【日めくり古典】もっと、モーゲンソー『国際政治』ですが。。。

政治とイデオロギーの関係についての続き。よっぽどこれに頭を悩ませているらしい。


モーゲンソー『国際政治(上)――権力と平和』(岩波文庫)

「まず、これらのイデオロギーは、特定個人の偽善の偶然の産物ではないということである。そのようなものなら、対外問題を立派に処理させるために、もっと誠実な別の人にそれを委ねてしまえばすむはずである。フランクリン・D・ルーズヴェルトやチャーチルの対外政策の虚偽性をあばくことに最も口やかましかった反対派の人びとが、ひとたび対外問題を処理する責任を負わされると、こんどは彼ら自身イデオロギーによる偽装を利用して支持者たちを驚かしたものである。政治舞台の行動主体が、自己の行動の直接目標を隠すのにイデオロギーを利用せざるをえなくなるのは、まさしく政治の本質である。」(高柳先男翻訳分担、原彬久監訳、上巻、226頁)

ありますね、これ。他人を口を極めて罵倒する人たちが、自分たち自身がイデオロギーの虜であるという場合。問題をある政治家の人格や思想に還元してしまうことが問題であるだけでなく、そのような批判をする人たち自身が無自覚にもっと難のある人格や思想をむき出しにしていたりする。

これに続く部分が重要です。

「政治行為の直接目標は権力であり、そして政治権力は人の心と行動に及ぼす力である。だが、他者の権力の客体として予定された人びとも、彼ら自身、他者に対する権力の獲得の意図をもっているのである。こうして、政治舞台の行動主体は、つねに、予定された主人であると同時に、予定された従者なのである。彼は他者に対する権力を求めるが、他者も彼に対する権力を求めるのである。」(同頁)

批判のための批判が正しい、とする開き直りの姿勢は、近代国家の市民は、「主人」であり「従者」でもあるということを、忘れているのです。