思い立ったら新書−−–−1月20日に『イスラーム国の衝撃』が文藝春秋から刊行されます

11月末に、思うところあって、「イスラーム国」について新書を急いで書くことにしました。それ以来、海外出張なども挟んで、実質的な執筆時間が極めて少なかったのですが、奇跡的に完成。昨日までに校正・再校も済ませ、完全に著者の手を離れました。

タイトルは『イスラーム国の衝撃』と決まりました。1月20日に発売です。

当初『イスラーム国の思想と行動』としていたのですが、それでは最近の新書としては固すぎますね。編集部にあっさりスルーされてこうなりました。

まあ確かに、今回は「衝撃」でいいでしょう。私自身が6月の「イスラーム国」の台頭に際して執筆した『中央公論』への寄稿でこのタイトルを使いましたし。

もちろん今頃になって「衝撃だ衝撃だ」と騒いでいる本ではなく、思想史的に、あるいは中東地域研究や国際政治学の視点で、どのようにこの「衝撃」が生じたのか、どの意味で衝撃的なのか、分析したものです。「正しく驚く」ことによって、驚きすぎない、実態以上に騒がないようになる効果もあると思います。

それにしても、この本を出すと決めてから1ヶ月で校了してしまったわけで、自分でもこの1ヶ月の展開が信じられません。

「特別対応で緊急出版してくれるならきちんとしたものを書く」という強硬な条件をつけて依頼を引き受けた手前、「やっぱ書き終わりませんでした〜」と言うわけにはいきません。書き手としての信頼に関わりますので。

そもそも最近の新書という出版媒体の運用実態については多大な疑問を持っており、折に触れ機会があるとその疑問を記してきました。正直に言って、「こんな媒体なら書きたくない」と思ってしまうことの方がここ数年は強くあり、軒並み依頼を断っていました。

それでもなお新書を出す気になったのはなぜか。

それは、読んでみて判断して欲しいのですが、私の考える「あるべき新書」の姿を、「イスラーム国」というテーマで、このタイミングで出せば、現在の新書の「スピード」という(ほぼ唯一の)利点を、悪い意味での「お手軽」にはならずに、活かせると思ったからです。

ここ数年の論文や寄稿は、直接的に「イスラーム国」に至る過程を扱っていたものですし、6月以降は、非常に多くの場所で講演・報告を行ってきました。ですので「イスラーム国」については私なりの枠組みに基づいた全体像の意味づけと、分析概念と、結論や見通しがありますので、日々の情報アップデートさえしておけば、講演などに呼ばれてもほとんど枠組みや理論については準備する必要がなく、「席に座って時計が動き始めると自動的に話し始める」ような状態になっていました。そのような普段話していることをそのまま本にしておこう、というのが今回の本の趣旨です。

そして、このテーマで出すならすぐに出さないと効果が出ない。私の出す本自体は時間をかけて調べて考えてきたことですが、このテーマが出版上持つ意味は「イスラーム国便乗本」にさらに便乗するものであることは、客観的には否定できないことなので、便乗本なら便乗本らしい時期に出さないといけません。また便乗本の渦の中に消えてしまっては意味がありません。ただし質を落とす気はありません。

すぐに出して、きちんとした本作りをしてかつ、かつ便乗本市場で私の本を溺れさせずに売ってくれそうな出版社と編集者、と考えたときに、いろいろな偶然もあって、文藝春秋が浮上しました。

「不適切な媒体に、不用意なことは書かない」と決めることは、自分が手を汚さないという意味ではいいのですが、そうすると、どうしてもそのテーマについて知りたい人は、往々にしてもっともっと不適切なものに依拠するしか選択肢がなくなってしまいます。そうであれば、私が考える適切な文献を、得られる最適の経路で市場に出しておくことには、それなりに意義があると考えました。

新書の最近のあり方を批判しているのは、新書には本来もっと良い使い道があると思っているからです(たとえばちくま新書にはちくま新書の使い道がありますし、それを維持している面があると思います)。本来のあるべき新書の水準を提起する実例を示して見せることができるのであれば、他の積もった仕事を一月遅らせてでもやってみる価値がある(あるいは待ってもらっている編集者にも顔向けが可能)ではないか、と思った次第です。

中東政治・思想史の両方からの、ここ数年の研究成果を踏まえ、寄せ集めではなく全面的に書き改めて一冊の本にしました。最近の基準では単行本に相当する以上の内容が新書に詰め込んであると考えてください。

たくさん売れると、私にはそれほど利益はありませんが(単価が安いですから)、今後私が出す本が安くなる、というメリットがあります。本の値段は基本的に部数で決まります。

学術書が高いのは、内容に元手が沢山かかっているからではなく(かかっている場合が多いですが)、単に部数が少ないから一部あたりの値段が高くなっているだけです。各社の会議で、営業は「この著者は何部売れるのか」を問題にします。それに応じて部数が決まり価格が決まります。売れないとみなされた著者の本は高くなりより一層売れなくなる、という循環があります。

別にベストセラーになる必要はなくて、この本が1万5000部ぐらい出れば、私が近く出すことになっている本などはそれに応じて学術書としてはかなり多めの部数に設定してもらえますから、学術書にしては安価に出すことができます。

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