コメント『毎日新聞』にシャルリー・エブド紙へのテロについて

フランス・パリで1月7日午前11時半ごろ(日本時間午後7時半ごろ)、週刊紙『シャルリー・エブド』の編集部に複数の犯人が侵入し少なくとも12人を殺害しました。

この件について、昨夜10時の段階での情報に基づくコメントが、今朝の『毎日新聞』の国際面に掲載されています。

10時半に最終的なコメント文面をまとめていましたので、おそらく最終版のあたりにならないと載っていないと思います。
手元の第14版には掲載されていました。

「『神は偉大』男ら叫ぶ 被弾警官へ発泡 仏週刊紙テロ 米独に衝撃」『毎日新聞』2014年1月8日朝刊(国際面)

コメント(見出し・紹介含む)は下記【 】内の部分です。

【緊張高まるだろう
池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)の話
 フランスは西欧でもイスラム国への参加者が多く、その考えに共鳴している人も多い。仮に今回の犯行がイスラム国と組織的に関係のある勢力によるものであれば、イラクやシリアにとどまらず、イスラム国の脅威が欧州でも現実のものとなったと考えられる。イスラム国と組織的なつながりのないイスラム勢力の犯行の場合は、不特定多数の在住イスラム教徒がテロを行う可能性があると疑われて、社会的な緊張が高まるだろう。】

短いですが、理論的な要点は盛り込んであり、今後も、よほどの予想外の事実が発見されない限り、概念的にはこのコメントで問題構図は包摂されていると考えています。

実際の犯人がどこの誰で何をしたかは、私は捜査機関でも諜報機関でもないので、犯行数時間以内にわかっているはずがありません。そのような詳細はわからないことを前提にしても、政治的・思想的に理論的に考えると、次の二つのいずれかであると考えられます。

(1)「イスラーム国」と直接的なつながりがある組織の犯行の場合
(2)「イスラーム国」とは組織的つながりがない個人や小組織が行った場合。グローバル・ジハードの中の「ローン・ウルフ(一匹狼)」型といえます。

両者の間の中間形態はあり得ます。つまり、(1)に近い中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子に、「イスラーム国」がなんらかの、直接・間接な方法で指示して犯行を行わせた、あるいは犯行を扇動した、という可能性はあります。あるいは、(2)に近い方の中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子が、「イスラーム国」の活動に触発され、その活動に呼応し、あるいは自発的に支援・共感を申し出る形で今回の犯行を行った場合です。ウェブ上の情報を見る、SNSで情報をやりとりするといったゆるいつながりで過激派組織の考え方や行動に触れているという程度の接触の方法である場合、刑法上は「イスラーム国」には責任はないと言わざるを得ませんが、インスピレーションを与えた、過激化の原因となったと言えます。

「イスラーム国」をめぐるフランスでの議論に触発されてはいても、直接的にそれに関係しておらず、意識もしていない犯人である可能性はあります。『シャルリー・エブド』誌に対する敵意のみで犯行を行った可能性はないわけではありません。ただ、1月7日発売の最新号の表紙に反応したのであれば、準備が良すぎる気はします。

犯行勢力が(1)に近い実態を持っていた場合は、中東の紛争がヨーロッパに直接的に波及することの危険性が認識され、対処策が講じられることになります。国際政治的な意味づけと波及効果が大きいということです。
(2)に近いものであった場合は、「イスラーム国」があってもなくても、ヨーロッパの社会規範がアッラーとその法の絶対性・優越性を認めないこと、風刺や揶揄によって宗教規範に挑戦することを、武力でもって阻止・処罰することを是とする思想が、必ずしも過激派組織に関わっていない人の中にも、割合は少ないけれども、浸透していることになり、国民社会統合の観点から、移民政策の観点からは、重大な意味を長期的に持つでしょう。ただし外部あるいは国内の過激派組織との組織的なつながりがない単発の犯行である場合は、治安・安全保障上の脅威としての規模は、物理的にはそう大きくないはずなので、過大な危険視は避ける必要性がより強く出てきます。

私は今、研究上重要な仕事に複数取り組んでおり、非常に忙しいので、新たにこのような事件が起きてしまうと、一層スケジュールが破綻してしまいますが、適切な視点を早い時期に提供することが、このような重大な問題への社会としての対処策を定めるために重要と思いますので、できる限り解説するようにしています。

現状では「ローン・ウルフ」型の犯行と見るのが順当です(最近の事例の一例。これ以外にも、カナダの国会議事堂襲撃事件や、ベルギーのユダヤ博物館襲撃事件があります)

ただし、ローン・ウルフ型の犯行にしても高度化している点が注目されます。シリア内戦への参加による武器の扱いの習熟や戦闘への慣れなどが原因になっている可能性があります。

ローン・ウルフ型の過激派が、イラクとシリアで支配領域を確保している「イスラーム国」あるいはヌスラ戦線、またはアフガニスタンやパキスタンを聖域とするアル=カーイダや、パキスタン・ターリバーン(TTP)のような中東・南アジアの組織と、間接的な形で新たなつながりや影響関係を持ってきている可能性があります。それらは今後この事件や、続いて起こる可能性のある事件の背後が明らかになることによって、わかってくるでしょう。(1)と(2)に理念型として分けて考えていますが、その中間形態、(2)ではあるが(1)の要素を多く含む中間形態が、イラク・シリアでの紛争の結果として、より多く生じていると言えるかもしれません。(1)と(2)の結合した形態の組織・個人が今後多くテロの現場に現れてくることが予想されます。

本業の政治思想や中東に関する歴史的な研究などを進めながら、可能な限り対応しています。

理論的な面では、2013年から14年に刊行した諸論文で多くの部分を取り上げてあります。

「イスラーム国」の台頭以後の、グローバル・ジハードの現象の中で新たに顕著になってきた側面については、近刊『イスラーム国の衝撃』(文春新書、1月20日刊行予定)に記してあります。今のところ、生じてくる現象は理論的には想定内です。

ユーラシア・グループの2015年リスク予測も発表

ユーラシア・グループが5日に今年の10大リスク予測を発表しましたね。

私も参加させてもらったPHP総研のグローバル・リスク予測(「2015年のグローバルリスク予測を公開」2014/12/20)と比較してみたいが、新年早々締め切りがどんどん来ていて切羽詰まっているので時間ありません。

簡単な紹介はこれかな。

「2015年最大のリスクは欧州政治 米調査会社予測 ロシアや「金融の兵器化」も上位」『日本経済新聞』(電子版)2015/1/5 21:04

「アジアのナショナリズム」は騒がれているけど実際はそう危険でもないよ、というのはアジアの顧客を重視して拠点を置いているユーラシア・グループらしい冷静さ。

アメリカの主流の人たちは非常にトランス・アトランティック(環大西洋)な世界に生きている。その延長線上の「勢力範囲」である中東とかアフリカまでについてはえらく強いが、アジア太平洋地域は「裏世界」(「裏日本」みたいな意味で)としか思っていないからよく分かっていない。なので「日本でナチスが台頭」みたいないい加減な話を、無知で無関心で、おそらく内心見下しているが故に、信じてしまうことがある。

ユーラシア・グループはアジア太平洋側に顧客を持っているから、安易に欧米の真ん中辺の人たちの発想で情報提供をすると見限られてしまうので、今年は抑え気味に来ていますね。煽って注目を集めようとする時も多いのですが。

まあおみくじとか新年初売りの景気付けの口上みたいなものと思ってください。

これについての吉崎達彦さんの解説があると、一年が始まった気がします(昨年はこれ)。

今年はハッピ着て鉢巻きしてやってほしい。新年開運予測。

「イスラーム国」問題コメント4本(昨年の積み残し)

昨年の仕事をまだやっている仕事初めかな。

間に合いません。

しかし昨年のものを積み残しを残しておくと気になるから早く終わらせたい。

このブログで通例のメディア掲載情報も同じく、積み残しがあります。

一瞬の隙をついて4つ記録しておきましょう。昨年10月6日に明らかになった「イスラーム国に日本人学生が!」問題で急激に高まった(もう引いた)メディア対応の記録。もうすぐ終わるからね、と自分に言い聞かせながら日々を過ごしてきた。本当にも少しだ。あと『読売クオータリー』が今月出ればそれで終わりかな、たぶん。

(1)『プレジデント』2015年1月12日号(2014年12月22日(月)発売)、特集「先が読める! 迷いが晴れる!ビジネスマンが学ぶべき『近現代史』入門」

この特集の中で、下記のインタビューが掲載されています。

池内恵「[4]イスラム国▼タリバンやアルカイダとは何が決定的に違うのか」48−49頁

『プレジデント』は隔週刊なのでまだ売っているかな。「新春開運号」だそうです・・・表紙に金色の羊が。

「イスラーム国」が必ずしもターリバーンやアル=カーイダと「決定的に違う」とは思いませんが、ここが違う、と示さないと読者には頭に入らないのかもしれませんね。タイトルは編集部がつけたものです。私としては「イスラーム国」とアル=カーイダが共通して属すグローバル・ジハードの運動について、それがローカル化する場面、またグローバル化する局面、といった動学が伝えられればいいなと思いましたが、インタビューなので、そもそも質問を編集部が行ってそれに答えたものを編集部が大幅に再構成し、それを私が最低限これはまずいだろうという部分を直すという形で作られているので、私が著者とは言えない面があります。編集部が何を読者が知りたがるだろうと考えているのか、一般読者やそもそも編集者はどこが「わからない」と感じるのか、といった点について、少し勉強になりました。

最初から最初まで私の視点で語ればどうなるかを知りたければ『イスラーム国の衝撃』を読んでみてください。

(2)『日本経済新聞』2014年12月13日朝刊(国際面)、「中東 解けないパズル−3回−イスラム社会、近代化に悩む 自由と保守2つの圧力」という記事の中に短いコメントが掲載。

取材にした記者にはこの全4回の「中東 解けないパズル」の特集の全般に関わるコメントをしたような記憶がありますが、使われていたのは社会秩序・規範についての部分でした。

具体的には、

「国際メディアの影響、国境を越えるヒトの移動などで外の世界を知る機会が増えると、既存の規範が損なわれて社会の秩序が揺らぐ」

という部分が使われていました。

中東の社会のぼやっとした雰囲気の変化をどうつかむか模索していて、好感の持てる特集でした。

(3)『読売新聞』2014年12月21日朝刊(社会面)、「『イスラム国』渡航計画の北大生 刺激が欲しかった 戦闘参加 深く考えず 『軽はずみだった』反省」、という記事にコメント。

この部分です。

「イスラム教の理念に感化されて渡航する欧米の若者とは全く違い、日本特有のケース。日本で同様の動きが続くとは考えにくいが、捜査機関は人権に配慮しつつ、過激思想の広がりを注視する必要がある。」

「北大の学生」(実名は明かされていません)に直接話を聞いて記事にした新聞は多分これが初めてではないでしょうか。軽率だったね、もし行っていたら大変なことになっていたよ、と告げて、それ以上は問わずに水に流して忘れるのが近代社会の対応でしょう。「都市は自由にする」。

背後で煽った人や手引きしようと頑張ってしまった人々の件も含めて、これで幕引きというのが正解でしょう。

基本的にこの事件は昨年10月6日に終わっている話だと私は理解しています。ウェブ情報で頭がいっぱいになって、リアル小集団で煽り・煽られ引っ込みがつかなくなった。

転がり込んできた明らかに言動が変な人の渡航を警察が止めたのは正解でしょう。「飛んで火に入る群れからはぐれた夏の虫」という状況なので「お手柄」と宣伝できるような事案ではないのだろうが、だからといって戦線拡大していろいろ逮捕して公判維持できません、ということになったら逆効果である。そもそも捜査対象を拡大しようにも日本には過激化して武装化しようというイスラーム教徒がほとんどいない。「過激な説教師」と言い得るひとなんて後にも先にもあの人だけだろう。そもそも「説教師」と言える人がほとんどいなくて増える気配もない。

軽率な若い人のうっかり・脱線・暴走・倒壊というのはいつの時代にも常にあって、それが大集団になれば社会現象と言えるが、現状では日本においては現象と言える規模には到底なっていない。

それにもかかわらず、変に「イスラーム国に行く若者」を祭り上げ(というか幻視して、と言うべきだ。「イスラーム国」に行こうとしている「若者」なんて日本中探しても5人もいないだろ)、これを「若者の雇用問題」「アベノミクスのしわ寄せ」などに結び付けて政権批判に転じようとしたり、「特定秘密保護法」「集団的自衛権」に関わっているのだ、そしてアベの「憲法改正」の野望が背後にあるのだあーっなどと言いたくて寄ってくる大人たちの方がずっと問題です。こっちは数も多いし発言する場も多く確保している。彼らにとっての問題は「タマ」となる「若者」があまりに少ないことだが。若い人を鉄砲玉にしないで自分の顔と名前を出して発言してください。

若い人たちは「イスラーム国」よりもそっちの方にそそのかされてある意味もっと危ないところに行かされる可能性があるのでくれぐれもご注意。人数少ないのに鉄砲玉にされたらかなわん。オッさんたちの「若者萌え」にはお気をつけあれ。

(4)あと、こんなのも出ていました。

『ダイヤモンド』2014年11月15日号 特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ 【Part1】宗教が分かれば世界が分かる」

その中の、

「【イスラム教】池内 恵(東京大学准教授)インタビュー世界から自発的に集合し聖戦 「イスラム国」台頭の背景思想」

という部分です。

私の視点については、1頁で短くうまくまとめてくれていると思いますが、特集全体についてはノーコメント。

『イスラーム国の衝撃』プレヴュー(1)目次と第1章

文春新書で1月20日に出る『イスラーム国の衝撃』ですが、アマゾンなどの予約注文画面では目次が出ていないので、ここで公開。

1 イスラーム国の衝撃
2 イスラーム国の来歴
3 蘇る「イラクのアル=カーイダ」
4 「アラブの春」で開かれた戦線
5 イラクとシリアに現れた聖域
6 ジハード戦士の結集
7 思想とシンボル−−−−メディア戦略
8 中東秩序の行方
むすびに
文献リスト

「1 イスラーム国の衝撃」では、2014年6月から7月にかけての「衝撃」を描写しつつ、具体的にどこがどう衝撃だったのか概念的に整理しておく。そしてこの本の全体構成。イスラーム政治思想史と中東比較政治・国際関係論の両方から見ていくということですね。これは方法論としてその両方が役立つ、ということです。同時に、対象となる「イスラーム国」の実態が、グローバル・ジハードの思想・理念の展開と、「アラブの春」による中東地域政治の変動が結びついたところにある、ということです。

これがおそらく現在のところ「イスラーム国」を説明するための一番合理的な視点の組み合わせなのではないかなと思います。この見方で見ていくと、イラクやシリアで勢力を伸ばす組織の構造原理や、そこに集まっていくグローバルな人の流れの背後にあるメカニズム、さらにはベルギーやカナダやオーストラリアなどで散発的に生じている「ローンウルフ」型の呼応・模倣の動きとどう関係するのかなど、「イスラーム国」という多角的な現象の総体が統合的に理解できます。

もちろん「俺(私)はずっとイラク(あるいはシリア)を見てきたんだ、イスラーム国はイラクとシリアで活動しているんだから、イラクとシリアの現場のリアルな実感だけが真実なんだ」というタイプの視点からの議論は常に傾聴に値します。それらは「イスラーム国」として現れてくる現象の全体像とは別ですが、全体像を構成するための必要なパーツです(それらが適切に全体と結びつけられれば、の話ですが)。

もちろん、「イスラーム国という現象は実はどうでもいい。本当に日本人が知るべきはイラク(あるいはシリア)だ」という視点・主張はあっていいでしょう。「イスラーム国」について興味を持ったついでに、「イスラーム国」絡みでイラクやシリアの政治・社会について勉強してみる、というのは悪いことではありません。というか、大前提としてイラクについてもシリアについても大多数の人は何も知らないし、知ろうともしていない。「イスラーム国」がらみでにわかに参入してきた社会学者や宗教学者などの書き手においておや、イラクについてもシリアについてもイスラーム思想の基本についてまともに勉強する気がないのです。なのに書く(笑)。なんなんだろう。それでは「イスラーム国」について読み手がよくわからないのは当然です。だって書き手がそもそもわからずに書いているんですから。

(ただし、それぞれの分野について「分かっている」地域研究者は、そちらはそちらで特有のしばしば強烈なバイアスをかけてくるので、それらを差し引いて読んでいく必要があります。初心者にはちょっと難しいかもしれません。「バイアスは中東のスパイス」だと思って読みましょう)。

私も地域研究者としてはそういったパーツの開発を細々とやっていますが、同時にそれらのパーツが持つ意味をどう評価するかは、全体像との総合に依存しているので、余計な価値判断や業界の自己主張抜きで全体像の構成と個々のパーツの評価を行うにはどうすればよいかを常に考えていて、その一つの結論をこの本に書いてあります。

また、イスラーム思想の研究は、それぞれの思想が生まれ出てくる根拠となる地域性を詳細に見極める必要が常にあり、地域研究的視点は絶対に不可欠と考えていますが、同時に、一旦思想として発信されてしまうとその後は特定の地域に限定されずに広がるところにイスラーム思想の特徴があり、そこは「自分は特定の地域の地域研究者である」というアイデンティティ・プライドに過度にこだわらずに視野を広く取ってみていく必要があると考えています。極東の島国の一人の中東研究者のアイデンティティや、身も心も縛られた業界論理などというものは、中東の現実にはまーーーったく関係がない、ということに気づかされる瞬間を、中東に関わっていれば幾度も経験するはずです。

(話は飛ぶようだが、NHK「マッサン」の描写にイライラする人たちにはわかってもらえるかもしれない。それも芝居の中のマッサンにではなく、そのようなマッサンしか造形できない脚本家にイライラする人たちには。理想とか大義を追求する人、というものを現代の日本の脚本家は描けなくなっているのではないかな。筋を通す人=未熟で空疎な「理想論」を振りかざす人、ということになってしまうんだよね現代の日本の脚本家に描かせると。大義を追求するってもっと違うやり方で実際にやって見せている人はあちこちにいると思うんだが、多分脚本家の身近にそういう人がいないんだろうな、という気がする。「清濁併せ呑む」タイプの人物造形はやたらとうまい、というところから、今時の脚本家の生態・交際範囲がそこはかとなく伝わってくる。まあそれもいいんだけどね。マッサンについては脚本グズでも俳優が美男だからこれでもなんとか許せるとかいう次元の話になってしまっている気がするが・・・)

もちろん「イスラームは近代西洋の領域国民国家を超えるんだ、リベラリズムは偽善だ、世俗主義は差別だ」といった信念・願望・主張などを「イスラーム国」をネタにしてガンガン連打するといった本があってもいいですが、それは日本の書き手(あるいはそれを受容する読み手)の心を自然主義的に表出しているという意味ではリアルかもしれませんが、イラクやシリアや中東やイスラーム世界の現実を写し取る枠組みとしてはそれほど適切ではないと考えています。そういう本は固定読者層がいるのである程度売れますし喜んで出すメディア企業は数多ありますが、「イスラーム国」理解にも中東理解にも直結はしません。ある種の勇ましいモノ言いから勇気をもらうタイプの特定ファン層への訴求力が抜群に高い「関連商品」として買うならいいのではないかな。

ただ、「なんでも否定」系の人たちが一定数以上になると社会不安、政治システム崩壊の原因になるので、超越願望・支配欲求・現状否定が強すぎる書き手と読者の存在はある程度注視していた方が、市民社会を守り育てていくためには重要なことだと思います。

そのためにも、言論の自由は重要。

自由にしておくから無茶・無謀・妄想・陰謀論的なことを言って恥じない人たちが可視化されるのです。同時に、「あ、これ陰謀論ね」ときちんと指摘してあげないと市民社会は育たない。面倒臭いが仕方がない。そういう人たちから悪口とか言われていろいろ妨害される立場になるとさらに鬱陶しいし個人的には不自由になるんだが仕方がない。

「イスラーム国に共感する若者」なるものは日本には社会・政治現象として取り上げるに値する規模では存在しないと思いますが、「イスラーム国に共感する若者」なる言説に「萌えて」しまっている年配(高齢)の方々は、メディア・言論業界を中心に多くいます。これは一種の社会現象・思想的現象と言ってもいいかもしれません。その背後には日本社会の逆ピラミッド的な人口構成からもたらされる特定世代に付与された過度の発言力や、団塊世代からバブル入社世代の知識人(*注1)に特有の、世代・職能的(*注2)な固定観念(とそれを赤裸々に吐露することが許される社会環境、権力関係)があると思われます。

*注1 「知識人」は大学院に何年か在籍してから就職→言論活動を開始することが多いのと、一般に社会の流れから若干遅れるので、一般の「バブル入社世代」の+3〜5年以降に社会的に存在し始めます。
*注2 「職能的」というのは、大学院などを経由したりメディア産業に関わったりすると、社会全体、あるいは同世代とはずれた価値観や思想を内在化することが多いので(多くは大学院やメディア業界内で支配的な上の世代の価値観に順応・同質化・擬態するため)、世間一般を対象にした世代論と、メディア・言論人についての世代論は多少/かなり/すごくずれざるをえません。

ただし、上に示した第1章の概要でわかるように、私の本ではこれらの日本のグダグダについては、書いてありませんので、それらを期待する読者は買わないでください。最初から最後まで、ごくわずかな例外を除いて、中東とイスラーム思想についての本です。日本のイスラーム理解についての論争とかはしていません。一冊の本という限られたスペースに、重要なことをどれだけ入れられるかを追求した本ですので、それらの極東の島国の浜辺に届いた余波的な部分は全部省略されています。

万が一誤った期待に基づいてこの本を買ってしまって、不愉快な思いをされる方々が出ないようにするためのお知らせです。

* * *

このブログは「今すぐ伝えたい中東情勢分析」と、「本には書きたくない日本のグダグダ」が交互に現れるぐらいのバランスを意識していますが、最近グダグダ記述多いかなとここで反省。しかし分析は本に書いているものですから、ここに書く頻度が減ります。

さて、この本の全体構成、コンセプトや第1章について冒頭で若干記しましたが、内容はあくまでも本の本体を読んでみてください。このブログ・エントリを素材に議論しても意味ありませんので。

本が出る前に時間ができたら第2章以降も紹介したいですね。しかし今年は5日(月)早々から大量の成果物を提出していかなければならず、その準備を年末年始ずっとやってきてまだまだ終わっていないので時間がありません。第2章は、2001年の9・11事件から今までの、グローバル・ジハードの展開とアメリカ主導の対テロ戦争との相互作用を、一気にまとめるという、今回の本で一番苦労した章です。この章だけで1冊以上本が書けそうですが、それを1章に濃縮しました。それではまた。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

昨年は正月の松の内を過ぎたあたりに試験的にこのブログを開設してみましたが、予想外に1年間、ほとんど途切れずに続けることができました。

変化の激しい中東・イスラーム世界の情勢分析と判断をリアルタイムに共有し、学術的知見・視点を社会に還元するための一つのツールとして、好意的に受け止め、活用してくださる方々が多くいることを、嬉しく思っております。

今年もウェブ媒体の可能性をさらに開発・活用しつつ、新たな気持ちで活字印刷の出版に向かっていきたいと思っています。本屋の書棚でも多くお会いできることを期して、今まさに励んでいるところです。

今年もよろしくお願いいたします。

2015年1月1日
池内恵

思い立ったら新書−−–−1月20日に『イスラーム国の衝撃』が文藝春秋から刊行されます

11月末に、思うところあって、「イスラーム国」について新書を急いで書くことにしました。それ以来、海外出張なども挟んで、実質的な執筆時間が極めて少なかったのですが、奇跡的に完成。昨日までに校正・再校も済ませ、完全に著者の手を離れました。

タイトルは『イスラーム国の衝撃』と決まりました。1月20日に発売です。

当初『イスラーム国の思想と行動』としていたのですが、それでは最近の新書としては固すぎますね。編集部にあっさりスルーされてこうなりました。

まあ確かに、今回は「衝撃」でいいでしょう。私自身が6月の「イスラーム国」の台頭に際して執筆した『中央公論』への寄稿でこのタイトルを使いましたし。

もちろん今頃になって「衝撃だ衝撃だ」と騒いでいる本ではなく、思想史的に、あるいは中東地域研究や国際政治学の視点で、どのようにこの「衝撃」が生じたのか、どの意味で衝撃的なのか、分析したものです。「正しく驚く」ことによって、驚きすぎない、実態以上に騒がないようになる効果もあると思います。

それにしても、この本を出すと決めてから1ヶ月で校了してしまったわけで、自分でもこの1ヶ月の展開が信じられません。

「特別対応で緊急出版してくれるならきちんとしたものを書く」という強硬な条件をつけて依頼を引き受けた手前、「やっぱ書き終わりませんでした〜」と言うわけにはいきません。書き手としての信頼に関わりますので。

そもそも最近の新書という出版媒体の運用実態については多大な疑問を持っており、折に触れ機会があるとその疑問を記してきました。正直に言って、「こんな媒体なら書きたくない」と思ってしまうことの方がここ数年は強くあり、軒並み依頼を断っていました。

それでもなお新書を出す気になったのはなぜか。

それは、読んでみて判断して欲しいのですが、私の考える「あるべき新書」の姿を、「イスラーム国」というテーマで、このタイミングで出せば、現在の新書の「スピード」という(ほぼ唯一の)利点を、悪い意味での「お手軽」にはならずに、活かせると思ったからです。

ここ数年の論文や寄稿は、直接的に「イスラーム国」に至る過程を扱っていたものですし、6月以降は、非常に多くの場所で講演・報告を行ってきました。ですので「イスラーム国」については私なりの枠組みに基づいた全体像の意味づけと、分析概念と、結論や見通しがありますので、日々の情報アップデートさえしておけば、講演などに呼ばれてもほとんど枠組みや理論については準備する必要がなく、「席に座って時計が動き始めると自動的に話し始める」ような状態になっていました。そのような普段話していることをそのまま本にしておこう、というのが今回の本の趣旨です。

そして、このテーマで出すならすぐに出さないと効果が出ない。私の出す本自体は時間をかけて調べて考えてきたことですが、このテーマが出版上持つ意味は「イスラーム国便乗本」にさらに便乗するものであることは、客観的には否定できないことなので、便乗本なら便乗本らしい時期に出さないといけません。また便乗本の渦の中に消えてしまっては意味がありません。ただし質を落とす気はありません。

すぐに出して、きちんとした本作りをしてかつ、かつ便乗本市場で私の本を溺れさせずに売ってくれそうな出版社と編集者、と考えたときに、いろいろな偶然もあって、文藝春秋が浮上しました。

「不適切な媒体に、不用意なことは書かない」と決めることは、自分が手を汚さないという意味ではいいのですが、そうすると、どうしてもそのテーマについて知りたい人は、往々にしてもっともっと不適切なものに依拠するしか選択肢がなくなってしまいます。そうであれば、私が考える適切な文献を、得られる最適の経路で市場に出しておくことには、それなりに意義があると考えました。

新書の最近のあり方を批判しているのは、新書には本来もっと良い使い道があると思っているからです(たとえばちくま新書にはちくま新書の使い道がありますし、それを維持している面があると思います)。本来のあるべき新書の水準を提起する実例を示して見せることができるのであれば、他の積もった仕事を一月遅らせてでもやってみる価値がある(あるいは待ってもらっている編集者にも顔向けが可能)ではないか、と思った次第です。

中東政治・思想史の両方からの、ここ数年の研究成果を踏まえ、寄せ集めではなく全面的に書き改めて一冊の本にしました。最近の基準では単行本に相当する以上の内容が新書に詰め込んであると考えてください。

たくさん売れると、私にはそれほど利益はありませんが(単価が安いですから)、今後私が出す本が安くなる、というメリットがあります。本の値段は基本的に部数で決まります。

学術書が高いのは、内容に元手が沢山かかっているからではなく(かかっている場合が多いですが)、単に部数が少ないから一部あたりの値段が高くなっているだけです。各社の会議で、営業は「この著者は何部売れるのか」を問題にします。それに応じて部数が決まり価格が決まります。売れないとみなされた著者の本は高くなりより一層売れなくなる、という循環があります。

別にベストセラーになる必要はなくて、この本が1万5000部ぐらい出れば、私が近く出すことになっている本などはそれに応じて学術書としてはかなり多めの部数に設定してもらえますから、学術書にしては安価に出すことができます。

こういった制度を理解してご支援いただける方はポチッとお願いします。

2015年のグローバル・リスク予測を公開

昨日12月19日(金)に、私も参加させていただいた、「2015年版PHPグローバル・リスク分析」レポートが公開されました。

cover_PHP_GlobalRisks_2015.jpg

PHP総研のウェブサイトから無料でダウンロードできます。

2015年に想定されるリスクを10挙げると・・・

リスク1.オバマ大統領「ご隠居外交」で迷走する米国の対外関与

リスク2. 米国金融市場で再び注目されるサブプライムとジャンク債

リスク3. 「外国企業たたき」が加速する、景気後退と外資撤退による負の中国経済スパイラル

リスク4. 中国の膨張が招く海洋秩序の動揺

リスク5. 北朝鮮軍長老派の「夢よ、もう一度」 ―核・ミサイル挑発瀬戸際外交再開

リスク6. 「官民総債務漬け」が露呈間近の韓国経済

リスク7. 第二次ウクライナ危機がもたらす更なる米欧 -露関係の悪化と中露接近

リスク8. 無統治空間化する中東をめぐる多次元パワーゲーム

リスク9. イスラム国が掻き立てる先進国の「内なる過激主義」

リスク10. 安すぎるオイルが誘発する産油国「専制政治」の動揺

という具合になりました。果たして当たるでしょうか。

なお、1から10までに、「どれがより危険か」とか「どれが起こる可能性が高いか」といった順位はつけておりません。論理的な順序や地域で並べたものです。

このプロジェクトには2013年度版から参加させていただいており、今回で3年連続です。毎年10のリスクを予測して、長期間続けて経年変化を見ると、その間の国際政治・社会の変化が感じられるようになるのではないかな。中東・イスラーム世界関連は大抵2個半ぐらいの席を安定的に確保。中東関連に2つ割り当てるか3つ割り当てるかで毎回悩むところです。中東問題が拡散して、世界の問題になると帰って項目としては減ったりする。アメリカの外交政策の問題として別項が立って、その項目がかなりの部分中東問題であったりするわけですね。別に他の分野とリスクのシェアの取り合いをしているわけではありませんが、他の項目や全体とのバランスで毎回悩むところです。

2014年度版についてはこのエントリなどを参照してください

年明けにはEurasia Groupが恒例のリスク・トップ10を発表して話題になるので、その前に出してしまおうというのが当方の戦略。二番煎じのように見られると困りますからね。

Eurasia Groupの2015年版がでたら、ぜひそれとの比較もしてみてください。

リスクが高そうな分野の専門家が集まってリスクを予測しているうちに、年々本当にリスクが顕在化していくので全員がいっそう忙しくなり、皆死にそうになりながら、年末になると集まって議論をして文章を練っています。今年は特に、私も緊急出版の本の入稿とかちあったので、大変な思いをしまして他の専門家の方々にひたすら助けていただきました。それでもいくつも私の論点を取り入れてもらっています。取りまとめをして引っ張っていってくださった皆様、ありがとうございました。

こちらは本一冊の原稿や校正を戻したものの最後の詰めが残っており、もう一冊の共著もヤマ場に差し掛かり、さらに、ここ数年、一番力を入れてきた著作を、年末年始に脱稿せねばならない。

というわけで面会謝絶・隠遁生活の年末が始まります。

豪立て籠もり犯は「一匹狼」型の模倣犯・呼応犯か──黒旗は別物です

12月15日朝から、オーストラリア・シドニー中心部のリンツ・ショコラ・カフェでの立て籠もり事件は、つい先ほど、現地時間16日午前2時ごろ(日本時間午前1時頃)までに、治安部隊が突入して鎮圧したようで、事件そのものは終結に向かっている。

犯人はイランからの難民として渡航したMan Haron Monisと特定されている。

Australian hostage taker named as Iranian refugee charged with assault, Reuters, Dec 15, 2014 10:23am EST

オーストラリアは中東からの移民社会の規模が大きくなり、統合の不全や一部の過激化により社会不安と摩擦を引き起こすようになっている。過激化した説教師とその信奉者が問題視される事例が、特にシリア内戦への義勇兵を輩出し始めてから、増えている。

今年9月には、「イスラーム国」に共鳴して、オーストラリアで人質を取り、公開斬首を行ないビデオ撮影をして流通させる計画が発覚し、大規模摘発が行われ、有罪判決も出ている。

“Terrorism raids carried out across Sydney, Brisbane,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Public beheading fears: Tony Abbott confirms police believed terrorists planned ‘demonstration killings’,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Terror raids: 800 police and two men charged,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Terror raids: Recruiter Mohammad Baryalei behind Islamic State plot to murder Australians, police say,” The Sydney Morning Herald, September 19, 2014 .

“Terrorist conspiracy: five Sydney cell members lose conviction, sentencing appeals,” The Sydney Morning Herald, December 12, 2014.

今回の事件の真相は現段階では分かりようがないが、「追いつめられた」と意識した、従来から破壊衝動や反社会的行動を抱えていた個人が暴発した可能性がある。

昨日深夜に帰宅して民放ニュースを確認した限りでは、日本の報道では「黒旗」に注目が集まり、「イスラーム国」との関連は?といった切り口で報じられていたが、おそらく「イスラーム国」との直接的な関連はない。

むしろ、この旗を見る限り、直接の関係はない、呼応犯・模倣犯ではないかと推測される。

豪立て籠もりと黒旗3
出典:The New York Times

だから重要ではないかというと、そうではなく、むしろ、現在のグローバル・ジハードは、直接の関係がない組織や単独犯が勝手に、自発的に、「個別ジハード」を行なって社会に脅威認識を与えるところを重要な要素としている、という点は口を酸っぱくして説明してきた。

今回の黒旗を見て「イスラーム国」か?関連は?という議論は的外れで、むしろ正反対にこの種の黒旗しか持ち出していないということは、直接シリアやイラクから指令されたとは考えにくい、と即座に判断できる。

黒旗の種類と由来については、下記エントリを見ていただきたい。

「「イスラーム国」の黒旗の由来」(2014/10/04)

今回の事件で犯人が人質らに掲げさせた黒旗に白く染め抜かれているのは「シャハーダ」と呼ばれるイスラーム教の信仰告白。「アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という定型の文言を良く知られた書体で記してある。

イスラーム国だとその下にムハンマドの印章をあしらったシンボルマークが記されるが、今回の旗にはない。脱出した人質によると、犯人の交渉条件の一つが「イスラーム国の旗を持ってこい」だったという情報もあるが、これが本当であれば、かなり間抜けな話だ。

印章なしの黒旗は、国際的なイスラーム主義組織「イスラーム解放党(ヒズブ・タハリール)」が用いてきたことで知られますが、ビン・ラーディンが主導したアル=カーイダも用いてきました。しかし近年、アル=カーイダの「再ブランド化」の試みが進む中で、アル=カーイダとの関係を有する組織の旗でも、印章が付いたものが増えています。「イスラーム国」に参加していない組織でも、この印章付きの黒旗を掲げることはよくあります。

逆に、イスラーム国と組織的つながりがあれば、印章なしの黒旗をあえて掲げることはないでしょう。

役に立つのがこの記事。

“Flag being held by Lindt Chocolat Cafe hostages is not an Islamic State flag,” The Sydney Morning Herald, December 15, 2014.

この記事では、各種のイスラーム組織で使われる黒旗を、比較対照した写真を載せてくれています。

豪立て籠もりと黒旗1
豪立て籠もりと黒旗2

この記事では、専門家の端的な発言が引用されています。

“If this was centrally organised from Syria or Iraq they would not be using that flag.”
(シリアかイラクの中枢から組織されたのだったら、この旗は使わないだろう)

私もそう思いますが、「イスラーム国」に勝手に共鳴してやった、正確な旗すら用意していなかった、という犯人が出てくることは、それはそれで危険です。

印章なしの「旧バージョン」の旗はオーストラリアの過激化した若者の間に広まる兆しがある。例えば、9月23日に警官二人を刺して射殺された犯人アブドルヌウマーン・ハイダル(Abdul Numan Haider)は、フェイスブックに黒旗を掲げた写真を投稿していたことが分かった。

最新の流行のムハンマド印章付きの旗を手に入れたかったができなかった、という程度の犯人であれば組織的な背景はなさそうだが、暴発する「ローン・ウルフ(一匹狼)」型テロの脅威を再確認した形だ。

「植民地の第一次世界大戦」についてNHKBS世界のドキュメンタリーで秀作が

本の入稿で毎日朝晩一章ずつ締め切りが設定されていたので、身動きが取れないでいた。

危険水域を抜け出しつつある。

まあこの本が終わってももっと大変な本が何冊も待ち構えているのだが。数年分の成果が一度に出そうな来年前半。

執筆に没頭していると、授業に出ているか、講演・研究会などに出ている時以外はずっと書いていることになるので、テレビも見られなくなる。まあ、ふだんテレビを見るといってもNHKBSの外国ニュースとかだけれども。

一瞬だけ録画一覧を見たら、これが録れていた。

「忘れられた犠牲~アジア・アフリカ“非白人兵”たちの戦い~」
The World’s War Forgotten Soldiers of Empire,” BBC, 2014.

2014年12月9日 火曜深夜[水曜午前 0時00分~0時50分]

再放送が明後日水曜日の夕方にあるようなので、見逃した方はぜひ。

再放送14年12月17日 水曜 午後6時00分~6時50分

(今ウェブサイトを確認してみたら、1月1日の午前4時にも再放送日程が加わっていた。初詣に行って帰ってきてから見る番組なのか・・・)

高校の世界史の授業などにもいいのでは。大学教養課程なら英語で見ると良い。

NHKBSの深夜0時からの「BS世界のドキュメンタリー」はまず毎日録画してしまって、必要なもの以外はハードディスク容量を圧迫してきたら消すということにしている。この番組を見るためだけにでも受信料を払っていいぐらいの価値がある。

作業をしながら流してチラ見したが、なかなか面白い。中東やアフリカの世界史・近代史に興味がある人にはぴったり当てはまる。

日本語タイトルはかなり特定の部分を読み込んで意訳してあるけれども(確かにそういう内容も含まれている)、もっと大枠を言えば、「世界帝国領民にとっての第一次世界大戦」ということ。本当に各地で戦っているが、一般的には「アラビアのロレンス」の活躍するアラビア半島など、ごく限られた部分しか知られていない。

今年は第1次世界大戦の勃発から100年ということで盛んに本も出て、このBS世界のドキュメンタリーでも色々な番組が放送されているけれども、どうしても西欧の西部戦線の話が多くなる。西欧文明・文化に深甚な影響を及ぼした大戦だから、詩から小説から、ノンフィクションまでが刊行され続け、西欧社会の大事件として記録や記憶が形成されてきた。その締めくくりの100周年なのだから当然だが、文字通り「世界帝国同士が世界中で戦った世界大戦だった」という事実が忘れられてしまいがちだ。「忘れないで」と盛んに言い続けて認めさせているのも、ANZAC(Australian and New Zealand Army Corps)ぐらいか。オーストラリア・ニュージーランドも英植民地で、大英帝国の戦争に若者が徴用され、トルコのガリポリ上陸作戦で大勢命を落としている。オーストラリアやニュージーランドの国民意識がこれで芽生えたとすら言われている。

そういった物語を紡いでこなかった中東やアフリカの兵士たちは忘れ去られている。

冒頭の「つかみ」がいい。大戦勃発に伴い、オスマン帝国がジハードを宣言する。イスラーム共同体はオスマン帝国領内にとどまらないから、英・仏・露の植民地領内の膨大な数のムスリムが、敵のオスマン帝国・ドイツ・オーストリア側に立って蜂起するのではないか・・・という英・仏・露側の警戒心を描くところから始まる。そうさせないようにどうやって英・仏が植民地の民族を動員していったか。英・仏と独の植民地部隊同士が戦った事例などが興味深い。

【寄稿】中央公論1月号に「イスラーム国」の来年の見通しについて

不意に思い立って、何が何でも来年1月に出そうと決めて、超人的な速度で、11月末から昨晩(金曜夜)までの間に、本を一冊書いてしまいました。今週は朝・晩に1章ずつ原稿を入れる状態が続いていました。

「イスラーム国」関係です。

9・11事件以降のイスラーム過激派の歴史と思想について。新書で230ページぐらい。6月以降、無数に書いたり話したりしてきた内容ではあるので、今突然考えたわけではありませんが。

のんびり2月以降に出してもいいですが、出版的タイミングを逸してしまうとこのテーマに関しては良くないので、私の方から無理を言って前倒しに進めてもらいました。どうせ苦労して書いて出すなら一番のタイミングで。

奇跡的に原稿が間に合いましたが、まだ気が抜けません。発売までの間に少しずつお知らせしていきます。

一息ついたら、「イスラーム国」に関する寄稿がまた一本刊行されていました。

池内恵「イスラム国 地域大国による中東の秩序再編が進む」『中央公論』2015年1月号(第129巻第1号・1574号、12月10日発行)、60−61頁

中央公論2015年1月号

「特集 2015年を読む」の一部です。

政治・国際問題は、

「政策の季節」から「選挙の季節」へ(待鳥聡史)
アメリカ(中山俊宏)
アジア(白石隆)

が4頁で読みごたえあり。

ヨーロッパ(遠藤乾)
イスラム国(池内恵)

が2頁ずつ、といったラインナップ。

長めの論考で久保文明先生が「米中間選挙、民主党大敗北 オバマ大統領に立ちはだかる三つの試練」98−106頁、これはじっくり読んでみましょう。

鼎談にも、「グローバル(G)とローカル(L)の間を国家(N)は埋められるか」で川島真先生が吉崎達彦さんや佐倉統先生と。

宇野重規先生が長大論考「日本の保守主義、その「本流」はどこにあるか」(84−97頁)と、時評「安倍首相が獲得する「モメンタム」とは何か」と二本も寄稿している。

「丸山眞男からEXILEまで 論壇は何を論じてきたか」で佐藤信君がおジイさんとおジさんと鼎談。

おかげで私が誌面最年少でなくなったです。最年少ボジションにいるのが長すぎてトウが立って疲れてきましたものですから。最近は意識すらしないが、私がなおも最年少であることに気づいて驚くことはある。某エコノミスト年末懇談会@ホテルオークラにエコノミストじゃないけど案内来たから行ったら、圧倒的に最年少だった。まだまだ年功序列&人口逆ピラミッド社会ニッポン。

あと、若くて出てこれる人はどうしても「世代論」というかなり狭い特殊なジャンルを期待されるという問題もある。若くて文章を書ける人はとりあえず世代論をやるという、バイアスがかかってしまわないかな。

でも今回の中央公論は中堅層の書き手が分厚くなっていて、世代交代は進んでいる。お勧めです。

【寄稿】米国の学会の楽しみはブックフェア(週刊エコノミストの読書日記)

本の入稿の原稿を朝晩書いて送りの繰り返し・・・

一瞬の隙に、今週月曜日に出ていた記事を紹介しておかないと。

池内恵「ワシントンの学会の楽しみ「ブック・バザール」」『週刊エコノミスト』2014年12月16日号(12月8日発売)、73頁

週刊エコノミスト2014年12月16日

**今回も電子版には掲載されていません**

米国の中東学会で各大学出版・学術出版が出している新作を全部見ると、それだけで中東情勢の進展が理論的に構造的に頭に入る、という話。ほとんどそれを一番の目的に毎年参加するようにしている。

ささっと見て買ってきた中で、こんなテーマについての最新の本を紹介しました。

*クルド問題(イラク、シリア、イラン、トルコ各国の比較)
*クルド問題(特にシリアについて)
*ヤズィーディ教徒とは何か
*宗派主義紛争(中東全域の事例比較)
*宗派主義紛争(特に湾岸産油国でどうなるか?)
*レバノンのヒズブッラーが拠点とするベイルート南郊のフィールドワーク
*エルサレム問題(第一人者による詳細な図解多数付き研究書が発刊。これはすごいや)

取り上げた本の著者やタイトルは、誌面にてご確認ください。

それではごきげんよう。

【寄稿】『外交』に「イスラーム国」をめぐる中東国際政治の総論を

ワシントンDCでの短期集中詰め込み勉強から帰ってきて時差をかろうじて直して、本の執筆複数が佳境に入ってきて、とてもブログに戻ってくる時間がない。

11月末に出ていた。「イスラーム国」に触発されて中東地域の国際秩序にどのような変化が生じかけているか、ここのところよく話したり書いたりしているものをまとめました。

池内恵「中東の地政学的変容とグローバル・ジハード運動ーー引き金を引いた「イスラム国」」 『外交』Vol. 28, 2014年11月30日、22−29頁

「異次元動乱ーー世界を震撼させる「イスラム国」」という特集をパラパラめくってみて思ったのだけれども、「イスラーム国」は専門家にとって、どのような理論的・思想的な姿勢を持って対象に取り組んできたか、非常に細やかなリトマス紙になる。

「イスラーム国」というものは、「何もかも植民地主義が悪い」→「固有の理念に基づけばうまくいく」→「だから運動だ」という類の、外部が中東に投影してきた現状打破への思い込みを見事にすべて反映してしまっている。中東に「反米」の期待を託してきた外部世界の想いを全て体現してくれているといっていい。同時に、そのありとあらゆる悪い面を露骨に表出してしまっている存在だ。

日本での中東をめぐる専門家あるいはそれに曖昧に根拠付けられた「思想家」の議論は、要するに中東の諸問題が何もかも植民地主義時代の政策に由来していると主張する「原因論」に大幅に依拠してきて、全く疑わない。自分がそのような言説の枠に嵌っていることにももはや気づけなくなっている場合が多い。観念的な原因論を追認するような「因果関係分析」が次々と提供されるので、異なる視座を構築してみる機会が阻害されているのかもしれない。

私は植民地主義の遺産は、一つの要因として着目することは否定しないけれども、それで全てを論じ、さらには「だから今起こっている問題は欧米が悪い」という「責任論」「非難」に転化させることは論理的な混乱が大きいと指摘してきた。さらに遠い日本でそういった「原因論」と「責任論」をごちゃ混ぜにして、中東に関わる特定の人々の狭い世界で同調圧力を掛け合って高揚して、「運動」することが大学の研究者の本分であるとする業界の主流の考えにはまったく同意できなかった。

そもそも「植民地主義原因論」ばかりが出てくる理由が、日本の大学のシステムの中で中東研究は、法学部や経済学部など現代の問題を扱う学部ではほとんどポストがなく、もっぱら西洋史や東洋史など歴史系の学部出身者が取り組んできた=だから単に植民地主義の時代までの「古い時代」を専門にする人しかいないので、70年前とかの話が常に今現在の事象の「原因」として主張される一方で、2ヶ月前とか3年前の話はうろ覚え・・・という実態を見て、個々の教員の能力とかやる気以前に、背後に「制度的要因」があるな、と気づいた。それからはいっそう、「植民地主義原因論」は疑わしく見えるようになった。

日本では、偏差値的な受験システムと一体となった形で、学部段階でどこを出たかでその後の長い人生での専門と所属する専門業界が固定化されがちである。その制度的な制約から、西洋史や東洋史やアラビア語学といった専門学科が主体となる中東専門業界では、一方で歴史学者が強みとする「植民地主義の時代」にのみ注目して現代までも語ってしまう風潮を是正するきっかけが生まれず、他方で「政府の新聞を毎日読んだらこう書いてあるからこれが真実だ」という類の極端な語学原理主義に結びつく。政府の新聞を読むと「植民地主義が悪い」と書いてあるので、歴史系と語学系で議論は結局似たようなものになります。

でもこれらは方法論というよりは、単に出身学部に基づいた自己主張と勢力争いではないか・・・と感じ始めたら、茨の道を歩むことになります。でも学問は基本的に孤独な作業ですのでそんなものです。不満ということではありません。現実を描写しているだけです。

そのような日本の中東研究の支配的イデオロギーや、イデオロギーの根幹にある部局対抗の論理・自己主張を疑うことなく内面化してきた論者たちが、「イスラーム国」の出現という形でいざ本当に、(1)非欧米の固有の価値規範を掲げて、(2)植民地主義の負の遺産を払拭すると主張して、(3)欧米が引いた国境や政治体制を破壊する行動に出る運動が出てくるという、外見上は明らかにこれまでの中東研究で理想として期待してきたはずの要素を備えているが、しかしきわめて印象の悪い存在が現れてきてしまうと、それにどう反応するかが、リトマス試験紙のようになる。

思想的なフィルターにかけて都合の悪い部分を捨象して歓喜してしまう場合と、現実の前にうろたえてしまう場合に分かれる。

一方では、運動のとてつもない非生産性や残虐性といった負の側面に目をつぶって、「近代の超克だ」と期待をかけ、「欧米の報道がデタラメ」と言って否定的報道から目をそらしたり擁護したりする場合がある。非常に不用意だとは思うが、正直で一貫しているとは言える。一貫していれば正しいわけではないが。

他方であまりにも現実が酷いので「これまでの諸勢力とは違う」と何となく異端視してみせてこれまでの議論からの切り離しを図ったり、極端な場合は「ゴミだ」(・・・あんまり分析には使わないと思うんだが、今回使われているのを見て、反応に困っている。気持ちは分かるが、こう言ってしまうと議論や分析がその先に成立しません)と切り捨てて距離を置いたりする場合がある。

これらの中間にあるのが、「イスラーム国も悪いかもしれないが、欧米はもっと悪い」式の議論。これは基本的に何も言っていないで、逃げているだけですね。「イスラーム復興」してイスラーム法を施行したら理想社会が実現するはずだったんじゃなかったの?

自分の言ってきたことの現実との不整合を問わせず、「偉い」お立場を確保してその上からお説教をしてもっともらしいことを言えば、「下」の立場はそれを批判しないでありがたがらないといけない、という言説の構造こそが日本の弱点。

自由な思考を阻害されて自足した民は立ち遅れて負ける。負けたくない人は付和雷同せずに自分の頭で考える力を身につけましょう。

若いときにラディカルに現状否定・体制批判をしたような人が齢をとると権威主義(あるいは露骨な権力主義)の偉い人になりがちなのも興味深い。権威批判・権力批判をする人は、実際にはとてつもなく権力がお好きでお好きでたまらない人である場合がある。今はフェイスブックやツイッターなどでそういう本音が、本人が気づかずにダダ漏れになったりするので、透明性は高まった。

「イスラーム国」は、これまで中東に反米論の根拠を求めてきた人たちが、中東に潜在的・顕在的にあると主張してきたものを全て備えていると言っていい。もし反米の「理想」論が実現したら、負の側面の影響で大変なことになるよ、という批判はこれまでは「意識が低い」と退けていればよかったんだが、「イスラーム国」が出てきて身をもって負の側面を示してしまうと、これをどう説明するかが大問題になる(はずだ)。

日本は中東を植民地支配したわけではないので支配者としてのイデオロギーを構築してきてはいない。しかし同時に日本独特の言説空間の中で「中東」に特殊な意味をもたせてきて、それが中東専門業界の存立の根拠となるイデオロギーとなってきた。「イスラーム国」はそのイデオロギーで描いた理想や論理を、ほとんどそのまま現実化していて、しかし明らかに異常で不穏当に見える。そのために、非常に不都合な存在なのではないかと思う。

なお、『外交』に寄稿した私の論考は、ここで記したような日本側の問題に取り組むものでは全くなく、国際政治論として「イスラーム国」とそれにまつわる情勢を整理しているものです。

【寄稿】イラン核交渉の期限が本日ですが・・・『フォーサイト』にメモを寄稿

昨晩(といってもワシントンDCにいるのでこちらの朝に書いたものですが)、『フォーサイト』の「中東の部屋」欄にイラン核問題交渉の見通しについて寄稿しておきました。

池内恵「イラン核問題交渉の期限が迫る」『フォーサイト』2014年11月23日

P5+1(安保理常任理事国5カ国+独)あるいはEU3+3(EU英独仏+米露中)とイランとの、イランの核開発をめぐる交渉が、11月24日に最終期限とされてきましたが、今年7月半ばの延長以来、ほとんど進展の情報がありません(7月の交渉については「ウィーンで会議は踊ってるのか」(2014/07/15)、「ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々」(2014/07/16)あたりを読んでください)。

7月以来まったく交渉の進展の情報が出てこなかったということは、次の二つの可能性が考えられるわけです。

(1)何かすごい裏交渉・秘密交渉が行われていて、情報管制が厳しく敷かれており、突如、歴史的な米・イラン合意が発表される。
(2)単に交渉の進展がないから情報がない。

のどちらかなわけですが、多分後者なんだろうなあというのが通常の見方。

去年11月の段階では、一年間交渉して何も成果が出なければ決裂、戦争か、という危機感・切迫感がありましたが、今となっては、米・イランは「イスラーム国」などで協調しないといけない立場にあるし、交渉を再延長しても、どちらも困らないのではないかな?

かえって交渉を恒久化したほうが、米・イランの閣僚級のチャンネルができて好都合かもしれない。

なんてことを考えて書きました。

こういった憶測などは、クローズドの研究会とか、非公開のレポートを求められると気軽に書いてきましたが、公刊するのは色々な意味でためらわれるので一般向けには書かないできましたが、「交渉は再延長を目指している」という報道が各種出ているのでもういいでしょう。

10月ごろから「再延長の方向性で決まり」と報じていたイスラエルの各紙がやはり正しかったのか。

ウィーンで最後の交渉が行われているところですが、突如、米・イラン秘密交渉で合意、という報道が出てきましたら、喜んで不徳を恥じるところです。

連休にちょっとアメリカへ

アップデートするたびにバグが配信されるウィンドウズ7から脱出し、無理にマックを真似する、なんだか無理して遊ぼうとするイタい東大生みたいなウィンドウズ8もそっと遠ざけ、MacBook Air(アラビア語キーボード)を入手してご機嫌。すっかり乗り換えました。ウィンドウズは公務員じゃなかった文房具としての本分に立ち返ってくれるまで使わないことにしよう。

少し前に、たしか日経新聞に「さらば「ウィンドウズ」」というタイトルの記事が出ていた気がするが、あれはマイクロソフトがウィンドウズに頼らない経営を・・・というのにかこつけて最近のどうしようもないウィンドウズを批判したのかな?記事読んでいないのでなんとも言えませんが。 

また、講演・報告などで情報を吐き出さされる一方の日本をつかの間離れてアメリカへ。感謝祭前に立て続けに行われる学会やセミナーなどで勉強してきます。

イランの核交渉の期限が来ますが(多分ずるずる延長)その辺りのアメリカ側の感触なども聞けたらいいな。

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【寄稿】「イスラーム国」は2015年の論点の「第70」だという・・・

11月13日に発売の、『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』に寄稿しました。

池内恵「「イスラーム国」とグローバル・ジハード」『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』2015年1月、216-218頁

文藝春秋2015年の論点100

電子版も発売されています。

むか~し確か「日本の論点」と呼ばれていた年鑑ムックですね。

プレスリリースによると

「毎年、その時々に社会的に問題になっている100の事柄を取り上げ、各分野の専門家が、それぞれについて800~1,200字程度の短い文章で分かりやすく解説、受験、就活のバイブル」

だそうです。

【寄稿】産経新聞の「イスラーム国」解説(下)はグローバル・ジハードの組織論について

今朝の産経新聞に、二回シリーズの「イスラーム国」解説の第二回が掲載されています。

池内恵「イスラム国の正体(下) 活動機会得たグローバル聖戦運動」『産経新聞』2014年11月15日朝刊

個々の組織よりも、背後にある思想イデオロギーが重要。

アル=カーイダは2000年代に「組織からイデオロギーへ」「ヒエラルキー型からネットワーク型へ」「集権的組織からフランチャイズ的組織へ」と変貌していた。

アル=カーイダのネットワークの一環、フランチャイズの一つだった「イラクのアル=カーイダ」がどのようにイラクとシリアのローカルな内政対立・内乱と結びついて「イスラーム国」へと変わっていったのか、さらに検討が必要です。