6月10日発売の『文藝春秋』7月号に寄稿しました。
『文藝春秋』はコンビニにもあるんですね、ということを初めて意識しました。
池内恵「必須教養は「アメリカの世界戦略と現代史」」『文藝春秋』2014年7月号、320-327頁
「教養」特集という、ブックガイドと並んでよく月刊誌でやっているような特集の枠で依頼を受けたのですが、意識としては『フォーリン・アフェアーズ』で行われているような議論を日本の読者にもわかるような形で書き直しました。
「教養」と依頼を受けても皆目見当がつかないし、そもそもひどく忙しくて曖昧なテーマに対して何かを書くという余裕がないので、編集部の方に来てもらい、語りおろし的なことをやった上で、いつも通りほぼ全面的に書き換えています。編集部が聞き取ってその中からテーマと並べ方を決めたうえで私が書き直しているので、自分一人で最初から書き起こしたら書かなかったであろうテーマや論点が入ります。編集部から提示される草稿を見るのは毎回かなりの精神的な苦痛、というかショックを受けます。私一人で書けば絶対に書かなかったであろう論点が大きく前面に出ていたり、過剰に政治的な姿勢が強く出ているようにまとめられていたりするからです。
しかし落ち着いて考えると確かに、意味のある論点ではあり、日本で求められている論点でもあるのだな、とそれなりに納得します。そのうえで、研究者として致命的なダメージを受けることがないように、語彙を正確にし、必要なバランスを取り、一定の理論的な脈略にもつなげるために、せっせと書き直すわけです。
編集部は「教養」のうち「世界史」的な方面を私に受け持たせたかったようで、特に「年号」をいくつも出させようとしていましたが、そもそも私は思想史なのであまり年号を気にしたことがない。年号を特定できるような「事件」で世の中が動くとは考えていません。
また、世界史というと年号を覚えさせられた記憶しかない、という受験の呪縛を、読者には解いていただきたいものですから、衒学的にいろいろな年号を並べることはいたしません。
しかしもちろん「年号」には意味があるわけで、編集部に無理やり「年号」を吐き出させられていると、それなりに有益な議論につながりました。
結局「1945」が最も大事という、一見当たり前の結論になります。で、思想史的にも、国際関係論的にも、1945を基軸にしたものの見方を再認識することは、現在の日本にとって必要なことと思われます。
もう一つ年号を出せと言われれば、「1989」ですね、ということになりました。
これもまたありふれているとみられるかもしれませんが、そもそも突飛なことを言おうとは思っておりませんので・・・
しかし国際社会を基礎づける「規範」がどのような基準に基づいていてそれがどのような変容の過程にあって、そこで日本はどうふるまうべきか、と考えるには、「1945」と「1989」の意味をしっかり理解しておくことは不可欠でしょう。
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」という思想が秘める求心力と危うさ、あるいは「弱腰」が危惧される米オバマ政権とどう関係を保つか、あるいは中東情勢を見るにも、ウクライナ問題を見るにも、そして東アジア・東南アジアでの日米中の関係を見るにも、「1945」と「1989」に端を発する、国際社会の支配的な価値規範とその変化を軸に考えていく必要があります。
突然依頼されて突然編集部にインタビューを取られ、急いで書き直したので、5月に読んで考えていたことがストレートに出ている面があります。
『フォーリン・アフェアーズ』誌の電子版を取っているのですが、その5/6月号で興味深い論争がありました。
ネオコンサーバティブ的な思想傾向も感じられるリアリストのウォルター・ラッセル・ミードがオバマ政権への批判を込めて、「地政学の再来」を論じたのに対して、リベラルな多国間主義を基調とするジョン・アイケンベリーが反論するという形の論戦です。
この二つの論稿は、国際関係論のリアリストとリベラリストの考え方を、かなり単刀直入に(粗野に?)分かりやすく示しているという意味でも興味深いものです。これらとあとフォーリン・ポリシー誌などに出ている関連する議論をまとめてブログで紹介しようかなと思っていましたがまったく時間と余裕がなく残念に思っていたところ『文藝春秋』編集部がやってきたので、「年号」で読む世界史にかこつけて、噛み砕いて話をしました。
大枠としては
(1) 「1989」をめぐってはフクヤマ『歴史の終焉』とハンチントン『文明の衝突』が、冷戦後の国際秩序とその規範についての、対立するがどちらも部分的には多くを説明できる思想だったよね。ウクライナ問題を見ても、フクヤマのいうリベラルな民主主義という規範の広がりと、文化・文明的な断層の強固さの両方が表面化してせめぎ合っている。
(2) でも「1989」で決定的にすべてが変わったとする見方には異論があって、現実的にはその異論には説得力があり、なによりも実効性がある。つまり、「1945」を基準・起点にした支配的価値観や国際関係の諸制度と、それを支える米国中心の覇権秩序の中に、私たちは今もいるということは変わりがなかった。
(3) アイケンベリーはそれを「1945年秩序」と定式化した。彼は「1989」では大して物事は変わらなかった、という説の代表的論者で、実際にそれは現実の国際秩序を反映した議論だし、政策論的影響力もある。
ここでのアイケンベリーの議論は『リベラルな秩序か帝国か アメリカと世界政治の行方』(上下巻、勁草書房、2012年)で詳細に論じたものと基本的に変わっていない。秩序は変わっていないと論じ続けているわけである。
(4) 「1945」を大前提とし、「1989」をそれに次ぐ大きな画期とする世界史の流れの中で、日本はどういう立場なんでしょうね?「1945」のどん底から「1989」には頂点に達していた。それぐらいの変化が二つの年号の間にはあった。しかし「1989」は国際社会の規範や制度を決定的に変えるものではなかった。そして「1989」以後の変化を受けて、中国やロシアは「修正主義」の立場をとっている。しかし両国は「1945」の秩序では有利な立場におり、そこに戻ろうとする。日本は「1945」以降の歩みと、「1989」の時点での立場においては、最大限有利になった。しかしその後足場を弱めているだけでなく、うっかり「1945」の時点の秩序に戻されてしまうと不利を蒙る。それを考えると、米国への対し方も、中国との距離の取り方も、歴史認識問題への対処法も、軸が定まるのではないかな?
こういった国際社会の規範という軸で考えると、1945と1989以外の年号は全く覚えなくていいとすら言える。世界史は論理であって暗記モノではないのです。
といったことを、まったく別の表現で語っています。総合雑誌ですので、行ったり来たりしながらけっこう長々と語っているので詳しくは本文を読んでください。
なお、中東だけを見ていると1945年の画期性は見えにくい。中東研究者としての我田引水的業界利益誘導では「イラン革命があった1979年が決定的だ」とか叫ばないといけないのかもしれないが、そういうことはする気がない。
米国が覇権国である事実など、中東の現実は中東の外で決まっている面が大きい。だからやはり1945年は重要なのだ。
これを入稿してしまった後の5月28日に、オバマ大統領がウエストポイント陸軍士官学校の卒業式で演説を行いました。現在の国際政治を見る視点という意味では、私がいろいろと解説するのを読むよりも、オバマの演説を10回読んだ方がいいような気もしますが、オバマ演説の日本向けの解説として『文藝春秋』の拙稿を読んでいただいてもかまわないかと思います。
オバマのウエストポイント演説は、まさにアイケンベリーをそのまま援用したかのような議論によって、「弱腰」批判をはねつけています。一言でいえば「パワーに支えられた多国間主義」でしょうか。多分本当にアイケンベリーが演説にアドバイスしているのではないか。
この演説で、オバマは要するに「1945年秩序」は健在でますます強いよ、と言っているわけです。
演説の組み立て方については、いつも通り非常に理論的で緻密で、何よりも、学問的な通説を踏まえています。オバマは本当に大学の先生みたいだな、という感想を持ちましたが、もちろん重要なのはオバマの演説に見られる個人的なスタイルや性格ではなく、実際にアメリカが政策として何をやるかです。
大統領が「言っていること」とアメリカが「やること」との関係は複雑微妙なので、この演説の政治外交的・安全保障上の意味はまだ測りかねていますが、少なくとも二期にわたるオバマ政権の外交政策の理念はこれで示されたと思います。その結果は「アイケンベリー」だったんだね、というところが、いかにも「大学の先生」らしくて、個人的には納得と共に感慨深いものがあります。オバマ政権も終幕に向かっているんだねえ。とはいっても米大統領の任期の最後の方は国際政治もどたばた動くことが多いので、気を抜くわけにはいきません。
「1945年秩序」が現在をどう形作っているか、その後何が変わったのか、ということを考えながら、例えば先週あったノルマンディー上陸作戦70周年記念式典のニュース(NHKBS1なら欧米各局のさまざまな報道が見られました)を見ると、単なる儀式としてではなく、緊迫した国際政治のせめぎ合いを感じ取ることができて、面白かったのではないかと思います。