さて、昨日から参加しているマレーシアでの会議なんだが、今日がメインの講演などが行われる日。
しかしホスト役のアンワル・イブラヒムをめぐる政治的裁判のウォッチングが主たる関心事になりかけている。
アンワルは朝に最高裁に出頭しなければならなくなったので会議のスケジュールも大いに乱れた。
会議が行われているのはクアラルンプールの西に隣接したセランゴール県のペタリン・ジャヤ(Petaling Jaya)という新興住宅地のようなところ。イオンとか伊勢丹も入っている大規模モール(1 Utama City Centre)の中のホテルが会場になっている。
裁判の方はクアラルンプール南方の行政都市プトラジャヤ(Putrajaya)で行われているので、そっちからアンワルが帰ってくるのを待つために会議のスケジュールは大幅に乱れた。だらーんと待ってました。
今日結審するかもと言われていたので報道も詳しくなった。しかし判事に何らかの不都合があったとかで明日までやることになったようだ。
法廷に入る。
Anwar’s Appeal: Proceedings to be continued tomorrow, The New Straits Times, 3 November 2014.
出てきた。
Anwar’s Appeal: Judges praised by Anwar, The New Straits Times, 3 November 2014.
後で聞いたところによると、在職中はアンワルを弾圧する側に回っていた判事が退職したので被告側の弁護士に雇っているらしいです。
Anwar’s Appeal: PKR members deliver speeches, The New Straits Times, 3 November 2014.
Anwar’s Appeal: “Arrest Anwar”, chants Saiful’s supporters, The New Straits Times, 3 November 2014.
しかし記事を読んでみると、法廷で争われている内容は非常にくだらない。
Anwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfully, The New Straits Times, 3 November 2014.
まあこういうことを延々とやって政敵を弱らせるのが目的なんだろうね。「くだらない」と書けないのは報道の自由がないのか、新聞が党派的なのか。だぶんどっちもなのだろうと思うが。
アンワルが帰ってくるのに合わせて午後のパネルを遅らせて・・・
着席。開始。
このパネルのキーノートはスリン・元タイ外相・ASEAN事務総長。タイ南部マレー半島のパッタニー県出身のムスリム。演説うまい。ハーバード出。
そしてアンワル登壇。下手をすると最後の公式演説になってしまうのか。
アンワルの政治漫談炸裂。
終わると支持者たちに囲まれる。
娘さんのヌールルイッザさんも国会議員。
動員をかけられていたようで、アンワルの演説の時だけいっぱい地元の大学生(大半が女子)が詰めかけ、終わったら帰っちゃった。
というわけで予定よりもはるかに遅い時間にはじまった、私など外国人の研究者が出るパネル(司会は白石隆先生でした!!)ではぐっと聴衆が減っていた。おかげで気楽にしゃべっていました。
軍の政治からの分離など、インドネシアの民主化の経緯はちゃんと勉強しなければと思いつつできていない。エジプトはインドネシアで10年かかったことを1年でやろうとして失敗した感じ。勉強させていただきました。
7時前にやっと終わってぐったり。休む間もなく公式ディナーへ。
自由席だったので私もずうずうしくメインテーブルに席をゲットして至近距離で密着。
手前はトルコのダウトウル首相の首席補佐官。
写っていないが私の左側はスリンさんでした。こっちもタイでクーデタがあって、既存の政党政治家が一斉に排除されたのでロンドンにいることが多いようです。
「刑務所ではこれは食えないからな」みたいなジョークを言いながら残さず食べていたアンワル。ちなみにメインは巨大なラムチョップでした。
上に挙げたAnwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfullyという記事によると、主任検察官が「明日結審する可能性はあるが、どうかな(Shafee said that it was possible for the case to be wrapped up tomorrow, but he doubted so.)」と言っているとのことなので、まだまだ裁判も伸びるかもしれません。そもそもずっとこうやっていやがらせし続けて消耗させるのが主たる目的の裁判なのだろう。
その割には政権は選挙でどんどん弱くなっているので、いやがらせの効果は疑問だが。
アンワルがマハティールと骨肉の争いを始めたのが15年前。50代前半の生きのいい政治家だったのが今や67歳になってしまった。
非民主的体制を維持することで費やされる機会費用の大きさを感じさせる一日でした。