今日の一枚。
(出典:イギリスのナショナル・アーカイブに入っている地図で写真が広く出回っていますが、ここではウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事から。“Would New Borders Mean Less Conflict in the Middle East?,” The Wall Street Journal, April 10, 2015.)
有名な英・仏のサイクス=ピコ協定は、実際にはロシアとイタリアの同意も得たものでした。その部分を黄色と緑で書き加えた地図です。土台になる地図は有名なサイクス=ピコ協定のものと同じ”A Map of Turkey in Asia”ですね。
中東の第一次世界大戦前後について「英・仏」にのみ注目すると、中東国際政治の力学を忘れてしまいます。
英・仏のサイクス=ピコ協定を、ロシアは以前から主張していた、アナトリア東部のアルメニア人が多いエリアの支配と、そして何よりも、イスタンブルとその周辺のボスフォラス海峡・ダーダネルス両海峡の支配を認めさせることを引き換えに、承認しています。
イタリアも、現在はギリシア領のエーゲ海・地中海沿岸諸島の一部を領有していたのですが、対岸のアナトリア半島の領有をも主張したのですね。「サン・ジャン・ド・モーリアンヌ協定」などとも言われます。この本の索引を見ると、いちおう触れられています。
おそらくアフリカについては英・仏による分割、直線の国境線による切り分け、というものが主たる動因で決定的な意味を持ったと理解していいのでしょうが、中東の場合、ロシアの南下政策によるクリミアや黒海沿岸の征服とイスタンブルと両海峡地域への進出、また後にはオーストリアのバルカン半島への進出、またドイツの中東進出があり、それに対する英・仏が中心となった西欧列強の勢力均衡を基調とする「東方問題」の外交が関与したというところが基本構図です。
その基本構図を知っておいてこそ、現在の中東情勢も奥行きを持って見ることができます。
ああ地図っていいですね。