先端研の桜

2014先端研の桜1

先端研の桜。

今日ではなく一昨日(4月2日)の撮影。その前日がたぶん一番満開だったようですが、その日はカメラもiPadも忘れていたので、翌日にあわてて撮っておきました。

今日はいろいろ新しいテーマをめぐってばたばたして結論が出ないので、いくつか写真でもアップしておきます。

2014代々木上原

先端研へ続く道。

2014代々木上原の桜

通りすがりの桜の半アーチ。高級そうなマンション。

2014先端研の桜2

キャンパスの片隅にも。

2014先端研の桜3

桜のアーケード。

2014先端研の桜4

2014先端研の桜5

2014先端研の桜6子供たち

子供が遊んでる。背景は先端研の新しい建物。理工系の実験などはもっぱらこちらでやっています。

読書日記の連載を始めます(週刊『エコノミスト』)

 そうそう、すぐ近くにあるけどめったに行かない東大教養学部まで歩いたのは、桜を見るのが目的ではありませんでした。大学生協の書店に行ったのでした。先端研のある駒場Ⅱキャンパス(駒場リサーチキャンパス)は、学部がなく、理工系の研究所だけなので、生協はあるが本がほとんどない。それでは教養学部の生協まで行って買うかというと、歩いて10分もしないのだけれども、それすら時間のロスがもったいないほど忙しく、しかも行っても欲しい本があるとは限らないので、結局インターネット書店で買ってしまっていた。

 ここ数年、出張先の書店で買う以外には、リアルな書店で本を買うことがほとんどないのではないか。そもそも研究上必要な本の大部分は外国語なので、英語ならアマゾンで、アラビア語は現地に出張に行った時にトランク一杯と段ボール一箱に詰めて帰ってくる(それでも入らないほどある場合は引っ越し貨物の扱いにする)。日本語の本はあくまでも、「日本語の市場でどのようなものがあるのかな」「このテーマについてどういうことを言っている人がいるのかな」と調べるためにあるだけで、引用することもほとんどない。残念なことだが。

 書店で本を選んで買うという作業は、高校生の頃から大学・院生時代には、尋常ではないほどの規模で行っていたのだが、ある時期からまったくそれをしなくなった。

 学生時代を終えて、就職して半年で9・11事件に遭遇し、その後ひたすら書くためだけに本を読む、大部分は外国語の資料、という生活をしてきたので、純粋に娯楽や好奇心で本屋に行くということは、めったになくなった。

 日本語の本にも目を通してはきた。しかしそれは「書評委員として、新聞社の会議室で、その月に出た本を全部見る」といった通常ではない形で見ているので、本当の意味で本を選んでいたとは言えない。

 たのしみのための読書ではなく、職業としての読書になってしまっていた。

 例えて言えば、「釣り」の楽しみを味わうことのない「漁」になってしまったんですね。網で何100匹も一度に魚を獲ったとして、職業上の達成感や喜びはあるだろうが、それは釣りの楽しみとは違いますよね。

 なので、今本屋に行くと「浦島太郎」のような状態。こんな新書がこんなところにある。こんなシリーズがあったのか。なんでこんな本ばかりがあるのか。こんな人が売れているなんて・・・

 話が遠回りしたけれども、なぜ久しぶりにわざわざ生協の本屋に行ったかというと、今月から月に一回、『週刊エコノミスト』で読書日記のようなものを担当することになったからだ。私の担当の第一回は4月21日発売号に載る予定。

 『書物の運命』に収録した一連の書評を書いた後は、書評からは基本的には遠ざかっていた。たまに単発で書評の依頼が来て書くこともあったけれども、積極的にはやる気が起きず、お断りすることもあった。たしか書評の連載のご依頼を熱心にいただいたこともあったと思うが、丁寧に、強くお断りした。

 理由は、そもそも人様の本を評価する前に、自分で、人様に評価されるような本を書かねばならないことが第一。そのためには研究上必要な本をまず読まねばならず、それはたいていは外国語で、専門性の高いものばかり。それでは一般向けの書評にはならない。自分が今は読みたいと思わない本について、しかも引き受けたからには必ず何かしらは褒めなければならない新聞・雑誌の書評は苦痛の要素が大きい。

 世の中には、書評委員を引き受けていると、出版社や著者からタダで本が送られてくるから、書評してもらえるかもと愛想良くしてくれるから、とそういったポジションを求めて手放さない人もいると聞くが、まあ人生観の違いですね。

 また、新書レーベルが乱立して内容の薄い本が乱造され、「本はタイトルが9割」と言わんばかりの編集がまかりとおる出版界の、新刊本の売れ行きを助けるための新聞・雑誌書評というシステムの片棒を担ぐのは労力の無駄と感じることも多かった。なので、書評は基本的にやらない、という姿勢できた。

 それではなぜここにきて書評を引き受けてもいいという気になったかというと・・・・

 まあ、「気分がちょっと変わったから」しか言いようがないですが、強いて言えば、『週刊エコノミスト』に何度か中東情勢分析レポートを書いて、書き手としてのやりがいや、読者の反応が、「意外に悪くない」と感じたことが一因。紙媒体で見開きぐらいの記事が、企業とか官庁とかの組織の中でコピーされたり回覧されて出回るというのが、インターネットが出てきた後もなお、日本での有力なコミュニケーションのあり方だろう。

 その最たるものは「日経経済教室」ですね。とにかく一枚に詰め込んであって、勉強しようとするサラリーマンはみんな読んでいる(ことになっている)。

 ネットでのタイムラグのない情報発信も『フォーサイト』などで試みてきたし、これからも試みていくけれども、やはり固い紙の活字メディアの流通力は捨てがたい。

 ずっと以前の『週刊エコノミスト』の編集方針や論調には正直言って「?」という感じだったので、おそらく編集体制がかなり変わったのだろう。そうでないと私に依頼もしてこないだろう。

 ただし、引き受けるにあたってはかなり異例の条件を付けた。それは次のようなもの。「新刊本を取り上げるとは限らない。その時々の状況の中で読む意義が出てきた過去の本を取り上げることも読書日記の主要な課題とする。さらに、読書日記であるからには、外国語のものや、インターネット上で無料で読めるシンクタンクのレポートやブログのような媒体の方を実際には多く読んでいるのだから、それらも含めて書く。その上でなお読む価値のあるものが、日本語の、書店で売られている、あるいはインターネット書店で買うことができる書物の中にあるかどうか検討して、あれば取り上げる」。
 
 こういった無茶な原則を編集部が呑んでくれたからだ。当初の依頼とはかなり違ったものだ。

 考えてみれば、雑誌の書評欄というものは、「新刊本を取り挙げる」というのが大前提で成り立っている。雑誌に書評が出れば書店がそれをコーナーに並べてくれるようになるから売れ行きが伸びる(かもしれない)。だからこそ出版社も雑誌に広告を出したり、編集部に本を送ってきたり情報を寄せたり中には著者のインタビューを取らせたりと、便宜を図る。そういうサイクルの中で新聞や雑誌の「書評欄」というものは経済的に成り立っている。それを「新刊はやりません」と言ってしまったら雑誌に書評欄を設ける意味が、経済的にはほとんどなくなってしまう。「新刊本をやらなくていいという条件ならいかが」と言われて呑んだ編集部はなかなか度胸がある。

 ただしそれは従来までの本屋のあり方に固執すればの話だ。インターネット書店でロングテールで本が売れる時代なのだから、それに合わせた書評欄があっていいはずだ。

 今現在の国際問題・社会問題などを理解するために有益な、忘れ去られた書物を発掘して再び販路に乗せるためのお手伝いをするのであれば、書評欄を担当するなどという労多くして益の少ない作業にも多少のやりがいが出るというものだ(原稿料などは雀の涙なので、大々々々赤字です。この連載を受けると決めてから市場調査的に勝った本だけで、すでに数年間連載を続けても回収できない額になっています)。

 「昔の本など取り挙げてもらっても在庫がないよ、棚にないよ」という出版社・問屋・書店の意向というのは、それは彼らの商売のやり方からは都合が悪い、というだけであって、書物そのものの価値や必要性とは関係がない。

 むしろ本当に良い本が生きるための業態・システムを開発した人たちが儲かるような仕組みがあった方がいい。そのためにも一石を投じるような本の読み方を示したい。

 話が長くなったが、たった10分のところにある生協の本屋に歩いて行く気になったのも、そういった趣旨の連載をやるからには、各地の本屋を見ておかねば、と思ってまずは手直なところからはじめたというわけ。ずいぶん遠回りしたね。

 生協のレジの最年長のお姉さん/おばさんが、学生時代の時と同じ人だったのはびっくり・・・まあ何十年もたったわけじゃないので当然なんだが、こちらはいろいろ外国やらテロやら戦争やらを経験して帰ってきてやっと落ち着いた風情なので、まあ驚くやら安心するやら。

先端研の春

 新学期ですね。いろいろ棚卸し、在庫整理的なことをして終日研究室にて過ごす。

 桜も満開。まだつぼみばかりの枝もあり、とうぶん目を休めてくれそう。

 教養学部の生協の書店まで歩く。先端研のある代々木上原(番地は駒場だが)と、東大教養学部がある駒場にかけての一円にこんなに桜の木が多いなんて、学生の時にも、先端研に就職してからも、気にしたことがなかった。
 
 おそらく学生時代はそんなことにかまっている心の余裕がなく、あまりキャンパスにも来なかった。そもそも中東をぶらぶらしていて日本にいなかった。

 先端研に就職したのが2008年10月、年度の半ばに来たので、桜の季節に新らしい職場に入るという気分を味わうことがなかった。先端研は大きな部屋を渡されて、備品から何から、ゼロから設営するという、ITヴェンチャー企業のインキュベーション・センターのようなところ。

 私に割り当てられた部屋はだだっ広く、ちょっとした図書室が作れる面積。日本語・欧米語・アラビア語で集めてきた書物を、はじめて棚に並べて一覧することができる。

 それまでは箱に詰めてあちこちに収納しておき、あるテーマについて論文を書くとなると出してくる、というふうにするしかなかった。これではどうしても視野が狭く、まとまった仕事ができそうになかった。これまでに集めた本を並べる広さの研究室がもらえる、というのが先端研に来た最大の理由の一つだった。

 しかしそうはいっても、並べるための本棚は自分で予算を見つけてきて発注して設営しないといけない。それだけではなく、それ以前の段階の大問題が発生。私が割り当てられた部屋は、昔使っていた研究室が行った工事の施工が悪かったのか、あるいは重すぎる機器を置いたのか、床が波打ち、へこんでいた。これでは本棚を置けない。まず床下の修理と床の張替の予算を見つけてこなければならなかった。

 そんなこんなで、丸一年はばたばたしていたでしょうか。その間も仮設備で研究はしていたが。

 やっと落ち着いた、という気分になったのが昨年の半ばごろ。先端研に移って来て5年を過ぎ、これまでに務めた職場のいずれよりも長く在職したことになったころから。ジェトロ・アジア経済研究所が3年、国際日本文化研究センター(日文研)が4年半でしたから。

 先端研の中庭グラウンドの桜に目がゆくようになったのは、2年ほど前からでしょうか。ここは近隣の方々が足を延ばして見に来る、ちょっとした桜の名所。今ちょうど満開です。

 本郷キャンパスの安田講堂のような威容ではないけれども、先端研にも時計塔があります。桜吹雪が舞うグラウンドを前景に、レンガ造りの時計塔を後景に入れて撮るのが、先端研のベスト・ショットでしょうか。

 先端研の今のポストは、いつまでいられるか分からない不安定な雇用条件の代わりに、破格の研究環境を(お金ではなく使用面積ですが)与えてくれるという究極の交換で成り立っています。

 この季節が巡ってくるたびに、「あと何回、ここで桜を見られるだろうか」との思いが胸に去来し、散る花がひときわ美しく胸に迫ってきます。

 いい写真が取れたらこのブログにアップしましょうかね。

土曜日の駒場Ⅰと駒場Ⅱキャンパス

ふう。土曜日の夕方6時30分に先端研の研究室にやってまいりました。

それまでは東大駒場キャンパスで、参加している科研費プロジェクトの全体研究会(といっても7・8人の小さなものです)に出席していました。

研究者は「ヒマでしょ」という誤解があるが、昔はともかく今はそんなことはない。土曜日・日曜日もつぶれることが多い。

科研費プロジェクトに参加している駒場(東大教養学部・東大大学院総合文化研究科)の先生が会議室を取ってくれたので今回は駒場で研究会を行いました。

先端研も東大じゃないのか?駒場じゃないのか?という疑問がある方は、地図をどうぞ。世間一般に言われる東大駒場キャンパスは正確には駒場Ⅰキャンパスで、先端研のある場所は駒場Ⅱキャンパスです。両方の裏口から裏口まで歩くと5分ぐらいしかかからない。「スープの冷めない距離」(昔の言葉←自分で使ったのは生まれて初めて。使ってみたかった)です。

駒場Ⅱの方は、先端研と生産技術研究所だけなので、学部学生はいないし、どこか「町工場」「建設現場」のようなイメージ。いつもどこかでクレーンが動いています。「駒場リサーチキャンパス」という呼び方もあります。

文系の研究プロジェクトは予算といっても非常に少ないので、研究会を開くのに場所代がかかるようなところは使えません。参加メンバーが無料で使える会議室を借りて持ち回りで場所を変えながらやる、というのが一般的です。そこで今回は駒場Ⅰの研究棟の会議室を使わせてもらったのでした。

土曜日の研究棟など閑散としていると予想していたが、行ってみると、黒山の人だかり。

どうやらこのような催しがあったようでした。プログラムを見てみると、すごいメンバーだ。国際シンポジウム《現代日中関係の源流を探る──再検証1970年代》

これは面白そうだ、とこちらの大会議場に入りそうになったが、踏み止まりました。日中関係シンポの控室になっている懇談スペースの並びの小さな会議室で1時30分から6時過ぎまで議論しておりました。

途中、日中関係の方の懇談スペースを覗いて、ちゃっかりお茶&ジュースをごちそうになってきました。本当はいけないんだが。それぐらいいいでしょう。なにしろ土・日は売店が閉まってしまって、自動販売機もないので、喉が渇いて干乾しになってしまいます。

われわれの研究会も熱いテーマで、私のやっているアラブの春後の政治変動と、ウクライナやアフリカ諸国の事例との比較や、東南アジアやラテンアメリカの民主化や権威主義体制などと前提条件の相違など、また国際的要因の各国の政治変動に与える影響など、ブレインストーミングができました。

次に出す本の参考にさせていただきます。

ぎりぎりの入稿を繰り返す

昨日、四ヶ月ぐらいかけて、しばしば夜を徹してでも書いてきた、アラブ諸国の移行期政治を比較する論文を、どうにか入稿。まだ若干注の表記が一貫しなかったりするので、最終段階で直さなければいけないところもあるが。

完成版が刊行されたら、また通知します。今回のものは事実を整理しただけ、とはいえ整理するのが大変面倒で手のかかるものなので、意義はあったかなと思います。ウェブ媒体の分析・論文誌なので63000字以上といった尋常ではない量を書いてしまいました。

移行期のアラブ諸国政治を、一国だけでなく国を横断して比較して、最初から最後まで(終わってはいませんが)順を追って解説してくれる論文や本は世界的にもほとんど出ていない。もちろん英語圏では各国の現状を克明に見ていくレポートや論文は多く出ているのだけれども、それらを横断的に把握する概念を誰もがつかみかねている。

現地の対象自体が落ち着かないということもある。ある時点での「結果」をもとに因果関係を論じると、説明した「結果」そのものが現地の政治情勢・政局の変化で容易に覆されてしまうので、セオリーが長続きしない。研究者としては、うっかり議論ができない、という状態になっている。

しかしだからと言って様子見をしていると、現状を見る手がかりが失われてしまう。

次はこういった論文をもとに、「アラブの春」の各国の社会の変化、政権の動揺から、移行期の体制変動の行く末までを一冊の本にする作業が待っています。

なお、先週は、別の、イスラーム思想史についての論文をぎりぎりで入稿していました。こちらは半年以上かけています。アイデア自体は5年以上前に発想したもの。こちらも、大きな本の一章ずつを論文として書いているものの一つ。刊行されたらまたお知らせします。

ここ数か月、不眠不休の入稿を繰り返してきましたが、少し落ち着いてきました。とはいえ週明けにももう一本、中程度の射程距離の論文を出さねばなりません・・・

それでもこの欄での中東情勢分析などを、時間を見つけてまた増やしていきたいと思います。

ある日のスケジュール

研究所所属というと、「ヒマなんでしょ?」とよく聞かれる。

確かに、大学だけど研究所、というのは、大学業界の外の人には分かり難いと思う。東京大学・先端科学技術研究センター(通称「先端研」)というのは、大学業界の中では「附置研究所」という枠に入る。附置研究所の形態や存在意義は、分かる人にしか分からない、というか端的に「いらん」と言っている人すら大学業界の中にもいると思う。

附置研究所の中でも先端研はさらに変わっている。最近は附置研究所は存在意義を示すために、大学院での教育を拡大して行ってほとんどいわゆる「学部」(正確には大学院の研究科)同様になっている場合も多い。また「共同利用・共同研究拠点」として全国の大学との共同研究のお世話をする機能を拡張していく場合が大多数だ。しかし先端研はそれも意識して避け、独自の研究と情報発信だけで存在意義を示そうとしている。

最大の違いは、他の学部学科や附置研究所とは違って、あるいは全国の大学の大部分の教員とも違って、「業績が挙がらないとクビになる」制度を取り入れていることだ。何が「業績」かというとこれが曖昧だから、誰からも文句をつけられないように、研究、教育、社会貢献、国際展開のあらゆる方面で業績を挙げ続けていないといけない焦燥感に常に駆られるシステムである。

なので、オーバーワークになる。

例えば、研究成果をできるだけ多様な形で発信して影響力を持つことが一般に奨励されるので、呼ばれれば断らずにあらゆる場所で研究報告・一般講演・講義・コメントなどをする。そういった講演は必ずしも公開されていないので、何をやっているのか一般には分からないかもしれない。

例えば、ある日は大学の外の研究会でこんな報告・討論をしていた

研究会自体はクローズドだったが、ホームページに内容が公開されていたのでご紹介。

非常にエネルギッシュな、昭和の経済政策の最前線にいた(平成も)人とその関係者たちの集まり(なのかな、いやこの日初めて呼んでもらったので全貌は把握していませんが)で、新年会も続いて企画されていたので、熱心に聞いていただき、活発に議論をした。

まとめをみると、さすが、というか、私が目を通して手を入れたわけではないのに、正確に内容を伝えつつ、聞き手の側が興味を持った点を強調して、「勢い」みたいなものも加えて、私がしゃべったよりももっと面白くしている(私の分野だと、講義録や要約が事務局から出てきたとき、意味が大きく取り違えられていて、書き直さないといけないことも多い)。

まあこの日のテーマは中東だけでなく日本や日米関係、東アジア国際関係への影響といった、これまでの日本社会の「メインストリーム」の人たちにとってピンとくる内容だったせいもあるとは思うけど。

しかしこの日は朝7時30分の朝食勉強会(朝食は出なかったけど)に始まり、午前中は職場の会議、昼過ぎから編集者との打ち合わせ、学内で別の学部に出講している授業、そしてこの研究会での報告に走っていって、その後の懇親会(新年会なので本来私はメンバーではないのだが)でもずっと議論をしていた。

なので写真を見ても、もはやふらふら。真冬なのに汗かいて、ネクタイ緩んでます。

そもそも、「ネクタイを締めてスーツを着なくていい」「朝早く通勤列車に乗って行かなくていい」というのが研究者の道を選んだ大きな理由だったと思うのだが、結局、朝まだ暗い時間帯にネクタイ・スーツで電車に乗って出かけて一日中外回りで帰るのは深夜、ということも多くなっている。

どこで道を誤ったのか。

最近は役所の人の方がネクタイ締めていないぐらいだ。でも私は昭和時代に鍛えられた人たちのところに話に行くことが多いので、そういう人は今もびしっとネクタイしているので、こちらがしていかないとまずいでしょう。でも緩んでる。

センター入試初日

寒いですね。一年のうち一番寒い時期に行われるのが、大学入試。

国立大学の教員にとっても年中行事の、「入試試験監督」の業務が降ってくる時期です。考えてみれば、教員・研究者がほぼ全員、全国一斉に、同日同刻に、入試監督という単純作業に従事するというのは、私の知る限り日本だけです。

朝から日が暮れるまで、一心不乱に答案に取り組む受験生さんたちを見守りながら、こちらも「おしゃべりなどもってのほか、本を読んでもいけない、本当は座ってもいけない」と大学当局に言い渡されて、ひたすら足音を忍ばせて通路を歩き続ける。

でも、受験生たちは一生に今しかないこの時期を乗り越えて、大学に入ってきて、そしてあっという間に成長して、巣立っていく。

その過程を一年に一度ぐらい見守るのも、いい経験かな、と思うようになりました。

受験生の皆さん、近い将来に受験を控えている皆さん、頑張ってください。

そんなわけで、夜中になってから、先端研の研究室にやってきました。先端研は東大といっても、駒場Ⅱ(駒場リサーチキャンパス)という、大学院生以上しかいない研究所が集まっている別の敷地内にありますので、入試期間中も通常通り研究がすすめられています。(細かいことは言えませんが)入試業務に駆り出された先生方が三々五々駒場Ⅱに戻ってきて、研究室に灯かりがともっています。

頑張らないと。