NHK「深読み」の後記(1)チェチェン紛争のグローバル・ジハードへの影響はもっと知られていい

今朝のNHK総合「週刊ニュース深読み」に出演しました。

ご意見・ご感想募集だそうです。

ご一緒したジャーナリストの常岡浩介さんは、チェチェンの独立闘争ジハードを取材した経験から、現在シリアに流入しているチェチェン系のジハード戦士(ムジャーヒディーン)のつながりを持ち、その結果ヌスラ戦線や「イスラーム国」の内部を垣間見ることができる数少ない日本人ジャーナリストです。

チェチェン系のジハード戦士は、ヨルダン・チュニジア・サウジアラビアなど近隣アラブ諸国から、あるいは欧米の移民コミュニティからやってくる者たちと比べると、数はそれほど多くないとみられます。先日紹介した、シリアとイラクに流入する外国人戦士に関するEconomistのとりまとめでも186名となっています。数自体は正確ではないかもしれませんが、チュニジア(3000名)、サウジアラビア(2500名)、ヨルダン(2089名)といった人数との比較で、相対的な規模が分かるでしょう。

しかしアラブ諸国や西欧諸国からやってくる若者たちは、戦闘経験もなく、しばしば単にインターネット情報を見て「冒険・夢・ヒロイズム」を求めてやってきてしまうのに対し、チェチェン系の場合は、ロシアとの軍事闘争の末に政治難民化して傭兵化した者たちを含んでおり、チェチェン共和国の首都グローズヌイが廃墟となるほどの弾圧・殺戮を潜り抜け、しばしば直接の肉親・友人たちを殺されてきた者たちであることが、異彩を放っています。彼らがシリアやイラクのジハード戦士たちの全体を代表するとは言えませんが、彼らの存在や経験(談)の伝播が、イスラーム国やヌスラ戦線等のゲリラ戦での戦闘能力を高め、「被害者」としての正統性を主張する際の根拠となり、「敵」とされる者たちへの憎しみを昂進させたり、行動の残虐さを高める要因になっているのではないか、と私は推測します。

このあたり、チェチェン系の司令官や兵士が「イスラーム国」やヌスラ戦線の全体にどう影響を与えているのか、常岡さんに意見を聞いてみたかったのですが、今日は時間がなく早々にお暇しました。

1980年代のアフガニスタンでの対ソ連ジハード、それを背景に成立した1990年代のターリバーン政権が、グローバル・ジハードの理念的モデルとなったように、チェチェンでの対ロ・ゲリラの経験者たちは、グローバル・ジハードの集団・組織の現場で、「鬼軍曹」「下士官」のような役割を負い、大量の素人を集めた集団の訓練・統率の一つの鍵となっているのではないか・・・などと推測しています。

アル=カーイダなどのイスラーム主義過激派は、しばしば「アメリカが作った」「欧米の植民地支配の遺産が云々」と言われるのですが、普通に考えたら、「ソ連がアフガニスタンに侵攻しなければこんなことは起きていない」のです。当たり前のことなのですが、このことはほとんど言われません。

このあたり、冷戦思考で東側陣営あるいは反西側陣営に立つ人たち(欧米側とロシア側の双方)が、都合よく忘れてしまっています。まあ、アメリカを批判しているとカッコいいからね。

「世間でよく言われていること」が正しいわけではない。

旧ソ連もロシアも政権批判が許されない社会であるのに対して、米国や西欧は(実際に悪いことも数知れずしてきましたが)、悪いことをしたと自社会の中から批判できるリベラルな社会であるがゆえに、グローバルにはこのような非対称的な言説空間が生まれます。

アメリカ人「アメリカは自由だ。なぜならば、ホワイトハウスの前で米大統領の悪口を言えるからだ」
ロシア人「ロシアは自由だ。なぜならば、クレムリンの前で米大統領の悪口を言えるからだ」

というジョークは、深い所で今も意味を持っているのです。

もちろんアメリカやイギリスのメディアがいつも正しいか、公平か、といえば疑問があるでしょう。

しかし原則として「中立・公平でなければならない」という規範が成立している社会と、「そんなもん中立・公平であるわけないだろう(byプーチン)」が原則である社会とは異なります。

そしてその両者の社会が国際社会では関係しあっているので、相互関係は対照的ではなく、言説に歪みが生じます。

プーチンは、「チェチェンは弾圧したよ。何が悪い」「ウクライナ政府は東部親ロシア派を弾圧するな。当然だろ」と、本来であれば同時に言えないことを、平気で言えるのです。なぜならば、誰もロシアにリベラルな規範や論理的一貫性を期待していないから。一貫しているのは「俺はやりたいようにやる」という身も蓋もない国家意思です。

プーチンはまさに、首相⇒大統領代行⇒大統領と出世する過程で、特にチェチェン対策で功績を挙げて台頭した人です。プーチン個人の出世だけでなく、エリツィン時代の自由化と民主化、それに伴った社会の混乱、そしてチェチェンなど分離派の挑戦と領土の喪失の危機を、旧KGBを中心とした治安・諜報関係者が権力を取り戻して、再びロシアを非民主的・非自由主義的体制へと戻しながら乗り越えていく大きな流れの中で、チェチェン問題は重要な位置を占めています。

大雑把にいうと、「チェチェンのジハード」を弾圧するという口実の元に、ロシアを再び強権国家に戻した、という面がかなりあります。もちろんこれだけが原因ではなかったのですが。治安・強権国家に戻す際にチェチェン問題は非常に大きな意味を持っていた、ということです。

現在、ユーラシアの地域大国として冷戦後秩序への現状変更を迫るロシアの存在には、根底でチェチェン紛争とそれに対応する中での権力構造・体制の変質があり、他方でチェチェン紛争は今度は中東での第一次世界大戦以来の国際秩序の変更を迫る「イスラーム国」にも影響を与えている・・・そのような国際問題の連鎖を見ておきたいものです。