【日めくり地図】アフガニスタンのターリバーンと「イスラーム国」による攻撃箇所

ターリバーンのクンドゥズ制圧を受けて、10月1日にアフガニスタンの地図を載せておいたのですが、アフガニスタン国軍による奪還作戦を支援した米軍のクンドゥズ空爆が、「国境なき医師団」の病院を誤爆したということで、大きな問題になっています。

今日はもう一枚アフガニスタンの地図を掲げておきましょう。

ターリバーンの攻勢激化
出典:“Afghan conflict: US investigates Kunduz hospital bombing,” BBC, 4 October 2015.

米軍の撤退を受けて、各地でターリバーンが復活し攻勢に出ています。また、ターリバーンの中で、これまで生きているとされていた最高指導者オマル師の裁可を受けて進められていた(ように見せられていた)アフガニスタン政府との和平交渉が不透明になり、分裂の様相を呈しているようです。つまり、ターリバーンをターリバーンも統制できない。そして、ターリバーンの一部、あるいはそれになびいていた勢力が近年に国際的知名度や維新を高めた「イスラーム国」に呼応してそれを名乗って攻勢に出る動きも出ています。

アフガニスタン政府軍はクンドゥズ中心部からはターリバーン勢力を放逐したとみられますが、周辺部に戦闘は拡散しているようです。

1970年代に始まった内戦以来のアフガニスタンの混乱は、収まりそうにありません。

なお、クンドゥズの誤爆は、アフガニスタン情勢にとどまらない意味があります。

アメリカとしては、ロシアのシリア介入で、名目としている「イスラーム国」を狙っていない、一般人を殺傷している、と批判を高めようとしたところにこれですから、即刻オバマ大統領が徹底的な検証を約束する事態になりました。

もちろんロシアとシリア・アサド政権の方は、テンプレートで「殺した相手は全部テロリスト」「誤爆は欧米メディアのでっち上げ」と言い続ければいいので、調査や検証が行われることもありません。「アメリカではホワイトハウスの前でアメリカ大統領の悪口を言えるが、ロシアでは赤の広場でアメリカ大統領の悪口を言える」という冷戦時代のジョークが復活している様子です。

日本の某公共放送局もホームページでうっかり「米ソ」の対立を報じてしまったそうですが、世界的に、冷戦時代を知っている論者たちが昔を思い出して小躍りするような状況が生まれています。

ただ、実際にロシアがかつてのソ連のような超大国としての力があるのかは、エコノミストやフィナンシャル・タイムズといった欧米の有力メディアでは疑問符が付されることが多いです。私はこれを「プーチン栄えて国滅ぶ」テーゼと呼んでいますが、それが一体どういう論拠での議論なのか、どの程度妥当なのか、そのあたりを考えていくことが、ロシアそのものの「台頭」や、その中東への影響について検討していく手がかりとなると思います。私自身もまだ結論は出せていませんが。

ただ、冷戦時代の初期の雰囲気はもしかしてこのようなものだったのかな?などとも思います。

【地図で読む】「アサド朝シリア」を支えるロシア軍基地

今日の地図。

アサド領とロシア軍事支援

“Russia’s move into Syria upends U.S. plans,” Washington Post, September 26, 2015.

記事そのものは、意訳・抜粋すると、「ロシアのアサド政権軍事支援の増強で、米国のシリア反体制派支援は完膚なきまでに終了」といった感じの記事です。

最近いろいろ報道されている、ロシアがシリア西部地中海沿岸地区のラタキア付近やタルトゥースに築いている軍事拠点が概観されています。それによって守ろうとするアサド政権の実効支配領域も。

「アサド政権とは戦わない反体制派を募集して訓練する」という米国の政策があまりに意味不明なので、米国の対シリア政策が失敗することは最初からわかっているのだが、問題はロシアが解決策を提示しているのかということ。

ロシアが自ら泥沼に入って犠牲を多大に出すまでに支援しない限り、アサド政権がシリアの全土の掌握を回復できるかというとこれが心もとないので(だから政権支持層まで難民になって出て行っている)、現実に起こりそうなのは、アサド政権が堅固に掌握した首都中心部や宗派コミュニティの故地ラタキアと両者をつなぐ地域を死守し、分裂が固定化すること。「アサド派シリア」というか世襲王朝化しているので「アサド朝シリア」みたいのができて、それを支えるのが域外大国のロシアという構図になるのでしょうか。

暫定クルド自治区とか、反体制派各種がトルコと米国に庇護されて「自由シリア」の離れ小島に立てこもり、イラク・シリア国境エリアにカリフ制「イスラーム国」が居座るという構図。(そこまではこの記事には書かれていません。地図を見ていろいろ考えましょう)

【寄稿】プーチンの国連総会演説はシリア問題を解決に向かわせるか

本日9月28日にニューヨークの国連総会で行われるロシアのプーチン大統領の一般討論演説は、最近のシリア・アサド政権への軍事支援増強を背景に、シリア政策で欧米に同意を迫る、ついでにウクライナなど他の問題でも屈服させようとする、なかなか気合の入ったものになりそうなので、『フォーサイト』の「中東の部屋」に、事前にコメンタリーを書いてみました。実際にどうなるかはいろいろ報道されるでしょうから新聞・テレビ等でどうぞ。

池内恵「国連総会の焦点はプーチンのシリア政策」『フォーサイト』《中東の部屋》2015年9月28日

【寄稿】トルコの暗部・ネオナチ的民族至上主義が露呈

トルコ各地でクルド系政党HDPに対する襲撃が生じる中で、寄稿しておきました。

池内恵「トルコ民族主義の暴発が秘める内政・外交の危険性」《中東―危機の震源を読む(89)》『フォーサイト』2015年9月10日

トルコには、「世俗主義V.S.イスラーム主義」という対立軸に加えて、根底では20世紀前半の西欧の人種主義を「冷凍保存」したようなトルコ民族主義があり、クルド民族主義とは特に対立している。

それはおそらく、かつてのクルド民族の存在を全否定して、遅れた未開の「山岳トルコ人だ」と言っていた時代の支配的なイデオロギーなのだろう。イスラーム主義の与党AKPも、もちろんかつての与党の流れをくむ世俗主義のCHPも、それほどむき出しにしないまでもこの要素を共有しているはずだ。動乱の中でトルコの負の側面が表に出てきている。

トルコの底堅い民主主義と自由なメディア・市民社会が、これを克服していってくれることを願う。

【寄稿】シリア難民に対する西欧の倫理的義務とは

8月末から9月初頭にかけて、シリア難民の波が、難民申請受理の条件を緩めたドイツを目指して殺到しているのが国際メディアで伝えられる。

これは私がここのところ難産の論文で理論的に取り組んでいる、中東の過去5年間の急激な変動の、国際社会に及ぼした一つの帰結だが、それによって今後生じる西欧社会そのものの変質や摩擦といった別の問題を引き起こしていくだろう。

根本原因であるシリア内戦の構造については多くが語られてきたが、必ずしも理解が浸透しているとは言えない。シリア問題をイデオロギー的な争点として議論することで、実態がぼやけてしまっている。まさにイデオロギーに立て籠もって「三分の理」を主張して欧米諸国を牽制しつつ、あとは実力行使で乗り切るのが中東の諸政権の基本姿勢だが、そういった中東の独裁政権の手法で問題が解決できなくなったので、ここまで長引いている。アラブ人は独裁政権に従っていればいい、という前提に立つ外部の「解決策」は、当のアラブ人がそういうつもりになっていないのだから実現しない。そして独裁政権に従えと外から強制することは誰にもできない。せめて「偽善」で黙認するだけであるが、黙認されるほどの実効支配をアサド政権が行いえなくなって久しい。

西欧社会が難民に対して、人道主義の理念から、また「良きサマリア人」たるべしという信念から手を差し伸べていることには、深く敬意を表したい。ただし、西欧社会が関与してくることで、シリア内戦に意図せざる効果をもたらしてしまいかねないことにも注意する必要がある。

西欧諸国がシリア難民を積極的に受け入れることで、シリアから、特定の地域や特定の民族や階層の人たちが一層大規模に、まとまって流出することが予想される。そうなると、シリアの人口構成が恒久的に変わる、実質上の「民族浄化」を進めかねない。

もちろん、難民の中にジハード主義者などが意図的に潜入すれば直接的な紛争の発火点となり、対立を帰って激化させかねない。

根本的な解決は、シリア内戦を終わらせ、難民たちが戻って経済生活を営めるようにすることである。これについて、ポール・コリアーの論考が簡潔に指針を示していて参考になる。『フォーサイト』の「中東通信」に急ぎ要点を解説しておいたので、ここに再録する。英語の文章の教材としてもいいのではないかと思う。

 

池内恵「『汝、誘惑することなかれ』−−−−西欧の本当の倫理的義務とは何か(ポール・コリアー)」『フォーサイト』《池内恵の中東通信》2015年9月8日 15:46

シリア難民のドイツへの大量到着で、ある種のカタルシスが西欧には湧いているが、やがて深刻な現実に直面せざるを得ない。

「最底辺の10億人」のポール・コリアーが7月に書いていたことを改めて読んでみる。

Paul Collier, “Beyond The Boat People: Europe’s Moral Duties To Refugees,” Social Europe, 15 July 2015.

Around 10 million Syrians are displaced; of these around 5 million have fled Syria. The 5 million displaced still in Syria should not be forgotten: just because they have not left does not imply that their situation is less difficult: they may simply have fewer options. Genuine solutions should aim to help them too. Of the other 5 million who have fled Syria, around 2 per cent get on boats for Europe. This small group is unlikely to be the most needy: to get a place on a boat you need to be highly mobile, and sufficiently affluent to pay several thousand dollars to a crook. A genuine solution must work for the 98 per cent as well as for the 2 per cent. Most of these people are refugees in neighbouring countries: Jordan, Lebanon and Turkey. Giving these people better lives is the heart of the problem.

「シリアの難民500万のうち、ヨーロッパに向かって海を渡るのは2%だ。残りの98%はシリアの周辺諸国、ヨルダン、レバノン、トルコなどにいる。また、シリア内部の避難民が別に500万人いる。そちらも支援するべきだ。ヨーロッパにたどり着けるのは比較的裕福な層だ」といった基本構図を指摘している。

ヨーロッパにたどり着く人数が500万人の2%にあたる10万人で済むかどうかは今後の政策次第だが(すでにこの数値を突破しているようにも見えるが)、まさにコリアーが提起するような、周辺諸国での支援と、シリア内戦の終結後の帰還・経済再建の支援が行われなければ、そして安易にヨーロッパで受け入れるという印象を与える発信がなされれば、爆発的に増えるかもしれない。コリアーは「汝、誘惑する(tempt)ことなかれ」という旧約聖書のモーゼへの十戒第7を引いて、安易な人道主義による受け入れを戒める。

The boat people are the result of a shameful policy in which the duty of rescue has become detached from an equally compelling moral rule: ‘thou shall not tempt’. Currently, the EU offers Syrians the prospect of heaven (life in Germany), but only if they first pay a crook and risk their lives. Only 2 percent succumb to this temptation, but inevitably in the process thousands drown.

要約すると、「援助の手を差し伸べることは義務だが、同程度に『汝、誘惑することなかれ』という義務にも従わないといけない。2%の比較的裕福な層に、ドイツに行けば天国が待っているかのような印象を与えて誘惑して、ならず者に法外な手数料を払って命を賭して渡航するという誘惑に身を委ねさせ、数千人に命を落とさせてはならない」ということ。

【地図】地中海の難民・移民の流れ

シリア難民の西欧(特にドイツ)への大量流入が話題になっているが、問題自体は2011年の「アラブの春」で各国の政権が揺れたり内戦が生じたりしてすぐに発生しており、2013年頃から激化していた。

そしてこれはシリアから難民が発生しているというだけの問題ではなく、アフガニスタンやアフリカ諸国からの難民・移民が地中海南岸のアラブ諸国に到達して、そこから西欧への渡航を目指すというより大きな問題の一部です。

昨年から今年の初めまでは、むしろサブサハラ・アフリカ諸国や東アフリカからの移民が、モロッコのスペイン領飛び地のセウタとメリリャに侵入しようとする問題に焦点が当たっていた。しかしこれについてはモロッコと西欧諸国の両方の協力による取り締まり・対策強化で一定の沈静化が見られた。しかしこれはモグラ叩きの一部で、今年に入るとリビア内戦の混乱の隙をついて密航業者がリビアに多く現れ、リビアからマルタやイタリアやギリシアへ移民・難民を「泥舟」的な密航船に乗せる動きへと焦点が移った。これに対しても、イタリアなどは密航船の接収・破壊などで対処したが、リビア側の対処が不十分で効果は限定的だ。

また、ここでドイツや北欧のような内陸諸国と、イタリアやギリシアのような地中海に接していて移民・難民の上陸地点となる諸国との温度差が表面化した。

そこにはユーロ経済の中で「一人勝ち」で経済が好調で、高齢化・少子化による人手不足も抱えているドイツと、経済的な苦境にあり失業率が高いギリシアやスペインやイタリアとの事情の違いも大きい。

今年の2月頃には、リビアからイタリアへ向けて出航して転覆する密航船が相次ぎ、人道危機が明確になった。これに対する対処でEU諸国がもめている間に、今度はシリアから船でギリシアに渡ったり、陸路ブルガリアを突破したりしてドイツ・北欧を目指すシリア難民の波が加わった。

このような地理的な焦点の移動やそれに伴う移民・難民の構成要素の変化について、BBCが地図と図表を駆使して概観してくれている。

“EU migration: Crisis in graphics,” BBC, 7 September 2015.

まず全体像がこれですね。

地中海難民全体像

この記事では次のように分類している。

西地中海(濃い緑):モロッコからスペインへ
中央地中海(赤):リビアやチュニジアからイタリア(シチリア島)へ
東地中海(黄緑):トルコからギリシアへ
西バルカン(紫):ギリシアからマケドニアやセルビアを経由してハンガリーへ
(これ以外にアルバニアからギリシアに入るルートや、東欧を経由してスロバキアに入るルートも示されている)

今話題のドイツへのルートは、東地中海ルートと西バルカン・ルートのこと。

シリア難民トルコ・ギリシア・ルート

ここではブルガリアのルートが書いてありませんが、これも問題化しています

これらのルートを辿る昨年と今年の難民・移民の数がグラフで示されている。

地中海難民の焦点の移行

西地中海ルートでスペイン入りする数は2014・2015年は相対的に小さくなっている。

中東地中海ルートで昨年は大規模に人間が動き、今年もそれが続いている。東地中海と西バルカンルートが、今年になって激増し、年の半ばにしてすでに昨年比で倍増しており、このままのペースだと昨年の4倍にも達しようとしていることがわかる。

それぞれのルートを渡る移民・難民の主要な出身国はそれぞれ次のようになっています。

地中海難民の出身地別

チュニジアやリビアを経由する中央地中海ルートでは多数が、東アフリカのエリトリアや西アフリカのナイジェリア、その他のサブサハラ・アフリカからきている。

それに対して東地中海ルートや西バルカン・ルートではシリアやアフガニスタンから多くがきている。

さらにいくつか地図を見てみよう。

西地中海のルートの一つが、なんとかしてモロッコの沿岸のスペイン飛び地に入って難民申請すること。モロッコのスペイン飛び地という、15世紀末 にさかのぼる特殊事情が関係している。

アフリカ移民モロッコ・ルート
“Ceuta, Melilla profile,” BBC, 16 March 2015.

これを阻止するために二つの町の周囲に巨大なフェンスが設置されるようになっているが、今でもそれを突破しようとする移民が跡を絶たない。

これ以外に、以前はモロッコの西岸から大西洋のスペイン領の島に密航しようとして、これも「泥舟」に乗せられて命を落とす事例が相次いだが、取り締まり強化で減ってきたようだ。

それに対して、東地中海ルートの最大の難関は、トルコまでやってきてそこからギリシア領の島にたどり着くこと。一つはブルガリアで陸路、徒歩やトラックの背や荷台に乗った密航による。

もう一つがトルコのエーゲ海沿岸から、すぐ沖合に位置するギリシア領の島に渡るやり方。

ギリシアの島の人気のないところに上陸し、島で難民申請を行って、その後は安全にフェリーなどでギリシア本土に上陸し、その後は陸路ひたひたとドイツを目指すのです。

トルコのエーゲ海沿岸のすぐ向かいには、ギリシア領のレスボス島、キオス島、サモス島、コス島などが点在する。トルコの主要都市イズミル近辺にはサモス島が、欧米でも人気の保養地ボドルムの向かいにはコス島がある。距離は狭いところでは10−20キロほどしかない。

フェリー会社の地図があったので見てみましょう。

エーゲ海フェリー地図

出典:http://ferries-turkey.com/popup-route/routemap-800-e-europe.html

拡大地図を見てみましょう。

トルコ沿岸のギリシア諸島

こんな感じです。アナトリア半島の本土はトルコ領で、目と鼻の先の島々はギリシア領。普通は陸地のすぐそばも同じ国の領土ですよね。しかしトルコ・ギリシアの国境はちょっと変わっています。

これは、第一次世界大戦中・戦後のオスマン帝国領をめぐる戦乱で、ギリシアが一時アナトリア本土まで占領した後に、トルコ民族主義勢力が本土を奪還した経緯から定まった国境線です。

以前に記したましたが(「トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)」)、1920年のセーブル条約でギリシアがイズミルを中心としたアナトリアの領土を主張したのに対し、トルコ民族主義勢力が盛り返して1923年にローザンヌ条約で、本土とエーゲ海の島々の間にトルコとギリシアの国境線を引きました。それらの地図については以前のエントリを見ていただきたい。

最近こんな記事も出ていました。
Nick Danforth, “Forget Sykes-Picot. It’s the Treaty of Sèvres That Explains the Modern Middle East,” Foreign Policy, August 10, 2015.

「本当に重要なのはサイクス・ピコ協定じゃなくて、セーブル条約だよ!」というタイトル。一理あります。

この記事の装画には、ギリシアがエーゲ海沿岸を現在のトルコ領まで領土に組み入れようとした1920年のセーブル条約の地図のギリシア・トルコ・シリアの部分があしらってあります。

セーブル条約1920年

セーブル条約からローザンヌ条約の過程で、戦争と難民流出と住民交換で、多くの人命が失われるとともに、住民構成が大きく変わりました。100年後の今再び、この近辺で住民構成の変化を伴う戦乱が生じていることになります。トルコ本体もクルド武装勢力との紛争が激化していますから、変動の波は当分収まりそうにありません。

【寄稿】ミュンヘンに到着するシリア難民の足取り

先月の末に、ミュンヘンで、日本の官民の中東関係者が年に一度集まる会議に読んでもらったので、行って話をしてきた。近年は湾岸産油国やトルコのイスタンブールなどで行ってきたのだが、今年はミュンヘンとなった。もちろん安全懸念への配慮からである。

私はここのところ、チュニジアに行くとその後テロが起こり、湾岸産油国に行くとその間に湾岸産油国の隣国でテロが起こるなどの偶然が相次いだので、「私が帰ったら今度はミュンヘンでも何か起こるかもしれませんよ」などと冗談を言っていたら、事件どころか中東問題そのものがミュンヘンに押し寄せてきてしまった。ハンガリーでの足止めを突破して、オーストリアを経由してハンブルグ中央駅に到着する

欧米にいっても、中東の人間が立ち回る場所やルートを自然に辿ってしまうのが中東関係者の宿命なのだろうか。シリア難民が経由するウィーン西駅などは、トランジットの際の定宿にしていた安ホテルがあるなど、馴染みがある。移民が行き来するところに私も足が向かってしまう。

そんなことをつらつらと、『フォーサイト』の「中東の部屋」に書いてみた。

池内恵「ミュンヘン中央駅に到達するシリア難民」『フォーサイト』《中東の部屋》2015年9月8日

紛争は環境に優しく、人間に優しくない(「イスラーム国」も然り)

こんな地図もある。

中東の二酸化窒素

“Middle East conflict drastically ‘improves air quality’,” BBC, 21 August, 2015.

大気中の亜酸化窒素の濃度を地図上に記したもの。

イラクやシリアの紛争で、住民は塗炭の苦しみを嘗めているが、環境問題は改善しているという、皮肉な記事。

例えばシリアのダマスカスでは、内戦の開始前と今とで、大気中の二酸化窒素濃度は50%減少したという。最前線となり難民が流出しているアレッポも同様。

イラクでは西北部や西部の「イスラーム国」支配地域で二酸化窒素が減少。

ただし中東全体の大気汚染が減ったわけではない。シリアの難民が滞留しているヨルダンやレバノンでは二酸化窒素が増加している。イラクでも、政権側に立つ南部カルバラーでは大気汚染が進んでいる。

要するに紛争地で経済活動が停滞し、難民が流出したことが、大気中の二酸化窒素濃度の低下に影響を及ぼしている模様だという。

紛争は「環境に優しい」が、もちろん人間に優しくない。「イスラーム国」の非人間的な統治も環境には優しい。

【地図】リビア東部ダルナで「イスラーム国」が別のジハード組織によって掃討される

リビアの東部ダルナ(デルナ)で、7月30日、イスラーム系武装勢力「ムジャーヒディーン・シューラー評議会」が、「イスラーム国」勢力を、町の主要部から放逐したとのニュースが入りました。

“Libya officials: Jihadis driving IS from eastern stronghold,” Associated Press, 30 June 2015.

ダルナは元々宗教保守派が強い町ですが、そこに昨年10月「イスラーム国」に地元で呼応する勢力、あるいはイラク・シリアの「イスラーム国」から帰還した勢力などが勢力を増して、「イスラーム国」の支配を確立したと宣言していました。

これに対して、内戦を繰り広げるリビアの武装勢力の一翼をなすイスラーム系武装勢力の動向が注目されてきました。要するに彼らが「イスラーム国」に相乗りして鞍替えしてしまえば、リビアにも「イスラーム国」の領域支配が広がりかねない、ということです。

実際に呼応する勢力は現れて、例えば中部のスルト(スィルト)では「イスラーム国」が活動を活発化させています。しかし「イスラーム国」に対抗するイスラーム系武装勢力の勢力も強く、昨年12月にはアル=カーイダ系の「リビア・イスラーム闘争集団(The Libyan Islamic Fighting Group: LIFG)にかつて加わっていた人物を中心に、ダルナの「アンサール・シャリーア」なども加わって、「ダルナ・ムジャーヒデイーン・シューラー評議会」が結成され、「イスラーム国」に対峙するようになりました。この集団はダルナで優勢に立ち、今年の6月半ば以降、ダルナから「イスラーム国」勢力を追い出しかけています。今回、さらに「イスラーム国」から勢力範囲を奪還したとのことです。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がつくってくれた、リビアでの「イスラーム国」の広がり具合の地図。ダルナでの「イスラーム国」を名乗る勢力の劣勢についても記されています。

リビアのイスラーム国NYT_June31_2015Where ISIS is gaining ground in Libya
“Where ISIS Is Gaining Ground in Libya,” The New York Times, Updated June 30, 2015.

【関連記事】
“Western Officials Alarmed as ISIS Expands Territory in Libya,” The New York Times, May 31, 2015.

しかし、「イスラーム国」が駆逐されても、イスラーム法(シャリーア)の施行を掲げるムジャーヒディーン・シューラー評議会が、同様の支配をしないとも限りません。

ちなみに、上記のAPの記事では、それほど親切ではありませんが、単に「イスラーム国」系と非「イスラーム国」系のイスラーム系武装勢力同士が戦っているだけではない、全体構図の一端を伝えてくれています。

例えばこの部分。

Forces loyal to the internationally recognized government based in Libya’s east have meanwhile surrounded Darna and were moving in on it from the south, seeking to drive out all of the jihadis, military officials said.

ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会がダルナの中心部で「イスラーム国」系勢力を掃討している間に、もう一つの軍勢がダルナをさらに外から包囲していて、南部から侵攻してムジャーヒディーン・シューラー評議会と「イスラーム国」をもろともに掃討しようとしているのですね。なんでしょうかこれは。

その軍勢は「国際的に承認された政府」の国軍であるという。

「internationally recognized government」というのは、東部のトブルク、あるいはバイダー(ベイダ)を拠点とする、2014年6月の選挙で選出された議会を正統性の根拠とする政権を指します。特にエジプトや、UAEやサウジアラビアなど湾岸産油国に支援され、国連や欧米諸国の政府に支持されています。エジプトに支持されたハフタル将軍を3月には国軍最高司令官に任命し、「リビアの尊厳」を旗印に諸勢力を糾合して失地挽回を図っています。

それに対して、西部にある首都トリポリを押さえた政権は、それ2012年7月の選挙結果を受けて召集された国民総会議(GNC)をまだ有効と主張し、西部を中心に国土の大きな部分を統治しつづけています。

各地のイスラーム系武装勢力の多くは、トリポリのGNCと連合して「リビアの夜明け」を旗印に立てた民兵集団を形作っています。ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会もこの系統で、「イスラーム国」だけでなく東部トブルク政権の国軍やそれと連合する武装勢力と戦ってきました。

というわけで、東部の支配を固めたいトブルク政権系の軍がダルナを包囲している最中に、ダルナの中では、どちらかといえば西部トリポリ政権に近いイスラーム系武装勢力が「イスラーム国」と戦うという、入れ子状のややこしい状況になっています。

東部の中心都市ベンガジでは、トブルク政権の軍が「イスラーム国」の掃討作戦を行っているようです。

リビアの分裂政府と内戦の展開を、初歩的なところから教えてくれる概要は、例えばEconomistのこの記事。地図もあります。

“Libya’s civil war: That it should come to this,” The Economist, 10 January 2015.

リビア地図Economist_Jan10 2015that is should come to this

【寄稿】中東の4つの内戦と波及を概観

中東協力センターニュース7月号表紙

『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日発行)に分析レポートを寄稿しました。連載「中東 混沌の中の秩序」の第2回です。

池内恵「4つの内戦の構図と波及の方向」《中東 混沌の中の秩序》第2回、『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日)、12−19頁

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新連載の2回目の今回は、イラク、シリア、リビア、イエメンの内戦の2015年前半の進展、特に過去3ヶ月の動きをまとめました。今年から、4半期に一度の連載といたしました。以前は「ほぼ4ヶ月に1回」というペースでしたので、もう少し定期的にしました。しかしそうすると必ず決まった時に書かないといけないので、仕事が重なっていたり、動きが激しくてまとめる作業が膨大になると、少し大変です。でも「四半期」というペースで書くのは初めてなので、当分続けていこうかと思います。

私の最終段階の校正見落としで、ちょっと誤字脱字があったので、7月29日に修正していただきました。内容面では変わっていません。

ちなみに、7月号にはトルコ大使館勤務(経産省から)の比良井慎司さんによる6月7日のトルコ総選挙の分析「トルコ総選挙とその後の動向」が掲載されており、これを読むと、トルコによる対クルドPKK空爆が、内政上は6月の選挙で躍進して与党AKPの単独過半数を阻止したクルド系政党HDPに対する圧力となりうることが理解できます。

エルドアン大統領が各野党との連立交渉を不調に終わらせ、再選挙でHDPの議会議席を奪って単独過半数の奪還を目指している、という世評は高まる一方ですが、実際にそうなるかどうか、見ていく際の指針になります。

シリア北部の「安全地帯」の詳細と米・トルコの同床異夢

トルコが設定を主張しているシリア北部の「安全地帯」について、先日紹介した『ワシントン・ポスト』紙の地図に続いて、今度は『ニューヨーク・タイムズ』紙の地図を拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯NYT27July2015
Turkey and U.S. Plan to Create Syria ‘Safe Zone’ Free of ISIS, The New York Times, July 27, 2015.

東はジャラーブルスから、西はマーレアまで、アブ=バーブやマンビジュといった「イスラーム国」の拠点を含む。「イスラーム国」の機関紙のタイトルにもなって象徴的な意味を持つ「ダービク」の町も含まれる。

この記事では、トルコと米国で、「合意」したとされる「安全地帯」の性質について、双方の認識は異なっており、同床異夢の「外交的解決」であることが描かれている。「安全地帯」が「イスラーム国」の支配からの保護だけでなくアサド政権の空爆も阻止するものなのか、国連安保理などの公式の裁可を求めるのか、シリアのクルド民兵を支援するのかどうか、などで依然として溝がある。

イラク北部のPKK拠点

トルコは7月24日から26日にかけて、シリア北部の「イスラーム国」支配地域と共に、イラク北部に拠点を築いているトルコのクルド反政府組織PKK(クルド労働者党)の拠点を攻撃しました。

空爆の地点について、概略図を、AFPが作っていました。

トルコのイラク北部PKK空爆AFP26July2015
“Forced to strike IS, Turkey gambles on attacking PKK,” AFP, 27 July 2015.

この地図では、24日から26日にかけてのイラク北部のトルコによる空爆地点を記した上で、26日に生じた、PKKによる報復とみられるトルコのディヤルバクル県リジェでのトルコ軍警察に対する自動車爆弾による攻撃の地点、また7月20日以来の紛争の地点(スルチュ、キリス、ジェイランプナル)や、シリア北部からイラク北部にかけてのクルド人の勢力範囲と重要地点(コバネ、テッル・アブヤド、ハサカ、モースル、アルビール、キルクーク、スィンジャール、テッル・アファル)が、過不足なく記されています。

攻撃対象については色々な地名が出てきていますが、一般的・概括的に言うと、「カンディール山地(Mount Qandil; Kandil, Kandeel)」の各地を空爆しています。カンディール山地とはイラク北部のイランとの国境地帯の山地で、ドフーク県とスレイマーニーヤ県にまたがり、イランのザグロス山脈につながっています。ここにPKKが拠点を築いています。この山脈のイラン側ではイランのクルド反政府組織PJAK(the Party for Freedom and Life in Kurdistan)が活動しているとのことです。カンディール山地でのPKKと関連組織の活動については、次のようなレポートが10年近く前にあります。

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 1,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 17, September 21, 2006.

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 2,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 18, September 21, 2006.

次のものは、2011年1月にニューヨーク・タイムズに掲載されたルポ。この後「アラブの春」でPKKのことは一時期すっかり忘れられていましたが・・・

“With the P.K.K. in Iraq’s Qandil Mountains,” The New York Times, January 5, 2011.

この時点ではトルコがイラクのクルディスターン地域政府(KRG)を取り込んでPKKをじわじわと追い込んでいっている様子が描かれていました。その後2012年から2013年にかけて、PKKをゆくゆくは武装解除させる見通しが立つほどのトルコにとって有利な和平交渉を開始することができたのですが、いまや状況が変わりました。

クルディスターン地域政府は、トルコのPKKがイラクに越境してきて拠点を築くことを、「客人を歓待する」という曖昧な形で黙認してきました。一緒になってトルコと戦うのではなく、PKKを積極的に匿うわけでもない、ただ、遠い親戚の同胞が逃げてきたから一時的に住まわせている、という姿勢です。

クルディスターン地域政府、特にその大統領のマスウード・バルザーニーが指導し自治区の北部を地盤とするクルディスターン民主党はトルコ政府と関係を強化しており、トルコにとってはイラク北部は経済的な影響圏となっています。トルコに接したエリアを拠点とするクルディスターン民主党にとっては、陸の孤島であるクルド自治区を経済的に成り立たせるにはトルコとの良好な関係が不可欠です。イラク中央政府との関係が常に緊張含みであるクルド地域政府は、トルコから兵糧攻めにあったら持ちません。

ですので、クルディスターン地域政府は、PKKに「用が済んだら帰るように」と告げています。

“‘PKK should evacuate Mount Qandil’: KRG official,”ARA News, July 5, 2015.

でも、強制的に追い出すわけではないので、立ち退かないでしょうね。一時的にトルコやシリアに越境して軍事作戦をやるなどして留守にするにしても。

このPKKの拠点をトルコが攻撃したので、イラクのクルディスターン地域政府は、一応遺憾の意を表明しています。

“Kurds condemn Turkish air strikes inside Iraq,” al-Jazeera English, 26 July 2015.

これがトルコの関係を悪くするほどの強い意志表明なのか、クルド民族意識に配慮してトルコに抗議して見せたのか。真実はまだわかりません。

PKKそのものも、これで2013年以来のトルコとの和平交渉を破棄して、全面的に武装闘争に戻るかというと、そうでもないかもしれません。ただし、しばらくの間はテロを行って力を示し、交渉に戻るにしても強い立場で戻ろうとするので、トルコとPKKの紛争がしばらく続きそうです。

これについて米国は、トルコが自衛の権利を行使してイラクのPKK拠点を攻撃しているものとみなして、原則は黙認していますが、和平に戻ることを要請しています。

西欧諸国は、トルコがPKKと戦うことを苦々しく見ているようです。

このあたりは、ガーディアンの記事が手際よくまとめています。

“Turkey’s peace with Kurds splinters as car bomb kills soldiers,” The Guardian, 26 July 2015.

トルコはPKKと時に激しく対立し軍事行動に出ることが、5年に一回ぐらいはありますから、今回の空爆で、完全に和平が壊れたとは言えないでしょうが、「イスラーム国」の出現でクルド勢力の役割が高まっている中でのトルコの対クルド軍事行動は、これまでとは違った意味を持つようになるかもしれません。

特に、イラクのPKK拠点を攻撃している間は、イラク・クルディスターン地域政府は目をつぶり、米国は消極的に支持し、西欧諸国からも窘められながら黙認されるかもしれませんが、「イスラーム国」の打倒という共通目標に逆行すると

その意味では、シリア北部でのトルコの軍事行動が、対「イスラーム国」ではなく明確に対クルドである、特に対「イスラーム国」で現在もっとも力を発揮しているYPGに対するものであるとはっきりした場合、トルコの欧米との関係も危うくなるでしょう。その点で心配なのが、この記事です。

“Turkey denies targeting Kurdish forces in Syria.” al-Jazeera English, 27 July 2015.

トルコの砲撃が、YPG主導で掌握しているコバニ近辺の村に対して行われている、という報道です。

【地図】シリア北部にはトルクメン人もいる

前項の続き・・・

「シリア北部にクルド人が多く住んでいるなら、独立させてやればいいじゃないか」とか「欧米がサイクス・ピコ協定で勝手に国境線を引いたから」云々の、一知半解の「解決策」を語ってはいけません。

シリア北部には、クルド人と同じエリアに、トルクメン人が住んでいます。この地図では、トルクメン人が住む場所を示しています。

シリア北部トルクメン人
出典:dtj-online.de/syrien-turkmenen-befurchten-vertreibung-2771

シリア北部には、トルクメン人以外に、アラブ人も住んでいますし、さらに他の少数民族も住んでいます。クルド勢力が実効支配することによって、今度はその中での「少数民族」問題が発生しかねません。

トルクメン人は、名前からも類推できるように、トルコ人と互いに「同族」意識を持つ民族で、トルコは心情的に、あるいは政治的な方便から、トルクメン人の「保護」をしばしば持ち出します。介入、代理戦争も始まりかねないのです。

このあたりにそう簡単に国境線を引くことはできないので、サイクス・ピコ協定は、相対的には「いい線いってた」方策とも言えるのです。

【地図】トルコはシリア北部の「安全地帯」でクルド勢力分断を図る

「地図で見る中東情勢」のシリーズが長らくお休みしていました。忙しかったからね・・・

久しぶりに一つ。

トルコはシリア北部に「安全保障」地帯を設ける、というのを対「イスラーム国」での介入と協力の条件としてきましたが、7月22日のオバマ・エルドアン電話会談の前後に、米国がトルコに「安全保障」構想に同意を与えたと報じられています。

「安全地帯」の範囲についてはトルコの『ヒュッリイエト』紙などが伝えていましたが、『ワシントン・ポスト』紙が地図にしてくれましたので、ここで拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯ワシントンポスト7月26日

“U.S.-Turkey deal aims to create de facto ‘safe zone’ in northwest Syria,” The Washington Post, July 26, 2015.

黒白点線(というのでしょうか)で囲ってあるあたりに、トルコが米国と協力して「安全地帯」を設けるというのです。

ここから「イスラーム国」を排除するというのが「安全地帯」の表向きの意味ですが、トルコは今のところ、地上部隊は投入しないと表明しています軍が消極的なのではないかと思います。

もっぱら空軍戦力で「安全地帯」を設定するということは、実態はこのエリアに「飛行禁止エリア」を設けるということが主体のオペレーションとなります。「イスラーム国」は空軍を持っていないので、実際には「安全地帯」の設定によって、アサド政権がこのエリアから排除されることになります。アサド大統領の退陣を解決策の必須要件とするトルコにとって、「安全地帯」の設定は、「イスラーム国」対策だけでなく、アサド政権対策という意味があります。

さらに、地図を見ていただくと、「安全地帯」の黒い部分、白点線の枠で囲まれたところの左右を見ますと、緑色に塗られています。ここにシリアのクルド人が多く居住しています。

シリアのクルド人は、東側の、ハサカより北のエリアと、西側の、アアザーズの北西とに分かれて飛び地のようになっています。

なんでこうなっているかというと、クルド人はシリア北部とトルコ南東部の一帯(それ以外にイラク北部・イラン北部などにも)に住んでいまして、本来は連続的な土地に住んでいますが、これがトルコ・シリアの国境線によって分断されたので、主従エリアがシリアでは飛び地になってしまっているのです。

シリアのクルド人は、オスマン帝国の崩壊の際、トルコ共和国が独立戦争で自力で領土を確保して国境線を引いたときに、シリア側に取り残された形です。

ですので、状況が許せばトルコ南東部のクルド人と一体化して独立を要求しかねない、とトルコは警戒しています。

シリア北部クルド人
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

クルド人が多数派を占める土地は、この地図では薄紫で塗られています。ハサカ北方のカーミシュリーを中心とした地帯と、コバニ周辺と、アフリーンを中心とした地域です。シリアが内戦でアサド政権の統治が弛緩する中で、これらの三箇所でクルド勢力が実質上の自治を確保しかけています。

別の地図でも。

シリア北部クルド人飛び地地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

さらに、クルド民兵組織YPGが勢力を強めて、テッル・アブヤドやアイン・イーサーといった「イスラーム国」が占拠していた地域を制圧することで、三つの飛び地のうち、東の二つがすでに繋がりかけているのです。そうなると、クルド人が必ずしも多数でないエリアまで、将来のクルド自治区→独立クルド国家に含まれてしまいかねません。

例えばこの地図。

シリア北部クルド人最大地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

シリアのクルド人が求めるシリアでの最大版図はこのようなものだそうです。三つの飛び地が結合していますね。これを「Rojava(西クルディスターン)」とクルド人側は呼んでいます。

トルコが設定するシリア北部への「安全地帯」は、このようなシリアでのクルド人の主張する最大の勢力範囲を、分断するような形になっています。

クルド人がいるのはシリアだけではないので、周辺諸国の地図の上にクルド人の居住するエリアを塗った地図を見てみましょう。

シリア・トルコ・イラク・イランのクルド人地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

一般に「クルド人」と呼ばれる人たちの間にも、細かな系統の違いがあり、一枚岩ではありません。しかし赤っぽい色で塗られているところには、その中でもクルド人意識が強い人たちが住んでいます。シリアを超えてトルコ南東部やイラク北部やイラン北西部、遠く離れたイラン北東部やアゼルバイジャンにも住んでいます。

この中で、シリア北部とトルコ南東部は、地理的にも最も容易に結合してしまいそうです。

そこでトルコは「安全地帯」の設定で、シリア北部でのクルド人の支配地域の間に楔を打ち込み、一体化を阻止しようとしているように見えます。

【寄稿】湾岸のデカい建築・都市開発から国立競技場問題を考える

『週刊エコノミスト』の読書日記。13回目になります。

池内恵「中東の砂漠に最先端の都市ができる理由」『週刊エコノミスト』2015年7月28日号(7月21日発売)、57頁

今回も、Kindle版など電子版には載っていませんので・・・契約条件が合理的になれば同意したっていいんだけどなあ。

紙版はアマゾンからでも。

今回取り上げたのは、レム・コールハースの『S,M,L,XL+』。


レム・コールハース『S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』(ちくま学芸文庫)

いい本だなあこれ。終わった時代の話ではなく、これから先を読むための本。

この本の原著英語版は1995年に出ているが、特異な編集と形で、難解な奇書というイメージだった。何度か増補されているが、写真も多く、1冊2.7kgという。


S M L XL: Second Edition

立体的に見ると、こんなんですよ。

コールハース

体裁の問題もあってか、ずっと翻訳されていませんでしたが、ちくま学芸文庫で、テキストだけ、抜粋したり新たに加えたりして(だから邦訳タイトルに「 +」がついているんですね)、分かりやすく分類して並べ直して、コンパクトな文庫スタイルで刊行されました。最近の文章が加わえられていて、最新のグローバルな建築の状況が、さまざまな断片で切り取られている。ちくま文庫・ちくま学芸文庫は建築批評・都市計画ものに強いですから、適切な場所に収録されたと言えるでしょう。

レム・コールハースといえば、代表的な現代建築家であり、また『錯乱のニューヨーク』を書いた建築批評・思想家として知られる。理論家でありかつ実作家ということ。ただ、この二つを両立させることは難しい、ということは、例の国立競技場問題で明らかになったと思いますが。

『錯乱のニューヨーク』は、ニューヨークの都市計画と主要な建物を逐一分析した名著で、現代建築とアーバニズムを論じる際の必須文献になっている。古典です。

今回、合わせて増刷されたみたいなので今なら手に入りやすいと思う。大きな本屋だと平積みになっているところも見かけた。

一方『S,M,L,XL+』は、ニューヨークで完成したアーバニズムが世界に広がっていった、散っていった、その先での変容をスケッチしている。世界のあっちこっちに散っていって、その場所の地理・環境的、文化的、そして政治的・社会的文脈で、同じような形態のものでも、異なる意味を持って受容されていく。

欧米の著名建築家としてコールハースはあちこちで建築・都市計画に関与する。その際に見たもの、感じたものが断片的に描写され、積み重ねられる。

日本はその重要な一つの場所。ただし、シンガポールとか、ドバイとか、上海とかと並んだ「多くの中の一つ」であることも忘れてはならない。ちょっと日本語版編集では日本のところを重視しすぎている印象はある。ただし現代建築が世界に広がる過程での日本の役割とか特有の条件は、もっと注目され、客観視されていい。そのためにも役に立つ描写が多くある。

都市についての美学や倫理の基準を持つ・模索する批評家としてのコールハースと、実際に都市や建物を建てるには政治家やゼネコンの片棒担ぎをすることにならざるを得ない建築家としてのコールハースの矛盾は、あまり客観視されているようには見えないが、もみくちゃにされていく様子はよく分かる。すでに昔日の話となった対象を描いた『錯乱のニューヨーク』と、今現在のグローバルな「錯乱」の現場の話である『S,M,L,XL+』はセットで読むといい。

個人的に関心を持ったのはドバイ、アブダビ、ドーハなどのペルシア湾岸アラブ産油国の急激な都市形成。私、先日もアブダビに行ってきましたので。

ラマダーン中の夏で安いから、こんなところにも泊まりましたよ。世界で一番傾いたビル。湾岸にいくとこんなのばっかりです。

Hyatt Capital Gate Abu Dhabi

1990年代後半から現在までの湾岸の都市開発を、コールハースは最先端の事象として捉えている。また、湾岸的なモデルが中国の諸地域に広がりかけていくあたりまでの時代と段階を、この本では視野に入れている。湾岸的なモデルにはいろいろ起源があるが、一つはシンガポールだろう。これについては詳しく書かれている。

理論や歴史を見ることで、政治問題になった国立競技場問題についても、根本的な問題の構図が見えてくるのではないか。

国立競技場問題で、「変な形の、でかい建物」を作る人としてのザハ・ハディードが注目された。私はザハの建築が今の国立競技場の場所の環境に合うか合わないかについては判断できない。できてしまえば人の心は変わるし、できてしまうまでそれが受け入れられるものかどうかは分からないからだ。しかし日本の政治・社会的環境で建築可能であるとは思わない(実際無理だったが)。 あれは「政治権力が集中している」「国が新しくて土地が余っている(そして権力者が自由にできる)」「金が唸るほどある(そして権力者の手元に集中している)」という条件がないと建ちません。

だからザハ案での建築断念は政治的には必然なのだと思うが、しかしそのこととは別に、日本が「失われた20年」で内向きに過ごしている間に起こった、世界の現代建築の潮流を、国民の大部分が感じ取ることができなくなってしまっていること、要するにザハの提案に「驚いて」しまうことには、危機感を感じる。

国立競技場建設の「ゼロからの見直し」の結果として、日本が「ザハはもう古い」と言ってそれに対峙できる根拠や理念や力量を示せるのであればそれでいい。ザハにはそういう風に挑戦すべきなのであって、「気持ち」を忖度などしなくてよろしい。

もちろん、建たなくたって、契約書通りに、報酬は払わねばならないのだが。ただし有名建築家に頼むとはそういうことである。ザハの案でぶち上げたから話題になってオリンピック開催を勝ち取った、という要素はあるので、法外に見えても意味があるお金ではある。

ザハ案でオリンピック開催を勝ち取ったのに、ザハじゃ無くなったら国際公約違反かというと、そんなことはない。有名建築家を集めたコンペなんて、建築家が最先端な無茶を競って、結局無理と分かって建たない、なんてことは国際常識。コンペにはじめから建ちっこないものを出してくる建築家は多い。著名建築家の「名作」のかなりの部分は、コンペに出して評判になったが建っていないものである。

建っている場合は、独裁者が独断で命令して建ててしまった、という場合が結構ある。

途上国の場合は、ゼロから都市や埋め立て地を形成したりする場合に、目を引く建築が必要な時にザハ的なものが珍重される。

欧米先進国の場合は、都市の郊外がスラム化して危険な状態になっていたりする場合に、オリンピックを呼んできてそれを機会に再開発して、その際にザハ的な目立つ建築でイメージを変えようとする。ロンドン五輪はそのケースです。オリンピックを名目にした大規模再開発で、治安がよくなり、土地の値段が上がり、投資が来て新住民も入ってくればみんな得するでしょ、という話。うまくいっているかどうかは別にして、そういう目論見があってやっているから筋が通っている。

今回の国立競技場の場合、土地が無尽蔵にあってゼロから建てられる場所でもないし、スラム化している場所でもないからな・・・なんでザハなのかわからん。

しかし単に止めるといって、しかも、有力者がザハへの人格攻撃的な発言をしたり、ザハ的な現代建築を単に貶めるような発言を繰り返していれば、それは、国際的には恥ずかしい印象を与えるだろう。適合しないところにザハを選んだ方が悪い。そんなことはじめからわかっているでしょう?という話。国際的には、普通は上に立つ人の方が下の人より頭いいからねえ。日本人はそんなに頭悪いの?という話になってしまう。(日本には組織のために行う「バカ殿教育」と言うものがありましてね、それに適応できる人しか偉くならないんですよ・・・)

コールハース的な建築思想・建築史の前提があったら、あの場所にザハ、ということはあり得ないということが分かるはずなんだが。たくさん関与しているはずの文系の行政官にこういう感覚があれば止められた話だと思うが、ないんだなこれが。日本の行政官は忙しすぎて、国際的な視野で日本の歴史文化を見て次の一手を(かっこよく)打ち出すというような考えを温めている暇なく歳取ってしまう。

ただ、コールハースにしても、湾岸の都市開発のあり方に批判的なことを書きつつ、自分も職業上は加担せざるを得ない。その辺の矛盾も、コールハースの本を読みつつ、彼の実作(案)を調べていけば見えてくる。正解はないんです。正解はないが、国際的に共有されているある種の文法や歴史を踏まえて次の一歩を示すという筋が必要なんです。そうしないとメッセージにならない。

今後重要なのは、国立競技場をめぐる議論と決定の場を活発に公の場で行うことだろう。

「国際公約」などと言って、見えないものに縛られずに、「ザハ案を採用した、ザハらしい斬新な案が出た」「日本の建築家からも住民からも反対運動が出た、民主的な議論が沸騰」「現代における競技場建築とは何か、活発な議論が行われ諸案が競って出された」「その結果このようなものになりました」という経緯と結果全体が、オリンピックをめぐる日本社会の表象であり、そこに有意義なものが示されれば、「国際的な評価」は高まる。

要するに結局のところ日本からいいアイデアが出ればいいんです。有名建築家っていうのは無茶な案を出してそういう議論を巻き起こして世の中を前に進めるためにいるんです。そのために高いフィーを取るんです。こうやって話題になっているんだからザハ案を採用した価値はあるのである。百万人にやめろと言われてもこれをやる(人のお金で)と言い張れる分厚いエゴがないと有名建築家にはなれない。批判された方がいいんです。

世界のみんなが次に何をやればいいか模索してるんだから。広く世界を見て今最先端はどうなっているかを知りつつ、ちょっと前の最先端を高い金払ってもらってくるのではなく、こちらから新しい次の一手を出す。そうしてこそ初めて国際的に評価される。外をよく見るということと、モデルを外から持ってくるということはまったく違う。

日本でオリンピックをやり、コンペをやるなら、最初から「過去20年世界を席巻して、限界や負の側面も見えてきたザハ的な建築を超えるもの」を選ぶというコンセプトだと良かったんだが。だって世界中でいい加減飽きてるんだから。途上国の開発独裁を今さらやる気もなく後追いするみたいで、日本の現状を表象するものではなかったと思う。ただし単に「うっかりしていて無理な案を採用してしまい、建てられませんでした」というだけでは日本の元気のなさだけを表象することになってしまうので最悪だ。

そういう意味で、短時間で知恵を絞って実現していく過程が、日本社会の刷新にもなるといい。そういう意味でゴタゴタそのものを含んでドラマ化しコンセプト化して発信する人がいるといいのだが。

【寄稿】トルコのシリア国境の町スルチュでクルド勢力を狙った自爆テロ

連休も講演をすませてあとは必死に論文書きをしていたが終わらず。いや、そのうち二本は終わったんだが大きいのが二本終わっていない。限界までやっているんだがなあ。

しかし日々のニュースは見ておかないとついていけなくなる。論文にも関係あるし。

没頭しているとこのブログにはほとんど手をつけられないのだが、英語やアラビア語のニュースはPC画面ではこの横に表示されるツイッターの窓@chutoislamで、空いた時間の一瞬をついてリツイートしてあります。また、『フォーサイト』では日本語でニュースの要約・解説をする「中東通信」をやっています。

最新のものは、池内恵「トルコのシリア(コバネ)との国境の町スルチュで支援団体の集会に自爆テロ」『フォーサイト』2015年7月20日

それにしてもややこしい。シリア北部のコバネの戦闘は注目を集めましたが、「イスラーム国」から奪還する勢力となったクルド人勢力に対して、コバネと接するトルコ側で自爆テロ。それもトルコ側とシリア側で同時にやっている・・・

トルコ政府からいうと「トルコ側でもシリア側でもクルド勢力は一体」ということを同時攻撃で見せつけられたわけで・・・「イスラーム国」はサウジやクウェートではシーア派を狙って、被害者と中央政府を分断する戦略ですが、同じことをトルコではクルド人を狙うことでやっているように見えます。これは効果がありそう。トルコ側のクルド人が「トルコ政府は頼りにならない」と武装化する→トルコ政府はトルコ側とシリア側のクルド勢力を攻撃→クルド勢力が一体化して独立武装闘争へ・・・なんてことにならないようにお願いしますよ。本当に行ける国がなくなってしまうではないか。

でも、この調子だと次にイスタンブールが狙われそうなのが怖い。あんな大きな都市だから、万が一テロがあっても自分が巻き込まれる可能性は極めて低いのだが、一回テロがあれば政府の「退避勧告」みたいな話になってしまいかねない。