『中東協力センターニュース』への寄稿リスト(2012〜2016年)

『中東協力センターニュース』への連載寄稿は、「『アラブの春』後の中東政治」との通しタイトルで、2012年から14年にかけて8回にわたって続け、その後雑誌の月刊化・ウェブ化に合わせて2015年4月にリニューアルし「中東 混沌の中の秩序」としてから、今回が6回目です。連載と言っても毎回別のテーマについて分析しています。リニューアルを機に連載間隔を3号に一回、つまり四半期に一回と決めて、必死に守っています。

月刊誌時代の『フォーサイト』の連載「中東 危機の震源を読む」では月一回、決められた日を締め切りとする定時・定点観測を行っていましたが、『フォーサイト』がウェブ化してからは連載をアーカイブ的蓄積として活用しつつ、新たに「中東の部屋」そして「池内恵の中東通信」を設け、事態に即応した臨機応変の、半日単位での即時性を追求しています。

その反対に『ブリタニカ年鑑』では一年に一度というのんびりした間隔での、世界のイスラーム教をめぐる動向に限定した、定時・定点観測を行うことになっています。

『中東協力センターニュース』の連載寄稿はこの中間ぐらいで、四半期に一度、その時点での中東やイスラーム世界に関する重要な課題を選んでまとめてみることで、頭をリセットするために使っています。これを重ねていくと、論文や単行書へとつながっていきます。

ツイッター(@chutoislam)では分単位の隙間時間にニュースをリツイートすることに限定し(時々遊びがあります)、フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)では、ソーシャル・リーディングの過程で刺激さえて思いついたあらゆることを試しに書いてみる、という具合でしょうか。そこから何かにつながることもありますし、何にもつながらないこともあります(たいていは直接的には何にもつながらない)。フェイスブックからアゴラへの転載を一部許可しているのも、偶然何かにつながればいいかな、という軽い気持ちからです。

それらの複数のメディアへのアクセスをこのブログで一括して行うポータルとしての機能を高めたいところです。

『中東協力センター』への寄稿がかなり溜まったので、この間の中東の変化を振り返る意味も込めて、リストにしてリンクを貼っておきます。何回かは、刊行された時にブログで告知をするのを怠っていました。そもそも2013年まではブログも存在しなかったわけですし。全て無料でダウンロードできます。また中東協力センターのウェブサイトのJCCMEライブラリーには他の論稿も一覧になっており、ダウンロードできます。

「『アラブの春』後の中東政治」
第1回「池内恵「エジプトの大統領選挙と「管理された民主化」『中東協力センターニュース』2012年6/7月号、41-47頁
第2回「政軍関係の再編が新体制移行への難関──エジプト・イエメン・リビア」『中東協力センターニュース』2012年10/11月号、44-50頁
第3回「『政治的ツナミ』を越えて─湾岸産油国の対応とその帰結─」『中東協力センターニュース』2013年4/5月号、60-67頁
第4回「アラブの君主制はなぜ持続してきたのか」『中東協力センターニュース』2013年6/7月号、53-58頁
第5回「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁
第6回「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」『中東協力センターニュース』2014年2/3月号、74-79頁
第7回「急転するイラク情勢において留意すべき12のポイント」『中東協力センターニュース』2014年6/7月号、67−75頁
第8回「中東新秩序の萌芽はどこにあるのか 『アラブの春』が一巡した後に」『中東協力センターニュース』2014年10/11月号、46−51頁

「中東 混沌の中の秩序」
第1回「中東情勢を読み解く7つのベクトル」『中東協力センターニュース』2015年4月号、8−16頁
第2回「4つの内戦の構図と波及の方向」『中東協力センターニュース』2015年7月号、12−19頁
第3回「ロシアの軍事介入による『シリアをめぐる闘争』の激化」『中東協力センターニュース』2015年10月号、10−17頁
第4回「サウジ・イラン関係の緊張 背景と見通し」『中東協力センターニュース』2015年1月号、14−25頁
第5回「エジプト・サウジのティラン海峡二島『返還』合意―紅海沿岸地域の安全保障体制に向けて―」『中東協力センターニュース』2016年4月号、9−20頁
第6回「ラマダーン月のテロ続発の思想・戦術的背景」『中東協力センターニュース』2016年7月号、14−22頁

『イスラーム国の衝撃』がKindleで静かに売れている

『イスラーム国の衝撃』が再び売れだしているようです。アマゾンを見ると、紙のものは売り切れてしまっていて入荷待ち。順位は本全体で150位台で頭打ちに。文藝春秋にはあると思うけどどうなんだろう。

今度はKindle版が売れ始めている。17日午後5時半現在、現在、全体で15位に上がっている。電子書籍は在庫が切れないというのがいいね。

新たに増刷したわけでもないし、全体としてそんなに売れているわけでもないだろう。書店は新刊でなければ新書もほとんど置いていない。本を出しすぎているので書店の棚に本が置かれず、必要だと読者が思った時は一部のインターネット書店とKindleに注文が集中するのだろう。

今後は、積極的に特定の書店に置いてもらってSNSで通知するとか、これまでのシステムでうまくいっていない部分を補う、迂回するような方策を考えていこうと思う。


イスラーム国の衝撃 (文春新書)

「拡大」と「拡散」については第8章の217−219頁あたりをご覧になるといいかな。

「拡散」については2013年に一連の論文で詳細に書いた。この辺りのエントリにリストアップしてあります。

「2013年に書いた論文(イスラーム政治思想)」(2014年1月19日)
「【論文】「指導者なきジハード」の戦略と組織『戦略研究』14号」(2014年3月31日)

拡散の背後の思想・組織論については以下の二つの論文を。

池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁
池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁

早期に想定されていた「拡大」については、次の論文を。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

拡散を当面の最適な組織論と考えたスーリーなどの2000年台半ばの思想・理論では近い将来には無理と考えられていた地理的・面的な領域支配と聖域の獲得を、2014年に思いがけずも達成してしまい、「拡大」の方向に一時振れたが、2015年には再び拡散の方向に進んでいる。拡大と拡散の「振り子」的動きについては、今年の半ば以降の研究会・学会報告や講演でいつも話してきたことだが、論文を今まとめているところだ。もっと早く出したかったのだが、目の前に事例が増えていくので書き終えられなかった。アイデアだけさらっとどこかに出しておけばよかった。しかし到底時間がなかった。

「拡散」の際の分散型組織・自発的参加と動員のメカニズムは、以前の論文で書いたことから、それほど変わっていないと思う。しかし、イラクやシリアに聖域があり戦闘の場があることで、「拡散」も様相が変わってきているとは言える。武器の使用法や戦術、そして昨日の「クローズアップ現代」でもちょっと話した「冷酷さ」「手際良さ」の面でも、でも格段に進歩してしまっている。

論文リスト(2013年度刊行)

【業務連絡】
プロジェクト決算報告等の業務上の必要で、池内恵が2013年度に刊行した論文のリスト・書誌情報を必要とされる皆様へ。
各種行政手続き上において通常は業績とみなされうる論文は下記のものです。書類作成の用途にお使いください(末尾の*は査読の有無、ただし招待論文含む)。

【論文】
池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁 *
池内恵「『だから言っただろう!』──ジハード主義者のムスリム同胞団批判」『アステイオン』第79号、2013年11月、196-202頁
池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁
池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁
池内恵「『アラブの春』後の移行期過程」『中東レビュー』Volume 1、アジア経済研究所、2014年2月、92-128頁 *
池内恵「「指導者なきジハード」の戦略と組織」『戦略研究』第14号、戦略研究学会、2014年3月20日、19-36頁 *
池内恵「近代ジハード論の系譜学」日本国際政治学会編『国際政治』第175号、有斐閣、2014年3月、115-129頁 *

【資料解題・翻訳】
宮本悟・池内恵「北朝鮮の弾道ミサイル開発の起源─シャーズィリー・エジプト軍参謀総長の回顧録から」『東亜』第553号(2013年7月号)、78-86頁

昔書いた井筒俊彦論

 このブログはこれまでに書いた本や、あちこちに書いて見つかりにくくなった論文やエッセーなどを一覧できるようにとも考えて立ち上げたのだけれども、なかなか時間が取れない。単行本については、本屋に行けば売っているものなので、広告のように見えてもなんなので、必要な時が来るまでは掲載を控えているのが実態です。

 今回は専門業界の人以外はほとんど目にしたことがなさそうな論文を一本紹介。

 先日、『中央公論』で行った井筒俊彦についての鼎談を紹介しました。(「井筒俊彦のイスラーム学」

 私が井筒俊彦について語ることになった原因の一つがこの論文。

池内恵「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『日本研究』第36集(国際日本文化研究センター)、2007年9月、109-120頁
 
 前の職場(国際日本文化研究センター:略称「日文研」)で、カイロ大学文学部と一緒にカイロで研究シンポジウムをやった。その時の英語での発表を、日文研発行の学術誌『日本研究』に日本語訳して載せたもの。

 実は、この論文の事は長い間忘れていた(記憶から封印していた)のだが、今回の鼎談の準備のために探したらインターネット上で出てきた。

 最近は学術誌の多くが無料でインターネット上に公開されているか、あるいは少なくとも有料のデータベースで公開されているので、便利になりました。

 井筒の特有の生い立ち(父から受けた精神修養=内観法)が、生涯にわたる思想研究の方向性を定め、彼のイスラーム認識はあくまでも井筒の側の関心事によって切り取られたもの、というのが趣旨。

 井筒のオリジナリティと魅力は、中東諸国(特にアラブ諸国)一般で信仰されているイスラーム教とはかなり離れたものであるがゆえに成立している。これは別に「偏向」を批判しているわけではないのですけれども。

 私自身この論文については、海外でのシンポジウム向けに「業務」として設定したテーマであり、職場の学術誌に何かを出さねばならなかったという必要に応じて書いた論文でもあり、ということであまり「業績」として意識したことはなかった。

 単に中央公論社版の著作集を最初から順に読んで、必要箇所を書き写しているだけにも感じられましたし。あまり上手に書けている文章ではありません。

 異教徒がイスラーム教について論じることなどできるはずがない、とインテリすらも固く信じるエジプト人向けの初歩的解説と、井筒に対する過剰な期待が膨らみすぎて誤解も増していた、少し前の日本の現代思想業界に向けのこれまた初歩的解説とが、全体に混じりあっていて、どことなく不完全なものという印象があった。そんなわけで印刷されてきた論文も本棚の奥にしまったきり埋もれてしまって、今や自分でもどこにあるかわからなくなっていた。雑誌『アステイオン』に若干の短縮・増補を加えたものを載せたこともあるが、あまり発展させられなかったのでもやもやっと頭の中で残っている。

 けれども、最近出ている文学系の井筒論を見ると、井筒の思想の基本的な展開の筋道については、どうやら私がこの論文で書いた方向性とあまり変わらないものを見出しているようだ。

 今となっては、「井筒は、なぜ、何を、どのように考えたか」という点については、この論文で書いておいたことで十分ではないかという気もする。少なくとも、その後たくさん出た井筒論が、必ずしも何か新しいことを発見してくれたという気はしない。むしろこの論文で書いた井筒の思想を踏まえてそれぞれの書き手がそれぞれの思いを追加していったものが近年の井筒論だろう。

 その意味では、基礎的な事実を明らかにする大学の研究と、それを踏まえて想像・創造していく文学・評論との分業は出来ていると思う。
 
 私が書いた中でも最も体裁の良くない、不恰好な論文で、できれば誰にも読んでほしくないですが、今思い返すと意味があったのかな、といろいろな意味で思う一本。

 そのうち、井筒俊彦についてはまた改めて取り組んでみたいと思っている。

 日文研は4年余り勤めただけで東京に移ることになってしまったけれども、折に触れ共同研究員として研究会に呼んでもらってきた。今日も日文研の研究会のために京都に来ております。

 中東研究者なのに日本研究の研究所に身を置かせてもらったことは本当に得難い経験でした。その前は思想研究なのに開発途上国の政治経済研究の機関に就職したり、今はエンジニアや科学者ばかりのインキュベーション・センターのような職場にいたり、考えてみると普通の「学部」に務めたことは一度もない、「なんちゃって大学教員」の不思議なキャリアパスを歩んでおります。来し方行く末。