【掲載】『読売新聞』12月4日付朝刊の「『イスラム国』を分析する」に談話が掲載

昨日の読売新聞朝刊にインタビューが掲載されました。

池内恵(インタビュー構成:国際部 深沢亮爾)「石油が資金源 阻止困難」『読売新聞』2015年12月4日朝刊

解説面(13面)の「論点スペシャル」に掲載された「『イスラム国』を分析する」を共通テーマとした3人のインタビューのうち一人です。今回は国際面が拡張した形で、国際部と各地の特派員が記事を作っています。私以外には、アブドルバーリ・アトワーン(在ロンドンのパレスチナ系アラビア語紙『クドゥス・アル・アラビー』の元編集長、『イスラーム国』やグローバル・ジハードに関する著作多数)、リチャード・バレット(テロ対策企業ソウファーン・グループ副社長)で、なかなかいい取り合わせです。

なお、インタビューで、この問題にはまだ詳しくない記者が構成しているため、私が自分で書くならあえて書かないようなことも書いてあります。12版までは私の校閲が入っておらず、13版からは私が修正して許可したものです。全国の大都市部では13版が行きわたっていると思います。(東北には12版が行ってしまっているという情報もありましたが、本日5日に講演で立ち寄った仙台で、買っておいてもらった紙面を確認したところ、少なくとも仙台中心部では13版であることを確認できました。津野先生ありがとうございます!)

タイトルの「石油が資金源」というのも、最近重点的に空爆の対象とされているが故に、この問題が世界的に関心を集めてそればかり報道されているというところに引っ張られているのではないかと思いますが。しかし今現在の「イスラーム国」をめぐる世の中の関心を記録するという意味では、やはり意味があるのではないかと思います。

【寄稿】『アジ研ワールド・トレンド』12月号にアジ研図書館について

アジア経済研究所の刊行する雑誌『アジ研ワールド・トレンド』12月号にエッセーを寄稿しました。

「アジ研図書館を使い倒す」の第35回に登場。

池内恵「偽OBが、夜陰に乗じて帰来する」『アジ研ワールド・トレンド』2015年12月号(第21巻第12号、通巻第242号、2015年11月15日発行)、54頁。

「偽OB」とは誰のことか?

賛助会員になっていると『アジ研ワールド・トレンド』の最新号が送付されますが、2ヶ月たつとウェブサイトでダウンロードできるようになります。過去の記事はここから。

地域研究の専門研究書が網羅されているアジ研図書館の使い方について。

趣向は読んでみた人にか分からない方がいいので、ここには書きませんが、文中でも記した「アジア経済研究所賛助会 個人利用会員」は、お勧めです。年会費1万円で、この「アジ研ワールド・トレンド」も毎号届きますし、毎年一冊アジ研の刊行物を選んでもらえる(買うと一冊3000円ぐらいします)。そして、世界に一つしかない地域研究専門の大規模図書館で、貸し出しまで可能になるのです(やる気があるとこれが一番大きな特典ですね)。

アジ研図書館にしかない本も多く、私も仕事で使うので、あんまり教えたくないですが・・・

【コメント】『産経新聞』(11月17日)へのコメント「過剰反応こそテロの狙い」

今日の産経新聞朝刊に掲載されたコメントがウェブにも掲載されています。

「『過剰反応こそテロの狙い』池内恵・東京大学准教授」『産経新聞』2015年11月17日朝刊

テロをめぐって今、「拡大」と「拡散」が起きている。中東では政治的な無秩序状態がいくつも生じ、「イスラム国」をはじめ、ジハード(聖戦)勢力が領域支配を拡大している。そして、そこを拠点にして世界に発信されるイデオロギーに感化され、テロを起こす人々が拡散していくメカニズムができてしまった。

自発的なテロに加わる人物の戦闘能力も上がっている。勧誘されるわけではなく、勝手に中東に赴き、実戦の中で学ぶ者が増えている。中東地域はその軍事訓練の場を提供している。(国際社会は)この混乱を治めなければならない。

ただ、軍事的に対処したり、政治的に追い詰めたりすると、短期的には、ジハード勢力が、自らを圧迫してくる勢力の社会を狙ってテロを起こす方向にいく。テロは基本的には防げないし、特に個人や小組織が自発的に行う分散型のテロは、摘発や予測が難しい。

こうした全体構造を理解し、テロが起きても騒ぎすぎないのが最も重要な対応だろう。動揺して過剰に反応し、各国の社会に不満を持つ勢力がテロを利用すれば、社会的な対立が生じていく。それがテロの効果であり、狙いであるからだ。

日本もテロの対象となり得るが、歴史的に欧米のキリスト教徒、ユダヤ教徒を敵だと認識しているジハード勢力にとって、優先順位は低い。しかし、欧米を中心としたサミットやオリンピックが開かれる際は、一時的に日本も危険になると考えた方がよい。(談)

【寄稿】『毎日新聞』にパリ同時多発テロ事件に関して(11月15日)

『毎日新聞』の昨日(11月15日)の朝刊に寄稿しました。

現地時間13日深夜に起きたパリ同時多発テロ事件についての、新聞に載る最初のコメントの一つだったのと、この日出た各種の有識者のコメントで、イスラーム教の規範そのものへの言及やジハード主義によるテロの正当化についてはほとんど触れられていなかったことから、メディア関係者が解説を求めてコンタクトを取ってくることが多くありました。

ここに本文テキストを掲載しておいます。毎日新聞のウェブ版に掲載されています。

池内恵「個人が連携、『聖戦』拡散」『毎日新聞』朝刊、2015年11月15日

自爆を多用する手法や同時に多くの場所で作戦を実行する能力から、過激派組織「イスラム国」(IS)などグローバルなジハード(聖戦)のイデオロギーに感化された集団によるものである可能性が高い。ジハードはイスラム教への挑戦者を制圧する戦いとして尊ばれる理念である。イスラム教徒の全員が行っているわけではないが、否定することの難しい重要な教義だ。
ジハードを掲げる勢力はイスラム教の支配に挑戦する「西洋」を敵と捉えるが、政教分離を明確にするフランスは、宗教への挑戦のシンボルと認識されやすい。
また、フランスにはアラブ系のイスラム教徒が多いうえ、シリアやイラクへの空爆にも参加している。彼らが過激化する可能性があり、そのためフランスが標的になりやすくなる。
米軍がISへの攻勢を強める中で、現地に義勇兵として行くよりも、欧米社会を攻撃して対抗する方が有効と考える者が出てきてもおかしくない。今回の犯行は少なくとも六つの場所でほぼ同時に行われており、作戦能力の高まりが危惧される。
グローバル・ジハードの広がりには二つのメカニズムがある。地理的な拡大と理念への感化による拡散だ。イラクやシリアでは、ISなどが中央政府と特定の地域や宗派コミュニティーとの関係悪化につけ込む形で組織的に領域支配を拡大した。
しかし、領域支配ができない西欧諸国や比較的安定した中東諸国では、イデオロギーに感化された個人や小集団によるテロを拡散させて、社会に恐怖を与え、存在感を示そうとする。
地理的な拡大がうまくいかなくなると、理念を拡散させて広く支援者を募り状況を打開しようとするため、イラクやシリアの組織が軍事的に劣勢に立たされると、欧米などでテロによる支援の動きが出てきやすい。拡大と拡散をいわば振り子のように繰り返しながら広がっていく。
信仰心に基づいて個人が自発的に参加することが基本であるため、ISに共鳴する者たちは臨機応変にネットワークを作って作戦を実行する。組織的なつながりを事前に捉え、取り締まるのは難しい。
中東やアフリカから西欧への難民・移民が急増しているが、その中にISへの同調者などがテロを起こすことを目的に紛れ込んでいる可能性がある。もしそのような人物が犯人に含まれていた場合、西欧の難民・移民政策に決定的な影響を及ぼすかもしれない。

【掲載】毎日新聞夕刊(11月11日)文化欄にインタビューが

昨日の毎日新聞夕刊にインタビューが掲載されました。

「毎日出版文化賞の人々 5 池内恵さん 特別賞『イスラーム国の衝撃』文春新書」

出版の経緯を面白おかしく語ったところ、真面目な感じで書いてくれました。

昨夜はいろいろあって、珍しく神保町の文壇バーなるところに連れて行かれまして、そこに来ていた毎日新聞の生活文化部の方々とも交歓しました。

そのことについてはまたどこかで書きましょう。

【寄稿】週刊エコノミストの読書日記、今回は西加奈子とナオコーラ・・・

締め切り忘れてしもた。

・・・なぜエセ関西弁になっているのか。忙しすぎてちょっと壊れてます。

それで今朝発売の、『週刊エコノミスト』の読書日記は、突如として小説を取り上げました。5週に一度の連載の締め切りをすっかり忘れて、朝になってから「今日の昼までに」と言われたので、こっそり逃避して読んでいた小説について小一時間ばかりでささっと書きました。芸は身を助く。逃避も時に。

時間あらへんし、「ロスジェネ小説を読む」とかてきとーなお題目立ててな、同世代からちょっと下ぐらいの作家の、山崎ナオコーラと西加奈子についてな、書いたんや。

池内恵「ロスジェネ小説に見つけた『中東引き揚げ者」の文学」『週刊エコノミスト』2015年11月17日号(11月9日発売)、57頁

雑誌の目次はこちらから。いつも通り、Kindle版等電子書籍には収録されていません)

西加奈子『サラバ!』は、ゆうたかて著者が「1977年テヘラン生まれ・カイロ育ち」やろ、「研究と関係ある!」と強弁できへんこともないんやが(そやけど大阪育ちやろ)、ナオコーラは説明つかへんな。

・・・関西人に不快感を与えるのでもうやめます。

そういえばこういう研究プロジェクトもやっているので、まんざら逃避でもないのです。書評も真面目に理屈で書いている。77年にテヘラン生まれで幼い頃にカイロに移るって言ったら背景に歴史上のあの出来事とかこの事件とかあるよねきっと、という話。

【寄稿】『文藝春秋オピニオン 2016年の論点100』に中東秩序について

寄稿しました。

池内恵「『アラブの春』から『新しい中世』でせめぎ合う新冷戦へ」『文藝春秋オピニオン 2016年の論点100』文藝春秋、2016年、38−41頁


文藝春秋オピニオン 2016年の論点100

Eブック、Kindleでも売っているようです。

書誌情報上は、2016年1月1日発行の年鑑ですが、実際には2015年11月6日に発売されています。

目次は文藝春秋ホームページから

なお、タイトルはこのようになっていますが、本文を見ますと、私は「新冷戦」になるとは書いていません。あくまでも編集部がつけたものです。そのような雰囲気が一部の論調の中にあるということは私は別の論考では何度か書いていますので、間違いというわけでもありませんが、私自身が「新冷戦へ」と論じるほどには確証を得ていません。

ここ数年連続して寄稿している『文藝春秋オピニオン』ですが、今年は冒頭の「2016年の15大問題」という分類で論点の6番目に入れてもらっていますから、地味な私の書きぶりでは物足りなかったのでしょう。「新しい中世」というキャッチフレーズも、私としては控えめに使っています。

「新冷戦へ?」と「?」が入っていると思って楽しんで読んでみてください。

なお、『文藝春秋オピニオン 〜〜年の日本の論点100』の年鑑には、2013年以来、連続して書いています。

毎年見ていると、中東に関する関心の移り変わり、日本全体の論調の変化もどことなく分かってきます。継続は力なり。なんだったらまとめ買いしてみてはいかがか。

各年の寄稿のタイトル・書誌データと、論点番号、分類項目を併せて挙げておきましょう。

池内恵「緊迫するシリア情勢が中東に何をもたらすのか」(論点36・海外情勢・「アラブの春」後の中東)『文藝春秋オピニオン 2013年の論点100』2013年1月、122ー123頁

池内恵「エジプトの混迷は日本にとって対岸の火事ではない」(論点48・海外情勢・出口の見えない中東)『文藝春秋オピニオン 2014年の論点100』2014年1月、158ー159頁

池内恵「『イスラーム国』とグローバル・ジハード」(論点70・国際情勢)『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』2015年1月、216-218頁

論点の番号を「ランキング」ととらえれば、36→48→70と低下していたところが、今年は→6と大幅アップでベストテン入りです。『イスラーム国の衝撃』効果でしょうか。

【寄稿】『中東協力センターニュース』に四半期に一度の中東分析まとめを

連載している『中東協力センターニュース』の10月号に、連載「中東 混沌の中の秩序」の第3回を寄稿しました。「『アラブの春』後の中東政治」の8回の連載から通算すると11回目になります。

中東協力センターニュース2015年10月号

連載の通しタイトルを改めて現在のものにしてから、寄稿の間隔を一定にして、四半期ごと、4・7・10・1月に寄稿することにしました。3ヶ月先はずっと先だと思っていると、すぐに次の締め切りが来てしまいます。結構大変ですが、無理をしても暫定的にでも、4半期ごとに中東情勢の全体像に関してまとめておかないと、どんどん変化して行ってしまって分からなくなってしまいます。

中東協力センターのホームページから、無料でダウンロードできます。

池内恵「ロシアの軍事介入による『シリアをめぐる闘争』の激化」『中東協力センターニュース』10月号、2015年10月、10ー17頁

ダイレクトリンクも貼っておきましょう。クリックするとPDFファイルでダウンロードされます。

中東協力センターの多くの業務は、直接的に中東に関わる企業や官庁などにのみ関係しますが、『中東協力センターニュース』については一般に公開されています。登録しておくと、毎号発行時にメールでリンクを送ってもらえます。ウェブサイトからは各レポートをダウンロードできます。

この連載には、一般紙・誌向けの通常の媒体に書くのとは若干異なる前提で望んでいる。中東協力センターという、中東に日常的に接してある程度事情が分かっている人が多く関与する主体の発行する媒体だから、一定の専門家向けに書いている。そのことが、読者からの評判、読者の浅い思い込み(中東という日本ではマイナーな分野に関しては)に「配慮」しなければならない日本の出版の負の側面から一定程度距離をおくことを可能にしていると私は考えている。

この一連の寄稿・連載はインターネット上で一般公開されていることから、中東について専門家の間で日々に話しているようなことが、より広く一般に伝わる機会となるといい、と考えてきています。

片棒

・・・担いでまあす。

例の『文學界』の特集「反知性主義に陥らないための必読書50冊」が増強されて、「70冊」となり、10月26日に発売予定です。


「反知性主義」に陥らないための必読書70冊

雑誌掲載時の企画そのものに難癖をつけている苦言を呈するという私の文章の趣旨から、私の部分は掲載時のままで最低限の修正のみだが、他の論考を見ると、雑誌掲載時の私の寄稿に言及してくれている人もいる。

配列が50音順になったので私は4番目に来ています。

池内恵「『日亜対訳クルアーン』中田考監修」文藝春秋編『「反知性主義」に陥らないための必読書70冊』2015年、16−20頁

反知性主義必読書70表紙

【掲載情報】『週刊ダイヤモンド』の特集「『読書』を極める!」にインタビューが

『週刊ダイヤモンド』にインタビューが掲載されました。


週刊ダイヤモンド 2015年 10/17 号 [雑誌]

「池内恵 全ての文献を網羅して”知の体系”に近づく」『週刊ダイヤモンド』2015年10月17日号(10月10日発売)、43頁

特集「『読書』を極める!」の中に1頁ひっそりと掲載されています。

インタビューを受けてから私の校閲が入るのかと思ったら入らなかったので、私が責任を負った文章ではありません。かなり明確にニュアンスを伝えたにもかかわらず、なおも通俗的な書き方になって異なる印象を与えているところがいくつか見られました。

冒頭に、「読書について、広く一般の読者に向けた話をする際には、いつもちゅうちょすることがあります」と書き始めてくれたのは正解で、「あなたの本の読み方を紹介することで読書案内としたい」という依頼を受けた時にはまずこのことから始めます。私は職業として本を読んで書いており、時には本を買うことに予算がついていたりするので、その読み方や買い方は、趣味で読書をする人とは異なります。ですので、私の本の読み方、買い方はそのままでは参考にはできないのではないかな、と考えています。

以前『公研』で林望さんとまさに読書をめぐって対談した時に、冒頭でどちらかともなく、「本を読め」と勧めることへの「躊躇」を互いに話し始めましたので、同じような感覚なのだな、と思いました。職業だからたくさん読むこともできるし読まなければならない環境にあるのだから、一般読者に向けて「この本を読め!」なんてとても恥ずかしくて説教できない、という「含羞」の感覚です。

(なお、『公研』は会員頒布のみの非売品で、読者から依頼・問い合わせが多く来ると小さな編集部は回らなくなるだろうという配慮から、掲載情報を通知していません。売れることを考えなくていい会員頒布物なので、研究者などの普段話している視点がストレートに出た対談などが載っていることが多くあり、編集者の中には『公研』を入手して本の企画の参考にしている人もいるようです)

さて、この冒頭で、本の読み方指南をすることに躊躇する旨を述べた後、私はこう語ったことになっています。「ですから、職業として本を読み、物を書いている今でも、本の買い方、読み方、置き方など、全てが普通ではないのです(笑)」。

そう聞こえたのであればやむを得ませんが、実際には異なる意味を伝えようとしていました。しかし記者が文章のつなぎ方を次のようにしたために、伝わる意味が変わったのです。

記事では「職業として本を読み、物を書いている今でも・・・普通ではない」というつなぎ方をしていますが、そのように私は話していないはずです。「職業として本を読み、物を書いているから・・・普通ではない」というのが私の言っていたことで、そうすれば冒頭の「躊躇」にも自然につながります。さらに記事ではここで(笑)を入れているので、なんだかつまらない本読み自慢をしているようにも見えかねませんが、実際には「職業ですから、普通の買い方、読み方はしないので、あまりご参考にはならないと思います(ため息)」のような語り方をしているはずです。

文章というものは文脈をどう設定するかが大部分ですから、このように文章と文章をどう接続するかで、全く意味が変わり、印象が変わります。

もちろん「参考にはならないと思います」と書くと真に受けてがっかりする読者もいると思うので、記者は分かっていて違う意味に変えたのだと思います。ただし本当に完全に参考にならないわけではなく、「参考にならないような読み方を参考にする」ことは可能なはずですので、本来私が語ったように書いて欲しかったのですが。また、「参考にならないような買い方、読み方」についてもっといろいろ語りましたが、それらはほとんど記事に反映されていません。紙幅も足りないですし。それについては『書物の運命』などを読めば多くが書いてありあす。ただし絶版ですが。

読書をするとは、文そのものだけでなく、文脈を読み取ったり自ら構成していく力を身につけるためのものであると思います。読書が力になるということはそういうことです。職業的に文章を書かなくとも、日常的に、言葉によって文脈を作り、意味づけていくことで、生活は変わります。

さて、私のインタビュー記事はともかく、書店や図書館の使い方を含めた、様々な読書情報が載っている。特集の冒頭は「成毛眞と本を買いに」。

そして特集の第一部「知性を磨く読書術」の片隅に私のインタビューも掲載されているのですが、その冒頭は4頁を使って、やっぱり佐藤優。ここでも佐藤優。常になんらかの形では面白いと言える部分を含めることができる、一定のクオリティを保っているという意味では確かにすごいのですが、私のところに来る月刊誌や週刊誌、ほとんどあらゆる号に載っているので、正直、飽きてきます。

そしてここでも「反知性主義」にひっかけて話をしている。

そして「ただ、反知性主義ということで、一つ言えるのは、森本あんりさんが書いた『反知性主義』(新潮社)は読まない方がいいです」(34頁)なんて言っている。ありゃりゃ。

「反知性主義に陥りたくなければまず、声高に他人を「反知性主義」と罵っているような人々の名前で出た本は読まない、というところから始めることが鉄則だろう。」なんて書いた人への反撃か。森本あんりとホーフスタッター以外は全部便乗本、とか書いてしまったからなあ。事実だけど。

山形浩生さんはこのあともう面倒になっちゃったのか。多分本業が忙しくなったのだろう。

なぜ森本あんりさんの本を読んではいけないかというと、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』などに依拠していることから、「現在日本で問題になっている反知性主義の文脈とは異なるからです」とのこと。

だったら日本の現象については「反知性主義」ではない違う概念を考えたらいいのに、それこそが知性でしょ・・・と思いますが、もう言い出してしまったから仕方がないのでしょう。「反知性主義批判」を旗印に知性派をもって任ずる学者やコラムニストが衆を恃んでいくつも出版プロジェクトや言論集会などを立ち上げてしまい、出版業界がビジネスとして動き始めてしまった。インテリならちょっとだけ聞いたことのあるホーフスタッターの「反知性主義」の意味を、実はよく知らないで正反対に使ってしまって「バカ」を批判するちょっとかっこいい上から目線の言葉として使ってしまったらこれが出版や新聞業界でウケてしまった。佐藤さんは元の概念からのズレに最初から気づいていたかもしれませんが、日本の現代のインテリの運動としての(概念を取り違えて始まった)「反知性主義」批判の波に乗ってしまった以上、もう引っ込むわけにはいかない、ということでしょう。佐藤さんは日本型「反知性主義」批判の不可欠なポスターボーイです。行き過ぎたイスラエル諜報筋全知全能論とともに、(米国の元ネタとは全く反対の定義での)「反知性主義」批判も、佐藤さんの絶対譲れない議論となっていくのでしょうか。それを無批判に拡散する出版・新聞業界の知性こそが問われなければなりません。

この特集で佐藤さん自身が良いことを言ってくれている。

「ただし、「悪貨が良貨を駆逐する」として知られる”グレシャムの法則”は、どのような市場でも成り立ちます。出版業界には、再販売価格維持制度の下で、取材にコストを掛けることなく、損益分岐点を超えることしか考えず、納期を最優先して粗製乱造を続けている会社があります。中長期的には、消費者の信頼を失って、沈没してしまうと思います。」(35頁)

佐藤さんは物事の本質をついたことを、文脈とは無関係に頻繁にすらっと言えてしまう本能か才能をお持ちなのでしょう。思うに、啓示の言葉を読んできた人ならではの言と思います。啓示ってのは、唐突に真実を言ってしまうものです。

この一節は、「何でもかんでも佐藤優(か池上彰)に頼めば損益分岐点は超える商品にしてくれる」と頼りきって同工異曲の記事や本を濫造する出版業界への痛烈な批判にも読めました。

ああ、読書っていいですね。

【寄稿】『週刊エコノミスト』でモーゲンソー『国際政治』を取り上げたら学会誌『国際政治』でもモーゲンソーを

『週刊エコノミスト』で5回に1回担当する読書日記、15回目の今回は、このブログの「日めくり古典」で長期にわたって少しずつ紹介した、モーゲンソー『国際政治』を取り上げました。紙媒体とのメディア・ミックス(死語か)。


週刊エコノミスト 2015年 10/13号 [雑誌]

池内恵「日本人が理解できない民主主義の世界基準」『週刊エコノミスト』2015年10月13日号(第93巻第41号・通巻4418号)、10月5日発売、55頁

ブログで日めくりで紹介した勘所に、フェイスブックで配信したエッセーで書いたmajority rule, minority rightsの話も入れ込んであります。紙媒体だけを読む人向けには導入として、ブログを読んでから読む人には頭のまとめとして。

そして、今日、授業を終えて、その足で今月末に行われる日本国際政治学会の共通論題の報告者の事前打ち合わせに査問されていたので、会合の場所に急いだのだが、研究室の本の山から掴んで鞄に突っ込んで持ち歩いていたのが、届いたばかりの日本国際政治学会の学会誌『国際政治』第181号。

そこに掲載されていた書評論文がまさに、モーゲンソー『国際政治』と、E・H・カーの『危機の二十年』を取り上げるものでした。

当ブログ9月21日付「【日めくり古典】モーゲンソー『国際政治』から翻訳者に遡ってみた」でも、モーゲンソーの翻訳者つながりで、読みやすい新訳で岩波文庫に入って、今読むべき古典としてカー『危機の二十年』も併せて紹介しておりました。『国際政治』の編集委員・書評委員も、同じ取り合わせでの紹介を有意義と考えていたということで、なんとなくうれしい。

しかも筆者は渡邉昭夫先生。

渡邉昭夫「E・H・カーとハンス・モーゲンソーとの対話」日本国際政治学会編『国際政治』第181号「国際政治における合理的選択」(2015年9月)、159−169頁

渡邉先生の駒場の教養課程の国際関係論の授業、かなーり後ろの方の席で受けました。幾星霜、あちらは依然として現役で由緒正しい学会誌で、こちらはやさぐれてブログの野戦場と経済週刊誌の1頁もの瞬間芸で、同じ対象に取り組んでいたことを光栄に感じまする。

学会誌を読んで難しいと感じたら『週刊エコノミスト』を買って、当ブログを読んでね。

今号は不得意分野の合理的選択論特集なので、よく読んで勉強いたします。

【寄稿】プーチンの国連総会演説はシリア問題を解決に向かわせるか

本日9月28日にニューヨークの国連総会で行われるロシアのプーチン大統領の一般討論演説は、最近のシリア・アサド政権への軍事支援増強を背景に、シリア政策で欧米に同意を迫る、ついでにウクライナなど他の問題でも屈服させようとする、なかなか気合の入ったものになりそうなので、『フォーサイト』の「中東の部屋」に、事前にコメンタリーを書いてみました。実際にどうなるかはいろいろ報道されるでしょうから新聞・テレビ等でどうぞ。

池内恵「国連総会の焦点はプーチンのシリア政策」『フォーサイト』《中東の部屋》2015年9月28日

【寄稿】『UP』8月号には『アラブの春とはなんだったのか?』へのプレビュー

滞っていた寄稿情報の追加。

『UP』(東大出版会)の8月号には、当初今年4月に予定していた刊行を延期してじっくり取り組んでいる『アラブの春とはなんだったのか』のプレビューとも言えるエッセーを寄稿した。本のさわりのさわり、雰囲気や目的などをちらっと書いたものです。実際はもっとどんより重いものです(嘘)。

池内恵「アラブの春とはなんだったのか? 民主化と独裁の二分法を超えて」『UP』2015年8月号(第44巻第8号、通巻514号)、2015年8月5日発行、37−45頁

『UP』は大手書店では無料で配布しているが、すぐになくなってしまう。定期購読していらっしゃる方には届いていると思います。講読料はなんと年間1000円、海外でも2000円!!

アラブの春以来の変動を、『UP』の場を借りていろいろ考えさせてもらっていました。そろそろ締めくくりに入るところです。ミネルヴァの梟は・・・の謂いのように、国際情勢は次の段階に入っているようですが。

【寄稿】『読売クオータリー』に講演「イスラム思想と中東情勢」の要旨が

このブログの基本機能は、寄稿した文章をその都度広報しつつ書誌情報を記録しておいて、溜まってしまうと面倒な執筆リスト作成の土台とするためだったが、最近寄稿情報のアップが滞っている。一生懸命論文書いているから。

「日めくり古典」はちょっとお休みして、ここのところ刊行されたものを順次記録しておこう。なお、会員のみに配布されるといった媒体への寄稿は原則としてブログには載せていない。

池内恵「イスラム思想と中東情勢」『読売クオータリー』No. 34(2015年夏号)、2015年7月31日発行、98−107頁

『読売クオータリー』は、読売新聞東京本社調査研究本部が出している季刊の雑誌。調査研究本部で記者さんたちに向けて行った講演の要旨。報道で踏まえるべき歴史的基礎や、私自身が色々と考え中のことを話せて頭の刺激になった。結論は出ていないが、後戻りを含めた途中経過の記録も必要か。

この雑誌は前の前の号(第32号)にも、インタビューが掲載されている。

池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『読売クオータリー』No.32(2015年冬号)、2015年1月30日発行、62−70頁

このインタビューは後に読売新聞のオンラインに転載され、結構読まれているようです。

Yomiuri Online 2015年02月04日、「若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー」

このインタビューは、『イスラーム国の衝撃』の前に行われ、再構成して掲載された時にはすでに『イスラーム国の衝撃』が刊行されていたという、そういう経緯のあるもの。いやそのまとめが遅かったとかではなく、『イスラーム国の衝撃』がいかに電光石火で書かれたかということ。こういったインタビューのために考えたり、記者と話して頭をまとめたのは執筆の役に立ちました。

『読売クオータリー』は値段は514円と安い。年間購読しても2000円ちょっと。出版社でいうPR誌に準ずる扱いなのかもしれない。半系もB5版で一緒だが、PR誌よりは厚い。

意外に、商店街の書店の棚の隅に置いてあったりします。中央公論系の雑誌などと一緒に配本しているのでしょうか。

【寄稿】トルコの暗部・ネオナチ的民族至上主義が露呈

トルコ各地でクルド系政党HDPに対する襲撃が生じる中で、寄稿しておきました。

池内恵「トルコ民族主義の暴発が秘める内政・外交の危険性」《中東―危機の震源を読む(89)》『フォーサイト』2015年9月10日

トルコには、「世俗主義V.S.イスラーム主義」という対立軸に加えて、根底では20世紀前半の西欧の人種主義を「冷凍保存」したようなトルコ民族主義があり、クルド民族主義とは特に対立している。

それはおそらく、かつてのクルド民族の存在を全否定して、遅れた未開の「山岳トルコ人だ」と言っていた時代の支配的なイデオロギーなのだろう。イスラーム主義の与党AKPも、もちろんかつての与党の流れをくむ世俗主義のCHPも、それほどむき出しにしないまでもこの要素を共有しているはずだ。動乱の中でトルコの負の側面が表に出てきている。

トルコの底堅い民主主義と自由なメディア・市民社会が、これを克服していってくれることを願う。

【寄稿】シリア難民に対する西欧の倫理的義務とは

8月末から9月初頭にかけて、シリア難民の波が、難民申請受理の条件を緩めたドイツを目指して殺到しているのが国際メディアで伝えられる。

これは私がここのところ難産の論文で理論的に取り組んでいる、中東の過去5年間の急激な変動の、国際社会に及ぼした一つの帰結だが、それによって今後生じる西欧社会そのものの変質や摩擦といった別の問題を引き起こしていくだろう。

根本原因であるシリア内戦の構造については多くが語られてきたが、必ずしも理解が浸透しているとは言えない。シリア問題をイデオロギー的な争点として議論することで、実態がぼやけてしまっている。まさにイデオロギーに立て籠もって「三分の理」を主張して欧米諸国を牽制しつつ、あとは実力行使で乗り切るのが中東の諸政権の基本姿勢だが、そういった中東の独裁政権の手法で問題が解決できなくなったので、ここまで長引いている。アラブ人は独裁政権に従っていればいい、という前提に立つ外部の「解決策」は、当のアラブ人がそういうつもりになっていないのだから実現しない。そして独裁政権に従えと外から強制することは誰にもできない。せめて「偽善」で黙認するだけであるが、黙認されるほどの実効支配をアサド政権が行いえなくなって久しい。

西欧社会が難民に対して、人道主義の理念から、また「良きサマリア人」たるべしという信念から手を差し伸べていることには、深く敬意を表したい。ただし、西欧社会が関与してくることで、シリア内戦に意図せざる効果をもたらしてしまいかねないことにも注意する必要がある。

西欧諸国がシリア難民を積極的に受け入れることで、シリアから、特定の地域や特定の民族や階層の人たちが一層大規模に、まとまって流出することが予想される。そうなると、シリアの人口構成が恒久的に変わる、実質上の「民族浄化」を進めかねない。

もちろん、難民の中にジハード主義者などが意図的に潜入すれば直接的な紛争の発火点となり、対立を帰って激化させかねない。

根本的な解決は、シリア内戦を終わらせ、難民たちが戻って経済生活を営めるようにすることである。これについて、ポール・コリアーの論考が簡潔に指針を示していて参考になる。『フォーサイト』の「中東通信」に急ぎ要点を解説しておいたので、ここに再録する。英語の文章の教材としてもいいのではないかと思う。

 

池内恵「『汝、誘惑することなかれ』−−−−西欧の本当の倫理的義務とは何か(ポール・コリアー)」『フォーサイト』《池内恵の中東通信》2015年9月8日 15:46

シリア難民のドイツへの大量到着で、ある種のカタルシスが西欧には湧いているが、やがて深刻な現実に直面せざるを得ない。

「最底辺の10億人」のポール・コリアーが7月に書いていたことを改めて読んでみる。

Paul Collier, “Beyond The Boat People: Europe’s Moral Duties To Refugees,” Social Europe, 15 July 2015.

Around 10 million Syrians are displaced; of these around 5 million have fled Syria. The 5 million displaced still in Syria should not be forgotten: just because they have not left does not imply that their situation is less difficult: they may simply have fewer options. Genuine solutions should aim to help them too. Of the other 5 million who have fled Syria, around 2 per cent get on boats for Europe. This small group is unlikely to be the most needy: to get a place on a boat you need to be highly mobile, and sufficiently affluent to pay several thousand dollars to a crook. A genuine solution must work for the 98 per cent as well as for the 2 per cent. Most of these people are refugees in neighbouring countries: Jordan, Lebanon and Turkey. Giving these people better lives is the heart of the problem.

「シリアの難民500万のうち、ヨーロッパに向かって海を渡るのは2%だ。残りの98%はシリアの周辺諸国、ヨルダン、レバノン、トルコなどにいる。また、シリア内部の避難民が別に500万人いる。そちらも支援するべきだ。ヨーロッパにたどり着けるのは比較的裕福な層だ」といった基本構図を指摘している。

ヨーロッパにたどり着く人数が500万人の2%にあたる10万人で済むかどうかは今後の政策次第だが(すでにこの数値を突破しているようにも見えるが)、まさにコリアーが提起するような、周辺諸国での支援と、シリア内戦の終結後の帰還・経済再建の支援が行われなければ、そして安易にヨーロッパで受け入れるという印象を与える発信がなされれば、爆発的に増えるかもしれない。コリアーは「汝、誘惑する(tempt)ことなかれ」という旧約聖書のモーゼへの十戒第7を引いて、安易な人道主義による受け入れを戒める。

The boat people are the result of a shameful policy in which the duty of rescue has become detached from an equally compelling moral rule: ‘thou shall not tempt’. Currently, the EU offers Syrians the prospect of heaven (life in Germany), but only if they first pay a crook and risk their lives. Only 2 percent succumb to this temptation, but inevitably in the process thousands drown.

要約すると、「援助の手を差し伸べることは義務だが、同程度に『汝、誘惑することなかれ』という義務にも従わないといけない。2%の比較的裕福な層に、ドイツに行けば天国が待っているかのような印象を与えて誘惑して、ならず者に法外な手数料を払って命を賭して渡航するという誘惑に身を委ねさせ、数千人に命を落とさせてはならない」ということ。