【寄稿】「逃げ切り保守」の時代

告知するのを忘れていましたが、月刊『文藝春秋』に寄稿しました。

池内恵「団塊世代の「逃げ切り保守」」『文藝春秋』 2014年6月号、328-329頁

「安倍総理の「保守」を問う」という「超大型企画」なるものの一部なのですが、「アンケート」ということで400-500字程度の短いものです。私は時数を極力守ったので言葉足らずなのですが、他の人はけっこう長く書いてるよ。ずるいなあ。

だいたいこんな趣旨のことを。字数が足りないので実際にはもっと投げやりな文体になっていますが。

*特定秘密保護法とか、集団的自衛権とかに対する、近年のメディア上の議論はまったく無意味で論点がズレすぎている。

*これは保守思想とかリベラルとかいう問題ではなく、「団塊世代」の不勉強と居直りが原因。

*現在の議論は「俺たちが正しいと思ってきたことを変えるな」と定年退職して暇になった団塊世代が数を頼みに騒いでいるだけ。

*安倍首相は「おじいちゃんっ子」で、実年齢と主観的な世代認識がズレていて、その結果、団塊世代のだらしなさをそれより「上の世代」の目線から成敗する役割を負うことで、結果的に幅広い世代に支持されているのではないか、というのが私の仮説。

安倍首相は、団塊世代に下からやいやい言われ続けて嫌な思いをし続けてきた、(例えば)政治評論家の故三宅久之さんタイプの旧世代に絶大な人気を誇るとともに、団塊ジュニア以下の、逃げ切り・無自覚・身勝手な団塊世代が年金とか国家財政とか安全保障体制とかを食いつぶして居座ることにいい加減我慢ならなくなっている下の世代から、相対的・消極的に支持・黙認されている、というのが大勢ではないかと思う。

だから、安倍首相への支持率は高くても、野党時代の自民党の憲法改正案とかは、復古調過ぎて大勢はまるで支持も関心もない。安倍首相とその取り巻きが、9条ではなく、憲法全体を復古・道徳調で本当に書き直すという動きにもし出れば、下の世代からの支持は一気に引くだろう。

問題は、安倍憎しで凝り固まっているリベラル派の言っていることが、まるでリベラルでないこと。

・・・だってねえ「立憲主義を守れ」という側が、その最大の守り手として「天皇陛下」にすがったり(リベラル・左翼は最低限共和派であってくれないと困ります)、「内閣法制局」に高次の憲法解釈権があると主張してそこから内閣の政治判断を統制しようとしたりするのって(それ最悪の官僚支配だろ。せめて最高裁にしろよ。最高裁判事だって官僚だから不十分なんだが)、日本を一歩出ればもうまーったく説明できませんよ。

集団的自衛権の議論を聞いていると、日本のリベラル派は、天皇親政の官僚支配国家を望んでいる、としか理解できませんよ。外国人にもしそのまま彼らの議論を紹介すると、「その人たちはリベラルじゃなくて、国粋民族主義保守派なのでは?」「いや、でもそういう人たちが戦後の日本ではリベラルと呼ばれているんです」と噛み合わない議論をしなければならんのです。

こういった議論が日本では、政界や学界やメディアでなぜか通用しているという事実は、ある国のある歴史的環境において生じた近代史上に稀な逸脱思想史として、興味深い分析対象となると思いますが、こういうことを対象化すると学界・メディアで村八分になるので誰も言い出せない、考えることすらできない構造があります。

すさまじい同調圧力の中で、その場その場でふさわしいことを言った人が生き残る、というのでは思想は育たないよな・・・しかもそれがリベラル陣営なんだから。まあ保守派もひどいけどね。しかし同調圧力かけて異論を持つ奴は村八分にしてボスが予算と発表の場を支配して思想的ヘゲモニーを維持しようとする「リベラル」ってなんなんだ・・・グラムシが生きていて日本語を解したらなんと言うでしょうか。

摩訶不思議な日本思想の逸脱を、結局日本の学者は「ムラ」の中にいるから対象化できず、そのうち英語で外国の学者が分析して外国の大学出版社とかから出してそれがスタンダードになるんだろうな・・・

しかしこういう不利な状況だからこそ、「出過ぎた杭」になって日本の思想状況を相対化するような論者が出てくると、一気に頭角を現せると思うのだけど、そういう人いないかなあ。