【寄稿】イラク情勢12のポイント『中東協力センターニュース』

『中東協力センターニュース』6/7月号に分析コラムを寄稿しました。

池内恵「急転するイラク情勢において留意すべき12のポイント」『中東協力センターニュース』2014年6/7月号(第39巻第2号)、67-75頁

近いうちに、ウェブ上でPDFで公開されます。
【追記7月4日:公開されました。ダイレクトリンク

連載「「アラブの春」後の中東政治」の第7回。

連載のこれまでの回についてはをココを参照してください。

「アラブの春」についての政治学的・国際関係論的な分析なら、論理的にそんなに長くは連載は続けられないと思っていたのだが、現実がどんどん先へ進むので終わらないでいる。すでに現地は「ポスト・ポスト・アラブの春」ぐらいになってしまっているが。政治学や現状分析では極力扱わない(我田引水になるので)でいた、私のもう一つのテーマ「グローバル・ジハード」関連の論文をそのままコピペしてきても中東政治の現状分析になるという状況に至っております。政治学と思想史の二刀流でやっていれば常にどちらかが社会的に求められる、という漠然とした読みから専門分野を構築してきたので、予想通りと言えばそうなのですが、実際にこんな状況になるとは当然予測しておりませんでした。予想していたら株とか買って儲けられそうだ。

しかしカリフ制関連株ってなんだろう。きっとあると思う。

今回の内容は、このブログで書いた「イラク情勢を見るために~20項目走り書き」(2014年6月19日)、と同時期に書いたもので重なる部分もあるが、12項目に絞って、それぞれをより入念に書き込みました。

①テロを多用する過激な集団がこれまでになく大規模に武装・組織化した。
②「国際テロ集団」にとどまらない幅広い領域支配を行おうとしている。
③アル=カーイダと組織は決別・自立化したが思想は継承・発展させた。
④スンニ派主体の北部・中部4県の統合の不全が背景にある(2005年憲法体制の不全)。
⑤イラクに各国から過激派集団を呼び込む聖域となる可能性がある。
⑥事実上の国境の引き直しとなりかねない。
⑦クルド問題が連鎖して紛糾しかねない。
⑧イランの勢力伸張と宗派間対立の中東地域への拡散。
⑨米国の威信・実効性の低下。
⑩「米・イラン同盟」が事実上成立すれば他の同盟国の反発必至。
⑪GCC諸国の苦境と反発と動揺を注視。
⑫中東国際秩序の再編か。

といった点に絞って、急ぎ考えをまとめておいたものです。

井筒俊彦論がアンソロジーに再録されました

国際日本文化研究センターに勤務していた時代にカイロで開催した研究大会で発表し、『日本研究』に掲載した井筒俊彦論が、井筒をめぐるアンソロジーに再録されました。

池内恵「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『井筒俊彦』(KAWADE 道の手帖)2014年6月、162-171頁(初出は『日本研究』第36集、2007年9月)


『井筒俊彦: 言語の根源と哲学の発生』(KAWADE道の手帖)

なかなか多面的な仕上がり。今度じっくり読んでみよう。

【寄稿】『週刊東洋経済』に寄稿──米側の限定介入の原則、ISIS側の分裂要因

出ました。昨日発売の『週刊東洋経済』にイラク情勢について解説。

池内恵「ISISがイラク侵攻 中東全体の秩序脅かす」『週刊東洋経済』2014年7月5日号(6月30日発売)、22-23頁

週刊東洋経済2014年7月5日号

その後ISISは、地域的限定を取って「イスラーム国家」となったと主張しているので「IS」と略してもいいのだろうが、実効支配の範囲があまりに狭いので、現実的にはあたかも全世界を覆うカリフ制国家であるかのようにISと呼ぶのは政治・国際関係分析上は憚られる。そもそも「イスラーム国家」なら「イスラーム国家」と言えばよくてISと略す必要もないのではないかとすら思う。それに「イスラーム国家」は一般概念なので、ISISだけがこの呼称の独占権があると主張するにはいくらなんでも勢力範囲が狭すぎるだろう。分析上は当分ISISと呼び続けておく。

少し紙幅に余裕があったので、オバマ政権のテロ対策の原則論から見れば、米国のイラクへの介入は限定的なものとなるだろうという点をやや詳述しておいた。

5月28日のウエストポイント陸軍士官学校での演説では米国内向けの議論としてテロを主要な脅威と位置づけて見せたが、同時に、直接的に対処するのはあくまでもテロが「米国に対する直接的な脅威」となった場合だけであることをはっきりさせていた。

テロが最大の脅威だ、というのは、中国とかロシアとか台頭する修正主義国家が多々あるのを考えるとなんだか安全保障演説としては軽量すぎる感じだ。外交関係を考えなくていい相手として「テロ」を便利な仮想敵「国」にしているようだ。

6月19日のイラク対策指針は明らかにこの演説での原則を踏まえており、予想通り限定的なものとなった。

さらに、6月22日の米CBSニュースでISISのイデオロギーから彼らが「中・長期的な脅威である」と評価していると明言した。オバマ政権が示してきた理論的指針と施策からは、米国が脅威認識を抱いて対テロ戦争に力を入れてくる」のではなく、「米国にとっての短期的な脅威ではない」と認識しているということが重要。つまり、バグダードを制圧されてイラク全土がISISの国になってしまう、といった耐え難い状況以外では大規模な介入はしない、ということ。直接的な介入は、「実際に米国人が人質に取られたから奪還作戦を行う」といった単刀直入なものが多くなるだろう。情報収集ミッションは盛んにやるだろうけど。マーリキー政権に出て行けと言われたのでできていなかった情報収集活動を、今度は帰ってきてくれと頼まれたので盛大にやって観察・蓄積しておく、ということになるのだろう。

また、ISISの急激な支配領域拡大は、思想・統治手法あるいは長期的な戦略目的を異にする連合するスンナ派諸勢力と相いれなくなって仲間割れする可能性を抱え込んだのではないか、という点も指摘しておいた。ISISを一時的に受け入れてマーリキー政権の支配を跳ね除けようとする諸勢力が、今すぐ仲間割れしていくとは限らないが、中央政府からより大きな権限配分を勝ち取っていけば、逆に「ISISを掃討する側」に転じる可能性はかなりある。

これらはそれほど際立った論点ではないが、現時点で欠かせない、と思ったがすでに掲載紙が届いたころには時間が過ぎているな。とはいえこういう雑誌は着実に一般読者に広めるには有益。

そもそも際立ったことを言うことが執筆の目的ではありませんので。中東論を突飛なことを言って自己主張・アイデンティティのよりどころにする議論が、中東研究を「こじらせ」てきました。淡々と生きましょう。

記者クラブ講演の概要と映像──「セキュリティ政権」とジハード主義の「開放された空間」

日本記者クラブでの講義シリーズ、先日のエントリではこれまでの回をまとめてみましたが、6月27日の回も概要と映像がアップされましたので再掲します。

池内恵「エジプト・シリア・大統領選後の中東」日本記者クラブ、2014年6月27日

ここでの主要な概念は(1)「セキュリティ化する各国政権」と、(2)それによっても掃討されず、紛争を繰り広げながら各国の政権と共存するジハード主義勢力の伸張、部分的な「開放された戦線」の成立。

アラブの春の衝撃で軍・治安機構が割れた国は政権が倒れたが、それが再結合をした(エジプト)か、再結合を目指しているがうまくいっていない(リビア、チュニジア)かに関わらず、政権側には軍・治安機構の再結合が進み、「セキュリティ確保」を存在意義として国内外に承認を求める傾向に進んでいる。イラクのマーリキー政権もそのようなセキュリティ政権として米国やイランなどに存在を認めさせようとしているが、実際に領域を掌握できるかどうか米国も懐疑的で様子見。

政権の崩壊によって政治的自由化が一定程度行われた国(エジプトやチュニジアなど)では、制度内政治参加路線のムスリム同胞団などが選挙を通じて台頭したが、上述のセキュリティ部門の再結合によって制度外の強制力によって覆された(チュニジアでは政権は退陣させられたが、民主化プロセスは辛うじて残った)。その際には司法も大きく介在した。

ムスリム同胞団などの制度内政治参加路線が無益であるとかねてから主張してきたジハード主義者は、制度外・超法規的・強制的手段(軍・警察公認の大規模デモ・司法の妨害・軍クーデタ)によるムスリム同胞団の排除を受けて、その主張の妥当性が一定程度、一定数の国民から認められ、多数派ではないが、一部の強い支持を得るようになり台頭。グローバル・ジハード思想の「開放された戦線」が局地的に現実化した。

セキュリティ政権はジハード主義勢力の台頭と「開放された戦線」を脅威とするが、それへの対処を正統性の根拠とする。シリアは最初からセキュリティ諸組織の結束で政権を維持し、国土の4割を放置したまま巡回弾圧で持続している。エジプトではシナイ半島でのジハード主義の台頭を正統化根拠として軍政が強化されている。同じことをリビアのハフタル将軍も狙い、もしかするとチュニジアでもやがてはジハード主義に対抗すると称するセキュリティ諸部門結合がなされて政権獲得を目指す動きがあるかもしれない。

両者の対立しながらの共存が当分続くだろう、というのが現時点での分析。

来月にはテープ起こしが活字になって出る予定です。そうこうしているうちにも現実は進んでいく。

日本の中東論のパラダイム転換(人間社会は進歩しない─ただ変わるだけだ)

今日の朝から午後までは、意を決して予約して病院で徹底検査をしてもらった結果、全然問題なし、きれいな内臓お写真を見せてもらって拍子抜けいたしました。

調子が悪いと思って節制したり船で海籠りして論文書いてたら治ってしまったのだろうか。

というわけで復帰・・・とメールを見たら、なんだかISISの「カリフ制」宣言について一時的にメディアの関心が高まっていたようだ。もう萎んだかも。私が電波の届かない検査室に入っている間に電話やメールで大騒ぎした挙句「連絡つかないのでよそに」なんて人が幾人も。

よそにいくのは構わないけど、まともな人に話を聞いて、まともな人を公共の電波に乗せてよ。

「アラブの春」がシリアに及んで、政権による過酷な大弾圧が執拗に行われ、反体制派はテロリストだ、欧米・イスラエルの手先だと嵐のようなプロパガンダが溢れ、それに対して反体制側には武装化する勢力が浸透していく、という展開になってから、「良識派」と自認しているらしきメディアが取り上げる中東論がさらに混迷を深めたので、胸が悪くなる。そういったストレスは体調に悪いのでなるべく読まないようにはしているが、日本での中東言説という私のかつての一つの研究テーマに関わるので時々戻ってきて見ている。

思い出せば、2001年の当時は、中東・イスラーム学会の大部分の人は、「イスラームは寛容だ、テロなんてない」と現実の認識を拒否し、「対テロ戦争」をやるブッシュ政権・アメリカの方に問題の原因があるのであり、アメリカに非がある(この二つは論理的に別物ですが、たいてい渾然一体になる)と論じていた。

ところが今は、「アラブの春なんてない。デモは欧米の介入だ、実際に存在する反体制派はジハード主義のテロリストだ。テロリストの掃討をやっているアサド政権を批判するアメリカは間違っている。アメリカに非がある」という論理が中東研究者から盛んに出てくる。

そして、『世界』とか『朝日新聞』は、「アメリカに非がある」という結論さえ一緒ならば「良識派」なのかと勘違いして盛んに取り上げるので、今やそういう主張がすっかり権威になってしまっている。

まあ、誰もやりたがらないシリアやイラクや、テロリストの声明ビデオとかを、業務もあってしっかり見ているのは素晴らしいことだ。私の上の世代もその上の世代もそのまた上の世代も、まったく実際にアラブ世界で出されている新聞も読まず、テレビも見ないで勝手に「アラブの民衆」を代弁していた。それが、私の勉強したころからインターネットが出てきて、今の世代はそれが当たり前で、新聞もテレビも、犯行声明も爆破映像もしっかり見て何かを言おうとする。それはかなり大きな進歩と言っていい。

しかし日本の中東研究の業界の世代交代は、まだ真の意味での学問的成果の向上には結びついていないようだ。技術的には進歩したのだろうけど、結局それにもとづく主張においては、単にイデオロギー的な立ち回り方が変わっただけだからだ。もっと「こじれて」しまった感もある。言っていることがもっとトリッキーに、冷笑的に、これまでよりもさらに機会主義的になっている。

2001年当時は、中堅以上の中東研究の人はたいてい左翼だった。年代的には、団塊の世代より下の、東大や外語大に入って極左の先生にオルグされて、他の大多数の学生たちは政治離れしている時代に、ある種のマイナー文化のサークルのようにして遅れてきた学生運動をやっているような人たちが、私の一回り上の先輩方だった。そういう人たちがなぜ中東研究を選んだかというと、欧米中心主義への対抗軸のよりどころとして「アラブ」や「イスラーム」に期待をかける、というのが表面上の論理だったが、その大前提には、日本社会の主流派に対するルサンチマンが濃厚に感じられた。個人史的には、抑圧的な父(の世代)への反発といったものもあっただろう。あの世代のさらに親の世代には、国家とか社会とか個人の人生に関する今では考えられないほどの厳しい制約があったからね。むしろ日本社会への反発が、その背後にあるアメリカという最大の権威・権力への敵意を産んでいるようにも見えた。アメリカに行ったこともない人が多く、認識がかなりヴァーチャルなのである。このあたり、ビン・ラーディンのサウジ社会への反発が米国が支配する世界の体制全体への敵意というより「大きな話」に展開していく点と重なる。そんなわけで、私の上の世代の中東研究者は、世間向けはともかく内輪ではビン・ラーディンにかなり共感的だったし、9・11事件の時に露骨に高揚したり陰謀論を力説している人たちも見かけた。

ところが、2011年以降は、私と同じぐらいか、少し下の世代の中東研究の人たちが出てきた。その世代はかなりネトウヨ的な性格を帯びた人たちが多くなっている。こちらは反米右翼的な立場から、アラブ世界によりどころを見出そうとする。そこではアメリカから発せられる民主主義とか自由主義の説教には虫唾が走る、といった感情的な反発が見られる。民主主義や自由主義の観点からは否定的に評価される独裁政権の方が実は優れている、と様々な方法で主張する。これも欧米中心主義を批判しているように見えて、その実、今の日本の世の中で信じられていることはすべて間違いで、自分だけは真実を知っている、という全能感を得ることが初発の欲求なんではないか、という疑いを禁じ得ない言動が日々に漏れ出てくる。若い時はみんなそんなものかもしれないけど、そのまんまの意識で説を立てて、それが専門家が少ないがゆえにメディアを通じて社会に流れてしまうのは、日本社会の中東認識と政治判断を誤らせる。

外見上は、「反米」というところで私の上の世代と下の世代は一致している。両方とも結論としては「テロとの戦いの破綻」といった言辞を掲げるので、私の上の世代も下の世代も『世界』『朝日新聞』の覚えがめでたい。私の方はというと、ほぼ出入り禁止になっている。まあ他にも行くところはいくらでもありますからいいんですけどね。インターネットが権威主義を崩した。遅れてきた権威主義者が必死に旧来の権威的メディアに登用されようと必死になっているが、何の意味もない。

私の上の世代の中東研究者の主張は「イスラームはテロではない。だからアメリカの対テロ戦争は間違っている」という論理だった。ところが私の同世代の一部や下の世代になると「イスラームなんて言っている奴はテロリストだ。それを掃討してくださるアサド様の対テロ戦争は正しい。それを支援しないアメリカは間違っている」という論理になっている。

時代は変わりましたな。

その変化に多少の影響を与えることに私の青春時代は費やされたんだが、結局時代が良い方に行くなんてことはなかったんだよ・・・てことですね。

両方とも結論は「アメリカは間違っている」なんだけど、まったく違う話しているよね?『世界』『朝日新聞』の編集者さんたち、ここは気づいたうえで誌・紙面に載せているんだよね?もしかして気づいていない?そうだとするとリテラシーにかなり問題ありますが?

気づいていないといけないからダメ押しするけど、後者の論客たちは、面と向かっては言を左右するかもしれないけど、その論理構成や本音は明確に、「アサド政権は反体制勢力を殺しつくせ」と言っているんだよ?「市民」なんて冷笑しているんだよ?「イスラームなんて言っててどうせテロリストだろ」て言っているんだよ?思想信条は自由だけれども、それは「良識派」ではないよね?9・11事件からイラク戦争の時に盛んに『世界』や『朝日新聞』が主張していたこととは正反対なんだよ?それは分かっているよね?

世界の諸悪の根源は米国だと、何らかの理由で(つらい生い立ちとか、抑圧的な親への反発とか、志望の大学に受からなかったとか、モテなかった学生時代とか、そういったことから抱いた日本のエスタブリッシュメントへの漠然とした反感とか、あるいはとにかく米国・日本政府に文句をつけることが存在意義になっている業界や企業に就職しちゃったからとか)で固く信じるに至ったとしても、アサド政権が反米だからと言って、反米ならなんでも正しいというところまでは退化しないでほしいものだ。それともそこまで追い詰められているのだろうか。これは中東研究者にも、それを一知半解で取り上げる「良識派」のメディア企業人の両方に対しても共通に抱く疑念だ。

ついに「カリフ制」まで・・・イラクのISISの行き着くところは

『フォーサイト』に速報を書いておきましたが、ISISが「カリフ制」を宣言して、指導者のバグダーディーが「カリフ」を宣言【ユーチューブでの音声による声明】。イスラーム法上のカリフというのは、全世界のムスリムの指導者という意味で、今は現実的にはイラクとシリアの支配領域に限定されていても、それを拠点にどんどん広がっていくということを宣言しています。

池内恵「ISISの「カリフ制」国家は短い夢に終わるか」『フォーサイト』2014年6月30日

もちろん「イスラーム国家」を宣言した時からこの方向性は自明だったのですが、実際にカリフを宣言するというのは、実態を伴っていなければ冷笑されて終わるだけなので、曲がりなりにも一定数のムスリム、一定の地域で「カリフ」と呼ばせることが可能になったと当事者たちが判断しているのであれば、かなりのことです。まあ支持勢力の規模や持続性、最近一気に膨れ上がった連合諸勢力の真意を読み間違っている、単なる独りよがりの勘違いで終わる可能性も高いですが・・・

ちょっとした構想– noteで読んでみたい?

とある学会の年次大会が終了。発表一本とコメント一つを頼まれていたのを何とか終了。いずれも良い勉強になりました。聞きに行ったセッションも大変有益でした。

ところで、明日病院で検査を受けたりで、イラク情勢についてもたくさん書きたいことがあるが書く余裕がない。やはり健康の不安はなくしておかないと良い仕事はできないので、これから発表していくいろいろなタイプの作品のためにも万全の準備ということでいろいろ見直している。

中東政治についても、イスラーム政治思想についても、いろいろ準備している本があるのだけれども、その多くは、完成させて書籍の形で本屋に並ぶまでは具体的にどういうものとは言えない。とはいえ、「アラブ諸国を対象にした政治学的な本」については、それは東大出版会の『UP』で連載していたような方向のものになることは、読んでくれていた人には予想がつくだろう。「イスラーム政治思想」についての本は、このブログでなんどかリストにしてあるような、昨年度に色々な学会誌に発表したグローバル・ジハードを巡るものが中心になりそうだ、ということは自明でしょう。突然研究業績が降って沸くわけではないですから。

イラクとシリアでのISISの伸張というのはまさに、このグローバル・ジハードの思想を実践する人たちが出てきて、実践する環境条件が局地的に存在してきているということなので、研究者としては、自分の研究テーマの存在意義をことさらに主張しないでもいい状況が生じているという点では好都合だが、そのせいで国土が戦乱に陥って人がいっぱい死んだりするのは私の望むところではない。

それに加えて、ずっと取り組んでいるのが、「アラブの春」とその後の展開を、政治学ではなく、人文的な歴史叙述として、どっちかというと物語的に、記しておこうという企画。この企画は、そもそもずっと前に、「2001年の9・11事件から10年である2011年」をめどに、中東に関する大きな歴史書をシリーズで出したい、というご依頼がありました。これは非常に重く、かつやりがいがあるものなので、お引き受けして、それを一つの目標に幅広く資料を集めてきました。

しかしそうしたら、2011年にまさに大変動が起こってしまいました。しかし逆に言えば、2011年を画期として、その後、あるいはそれに至るアラブ近代史を書くことにいっそう意味が出てきたわけです。

歴史書企画の刊行の時期を延期して、2011年そのものの行く末を描くべく、現状分析の積み重ねを、将来の歴史書の執筆の準備作業とも考えて、継続してやってきました。現状分析をする際には単に事実を羅列するわけではなく、視点を明晰にする枠組み・概念が必要なので、そこは政治学やメディア論や(思想史はもちろんのことですが)、これまでかじったさまざまの枠組みを勉強し直して使ってきました。そういった方法論の枠組みから現状を整理する作業は、それだけで著書にしようとしているのですが、最終的には、アラブの春とは何だったのかを総合的に歴史叙述で示してみたいと思っています。

その本を書いているのですが、構想は大きく、紙幅も限りなく、そして現地で状況がどんどん先に進んでいくのでそれも追いかけておかねばならず、完成が伸びています。

しかし、現地の動きが終わらないと本が書き終われない、というのでは、古くなってしまってから本が出て、誰も関心を持たない、ということになりかねません。

「アラブの春」の最初の頃は、すでに記憶の遠くの彼方に、歴史となり始めているようにも思います。そうであれば、今進んでいる事象はそれとして追いかけておきながら、「初めの方」についての歴史叙述はもう発表してしまってもいいのではないか?と思うようになってきました。

そこでですが、もしかすると、「最初の方」つまり、「アラブの春」が、本当に衝撃的で、結構幸福だったころの最初の方から、変転の兆しが見える頃ぐらいまでの、かいつまんだ部分を、ウェブ上でいくつかに分割して発表してみたりするかもしれません。これは出版元・編集者とも相談しないといけませんが。

幸せなことに、この本については、編集者に逐次執筆をサポートしていただいてきたにもかかわらず、「話題になっているうちに急いで出せ」ということを一切言われません。むしろそうではなく、本当に必要な時間をかけて、後に残るものを出しましょう、と幾度も励まされています。

本来必要なだけの準備を必死にしている間に、急造の本が出てしまって、大方の読者はそれで満足してしまう、ということはよくあることであり、それを焦る気持ちがないわけではありませんが、その程度の本で満足する読者は、結局はそれ以上は求めないのだと思っています。

しかし、確かに、そろそろ読みたい、という読者はいるようなので、β版のような、プレビュー版のようなものを、ウェブ上に載せてみようかな、と考え始めています。

このブログでというよりは、少額の逐次の課金が可能な、noteの利用を考えています

フェイスブックのような友人や仕事上の同僚とのやり取りとは別の、「書き手と読者」という関係でコミットしてもらうために、また全部公開してしまうと版元に悪い、といった理由も多少はあり、一まとまりを読むごとに100円ぐらいポチッと払ってもらうことになるかもしれません。

小さくまとめて出していく形になるので、最終的に出る活字の本とは同じではないですが、本で書いている対象の雰囲気、がウェブを使うことでより鮮明になるのではないかとも思います。「アラブの春」は何よりもウェブ上で世界に発信されたのですから。

また、それとは別に、中東の映画についてのエッセーとか、日本の文芸誌や映画雑誌が商業的理由で取り扱っていないテーマについても書いてみたいですね。このブログで書いてもいいですが、それでは私がダンピングしてしまうことになり市場が成立しない要因にもなっているかもしれないので、まあ一応本当に読みたい人だけが読めるようにnoteで最低限の課金で書いてみてもいいかなと思います。

そんなわけで、そのうち人知れずポロっとnote上にアラブの歴史物語や、中東の映像文化論などが載っているかもしれません。

アラブの革命と反革命と混乱(・・・以下無限ループ)を記者クラブ講演で辿る

昨日は日本記者クラブでの講演や会合複数でその合間に豪雨にやられたりといろいろ多難な一日でした。(今日は今から学会発表に行きます)

記者クラブでの講演は会員のみとなっていますが、すぐに会見のビデオが公式ユーチューブ・チャンネルで公開され、概要や、テープ起こしをもとにした詳録も(これは毎回ではないが)、ホームページにアップされます。

近く下記のページに順次内容がアップされていきますので、ご関心のある方はどうぞ。今回は詳録も作ってくださる予定です。

池内恵「エジプト・シリア・大統領選後の中東」日本記者クラブ、2014年6月27日

記者クラブでの講演はすべて「会見」ということになっているのですが、もちろん私が新党を結成したり臨時政府を設立したり破局を発表したりはしないので、実態は記者向けの勉強会の講師です。日本記者クラブでは外国から大臣とかが来たときとかに講演をして、そちらは正真正銘の「会見」なのですが、そういった本当の会見ではしゃべる人は海千山千で本当のことは言わないし情報操作するしで、聞く方はちゃんと突っ込みを入れないといけないのですが、遠い国から来たよく知らない要人に突然べらべら勝手な話をされてもそう簡単に突っ込めないので、日々講師を読んで勉強しておこうというような意味で研究会を多数開催しているようです。

そういうわけで、記者さんたちに知恵をつけに行くようなことを定期的にやっています。もちろん中東を長く報道している人たちの中には私などよりもずっと実態をよく知っていて、各国政治指導者の人となりやら政局の裏事情などに通じている人もたくさんいるので、そういう記者とのやり取りから私も学ばせてもらっています。

「アラブの春」以後の、有為転変の節目節目で講演させてもらっているので、いつの間にか回を重ねました。だんだん前回どこまで話したか分からなくなってきたりします。

毎回、その時点での最新の事象・状況について、その時点での考えを述べることにしているので、毎回この講演のための準備はそれほどせず、必死になって考えていることの一端をそのまま話してしまいます。その意味では各時点での生の声が出てしまっていると思います。

なお、参加者が聞きに来ていそうな別の財団等の講演会で話してしまったことは話さない(同じことは二度話さない)傾向があるので、一連の記者クラブ講演ですべてを話しているわけではありません。

時には現地で撮影してきた画像を使ってみたり、いろいろ工夫はしていますが、中心はそれらの事実に基づいた「概念化」の作業。

日本の記者は「事実そのもの」を探そうとする姿勢はいいのですが、それを概念化していくという作業に慣れていない傾向があるので、その方面を補うことが、私の役割かなとなんとなく思っています。そのため、その時点での最新の事象について簡単にまとめたうえで、どの事象をどのような立場からどのように概念化すると、現状を理解したり将来を見通すために役立つか、という観点で議論することが多くなっています。

あと、質疑応答で「やはり私はすべての根源はパレスチナ問題と思うんですよ~」的な昔の通念を無自覚に垂れ流す記者OBなどには露骨に嫌な顔をしたり、「日本政府の対応は立ち遅れた」といったありがちな批判を述べる記者には、「今起こっていることはグローバルな市民社会での大変動だ。市民社会は誰が構成するのか。各国では記者、すなわちジャーナリストはその筆頭なんですよ。日本の対応が立ち遅れているとしたら、日本の市民社会、つまりあなた方立ち遅れているんだ」などと私が突然キレて、一同シーンとなったりする場面もあったりします(しかしこの場面をユーチューブで探すには全部で10時間ぐらい見ないといけないので誰も探せないと思いますよ。私はつっかえながら毎回1時間以上、時には1時間半も話しますので)。

今回の講演で司会の脇祐三さん(日経新聞社)が、「池内さんはもう7回目」と仰っていたので、もうそんなになるのか、と思いつつ「あれ?一回多いんじゃない?」と思いました。自分の記憶する大体のイメージでは5回か6回だったのです。調べてみました。

そうすると「アラブの春」後では、今回が6回目。しかしはるか昔、2005年に一度話をさせてもらっていたのでした。脇さんが正解。しかし「アラブの春」後になんとなくシリーズ化したものとしては6回目(と自分の感覚を正当化)。

はるか昔の、番外編的1回目は、私の京都勤務時代で、わざわざ東京に呼んでくれていたのでした。内容は中東分析・イスラーム解釈と、それにまつわる日本の思想状況。ある意味私の原点であります。私が説得的に議論したというよりも、現地の現実が私がぼんやりと描いていたものを、いちいちはるかに鮮明に現実化してくれたので「まあ池内が正しかったんじゃないの。彼のものの言い方が適切だったかは別として」と、業界のしがらみがない人には思っていただけるようになったかな、という感じの時代の流れだと思います。

機会を与えていただいてありがとうございます。

下記に、これまでの日本記者クラブでの講演の基本データや概要、詳録、ユーチューブ画像などのURLを張り付けておきます。革命の高揚感、忍び寄る暗い影、巨大な壁の各地での出現、移行期の分かれ道、大きな脱線、さらなる混迷といった行ったり来たりするアラブ政治・イスラーム主義の展開と、それをその時々に必死に追いかけて把握しようとしてきた、結構恥ずかしい軌跡が浮かび上がります。いつかすべてが美しい思い出になる。きっとなる。

(番外編)池内恵「アラブの政治と思想」日本記者クラブ、2005年4月18日
概要(脇祐三氏)

(1)池内恵「エジプト移行期政治プロセスの進展と中東政治の再編」2011年5月11日

会見レポート(久保健一氏)『日本記者クラブ会報』第496号(2011年6月号)25頁

会見詳録

YouTube(JNPC)

(2)池内恵「一年後のタハリール」日本記者クラブ、2012年2月16日

会見レポート(福島良典氏)『日本記者クラブ会報』第505号(2012年3月号)12頁

YouTube(JNPC)

(3)池内恵「エジプト大統領選挙と民主化の行方」日本記者クラブ、2012年6月29日

会見レポート(松尾博文氏)『日本記者クラブ会報』第509号(2012年7月号)16頁

会見詳録

YouTube(JNPC)

(4)池内恵「革命から2年を過ぎたエジプト政治の行く末」日本記者クラブ、2013年4月15日

会見レポート(出川展恒氏)『日本記者クラブ会報』第519号(2013年5月号)7頁

YouTube(JNPC)

(5)高橋和夫・池内恵「アラブの春から3年:米・中東関係」日本記者クラブ、2013年12月13日

会見レポート(二村伸氏)『日本記者クラブ会報』第527号(2014年1月)13頁

YouTube(JNPC)

(6)池内恵「エジプト・シリア・大統領選後の中東」日本記者クラブ、2014年6月27日

【寄稿】ISISとイラク情勢についての解説『産経新聞』

今朝の産経新聞「正論」欄にコラムが掲載されました。

池内恵「「テロ組織」超えたイラク過激派」産経新聞2014年6月26日朝刊

内容は、イラク情勢についての基本的な事実のまとめです。

紙幅が限定されているので、基礎事項をまんべんなく入れると字数がほぼ消化されてしまいます。そうはいっても新聞コラムとしては最大限のスペースを確保しているとは思いますが。

(6月30日発売の『週刊東洋経済』7月5日号には、1000字ぐらい多いので、いくつか若干踏み込んだ部分を含めた原稿を出してあります。出たらまたお知らせします)

産経新聞の「正論」欄は、執筆者リストに入っているので不定期に執筆しています。多くは中東で事態が切迫した時に、主張というよりは解説を執筆しています。

(執筆者の写真は執筆者リスト入りを依頼された2005年当時のものが使われています)

【追記:下記に本文テキストを張り付けておきます】

「テロ組織」超えたイラク過激派

 イラク北部・西部で急速に勢力を伸張させる「イラクとシャームのイスラーム国家」(ISIS)は2011年末の米軍撤退以来、忘れ去られていたイラク問題を国際政治の中心に再び押し戻した。

 ISISは、イラク戦争後に現れた反米武装集団を起源とし、宗派間の敵対意識を扇動してマーリキー政権に対抗することで頭角を現した。07年から翌年にかけての米軍増派攻勢でいったんは活動が下火になったものの、11年の「アラブの春」の社会・政治変動の波を受けてシリアが混乱すると、そこを拠点に勢力範囲を広げて息を吹き返し、再びイラクでの活動を活発化させていた。

■軍事的、政治的対処が必要

 ISISは国際テロ組織、アル=カーイダから思想的に刺激を受けているが、エジプト人のアイマン・ザワーヒリーが指揮するアル=カーイダの中枢組織からの指令には服しておらず、アル=カーイダが認めるシリアでの組織「ヌスラ戦線」とも対立している。

 イラクでの現在の勢力範囲や活動実態から、ISISを「国際テロ組織」と呼び続けるのは適切ではないだろう。内戦状況にあるシリアとイラクでの軍事的・政治的な勢力の一つととらえ、軍事的な攻撃だけでなく政治的な対処を行う必要がある。

 世界各地からムスリムのジハード(聖戦)義勇兵を集め、自爆テロや暗殺、敵対勢力の兵士の殺害などを行っているという意味で、ISISの中核部分が「国際テロ組織」であることは間違いない。また、その思想は、2000年代半ばに、アル=カーイダの理論家が構想した、治安が揺らいだ世界のイスラーム地域に浸透して大規模に組織化・武装化する「解放された戦線」を作り上げるというヴィジョンを、実現に移しているものと見ることができる。

 だが、単なるテロ組織ではイラクの北部・西部の広範な地域に支配領域を広げることはできないだろう。旧フセイン政権を構成したバアス党・軍・諜報関係者を中心とした秘密組織「ナクシュバンディーヤ教団軍」が結成され、マーリキー政権相手の武装闘争を水面下で組織化していると報じられるが、ISISはこれとの連携により勢力を広げたと見られる。

■首都や南部の制圧は困難か

 急激に支配地域を拡大したISISだが、首都バグダードの制圧や、南部への勢力伸張には困難を伴うだろう。ISISが比較的容易に制圧したのは、イラク北部から西部にかけてのニネヴェ、サラーフッディーン、アンバール、ディヤーラの4県である。

 これらはスンニ派が多数を占める県であり、現在のイラクの体制を定めた05年10月の憲法制定国民投票で過半数あるいは3分の2以上が反対票を投じていた。シーア派やクルド人が多数を占めるその他の県ではいずれも圧倒的多数が賛成した。イラクの宗派・民族の間で現体制の根本的な理念や制度をめぐる意見は大きく割れる。

 マーリキー首相は分裂した国論をまとめるのではなく、逆に宗派間対立を利用し、多数派のシーア派の支持を取り付けて政権を維持してきた。より広くスンニ派を取り込んだ政権を成立させなければ事態の解決は考えられない。しかし、スンニ派の旧フセイン政権支持層にも根強い支配者意識、優越意識があり、取り込みは困難を極める。ISISを前面に押し立てた軍事攻勢でスンニ派主体の地域支配を固めたことで、スンニ派の旧支配層は勢いづき、交渉による解決を一層困難にするだろう。

■イランが米空白埋める危険

 また、北部3県で自治政府を構成するクルド人は、ISISの伸張に直面したイラク政府軍が撤退したのを受け、キルクークなど自治政府の外でありながら歴史的にはクルドの土地とみなしてきた範囲に、クルド人民兵組織ペシュメルガを進駐させており、イラク政府あるいはスンニ派の諸勢力との将来の紛争が危惧される。

 ISISがイラク北部・西部からシリア北部・東部にかけての勢力範囲を固定化すれば、両国にまたがるスンニ派地域での事実上の国境再画定となりかねず、その場合は隣接するスンニ派が多数派のヨルダンも不安定化しかねない。また、クルドの独立機運を抑え込むことも不可能になるだろう。

 マーリキー政権がISISの掃討作戦を行えば、イラクやより広いアラブ世界では、シーア派対スンニ派の全面的な宗派間戦争と受け止められかねない。ここで気になるのはイランの介入である。

 オバマ米政権は国際テロを主要な脅威としつつも、それが直接米国に及ばない限りは現地政府に主な対処を委ね、背後からの支援に回る姿勢を見せている。理論的には正しいが、実態として効果が上がるかどうかは未知数である。米国の消極姿勢が生んだ力の空白をイランが埋め地域覇権国としての地位を高めれば、サウジアラビアなどスンニ派のアラブ諸国が危機感を強め、イラクやシリアやレバノンでの代理戦争を宗派紛争を絡める形で一層激化させ、さらなる混乱をもたらす危険性がある。
(いけうち さとし)
産経新聞2014年6月26日朝刊

バルザーニー・クルド地域政府大統領が「独立」を明言

『フォーサイト』の「中東の部屋」にまた一本寄稿しました。

池内恵「「クルド独立」を口にしたバルザーニー大統領」『フォーサイト』2014年6月24日

内容は、CNNのクリスチャン・アマンプールによるインタビューに答えたバルザーニー発言の速報と、背景の歴史解説ですので、英語を読むのが苦にならない方は、CNNの原文を読んでもいいかと思います。

“EXCLUSIVE: Iraqi Kurdistan leader Massoud Barzani says ‘the time is here’ for self-determination,” CNN, June 23, 2014.

バルザーニー発言は6月23日月曜日に放送されたようですが、6月19日のオバマ政権の対イラク政策の決定を受けて中東に急派されたケリー国務長官は、24日にバグダードを訪問し、イラク政府高官やスンナ派の指導者の一部と会っただけでなく、同日に北部のクルディスターン地域政府も訪問してバルザーニーと会っています。独立を思いとどまるように説得した模様です。

「理論的にはありうる」という意味で「想定の範囲」としては十分意識して論じたりしていたものでも、実際に現実になろうとするとやはり驚きますね。

バルザーニーのCNNへの発言より。

“Now we are living [in] a new Iraq, which is different completely from the Iraq that we always knew, the Iraq that we lived in ten days or two weeks ago.”

“After the recent events in Iraq, it has been proved that the Kurdish people should seize the opportunity now – the Kurdistan people should now determine their future.”

【意訳】我々は今、新しいイラクに住んでいるのだ。それは我々が常々知っていたイラクとは完全に別のものだ。10日前、あるいは2週間前と今は完全に異なっているのだ。

最近のイラクでの出来事以来、クルド民族は今こそこの機会を捉えなければならないということがはっきりとした。クルディスターンの民は未来を決めないといけないのだ。

【地図と解説】イラク情勢:シリア・ヨルダンとの国境地帯の制圧が続く~6月24日

7泊8日の缶詰生活から帰ってきました。ええ、日本でも外国でもない中間ぐらいの、船に乗って海の上にいました。

本を書くのに集中したかったのですが、24時間国際衛星放送がつながっている環境では、ついイラクの紛争の状況を見てしまいました。

日本ではどんな報道がされていたのでしょう。チェックしておりませんが、ある程度情報は行き渡っているのではないかと思います。アメリカがすぐには攻撃しそうもない、と分かったら報道も鎮静化したでしょうか。いずれにせよ長期的に見ていかなければならない問題です。

【地図と解説】の第5弾、今回は過去1週間の戦況をアップデートしておきましょう。

エコノミスト6月21日号では全体状況がよく分かる地図を作っていてくれています。

ISIS_Iraq_Syria_Economist_June21_2014.jpg
出典:エコノミスト

6月14日に紹介した地図と比べると、例えば北部でモースルから西のテッル・アファルでISISが優勢になっている点などが違います。また、領域をべたっと塗ってしまうのではなく、都市と道路を中心の「点と線」を中心に描いている点も、この間の情勢把握の進展を示しています。そもそも砂漠が多いので面で支配しているはずがないのと、それほど規模が大きくないISISが、実際に戦闘を行っている地点以外でも実効支配をしていると断定する根拠がないところが理由でしょう。ISISのインターネットを通じた映像を駆使した巧みな情報戦略が、ISISの勢力を課題に見せている可能性があります。

しかしそうこうしているうちにもISISの掌握する「点」は増えていっています。20-22日にかけてイラク西部のシリアやヨルダンとの国境のチェックポイントが制圧される動きが報じられています。【記事1】【記事2

6月22日付のニューヨーク・タイムズでは下記のような地図を示していました(ニューヨーク・タイムズはイラクの戦況の地図をどんどん上書きしてしまっているので、キャプチャーしていたものをここでは転載しておきます)。

ISIS_Iraqi Gov losing control of border crossings_NYT_June22_2014
出典:ニューヨーク・タイムズ

上記の6月21日号のエコノミストの地図からの変化は、ユーフラテス川沿いのシリアとの国境検問所のあるアル・カーイムでの戦闘が激化したこと、さらにシリア・イラク・ヨルダンの国境三角地帯の検問所アル・ワリードでも戦闘が起こっていることを示しています。また、ユーフラテス川沿いの主要都市ラマーディーやファッルージャがすでにISISの支配下にありますが、そこからシリアとの間の小土地、ラーワやアーナでも戦闘が起きていることを示しています。また、北部でクルド勢力もシリアとの国境地帯を制圧する動きに出ていることがラービアの検問所について示されています。

これが23日付ではこうなっています。

ISIS_Iraq_NYT_June23_2014.jpg
出典:ニューヨーク・タイムズ
Diplomatic Note Promises Immunity From Iraqi Law for U.S. Advisory Troops, The New York Times, June 24, 2014.

アル・カーイムとアル・ワリードの検問所や、ラーワやアーナでISISが支配的になるだけでなく、ヨルダンとの国境のトレイビールも支配下に収め、ヨルダンからバグダードに至る砂漠地帯の中間のオアシス村のルトバも制圧したとしています。

個人的には、サダム・フセイン政権下の経済制裁中のイラクに、ヨルダンから深夜に車で渡ったとき、途中で見たルトバの寒村の風景を思い出します。

同工異曲ですがガーディアンの地図も貼っておきましょう。細かすぎないので全体像が分かります。

ISIS_Iraq_June22_Guardian.jpg
出典:ガーディアン

今回は特にシリア・そしてヨルダン国境地帯の制圧状況についての拡大図を見てみましょう。これはワシントン・ポストのもの。

ISIS_Jordan_Border_WP_June22_2014.jpg
出典:ワシントン・ポスト

ニューヨーク・タイムズは東西南北の方向をずらして、イラクとシリア・ヨルダン(そしてサウジ)との国境地帯の拡大図を提供し、主要チェックポイントを示しています。イラク側だけでなく、シリア側、ヨルダン側の国境検問所の名前も書いてくれています。アル・カーイムにシリア側から対面するアブー・カマールでは、ISISと対立するヌスラ戦線が支配的という話もあります。これは今後どうなるか分かりません。

国境の両側を押さえると、自由に行き来できるようになり、拠点・聖域の確保が進みます。

今後もこれらの地点は状況が変わるたびに支配勢力が移り変わるでしょう。キャプションごとキャプチャしておきましょう。

ISIS_Iraq_Border_Jordan_Syria_NYT_June23.jpg
出典:ニューヨーク・タイムズ

スンナ派が多数派のアンバール県でこのように速い速度でISISが伸張するのはある程度予想できることです。ISISそのものが大規模に部隊を展開させているというよりは、現地の部族勢力や旧バアス党支配層の武装勢力が呼応している可能性があります。

アンバール県の全域を、隅々の国境検問所まで掌握し、ヨルダンそして、サウジアラビアとの国境まで支配下に置けば、イラク・シリア・ヨルダン・サウジアラビアのスンナ派が多数派の地域に長期的に強固に足場を築くことになりかねません。それらの支配地域に統一した国を作るというのはかなり先の話ですが、当面は、国境を越えて拠点を構築することで、それぞれの国の中央政府から自由な補給や根拠地を得ることになり、紛争が長期化しかねないところが危惧されます。砂漠が多く中央政府の支配が弛緩しやすい地帯一円に、ISISとそれに呼応する勢力が広がり、長期的に各国の政府を揺るがしかねません。イラクのスンナ派勢力の中央政府に対する不満に理解を示しているサウジアラビアの政権にとっても、中・長期的には脅威となるでしょう。

【海外の新聞を読んでみる】シリア・イラク国境地帯は新たな「アフパック」となるか

米オバマ大統領の当面のイラク政策についての姿勢が示されたが、背後ではISISの伸張を受けて対イラク政策を対シリア政策と一体的にとらえて転換しようという動きが進む、とワシントン・ポストが匿名の消息筋を引いて論じている。

White House beginning to consider conflicts in Syria and Iraq as single challenge, The Washington Post, June 19, 2014.

The Obama administration has begun to consider the conflicts in Syria and Iraq as a single challenge, with an al-Qaeda-inspired insurgency threatening both countries’ governments and the region’s broader stability, according to senior administration officials.

【意訳】シリアとイラクは「一つの問題」であって、そこではアル=カーイダに触発された武装蜂起が両国の政府や地域の安定を脅かしている、とオバマ政権はみなし始めていると複数の政権高官が語った。

At a National Security Council meeting earlier this week, President Obama and his senior advisers reviewed the consequences of possible airstrikes in Iraq, a bolder push to train Syria’s moderate rebel factions and various political initiatives to break down the sectarian divisions that have stirred Iraq’s Sunni Muslims against the Shiite-led government of Prime Minister Nouri al-Maliki.

【意訳】オバマ政権はNSCの会合で、イラクでの空爆をもし行った場合の帰結を再考し、シリアでの穏健な反体制派を支援するより大がかりな策を検討し、イラクのシーア派主導のマーリキー政権とスンナ派の争いを刺激する宗派主義的分裂を解消するための方策を検討した。

Senior administration officials familiar with the discussions say what is clear to the president and his advisers is that any long-term plan to slow the progress of the Islamic State of Iraq and Syria, as the insurgency is known, will have far-reaching consequences on both sides of the increasingly inconsequential desert border that once divided the two countries.

【意訳】ISISの伸張は、シリアとイラクの両国に重大な帰結を生じさせると大統領も側近も認識するに至った。もはや砂漠は両国の政治を隔ててくれない。

このような認識から、対イラク政策は対シリア政策と一体に考案され適用されなければならない、とオバマ政権が考えるようになったというのだが、この転換が実施に移されれば、シリア問題についても大きな政策の転換になりうる。オバマ政権は、自由シリア軍など反体制派のうち親欧米の穏健派に軍事支援をせよという要求を、言を左右して実質上は退けてきたからだ。それについては次のように書いてある。

Although spreading faster in Iraq, the advance of ISIS could also force the administration to reconsider its calculations in Syria, where Obama has taken a cautious approach, declining to arm moderate rebel factions or conduct airstrikes on government airstrips, as some advisers have recommended.

オバマ政権がシリアで自由シリア軍など反体制の穏健派を米国が支援するすると言いながら何もしないから、現地では人々は米国に失望し、イスラーム主義勢力の威信と信頼性が高まり、人員も資金も武器も集まる結果をもたらした、というのが一つの重要な批判だったが、オバマ政権はこの批判を受け入れたということなのだろうか。

こうなると俄然注目されるのが、フォード元駐シリア大使の提言・批判だ。フォード大使は今年2月に辞任している。

奇しくもISISがシリアを拠点に勢力を拡大してイラク北部モースルを陥落させたその日に、フォード大使は辞任後の沈黙を破って、ニューヨーク・タイムズに論説を寄稿して、オバマ政権の対シリア政策を批判した。これに合わせて米主要テレビにも出演している。

論説のタイトルはそのものずばり「シリアの反体制派に武装させよ」。

Robert S. Ford, “Arm Syria’s Opposition, The New York Times, June 10, 2014.

フォード大使の批判の骨子は、まさに「シリアで穏健派を支援しないから過激派が伸長したのだ」というもの。

フォード大使は論説の冒頭で、自らの2月の辞任がまさにこのシリア反体制派支援へのオバマ政権の煮え切らない態度にあったと明かす。
In February, I resigned as the American ambassador to Syria, after 30 years’ foreign service in Africa and the Middle East. As the situation in Syria deteriorated, I found it ever harder to justify our policy. It was time for me to leave.

そして米国がとるべき政策とは具体的に次のようなものだという。

First, the Free Syrian Army needs far greater material support and training so that it can mount an effective guerrilla war. Rather than try to hold positions in towns where the regime’s air force and artillery can flatten it, the armed opposition needs help figuring out tactics to choke off government convoy traffic and overrun fixed-point defenses.

都市ではアサド政権の空爆があるから、ゲリラ戦争を戦わせよ、アサド政権の部隊の補給線を寸断する戦術を立案せよ、という。

To achieve this, the Free Syrian Army must have more military hardware, including mortars and rockets to pound airfields to impede regime air supply operations and, subject to reasonable safeguards, surface-to-air missiles. Giving the armed opposition these new capabilities would jolt the Assad military’s confidence.

そのためには、大砲やロケット弾など、アサド政権の空軍能力を削ぐための装備を提供せよ。地対空ミサイルも、過激派の手に渡らないように注意したうえで、供与せよ。

もはや最善の方法を論じる時期は過ぎた、というのがフォード大使の認識。その上で、上記は、過激派のジハード戦士たちを伸張させないために必要な手段だという。今また手をこまねいていれば、結局米軍自身がアル=カーイダ系組織と戦うためにシリアに投入されなければならなくなる、と結んでいる。

We don’t have good choices on Syria anymore. But some are clearly worse than others. More hesitation and unwillingness to commit to enabling the moderate opposition fighters to fight more effectively both the jihadists and the regime simply hasten the day when American forces will have to intervene against Al Qaeda in Syria.

フォード大使らの批判を受け入れ、シリア政策をより積極的な穏健派支援へと切り替えたうえで、イラク政策と統合する、というのは、アフガニスタンでターリバーン政権崩壊後になおも続くテロや武装蜂起に対する対処策を想起させる。上に引いたワシントン・ポスト記事でも当然そのように書いている。

In thinking through options, administration officials say they are drawing on the history of the U.S. experience in Afghanistan

ターリバーン系の諸勢力の活動範囲はアフガニスタン国内に限定されず、パキスタンの北西部の中央政府の統治が弱いエリアと事実上一体化している。ここを「アフ-パック」と名付けて米国は対策を講じることを余儀なくされてきた。

イラク・シリア国境も同様の地帯として今後一体的にcounter-insurgency政策が行われていく可能性がある。それは軍楽隊の音楽に合わせておおっぴらに軍艦が進んでいくようなものではなく、無人飛行機や現地の諜報関係者、特殊部隊による隠密作戦といったものが駆使される見えない戦争である。

マーリキー政権との同盟に不信を募らせるオバマ政権

先ほどのエントリで概要を記したが、6月19日の米NSC会合後のオバマ会見で示された対イラク政策の中核的部分のうち、今後の現地イラクでの政治の展開に関わって重要なのは、マーリキー政権への最後通牒あるいは「見放した」とすら聞こえる点だ。

イラク側にスンナ派を取り込んだ挙国一致政府の設立を求め、マーリキー政権には根本的に態度・政策を改めるか、本当は辞めてほしいんだがそうは言えない、ということとかなり露骨に表している。

該当するのは例えばこんな部分だ。【オバマ会見での演説原文

Above all, Iraqi leaders must rise above their differences and come together around a political plan for Iraq’s future. Shia, Sunni, Kurds, all Iraqis must have confidence that they can advance their interests and aspirations through the political process rather than through violence. National unity meetings have to go forward to build consensus across Iraq’s different communities.

【意訳】シーア派を含むすべての勢力に暴力ではなく政治過程の制度内で利益を追求するよう求める。そのために挙国一致的な協議をし、宗派を横断したコンセンサスを形成してほしい。

で、そのようなコンセンサスを形成するためにはマーリキー首相のままでは難しい、と米政権は判断しているようなんだが、それについてこのように言う。

Now, it’s not the place for the United States to choose Iraq’s leaders.

【意訳】米国はマーリキー首相に辞めろと言うような立場にはない(本当は辞めてほしいんだけどね)。

the United States will not pursue military actions that support one sect inside of Iraq at the expense of another.

【意訳】しかし辞めないのなら、あるいは抜本的に態度を改めないなら、米国が軍事支援してもそれは特定の宗派(シーア派)を支援することになってしまうからできないかもしれないよ。

先日のこのブログのエントリでは、

「問題は今のイラクには米国にとって同盟国として頼れる存在がいないこと。そもそもISISはマーリキー政権の政策が原因で米軍撤退後に再度出現し、一時はサウジなどの政府が、そして今でもサウジなどの国民の支持に押されることで、伸張している。マーリキー政権を支援すればかえってテロを増やしかねないし、同盟国であるはずのサウジに取り締まってくれと要請しても無理そう。」

と書いておいたが、マーリキー首相が同盟者としておぼつかないどころか、問題の解決策ではなく問題の一部なのではないか、というのがオバマ政権の認識だろう。

マーリキー政権の要請に応えて空爆などしようものなら、「米国はシーア派に加担してスンナ派のムスリムを殺した」とスンナ派諸国から火のついたように怒った義勇兵が押し寄せるのではないか・・・というのがオバマ大統領の見る悪夢でしょう。しかも介入がうまくいかないと結局はシーア派も含んでアメリカのせいにする・・・

シーア派(マーリキー政権が独裁化と汚職、イランの革命防衛隊・クドゥス部隊など過激な武装組織が介入)
スンナ派(ISISを支援・加担)
クルド勢力(この機に領土拡大して返さない、新たな紛争の火種)

のいずれも信用できない、みな都合のいいところだけアメリカの力を使い、少しずつ嘘をついている・・・というのがオバマ大統領から見た中東でしょう。

この政治情勢の中でISISを空爆しても、マーリキー政権に加担したと見られるだけ。マーリキー首相に解決能力がないことが一つの大きな問題で、それを変えさせるためのレバレッジとして使えるなら軍事攻撃も可、とオバマ政権は見ているのでしょう。

それを察知して、イラク側でもマーリキー追い落としの動きが進んでいるという。

Iraqi Factions Jockey to Oust Maliki, Citing U.S. Support, The New York Times, June 19, 2014.

イラク情勢は「(アメリカを巻き込む)戦争か」という関心から見るのではなく、米の政策とも関連して進む現地の動きを見ていかないといけない。

オバマのイラク問題への対策が明らかに

オバマが議会指導者との会合を行い、NSC会合を開いた後に、イラク政策をめぐって会見するというので待っていたが、GMT19日16時30分からのはずが遅れて17時30分ぐらいに開始された。要点だけ見て後は仕事に戻った。

会見での演説と質疑応答の内容は思った通り。

*当面の米の軍事的関与は「300人の軍事顧問団の派遣」にとどめ、イラク政府の特殊部隊の訓練に従事させる。
*偵察・インテリジェンスなど情報収集に時間を取る。早急な直接的攻撃には消極的。
*「数万人」といった規模の部隊の再投入は明確に否定。
*マーリキー政権にスンナ派を取り込んだ挙国一致政府の結成を求める。できないなら、「退陣しろ」とは名言しないが、支援を控える考えを濃厚に示唆。

オバマは米による直接的な軍事行動の可能性を否定したわけではないが、たとえあったとしてもそれは極めて小規模なもので、可能なら行わない。むしろ隠密裏での特殊部隊による急襲作戦で直接的に米国市民や重要な米国同盟者を救出するといったものになるだろうと予想できる。なにしろ冒頭の最重要項目が、「イラクの米大使館・人員を守る」なのである。

これらはオバマ政権のこれまでの対中東政策の理念と行動を丹念に分析していれば事前に容易に予想がついたことだ。別に米NSCの中に情報源などいらない。

官僚も含めて、そんな情報源を持っている日本人は「一人もいない」と断言していい。あるふりをしている方は怪しい。なくたって大丈夫なんです。ちゃんと公開情報を元に自分の頭で考えられれば。政治家やマスコミへの迎合とかを抜きにして、自分で調べて考えられる頭があれば、そしてそれを評価できる指導層がいれば、大丈夫です。そうやって知恵を絞れる知識層がいるか、指導層がいるかかどうかが、一級の国とそうでない国を悲しいほど厳然と分けます。

まだ分からない人がいるといけないので、以前にこのブログのエントリで書いておいたことを再掲してみよう(缶詰2日目~APUでイラクを想う)。

「現状のイラク情勢では米国が軍事行動に出るかどうかは主要な論点ではない。なぜか?オバマ政権が大規模な軍事行動をとらないだろうから。

オバマが先月の演説ではっきりさせたドクトリンだと、「テロは最大の脅威」としつつ、直接米国民に危害が及ぶようなテロの脅威がある場合以外は、対処は「同盟国にやらせる」ものとみられる。また、テロを産む政治環境の方を何とかしないとテロは終わらない、という認識。

アメリカ自身の軍事攻撃があったとしてもすごく限定的なものになるでしょう。邦人保護・救援に限定。それが「直接の脅威」への対処だ、というのがオバマ政権の立場でしょう。

日本での報道・論調は、いいかげん「こぶしを振り上げるアメリカ」を軸に報道するのをやめた方がいい。

現在の国際政治の焦点は「こぶしを振り上げないアメリカ」「振り上げても実は振り下ろさないアメリカ」を各地で各国がどう受け止めて、その結果何が起こるか、というものだ。」

ISISの伸張を受けて、またも「米がこぶしを振り上げた」「戦争になるぞー」という煽り報道をしようという動きが日本に出てきたのには驚いた。

確かにブッシュ政権時代の感覚からいえば、

中東で何か動きがある→米国が攻撃するという機運が高まる→その時だけ日本のマスコミ騒ぐ→米大統領が威勢よく会見→巡航ミサイルがドカーン

というバカバカしいほど分かりやすいパターンがあったので、それに慣れてしまっている人たちがいるのかもしれないが、オバマ政権ももう5年半過ぎた。

国際政治のパワーバランスも、米内政構造も米世論の機運も、政権の性質やスタイルも変わった。もうそのような単純な構図で準備して「祭り」のように中東国際政治を見世物的に報じることができる時代は終わっている。

普通に英語の新聞などを読んでいるだけで全く違う構図があり、論点があり、注目点があることがわかります。しかしそれと全く異なる言説が日本の新聞・テレビには溢れる。BBCをつけて見ているだけでも、実態は全く異なることが簡単にわかるのに、なぜ日本の視聴者に思い込みを押し付けるのか。

問題なのは、そういったメディアの要望に迎合し同調する専門家がいること。

そういえば、イランについても、「すぐにもイスラエルの攻撃がある」「イスラエルが攻撃すれば米も攻撃に参加する」「中東大動乱」といったマスコミ・ネタに同調する方々がいましたが、「アメリカはイランの核問題に関して異なる姿勢を取っている」「アメリカは冷淡」「アメリカの支援がない限りイスラエルが攻撃することはない」という点は明らかでした

オオカミ少年がいっぱいいたわけですね。

「大変だ~」「戦争になるぞ~」と騒いでメディアの片棒を担いだ方が、講演の話とかいっぱいくるし、政治家のアドバイザーになんて話にもなる。「学者」「専門家」にはそういった負のインセンティブがあるのです。一定程度オオカミ少年が出てくるのは不可避です。

重要なのは、誰がオオカミ少年かをきちんと判定して、そういう人がメディアの論調や、そして政策決定に(←ここ重要)影響を与えないようにすることです。言うだけなら言論の自由の範囲内ですが、悪影響を社会と政治に与えないようにすればいいのです。

日本もNSCを作って首相が機動的に外交・安全保障政策を策定していけるように制度を整えようとしていますが、それ自体はいいことですが、まだ旧時代に育った人材しかいませんので、器に見合った人員を揃えられるかは極めて不安。内外の変動期に「生兵法」で重大な過誤を犯してはなりません。

イラク情勢を見るために~20項目走り書き

カンヅメ状態で本を執筆すること4日目。佳境に入ってきました。イラク情勢についてもアップデートしているので、いくつか報告書を書きました。イラクで何が起こっているのか、現在の動きが何を意味するのか、将来的にどのような影響を及ぼしていくのかについて、だいたい次のようなポイントから見ています。走り書きメモをアップしておきます。

1.ISISの伸張は、直接的にはイラク内政においてマーリキー政権の支持層に多いシーア派との間の宗派紛争を引き起こしかねないことが危惧されるが、それにとどまらず、玉突き式に中東情勢に紛争や変動を引き起こす可能性がある。

2.ISISの中核部分は、アル=カーイダの思想に触発され、2003年のイラク戦争後にイラクで出現した「イラクのアル=カーイダ」をはじめとする諸武装集団の組織や人員から派生したものだ。

3.ISISがイラクの政府軍に対して有利に戦闘を行うほどの大規模な組織化を行い、高度な武力を備えて複雑な作戦行動をとるまでに拡大・進化したのは衝撃的である。

4.ここまでに拡大・高度化したISISをなおも「国際テロ組織」としてのみとらえることは適切ではない。当人たちが実際にテロ組織としての姿勢をソーシャル・メディアを使って誇示していることと、マーリキー政権やイランや欧米メディアがテロ組織としての恐ろしさを伝えていることの両方の要素が絡んで、実態が見えにくくなっている。

5.ISISとそれに呼応した勢力は、イラクの特定の地域において幅広い領域支配を行おうとしており、イラクの政治的文脈の中で確立した政治勢力になろうとしている。

6.その過程で、国際テロ組織としての発展とは別の、政治的な連合関係を構築し、一定の住民の支持を集め始めていると言える。ISISが少数の過激なイデオロギーを信奉する集団から、より幅広い支持者・支援者を持つ集団に変わりかけている可能性がある。

7.それによって、領域支配が固定化する可能性もあるが、イデオロギーを共有する強固な集団ではなくなるため、政治的・政策的・戦略的な立場の総意から分裂・仲間割れもありうる。ISISの中核は依然として強固な宗教イデオロギーを抱いた集団で、過酷な統治を行おうとするため、住民からの反発や、後から加わった勢力との同盟の解消によって瓦解・雲散霧消する可能性もある。

8.アル=カーイダというよりは1990年代前半にアフガニスタンで台頭したターリバーンと似てきている。政権を取るまでに行くのには、連合の分裂を回避し、住民の支持をつなぎとめる政策を持続的に打つ指導者と組織が必要だが、そのようなことが可能か、まだ分からない。

9.ISISはアイマン・ザワーヒリーが率いるアル=カーイダ中枢とは、組織としては自立化したが思想は継承・発展させた。イスラーム世界の腐敗した政権の揺らぎの隙をついて「開放された戦線」で大規模な武装化・組織化を行うという将来構想は、アル=カーイダの思想家(スーリーなど)が提示していた。ザワーヒリーはインターネットで「口先介入」をするだけで組織力や統率力がなく実績を挙げていないので実際の指導者とは言えなくなっている。

10.2005年末に成立した現行の体制に対して、当初からスンニ派主体の北部・中部4県は反対してきた(憲法制定国民投票はこの4県だけで反対票が過半数あるいは3分の2以上)。この4県が恒久的に不利な立場に置かれる制度・運営を行っていることが、現在の混乱の背景の制度的な要因と考えられる。イラク国家統合には大勢の再編・憲法改正が必要ではないか。

11.ISISの領域支配が定着すれば、シリア東部からイラク西部にかけて、世界各国から過激派集団を呼び込む聖域が成立しかねない。

12.シリア東部とイラク西部を切り取った、事実上の国境の引き直しが生じれば、同様の動きがヨルダン、サウジにも波及しかねない。

13.同様の動きはイラク北部のクルド地域にも連鎖しかねない。キルクークを掌握したクルド勢力とイラク中央政府の関係は将来的には緊張する。

14.この機会にイランが介入を深め、イラクを軍事的な勢力圏とすれば、アラブ諸国のスンナ派の反発から、宗派間対立が中東地域全体へ拡散する。

15.イラクでもおそらく実効性のある対処策を採れない米国の威信の低下は進む。

16.イランが米との部分的な「同盟」を呼びかけている。米国とGCC諸国との離反を狙うゆさぶりとして効果的。米国内の反サウジ、GCC軽視の世論を喚起すると共に、サウジをはじめとしたGCC諸国には、危機意識と米国への反発が高まる。

17.サウジをはじめとしたGCC諸国はISISを支援している、あるいはその台頭の原因となっているとして、イラクのマーリキー政権やイラン、そして欧米諸国から批判を受けている。この批判には正当な面とそうでない面がある。政府が直接支援しているとは言えない。しかし民間人の資金・義勇兵が参加していることは確かだ。

18.米・GCC間の離反が進めば、米国の支援を体制維持の根本的な支柱とするGCC諸国は不安定化する可能性がある。

19.「アラブの春」の各国の体制変動と動揺は、イスラーム主義過激派の大規模な武装化や組織化を可能にする「開放された戦線」を成立させた。アラブ各国に現れたこのような秩序が弛緩した空間にアル=カーイダに触発された諸組織が浸透しつつある。

20.そこから触発されてイラクの分裂、イランの伸張、サウジアラビアの動揺、米国の影響力の後退といった帰結が生じれば、ペルシア湾岸をめぐる地域大国と域外超大国のそれぞれの勢力と相互関係の大きな組み換えをもたらす可能性があり、それを通じて中東の地域国際秩序が生じるかもしれない。

【地図と解説】シーア派の中東での分布

「地図で見る中東情勢」の第4回。

イランによるイラクへの介入が、予想通りというか予想よりもさらに早く進んでいます。

また、米国がイラクをめぐってイランと同盟しかねない勢いというのも、あくまでも「理論的にはそういう可能性も」と話していたのですが、すでに現実味にあふれたものになっています。

イランのイラクへの影響力という際に常に挙げられるのが、シーア派のつながりです。

この地図は、中東諸国でシーア派が多数派の国、規模の大きな少数派を形成している国を緑色と濃い緑色で示してあります。
Lines in the sand_Shia from Iran to Syria
出典:Global Times

シーア派はイスラーム世界全体では少数派ですが、それは人口の多い東南アジアやインドがほとんどスンナ派であるというせいもあります。中東ではスンナとシーア派の人口は全体ではかなり拮抗しており、シーア派は一部の国では多数派になっています。

過半数となっているイランとイラクのほかに、レバノンでは過半数ではありませんが最大の宗派になっています。シリアではアラウィ―派をシーア派とみなして加えれば15-20%。あまり知られていませんが、イエメンでも北部にシーア派の一派ザイド派がいます。そしてアラブの湾岸諸国でもクウェートではかなりの大きな少数派、バハレーンでは人口では多数派だが王家・支配階級はスンナ派。

しかしこの地図だと国単位で一色に塗ってあるので、国の中での地域ごとの宗派の分布がわかりませんね。

次の地図を見てみると、もっと詳細な分布がわかります。

Shiite_simple.jpg
出典:NPR, Vali Nasr, The Shia Revival

パキスタンにもいるんですね。ただしシーア派の中でもイスマーイール派などで、イランの12イマーム派とは宗派が違います。

もっと詳細な、宗派分布の地図は下記のものです。クリックするとより広域が表示されます。

Sectarian-Divide.png
出典:Financial Times

サウジアラビアについて、アラビア半島中央部のネジュド地方、つまりサウジアラビアの王家・支配部族の本拠地についてはワッハーブ派で緑に塗られていて、それに対してエジプトやヨルダンに近い紅海沿岸のヒジャーズ地方は「普通の」スンナ派でパープルグレーに塗り分けられています。このことも今後の展開によっては意味を持ってくるかもしれません。

さて、このような中東一円でのシーア派の広がりの中でイラクの宗派・民族構成を詳細に見てみると、こんな感じです。クルド人はスンナ派ですが、アラブ人と言語・民族を異にする別のエスニシティを形成しています。シーア派はアラブ人でスンナ派と同じですが、宗派の違いから異なるエスニシティ意識を強めているのが現状です。

Iraq_ISIS_WP_Izady Columbia U
出典:ニューヨーク・タイムズ

人があまり住んでいないところは白っぽくしてあるところもいいですね。アンバール県をISISの支配領域としてべたっと塗ると、見た印象は広大な領域を支配しているように見えますが、可住・可耕面積はほとんどありません。

ISISの侵攻は北部から中部にかけてのスンナ派が多数を占める地帯では一気に進んだことがわかります。しかしバグダード以南に浸透するのはかなり難しそうです。またその際は激しい戦闘になり流血の惨事となるでしょう。

ただしイラクのシーア派とスンナ派は共存していた時期も長いので、常に宗派が違えば争うわけでもありません。国内・国際的な政治情勢の中でエスニシティの構成要素は変わり、帰属意識は強まったり弱まったり融合したりします。ですので、宗派紛争は必然ではないのです。近い将来は紛争が不可避にも見えますが・・・

そもそも、これらの地図で模式的に示されるほど画然と宗派ごとに分かれて住んでいるわけではありません。

次の地図では、複数のエスニシティ(宗派+民族)が混住しているエリアを斜め線で示してくれています。

Iraq_Sect_ratio.jpg
出典:ワシントン・ポスト

さらにこんな地図もありました。シーア派、スンナ派、クルド人の多数を占める地域の間に混住地帯を色分けしています。さらに、特定の都市や地域に少数ながら存在するトルクメン人、キリスト教アッシリア教徒(ネストリウス派)やカルデア派、ゾロアスター教系でイスラーム教やキリスト教が混淆したヤズィーディー教徒などの居住する都市を表示しています。これらの少数派も明確なエスニシティ意識を持っており、戦乱期にはしばしば迫害を受けます。

欧米の市民社会はキリスト教のルーツに近い由緒正しい中東のキリスト教少数教派の迫害には敏感に反応しますし、トルクメン人はチュルク系の同系民族としてトルコが庇護する姿勢を見せています。これらの少数派を巻き込む内戦は、必然的に外国勢力を巻き込む国際的なものとなります。

Iraq_Sect_Ethno_ratio.jpg
出典:globalsecurity.org

特に危惧されるのはバグダード近辺などの大都市で宗派が複雑に入り組んで混住しているエリアです。

信頼性は私は判定できませんが、下の最後の地図は、バグダードの2005年と2007年のスンナ派とシーア派の居住区を色分けしたこのような地図があります。細かく入り組んでおり、しかも2006年から2007年に多発した宗派間の紛争の影響もあり、住民が移動している様子が示されています。赤い点は10以上が死んだ爆破の生じた地点です。
Baghdad_quarters_sectarian.jpg
出典:Vox, BBC

このような場所で宗派コミュニティ間での暴力の応酬が広がったり、エスニック・クレンジング的な強制退去などが行われたりすると内戦の激化が生じます。また、シリアで起こったように、街区ごとに武装集団が浸透して支配地域を広げていくような、虫食い状の陣取り合戦が展開されると、内戦は長期化し、都市は荒廃を極めるでしょう。

そのようなことにならないようにイラク内外の諸勢力がなんとかしてくれればいいのですが。