承前。
第二に、政治家の意図や動機が立派なものであったとしても、それが道義的な政策をもたらすとは限らないし、成功する政策をもたらすとも限らないからである。
「われわれは、政治家の対外政策が道義的に立派であるとかあるいは政治的に成功するだろうとかいうことを、彼の善良な意図から結論づけることはできない。われわれは、彼の動機から判断して、彼が道義的に悪い政策を故意に追求することはないだろうと論ずることはできても、その政策の成功する可能性については何もいえないのである。もしわれわれが彼の行動の道義的な質と政治的な質を知りたいなら、われわれはその行動をこそ知らなければならないのであって彼の動機を知る必要はない。政治家が世界を改革しようという欲求に動機づけられながら、結局は世界をさらに悪くしてしまうことがいかに多くあったことか。また彼らがある目標を追求して、結局は期待も望みもしなかったものを得てしまうということがどれほど多かったであろうか。」(原彬久訳、上巻、46頁)
これは今現在も通用する真実ではないでしょうか。
モーゲンソーは例としてチェンバレンとチャーチルを比較しています。よく言われることですが、チェンバレンの宥和政策は「個人的権力」の獲得の欲求によって動機づけられていたわけではなく、「平和を維持しようとし、あらゆる当事者の幸福を確かなものにしようとした」が、しかしそれは第二次世界大戦を避けがたいものにしてしまった(46頁)。
それに対して、チャーチルは個人的な利益や国家権力の獲得という動機によって方向づけられていたとみられる。しかし「これら劣勢の動機から生まれたチャーチルの対外政策は、彼の前任者たちが追求した政策よりも確かに道義的、政治的な質において優れていたのである」(47頁)。
また、これもまたよく挙げられる例だが、フランス革命時のロベスピエール。
「ロベスピエールは、その動機から判断すれば、史上最も有徳な人物のひとりであった。しかし、彼が自分自身よりも徳において劣った人びとを殺し、みずから処刑され、彼の指導下にあった革命を滅ぼすに至ったのはほかでもない、まさにあの有徳のユートピア的急進主義のせいであった。」(同頁)
ロベスピエールは数多くの敵対勢力を断頭台に送り、最後は彼自身が断頭台の露と消えました。
「お前は人間じゃない」「叩っ斬ってやる」の元祖と言うべきでしょうか。