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『イスラーム国の衝撃』の目次を昨日公開しましたが、イントロダクション的な部分を今回は紹介しておきましょう。
英語圏の学術書ですと、イントロダクションの章はホームページ上で公開してあることも多くあります。
英語圏の論文・学術書の書き方は厳格(あるいはやや単調)で、イントロダクションで前提や仮説や検証方法や結論が全部書いてあります。その上で各章で、仮説をさらに細かく示したり、論証の手法の妥当性を論じたり、データを長々と引いてきたりして、結論を出すわけです。で、結論の章にイントロダクションの内容とほとんど同じことがまた要約されていて、結論に至る。
こういう書き方ですので、イントロダクションを読むだけでかなり内容が想像できます。学問的文法を知っていれば、本を買う前に内容をかなり理解した上で、買うかどうかを判断できるのです。
今回の私の本は、新書という「ペーパーバック書き下ろし」というべき、英語圏ではあまりない形式の媒体です。ですので英語圏のイントロダクションにあたるものがそのままこの本にあるわけではありません。
ただし、冒頭の「第1章」の末尾に、イントロダクションに当たるものをつけ、「むすびに」で改めて全体像を短くまとめておきました。
今回はその「イントロダクション」と「まとめ」に当たる部分から一部を抜き出して紹介しておきましょう。
これらは本書の全体像を概念的に示したもので、いわば「骨ガラ」です。この概念的な枠組みの中で、歴史や思想理論や組織論や、それらに基づく「イスラーム国」や先進国のジハード主義者の行動などが肉付けされていくのです。
概念的な全体像についてのイントロ・まとめは、一般向けということもあり非常にシンプルな論理にまとめてありますので、全体がこんなに無味乾燥だったらどうしよう、と思う読者もいるかもしれませんが、実際に読んでいただくと、歴史的な展開の叙述があり、思想史の諸概念やメディア表象の解読があり、「衝撃」的な現象の描写がありといった形で「山あり谷あり」に、一般書として読みやすくしてあります。
しかし概念的な全体枠組みを知っておくと、各部分にどのような意味があってそこに書かれているのかが、とらえやすくなると思います。すでに本を手にとっていらっしゃる方も、骨組みの部分を踏まえて各章を読んでいっていただくと、大航海の中の羅針盤のような役割を果たすのではないかと思っています。
(1)「第1章」より29−31頁
何がイスラーム国をもたらしたのか
いったいなぜ「イスラーム国」は、急速に伸張を遂げたのだろうか。どのようにして広範囲の領域を支配するに至ったのだろうか。その勢力の発生と拡大の背後にはどのような歴史と政治的経緯があるのか。斬首や奴隷制を誇示する主張と行動の背景にはどのような思想やイデオロギーがあるのだろうか。本書が取り組むのはこれらの課題である。
「イスラーム国」の伸張には、大きく見て二つの異なる要因が作用していると筆者は考えている。一つは思想的要因であり、もう一つは政治的要因である。
思想的要因とは、ジハード主義の思想と運動の拡大・発展の結果、世界規模のグローバル・ジハードの運動が成立したことである。グローバル化や情報通信革命に適合した組織論の展開の結果として、近年にグローバル・ジハードは変貌を遂げていた。「イスラーム国」も、それを背景に生まれてきた。
政治的要因とは、「アラブの春」という未曾有の地域的な政治変動を背景に、各国で中央政府が揺らぎ、地方統治の弛緩が進んだことである。とくにイラクやシリアで、それは著しい。
グローバル・ジハードの進化と拡大が、中東とアラブ世界のリージョナルな社会・政治的動揺と結びつき、イラクとシリアの辺境地域というローカルな場に収斂したことによって、「イスラーム国」の伸張は現実のものとなった。本書では、それらの諸要因を一つ一つ解きほぐしていく。
本書の視角──思想史と政治学
本書は、二つの大きく異なるディシプリン(専門分野)の視点や成果を併用して、「イスラーム国」という現象を見ていくことになる。一つはイスラーム政治思想史であり、特にジハード論の展開である。それらの思想に基づいた社会・政治運動の発展が、「イスラーム国」の組織と主体を形作った。
同時に、思想や運動が現実世界で意味を持つには、有利な環境条件が必要である。現代のアラブ世界には、とくにイラクとシリアの特定の地域には、そのような環境条件が整っている。どのような経緯でそのような環境が整ったのか。これは政治学の分析視角を駆使して解明されるべき課題である。政治学には政治哲学のような規範的なものから、科学を目指した計量数理的なものまで、幅広い分野が含まれるが、ここでは、各国の政治体制の特質を地域研究の知見を踏まえて把握する比較政治学や、各国政治の展開と地域・国際政治の連関をとらえる国際政治学の視点を主に取り入れる。
(2)「むすびに」より(226−227頁)
「イスラーム国」の台頭によって、筆者は、長年取り組んできた二つの分野が一つに融合していく稀な瞬間を目撃することになった。
一つは、イスラーム政治思想史である。とくにジハード主義が国際展開し、9・11事件後に分散型、非集権型のネットワーク的組織構造によって再編されていく過程を追跡してきた。もう一つは、中東の比較政治学と国際関係論である。二〇一一年の「アラブの春」が、アラブ諸国に共通の社会変動をもたらしながら、体制変動は多様に分岐していった。その過程と要因を明らかにするのが、近年の最大の関心事だった。
二つの研究の手法・視点を併用して、思想と政治の両方に取り組んできたのは、両者に相互連関性があると見ていたからだが、「イスラーム国」は、まさに両者の相互連関性を体現した存在である。
イスラーム政治思想史で解析してきたグローバル・ジハードの変容の軌跡が、中東の比較政治学が対象とする中東諸国・国際秩序の変動と交錯し、激しく火花を散らした。それが「イスラーム国」という現象である。