『イスラーム国の衝撃』プレヴュー(1)目次と第1章

文春新書で1月20日に出る『イスラーム国の衝撃』ですが、アマゾンなどの予約注文画面では目次が出ていないので、ここで公開。

1 イスラーム国の衝撃
2 イスラーム国の来歴
3 蘇る「イラクのアル=カーイダ」
4 「アラブの春」で開かれた戦線
5 イラクとシリアに現れた聖域
6 ジハード戦士の結集
7 思想とシンボル−−−−メディア戦略
8 中東秩序の行方
むすびに
文献リスト

「1 イスラーム国の衝撃」では、2014年6月から7月にかけての「衝撃」を描写しつつ、具体的にどこがどう衝撃だったのか概念的に整理しておく。そしてこの本の全体構成。イスラーム政治思想史と中東比較政治・国際関係論の両方から見ていくということですね。これは方法論としてその両方が役立つ、ということです。同時に、対象となる「イスラーム国」の実態が、グローバル・ジハードの思想・理念の展開と、「アラブの春」による中東地域政治の変動が結びついたところにある、ということです。

これがおそらく現在のところ「イスラーム国」を説明するための一番合理的な視点の組み合わせなのではないかなと思います。この見方で見ていくと、イラクやシリアで勢力を伸ばす組織の構造原理や、そこに集まっていくグローバルな人の流れの背後にあるメカニズム、さらにはベルギーやカナダやオーストラリアなどで散発的に生じている「ローンウルフ」型の呼応・模倣の動きとどう関係するのかなど、「イスラーム国」という多角的な現象の総体が統合的に理解できます。

もちろん「俺(私)はずっとイラク(あるいはシリア)を見てきたんだ、イスラーム国はイラクとシリアで活動しているんだから、イラクとシリアの現場のリアルな実感だけが真実なんだ」というタイプの視点からの議論は常に傾聴に値します。それらは「イスラーム国」として現れてくる現象の全体像とは別ですが、全体像を構成するための必要なパーツです(それらが適切に全体と結びつけられれば、の話ですが)。

もちろん、「イスラーム国という現象は実はどうでもいい。本当に日本人が知るべきはイラク(あるいはシリア)だ」という視点・主張はあっていいでしょう。「イスラーム国」について興味を持ったついでに、「イスラーム国」絡みでイラクやシリアの政治・社会について勉強してみる、というのは悪いことではありません。というか、大前提としてイラクについてもシリアについても大多数の人は何も知らないし、知ろうともしていない。「イスラーム国」がらみでにわかに参入してきた社会学者や宗教学者などの書き手においておや、イラクについてもシリアについてもイスラーム思想の基本についてまともに勉強する気がないのです。なのに書く(笑)。なんなんだろう。それでは「イスラーム国」について読み手がよくわからないのは当然です。だって書き手がそもそもわからずに書いているんですから。

(ただし、それぞれの分野について「分かっている」地域研究者は、そちらはそちらで特有のしばしば強烈なバイアスをかけてくるので、それらを差し引いて読んでいく必要があります。初心者にはちょっと難しいかもしれません。「バイアスは中東のスパイス」だと思って読みましょう)。

私も地域研究者としてはそういったパーツの開発を細々とやっていますが、同時にそれらのパーツが持つ意味をどう評価するかは、全体像との総合に依存しているので、余計な価値判断や業界の自己主張抜きで全体像の構成と個々のパーツの評価を行うにはどうすればよいかを常に考えていて、その一つの結論をこの本に書いてあります。

また、イスラーム思想の研究は、それぞれの思想が生まれ出てくる根拠となる地域性を詳細に見極める必要が常にあり、地域研究的視点は絶対に不可欠と考えていますが、同時に、一旦思想として発信されてしまうとその後は特定の地域に限定されずに広がるところにイスラーム思想の特徴があり、そこは「自分は特定の地域の地域研究者である」というアイデンティティ・プライドに過度にこだわらずに視野を広く取ってみていく必要があると考えています。極東の島国の一人の中東研究者のアイデンティティや、身も心も縛られた業界論理などというものは、中東の現実にはまーーーったく関係がない、ということに気づかされる瞬間を、中東に関わっていれば幾度も経験するはずです。

(話は飛ぶようだが、NHK「マッサン」の描写にイライラする人たちにはわかってもらえるかもしれない。それも芝居の中のマッサンにではなく、そのようなマッサンしか造形できない脚本家にイライラする人たちには。理想とか大義を追求する人、というものを現代の日本の脚本家は描けなくなっているのではないかな。筋を通す人=未熟で空疎な「理想論」を振りかざす人、ということになってしまうんだよね現代の日本の脚本家に描かせると。大義を追求するってもっと違うやり方で実際にやって見せている人はあちこちにいると思うんだが、多分脚本家の身近にそういう人がいないんだろうな、という気がする。「清濁併せ呑む」タイプの人物造形はやたらとうまい、というところから、今時の脚本家の生態・交際範囲がそこはかとなく伝わってくる。まあそれもいいんだけどね。マッサンについては脚本グズでも俳優が美男だからこれでもなんとか許せるとかいう次元の話になってしまっている気がするが・・・)

もちろん「イスラームは近代西洋の領域国民国家を超えるんだ、リベラリズムは偽善だ、世俗主義は差別だ」といった信念・願望・主張などを「イスラーム国」をネタにしてガンガン連打するといった本があってもいいですが、それは日本の書き手(あるいはそれを受容する読み手)の心を自然主義的に表出しているという意味ではリアルかもしれませんが、イラクやシリアや中東やイスラーム世界の現実を写し取る枠組みとしてはそれほど適切ではないと考えています。そういう本は固定読者層がいるのである程度売れますし喜んで出すメディア企業は数多ありますが、「イスラーム国」理解にも中東理解にも直結はしません。ある種の勇ましいモノ言いから勇気をもらうタイプの特定ファン層への訴求力が抜群に高い「関連商品」として買うならいいのではないかな。

ただ、「なんでも否定」系の人たちが一定数以上になると社会不安、政治システム崩壊の原因になるので、超越願望・支配欲求・現状否定が強すぎる書き手と読者の存在はある程度注視していた方が、市民社会を守り育てていくためには重要なことだと思います。

そのためにも、言論の自由は重要。

自由にしておくから無茶・無謀・妄想・陰謀論的なことを言って恥じない人たちが可視化されるのです。同時に、「あ、これ陰謀論ね」ときちんと指摘してあげないと市民社会は育たない。面倒臭いが仕方がない。そういう人たちから悪口とか言われていろいろ妨害される立場になるとさらに鬱陶しいし個人的には不自由になるんだが仕方がない。

「イスラーム国に共感する若者」なるものは日本には社会・政治現象として取り上げるに値する規模では存在しないと思いますが、「イスラーム国に共感する若者」なる言説に「萌えて」しまっている年配(高齢)の方々は、メディア・言論業界を中心に多くいます。これは一種の社会現象・思想的現象と言ってもいいかもしれません。その背後には日本社会の逆ピラミッド的な人口構成からもたらされる特定世代に付与された過度の発言力や、団塊世代からバブル入社世代の知識人(*注1)に特有の、世代・職能的(*注2)な固定観念(とそれを赤裸々に吐露することが許される社会環境、権力関係)があると思われます。

*注1 「知識人」は大学院に何年か在籍してから就職→言論活動を開始することが多いのと、一般に社会の流れから若干遅れるので、一般の「バブル入社世代」の+3〜5年以降に社会的に存在し始めます。
*注2 「職能的」というのは、大学院などを経由したりメディア産業に関わったりすると、社会全体、あるいは同世代とはずれた価値観や思想を内在化することが多いので(多くは大学院やメディア業界内で支配的な上の世代の価値観に順応・同質化・擬態するため)、世間一般を対象にした世代論と、メディア・言論人についての世代論は多少/かなり/すごくずれざるをえません。

ただし、上に示した第1章の概要でわかるように、私の本ではこれらの日本のグダグダについては、書いてありませんので、それらを期待する読者は買わないでください。最初から最後まで、ごくわずかな例外を除いて、中東とイスラーム思想についての本です。日本のイスラーム理解についての論争とかはしていません。一冊の本という限られたスペースに、重要なことをどれだけ入れられるかを追求した本ですので、それらの極東の島国の浜辺に届いた余波的な部分は全部省略されています。

万が一誤った期待に基づいてこの本を買ってしまって、不愉快な思いをされる方々が出ないようにするためのお知らせです。

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このブログは「今すぐ伝えたい中東情勢分析」と、「本には書きたくない日本のグダグダ」が交互に現れるぐらいのバランスを意識していますが、最近グダグダ記述多いかなとここで反省。しかし分析は本に書いているものですから、ここに書く頻度が減ります。

さて、この本の全体構成、コンセプトや第1章について冒頭で若干記しましたが、内容はあくまでも本の本体を読んでみてください。このブログ・エントリを素材に議論しても意味ありませんので。

本が出る前に時間ができたら第2章以降も紹介したいですね。しかし今年は5日(月)早々から大量の成果物を提出していかなければならず、その準備を年末年始ずっとやってきてまだまだ終わっていないので時間がありません。第2章は、2001年の9・11事件から今までの、グローバル・ジハードの展開とアメリカ主導の対テロ戦争との相互作用を、一気にまとめるという、今回の本で一番苦労した章です。この章だけで1冊以上本が書けそうですが、それを1章に濃縮しました。それではまた。