「サイクス=ピコ協定から百年」は日本で「ニュース」になりうるのか

5月16日(月)のNHKBS1「国際報道2016」の特集「サイクス=ピコ協定締結から100年」(特集がほぼそのままウェブサイトの「特集ダイジェスト」コーナーで活字になっています)で、サイクス=ピコ協定をどう適切に理解して、中東の現在の理解につなげていくか、について解説しました。

国際報道2016特集コメント

その冒頭では、近刊の新潮選書『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の表紙が映し出されました。

国際報道2016新潮選書写真
(「本を映し出したテレビ画面を撮影した写真」という若干珍しい構図)

公共放送NHKとしては珍しいことなのではないかと思います。

関西方面の放送局の政治社会バラエティ番組では(旧「たかじん」系をはじめとして)何かとゲストが最近出した本、はたまた司会者までが最近出した本を、やおら懐から取り出して宣伝するのがお約束になっていますが、NHKではあまりそういうことは目にしません。また、今回も、あくまでも本の宣伝ではなく「このテーマで本が出る」ことがあたかも「ニュース」の一部であるかのような形式での言及でした。「新潮社」と言った企業名への言及もありませんでした。

何でこのようなことになったのか、打ち合わせなどから私が推測したところを書いてみます。

まず、「池内がゴリ押しして近刊の広告をさせた」ということは全くありません。私としては、印刷・製本中でまだ見本も手元に来ていない段階ですので、番組中に本が紹介されることなど想像もしておりませんでした。打ち合わせで何回もやり取りをして番組構成・議論内容が固まった後で、先方から「本を番組で映させて欲しい」との依頼があって、慌てて表紙と造本見本を手配しました。表紙カバーは出来上がっていますが、本体は印刷中のものを抜いてくるわけにはいかず、本の型と厚みだけを示した白紙のものです。当日、担当の編集者Tさんが届けに来てくれました。

ましてや「池内が番組の特集自体を企画して放送させた」などということはありえません。私の本は、ある遠大な意図があって、願わくばシリーズ化しようと考えている企画の第一弾として、ちょうどサイクス=ピコ協定から百周年が来る月ということもあるし、ということでこのテーマに設定しました。

NHKの方でも、当然ですが中東に関与したことがある記者やディレクターはサイクス=ピコ協定というネタがいわば「鉄板」であることは理解しており、百周年の当日が放送日なのだから特集をやりたいという案は以前からあったようです。しかし、「歴史」なのであまり動く映像がない。また、海外放送局からニュースを抜粋してきて編集するというNHKBS1の得意のやり方も、「百周年」となると、当日のBBCとかアル・ジャジーラとかが何を報じるかは事前に分からないから、特集として事前に準備できない。外国の放送局が大々的に報じた後なら、それらをザッピングして報じるという手が使えるのですが、今回はやりにくいのです。

そして何よりも、日本の視聴者がこのテーマを重要であると受け止めるかどうかが分からない。世界史の教科書には載っているけれども、多くの人は忘れてしまっているだろう。また、それが百周年だからといって、例えばその日に無効になるとかそういった変化はないわけだし、セレモニーなどが行われるわけでもない。新資料が発掘されたわけでもない。これが特集に値するニュースなのだ、ということを視聴者に、そしてそのような視聴者の反応を気にする局内を説得することが、意外に困難であったと思われます。

政治学的には「官僚制意思決定モデル」みたいなものを想定すると分かりやすい。

テレビ番組というものはものすごい沢山の人間が関わって作っています。現場にいる人だけでもすごい数です。それだけでなく「ある番組であるテーマで特集をやって何を伝える」ことを決定して実行して、さらにそれを評価して次に繋げるまでには、現場にいない人も含めて、非常に多くの人が関与し、何層にもわたる組織的意思決定過程を介します。

おそらく「サイクス=ピコ協定締結百周年」という特集テーマは、局内の、番組の関係者の一部で温められていたけれども、本当にこの日の特集にしていいかどうか組織的意思決定の材料の決定打を欠いていたのではないでしょうか。そこに「池内の本が(というよりも正確には「このテーマで本が」)出る」という「事実」が判明したことで、前に進んだ、少なくとも進むきっかけを私の本が与えたのではないか、と私は想像します。それもあって、冒頭でなぜか私の本が「ニュース」のように紹介されたのでしょう。「耳慣れない話題かもしれないけれど、この話題について一冊本が書かれるぐらいのテーマなんですよ」ということを示すためにですね。

私としては、このような動きは望むところでもあります。というのは、そもそも、この本を出版する意図、あるいはこの本を第一弾とする新潮選書の「中東ブックレット」(と私が勝手に名付けている)シリーズを発足させる意図の一つは、メディア向けに、中東に関する話題のテーマについて、知っておくべきこと、筋の通った論理、適切な論点を、若干込み入っていて今時の分かりやすい入門書では省かれるかより分かりやすくまとめられてしまうところまで立ち入りつつ、薄めの一冊にまとめておく、というものであったからです。

要するに、ある問題が話題になった時に、個別に一から説明している時間がとても取れないので、話題になりそうなテーマについてはあらかじめブックレット程度の規模で一冊まとめておいて「これを読んでください」と言えるようにしておきたかったのです。

そうしたら早速そういう需要があった、というかむしろ、本を出したことでそのような需要の創出に多少力を貸したことになったような雰囲気でした。

ただし英語圏では、この話題は鉄板ネタであって、5月16日に多くの特集番組や記事が公開されています。

また、昨年あたりからこの話題については本屋に平積みになる本が何冊も出ていますし、そもそも2014年6月の「イスラーム国」の台頭以来、幾度となく「サイクス=ピコ協定」と結びつけた議論・論争が、いろいろな立場から提起されています。

そういった記事をまたこの欄で紹介していくことにしましょう。