トルコのシリア北部に対する政策は1991年のイラク北部に対するものとそっくり

トルコ国会は10月2日(木)にシリアとイラクへ軍の越境攻撃を認める決議を採択した

これによってエルドアン大統領・ダウトウル首相の現政権はシリア・イラク情勢に軍事的に対処するためのフリーハンドを得たことになる。

米主導のイラクとシリアでの「対イスラーム国」への空爆にトルコが参加を渋ってきたことはすでに書いた。空爆に参加しないだけでなく、NATOに提供してきたインジルリク空軍基地の使用をこの件に関しては拒否した。

それではこの決議で、トルコの立場は変わったのだろうか?

おそらくそうではない。その後の閣僚の発言や軍の実際の動きを見ても、トルコの立場は変わっていない。

シリアとイラクへの軍事介入を一つの選択肢として承認したことは、自動的に米主導の軍事行動に参加することを意味しない。軍事行動はとるかもしれないが、手段も目標も米が湾岸産油国とヨルダンを従えて行なっている軍事行動とは異なるものとなるだろう。なぜならば、トルコが考える介入の目的と、アメリカの介入の目的が食い違っているからだ。

そのことはシリアのアサド政権も当然分かっていて、米が実際にシリアを空爆してもなんら阻止する手立てを講じておらず、事実上受け入れている(シリアの親分イランのローハーニー大統領がこれに苦言を呈していたりする)のに対して、トルコ国会が武力行使を承認しただけで強く反発している

先日書いたように、トルコはシリア領内での「安全地帯」設置を掲げている。今回の決議も、「安全地帯」構想を実現するための手段としての軍事行動を承認したものと考えていいだろう。「安全地帯」構想は、シリアの領土の実質上の分割と、北部がトルコの実質的な勢力圏に入ることを意味し、アサド政権の長期的な排除を意味する。

米国のシリアでの軍事行動の目的は「イスラーム国」の抑制と破壊のみである。それに対してトルコは国境を接し、国境を超えた住民のつながりや経済圏を有するがゆえに、シリアをめぐる国益はもっと複雑であり、単に「テロリストを空爆する」というだけの政策では受け入れられない。「イスラーム国」が手が付けられないほどに伸長するのは困るが、イスラーム国だけを攻撃しても問題は解決しないとする立場だ。

トルコとしては、アサド政権が統治できなくなったシリア北部でクルド人武装勢力が伸長し、トルコ領内のクルド人の反政府武装勢力PKKと一体化することを恐れている。押し寄せてくる難民は経済的・社会的負担を招くだけでなく、武装勢力・不安分子の侵入をもたらしかねない。クルド人難民がシリアに戻って「イスラーム国」やアサド政権と戦うならともかく、トルコのクルド武装勢力に合流してトルコ政府と戦いかねないのである。「イスラーム国」に対抗する地上部隊勢力を育成するという形で、欧米やイランがシリアのクルド人武装勢力に武器を提供する動きに、トルコは神経をとがらせている。シリア北部のクルド人勢力の中で台頭している武装勢力YPG(人民保護部隊)はPKKとの関係がささやかれる。「イスラーム国」対策に供給した武器は、その武器はやがてトルコに向けられかねない。

また、YPGはアサド政権と決別したわけではない。アサド政権が存続すれば、政権の手先としてトルコ側にクルド独立闘争を仕掛けてきかねない。イランの属国となったシリア・アサド政権がクルド人勢力を手先にして国境越しに攪乱工作を仕掛けてくる、というのはトルコにとって耐えがたい。

こういった複雑な事情を抱えているトルコにとって、「テロの脅威がある」といって「イスラーム国」だけ破壊して米国が去れば、極端な話、トルコ・シリア国境がアフガニスタン・パキスタン国境のようになりかねない。

トルコにとっては、欧米が主導してシリア北部に安全地帯を設定し、実際に空軍力でそれを実施するのであれば、トルコも重要な役割を担い、それによって勢力拡大という利益を得たい、というのが原則的な立場だと思われる。

もちろん「同盟国ではないのか」「イスラーム国の伸長を黙認してきたのではないか」という米側からの批判の声が高まるのは避けたいので、若干米の意に沿う形での介入を行うかのような印象を醸し出している様子がないわけではない。決議に際しては、対「イスラーム国」であることを協調しているものの、実態は異なるだろう。

野党のCHP(共和人民党)は、武力行使承認決議は対「イスラーム国」ではなく、対アサド政権だ、と批判しているが、実態としてはそのような側面を含むだろう。

エルドアン政権は軍事行動の選択肢にフリーハンドを得たうえで、「安全地帯」構想を受け入れるよう米に求めて、交渉が続いている模様だ。
“Turkey to sit down at negotiation table with US after mandate vote,” Hurriyet Daily News, Oct. 3, 2014.

アメリカはこれをすぐには受け入れないだろうが、欧米諸国による空爆だけでは「イスラーム国」の攻勢を止められないことが分かってくれば、選択肢の一つに浮上してくるだろう。

これには前例がある。1991年の湾岸戦争の際にも、イラク北部で、現在のシリア北部のように、クルド人難民がトルコ国境に大量に押し寄せる事態が生じた。それに対して当時のオザル大統領は、国境を封鎖し、軍事力でイラク軍とクルド部隊の双方のトルコ側への伸長を阻止したうえで、欧米と協調して、「飛行禁止空域」をイラク北部に設けさせ、現在のクルド自治区(クルド地域政府)の成立の発端を作った。空軍基地の提供などで湾岸戦争の遂行に不可欠の役割を果たす見返りに、国内へのクルド問題の飛び火を阻止するスキームを欧米に受け入れさせ、トルコの勢力圏をイラク内に延伸したと言えよう。トルコの軍事力と地の利を提供して欧米の力と正統性を引き込んで、イラク側にクルド問題を封じ込め、トルコの経済圏として影響下に置いたのである。

上にリンクで示した二つの記事を読んでいると、1991年の話が今の話とほとんど変わりなく感じられる。クルド難民が大量に押し寄せ、トルコが国境地帯に封じ込めようと躍起になっているところとか、状況もそっくり。

おそらく当時のオザル大統領がイラク北部に関してやったことと同様のことを、エルドアン政権はシリア北部について試みようとしているのではないかと思われる。

アサド政権の排除か、それが実現しない間は「安全地帯」のシリア北部への設定が必要、という解決案を示すトルコと、シリア問題への解決案は出さずに、「イスラーム国」のみを対象にした「外科手術」的な介入を行ないたい欧米諸国との立場の隔たりは大きい。

そのため、トルコは当面は「安全地帯」構想を掲げて交渉しつつ、「イスラーム国」とYPGらクルド人武装勢力の「相討ち」による双方の消耗を図る期間が長く続きかねない。必要に応じて、今回の決議で得た越境しての軍事介入の選択肢を限定的に行使しつつ、長期戦で臨むだろう。

これに対してはトルコのクルド武装勢力PKKが反発している。PKKの指導者でトルコの獄中にあるアブドッラー・オジャラン氏は10月1日、シリア北部の国境地帯コバーニーで「イスラーム国」と激しい戦闘を繰り広げているYPGが殲滅させられるようなことがあれば、PKKとトルコ政府との間で進んできた和平プロセスを打ち切ると宣言している。

トルコ(エルドアン政権)・シリア(アサド政権)・クルド武装勢力(PKK/YPG)の3者がトルコ・シリア国境でせめぎ合う中に「イスラーム国」が泳がされている状態だ。

「イスラーム国」の黒旗の由来

イスラーム世界の価値規範と、われわれの世界の価値観で、食い違うところは随所にあります。

もちろん、イスラーム世界一般とは必ずしも常にくくることができず、穏健な一般市民と、過激派の間で同じものを見てもまったく異なる印象を持つ場合はありますが、今回はイスラーム世界一般に、価値規範上、正統とされ高い価値を置かれているシンボルが、事情を知らない日本の一般市民には単に否定的な、邪悪な印象を与えてしまう事例を取り上げてみよう。

この旗を見てください。国際ニュースに注目していた人たちには、すでに見慣れているものと思います。

黒旗_イスラーム国

「イスラーム国」が掲げる旗ですね。この下や上に、「カリフ制イスラーム国」とか、少し前に作ったものでは「イラクとシャームのイスラーム国」と書いてあるものもありますが、基本はこのモチーフです。上の行に白抜きで「アッラー以外に神はなし」と書かれており、その下の白い円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と書いてあります。正確には、

アッラーの
使徒なり
ムハンマドは

というように、アラビア語で下から上に読むと意味が通るような順序で書いてあります。後で書きますが、これには理由があります。

この黒旗は、「イスラーム国」の専売特許なのかというと、そうではありません。

例えば、ソマリアで勢力を持っているイスラーム過激派の「アッシャバーブ(al-Shabaab)」も、2006年ごろから、つまりほぼ「イスラーム国」の前身となる「イラクのイスラーム国」と同時期に、この旗を使うようになっているのが確認されています。

例えばこんな写真があります。

ソマリアのシャバーブの黒旗
出典:Harakat al-Shabab & Somalia’s Clans

大勢の女子生徒の誘拐で有名になった、ナイジェリア北部のボコ・ハラムが公表した映像ですが、

ボコ・ハラムの少女誘拐声明ビデオと黒旗

左後ろを見ると、やはりこの旗が映りこんでいますね。アラビア語が何だか「金釘流」に見えますが・・・

ソマリアのシャバーブの黒旗abc news
出典:abc news

イエメンに拠点を置いている「アラビア半島のアル=カーイダ」も同じ図柄の旗を用いています。

黒旗イエメンのアルカイダ
出典:The Guardian

「そうか、じゃあ黒旗は過激派の旗なんだ」と思った方は、早とちりです。

“Islamic State flag burning ignites controversy in Lebanon,” al-Monitor, September 29, 2014.

この記事にあるように、うっかりと(おそらくは異教徒が)この黒旗を焼いたりなどして、「イスラーム国」への反対を表明しようとすれば、多数のムスリムから強い反発を受け、暴動が起きかねません。

レバノンの法務大臣も、非難声明を出し、裁きを受けることになる、と警告しています。「イスラーム国」に対してではなく、「イスラーム国」の黒旗を焼く運動に対してです。

“Lebanese minister calls for ISIS flag burners to face trial,” Asharq Al-Awsat, 31 August, 2014.

先代のローマ法王が「イスラーム教がジハードの武力の下で拡大した」と発言したら世界中で暴動が起き、少なからぬ人命が失われましたが、同様の事象すら生じかねないものです。

われわれが「黒旗」に持つイメージと、イスラーム世界の宗教的な伝統・価値規範に根差した黒旗へのイメージは全く異なります。

われわれの「黒旗」へのイメージは、おそらく「海賊旗」に代表されるものでしょう。

海賊旗
海賊旗

こんなのもありましたね。

海賊旗(One Piece)
麦わら海賊団(ONE PIECE)

シリアの戦況を示す地図などを情勢分析のために見ますが、各陣営の配置を旗で示している地図がよく出回ります。シリア政府の旗、シリア反政府勢力(自由シリア軍)の旗がいずれも「三色旗」系統の、近代の民族主義・革命にまつわる配色なのに対して、イスラーム主義系統の諸勢力の旗の国旗は目立ちますし、われわれの抱く認識枠組みでは、「海賊」が迫ってきているかのような不穏な印象を与えます。時代劇でもゲームでも、黒旗はたいてい悪者を意味します。

しかしイスラーム教の文脈では、黒旗は、ムハンマドが戦闘で掲げていたものとされ、極めて肯定的な意味を持ちます。

そしてその黒旗に「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白の文言が染め抜かれた、「イスラーム国」らの黒旗は、宗教的に侵すべからざるものとして、政治的な立場に関わらず、多くのイスラーム教徒に受け止められます。ごくごく一部、西欧諸国などで、移民が受け入れ社会の価値観に順応していることを示すために、無理をしてこの旗をからかったり、稀には破いて見せりしますが、むしろその周りで多くのイスラーム教徒を疎外し、憤らせ、かえってテロに向かわせているかもしれません。

これは非常に厄介な問題です。こうすればいい、という解決策はありません。「ある」と言い放っている人たちは、むしろかえって問題をこじらせる側の一部ではないかと思います。たとえ善意や思い込みであっても。

イラクとシリアでの「イスラーム国」の主体や、その制圧した領域の統治のあり方を伝えてくれる写真・映像は、彼ら自身が出してくる宣伝映像を除けば、きわめて限られています。

非常に多く用いられるのが、これでしょう。

黒旗_イスラーム国のラッカ
出典:Reuters/msn news

黒旗を掲げるだけでなく、おどろおどろしい目出し帽をかぶっている、ということで、われわれの目には非常に不気味に恐ろしく感じますね。

しかし次の写真はどうでしょうか。これもまた、欧米の主要メディアでよく用いられている写真です。

黒旗ラッカの若者戦車の上
出典:Reuters/msn news

スポーツ選手が勝利の喜びを表現しているような、爽やかないい顔をしている、とつい思ってしまった人もいるのではないでしょうか。欧米のメディアでは、特に記事の内容が肯定的・否定的であるのには関係なく、これとそれに類似した写真が使われます。単純に「欧米のメディアはイスラーム国を一方的に敵視してイメージ操作をしている」などと、一部の日本の「ものの分かった」風の人が言っているようなことは当たらないことが分かるはずです。

こんな写真もあります。頭の軽そうなお兄ちゃんたちが黒旗を振って走り回っていますね。サッカーのどこかのチームのサポーターかフーリガンでもあるかのようです。

黒旗ラッカのバイク若者
出典:Reuters/msn news

これらの写真はいずれも今年6月のラッカで撮られたとみられるものです。

「イスラーム国」は6月にイラク北部で急激に支配地域を拡大し、同時にシリア東部ラッカでの支配を固めた。このころラッカで「イスラーム国」の戦闘員たちの写真が多く撮影され、ロイターなど国際メディアに渡りました。その後外部からのアクセスが困難になり、住民の行動が制約されたとみられることから、あまり情報が出てきていません。

6月には「イスラーム国」はラッカで戦利品の戦車やミサイルなどを引き出して堂々とパレードをやっていました。シリアのアサド政権もまったくこれに手を付けずに放置していたのです。

黒旗ラッカのパレード
出典:Reuters/msn news

黒旗ラッカ6月戦車と若者
出典:Reuters/msn news

先ほど掲げた「いい顔」してる若者の写真もこういった場面で撮影されたようです。

黒旗を原型にした、県のマークなども作られて、中心広場に塗られました。

黒旗ラッカの広場
出典:Reuters/msn news

黒旗ラッカの県庁
出典:Reuters/msn news

黒旗というのは、もともとムハンマドが戦闘で掲げていたとされることから正統性があり、イスラーム史上の歴代の政権が用いてきました。

また、終末論的にも黒旗は象徴です。世界の終わりが近づくと、東の方角、ホラサーン地方から黒旗を掲げたマフディー(救世主)の軍勢が現れて現世の邪悪な勢力を打倒す、という趣旨のムハンマドのものとされるハディース(発言の伝承)が広く知られています。そこからも現在のジハード主義者たちが、自らが「世直し」の運動であるという自覚と主張を強めるために黒旗を用いるのでしょう。なかなか抵抗しがたい、またイスラーム教徒を引きつけ易いシンボルなのです。

そして、白地の円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、下から上に書いてある特徴的なロゴにも、宗教的な意味があります。

ムハンマドは読み書きができなかった、ということはイスラーム教徒の側が誇らしげに語るところです。文字すら解さなかったムハンマドだからこそ、その口から伝えられた啓示は神の言葉であるに違いないと「論証」するのです。

イスラーム教団が強大化し支配地域を広げると、ムハンマドは教祖であるだけでなく政治指導者となり、軍事司令官となりました。家臣に命令を出したり、外国の君主に宣教・宣戦布告の書を送りつけたりする機会が出てくる。そのようなとき、側近が文章を書き、ムハンマドはそれに印章を押しました。

そのいくつかが現存しています(と信じられています)。

例えばこれ。エジプトのムカウキスという統治者あるいは知事に宛てて送ったとされる親書です。

ムハンマドのムカウキスへの親書
出典:Wikipedia

右下に丸い印章が押されているのが見えますね。この印影を図案化したものは広く出回っています。「イスラーム国」をはじめとして、黒旗を振る人たちは、このモチーフを使って、自らの軍勢を「官軍」と主張しているのです。これはシンボル操作としてかなり効果的です。少なくともこの旗そのものにイスラーム教徒であれば誰も正面から異を唱えられないからです。この旗を冒涜したと非難されるような言動をなせば、厳しい社会的制裁を覚悟しなければならない。

単にこの図案がカッコいいから用いたのか、というとそうでもなくて、深い意味があります。

この印章が押された現存するムハンマドの親書には、いずれも周辺諸国の君主・統治者に、イスラーム教に改宗してムハンマドの支配する国家の元に下れ、と呼びかけたものです。コーランの第3章64節を引用するのが通例です。コーラン第3章64節のうちこの部分です。

言ってやるがいい。「啓典の民よ,わたしたちとあなたがたとの間の共通のことば(の下)に来なさい。わたしたちはアッラーにだけ仕え,何ものをもかれに列しない。またわたしたちはアッラーを差し置いて,外のものを主として崇ない。」
日本ムスリム協会ホームページ

ムハンマド自身が、周辺の諸国の統治者に向けて宣教を行ない、その後従わない者たちを討伐していった。その事績を想いおこし、自らを奮い立たせ、人々を従わせるか少なくとも恐れさせる。そのような心理的効果をムハンマドの印章は持ちます。

日本で言えば「水戸黄門の印籠」のようなものです(ちょっと軽すぎますが)。

円の中に、なぜ

アッラーの
使徒なり
ムハンマドは

という順で書かれているかというと、歴史上残っているムハンマドの印章でそのような順で記されているので、そのまま用いているのです。ムハンマドの事跡は絶対的に正しいとされるのですから。

ムハンマドの印章指輪2
このような

ムハンマドの印章指輪1
指輪にして

ムハンマドの印章指輪3
封蝋を押していたとされます。

エジプトでも、ムバーラク政権崩壊後に、タハリール広場に黒旗を掲げた集団が現れたことがあります。

エジプトタハリール広場の黒旗
出典:MEMRI

「アラブの春」後に活動を活発化させた「アンサール・シャリーア(啓示法の護持者たち)」を名乗る各国の集団は盛んに黒旗を用いるようになっています。ムハンマドの印章のモチーフが入っているものを用いる場合と、そうでない場合がありますが、その違いが思想の違いに由来するのか、あまり関係ない単なるデザインなのか、私はまだ判定できていません。

なお、「アンサール(護持者)」とは、ムハンマドがメッカから一度「ヒジュラ(聖遷)」してメディナに移った際に、ムハンマドらを受け入れて助けた「護持者」たちのことを言います。

これらの集団のアル=カーイダの中枢組織あるいは各地のアル=カーイダや「イスラーム国」との関係はまちまちで、共鳴して傘下に入ると申し出る場合もあれば、そうでない場合もあります。これらのシンボルはアル=カーイダや「イスラーム国」の専有物ではないので、勝手に用いても誰も文句を言わないのです。

リビアでは現在激しい戦闘が続き、「アンサール・シャリーア」がベンガジを制圧して「イスラームのアミール国」を宣言してします。イエメンにもアンサール・シャリーアを名乗る集団は出てきています。

ここはチュニジアのアンサール・シャリーアの写真を見てみましょう。

チュニジアのアンサール・シャリーアと黒旗
出典:Magharebia

なお、ムハンマドは白旗も用いていたという伝承もあるので、同じ図柄で白黒を反転させて白旗を掲げていることもあります。例えばこれ(チュニジアのアンサール・シャリーアの記者会見)。黒旗はal-Uqabやal-Ra’yaと呼ばれ、それとは別にal-Liwa’と呼ばれる軍旗(隊ごとに掲げる旗)の白旗があるという具合に、用語を使い分ける傾向があるようですが、素材や使い方などの詳細は私にはよく分かりません。
チュニジアのアンサール・シャリーアの黒旗・白旗
出典:Nawaat

ムハンマドの印章が入っていない、黒地に白で信仰告白「アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」のみを記した旗であれば、もっと前から、諸勢力によって90年代にはすでに広く使われていました。

有名なのはこの場面。

ビン・ラーディンと黒旗

この有名な写真は、1998年の会見の際に撮影されたとみられ、パキスタン人ジャーナリストが撮影したものであるようです

引いてみるとこんな感じ。

黒旗ビンラーディンとザワーヒリー1998年

黒地に文字だけのこのヴァージョンは、もっと広範に広がっています。図柄とその意味は歴史や宗教テキストに由来すると言えども、近年にその政治的意味を定め、多くの組織が用いるようになった転換点は、いつ頃、誰によってもたらされたのか。そこにムハンマドの印章を加えて今の大流行の図柄に仕上げたのは誰なのか。

もう少し調べてみたいと思っています。

【断然】ちくま新書の一冊を選ぶなら『もてない男』だ~忙中閑あり~

一本原稿が終わったので、次の仕事に出かける前の一瞬の間にエントリを一本載せるか。

「ちくま新書の創刊20周年記念「私が選ぶ一冊」 ちくま新書ブックガイド」に短文を寄せました。(この頃に書いていた

無料のパンフレットです。大きな書店に行くと置いてあるかもしれない。9月に出ているからもうなくなっている可能性もあるが、しかしいろいろイベントとかやっているからまだあるだろ。

編集部のアンケートに答えて、いろんな人が【例1】【例2】、自分にとっての「ちくま新書の一冊」を挙げるという企画。

私が選んだのは──

小谷野敦『もてない男』(1999年)

でした──


Kindle版も出てるらしい。

「一冊選ぶ」というのはけっこう難しい。絶対評価でどの本が一位なんてことはあり得ないのだから、基準を設定して、それに照らしてこれが良い、と書いていくのが筋だろう。評者のそれぞれの基準のセンスと審美眼が問われる・・・という訳でこういうアンケートはけっこう鬼門なのです。無視してしまうのが一番かも。そうはせずに編集部の挑戦に答えた116人がそれぞれの理由で「一冊」を挙げている。パラパラめくっているとなかなか面白い。

私は五十音順で父と叔父に挟まれておりまして、手堅い地味な研究者らしく、一冊選ぶ際の基準と定義から入っている。

「新書の利点は、①学識深い研究者による入門、②新進の学者が新説・問題作をあえて世に問う、のどちらかである場合に、もっとも生かされると思う」

という基準を私が勝手に置いて、その基準からすると、①と②を両方備えた本として、『もてない男』が最適なんじゃないの?

一般論として新書はこういうもの、といった具合のことを書いていますが、含意は「ちくま新書」はこういう方面に利点があって、それがもっとも生かされている本はどれかな?と議論しているわけでがあります。「新書の一冊」ではなく「ちくま新書の一冊」なのだからね。そういう意味でちくま新書らしい「一冊」はこれだよね、というところに話が合う編集者とは仕事がしやすい。

もっと簡単に、まったく唐突に「ちくま新書で一冊だけ思い出すタイトルは?」と聞かれたらどの本を思い浮かべるか?

多くのおじさん本読みにとってはこれじゃないのか。意外に他の人が挙げていないな。正直に答えなさい。

さらに実は「一冊」というのも有意な指標でもある。これが「10冊」だったらどうか。そこには学術的な意義や完成度の相対評価とか、あるいはすごく売れて影響力があるといった数値的な要素も、そしてどの分野に何冊を振り分けるかといったバランス感覚、政治的判断も加味されてくるだろう。

場合によっては、「一冊」なら選ぶ本を、「10冊」なら選ばないかもしれない。いえいえその小谷野先生の本はベスト10でももちろん入れますよお願いしますよどうかひとつよろしくそれは。

~アンケートに答えて図書カード3000円貰いました~

『週刊エコノミスト』の読書日記は、いったい何のために書いているのか、について

『週刊エコノミスト』に連載の読書日記、第5回が発売になりました。

池内恵「帰省して「封建遺制」を超えた祖父の書棚へ」『週刊エコノミスト』10月7日号(9月29日発売)、67頁

エコノミスト2014年10月7日号

今回はちょっと私的なことを書いてみました。紀行文風ですが、実際には今後ゆっくり書いていきたいことの種を方々に仕込んであります。かつての日本の学問と「養子」という制度の関係とか、明示的ではないのだけれども、私的なところを出発点に、地下茎のように伸ばしていきたいテーマがあります。直接的には9月の連休に、祖母のいる金沢に久しぶりに帰った際に見たものや読んだものを扱っているのですが、本当はいくつかの発展させたいテーマについての布石です。

『週刊エコノミスト』の「読書日記」欄は、連載と言っても5人の執筆者が順に担当するので、5号に1回廻ってくる私の回を続き物として認識している人は、このブログを丹念に読んでくれている人だけだろう。

5回目になって、どうやら節目のようなので、この連載(私の回だけの「続き物」としての)で何をやろうとしているのか、改めて書いてみよう。

本人の意識としては、壮大なパズルの小さな小さなピースを一個ずつ、各所に置き始めた段階なので、自分以外には全体像は見えないと思う。

まずこれまでの連載を列挙して振り返ってみたい。ブログで毎回告知してきたので、エントリへのリンクを付しておこう。

(-1)読書日記の連載を始めます(週刊『エコノミスト』)

4月1日に、今年度の決意のような形で、この連載の趣旨を書いておいた。多くはここですでに書いてある。連載が始まる前に、カウントダウンのように2回予告のエントリがある。

4月1日のエントリでは、書評(あるいは読書日記)という、日本の新聞・雑誌に確立した様式・制度から、非常に逸脱したものを意図していることを記してある。

以下要点を《 》内に再録してみよう。

まず、「書評はもうやりたくない」と書いてある。

《『書物の運命』に収録した一連の書評を書いた後は、書評からは基本的には遠ざかっていた。たまに単発で書評の依頼が来て書くこともあったけれども、積極的にはやる気が起きず、お断りすることもあった。たしか書評の連載のご依頼を熱心にいただいたこともあったと思うが、丁寧に、強くお断りした。》

その理由はいろいろ書いておいたが、一番の理由はこれ。

《新書レーベルが乱立して内容の薄い本が乱造され、「本はタイトルが9割」と言わんばかりの編集がまかりとおる出版界の、新刊本の売れ行きを助けるための新聞・雑誌書評というシステムの片棒を担ぐのは労力の無駄と感じることも多かった。なので、書評は基本的にやらない、という姿勢できた。》

それでは何故今回やる気になったかというと、次のような条件を出してもなお編集部が呑んでくれたからです。

《「新刊本を取り上げるとは限らない。その時々の状況の中で読む意義が出てきた過去の本を取り上げることも読書日記の主要な課題とする。さらに、読書日記であるからには、外国語のものや、インターネット上で無料で読めるシンクタンクのレポートやブログのような媒体の方を実際には多く読んでいるのだから、それらも含めて書く。その上でなお読む価値のあるものが、日本語の、書店で売られている、あるいはインターネット書店で買うことができる書物の中にあるかどうか検討して、あれば取り上げる」。》

これは、日本の出版慣行・制度から見ると、とんでもないことを言っています。

まず「新刊を取り上げる義務はない」。

これは出版業界では、不穏・不遜な発言です。

新聞・雑誌など商業出版での書評という制度は、基本的に「新刊」を取り上げることに、経済的な意義があります。書評で取り上げられた本を取次が積極的に本屋に卸し、本屋は良い場所に並べる。そうすると売れる。自治体の図書館も、購入する際に書評を参考にする。

新刊でないものを取り上げると、在庫がなかったり、取り寄せるのに時間がかかったりして、本屋で目立つところに置かれるまでにタイムラグが出るので、あまり効果がない。

書評欄がある新聞・雑誌には、出版社は新刊を無料で送ってきたりして便宜を図る。書評欄が充実している新聞・雑誌には出版社は本の広告も出す。そうやって新聞・雑誌と出版社の間の持ちつ持たれつの関係ができ、取次や本屋や自治体図書館を含めた商売のサイクルができる。

書評の書き手とは、そういう商売のサイクルの一端を担っているのです。純然たる商行為の歯車である、というところは否めません。

その立場を拒否する「新刊は取り上げないかもよ」という条件は、「じゃ連載は止めてください」と言われても仕方がないものです。

逆に私から言えば、現在の新聞・雑誌の媒体で、報酬面なども含めて、従来型の制度の末端の「歯車」としての書評の書き手になるインセンティブがあるかというと、全然ありません。

ですので、まず「新刊本でなくてもいい」という条件は、譲れないものです。なんでたいしたことがない本を苦労して紹介しなければならないのか。その時間があれば他のことに頭を絞れます。

しかしそれだけにとどまらず、上記の引用を見ていただきたいのですが、私は「日本語の本でなくてもいい」という条件を付けています。

これは日本の出版業界では、もはや宇宙人のような発言です。

出版の技術として多言語対応が困難であるだけでなく、言語の壁は、日本の新聞・雑誌・出版の世界を守る非関税障壁のようなものです。

しかし英語での世界の議論がまるで存在しないかのようにふるまえる日本の言論空間・知的社会教育の行き詰まりと限界は、言語で守られたメディア・出版業界が固定化してきたものでもあり、書評欄という制度もそれを支える一つの部分でありました。その意味で、日本の言論をましなものにするには、多言語空間へのインターフェースを作る必要があります。別に日本人同士が英語でやり取りしなくていいですが、英語圏で先進的な知見については、タイムラグなく同期していける仕組みが必要です。

しかし読書日記で、あるテーマを取り上げ、「これについては日本語では読むべき本がないので、英語で最新の○○、シンクタンクの報告書××を紹介します」と書いた場合、英語の本はすぐに読みたければアマゾンで注文するでしょう。いっそアマゾンの電子書籍を買ってダウンロードしてしまうかもしれません。英語圏のシンクタンクの報告書はほぼタダでダウンロードできます。

そうなると、この書評によって、日本の出版社にも、取次にも、本屋にも(あと著者にも)、一円もお金が落ちません。税金すらおそらくほとんど日本政府に入らないでしょう。

そうなると、日本の国民経済を死守する立場からは、そのような書評は、おおげさに言うと、「非国民」扱いをされかねないものです。

しかし、国民の知的水準の向上という意味では、この書評には公益性があります。日本の非関税・言語障壁で遮られた空間で、一流でない知的産物を国民が売りつけられて消費している場合と、最先端のものを外国語であれ苦心して求めて摂取している場合とで、どちらの国民が文化的に進んでいるでしょうか。後者でしょう。

出版やメディアが「単なる商売ではない=何らかの公益性がある」とみなすならば、必要なときは後者の経路を可能にする、積極的に支えるものでなければなりません。それを排除するカルテルを結んだりするのであれば、その業界は公益性のない、単なる私益・利権集団ということになります。そういうものがあってもかまいませんが、税制優遇とか、規制による保護とか、かつて行われた政府資産の優先的払下げ割り当てとか、再考しないといけない面が出てくるでしょうね(ギラリ)。

英語の本を紹介しても日本の企業に一円もお金が落ちない、という状況は、そもそも洋書を取り扱う日本の書店が長くカルテルを結び、もっぱらの書い手であった大学に対して法外なレート換算で売りつけ、それを買わざるを得ないようにする役所の書類制度に守られてきたからです。そこに安住している間にアマゾン黒船がやってきて、個人で洋書を買いたい人向けに便利で安価なシステムを提供し、新たな市場を開拓したうえで独占してしまいました。誰が悪いかというと、まあ税金払わないようなシステムを作るアマゾンも悪いですが、カルテルを結んで役所と結託していた洋書屋さん業界がより悪いのです。品揃えも悪く持ってくるのも遅く高い、というどうしようもないものだったのですから。

ですので、そういった業界のしがらみは気にせず、外国語の本もこの読書案内では紹介する。本屋さんは洋書の読書案内を見て洋書コーナーを充実させればいいじゃないですか。それをせずに、「日本語の本を紹介しないこのコーナーは駄目だ」と出版社・本屋が言って、編集部が「そうでございます。これからは日本語の本を書評させますからどうかひとつその」とか言って何か言ってくるようになったら、私としては執筆する意味はなくなります。

もちろん本当は日本語の本を紹介したいんですよ。でも、あるテーマについて、今最も適切な本を示す、という最低の基準は維持しなければならない。単に日本語の市場に出ているから宣伝します、ということをやらないといけないのであれば、あのそれは非常に純然たる商行為ですから、現在の日本の原稿料相場では私は書けませんよ。絶対やらない、とは言わないが「要相談」という別の話になってしまう(=やりませんよ)。

(0)『エコノミスト』読書日記の第1回の発売日は4月28日(5月6日号)

さて、このようにすでに本質的なところは書いてしまっていたのだが、連載第1回の前にもう一度告知した。私の初回の発売日が1週違っていたから。原稿の締め切りからタイムラグがあるんですな。それがウェブ媒体に慣れた現在ではもう想像できなくなっている。報道記事はぎりぎりまで締め切りを延ばすのだろうけど、連載の文化欄は早めに原稿を取っておくというのが新聞・雑誌業界の慣行。でも私の場合は書評でも時事問題を絡めたりするので、あんまりタイムラグがあると書きにくいという問題はある。まあなんとかなるが。

このように現存の制度の「悪いところ」をいろいろ書いてしまいましたが、わざわざ時間と労力を使って読書日記の企画に踏み出そうとするのですから、もっと肯定的な目標があるのです。英語圏の議論やウェブのコンテンツにも視野を広げた読書日記の新企画を、あえて日本語の経済週刊誌の紙の媒体でやるというのも、考えがあってのことです。

まず、文章技術としては、制約がある方が面白い。

従来型の新聞・雑誌の書評・読書日記を、日本語の新刊本についてやるだけなら、流れ作業のようなものです。そこではもう能力の発達は望めない。面白い本に巡り合うよりも、無理に推薦する労働の苦痛ばかりが降ってくるでしょう。

また、逆に、ウェブで書くなら、多言語だろうがリンクだろうが自由自在に貼れます。好きな本も選べます。しかしウェブの媒体であれば読んでくれる人は、すでに「こちら側」にいる人です。リンクを踏んで英語や、やむを得ない場合はアラビア語などに飛んで行かされても苦にしない人が読んでいるのです。

それに対して、紙の媒体をなおも手にしてくれる人は、ある意味得難く、貴重です。ウェブや英語にはなかなか行かないけれども、紙の本には自然にすぐに目を移してくれる人たちなのです。そうであれば、必然的な制約があっても、紙の媒体で英語にもウェブにも架橋する場所をもし作れれば、そういった読者がさらに知見を積んで、より高度な内容を本に求めるようになるかもしれない。そうなって初めて、書き手として、あるいは読み手・買い手として、より心地よい空間が生まれてくるかもしれない。

誇大妄想気味にこのような課題を設定して、連載に向かいました。

(1)読書日記1「本屋本」を読んでみる『エコノミスト』5月6・13日合併号

さて、前置きが長くてやっとたどり着いた連載第1回ですが、ここでは本屋賛歌。

モノとしての本と本屋に、どのような利点があるのか。これについて数多の「本屋本」からセレクトして、

福嶋聡『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)
内沼晋太郎『本の逆襲』(朝日出版社)

を選びました。

いずれも、紙の本と本屋を絶対視していない。ウェブに面白いものはいくらでも転がっており、本屋でも新刊本屋と古本屋の両方の選択肢があり、図書館と言う選択肢もあり、という前提の上で、あえてなお紙の本と本屋にはどんな意義があるのか、積極的に問い直してみる。前向きの本です。

(2)週刊エコノミストの読書日記(第2回)~新書を考える

しかし第2回は暗転。実際にそこいらの本屋に行ってみると、読みたい本にたどり着けない。ジャンクフードのような刹那的な本が溢れている。だから、この回は良い本を推薦するという形式ではない。ジャンクフードのジャンクフードたるゆえんはどのような本に現われているか。

だいたい日本の書評の慣行は、批判してはいけないというものです。新聞の書評などでは、特にその縛りがあります。なぜって、すでに書きましたが、商売の歯車だからです。良いものを売れるように一肌脱ぐのは大歓迎ですが、良くないものまでなんで宣伝しないといけないのか、さっぱり分からない。いえ、ぶっちゃけた話、「新聞に書評書いてると、知名度上がりますよ、本も送ってくるようになりますよ」というのが誰も言わないけど過酷な労働条件を呑ませるために提示された給付の暗黙のリストの中に入っているのですが、実態としてこの効果はもはや疑わしい。ちゃんとした文章ならブログで書いている方が効果はあるんじゃないかな。誰を相手に書くかにもよるけど。

まあしかしジャンクフード紹介、では読書日記欄がすさむので、ちょうどその時、別件で頼まれていた、ちくま新書のリストを全部見て1冊お気に入りを紹介という仕事を流用して、リストを見たら載っているこんなにいい本、という趣旨で新書の良書を列挙しておいた。これについてはまた別のところで書こう。

(3)読書日記の第3回は、モノとしての本の儚さと強さ

第3回は、今度は電子書籍論。ただし、電子書籍のパラドクス。

肝心な時に肝心な本が手に入らない。国際情勢が激変して、ウクライナ問題とか、「イスラーム国」とか、想像もしないことが生じたときに、粗製乱造の解説本は出るかもしれないが、本当のことをずっと前に書いていたような本は、絶版・品切れで市場のどこにもなかったりする。

じゃ、全ての本が電子書籍でも出ていれば、手に入らなくなる可能性もないよね?

でもよく考えてみるとそうでもない可能性があります。

人はなぜモノとしての本を買うのか。前提として、「買っておかないとなくなってしまうから」というものがあります。紙の本は、モノである以上、可能性としては水に濡れたり火にくべてしまえば損壊・消滅しますし、売れてしまえば市場になくなる。高価な学術書になると、もともとの部数が少なく、高いので専門家にしか売れないとなると増版もされない。

逆に言えば、だからこそ買っておくわけです。

電子書籍もあるから必要な時が来たらいつでも買えるよ、ということになると紙の本は買わなくなるでしょう。そして、電子書籍も結局買わない。なぜならば、「必要な時」が認識されるような本はごく稀だから。

だったら本って、出なくなりますよね・・・・

(4)週刊エコノミストの読書日記(第4回)学術出版の論理は欧米と日本でこんなに違う

じゃあどうしたらいいんだ、と考えるときに、参考になるのが英語圏の学術出版。学界・大学出版・大学図書館というトライアングルが強固に出来上がっていて、そこで書き手の質が維持され、出版社への利益が確保され、必要な読み手によるアクセスが保障される。必要な読み手とは必ずしも世間一般の読者ではない。大学院生を含めた専門家です。

一般読者の選好を基本的に意識せずに本を作り、売り、届けることができる英語圏のシステムは、一定の規模の学術出版の世界を成立させると共に、社会に知を広めるのにも役割を負っています。ただし、一般読者が単に興味を持って読みたい、という時にフレンドリーかと言うと、そうではないでしょう。一定のディシプリンを身につけていないと読み解けないようなルールの下に本が書かれ、大学院に所属していればどの本もほぼ借り出せるし、大学のアカウントからオンラインで読める場合もある。その対価・使用料が著者や大学出版に入る仕組みになっている。

日本がすべて真似しなければいけないわけでもないし、真似もできないだろうけれども、専門的な出版の質と規模を確保するためには、現存する最も高度な仕組みであることは確かだ。そこから漏れる部分もあるけれども。

逆に、日本の場合は、学術出版も多くの場合は商業出版社が行っているから、どうしても消費者の意向(と編集者やら「営業」や、一般的に上の方にいるおじさんたちが「消費者の意向」と信じているもの)に左右されがちだ。もちろん博士論文を出版した、というような固いものもあるけれど、それではその次に本当に出版として意味のあるものを書いて出せるかというと、多くの学者がそのような「書き手」になるには至らない。義務としての最低限の出版をしてからは、出版の世界から退出してしまう。確かに、純然たる商業出版の要請に応えるタイプの芸を持っている人は少ないし、分野によってはまったくお呼びがかからない。学術出版のもっと自立したサイクルがあれば、その中で切磋琢磨して着実に書いていけそうな人たちはいるのだけれども。

そのため、商業出版の要請に応える才覚というか軽率さのある一部の書き手が、新書を中心に膨大な量を生産することになる。そこには、学術的知見をタイムリーに要領よくまとめてくれて刺激になるものもあるが、「もう少し考えればもっといい本になったんじゃないの?」「よく知らないことについて書かない方がいいんじゃないの?」と言いたくなるものが大半だ。要するに、話題になってから急ごしらえで本を作る。それに対応できる、してしまう一部の人だけが請け負って、劣悪な労働条件で商業出版のライターの役割を果たすわけである。日本の学術的知見の多くは、実際には商業出版によって消費者動向に従って出版される。

このような日米の学術出版を対比するのには、日本を「需要牽引型」で、米国を「供給推進型」ととらえるといいのではないか?と普段一部の研究者や編集者との与太話で提案している学説をここで活字にしてしまった。

* * *

さて、こんな感じで、大きなパズルの各所に、最初の小さなピースをいくつか置いてみた、というのが連載の現状。そこで今回は別方向に、自分のルーツをたどるという趣向で、市場の商品、制度の産物という側面とは別の、パーソナルな部分での本との結びつきについて、発端を書いてみた。自分の事ばかり書くのは好きではないので、めったにこの話題には戻ってこないけれども、これまでに公の場で全く書いていないいろいろなことがある。そのうち色々書いてみたい。

今後どうなるんでしょうね。どういう形であれ、連載の依頼を受けたことで刺激を受けて始めてしまった、新しい形の読書論、ゆっくり育てていこうと思っています。

なお、この連載は『週刊エコノミスト』の電子版を契約していただいても読めません。毎日新聞社が提示してくるデジタル版の契約条件が私の基準と合わないので、承諾していないのです。ですので、もし連載が今後も続いて、ご関心がある方は、刊行された週に、本屋でお買い求めください。

私の電子出版に関する基準はいろいろありますが、儲けようとかいうことではなく、「そのやり方で、出版は成長しますか?市場は開拓されますか?本当に考えてやっていますか?」ということを第一に考えたうえで判断している。

大前提は、連載の第3回で書いたことに関わります。「いつでも買えるなら、今週出たものを今買うインセンティブはなくなる」。そして、ウェブ雑誌の形ではなく紙の雑誌のそのままのフォーマットでしかデジタル版が提供されていない場合は、要するに「バックナンバーを買う」のと同様になるのです。実際には、バックナンバーを買う人はあまりいないでしょう。それにもかかわらず、デジタル契約を許諾してしまうと、半永久的に電子版複製の権利が出版社に保持される。かえって流通を阻害します。

紙版はその点良いのですね。なぜならば、モノとしての本・雑誌は、抱え込んでいるとお金がかかるから、やがて絶版になるか、あるいは売り切ってなくなる。出版社の権利とは出版をし続ける義務を伴いますから、絶版・品切れになれば出版社側の権利はほぼ消滅する。作品は、少なくともテキスト部分は、自由に新しい道を歩み出せるのです。電子データは保存するコストが極小なために(そもそも実際に一部ずつ売れるまでは、「存在しない」のだから)、有用な売り方を出版社が知恵を絞って考えたり、もう売れないから絶版にするという判断をするといった労力を省かせ、かえって作品が塩漬けになる可能性があります。