とある学会の年次大会が終了。発表一本とコメント一つを頼まれていたのを何とか終了。いずれも良い勉強になりました。聞きに行ったセッションも大変有益でした。
ところで、明日病院で検査を受けたりで、イラク情勢についてもたくさん書きたいことがあるが書く余裕がない。やはり健康の不安はなくしておかないと良い仕事はできないので、これから発表していくいろいろなタイプの作品のためにも万全の準備ということでいろいろ見直している。
中東政治についても、イスラーム政治思想についても、いろいろ準備している本があるのだけれども、その多くは、完成させて書籍の形で本屋に並ぶまでは具体的にどういうものとは言えない。とはいえ、「アラブ諸国を対象にした政治学的な本」については、それは東大出版会の『UP』で連載していたような方向のものになることは、読んでくれていた人には予想がつくだろう。「イスラーム政治思想」についての本は、このブログでなんどかリストにしてあるような、昨年度に色々な学会誌に発表したグローバル・ジハードを巡るものが中心になりそうだ、ということは自明でしょう。突然研究業績が降って沸くわけではないですから。
イラクとシリアでのISISの伸張というのはまさに、このグローバル・ジハードの思想を実践する人たちが出てきて、実践する環境条件が局地的に存在してきているということなので、研究者としては、自分の研究テーマの存在意義をことさらに主張しないでもいい状況が生じているという点では好都合だが、そのせいで国土が戦乱に陥って人がいっぱい死んだりするのは私の望むところではない。
それに加えて、ずっと取り組んでいるのが、「アラブの春」とその後の展開を、政治学ではなく、人文的な歴史叙述として、どっちかというと物語的に、記しておこうという企画。この企画は、そもそもずっと前に、「2001年の9・11事件から10年である2011年」をめどに、中東に関する大きな歴史書をシリーズで出したい、というご依頼がありました。これは非常に重く、かつやりがいがあるものなので、お引き受けして、それを一つの目標に幅広く資料を集めてきました。
しかしそうしたら、2011年にまさに大変動が起こってしまいました。しかし逆に言えば、2011年を画期として、その後、あるいはそれに至るアラブ近代史を書くことにいっそう意味が出てきたわけです。
歴史書企画の刊行の時期を延期して、2011年そのものの行く末を描くべく、現状分析の積み重ねを、将来の歴史書の執筆の準備作業とも考えて、継続してやってきました。現状分析をする際には単に事実を羅列するわけではなく、視点を明晰にする枠組み・概念が必要なので、そこは政治学やメディア論や(思想史はもちろんのことですが)、これまでかじったさまざまの枠組みを勉強し直して使ってきました。そういった方法論の枠組みから現状を整理する作業は、それだけで著書にしようとしているのですが、最終的には、アラブの春とは何だったのかを総合的に歴史叙述で示してみたいと思っています。
その本を書いているのですが、構想は大きく、紙幅も限りなく、そして現地で状況がどんどん先に進んでいくのでそれも追いかけておかねばならず、完成が伸びています。
しかし、現地の動きが終わらないと本が書き終われない、というのでは、古くなってしまってから本が出て、誰も関心を持たない、ということになりかねません。
「アラブの春」の最初の頃は、すでに記憶の遠くの彼方に、歴史となり始めているようにも思います。そうであれば、今進んでいる事象はそれとして追いかけておきながら、「初めの方」についての歴史叙述はもう発表してしまってもいいのではないか?と思うようになってきました。
そこでですが、もしかすると、「最初の方」つまり、「アラブの春」が、本当に衝撃的で、結構幸福だったころの最初の方から、変転の兆しが見える頃ぐらいまでの、かいつまんだ部分を、ウェブ上でいくつかに分割して発表してみたりするかもしれません。これは出版元・編集者とも相談しないといけませんが。
幸せなことに、この本については、編集者に逐次執筆をサポートしていただいてきたにもかかわらず、「話題になっているうちに急いで出せ」ということを一切言われません。むしろそうではなく、本当に必要な時間をかけて、後に残るものを出しましょう、と幾度も励まされています。
本来必要なだけの準備を必死にしている間に、急造の本が出てしまって、大方の読者はそれで満足してしまう、ということはよくあることであり、それを焦る気持ちがないわけではありませんが、その程度の本で満足する読者は、結局はそれ以上は求めないのだと思っています。
しかし、確かに、そろそろ読みたい、という読者はいるようなので、β版のような、プレビュー版のようなものを、ウェブ上に載せてみようかな、と考え始めています。
このブログでというよりは、少額の逐次の課金が可能な、noteの利用を考えています。
フェイスブックのような友人や仕事上の同僚とのやり取りとは別の、「書き手と読者」という関係でコミットしてもらうために、また全部公開してしまうと版元に悪い、といった理由も多少はあり、一まとまりを読むごとに100円ぐらいポチッと払ってもらうことになるかもしれません。
小さくまとめて出していく形になるので、最終的に出る活字の本とは同じではないですが、本で書いている対象の雰囲気、がウェブを使うことでより鮮明になるのではないかとも思います。「アラブの春」は何よりもウェブ上で世界に発信されたのですから。
また、それとは別に、中東の映画についてのエッセーとか、日本の文芸誌や映画雑誌が商業的理由で取り扱っていないテーマについても書いてみたいですね。このブログで書いてもいいですが、それでは私がダンピングしてしまうことになり市場が成立しない要因にもなっているかもしれないので、まあ一応本当に読みたい人だけが読めるようにnoteで最低限の課金で書いてみてもいいかなと思います。
そんなわけで、そのうち人知れずポロっとnote上にアラブの歴史物語や、中東の映像文化論などが載っているかもしれません。