コメント『毎日新聞』にシャルリー・エブド紙へのテロについて

フランス・パリで1月7日午前11時半ごろ(日本時間午後7時半ごろ)、週刊紙『シャルリー・エブド』の編集部に複数の犯人が侵入し少なくとも12人を殺害しました。

この件について、昨夜10時の段階での情報に基づくコメントが、今朝の『毎日新聞』の国際面に掲載されています。

10時半に最終的なコメント文面をまとめていましたので、おそらく最終版のあたりにならないと載っていないと思います。
手元の第14版には掲載されていました。

「『神は偉大』男ら叫ぶ 被弾警官へ発泡 仏週刊紙テロ 米独に衝撃」『毎日新聞』2014年1月8日朝刊(国際面)

コメント(見出し・紹介含む)は下記【 】内の部分です。

【緊張高まるだろう
池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)の話
 フランスは西欧でもイスラム国への参加者が多く、その考えに共鳴している人も多い。仮に今回の犯行がイスラム国と組織的に関係のある勢力によるものであれば、イラクやシリアにとどまらず、イスラム国の脅威が欧州でも現実のものとなったと考えられる。イスラム国と組織的なつながりのないイスラム勢力の犯行の場合は、不特定多数の在住イスラム教徒がテロを行う可能性があると疑われて、社会的な緊張が高まるだろう。】

短いですが、理論的な要点は盛り込んであり、今後も、よほどの予想外の事実が発見されない限り、概念的にはこのコメントで問題構図は包摂されていると考えています。

実際の犯人がどこの誰で何をしたかは、私は捜査機関でも諜報機関でもないので、犯行数時間以内にわかっているはずがありません。そのような詳細はわからないことを前提にしても、政治的・思想的に理論的に考えると、次の二つのいずれかであると考えられます。

(1)「イスラーム国」と直接的なつながりがある組織の犯行の場合
(2)「イスラーム国」とは組織的つながりがない個人や小組織が行った場合。グローバル・ジハードの中の「ローン・ウルフ(一匹狼)」型といえます。

両者の間の中間形態はあり得ます。つまり、(1)に近い中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子に、「イスラーム国」がなんらかの、直接・間接な方法で指示して犯行を行わせた、あるいは犯行を扇動した、という可能性はあります。あるいは、(2)に近い方の中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子が、「イスラーム国」の活動に触発され、その活動に呼応し、あるいは自発的に支援・共感を申し出る形で今回の犯行を行った場合です。ウェブ上の情報を見る、SNSで情報をやりとりするといったゆるいつながりで過激派組織の考え方や行動に触れているという程度の接触の方法である場合、刑法上は「イスラーム国」には責任はないと言わざるを得ませんが、インスピレーションを与えた、過激化の原因となったと言えます。

「イスラーム国」をめぐるフランスでの議論に触発されてはいても、直接的にそれに関係しておらず、意識もしていない犯人である可能性はあります。『シャルリー・エブド』誌に対する敵意のみで犯行を行った可能性はないわけではありません。ただ、1月7日発売の最新号の表紙に反応したのであれば、準備が良すぎる気はします。

犯行勢力が(1)に近い実態を持っていた場合は、中東の紛争がヨーロッパに直接的に波及することの危険性が認識され、対処策が講じられることになります。国際政治的な意味づけと波及効果が大きいということです。
(2)に近いものであった場合は、「イスラーム国」があってもなくても、ヨーロッパの社会規範がアッラーとその法の絶対性・優越性を認めないこと、風刺や揶揄によって宗教規範に挑戦することを、武力でもって阻止・処罰することを是とする思想が、必ずしも過激派組織に関わっていない人の中にも、割合は少ないけれども、浸透していることになり、国民社会統合の観点から、移民政策の観点からは、重大な意味を長期的に持つでしょう。ただし外部あるいは国内の過激派組織との組織的なつながりがない単発の犯行である場合は、治安・安全保障上の脅威としての規模は、物理的にはそう大きくないはずなので、過大な危険視は避ける必要性がより強く出てきます。

私は今、研究上重要な仕事に複数取り組んでおり、非常に忙しいので、新たにこのような事件が起きてしまうと、一層スケジュールが破綻してしまいますが、適切な視点を早い時期に提供することが、このような重大な問題への社会としての対処策を定めるために重要と思いますので、できる限り解説するようにしています。

現状では「ローン・ウルフ」型の犯行と見るのが順当です(最近の事例の一例。これ以外にも、カナダの国会議事堂襲撃事件や、ベルギーのユダヤ博物館襲撃事件があります)

ただし、ローン・ウルフ型の犯行にしても高度化している点が注目されます。シリア内戦への参加による武器の扱いの習熟や戦闘への慣れなどが原因になっている可能性があります。

ローン・ウルフ型の過激派が、イラクとシリアで支配領域を確保している「イスラーム国」あるいはヌスラ戦線、またはアフガニスタンやパキスタンを聖域とするアル=カーイダや、パキスタン・ターリバーン(TTP)のような中東・南アジアの組織と、間接的な形で新たなつながりや影響関係を持ってきている可能性があります。それらは今後この事件や、続いて起こる可能性のある事件の背後が明らかになることによって、わかってくるでしょう。(1)と(2)に理念型として分けて考えていますが、その中間形態、(2)ではあるが(1)の要素を多く含む中間形態が、イラク・シリアでの紛争の結果として、より多く生じていると言えるかもしれません。(1)と(2)の結合した形態の組織・個人が今後多くテロの現場に現れてくることが予想されます。

本業の政治思想や中東に関する歴史的な研究などを進めながら、可能な限り対応しています。

理論的な面では、2013年から14年に刊行した諸論文で多くの部分を取り上げてあります。

「イスラーム国」の台頭以後の、グローバル・ジハードの現象の中で新たに顕著になってきた側面については、近刊『イスラーム国の衝撃』(文春新書、1月20日刊行予定)に記してあります。今のところ、生じてくる現象は理論的には想定内です。

ユーラシア・グループの2015年リスク予測も発表

ユーラシア・グループが5日に今年の10大リスク予測を発表しましたね。

私も参加させてもらったPHP総研のグローバル・リスク予測(「2015年のグローバルリスク予測を公開」2014/12/20)と比較してみたいが、新年早々締め切りがどんどん来ていて切羽詰まっているので時間ありません。

簡単な紹介はこれかな。

「2015年最大のリスクは欧州政治 米調査会社予測 ロシアや「金融の兵器化」も上位」『日本経済新聞』(電子版)2015/1/5 21:04

「アジアのナショナリズム」は騒がれているけど実際はそう危険でもないよ、というのはアジアの顧客を重視して拠点を置いているユーラシア・グループらしい冷静さ。

アメリカの主流の人たちは非常にトランス・アトランティック(環大西洋)な世界に生きている。その延長線上の「勢力範囲」である中東とかアフリカまでについてはえらく強いが、アジア太平洋地域は「裏世界」(「裏日本」みたいな意味で)としか思っていないからよく分かっていない。なので「日本でナチスが台頭」みたいないい加減な話を、無知で無関心で、おそらく内心見下しているが故に、信じてしまうことがある。

ユーラシア・グループはアジア太平洋側に顧客を持っているから、安易に欧米の真ん中辺の人たちの発想で情報提供をすると見限られてしまうので、今年は抑え気味に来ていますね。煽って注目を集めようとする時も多いのですが。

まあおみくじとか新年初売りの景気付けの口上みたいなものと思ってください。

これについての吉崎達彦さんの解説があると、一年が始まった気がします(昨年はこれ)。

今年はハッピ着て鉢巻きしてやってほしい。新年開運予測。

「イスラーム国」問題コメント4本(昨年の積み残し)

昨年の仕事をまだやっている仕事初めかな。

間に合いません。

しかし昨年のものを積み残しを残しておくと気になるから早く終わらせたい。

このブログで通例のメディア掲載情報も同じく、積み残しがあります。

一瞬の隙をついて4つ記録しておきましょう。昨年10月6日に明らかになった「イスラーム国に日本人学生が!」問題で急激に高まった(もう引いた)メディア対応の記録。もうすぐ終わるからね、と自分に言い聞かせながら日々を過ごしてきた。本当にも少しだ。あと『読売クオータリー』が今月出ればそれで終わりかな、たぶん。

(1)『プレジデント』2015年1月12日号(2014年12月22日(月)発売)、特集「先が読める! 迷いが晴れる!ビジネスマンが学ぶべき『近現代史』入門」

この特集の中で、下記のインタビューが掲載されています。

池内恵「[4]イスラム国▼タリバンやアルカイダとは何が決定的に違うのか」48−49頁

『プレジデント』は隔週刊なのでまだ売っているかな。「新春開運号」だそうです・・・表紙に金色の羊が。

「イスラーム国」が必ずしもターリバーンやアル=カーイダと「決定的に違う」とは思いませんが、ここが違う、と示さないと読者には頭に入らないのかもしれませんね。タイトルは編集部がつけたものです。私としては「イスラーム国」とアル=カーイダが共通して属すグローバル・ジハードの運動について、それがローカル化する場面、またグローバル化する局面、といった動学が伝えられればいいなと思いましたが、インタビューなので、そもそも質問を編集部が行ってそれに答えたものを編集部が大幅に再構成し、それを私が最低限これはまずいだろうという部分を直すという形で作られているので、私が著者とは言えない面があります。編集部が何を読者が知りたがるだろうと考えているのか、一般読者やそもそも編集者はどこが「わからない」と感じるのか、といった点について、少し勉強になりました。

最初から最初まで私の視点で語ればどうなるかを知りたければ『イスラーム国の衝撃』を読んでみてください。

(2)『日本経済新聞』2014年12月13日朝刊(国際面)、「中東 解けないパズル−3回−イスラム社会、近代化に悩む 自由と保守2つの圧力」という記事の中に短いコメントが掲載。

取材にした記者にはこの全4回の「中東 解けないパズル」の特集の全般に関わるコメントをしたような記憶がありますが、使われていたのは社会秩序・規範についての部分でした。

具体的には、

「国際メディアの影響、国境を越えるヒトの移動などで外の世界を知る機会が増えると、既存の規範が損なわれて社会の秩序が揺らぐ」

という部分が使われていました。

中東の社会のぼやっとした雰囲気の変化をどうつかむか模索していて、好感の持てる特集でした。

(3)『読売新聞』2014年12月21日朝刊(社会面)、「『イスラム国』渡航計画の北大生 刺激が欲しかった 戦闘参加 深く考えず 『軽はずみだった』反省」、という記事にコメント。

この部分です。

「イスラム教の理念に感化されて渡航する欧米の若者とは全く違い、日本特有のケース。日本で同様の動きが続くとは考えにくいが、捜査機関は人権に配慮しつつ、過激思想の広がりを注視する必要がある。」

「北大の学生」(実名は明かされていません)に直接話を聞いて記事にした新聞は多分これが初めてではないでしょうか。軽率だったね、もし行っていたら大変なことになっていたよ、と告げて、それ以上は問わずに水に流して忘れるのが近代社会の対応でしょう。「都市は自由にする」。

背後で煽った人や手引きしようと頑張ってしまった人々の件も含めて、これで幕引きというのが正解でしょう。

基本的にこの事件は昨年10月6日に終わっている話だと私は理解しています。ウェブ情報で頭がいっぱいになって、リアル小集団で煽り・煽られ引っ込みがつかなくなった。

転がり込んできた明らかに言動が変な人の渡航を警察が止めたのは正解でしょう。「飛んで火に入る群れからはぐれた夏の虫」という状況なので「お手柄」と宣伝できるような事案ではないのだろうが、だからといって戦線拡大していろいろ逮捕して公判維持できません、ということになったら逆効果である。そもそも捜査対象を拡大しようにも日本には過激化して武装化しようというイスラーム教徒がほとんどいない。「過激な説教師」と言い得るひとなんて後にも先にもあの人だけだろう。そもそも「説教師」と言える人がほとんどいなくて増える気配もない。

軽率な若い人のうっかり・脱線・暴走・倒壊というのはいつの時代にも常にあって、それが大集団になれば社会現象と言えるが、現状では日本においては現象と言える規模には到底なっていない。

それにもかかわらず、変に「イスラーム国に行く若者」を祭り上げ(というか幻視して、と言うべきだ。「イスラーム国」に行こうとしている「若者」なんて日本中探しても5人もいないだろ)、これを「若者の雇用問題」「アベノミクスのしわ寄せ」などに結び付けて政権批判に転じようとしたり、「特定秘密保護法」「集団的自衛権」に関わっているのだ、そしてアベの「憲法改正」の野望が背後にあるのだあーっなどと言いたくて寄ってくる大人たちの方がずっと問題です。こっちは数も多いし発言する場も多く確保している。彼らにとっての問題は「タマ」となる「若者」があまりに少ないことだが。若い人を鉄砲玉にしないで自分の顔と名前を出して発言してください。

若い人たちは「イスラーム国」よりもそっちの方にそそのかされてある意味もっと危ないところに行かされる可能性があるのでくれぐれもご注意。人数少ないのに鉄砲玉にされたらかなわん。オッさんたちの「若者萌え」にはお気をつけあれ。

(4)あと、こんなのも出ていました。

『ダイヤモンド』2014年11月15日号 特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ 【Part1】宗教が分かれば世界が分かる」

その中の、

「【イスラム教】池内 恵(東京大学准教授)インタビュー世界から自発的に集合し聖戦 「イスラム国」台頭の背景思想」

という部分です。

私の視点については、1頁で短くうまくまとめてくれていると思いますが、特集全体についてはノーコメント。

『イスラーム国の衝撃』プレヴュー(1)目次と第1章

文春新書で1月20日に出る『イスラーム国の衝撃』ですが、アマゾンなどの予約注文画面では目次が出ていないので、ここで公開。

1 イスラーム国の衝撃
2 イスラーム国の来歴
3 蘇る「イラクのアル=カーイダ」
4 「アラブの春」で開かれた戦線
5 イラクとシリアに現れた聖域
6 ジハード戦士の結集
7 思想とシンボル−−−−メディア戦略
8 中東秩序の行方
むすびに
文献リスト

「1 イスラーム国の衝撃」では、2014年6月から7月にかけての「衝撃」を描写しつつ、具体的にどこがどう衝撃だったのか概念的に整理しておく。そしてこの本の全体構成。イスラーム政治思想史と中東比較政治・国際関係論の両方から見ていくということですね。これは方法論としてその両方が役立つ、ということです。同時に、対象となる「イスラーム国」の実態が、グローバル・ジハードの思想・理念の展開と、「アラブの春」による中東地域政治の変動が結びついたところにある、ということです。

これがおそらく現在のところ「イスラーム国」を説明するための一番合理的な視点の組み合わせなのではないかなと思います。この見方で見ていくと、イラクやシリアで勢力を伸ばす組織の構造原理や、そこに集まっていくグローバルな人の流れの背後にあるメカニズム、さらにはベルギーやカナダやオーストラリアなどで散発的に生じている「ローンウルフ」型の呼応・模倣の動きとどう関係するのかなど、「イスラーム国」という多角的な現象の総体が統合的に理解できます。

もちろん「俺(私)はずっとイラク(あるいはシリア)を見てきたんだ、イスラーム国はイラクとシリアで活動しているんだから、イラクとシリアの現場のリアルな実感だけが真実なんだ」というタイプの視点からの議論は常に傾聴に値します。それらは「イスラーム国」として現れてくる現象の全体像とは別ですが、全体像を構成するための必要なパーツです(それらが適切に全体と結びつけられれば、の話ですが)。

もちろん、「イスラーム国という現象は実はどうでもいい。本当に日本人が知るべきはイラク(あるいはシリア)だ」という視点・主張はあっていいでしょう。「イスラーム国」について興味を持ったついでに、「イスラーム国」絡みでイラクやシリアの政治・社会について勉強してみる、というのは悪いことではありません。というか、大前提としてイラクについてもシリアについても大多数の人は何も知らないし、知ろうともしていない。「イスラーム国」がらみでにわかに参入してきた社会学者や宗教学者などの書き手においておや、イラクについてもシリアについてもイスラーム思想の基本についてまともに勉強する気がないのです。なのに書く(笑)。なんなんだろう。それでは「イスラーム国」について読み手がよくわからないのは当然です。だって書き手がそもそもわからずに書いているんですから。

(ただし、それぞれの分野について「分かっている」地域研究者は、そちらはそちらで特有のしばしば強烈なバイアスをかけてくるので、それらを差し引いて読んでいく必要があります。初心者にはちょっと難しいかもしれません。「バイアスは中東のスパイス」だと思って読みましょう)。

私も地域研究者としてはそういったパーツの開発を細々とやっていますが、同時にそれらのパーツが持つ意味をどう評価するかは、全体像との総合に依存しているので、余計な価値判断や業界の自己主張抜きで全体像の構成と個々のパーツの評価を行うにはどうすればよいかを常に考えていて、その一つの結論をこの本に書いてあります。

また、イスラーム思想の研究は、それぞれの思想が生まれ出てくる根拠となる地域性を詳細に見極める必要が常にあり、地域研究的視点は絶対に不可欠と考えていますが、同時に、一旦思想として発信されてしまうとその後は特定の地域に限定されずに広がるところにイスラーム思想の特徴があり、そこは「自分は特定の地域の地域研究者である」というアイデンティティ・プライドに過度にこだわらずに視野を広く取ってみていく必要があると考えています。極東の島国の一人の中東研究者のアイデンティティや、身も心も縛られた業界論理などというものは、中東の現実にはまーーーったく関係がない、ということに気づかされる瞬間を、中東に関わっていれば幾度も経験するはずです。

(話は飛ぶようだが、NHK「マッサン」の描写にイライラする人たちにはわかってもらえるかもしれない。それも芝居の中のマッサンにではなく、そのようなマッサンしか造形できない脚本家にイライラする人たちには。理想とか大義を追求する人、というものを現代の日本の脚本家は描けなくなっているのではないかな。筋を通す人=未熟で空疎な「理想論」を振りかざす人、ということになってしまうんだよね現代の日本の脚本家に描かせると。大義を追求するってもっと違うやり方で実際にやって見せている人はあちこちにいると思うんだが、多分脚本家の身近にそういう人がいないんだろうな、という気がする。「清濁併せ呑む」タイプの人物造形はやたらとうまい、というところから、今時の脚本家の生態・交際範囲がそこはかとなく伝わってくる。まあそれもいいんだけどね。マッサンについては脚本グズでも俳優が美男だからこれでもなんとか許せるとかいう次元の話になってしまっている気がするが・・・)

もちろん「イスラームは近代西洋の領域国民国家を超えるんだ、リベラリズムは偽善だ、世俗主義は差別だ」といった信念・願望・主張などを「イスラーム国」をネタにしてガンガン連打するといった本があってもいいですが、それは日本の書き手(あるいはそれを受容する読み手)の心を自然主義的に表出しているという意味ではリアルかもしれませんが、イラクやシリアや中東やイスラーム世界の現実を写し取る枠組みとしてはそれほど適切ではないと考えています。そういう本は固定読者層がいるのである程度売れますし喜んで出すメディア企業は数多ありますが、「イスラーム国」理解にも中東理解にも直結はしません。ある種の勇ましいモノ言いから勇気をもらうタイプの特定ファン層への訴求力が抜群に高い「関連商品」として買うならいいのではないかな。

ただ、「なんでも否定」系の人たちが一定数以上になると社会不安、政治システム崩壊の原因になるので、超越願望・支配欲求・現状否定が強すぎる書き手と読者の存在はある程度注視していた方が、市民社会を守り育てていくためには重要なことだと思います。

そのためにも、言論の自由は重要。

自由にしておくから無茶・無謀・妄想・陰謀論的なことを言って恥じない人たちが可視化されるのです。同時に、「あ、これ陰謀論ね」ときちんと指摘してあげないと市民社会は育たない。面倒臭いが仕方がない。そういう人たちから悪口とか言われていろいろ妨害される立場になるとさらに鬱陶しいし個人的には不自由になるんだが仕方がない。

「イスラーム国に共感する若者」なるものは日本には社会・政治現象として取り上げるに値する規模では存在しないと思いますが、「イスラーム国に共感する若者」なる言説に「萌えて」しまっている年配(高齢)の方々は、メディア・言論業界を中心に多くいます。これは一種の社会現象・思想的現象と言ってもいいかもしれません。その背後には日本社会の逆ピラミッド的な人口構成からもたらされる特定世代に付与された過度の発言力や、団塊世代からバブル入社世代の知識人(*注1)に特有の、世代・職能的(*注2)な固定観念(とそれを赤裸々に吐露することが許される社会環境、権力関係)があると思われます。

*注1 「知識人」は大学院に何年か在籍してから就職→言論活動を開始することが多いのと、一般に社会の流れから若干遅れるので、一般の「バブル入社世代」の+3〜5年以降に社会的に存在し始めます。
*注2 「職能的」というのは、大学院などを経由したりメディア産業に関わったりすると、社会全体、あるいは同世代とはずれた価値観や思想を内在化することが多いので(多くは大学院やメディア業界内で支配的な上の世代の価値観に順応・同質化・擬態するため)、世間一般を対象にした世代論と、メディア・言論人についての世代論は多少/かなり/すごくずれざるをえません。

ただし、上に示した第1章の概要でわかるように、私の本ではこれらの日本のグダグダについては、書いてありませんので、それらを期待する読者は買わないでください。最初から最後まで、ごくわずかな例外を除いて、中東とイスラーム思想についての本です。日本のイスラーム理解についての論争とかはしていません。一冊の本という限られたスペースに、重要なことをどれだけ入れられるかを追求した本ですので、それらの極東の島国の浜辺に届いた余波的な部分は全部省略されています。

万が一誤った期待に基づいてこの本を買ってしまって、不愉快な思いをされる方々が出ないようにするためのお知らせです。

* * *

このブログは「今すぐ伝えたい中東情勢分析」と、「本には書きたくない日本のグダグダ」が交互に現れるぐらいのバランスを意識していますが、最近グダグダ記述多いかなとここで反省。しかし分析は本に書いているものですから、ここに書く頻度が減ります。

さて、この本の全体構成、コンセプトや第1章について冒頭で若干記しましたが、内容はあくまでも本の本体を読んでみてください。このブログ・エントリを素材に議論しても意味ありませんので。

本が出る前に時間ができたら第2章以降も紹介したいですね。しかし今年は5日(月)早々から大量の成果物を提出していかなければならず、その準備を年末年始ずっとやってきてまだまだ終わっていないので時間がありません。第2章は、2001年の9・11事件から今までの、グローバル・ジハードの展開とアメリカ主導の対テロ戦争との相互作用を、一気にまとめるという、今回の本で一番苦労した章です。この章だけで1冊以上本が書けそうですが、それを1章に濃縮しました。それではまた。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

昨年は正月の松の内を過ぎたあたりに試験的にこのブログを開設してみましたが、予想外に1年間、ほとんど途切れずに続けることができました。

変化の激しい中東・イスラーム世界の情勢分析と判断をリアルタイムに共有し、学術的知見・視点を社会に還元するための一つのツールとして、好意的に受け止め、活用してくださる方々が多くいることを、嬉しく思っております。

今年もウェブ媒体の可能性をさらに開発・活用しつつ、新たな気持ちで活字印刷の出版に向かっていきたいと思っています。本屋の書棚でも多くお会いできることを期して、今まさに励んでいるところです。

今年もよろしくお願いいたします。

2015年1月1日
池内恵