1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃殺害事件は、ゆるいつながりを持つ人物による警官殺害事件を惹起した。両方の犯人たちは、人質を取って別々の場所に立て籠もった(後者の犯人はユダヤ教徒向けスーパーを占拠して人質17人を取った)上で、1月9日、特殊部隊の突入と銃撃戦により死亡した。
突入の経緯といった現地でしかわからないことについてはここでは論じない。重要なのは、すでに明らかになってきている背景や原因である。
立て籠もりの最中に、それぞれの犯人が報道機関と通話した記録が出ている。この事件が実際に何であったか、背景や原因は何かは、実際の犯人に関する情報を元に議論しなければならない。下記の記事などは最初の手がかりになる。
シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件では、犯行の目撃者から、犯人が「イエメンのアル=カーイダ」の一員だと自称したというニュース(「仏テロ犯が「イエメンのアル=カーイダ」と称したという情報」2015/01/08)があった。
立て籠もり中の外部のメディアとの通話記録でも、イエメンのアル=カーイダとの関係を主張している。弟の方のシャリーフ・クワーシー容疑者が、イエメンに行ってアンワル・アウラーキーから資金提供を受けたと語っている。イエメン系アメリカ人のアウラーキーは2011年9月に米軍の空爆により死亡しているので、直近のことではない。スリーパー・セル的にフランスに戻され、数年間の潜伏により捜査機関の監視が薄れた後に、なんらかの指示を受けたか、あるいは自発的に、今回の犯行を起こした可能性がある。
一方、ユダヤ教徒向けスーパーに立て籠もった後続の警官殺害事件犯アミーディー・クーリバーリーの方は、メディアとの通話で、「イスラーム国」に対するフランスの軍事行動の停止を要求した。シャルリー・エブド紙への襲撃犯と過去に電話連絡をしていたと認めると同時に、直近には電話していないとも言っているので、それが事実なら、緊密な連携というよりは、知り合いの犯行をメディア上で知り、「呼応」して後に続いたものと言える(通話の全文のアラビア語訳、AFPの配信)。
「イエメンのアル=カーイダ」との関係についての国際メディアの報道が日本で翻訳され翻案される過程で、「イエメンの」という部分の意味は捨象されていた。ここにも英語圏メディアと日本の情報力の差は著しい。
「イエメンのアル=カーイダとの関係」という情報に対して日本では「アル=カーイダなんですね、テロなんですね、ビンラーディンなんですね」と反応してしまうのだが、世界標準では報道機関もウェブでの議論も「イエメンの」に反応する。
イエメンのアル=カーイダすなわち「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」は、イエメン国内で武装蜂起や領域支配を狙っているとともに、世界各地でのローン・ウルフ型テロを雑誌『インスパイア』で明示的に、詳細に、扇動してきた。「イエメンの」と聞いた瞬間にピンときて、ローン・ウルフ型のジハードの手法が実践されたのではないか、と仮説を立てて裏を取っていくのが、世界標準のジャーナリストと報道機関の基本動作だ。日本では8日や9日の段階でこれらの情報に適切に反応できる報道機関は一つもなかった。
事件の本筋はグローバル・ジハードの思想が実践に移されたというところにある。「欧米社会がムスリムに冷たい」などという点を犯行の直後から活発に議論する情緒的(かつ極めて危険な暴力黙認の)反応が日本ではかなり大きく、人間が権威に屈従せず、暴力の脅しに怯まず発言していくという意味での言論の自由(「報道の自由」「言論の自由」を言論機関に属する人や、インターネット上で「自由」を享受する人々が理解していない事例を数多く見聞きしたので、ここであえて説明をつけておいた)に対する決定的な挑戦であるという点を語れる論客・ジャーナリストがほとんど見られなかった。これは先進国のメディア・言論空間で日本に特有の現象であることを知っておいたほうがいい。
なお、こういった指摘に対しては、「何が悪いんだ日本は最高だ。欧米中心主義はもう古い」と言い出す人たちが右翼にも左翼にもいることは承知している。
日本は右傾化しているのではなく、内向化し、夜郎自大になり、かつそれぞれの勢力や組織が硬直化し、組織に属する一人一人が失点を恐れて萎縮し、帰属集団の漠然とした「空気」の制裁を恐れて各人が発言をたわめているだけである。そのような社会では「言論の自由への挑戦」が深刻に受け止められないのは当然だろう。そのような自由を、国家の介入にも宗教権力の圧力にもよらず、各個人が内側からすでに放棄しているからである。おそらく、すでに捨ててしまっているものに対する挑戦の存在は認識できないのだろう。
なお、私は絶望はしていない。日本は国家や宗教規範が発言と思考を縛っているのではないため、個人のレベルで自由を獲得することはまだ可能だ。日本では社会の同質化圧力による言論統制が非常に強いこと、それによる弊害によって、社会が国際情勢を認識し判断する能力において、先進国の中で落ちこぼれやすいことを自覚した個人が、今後道を開いていってくれるものと信じている。その意味では、日本は自由にも「格差」が生じる社会となるだろうと予想している。
(ちなみに、欧米社会は弧が確立していない人には等しく冷たいですよ。イスラーム教徒よりも、生暖かい帰属社会を求める日本人の留学生や駐在者の方がつらいのではないかな。イスラーム教徒は、住んでいる社会がどうであろうと神の下した真理を自分は信奉している、と信じて揺るがないがゆえに、様々な異なる環境で自己を確立して居場所を切り開いていく。生暖かい同情など期待していない。また、日本社会は冷たいどころかよそ者を有意義な規模で受け入れていないので、日本の言論空間に瀰漫する、フランスに対する妙な優越心、無根拠な「上から目線」がどこからくるものか判然としない。外部の視点からは、それは結局テロの暴力を背景にして欧米に対して優位な立場に立ったような気分になっているものとすら見られかねない)
イエメンのアル=カーイダの影響を受けたローン・ウルフ型のテロであれば、一定期間の間に連鎖することがあっても、物理的には小規模な銃撃や爆破となるだろう。短期的には社会的緊張を強いられるものの、体制を揺るがすような暴動や社会秩序を崩壊させる武力紛争に発展するとは考えられない。本質はテロであり、イラクとシリアでのイスラーム国や、イエメンでのAQAPのような領域支配や大規模な紛争に至るものではない。
ただし、これに刺激され、世界各地のアル=カーイダ系の組織が同様にローン・ウルフ型テロを呼応して指令する動きが、競って行われる可能性があり、当面は最高度の緊張が続くだろう。
そのような次元で考えた上で「不安を煽ってはいけない」と言える。不安を煽ってはいけないということは、犯人の信念や動機を、それがイスラーム教の教義の特定の(それなりに有力で根拠のある)部分に根ざしているということを報じたり論評してはならないということではない。このことを報道機関も言論人も、ウェブ空間で不用意に実名で勇ましく威嚇的発言を行う素人論客も理解していないようである。実態を知るから適切な対処策を決めることができ、落ち着くことができる。事実を知らせなければデマを否定する根拠が得られない。
グローバル・ジハードの理論は、先進国で分散的に各個人・小組織がテロを行うことを推奨する(同時に、アフガニスタンや、現在のシリアやイラクのような途上国の紛争地では大規模に武装し組織化して聖域とすることを目指している)。先進国での小規模の、相互に組織的関連が薄いテロの頻発により、見かけ上は「現象」として大きな運動があるように見えるが、個々の事件の規模は軍事的には小さい。象徴的な意味を持つ暗殺によって威嚇効果を高め、メディアの関心を集め、社会的な動揺をもたらすことが主要な効果である。そのような実態を見極めた上で、暴力に対処できる体制を整え、連鎖的な事件を封じ込めていく必要が有る。
シャルリー・エブド紙事件の犯人のイエメンでの訓練歴については欧米の政府当局からの情報が1月8日には報道されている。
Mark Hosenball, “Suspect sought in Paris attack had trained in Yemen – sources,” Reuters, WASHINGTON Thu Jan 8, 2015 5:19pm EST.
1月9日にはイエメンの政府当局からも犯人のイエメンでAQAPに訓練を受けたことを認める発言が出ている。
1月9日には、AQAPが犯行声明ではないが、犯人とのつながりを認め、事件を称揚する発言を行っている。
Sarah EL Deeb, “Al-Qaida member in Yemen says group directed Paris attack,” Associated Press, Cairo, Jan 9, 5:02 PM EST.
これらの情報から、現時点では、今回の事件は、イエメンのAQAPがローン・ウルフ的なジハードへのイデオロギー的なインスピレーションを与え、訓練と資金提供の面で過去に支援したというところまでは、明らかになってきているといえよう。AQAPが直接的に指令した組織的犯行であるかどうかは、現時点では分からないが、密接な指揮命令関係がない可能性もある。そうなれば、特定の組織を追い詰めるだけでなく、過激派の間に共有されているイデオロギーとその根拠として用いられている教義をどう批判し影響力をなくすかが、対処上の課題となる。