NHK「深読み」の後記(3)石油の密輸ってどうやるの

本日の「NHK 週刊ニュース深読み」の後記(3)。これでおしまい。

「イスラーム国」の資金はどうなっているの?という話で、当初は「サウジアラビアなどの裕福な個人が喜捨をして支援したので資金が潤沢だ」という話が多かった。そうであれば、サウジアラビア政府などがもっと締め付ければ資金は枯渇するとも考えられる。また、サウジ何やってるんだ、という批判にも結び付く。

しかしこれはかなり昔の話で、シリアでアサド政権が反対派を弾圧している、義勇兵を送れ、という話でアラブ世界が盛り上がった当初の時代。

最近は、イスラーム国や競合する諸武装集団は欧米人の人質を取って、莫大な身代金を取ったり、イラク政府軍が潰走して残された豊富な武器・物資を手に入れたり、掌握した街で略奪や銀行資金を押さえたりで、独自の資金源を得てしまい、外部の支援に頼っていない、という見方が有力になっている。

その中でも、シリアの東部で油田を押さえて、それを密輸するルートを確保してしまっている、というのが大きい。またイラクでも油田や製油所を押さえて、原油あるいはある程度精製した形でも密輸しているのではないかと見られる。

シリアは大規模な産油国ではないが、「イスラーム国」のような「国」と言っても究極の「小さな政府」でしかない存在にとっては、細々とした小規模の油田からの収入だけでも、自らを維持するのには十分だろう。武器とか弾薬とかは敵から「戦利品」として略奪してしまうわけだし(中世のイスラーム法学書で戦利品についてばっちり規定してあるので全然悪いと思っていないんだろうな)。

NHKの番組では常岡さんが「石油を大量のポリタンクに詰めて筏に乗せて川を下っていくのを目撃した」といった貴重な証言をしてくださっていた(正確な発言はビデオを見ないと再現できないので、外出先からの今は記憶で)。

朝の番組なので、私も「それは原始的ですね」とか応じてしまったが、その後に言ったように、もっと多くの量がタンカートラック(タンクローリーというのかな日本では)で輸送されているはずで、そうでもなければ今言われているような規模の収入にはならないのではないか。もちろん末端での運搬や分配では最終的にはポリタンクが使われているのだろうけど。

こういう現場の証言は臨場感がありたいへん貴重なので聞かせていただけると嬉しいのだが、同時に、活字派の私としては通常、全体の大まかなデータから考えている。

例えばニューヨーク・タイムズの1週間ほど前の報道では、シリアのイスラーム国からトルコへの石油の密輸を取り締まれと米国が言っているのだが、トルコ政府は腰が重い、という。これをトルコの英字紙Today’s Zaman(現政権と対立している宗教団体ギュレン運動が傘下に収めた新聞)が引いて報じている。

“Struggling to Starve ISIS of Oil Revenue, U.S. Seeks Assistance From Turkey,” The New York Times, September 13, 2014.

“Report: US unable to persuade Turkey to cut off ISIL’s oil revenue,” Today’s Zaman, September 14, 2014.

NYTでは、次のような数字が挙げられていますね。
“The territory ISIS controls in Iraq alone is currently producing anywhere from 25,000 to 40,000 barrels of oil a day, which can fetch a minimum of $1.2 million on the black market,”

“Some estimates have placed the daily income ISIS derives from oil sales at $2 million, though American officials are skeptical it is that high.”

一番目の数字、25,000バレル/日から40,000バレル/日、というのも幅が広いが、それが闇市場で少なくとも120万ドルに値するそうなので、これが正しいとすると、1バレル30ドルから48ドルぐらいで売っているということになる。最近の原油の国際市場が1バレル100ドル以上と考えると、半額から7割引きぐらいして売っているのですね。こうなると禁止されても買う人は出てくるでしょう。

イラクやリビアやシリアといった国の混乱に際しての教訓の一つは、「意外に、どんなに混乱しても原油は市場に出てくるものだ」というものでしょう。中東情勢の混乱というと、反射的に「⇒原油産出・輸送の途絶⇒品薄・高騰」といった議論が出ますが、じっと見ていると、そうではないのですね。

それに、経済学的な発想では、産油国の諸政府が安定して、相互関係も良好で、カルテルを結んでしまうという状況の方が原油が高くなるのであって、「混乱」していて民兵集団が乱立して油井を押さえたりしている時はむしろ、筋の悪い商品を無理をして売ろうとするので、叩き売りになると見た方が良い。何よりも、カルテルが形成できない。本来あるべき姿よりも効率悪く産出・流通させることになるので、産出量が増えたりはしないが、細々とどこからか、間接的には市場に出てくる。直接国際市場には売れないが、隣国とかに売って、隣国は正規の石油を売りに出す。

もちろん、湾岸産油国全体を支配する「大イスラーム国」ができたりすると、石油兵器を発動したりするのかもしれませんが・・・・しかしそれはもし万が一あっても遥かにずっと先の話でしょう。

しかし日量25,000~40,000バレルをポリタンクで運ぶのは無理なので、基本はタンカートラックで運んでいるのでしょう。米軍は今のところこのタンカートラックへの空爆は行っていない、とNYTでは報じられていますが、トルコからシリアを経てサウジアラビアに至る(ちょっとエジプトをかすめたりもする)あのあたりのトラック輸送ルートは基本的にトルコ人のアラビア語もしゃべる人たちが押さえていると、私も体験上感じていますので、シリア領内で空爆してもおそらくトルコ人運転手が死ぬ。トルコの政府と社会を敵に回しては対イスラーム国の戦略が成り立たないので、アメリカも今のところ攻撃で阻止するのは控えて、トルコに何とかしてほしいと言っているのでしょう。

6月には、トルコ軍がハタイ県でタンカートラックを破壊して密輸を阻止したという報道がありましたが、徹底はされていないのでしょう。

タンカー・トラックによる密輸というのは、例えば湾岸戦争後のサダム・フセイン政権に課された経済制裁・石油輸出禁止を潜って、ヨルダンへ密輸されているのを私も見たことがあります。ヨルダンからタクシーを借りて深夜にイラクへ越境した時に、暗闇に目を凝らすと、道端に点々と停まっている巨大なタンカートラックのシルエットが浮かび上がってきた。密輸がバレないようにか、あるいは単に怖いもの知らずなのか、路肩に停止していても明かりも反射板もつけていない。暗闇でもしタンカーに衝突したらおしまいだよ、と運転手に言われて、すごく怖かった覚えがあります。

もちろんヨルダン人のタクシーの運転手も酒やらたばこやら密輸していましたが。連れて行ってくださった女性のNGO活動家は目ざとく、「あの運転手はイラクからの帰りに身なりがよくなってシャツもアイロンが効いている。あちら側に現地妻がいるに違いない」とピーンと来ておられました。なるほど。国境超えると本妻の追及が及ばない・・・シリアとイラクのイスラーム国だ。

・・・・イラク北部のクルド人地域からは、イラク中央政府の禁止を破ってトルコやイランに密輸されており、色々な映像があります。

イラク(クルド)⇒イランの密輸の光景を垣間見られる報道を二つほど挙げておきます。

(1)動画で、タンカー・トラックが並んでいますね。
“Tanker trucks line up on North Iraq-Iran border,” al-Jazeera English, 5 Feb, 2011.

(2)タイム誌が何枚も写真を載せてくれている。こちらはポリタンク方式。
“Smuggling Between Iran and Iraq,” Time, (出版日付不詳)

今日はマニアックなことをいろいろ思い出して記してしまった。おやすみなさい。

NHK「深読み」の後記(2)モースルの総領事館員らトルコの人質が全員解放された

土曜日朝の「NHK 週刊ニュース深読み」で話していたことの続報(2)。

対「イスラーム国」で周辺諸国の足並みがそろわない理由として、トルコについては「イスラーム国のモースル制圧の際に、トルコ総領事館員ら49人を人質に取ったままである」点が常岡さんより言及されていましたが、ちょうどこの日、現地トルコの時間で早朝、人質が全員解放されたようです。

これはかなり大きなニュースです。
“Turkey says hostages held by ISIL are free,” Today’s Zaman, September 20, 2014.

“PM DAVUTOĞLU: TURKISH HOSTAGES SEIZED BY ISIS FREED,” Daily Sabah, September 20, 2014.

“First details emerging of Turkey’s rescue of 49 hostages from ISIL,” Hurriyet Daily News, September 20, 2014.

“101 days of captivity end for 49 captives after intel agency operation,” Hurriyet Daily News, September 20, 2014.

“As it happened: Turkey’s 49 hostages freed in MİT operation, says President Erdoğan,”Hurriyet Daily News, September 20, 2014.

人質たちはすでにトルコのシャンルウルファに移送されたようです。サイクス・ピコ協定ではフランス勢力圏のシリアに含まれていたのが、トルコ共和国の独立戦争でフランスから取り戻した都市のひとつ、旧ウルファですね。これについては「トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)」(2014/08/30)のエントリを参照。

6月11日に人質に取られて以来、これまで表面上は行方も知れなかったので、どこに隠されていたのか、どうやって解放させたのか、なぜこの時期に?など大いに関心を引きますが、それよりもなお、専門家の念頭に浮かんでくるのは、「トルコは今後どうするのだろう?」ということでしょう。

というのは、「トルコのエルドアン政権はイスラーム国への介入をやりたがっていない」というのは周知の事実だからである。これまで「人質取られているから」というのを消極姿勢・非協力の口実にしていたのが、それがなくなってしまうとどうなるのか?あるいはこれはトルコの政策変化の結果なのか、あるいは政策変化をもたらすのか?あるいはトルコにおかまいなしにアメリカが軍事介入を深めるきっかけなのか?など、人質略取と解放そのものよりも、波及や背景が気になります。

トルコはシリアへのジハード義勇兵の越境や資金の流れについては制限するようになっているが、米国が期待する地上軍を含めた戦闘部隊の派遣や、米国の「イスラーム国」空爆への空軍基地の提供を拒否している。ウォール・ストリート・ジャーナルなどは「トルコはもはや同盟国ではない」と気勢を上げている

そんな中でのトルコ人人質全員が一度に解放されたことには、なんだか唐突感がある。そして、今、「イスラーム国」とそれへの対処をめぐるあらゆるニュースに、この「不審な感じ」がどことなくある。その由来が何かは突き止められないのだけれども。

「イスラーム国」への対処という形で、限定的と言いながら、いつの間にか再び大規模な戦争状態に陥りかねない、誰がどこで糸を引いているのか分からない、不透明な現状への疑心暗鬼が募る。

NHK「深読み」の後記(1)チェチェン紛争のグローバル・ジハードへの影響はもっと知られていい

今朝のNHK総合「週刊ニュース深読み」に出演しました。

ご意見・ご感想募集だそうです。

ご一緒したジャーナリストの常岡浩介さんは、チェチェンの独立闘争ジハードを取材した経験から、現在シリアに流入しているチェチェン系のジハード戦士(ムジャーヒディーン)のつながりを持ち、その結果ヌスラ戦線や「イスラーム国」の内部を垣間見ることができる数少ない日本人ジャーナリストです。

チェチェン系のジハード戦士は、ヨルダン・チュニジア・サウジアラビアなど近隣アラブ諸国から、あるいは欧米の移民コミュニティからやってくる者たちと比べると、数はそれほど多くないとみられます。先日紹介した、シリアとイラクに流入する外国人戦士に関するEconomistのとりまとめでも186名となっています。数自体は正確ではないかもしれませんが、チュニジア(3000名)、サウジアラビア(2500名)、ヨルダン(2089名)といった人数との比較で、相対的な規模が分かるでしょう。

しかしアラブ諸国や西欧諸国からやってくる若者たちは、戦闘経験もなく、しばしば単にインターネット情報を見て「冒険・夢・ヒロイズム」を求めてやってきてしまうのに対し、チェチェン系の場合は、ロシアとの軍事闘争の末に政治難民化して傭兵化した者たちを含んでおり、チェチェン共和国の首都グローズヌイが廃墟となるほどの弾圧・殺戮を潜り抜け、しばしば直接の肉親・友人たちを殺されてきた者たちであることが、異彩を放っています。彼らがシリアやイラクのジハード戦士たちの全体を代表するとは言えませんが、彼らの存在や経験(談)の伝播が、イスラーム国やヌスラ戦線等のゲリラ戦での戦闘能力を高め、「被害者」としての正統性を主張する際の根拠となり、「敵」とされる者たちへの憎しみを昂進させたり、行動の残虐さを高める要因になっているのではないか、と私は推測します。

このあたり、チェチェン系の司令官や兵士が「イスラーム国」やヌスラ戦線の全体にどう影響を与えているのか、常岡さんに意見を聞いてみたかったのですが、今日は時間がなく早々にお暇しました。

1980年代のアフガニスタンでの対ソ連ジハード、それを背景に成立した1990年代のターリバーン政権が、グローバル・ジハードの理念的モデルとなったように、チェチェンでの対ロ・ゲリラの経験者たちは、グローバル・ジハードの集団・組織の現場で、「鬼軍曹」「下士官」のような役割を負い、大量の素人を集めた集団の訓練・統率の一つの鍵となっているのではないか・・・などと推測しています。

アル=カーイダなどのイスラーム主義過激派は、しばしば「アメリカが作った」「欧米の植民地支配の遺産が云々」と言われるのですが、普通に考えたら、「ソ連がアフガニスタンに侵攻しなければこんなことは起きていない」のです。当たり前のことなのですが、このことはほとんど言われません。

このあたり、冷戦思考で東側陣営あるいは反西側陣営に立つ人たち(欧米側とロシア側の双方)が、都合よく忘れてしまっています。まあ、アメリカを批判しているとカッコいいからね。

「世間でよく言われていること」が正しいわけではない。

旧ソ連もロシアも政権批判が許されない社会であるのに対して、米国や西欧は(実際に悪いことも数知れずしてきましたが)、悪いことをしたと自社会の中から批判できるリベラルな社会であるがゆえに、グローバルにはこのような非対称的な言説空間が生まれます。

アメリカ人「アメリカは自由だ。なぜならば、ホワイトハウスの前で米大統領の悪口を言えるからだ」
ロシア人「ロシアは自由だ。なぜならば、クレムリンの前で米大統領の悪口を言えるからだ」

というジョークは、深い所で今も意味を持っているのです。

もちろんアメリカやイギリスのメディアがいつも正しいか、公平か、といえば疑問があるでしょう。

しかし原則として「中立・公平でなければならない」という規範が成立している社会と、「そんなもん中立・公平であるわけないだろう(byプーチン)」が原則である社会とは異なります。

そしてその両者の社会が国際社会では関係しあっているので、相互関係は対照的ではなく、言説に歪みが生じます。

プーチンは、「チェチェンは弾圧したよ。何が悪い」「ウクライナ政府は東部親ロシア派を弾圧するな。当然だろ」と、本来であれば同時に言えないことを、平気で言えるのです。なぜならば、誰もロシアにリベラルな規範や論理的一貫性を期待していないから。一貫しているのは「俺はやりたいようにやる」という身も蓋もない国家意思です。

プーチンはまさに、首相⇒大統領代行⇒大統領と出世する過程で、特にチェチェン対策で功績を挙げて台頭した人です。プーチン個人の出世だけでなく、エリツィン時代の自由化と民主化、それに伴った社会の混乱、そしてチェチェンなど分離派の挑戦と領土の喪失の危機を、旧KGBを中心とした治安・諜報関係者が権力を取り戻して、再びロシアを非民主的・非自由主義的体制へと戻しながら乗り越えていく大きな流れの中で、チェチェン問題は重要な位置を占めています。

大雑把にいうと、「チェチェンのジハード」を弾圧するという口実の元に、ロシアを再び強権国家に戻した、という面がかなりあります。もちろんこれだけが原因ではなかったのですが。治安・強権国家に戻す際にチェチェン問題は非常に大きな意味を持っていた、ということです。

現在、ユーラシアの地域大国として冷戦後秩序への現状変更を迫るロシアの存在には、根底でチェチェン紛争とそれに対応する中での権力構造・体制の変質があり、他方でチェチェン紛争は今度は中東での第一次世界大戦以来の国際秩序の変更を迫る「イスラーム国」にも影響を与えている・・・そのような国際問題の連鎖を見ておきたいものです。