イスラーム政治思想のことば(9)イスラーム教の高揚は近代の問題に解決策を示すよりも、解決の失敗に苛立つ人々を酔わせる

社会全体の問題をムスリム同胞団はもっともよく体現している:

「カイロ市の焼打ち、首相たちの暗殺、キリスト教徒に対する脅迫、その出版物に見られる狂暴性と憎悪──これらすべては、進路を見失ってしまい、自ら引き継いだ過去の遺産が近代生活に相応しないことが判明し、その指導者たちは不正直で、そして理想が色あせてしまった民族の立場として理解されなければならない。この点からいえば、新しいイスラムの高揚は、問題を解決する力ではなく、その解決の失敗にもはや我慢ができなくなった人々を酔わせる力なのである。
同様団の指導者やその運動の大部分の公的文書は、この情動主義と暴力に対して直接的には責任はない。事実、それらをおし留めるための対策が時として取られたくらいである。同胞団について判断を下したり、またその昂揚期においては明らかに同時に作用していた善悪両要素を区別することは、たぶんまだ早すぎるし、ましてやそれらを分類して一方は真の宗教、他は神経症的ファシズム、真摯な理想主義と破壊的な狂暴というように分けてしまうことにおいてはなおさらである。前者を否定することは誤りであるし、後者の可能性を無視することはたぶん危険であろう。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、260-261頁)

長くなりましたが、ぜひ本を手に取って読んでいただけるといいですね。中央公論新社、アラブの春からもう2年半ですから、良い本を無駄にせず、再刊してください。(2013年8月26日

【追記】これを記してからさらに4年近く経ちましたが、その間の事態の進展は、スミスが半世紀からほとんど一世紀近く前に観察した、1920年代から50年代にかけての出来事を、いよいよ正確に反復するかのようでした。なぜ、アラブ世界の近代のリベラリズムとイスラーム主義は、それぞれの限界に繰り返し突き当たるのか。これは最も重要な課題と思われます。