外Sisli地域を再開発してできたばかりの、Hilton Istaubul Bomonti Hotel。34階ラウンジより。

ボスフォラス海峡と金閣湾を含む絶景を、ほぼ全方面見渡せる。この景色なら何日も見ていたい。

Istanbul_Sisli_Hilton Bomonti_Aug 28_2014

【寄稿】週刊エコノミストの読書日記(第4回)学術出版の論理は欧米と日本でこんなに違う

イスタンブールで会議中。講演を終えて一瞬中座して書きかけの論文を送信。完全に日本時間・仕事とこちらの時間・仕事を同時に並行してこなしています。内容は重なっているが。

まだ現物を手にしていないが、『週刊エコノミスト』の読書日記の連載第4回が、8月25日(月)発売の最新号に掲載されているはず。

池内恵「学術出版の「需要牽引型と供給推進型」」『週刊エコノミスト』2014年9月2日号、69頁

こんなに忙しくしているのも、日本の場合、学術的知見を、商業出版社・一般雑誌を通じて世に出す経路が豊富にあるから。

編集者は読者の需要に応えて、それに適合した書き手と内容とパッケージで提供しようとする。日本では編集者が媒介して、「需要牽引型」で学術書が作られている面がある。

これはアメリカとは対照的。

アメリカでは一般向け雑誌や商業出版社から声がかかる学者なんて、日本でも広く知られているようなごくごく少数の人に限られると言っていい。

ではアメリカのその他の学者はヒマかというとそんなことはない。大学と専門学会・学術書を出す大学出版会・学術書を一定部数買い上げる大学図書館の三角形が存在して、コンスタントに、手堅い学術書を世に送り続ける。その工程に載せてなんとか本を出すために、アメリカの研究者は、特に若手・中堅は、すごく忙しくしている。

アメリカでは一冊の本を出すののに、着想して調べ始めてから10年かかるのはざらだが、予算を取って調査をして資料を集めて学会発表を繰り返して各地を転々とし、論文にして査読を通して出版したうえでそれを書籍の出版社を見つけて書いて査読を通して・・・といった作業を考えると、ものすごく忙しくして競争にさらされていないと、10年にたった一冊の本でさえも、出ない。

日本でもそれはやるのだが、それと並行して様々な商業出版の可能性が出てくる場合があり、何らかの拍子にその需要が高まると、だんだんそちらが忙しくなる。商業出版社から出るものでも、ものによっては非常に学術的にできる。また、大学出版会から出るからと言って必ずしも常に学術的な基準を満たしていると限らないのも日本の事情。

アメリカでは「一般読者が知りたがっているから」という要因は、大学出版会にほぼ限定された学術出版の工程において、全く考慮されわけではないようだが、原則としては二の次・三の次であり、作り手であり品質評価の排他的な担い手である大学・専門学会の都合が最優先され、そこでは大学出版会と大学図書館が不可分のステークホルダーになっている。つまり「供給推進型」で学術出版が行われている。

まあどっちにも利点とデメリットがある・・・・てな話を中心に書きました。

週刊エコノミスト2014年9月2日号

ウクライナ上空回避を実体験~国際航路の安全保障が紛争と紛争解決の焦点に

仕事でトルコのイスタンブールに来ています。

来る時はずっと本を読んでいて重要な本を2冊も読めたので大変有益かつ疲労したのですが、唯一利用した機内エンターテインメントが飛行ルート地図。

東京からイスタンブールまで、大雑把にこういう航路なのですが、拡大図などが適宜表示されて、実際に飛んできた経路が表示され、その時点での最短ルートが示されるので、細かく見ていると方向転換によるルート変更が分かる。

ウクライナ上空回避1

注目したのは、「あの空域」をどう回避するのかということ。

「あの空域」というのは、今回はウクライナ上空。日本からトルコのイスタンブールに行くのなら、ロシアの上空を経てウクライナ東部をかすめるのが多分最短ルート。

しかしウクライナ東部の紛争が勃発して以来この空域の危険度は増し、そしてマレーシア航空MH17便の墜落以来、回避すべきルートとして認定されている。

MH17便の墜落現場は、ウクライナ東部ドネツク付近。

ウクライナ・マレーシア航空機墜落現場(朝日新聞)
出典:朝日新聞

より詳細な地図を探すと、こんなものがありました。

ウクライナ東部MH17墜落地点地図NYT
出典:ニューヨーク・タイムズ
ウクライナ東部の親ロシア・反政府組織の活動範囲の只中に墜落しています。

MH17の墜落以前から、クリミア半島と、ウクライナ東部には段階的に飛行禁止・制限が米欧の政府・機関から勧告されていました。

しかしドネツク付近については、高高度なら飛行も可とされていたようです。

ウクライナ東部航路地図NYT1
出典:上に同じ

航空会社によってはウクライナ東部全体を避ける動きもあったようです。

ウクライナ東部航路地図NYT2
出典:上に同じ

しかしマレーシア航空機は最短距離を通ってドネツク上空に差し掛かったようです。

MH17の飛行ルートNYT

本当に痛ましいことです。乗客乗員のご冥福をお祈りします。

その後、各航空会社はウクライナ上空の飛行から一斉に迂回を迫られた。

ウクライナ上空回避行動
出典:ロケットニュース24「マレーシア航空墜落事故の影響でウクライナ東部上空を迂回して飛ぶ飛行機 / アプリでリアルタイムに確認」2014年7月18日

国際航空航路への政治的な理由による制約は、ウクライナ東部に限定された特殊事情ではなく、それ以外の地域にも、理由は様々なれど、飛行回避が各機関から勧告・指令されている空域がある。

このブログでも、政治的な理由から「飛べない空域」が広がっている点を記しました(「【地図と解説】FAAの飛行禁止・警告エリアで見るグローバルなジハード組織の広がり」2014/07/25)

大きく分ければ、

(1)国家間の紛争・対立に端を発する飛行制限・規制

これなら冷戦時代にもあった従来型と言えるのですが、近年これに加えて、

(2)非国家主体の重武装化・対空兵器獲得による、飛行危険空域の拡大

というものがあります。

(1)については、昨年の中国による「いわゆるADIZ」の一方的な設定と通告=領空外の広範なエリアに領空並みの管轄権を主張、という事件がありました。

現在は、ウクライナ問題を巡る欧米とロシアの対立の中で、ロシアが対欧米向け経済制裁として、欧米の航空会社のシベリア上空通過の制限をちらつかせています。今のところ発動されていませんが。

なお、これがもし万が一発動された場合も、ロシアの対西側離間策として、日本とトルコについては対象外になるかもしれない、というのが興味深い点です。トルコは「ヨーロッパ」に入るのかな。トルコはNATOではあるが、中東や東欧、中央アジアに関しては独自の政策を常にとるので、ロシアはパイプライン・ルートや天然ガス供給でトルコに新たに情報をちらつかせたりしている。

(2)については、各地の武装集団、特にグローバル・ジハード系の諸組織に各種の性能の対空ミサイルが渡るのでは、という警戒感が、2011年の「アラブの春」に伴う各地の内戦の過程で、域内・域外大国の関与・介入の政策決定において重視されてきた。

最近は、イラク・シリアで伸長するISIS(イスラーム国)が携帯式地対空ミサイルを入手したのではないか、という観測がくすぶっている。今のところ、民間機・戦闘機のいずれについても大規模・組織的に攻撃するまでには至っていないので、あくまでも観測だが。

Thomas Gibbons-Neff, “Islamic State might have taken advanced MANPADS from Syrian airfield,” The Washington Post, August 25, 2014.

James Kitfield, “Missiles are now so easy to get that it’s a miracle more planes haven’t been shot down,” The Washington Post, July 19, 2014.

Thomas Gibbons-Neff, “ISIS propaganda videos show their weapons, skills in Iraq,” The Washington Post, June 18, 2014.

この問題は、欧米によるイラク・シリア軍事介入を要請あるいは正当化する根拠として、あるいはシリアのアサド政権や、イラクのクルド人勢力などの存在意義を主張・正当化する根拠として、思惑含みで流されたりするので注意が必要だ。

しかしISIS自身が、自らがこのような脅威をもたらす能力を持った主体であると宣伝している。その宣伝により実態以上に政治的な影響力を強めている感もある。

実際に飛行機が落ちたのはウクライナであって中東ではないので、中東で、あるいはグローバル・ジハード勢力がらみで明確に顕在化したとはまだ言えないが、潜在的に深刻な脅威となったことは確かだ。

むしろより根本的に警戒すべきは、米国がイラク・シリアへの空爆による介入を続けることによって、それに対する報復として、欧米の民間航空機一般への攻撃を、ISISあるいはそれに支持・共鳴する勢力が、各地で行う可能性だろう。グローバルな非国家主体のネットワークに対する戦線の拡散と、手段のエスカレーション、それによるグローバルな経済活動への制約要因・リスク増大をもたらしかねない局面だ。

さて、ウクライナ東部が完全に危険エリアと認知されて以来、自分で実際にそういった空域の付近を飛ぶ飛行機に乗るのは初めて。なのでカメラを用意して(と言ってもiPad miniですが)、待ち構えておりました。

シベリアを越えて、ロシアの中央部を飛ぶうちに、あれあれこのままだとウクライナ東部にまっしぐらだよう。

ウクライナ上空回避2

予定航路はまさにドネツク上空にぴったり射程。

と、焦らせておいて、機種は徐々に方向を変え始め・・・

ぐいっ

ウクライナ上空回避4

ロシア領のロストフ方面に方向転換してルート変更。ドネツクとウクライナ東部が飛行ルートから外れていきます。

ウクライナ上空回避5

しかしまだクリミア半島が飛行航路に引っかかっているな。これも回避しなければ。もうちょっとだ。

ウクライナ上空回避6

大きく旋回してロストフを通過したあたりで、あれあれこのまま曲がっていくとロシア版図のチェチェン共和国のグローズヌイなど、ある意味もっと怖そうなエリアに近づいてしまう・・・というあたりで再度方向転換。

ウクライナ上空回避7

ソチには参りません。

ウクライナ上空回避8

結局このようにぐるっとウクライナを回避してイスタンブールに到着したのでした。

イスタンブル空港到着

無事でよかった。

「マキャベリスト・オバマ」の誕生──イラク北部情勢への対応は「帝国」統治を学び始めた米国の今後を指し示すのか

しばらくブログの更新が途絶えていた。北の方の涼しい所に行ってきまして、ウェブ環境があまり良くなく、長期的な読書と思索に専念していました。

その間のニュースは活字データで押さえていましたが、主要な話題は、

(1)ガザ情勢は、以前に書いた通り、停戦を繰り返しながら収束局面続く。
(2)イラク北部情勢への米国の直接介入は、限定空爆を適宜行いつつ、同盟国(勢力)への支援を本格化する形で、長期化する模様。

というところでしょうか。

(1)は、様々な理由で、過剰に注目が集まりますが、国際政治学的に一番重要なことは、この問題が中東政治の最重要な問題ではなくなった(ないとみなされるようになった=誰に?米国からも、周辺アラブ諸国からも、イランやトルコなどからも)ということでしょう。

人道的側面から言えば重要と言えますが、それでもシリアやイラクでも同様(あるいはそれ以上)の人道的悲劇が現に進行している、という問題との比較考量からは、相対化されかねません。

それよりも重要なのは、リアリズムの観点から、もうパレスチナ問題は中東の最重要の問題として扱わない、という立場を、域内の諸勢力と、米国など域外の勢力が採用している、ということでしょう。そうなると、パレスチナの指導層だけでなく、むしろイスラエルの首脳・ネタニヤフ首相の方が、苦しい立場に立たされます。

この話はまた今度に。

(2)について、現状とその意味を良く考える時期にあると思われます。考えさせられることが多い、事態の進展です。

8月8日以降の空爆の地点をまず見てみましょう。

イラク北部米空爆
出典:ニューヨーク・タイムズ

非常に限定的で、エルビール防衛やモースルのダムの奪還など、クルド勢力(クルド地域政府とその部隊)への支援に絞っています。一時的にISIS(自称「イスラーム国家」)の進軍を食い止め、戦況を変えていますが、それだけで決定的で恒久的な影響を残す規模と性質の介入とは言えません。

それでは本腰でないかと言えば、そうではなく、米国は「本気」と思います。長期間かけてこの種の介入を続けることをオバマ大統領は明言しています。

重要なのは、「オバマは戦争大統領だ、ブッシュと同じ(以下)だ」といった批判も、逆に、「オバマは弱腰だ、中途半端だ」といった批判も、おそらく見当外れなこと。

最近の論稿で一番おもしろかったのは、
Stephen M. Walt, Is Barack Obama More of a Realist Than I Am?, Foreign Policy, August 19, 2014.

オバマって、意外に、すごくリアリストで、戦略的なんじゃないの?アメリカが最も利己的にふるまったら、オバマの外交政策になるんじゃないの?という趣旨の議論です。

ウォルトはリアリズムの立場から、オバマおよびオバマ政権を、「政権内の理想主義者に引っ張られてしばしば不要な介入を行って失敗している」という方向で批判してきました。これは共和党のタカ派などの、「オバマは平和主義で、必要な介入を本腰を入れてしていない」という批判とは別で、また民主党左派・リベラル派の「戦争を終わらせるはずだったオバマが戦争をまた始めたことに失望した」という批判とも別です。

ウォルトの今回の議論は、オバマはこれまでのアメリカの大統領にない、非情で利己的なリアリストなんじゃないの?と論じています。

要するに、オバマは理想主義的な介入論あるいは介入反対論のどちらかに依拠しているのではなく、リアリストの中でももっとも露骨な、「アメリカさえ良ければいい」「敵国・敵対勢力はもちろん、同盟国あるいは若干微妙な同盟国のいずれもそれぞれ損をするが、しかしアメリカには逆らえない」ような効果を持つ介入(あるいは非介入)を行ってきているのだ、というのである。

「アメリカが最も強い立場にいるから最終的な責任を持つ」のではなく、「アメリカが最も強い立場にいることを利用してアメリカが負いたくない責任やコストはよそに回す」という原則にオバマは従っているのであり、それは最も利己的なリアリストの立場だ、という。

確かに、シリアで介入しなかったこと、イランに歩み寄っていること、ガザ紛争でハマースを批判しつつじわじわとイスラエルのネタニヤフ首相からはしごを外し、恒久和平の実現に力を尽くそうとはしない、といった積み重ねの上で、今回のイラク介入の手法を見ると、古典的なリアリストの勢力均衡論、さらに言えば地政学論者の帝国統治論の処方箋を着々と米外交、特に中東政策に持ち込んできたと読み解けるのです。

少なくともあと2年の任期中は、もはや他の選択肢は失われたものと見極め、徹底した地政学論者の路線で行きそうなことが、イラク介入の手法から、誰の目にも明らかになっています。

明らかになった、オバマ政権のイラク介入の手法は、

(1)米の直接介入は限定的、地上軍派遣なし。介入は直接的に米の権益・人員が脅かされたときのみ。
(2)現地の同盟国(勢力)を使う。この場合はイラクのクルド勢力。かなり距離を置きながら、イラク中央政府への支援を続行。
(3)現地の同盟勢力が全面的に排除されかねない状況下では米国が加勢するが、それ以外は現地同盟勢力に戦わせる。
(4)立場の異なるクルド勢力とイラク中央政府への援助を並行して行い、時には競わせ、時には連合させる。決定的にどちらかが強くならないように匙加減をする。

というものです。まるっきりリアリズム、それも露骨な勢力均衡、オフショア・バランシング論です。

8月7日にオバマがイラク北部への軍事介入命令を発表した時には、米人員の保護と並んで、スィンジャール山に孤立した少数派ヤズィーディー教徒の保護を正当化の根拠に掲げましたが、実際に数日空爆した後、ヤズィーディー教徒の避難民の救出に向かうかと思えば、オペレーションを停止。しかもその理由は、「当初言われていたほどの避難民がいなかったから」。

数万人の避難民がいる、と言われていたので介入したが、数日後になって5000人ぐらいしかいないことが分かった、として人道介入の方は手じまいすると宣言したのです。

一方、米の国益に深く関係する、エルビール防衛・クルド勢力支援は続行する。それによってISISと戦わせる。これが最初からの目的だったことは明らかです。

ヤズィーディー教徒の保護というお題目は、いかにも取って付けたものに見えましたが、建前なら建前で言い続けることもなく、介入の正当化根拠に使った後はさっさと「そんなにひどくなかった」と公言してそちらのオペレーションは縮小する、というところに、オバマ大統領のリアリズム・勢力均衡に徹したイラク介入の手法への「本気度」が窺われます。

私の方は、今週、少しネットから離れて本を読んでいた時に、頼まれた仕事の関係で読み返したこの本が実に今のイラク情勢にシンクロしていると思いました。


ジョージ・フリードマン(櫻井祐子訳)『激動予測: 「影のCIA」が明かす近未来パワーバランス』

この本についてはそのうち原稿を書くと思いますが、イラク再介入の手法や、その他の対中東政策を見るうえで印象深いフレーズをいくつか抜き出しておきます。

フリードマンは、米国が唯一の超大国となり、望むと望まざるとに関わらず「帝国」として世界統治を行なわなくてはならなくなった画期を、1991年の湾岸戦争とみているようです。そこから10年間のユーフォリアの時代も、2001年の9・11事件以降の10年間のジョージ・W・ブッシュ流の直接介入の時代も、いずれも帝国の統治の作法を知らなかった純真なアメリカの迷いの時代として切り捨てています。そして、2011年以後の10年にこそ、本当の帝国の世界統治が確立されるのだ、と説き、オバマ大統領にあるべき政策の姿を進言する、という形式でこの本を書いています。

「アメリカは覇権国家ともいえる座に就いて、まだ二〇年しかたっていない。帝国になって最初の一〇年は、めくるめく夢想に酔った。それは、冷戦の終結が戦争そのものの終結をもたらしたという、大きな紛争が終わるたびに現われる妄想である。続く新世紀の最初の一〇年は、世界がまだ危険であることにアメリカ国民が気づいた時期であり、アメリカ大統領が必死になってその場しのぎの対応で乗り切ろうとした時期でもあった。そして二〇一一年から二〇二一年までは、アメリカが世界の敵意に対処する方法を学び始める一〇年になる。」(52頁)

「世界覇権のライバル不在のなか、世界をそれぞれの地域という観点からとらえ、各地域の勢力均衡を図り、どこと手を結ぶか、どのような場合に介入するかを計画しなくてはならない。戦略目標は、どの地域にもアメリカに対抗しうる勢力を出現させないことだ。」(53頁)

このような大原則から、全世界の諸地域において次のような原則に基づく政策を行なうべきだと主張します。

「一.世界や諸地域で可能なかぎり勢力均衡を図ることで、それぞれの勢力を疲弊させ、
アメリカから脅威をそらす
二.新たな同盟関係を利用して、対決や紛争の負担を主に他国に担わせ、その見返りに
経済的利益や軍事技術をとおして、また必要とあれば軍事介入を約束して、他国を支援する
三.軍事介入は、勢力均衡が崩れ、同盟国が問題に対処できなくなったときにのみ、最
後の手段として用いる」(55‐56頁)

フリードマンの主張の面白い所は、通常の議論では、ジョージ・W・ブッシュ前大統領の時期のアメリカの政策を「帝国」的として批判するものが多いのに対して、それは歴史上の数多くの帝国が行ってきた政策とは全く違う、非帝国的、あるいは帝国であることに無自覚であるが故のふるまいであったと議論する点です。歴代の帝国は勢力均衡で世界各地の諸勢力を競わせて統治していたのであって、冷戦終結後の20年間のようにアメリカという帝国自身が世界中に軍事力を展開させたのは異例であると言います。オバマ大統領あるいはその次の大統領こそが、真の意味でアメリカに帝国的世界統治、すなわち勢力均衡に基づく敵国の封じ込め、同盟国の統制を持ち込む(べき)主体であるとしています。

「次の一〇年のアメリカの政策に何より必要なのは、古代ローマや一〇〇年前のイギリスにならって、バランスのとれた世界戦略に回帰することだ。こうした旧来の帝国主義国は、力ずくで覇権を握ったのではない。地域の諸勢力を競い合わせ、抵抗を扇動するおそれのある勢力に対抗させることで、優位を保った。敵対し合う勢力を利用して互いをうち消し合わせ、帝国の幅広い利益を守ることで、勢力均衡を維持した。経済的利益や外交関係を通じて、従属国の結束を保った。国家間の形式的な儀礼ではなく、さり気ない誘導をとおして、近隣国や従属国の間に、領主国に対する以上の不信感を植えつけた。自軍を用いた直接介入は、めったに用いられることのない、最後の手段だった。」(24-25頁)

このような各地域内部での勢力均衡を促進する政策へと転換する第一の地域が中東である、というのがフリードマンの主張で、そのためか、この本の半分ぐらいは中東に割かれています。

そこからは、イスラエルから徐々に距離を置き(イスラエル対アラブの勢力均衡の回復)、イランに接近する(イラン対イラク・および湾岸アラブの勢力均衡がイラク戦争で回復不能なまでに大きく崩れた以上、ニクソンの対中接近並みの異例の政策変更が必要だという)、といった政策が進言されます。いずれもオバマ政権が行っていると見られている政策です。

また、これと並行して、他地域では、冷戦終結時点でロシアの勢力圏を完全に崩壊させなかった失敗がゆえに「ロシアの台頭」が不可避であり、それを盛り込んで西欧とロシアの勢力均衡を図るべき、という議論にも発展します。そして西太平洋地域でも、日本と中国を均衡させ、そのために適宜韓国とオーストラリアも利用する、という手法を進言します。

今のイラク対策を見ていると、米大統領に「マキャベリ主義者たれ」と進言する、リアリスト・地政学論者のフリードマンの主張に、残り任期2年余りの現在、オバマ大統領とその政権は、全面的に従っているように見えます。

そうなると必然的に、西太平洋地域でも同様の勢力均衡策が採られるのか・・・というポイントが、日本をめぐる米外交政策を見る際にも、注視されていくようになるでしょうね。

ガザ紛争で再び72時間停戦──収束に向かう遅々とした歩み

イスラエル・ガザ紛争については、空爆開始から数えて29日目の8月5日朝に発効した一時停戦(72時間)を画期として、一時的な揺り戻しはあれども、収束に向かっているものと考えています。

エジプトは8月10日(日)に、この日の夜9時からの再度の一時停戦(72時間)を双方に呼びかけイスラエルと、ハマースおよびイスラーム・ジハード団がこれを受け入れ、現在のところ双方の攻撃が止んでいます。

8日の一時停戦期限切れの後もカイロに残っていたパレスチナ側の交渉団が、「10日までにイスラエル側が停戦延長のための条件を呑まないなら代表団は帰国するぞ」と、中東のスーク(バザール)の交渉のように迫ったところで、深夜の停戦提案・受け入れとなったようです。

8日の一時停戦期限切れを前に帰国していたイスラエル側の交渉代表団も、早速翌11日(月)に戻ってきて、エジプト軍諜報部長(Mohammed Ahmed Fareed al-Tohami)の仲介で間接対話が続いている模様です。

今回の一時停戦の期限切れは13日夜(日本時間14日未明)ですが、そのぎりぎりまで交渉が続き、またも「停戦延長か否か」を議論することになりそうです。

イスラーム・ジハード団は交渉妥結近いという見通しを発表していますが、隔たりが大きい紛争再会必至とする説まで各種が交渉当事者周辺や援助関係者から、様々な思惑で発信されています。

エジプトの仲介姿勢にも、パレスチナ・イスラエル双方の立場や意思決定主体にも、不透明なところが多いのですが、基本的には収束モードに入っているといえます。

今回の一時停戦もまた期限切れとなるかもしれませんが、断続的に攻撃と交渉を続けていき、徐々に攻撃の規模が小さくなっていったところで何らかの国際的枠組みを導入して恒久的停戦にもっていく、という形での収束が考えられます。

8月8日朝に一回目の一時停戦が切れた際には、予告通りガザからロケット弾攻撃が再開され、停戦延長を宣言していたイスラエルも予告通り報復攻撃を行いました。ただし双方ともに一時停戦以前と比べると限定的で(死者は出ていますが)、政治的メッセージとしての軍事行動の色彩が濃く、カイロでの交渉も断続的に続いてきました。

イスラエル側は、すでに軍事的には主要な目標を達成しているため、「一方的停戦」を続けることに異存はなく、ハマースあるいはイスラーム・ジハード団が攻撃してきたときのみ報復する、という形で当分対処するのではないかと思われます。

イスラエルの閣内強硬派や、言論人には、一定期間ガザを占領してハマースを根絶せよと主張する者もいますが、ネタニヤフ首相としては、地上部隊の駐留ではイスラエル兵に多くの死者が出る可能性が高いため、支持率低下や掃討作戦失敗の責任を取らされることを恐れて、自重するのではないかと思います。国際世論対策としても、「イスラエル側は停戦延長を認めているのに、ガザからロケット弾が発射される」という形を作ることが当面は有利と考えているでしょう。

ハマースとしては、単に一時停戦が延長されるだけでは、ガザの封鎖解除という最低限の目標も達成できないため、苦しい立場に立たされています。かといって自ら主導で停戦延長を拒否、攻撃再開、を繰り返していては、国際的な孤立を深めると共に、ガザの市民の民心の離反も招きかねません。

イスラエル側の立場にエジプト政府が全面的に同調して、むしろスィースィー政権が敵とみなすハマースのガザ支配を打倒する絶好の機会と考えている様子であることが、いっそうハマースの立場を弱めています。

ヨルダン川西岸を支配するパレスチナ自治政府のファタハ(アッバース大統領率いる)も、これを機会にガザへの支配を取り戻そうと試みています

どのような形での停戦の恒久化が可能か。

以前に掲げた複数のありうるシナリオのどのあたりが今議論の俎上に上っているのかを,、もう一度見てみましょう。

(1)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置なし
  →数年に一度同様の紛争を繰り返す
(2)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置あり
  →(2)-1 ファタハ(ヨルダン川西岸を支配、アッバース大統領)の部隊がガザに部分的に展開
  →(2)-2 国際部隊(国連部隊、地域大国、域外大国等)がガザに展開、停戦監視
(3)衝突再燃、イスラエルがハマースを全面的に掃討
  →(3)-1 ガザ再占領(ほぼあり得ない)
  →(3)-2 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、ファタハ部隊が展開
  →(3)-3 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、治安の悪化、民兵集団跋扈
         →ISISなどのイスラーム主義過激派が伸長

現状では、(2)-1と(2)-2を折衷する方向で議論がなされているようです。

主導権を握っているのはイスラエルで、交渉がうまくいかなければ一方的に停戦を続けて(1)の既定路線に戻ればいい。また、ハマース側の攻撃が予想以上に大規模で、持続的な脅威とイスラエル国内で認識されるほどになれば、(3)の方向に向かっていく可能性もないわけではありません。

イスラエルとしては、現在のところ、ファタハを強めてガザを支配させ、ハマースを武装解除する枠組みを作ることを、ガザ封鎖解除の前提条件として譲るつもりはないのでしょう。しかしハマースとしては「武装抵抗で封鎖解除をもたらした」と勝利を宣言できる形でなければ武装解除には応じないでしょう。

ファタハ系の治安部隊のガザへの導入をハマースが認めるか、どの時点で認めるかが、恒久停戦をもたらす際の一つのハードルとなります。そう簡単にハマースは武装解除を呑めないと思うので、一時停戦の終了、散発的攻撃再開、報復攻撃、という一連の動きが繰り返される可能性があります。

ガザ全域をファタハが支配するというよりは、ファタハの部隊がエジプトおよびイスラエルとの間の国境検問所に配備されて、その監視下でハマースの武装強化を制約しつつ、限定的に封鎖解除を行っていく、という手順が考えられます。

その場合、放っておけば、2007年と同様の、ファタハ対ハマースの治安部隊同士の衝突となりかねないので、ファタハとハマースの分離、および国境検問所の監視のために、国連の枠組みの下でEUなどの国際部隊を導入する案などが各種提案されています。こういった国際社会からの提案・助け舟を引き出すためのアドバルーン・指針と見られるのが、イスラエルのモファズ元防衛大臣による、ハマースの武装解除・ガザ非武装化とガザの再建を国際部隊の導入や国際社会の資金援助で行うするう包括的プランです

ガザ紛争については今後時間をかけて、何らかの国際的枠組みの下で解決を図っていくことになりますが、関心を低めないでいたいものです。

下記にこれまでの解説を一覧にしておきます。

【寄稿】ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々(2014/07/16)

ガザ紛争をめぐる中東国際政治(2014/07/26)

【地図と解説】イスラエル・ガザ紛争の3週間と、今後の見通し(2014/07/28)

イスラエル・ガザの紛争に収束の兆し(2014/08/07)

ガザの一時停戦が延長合意ないまま期限切れ──ハマース軍事部門は挑発に出るか(2014/08/08)

ガザ情勢のライブ・アップデートはこちらから(2014/08/08)

トルコ大統領選挙は地域間格差による明瞭な結果が出た

トルコ大統領選挙の投票が10日に行われ、正式な開票結果の発表はまだですが、エルドアン首相が勝利したようです。第一回投票で52%弱を獲得し、決選投票を行わずに当選が決まりそうです。

8月8日のNHKBS1「国際報道2014」でも解説しました(特集「世界が注視 トルコ『エルドアン大統領』誕生か」)が、事前の大方の予想通りの結果になったようです。あとは投票率の意味をどう読むかぐらいでしょう。

トルコ政治経済についてのこれまでの解説のエントリはここから辿れます

トルコの大統領選挙については、特にエルドアンの勝利については、内政面でも外交面でも「とやかく」言う向きが特に西欧メディアに多く、そこには西欧メディアに発信力が大きいトルコの世俗主義派エリート・知識人・ジャーナリストの影響が強く感じられます。そのような言説も確かに重要ですが、もっと肝心なのはこの地図です。

トルコ大統領選挙2014結果色分け
出典:Daily Sabah

トルコは県が81もあります。

リンク先の元記事を見ていただくと、インタラクティブで各県ごとの各候補者の得票率が出てきます。また県ごとの得票率の一覧表も掲載されており、アップデートされていくようなので便利です。

きれいに色が塗り分けられている、つまり候補者・政党の支持が地域によってきれいに分かれているということが重要です。そしてこの地域による差が出てくる要因としては次の二つが最も大きいと考えられています。

(1)第一には、開発の度合いや、開発が進展した時期的な差、それに基づくある種の階層差。これがエルドアン首相への支持や政権の選挙での勝利にもっとも深く関係しています。

(2)第二に、少数民族クルド人が別の投票行動をとるという傾向も明らかになっています。

(1)から見てみましょう。

赤(55県)が、エルドアンが一位になった県。そのうち二つの県以外では一位になるだけでなく過半数を取っています。エルドアンは与党公正発展党(AKP)の党首で2002年の選挙で勝利し2003年以来首相の座についてきた。そこでもたらした経済発展や、内政の安定(特に軍や司法によるクーデタの封じ込め)、そして外交上の地域大国化が、国民の過半数に支持されていると言えましょう。

青(15県)が主要野党二党が連合して推した主要対抗馬のイフサンオール候補(Ekmeleddin İhsanoğlu)が一位になった県。最大野党の共和人民党(CHP)と、極右民族主義の民族主義者行動党が連合して推した候補で、イスラーム協力機構事務総長を9年間にわたり務めていた人です。

紫(11県)がデミルタシュ候補(Selahattin Demirtaş)が一位になった県。ディヤルバクル生まれのクルド人で、クルド人やマイノリティの権利を擁護する人民民主党の候補です。

このように、結果は地域できれいに分かれています。

トルコは「アジアとヨーロッパの架け橋」と言われ、最大の都市のイスタンブールのボスフォラス海峡でまさにアジアとヨーロッパが分かれていますが、エルドアンが押さえているのはそのアジア側の、広大なアナトリア半島の内陸部から黒海沿岸地域にかけてです。これらの地域は全般に低開発ですが、エルドアン政権期が開発政策を全国に広げることで、過去10年の経済成長の恩恵に浴してきました。ここの膨大な人口から圧倒的な支持を受けることで、エルドアン首相は揺るぎない政権運営をしてきました。

対抗馬のイフサンオール候補は、ヨーロッパ側のエディルネや、ヨーロッパとの関係が深いイズミルなど地中海沿岸地域のほとんどすべての県で過半数あるいは1位の座を獲得しています(イスタンブール以外)。こちらはトルコ内での先進地域・先行して発展した地域です。

オスマン帝国崩壊後のトルコ民族国家・共和国としての独立後、軍や財閥などエリート層が欧化主義・世俗主義で開発を牽引した際には、ヨーロッパ側・地中海側から先に発展した。現在野党の共和人民党は建国の父ケマル・アタチュルクが創設した党です。トルコの「ヨーロッパとして」の発展を牽引し、それによって軍・官僚組織といった国家機構、あるいはヨーロッパとつながった財閥・大企業に連なるエリート層は、今でも共和人民党に結集しています。彼らはヨーロッパ側・地中海側の諸県や、イスタンブール中心部に権益を保持し実際に住んでいます。

こういった近代化の過程でのエリート層と庶民の格差が、明確に地域的な差になって現れることは途上国ではよくあることです(タイなどは典型ですね)。

しかしトルコの場合、建国期のエリート層が開発独裁をやって豊かになるというところで終わらずに、エルドアン率いる公正発展党がさらに次の段階の発展をもたらし、新たな中間層を出現させた、という点で途上国の開発事例の中では、特に中東では、傑出しています。

ヨーロッパ側でも、イスタンブールではエルドアンが勝っているところが象徴的です。イメージ的に言えば、イスタンブールの中心部の近代初期に発展した新市街など、建国期のエリートが集まる地域では共和人民党支持(あるいはより正確に言えば「反エルドアン」)が多いのに対して、イスタンブールの外郭に広がるスプロール地帯・新興住宅地では圧倒的にエルドアン支持。そのような地域がイスタンブールのアジア側の近隣の県にも広がっています。

つまりアナトリア半島から続々上京してイスタンブール周辺に住み着いて経済機会を狙い、子弟に教育を受けさせているような新興中間層が、エルドアンとAKPの元々の支持基盤なのです。彼らに支持されて政権につき、彼らが豊かになるような政策を力強く実施し、実際に経済発展をもたらしたから、エルドアンは支持されているのです。

「都市近郊の新興住宅地での圧倒的なエルドアン支持」については、例えばフィナンシャル・タイムズの特派員が良い記事を書いています。

Daniel Dombey, “Erdogan favourite to win presidential poll despite concerns,” The Finantial Times, August 6, 2014.

英語版は有料ですが、日本語訳を見つけましたのでご紹介。

「トルコ大統領選、エルドアン氏の勝利濃厚権威主義への懸念をよそに、貧困層と敬虔な信者から圧倒的な支持」JBPress、2014.08.08(金)

イスタンブールのアジア側の郊外のスルタンベイリ(Sultanbeyli)区を取り上げているところが心憎い。

スルタンベイリとはここ。まさにイスタンブールの郊外、アジア側です。

Sultanbeili地区イスタンブール
出典:Wikipedia

日本の報道でもぜひ参考にしてほしい書き方です。

単に「信仰篤い庶民がエルドアンを支持している」というのが日本語でありがちな報道です。「庶民の声」というのも単に漫然と庶民っぽい人に話を聞いたというものにしかならない。取材する地区選びでも、単に「見た感じが庶民っぽい」ところに行くだけでは、大人の取材ではないのです。

重要なのは、トルコにおける「エルドアンを支持する庶民」とはどのような社会学的、政治経済的、歴史的条件によって作られた存在なのか、ということです。この辺りを、概念的な骨組みで記事にメリハリをつけられるかどうかで、欧米のジャーナリスト(多くは大学院修士課程ぐらいをキャリアの途中で出ている)と、日本の記者(大部分が学部卒で、失礼ながら印象では、元気が良いもののあんまり成績が良くない人が行く=東大の場合。入社したらひたすらオン・ザ・ジョブ・トレーニングでべたっとした取材法を学ばされ、二度と大学で概念操作を鍛えられることがない)とでは、大きく差が出ます(概念的に書くとデスクが通してくれない、といった社内事情の言い訳・泣き言を聞く必要はありません。日本は読者のレベルが低いから?馬鹿にしないでください)。

フィナンシャル・タイムズ記事では、具体的にスルタンベイリ区を取り上げて「大都市近郊の新興住宅地」を代表させ、そこに住む人の典型、こういった街区にありがちな風景、そして近年の大きな変化を記して、それらが多数派の「エルドアン支持」に帰結することを、短い文章で描いています。「エルドアン政権以前の時期はゲジェコンドゥと呼ばれる低開発地帯で、政府の政策からは打ち捨てられ、居住・所有の権利も定かでなく、インフラも整っていなかったが、エルドアン政権がインフラ整備をし法的整理もしていった」という、イスタンブール近郊の新興住宅地の社会学的、政治経済学的、歴史学的な条件を、概念的に背骨を通した上で、しかしあくまでも具体的で血の通った描写を行っています。

なお、スルタンベイリ区の自治体のホームページを見ると、70%がエルドアンに投票したようです。これはフィナンシャル・タイムズ記事が3月の統一地方選挙でのこの地区でのAKPの得票率として挙げていた69%という数値とほぼぴったり一致します。

海外報道でのこのあたりの精度が、一流紙と呼ばれる所以でしょう。

この記事では取り上げていませんが、逆にイスタンブールの中心部を取り上げれば、対照的な描写になるだろうということも当然示唆されます。それは概念的に書いてあるからです。

もしイスタンブール中心部で歴代優雅な暮らしをしてきた(という意識のある)旧来からのエリート層・西欧化した上流階層を登場させれば、彼らの口を借りて「アナトリアの田舎者にイスタンブールが包囲されている」という心象風景を描くことになり、それによって、AKPの長期政権化によって台頭する新興エリートに脅威を感じる旧エリート層の姿が描かれるでしょう。新興エリート層を押し上げるアナトリア半島からの人口流入圧力や、流入民によって都市近郊に膨れ上がる新興中間層に強い圧迫感を感じ、反エルドアンで凝り固まっていくことが明らかにされるでしょう。

イスタンブール中心部あるいはヨーロッパ側・地中海側の地域のエリート層は、外国語能力も高く(中等教育から全部英語でやっている)、欧米市民社会や欧米主要メディアとの接触も多いので、彼らの発言が多く国際的に出回ります。そこから「エルドアン危うし」という印象が選挙のたびに国際的な報道では強まるのですが、ふたを開けてみると毎回「エルドアン圧勝」となるのです。フィナンシャル・タイムズの記事は、欧米メディアで主流を占めがちな世俗主義的なエリートのエルドアン批判を相対化する役割も果たしています。

(2)のトルコ/クルドの民族的な差異による投票行動の違いについても見てみましょう。

南東部の、紫で塗られたデミルタシュ候補が過半数あるいは一位となった地域は、クルド人が多数を占める地域に重なります。クルド人の権利を主張する政党や候補者が出てこれるようになっただけでも、エルドアン政権期の非常に大きな変化です。ただしクルド人政党が単独で大統領選挙に勝つことはできないでしょう。

重要なのは、クルド人政党が勝てないのに対抗馬を出したのはなぜか。もちろん存在感を示したい、というのが第一でしょう。存在感の主張の内には、エルドアン政権に一定程度の批判を突き付けるという面ももちろんあるでしょうが、間接的にはエルドアン支援になっています。

本当に反エルドアンであれば、共和人民党と連立候補を立てればよかったでしょうが、それはせず、独自候補を立てた。それによって共和人民党の勝利の可能性を低め、エルドアンが勝つ可能性を高めた。

もちろん、二人の野党候補がそれぞれ善戦して、第1回投票でエルドアンが過半数を取れず決選投票に持ち越された場合どうなったかというのは、分かりません。デミルタシュ候補がイフサンオール候補支持を打ち出して、一気に反エルドアンでまとまるという可能性が全くなかったとは言い切れません。でもおそらくそのようなことは起こらなかったでしょう。

なぜかというと、クルド人の存在を否定し、強く弾圧してきたのは歴代の共和人民党政権だからです。共和人民党政権は、どの選挙でも常にクルド地域では負けています。あからさまなクルド人政党、権利擁護の主張が許されなかった時代も、東南部のクルド人たちは野党に投票するという形で、トルコ民族主義の中央政府・共和人民党に「No」の意志を表明していたのです。

それに対して、エルドアン政権期には、クルド人への権利付与が進み、クルド独立運動の武装勢力との和平も一定程度進みました。これはEU加盟交渉で条件づけられたという外在的要因が強いですが、同時に、選挙で勝ってきた大衆政治家であるエルドアン首相が、票田としてのクルド人に目をつけたという要因もあります。

クルド人地域はアナトリア半島の内陸部・黒海沿岸地域と、低開発という点では共通しています。民族紛争に対する掃討作戦といった政策を別にすれば、アナトリアの底辺を底上げして新興中間層に押し上げるというエルドアン政権の推進した経済開発政策は、クルド人地域にとっても大きな恩恵をもたらすものです。それによって、エルドアン政権期のAKPはクルド地域でも与党化を進めてきたのです。ですので、もし決選投票に持ち込まれたら、クルド地域の多数派はエルドアンに投票し、やはり圧倒的多数でエルドアンが勝ったのではないでしょうか。

どちらかというと今回のデミルタシュ候補の出馬は、反エルドアンの姿勢を打ち出したというよりは、クルド地域をも支持基盤化するAKPに対抗して出ざるを得なかったということなのではないかと思います。もし候補を出さずに、第一回投票から「AKP対共和人民党」の一騎打ちとなって、南東部クルド地域が全面的にエルドアンに投票して勝たせてしまったら、クルド人政党の役割はなくなってしまいかねません。せめて、「決選投票でクルド票をエルドアンに提供して恩を売る」方が、後々のレバレッジになったでしょう。そのような戦略判断からいうとデミルタシュ候補は負けを承知で立候補した意味があったと言えます。しかし第1回投票でエルドアンが過半数を取ってしまったので、結果的にキャスティング・ボートは握れませんでしたが。

もちろん、エルドアンが大統領となって強権化するのではないかといった、共和人民党支持側の勢力が欧米メディアを使って流す危惧の念には正当な面も多くあります。もともとは改革派の庶民の政党だったAKPが、長期政権化して党指導部はエリート化して汚職にまみれています。旧来型エリートによるクーデタなど超法規的な政権転覆の陰謀を恐れるあまり、過度に対決的な姿勢で臨みメディア規制などもしています。

その背景にある国論の分裂は、上記に記したような政治経済的な階層差を背景にしているだけに、解消が困難です。そしてこの国論の分裂を、エルドアンが大統領となればいっそう煽り対決姿勢を強めるのでは、という危惧の念にはもっともという面もあります。

そして、経済の高度成長が頭打ちになった今、支持層への更なる配分は困難となり、旧来型エリート層の反発も強まるでしょう。中東における政治的・経済的な成功モデルであったトルコの前途が多難であることは確かです。

ですが、選挙をやるとなると、エルドアンとAKPの優位は当分の間揺るがないでしょう。

最大の原因は、対抗馬・対抗勢力がいないこと。選挙は可能な選択肢から選ぶものですから、共和人民党なり新たな野党なりが勝てる候補を出さねばなりません。しかし、汚職や強権姿勢と言えば元来共和人民党のお家芸なわけで、与党化・エリート化したAKPが問題を抱えるようになっても、有権者から言えばまだ当分は「どっちもどっち」でしょう。そしてエルドアンを批判するだけでなく、エルドアンに代わる有能でカリスマ性のある候補者を出してくる、という点で、今回の大統領選挙では共和人民党は「不戦敗」に等しいものでした。

イフサンオール候補は、確かにイスラーム協力機構事務総長として国際的に知られた人物であり(私も一度会議の席上で会話したことがあります)、人格識見を備えた人物なのでしょう。しかしまさに国内での政治活動歴はほとんどないので一般的知名度も低く、共和人民党を指導する立場でもないので組織的支持もありません。

そもそも保守的でイスラーム的な人物なので、エルドアン・AKPとの違いを出せないのです。エルドアンとAKPが支持されていると分かっているからこそ、それに「被る」候補者を出してきた、共和人民党の本来の政策である世俗主義を打ち出すことを避けた、という苦肉の策でしょう。最初から勝ち目はなかったと言わざるを得ません。

米国のイラク北部限定空爆の意図と目標

8月7日のオバマ大統領によるイラク北部への空爆・人道物資投下の許可を受けて、米軍は8日にイラク北部クルド人自治区(クルド自治政府)の首都エルビール付近で、侵攻するISIS(改称して「イスラーム国家(IS)」を名乗っている)に対する空爆を行った模様だ。

地図で見てみよう。

米国のイラク北部空爆8月8日BBC
出典:BBC

この地図ではクルド地域政府(北部三県)が濃く塗られており、その範囲を超えてどこまでクルド部隊(ペシュメルガ)が支配しているかについては保留になっている。6月に急激に勢力を拡大した際にはISISはペシュメルガと衝突を避けていたようだが、過去1か月ほどはクルド人勢力の支配領域を蚕食している。

米軍の目標は限定的で、7日のオバマ大統領の声明の冒頭の一行そのものなのだろう。

Today I authorized two operations in Iraq — targeted airstrikes to protect our American personnel, and a humanitarian effort to help save thousands of Iraqi civilians who are trapped on a mountain without food and water and facing almost certain death.

(1)米国の人員を守るための攻撃
(2)イラクの少数派への人道支援

を掲げているが、オバマ政権としてはおそらく本当にこの二つに限定したいのだと思う。

特に重要なのは(1)だろう。これはオバマ政権の一貫した姿勢で、要するに介入は「直接にアメリカ人に危害が及ぶ」場合に限定するのである。そのため、介入がイラク内部の政治・軍事的状況を大きく変えるものになるとは考えにくい。

オバマ政権の対外関与についての一般姿勢は、5月28日のウエストポイント演説で定義されていることが広く知られており、イラク情勢への米国の介入の程度や意図・目標を見るにはまずこの演説を踏まえないといけない。

さらに、6月19日の声明でイラク情勢への対応にこの原則をどう適用するかがより具体的になっている。

今回の空爆は、海外においても「米国人への直接的脅威」に直接介入の目的を限定しようとするオバマ政権の一貫した原則に従ったものです。

ウエストポイント演説とその中東への適用についてはこのブログでも随時言及している。【6月11日】【6月20日】【7月1日】【7月8日

エルビールがどのような意味で「米国人への直接的な脅威」に関わるのか。

クルド地域政府の範囲、特にエルビールを中心とした北半分は、1991年の湾岸戦争以来、「飛行禁止空域」を設けて保護し、サダム・フセイン政権の支配から自立させ、米国の経済的、諜報・軍事的な影響を及ぼしてきた地域である。シーア派主体の南部よりもはるかに、アメリカと緊密な関係を築き、アメリカが足場を築いてきた領域だ。

文字通りAmerican personnelが多くおり(その多くは現地人だろう)、もし一時的にもISISがエルビールを制圧すれば、それらの人々が殺害されることは、ISISの過去の言動からも明らかである。それを阻止するために、エルビールのクルド地域政府を支援する、という論理である。

軍としては、そのような極端に限定的なミッションが実施可能であると認識しているかどうかわからないが、政権としてはそのような意図と目標を設定しているのだろう。

一方(2)の「イラク市民」の保護だが、これも確かにオバマ政権にとって重要なのだろうが、正当化根拠として疑問が多い。ISISはここのところ、イラク北部のクルド勢力が掌握していた、宗教的少数派が集住した町々を制圧している。シンジャールを陥落させ、ヤズィーディー教徒の大量の避難民がシンジャール山に孤立して人道支援を必要とする状況になっており、最大のキリスト教徒が多数を占めるカラクーシュも制圧し、避難民がクルド地域に流入している。ISISがそれらの地域で異教徒を隷属化に置く姿勢を明確にし、迫害とみなされる行為を行っている可能性は高い。

こういった少数派が関わってくると国際問題化しやすいという点は、以前にイラクの宗派・民族地図を紹介した時に記してあったが、これが現実化した形だ。(6月18日のエントリ「【地図と解説】シーア派の中東での分布」の6枚目の地図を参照)

しかし、アラウィー派やキリスト教徒が強く支持するシリアのアサド政権がイスラーム教スンナ派が多い反体制派をどれだけ虐殺しても軍事介入せず、逆にイスラーム教スンナ派の勢力(ISIS)がキリスト教徒や少数宗教の地域を制圧して迫害すると即座に介入する、というのは正当化の根拠が弱い。それどころか「宗教戦争」とみなされてISISが活気づき、世界のイスラーム教徒の支持を集める結果にすらなりかねない。

戦略的には、エルビールをISISに奪われるのは、バグダード中心部を奪われるのと等しいぐらい、米国にとって重大な損失である。それを避けるために、オバマ政権がやりたくない介入をいやいやながら行ったというのが実態だろう。

しかし、それへの国内的支持を取り付け、国際的にも理屈づけるために「少数派の保護」が持ち出され、かえって問題をこじらせかねないように感じられる。

「少数派の迫害」という「人道」的理由を付すことで支持基盤の反戦的リベラル派の支持をとりつけ、かつ「キリスト教徒が迫害されている」というイラクやシリアの内戦の文脈では二の次の論点(宗教・宗派に関わらず、敵味方に分かれた諸勢力の紛争に巻き込まれ、幾度も複数の勢力に制圧された地域で、あらゆる立場の人々がしばしば過酷な扱いを受けているのであって、特定の宗教・宗派が迫害された時にだけ介入するというのは理屈が通らない)を引き合いに出してイスラーム教徒との「聖戦」の意識を根深く抱くキリスト教右派など保守派の支持も得るという、米国の国内政治の論理がいかにも鼻につく正当化の仕方だ。

中長期的な効果の面でも、正当化根拠の面でも疑問が残る介入だが、少なくとも米軍の攻撃が大規模化するとは考えにくいという見通しは立つ。ただし短期間に成果を出し、問題を解決することも望み薄である。

ガザ情勢のライブ・アップデートはこちらから

ガザ情勢について、停戦期限が切れた後の詳細な状況は、イスラエル紙のホームページあるいはアルジャジーラなどの国際衛星放送ホームページのライブ・アップデートで分かります。

タイムズ・オブ・イスラエル
Truce ends with rocket fire after Hamas rejects calls to extend it

Yネット・ニュース
Updates

ハアレツ紙(有料)
LIVE UPDATES: Rocket fire resumes as cease-fire ends

アル・ジャジーラ・イングリッシュ(情報が雑多なのと、時間表示が現地時間だったり見ている側の時間だったりして分かりにくいなどいろいろバグがある)
Gaza Blog Live

ガザの一時停戦が延長合意ないまま期限切れ──ハマース軍事部門は挑発に出るか

イスラエルとガザのハマースの間の紛争は、8月5日朝8時(現地時間)から72時間の停戦が発効し、ここまで概ね守られてきましたが、8日朝8時(日本時間では午後2時)に期限が切れます。あと10分を切りました。

イスラエルは停戦の延長を提案していますが、カイロで行われている交渉で、ハマースは無条件での停戦延長には抵抗しており、明示的な停戦延長に同意していません。

ハマースの軍事部門は「ガザの封鎖解除(検問所の再開)」「6月にヨルダン川西岸で逮捕された活動家の釈放」の条件が受け入れられなければ停戦の延長は拒否し、期限切れと共に攻撃を再開する姿勢をしめしてきたが、7日のビデオ声明でもこれを再確認した。

8月7日午後にもガザで集会を開き、「交渉で妥協するな」と気勢を上げていました。

朝8時の期限ぎりぎりまでパレスチナ人諸勢力とエジプトがハマースを説得するものとされてきましたが、8日朝6時台のアルジャジーラの報道でも、依然として停戦延長に同意していないようです。

期限切れと共にハマースのロケット攻撃があるのではないかとイスラエル側は臨戦態勢でいるようです。

イスラエルはすでに主要な目標を達成していると思われるので、ハマースが戦闘能力を見せるたびに報復を行い続けるでしょう。イスラエルとしては停戦をしてもかまわないが、ハマースとしては「経済封鎖解除」というガザ市民の総意の要求についてなんら成果なしに停戦を続けては、これだけの犠牲を払った価値がないと突き上げを受けかねません。

かといって戦っても勝ち目はなく、「一般市民の犠牲」をアピールしてイスラエル側の評判を落とすことしかできません。ガザにプラスになるような成果を出せそうもない点が限界です。

経済封鎖はガザのハマースとイスラエルの関係というよりは、ハマースとエジプトの関係に深く関わっているので、ここで関係が険悪である以上、そう簡単に解除されないのではないかと思います。

流れとしては収束に向かっていますが、間歇的な衝突の可能性は高いままです。停戦しては衝突、を繰り返す期間が当分続くかもしれません。

【テレビ出演】本日夜10時、NHK-BS1「国際報道2014」に出演──テーマはトルコ大統領選挙

本日夜10時からのNHK-BS1「国際報道2014」にスタジオ出演して解説する予定です。

テーマは8月10日投票のトルコ大統領選挙。トルコ共和国史上初の直接選挙による大統領選出です。ここにエルドアン首相が鞍替え立候補し、圧勝する構えです。

最近の2つの世論調査でも55%程度の支持率で、決選投票にずれこまずに、第1回投票で過半数を得て勝利するかどうかが焦点となっています。

エルドアンは非常に大きな実績と功績を誇る傑出した政治家ですが、政権が長期化し軍や司法を抑え込んだ後は、政権の汚職や強権化が批判されています。しかしエルドアンの支持層は分厚く、公正発展党(AKP)の組織も盤石で、選挙をすれば常に勝てる状態です。

イメージ的には、55%が常に支持して選挙では常に勝つのに対して、残りの45%が強く反発して「反エルドアン」で結束しかけており、デモや国際世論の圧力を通じた政権打倒を目指すなど制度外での反対運動を激化させ、国論が分裂しているという状態です。

エルドアンが直接選挙による大統領になって、議会の制約からも超越して、得意の開発政策・大国外交を推し進めることには西欧諸国から危惧の念が表明されています。

ドイツの代表的な雑誌『シュピーゲル』ではカバーストーリーにエルドアンを特集。「エルドアンの国家(Der Staat Erdoğan)」と銘打って、国家権力の独占を危惧しています。

Erdogan Der Staat_Spiegel 32_2014_August 4
Hasnain Kazim and Maximilian Popp, “One-Man State: Presidential Election Set to Seal Erdogan’s Supremacy,” Spiegel Online International, August 6, 2014.

ドイツには400万人以上のトルコ系移民・労働者がいます。この特集はドイツ語とトルコ語の二原語で書かれているとのこと。表紙にも「Erdoğan Devleti」とトルコ語が併記してあります。

いつも通りエルドアンはこれを欧米の陰謀と非難。

Erdoğan accuses Der Spiegel of seeking to foment chaos in Turkey, Today’s Zaman, August 7, 2014.

ザマーンは、エルドアン政権と袂を分かって激しく対立するギュレン運動系の新聞ですので、エルドアンに対して意地悪です。

独裁化する、と危惧されていると言ってもそう非難するメディアの存在が可能であるわけで、実際に独裁化しているとは言い切れない。別に反対派を大量虐殺しているわけでもない。むしろ検察が大規模に政権の汚職を摘発している。

ただし政府のメディア(特に国営テレビTRT)が全面的に「本日のエルドアン」ばかり流しているように、公平とは言えません。検察・警察幹部を大量に更迭・配置転換して汚職捜査を妨害するなど、法の支配を貫徹しているとは言えません。

エルドアンの「野望」については、『フォーサイト』に寄稿したことがあります。

池内恵「エルドアン首相はトルコの「中興の祖」となれるか」『フォーサイト』2014年3月19日

「フラジャイル5」の「筆頭」に数えられてしまい、先行き不安が語られるトルコ経済については、このブログで連続して解説したことがあります。まだ書くことはあるのですが忙しくて途中になっていますが。

トルコはもう「三丁目の夕日」じゃないよ(2014年1月22日)

トルコ経済はどうなる(1)深夜の果断な利上げ(2014年2月10日)

トルコ経済はどうなる(2)テーパリングって何だっけ(2014年2月11日)

トルコ経済はどうなる(3)「低体温化」どうでしょう(2014年2月12日)

イスラエル・ガザの紛争に収束の兆し

ガザでのイスラエルとハマースの紛争が収束に向かっています。

8月5日朝から、72時間の期間限定した停戦が発効しており、現在のところ破られておりません。明日8月8日金曜朝で停戦の期限が切れますが、カイロでハマースを含むパレスチナ代表団イスラエル代表団が、エジプトの諜報機関を媒介者とする間接対話で交渉を行っており、ひとまず1週間程度の延長が議論されているようです。

7月8日のイスラエルによる空爆開始から数えると29日目に、ある程度持続する停戦が初めて発効した形です。

イスラエルが8月4日から5日にかけて地上部隊を全面的にガザから引き揚げたことと、ハマースのロケット弾発射装置そしてイスラエルにつながる地下トンネルの破壊(32とも言われる)という目的をほぼ達成したこと、ハマースが交渉に参加していることから、停戦期間の延長を繰り返しながら長期的な停戦につながっていく可能性が出てきました。それが恒久的な和平に至る道なのかどうかは議論が分かれますが、いずれにせよ当面の一般市民の犠牲がこれ以上増えないという意味では肯定的な流れでしょう。

今回のガザでの紛争については、このブログの以下のエントリで取り上げてきました。

【寄稿】ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々(2014年7月16日)

ガザ紛争をめぐる中東国際政治(2014年7月26日)

【地図と解説】イスラエル・ガザ紛争の3週間と、今後の見通し(2014年07月28日)
 
7月30日の報道ステーションでの解説でも示したように、3週間が過ぎた段階(7月28日ごろ)で、将来に関して二つの異なるシナリオが考えられました。

(1)これまでと同様に、イスラエルがハマースの戦闘能力を弱めて目標を達成して撤退していくことで収束し、数年後にまた再燃する。
(2)これまでとは異なり、ネタニヤフ政権がハマースの根絶を図る大規模で徹底的な地上戦を行い、ハマースの軍事部門を壊滅させ、政治部門からガザの支配件を奪う。もしそうなった場合、その後のガザを統治する主体がファタハなのか国際的な停戦監視部隊なのかあるいはイスラエルによる再占領なのかがはっきりとせず、「イスラーム国家」のような超国家的な過激派が台頭する恐れもある。

この時点では、ネタニヤフ首相と側近、イスラエル軍上層部以外の誰も、本当のところどこまで掃討作戦を拡大するのかは分からなかったと思われます。ですので、上記のような、帰結を大きく異にするシナリオの両方が考えられる、というところが、客観分析を主眼とする分析を行う専門家の共通認識だったと思います。

結局、(1)の路線だが、若干(2)に近く、ハマースのガザでの支配権を一部ファタハに移管したり、国際監視部隊によってガザ・エジプト間の国境を管理する体制を導入することで、一定の封鎖解除を行い、ハマースの再武装にも一定の歯止め・監視の制度を導入することで、紛争の再燃を防ぐ機構を組み込んだ形での中長期的停戦の可能性が見えてきました。

それがガザの問題を完全に解決するものではなく、イスラエル・パレスチナの和平そのものをもそれほど前進させるとは言えないものの、ガザの置かれた政治的状況とその人道的影響という意味では、現状よりはまだ「まし」な方向に行く可能性もあるという見通しが、若干、出てきたというのが現在言えることではないでしょうか。

この件は長い話になるので、小分けして書いていきましょう。それではまた。

【寄稿】イラクの「宗派紛争」について

ブログの更新の間隔が空いてしまいました。夏休み、ということではなく、ものすごく忙しい時にこうなります。

『潮』の9月号にイラク政治や「イスラーム国家」について寄稿しました。

池内恵「緊迫のイラク情勢と国際社会」『潮』2014年9月号(通巻667号)、140-145頁

編集部がまず私に質問を行い、また私の方からそれに応えつつ講義をするように盛り込むべき論点や情報を考えながらしゃべり、テープ起こしを編集して文章にしたものを、さらに私が書き直しています。

紙幅の都合で十分に論じきれないこともありますが、通常の雑誌よりは長く誌面を取ってもらっているのではないか、また、基礎から説き起こしているのではないか、と思います。

今回の議論のうち重要と私が思うポイントの一つは、「イラクの現在は宗派紛争なのか?」という問題。

私の考え方は、これは『中東 危機の震源を読む』(新潮社)などを見て頂ければいいですが、2005年頃からずっと書いていますが、下記のようなものです。

(1)宗派紛争(「宗教コミュニティ間の紛争」という社会・政治的意味での)は現に存在している。
(2)宗派紛争(「宗教・宗派間の教義をめぐる争い」という宗教的意味での)はほとんど存在しない。ただし上記の社会政治的な意味での紛争が生じた後には教義的な意味づけをして扇動する者たちが出てきて一部では本当に教義をめぐる闘争になる場合もある。

この両方を理解しないといけないということです。

中東専門家は、往々にして「一般の報道・認識は間違っている」と言いたがり、この問題については「宗派紛争なんてない」と言います。

それを通じて、なんだかイラクについて(あるいはシリアについて、レバノンについて、パレスチナについて)の報道が間違っており、政策も根本的に間違っている・・・というような印象を醸し出します。そこから、一般聴衆には、とにかく中東は理解不能なことが多い、という印象を受ける人が多いようです。

なんだかいつも専門家に説教されているような印象がありますね。

でも、これはかなり単純な誤解や印象操作、論点ずらしで成り立っている議論なんです(ご本人たちに論点をずらしている意識がないような様子が怖いですが。。。業界の同調圧力に依存した教育って恐ろしい。意図してやっていないということは、間違ったことや結果として嘘となることを言っていいということにはなりません)。

確かに、イラクの紛争の「原因」が「教義をめぐる宗派紛争だ」ということはないでしょう。

私の『潮』の記事でも、宗派紛争が教義の対立として起きているわけではないとかなり周到に解説してあります。

しかし「根本原因は宗教・教義の違いじゃないんだよ」という議論が、いつのまにか「そもそも宗派紛争などないのに欧米の報道が間違っていて、それを口実に介入がくるぞけしからん反対運動しよ~」といった方向に議論が脱線してしまうと、かなり間違いや不適当な部分を含んだ論説になってしまいます。

そもそも「宗派紛争」とは英語の「sectarian strife」や、アラビア語の「fitna ta’ifiyya」を日本語訳して流通している概念です。もともとの「宗派」という言葉(の原語)は、宗教の「教義」ではなく、社会政治的な宗教・宗派のコミュニティあるいはそのようなコミュニティへの帰属意識を核にしたさまざまな政治現象という意味の「sect; sectarianism」あるいは「tai’fa; ta’ifiyya」なのです。

正確に「宗派コミュニティー間紛争」と訳すべきだ、と私は遠い昔に書いたことがありますが、まあ実現しないでしょう。

「宗派紛争」と言っているんだから「教義」を問題にしているんだろう、という観念は、単に日本語に翻訳した後の語感から想像して一部の論者が勝手に議論していることなのです。

ですので、それに対して「別に教義論争をして争っているわけではないですよ」と正すのはいいですが、「宗派紛争そのものが存在しない」と議論する(あるいは暗示的に匂わせる)のは、間違っています。社会政治的な紛争としての宗派紛争は現に存在しているのですから。もともと英語やアラビア語の宗派紛争は社会政治的な意味で言っているんです。宗派紛争が「ない」というんだったら社会政治的な意味の宗派紛争がない、と示さないといけないが、それはできない。だって厳然とあるから。

「それぞれの宗派の中でも派閥があるから宗派紛争じゃないよ」という議論も、議論として成立していませんね。論点ずらしと論理混乱による見かけ上の議論の典型です。

「各宗派が『一枚岩』に他の宗派と争う(というかなり劇画的な)事態以外は宗派紛争ではない」という無茶な定義を勝手に(しかも明示せずに)置いて、「それとは違うから宗派紛争ではない」と言っているわけです。おかしいでしょう。こんなことばっかりです中東論は。

それを補正するのが私の仕事みたいになってしまっています。

こんなことはいい加減にやめたい。しかしやめると別の人がもっと変なことを言いに出てくるので、それを未然に阻止するためにメディアにほどほどに出ているというのが私の主観的認識です。

中東問題の議論は、現地の現実が複雑というよりも、論者の論理が複雑(かつ肝心なところにバグがある)なので分かりにくい、という場合が多いのではないでしょうか。

論者(専門家)が、「ふつうそれはないだろう」というような変な論理構成で議論し、しかも前提となるあり得ない定義などを説明しないので、「普通の論理では説明できない世界」「論理を超えた世界」であるかのように、一般読者・聴衆には映ってしまいがちです。

そうではなく、もっと筋道を立てて、「宗派の教義が紛争の根本の原因ではないとしても、実際に紛争が生じるときに、なぜ亀裂・対立軸が宗派や宗教コミュニティ間に走りがちなのだろうか?」と考えていった方が生産的なのではないでしょうか。これは突飛な論点、勇ましく上から説教したり他者を指弾できるネタではないかもしれませんが、人類社会に関するはるかに深遠な問題にかかわっていると思いますよ。

それを考える作業は時間がかかりますが、実り多いものと思います。

てっとり早く「宗派紛争など存在しないのに欧米の介入が作り出した・・・」といった議論をして、世論に対して説教をし、自らの存在意義を確認したいというのは研究者の性ですが、そういったことの先には、たいしたものは待っていません。せいぜいが自己満足と業界の仲間との結束感であり、背景ではそういう方面で議論をしている業界の偉い人への阿りが裏打ちしています(まあそれが一番重要なんだ、と本気で心の底から思い込んでいるらしいき人たちがいるのも確かなんですが・・・そういう人たちには大学という世界にいる資格はない、と私は本気で思っています。というか、別にいなくていいじゃないですか。よそにはもっと儲かって脚光を浴びる業界がありますよ。そちらにいかれたら?というだけのことです)。

論理的に整理しておきましょう。

(1)「宗派紛争なんかないのに報道・論評が間違っている」という議論は、日本における「宗派紛争」という観念についての言説批判、でしかありません(しかも言説批判として不適切である)。これまでの中東研究・中東論は、ある種の「研究イデオロギー」(業界の存在意義を高めるための主張)として、こういった言説批判を活発にしてきて、「それ専門」という人たちも特定の世代に多いので、それが当たり前だと思っている人もいるかもしれませんが、そうではありません。中長期的には調整・是正されざるを得ない一時的な現象です。

(2)それに対して「なぜ教義をめぐっては対立していないのに、社会政治的な宗派紛争が起こるのだろうか。また、それが教義をめぐる闘いに転化する場合は、どういうメカニズムにおいてなのだろうか」という方向での探究は、実際に中東で生じている現象に取り組む作業です。こちらが本来の中東研究です。こちらに取り組むことが、どれだけ短期的に業界での評判が悪くなろうが、長期的には有意義なことです。

そういった基本的な研究者倫理とか、その前提となる「生き方」の問題は、大学で特定の授業とか先生から学んだのではなく、長い時間をかけて、家にいる父の姿や言葉から学んていたんだな・・・と今となっては思います。

大学での教育の価値を否定しているように見えかねませんが、そもそも大学は授業といった公式ルートだけから物事を伝えているわけではないからね。そして非公式なルートからも何事かが伝わってしまうのが大学という場の良い所なんだと思うよ。

とある同僚の偉い先生が、「大学は知のロンダリングをするところだ」と言っていましたが・・・表現はどうあれ、真実だなあ、と思いました。通常はつながらない、伝わらないものを、大学といういい加減な袋に放り込んでぐしゃぐしゃとかき混ぜると、何か別のものになって出てくる、というわけです(大きなお金が動く理系の業界の先生が「ロンダリング」と言うと迫力があります)。

そういった「何か」を伝える場所はこの世の中に大学だけではないけど、大学はもっとも有効な場だと思う。

このことについてはそのうちまた。