【イスラーム政治思想のことば】(10)サウジの新皇太子(次期国王)への「バイア(忠誠の誓い)」

6月21日朝、サウジ、そして中東を揺るがす発表がありました。サルマーン国王が、皇太子のムハンマド・ビン・ナーイフを更迭し、実子のムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子を皇太子に昇格させたのです。

そのサウジ内政や国際関係に及ぼす影響については別の場所で考えましょう。ここでは「イスラーム政治思想のことば」シリーズの一環として、皇太子の任命の正統性を確保するために、現在サウジ発のメディア報道やSNS上で溢れている言葉を紹介しましょう。それは「バイア(忠誠の誓い;bay’a; oath of allegiance; pledge of allegience)」という言葉です。

サウジの王政は統治の正統性を示すために、イスラーム法に基づく政治思想を援用することが多くあります。全イスラーム教徒の共同体(ウンマ)を指導する「カリフ(あるいは「イマーム」)」を名乗ることはないまでも、聖地メッカとメディナを実効支配していることから、「二聖モスクの護持者(Khadim al Haramayn; Custodian of the Two Holy Mosques)」を称号として掲げています。

そして、政権の根拠に、有力者そして国民全体から「忠誠の誓い(バイア)」を受けている、ということを誇示して、支配を正統化しています。

国王が亡くなって次の国王が立つ時に、まず然るべき王族や宗教学者の有力者が「バイア」を行なってみせます。今回は、国王ではありませんが、次期国王となることが確実な皇太子を任命した、それもこれまでの実力者の皇太子を存命のまま更迭して、国王の年若い実子を昇格させたということから、盛大にバイアの儀式が行われました。

バイアによって正統な権力が成立するという観念の定式化とその手続きについては、イスラーム政治思想を体系化したイスラーム法学者マーワルディーの『統治の諸規則』のイマームの定立に関する記述にまとめられていますし、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』でも、主要なスンナ派法学者の定説に基づいてこの概念が紹介されています。

サウジアラビアでは前国王のアブドッラーの時代に、次期国王あるいはその前提として皇太子を選出する際に、まず初代アブドルアジーズ王の直系男子の子孫からなる王族会議(王族の中でも中枢の家系のみ)で選出する形式をとることになりましたが、この次期国王選出のための特別な王族会議も「忠誠委員会(Hay’a al-Bay’a; Allegiance Council)」と名付けられています。まず王族の中の有力家系の代表が「バイア(忠誠の誓い)」を新たな皇太子・次期国王に対して行って「選出」し、選出された者が忠誠の誓いを受け入れる、という形式を踏んで、王権が立ち上がるのです。

あたかもカリフ(イマーム)を選出するようにイスラーム法上の「バイア」と似通った手続きで国王・次期国王を選出することで、サウジ王家は自らのイスラーム法上の正統性を印象付けようとしています。

スンナ派ではカリフの政治権力を前任者が次期(息子でもいい)を指名(つまり世襲)することすら正統な「選出」であるとしている、現実の実効支配を重視する現実追認の傾向が目立つ体系ですが、有力者による合議(シューラー)の上、政治権力者を選出してバイアし権力者はバイアを受け入れる、という手続きをとることは重視します。現実に人々が従わない権力はその役割を果たせないと考えるからです。血統だけで継いでいくことには意味がなく、実力を伴って、イスラーム教を護持する役割・義務を果たして初めて、権力者であると考える。

そうなるとまず、前任者から後任者の指名(サウジの今回の場合は国王による息子の皇太子任命ですね)が行われた上で→忠誠委員会による合議の上でのバイア→大臣や知事や宗教学者の有力者などによる、より広い有力者によるバイア→国民全体のバイア、と忠誠の誓いを誓う人々の輪を広げていく形をとります。

今回はサウジ王家の、あるいはアラブ部族の権力継承の慣例を破り、これまで制度化されていた継承の規則も一部変更してまで行う皇太子任命ですから、各階層のバイアを確実にすることは重要です。忠誠委員会でも、現在の34名の定数のうち31名がムハンマド・ビン・サルマーンの皇太子任命に賛成した、と発表されていますから、つまり全会一致ではないわけです。そうなるとより一層、国民の各階層から、多数がバイアしているということを示さなければなりません。

さらに今回は、これまで皇太子だったムハンマド・ビン・ナーイフが、解任されたといえども存命ですから、これがバイアするかどうかが重要です。

そこで、前皇太子の更迭と新皇太子任命の発表があってから間もなく、ムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子が新皇太子にバイアした、との報道が国営通信社によってなされます。サウジ政府は、ムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子がムハンマド・ビン・サルマーン新皇太子にバイアする場面を撮影して、これを各メディアを通じて大々的に宣伝し、インターネットで拡散させました。サウジ王家内部が分裂している、あるいはそこから、それに呼応する国内勢力がある、という印象を万が一でも内外に与えては不安定化につながると危惧して先手を打ったのでしょう(この映像についてもサウジの在外反体制派は、軟禁されたムハンマド・ビン・ナーイフ前皇太子が強制されているだけで、都合の悪いところを映さないようにしている、と腐しています)。

サウジ政府の英文広報紙というべきSaudi Gazetteは一連のバイアについて次の記事で伝えています。

“Generational shift: Princes, officials, ulema, citizens pledge allegiance to Prince Muhammad as crown prince,” Saudi Gazette, June 22, 2017.

新皇太子任命が発表された時点では「忠誠委員会」のみがバイアしている状態です。そこで、さらに御触れを出して、まず王族のより広い成員に対して、当日夜にサファー宮殿でバイアを受け付けるぞ、と伝えたということですね。ここに非王族の政府高官や高位の宗教者も来なさいという国王の御触れはこのようなものです

王宮でのバイアの様子は、例えばこの記事から。アラビア語が読めなくても映像や写真を見れば様子が伝わってきます

最終的に全国民がバイアすることを求められるのですから、この王宮でのバイアに、一般市民も原理的には来ていいはずですが、おそらく身分が低い者が行くことはあまり想定されていないでしょう。

上記の記事にもありますが、各地の王子・知事(王族の場合が多い)は新皇太子に代わってバイアを受けよとの王の御触れも出ています。

バイアの儀式といっても簡略で、礼をして握手するだけですが、これはコーランの表現にも多いアラブ人の「商取引」で、契約を締結する際に握手する慣行をおそらく引き継いだものでしょう(そもそも「バイア」という言葉は「売り買い」を意味する言葉です。臣民は王に服従を「売る」代わりに安全の保証といった見返りを買うのです。なお、コーランでは、信仰も神と人間が行う商行為であって、て、神の命令に従って現世で義務を遂行することで、来世での幸福を「買う」かのような表現が多く見られます)。

政府の音頭取りに応じ、SNS上では「私は皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンにバイアする」という一文がハッシュタグとなって流通し、バイアの様子を拡散したり自らSNS上でバイアをして見せたりする発信が相次いでいます。

原則は目下の臣下が権力者に服従を誓い、権力者がそれを受け入れるという形式ですが、映像で見てみると、はるかに年上で実力者の前皇太子(57歳)に対して、第三世代の王族の中でも最年少の部類に属す新皇太子(31歳)は、いちおう一瞬だけ跪いて見せ、握手の最中も最後まで頭を相手より下げているなど、傲慢に見られないように務めています。同様に、メッカのサファー宮殿で行われた、王族や政府高官たちによるバイアの場でも、王族の中での目上の人や、平民でも長年主要閣僚を務めた重鎮に対しては、結構頭を下げてみせています。

こういう絶妙な間合いの取り方は、アラブ人の兄弟・従兄弟・友人などの間の関係に、日常的に見られることです。一族の中で羽振りのいい男は、それ以外を従えるのですが、それは金銭的にもその他も何かと面倒を見る義務を伴います。目下の親族については普段から何かと目を配っておいて、住むところの世話から職探し、娘の縁談まで、何かと便宜を図ってやらないと、親族からも叛逆されます。

そのため、一族のリーダー格は、毎日のように、親族や、あるいは血縁関係がなくとも盟友関係にある友人や、世話を焼いている子分の家を、ぐるぐる巡回していたりします(逆に定期的にそれらの配下から訪問を受ける応接間=マジュリスが家にあったりします)。そういうのに同行して観察したことがありますが、アラブの男であるってことは、大変なんですね。大物は大きな態度で羽振り良くして見せていないといけない。そうしないと馬鹿にされるのです。みなさんプライドがありますから、子分格は、親分が親分っぽくないと容赦無く馬鹿にし、逆心を抱きます。人間は自由であり、プライドを持つのです。

かといって偉そうにしすぎてもいけない。人を従えるアラブ男はこの絶妙のバランスを身につけています。このあたりは私には計り知れないところです。

というわけで、今日も地回り行くか、という風情の知り合いに人類学的興味でついて行くと、一軒一軒、慕ってくる親族や子分のところを回るのですが、あの家はお金に困っているらしい、といった情報を、回りながら自然に集めて行く。そして困っているらしい家に来ると、迎えに出た子分(といえどもその家の当主)があたかも「バイア」のように頭を下げて手を差し出してくるところを、抱擁するように握り返しながら、さりげなく、目にも留まらぬ速さでどこからか出してきた札を握らせます。本当に「いつどこから出してきた!」と叫びたくなるような速さであり円滑さです。それは優雅ですらあります。

そしてこの渡し方が難しい。まず、親分が子分にお金を渡して庇護しているというところは、相手にはもちろん、第三者にもある程度は伝わらないといけない。それによってああ親方様はありがたい、苦しいということをちゃんと理解してくれて援助してくれてこれでなんとか病気の息子を病院に連れて行ける・・・と一同安堵するのです。

しかし、それによって相手が公衆の面前で、あるいは小なりといえども従えている家族の前で、屈従を強いられたと見えてしまうこともまた、避けなければならないのです。

人間は神以外には従属しない、というイスラーム教の信仰を誰もが内在化していますから、わずかばかりの金をこれ見よがしに恵んで尊厳を踏みつけにした、と相手あるいは第三者に受け止められては、大変なことになります。お金を渡してある相手ほど、お金を恵まれることによって屈服させられ、人間の尊厳を奪われている、という思いを蓄積させていることがあり、ある時突然敵になる、ということが結構あるのです(だったらお金なんか渡さなければいいじゃないかというと、そうではなく、渡さなければあいつはケチだ大物ぶっているけどたいしたことない、と陰口を叩かれ、離反されるらしいのです。面倒くさいですね)。

あくまでも、あたかも対等の男同士が友情を確かめ合っていて、しかし余裕があり寛大な男が、相手の窮状を偶然知って、運良く神から与えられていた自らの富を喜んで分け与える、相手はありがたく神の恩寵を受ける、という形が、ほんの一瞬の挨拶の際に交わされる握手と共に受け渡される数枚の折りたたんだ札によって表現されていなければなりません。アラブで男であるって大変なことなんです。私にはとても勤まりません。

大変ですが、津々浦々の「大物」のアラブ男は、この作法を身につけていることも確かです。どうやって身につけるんでしょうね。それは私にも完全にはわかりませんが、やはり最初は家庭の中で兄弟と切磋琢磨しながら、そして一族や地域社会の中で、揉まれながら身につけていくのでしょう。努力だけではなく、天性の才能が磨かれて開花するのでしょう。これを身につけられないと、あるいは天性として備えていないと、やがて脱落して、従う側に回ることになります。

アラブ人の兄弟というのは、必ずしも長男が自動的に偉いわけではなく、体の大きさとか頭の良さとか商才とかコミュニケーション能力とかに総合的に優れた者が、やがて台頭して兄弟、そして一家・一族を率いるようになります。

サウジだけでも、全国の津々浦々の家庭に始まる、アラブ男たちの「マウンティング」の膨大な積み重ねがあって、多くの「バイア」を集める男たち同士がさらに戦ういわばトーナメント戦を勝ち抜いた、全国の最高峰が、ムハンマド・ビン・サルマーンなわけです。そう考えると、映像で見る限り、もしかするとあまりにそっけなく、あっけなくも見えるバイアの儀式に、実はどれだけの重みがあるか、見えてくるでしょう。

「イスラーム政治思想」というと、近代西洋の政治思想のようにあたかも書斎の思想家が緻密に書いたテキストの中にあるように想像する人がいるかもしれませんが、思想をこね回した作品は、実はほとんどありません。あっても影響力は皆無です。実際には、アラブ社会のこのような人間同士のコミュニケーションの中で生まれる権力が政治思想の本体であって、その上澄みを言語化し定式化したのが有力な思想テキストと言えるでしょう。

イスラーム政治思想のことば(9)イスラーム教の高揚は近代の問題に解決策を示すよりも、解決の失敗に苛立つ人々を酔わせる

社会全体の問題をムスリム同胞団はもっともよく体現している:

「カイロ市の焼打ち、首相たちの暗殺、キリスト教徒に対する脅迫、その出版物に見られる狂暴性と憎悪──これらすべては、進路を見失ってしまい、自ら引き継いだ過去の遺産が近代生活に相応しないことが判明し、その指導者たちは不正直で、そして理想が色あせてしまった民族の立場として理解されなければならない。この点からいえば、新しいイスラムの高揚は、問題を解決する力ではなく、その解決の失敗にもはや我慢ができなくなった人々を酔わせる力なのである。
同様団の指導者やその運動の大部分の公的文書は、この情動主義と暴力に対して直接的には責任はない。事実、それらをおし留めるための対策が時として取られたくらいである。同胞団について判断を下したり、またその昂揚期においては明らかに同時に作用していた善悪両要素を区別することは、たぶんまだ早すぎるし、ましてやそれらを分類して一方は真の宗教、他は神経症的ファシズム、真摯な理想主義と破壊的な狂暴というように分けてしまうことにおいてはなおさらである。前者を否定することは誤りであるし、後者の可能性を無視することはたぶん危険であろう。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、260-261頁)

長くなりましたが、ぜひ本を手に取って読んでいただけるといいですね。中央公論新社、アラブの春からもう2年半ですから、良い本を無駄にせず、再刊してください。(2013年8月26日

【追記】これを記してからさらに4年近く経ちましたが、その間の事態の進展は、スミスが半世紀からほとんど一世紀近く前に観察した、1920年代から50年代にかけての出来事を、いよいよ正確に反復するかのようでした。なぜ、アラブ世界の近代のリベラリズムとイスラーム主義は、それぞれの限界に繰り返し突き当たるのか。これは最も重要な課題と思われます。

イスラーム政治思想のことば(8)ムスリム同胞団の失敗は、感情の捌け口を求める動き、暴力へと発展する

ムスリム同胞団の問題と限界3:

「第二の失敗はこれと関連するが、ある意味では、それは運動としての同胞団の失敗というよりはむしろ、その活動舞台となった社会の失敗である。つまり、その社会は、もはや【260頁】暴力がほとんど避けられない地点まで悪化してしまっているのである。同胞団がそれを救済しようと試みることは、その暴力に機会を与えるだけのものであったろう。そこでは、イスラムを再確認しようとすることは、現代生活での失敗に立ち向かう努力であるが、それを超克することには成功しないであろう。不幸にして、同胞団のある成員たち、さらには彼らに同調したり、また彼らと同じ道をたどる多くの人々にとっては、このイスラムの再確認は、納得のいくようなプラン、周知の目的、あるいはせめて切実に感じられている理想に基づく建設的なプログラムを意味するのではなく、むしろ感情のはけ口であった。それは永い間、貧困、無能、恐怖の餌食となっていた人々の憎悪、欲求不満、虚栄、破壊的暴力の表現であった。近代的世界にはもう飽き飽きしている人々の不満は、すべて同胞団のような運動にその行動と充足を見出すことができるものである。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、259-260頁)(2013年8月26日

イスラーム政治思想のことば(7)ムスリム同胞団には近代の国家と社会への責任感が希薄

ムスリム同胞団の問題と限界1:

「だがしかし、同胞団には、これらの利点のほかに、二つの大きな欠陥がある。これについては、彼らの中の進歩派さえ気づいていないが、これに対立する人々だけは充分感づいている。第一は、近代国家あるいはその社会のもつ現実の問題に対して、それを解決することはさておき、それを現実主義的に認識するということが嘆かわしいほどみられないということである。
同胞団はただ保守的であるというのではない。彼らは自ら所有し経営する近代工業を自分たちで建設したり、労働組合を組織したりした。しかし、彼らが出版する資料からは、近代においてなされなければならない責任ある行為は何か、というより錯綜した問題に対する理解が見られない。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、258-259頁)(2013年8月26日

イスラーム政治思想のことば(6)ムスリム同胞団は共同体の基本的な問題に取り組み、訴えかける

ムスリム同胞団の意味2:

途中を省略したうえで・・・

「これは重要な発展である。われわれの判断では、これがなければ、あるいはこれらに代るようなものが何かなければ、アラブ社会は実際には前進することはできない。ある程度の共通の士気と人を駆り立てる力がなければ、また具体的な実現の機会を求めるある種の実際的な理想がなければ、たとえ最良の社会的ないしは国民的プログラムであっても、それは机上のプランに終わり、アラブ人の生活は夢想家の失敗に留ることになるだろう。同胞団の主張の一部が訴える力をもつ理由は、共同体のもっとも基本的な幾つかの問題に対して前述のような形式で適切な答えを与えようとしている点にある。これらの問題に対して同じように真剣に取り組む意志をもった別の集団が出現するまでは、いくら弾圧されても同胞団は存続してゆくことであろう。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、257頁)(2013年8月26日

イスラーム政治思想のことば(5)ムスリム同胞団は単なる反動ではなく、近代社会の建設に努力する

それに対してムスリム同胞団はというと1:

「われわれの判断によれば、同胞団をまったく反動的なものとみなすことは誤りであろう。なぜなら、そこにはまた、過去からの伝統の中に保持されてきた最良の価値から引き出された正義と人間性の基礎に立って、近代社会を建設しようとする賞賛に値する建設的な努力も作用しているからである。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、257頁)

この後の部分は省略しますが、非常に丁寧に、ムスリム同胞団というものがなぜ支持され、影響力を持つのか、アラブ世界の近代社会の抱えた根深い問題と、その中で一般大衆が抱く希求や絶望に根差した解説を加えていて圧巻です。(2013年8月26日

イスラーム政治思想のことば(4)アラブ世界のリベラリズムには宗教の基盤がない

アラブ世界のリベラル派の弱さについて引用3:

「社会の自由主義的な指導者たちは、彼らの生活や思想にふさわしい宗教的な基盤をほとんどもたなかった。彼らの方は現代と歩調を合わせて進んだのに、イスラムの枠組みは彼らと歩調を合わせて進むことができなかった。その結果、彼らは自分たちのヴィジョンを他人に伝達することができなかっただけではなく、苦境に際しては自らこのヴィジョンを守って戦い抜くに必要な勇気と誠意を欠くことになったのである。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、117頁)(2013年8月26日

イスラーム政治思想のことば(3)イスラーム思想の改革・近代主義には、体系的なリベラリズムが欠けていた

アラブ世界のリベラル派の弱さについて引用2:

「改革者たちの強引な仕事には、有効な体系的理論が欠けていた。」スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、116頁)(2013年8月26日

 

イスラーム政治思想のことば(2)アラブ世界のリベラル派は少数派支配

なぜアラブ世界のリベラル派はふがいないのか。政治基盤がないにもかかわらず、影響力や発言力はある。それはある種の「支配」と言っていい。しかし肝心な時になると頼りにならず、特にムスリム同胞団など大衆的なイスラーム主義が伸長してくると、軍の暴力にすがる。リベラル派は肝心な時にリベラリズムを放棄する。

「少数ではあるが、自由主義者は大なり小なり現代のムスリム世界を通じて、少数者支配に近い地位にある。もし自由主義者がそれほど強いものなら、なぜ自由主義は弱いのだろうか。」W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(上巻、中公文庫、109頁)(2013年8月26日

【新企画】イスラーム政治思想のことば(1)イスラーム諸国で近代のリベラリズムが抱える制約と限界

新コーナーです。

「イスラーム政治思想のことば」と題して、イスラーム政治思想の有名な著作から一節を抜き書きしたり、イスラーム政治思想を論じる際に不可避の論点を特定した、長期的に残る研究書の名著から、主要な論点に関わる部分を転記して、簡単なコメントで補足します。

まず、近代のイスラーム政治思想を論じる際の最も大きな論点である、リベラリズムについて、古典的な研究書から少しずつ抜き出していきましょう。

まず、最初の数回にわたって取り上げるのはウィルフレッド・キャントウェル・スミスの『現代イスラムの歴史』(中村廣治郎訳)です。

原著はWilfred Cantwell Smith, Islam in Modern History, Princeton University Press, 1957です。

邦訳書は、中村廣治郎先生(私の学部時代の先生です)による翻訳で、1974年に紀伊國屋書店から『現代におけるイスラム』として刊行され、それが1998年に題を改められ上下巻で中公文庫に入りました(現在は絶版のようです)。

キャントウェル・スミスの該当書(訳書)からの抜書きは、実は今回このために新たに作成するのではなく、2013年8月26日に、Facebookのアカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)でフォロワー向けに書き記したものがあるので、それを探してきて、転記します。

なぜ2013年の8月に、イスラーム教とリベラリズムに関する古い研究書から読みどころを抜粋して紹介する作業をしていたかというと、おそらく、2012年6月に誕生したエジプトのムスリム同胞団の政権が、軍との対立を深めて2013年7月のクーデタで放逐された、その余韻冷めやらぬ時期であったからだと思います。エジプトの「革命」のサイクルを一通り目撃した上で、一連の動きを根底で規定する理念的な問題に考えを及ぼすと、アラブ世界の近代のイスラーム思想の発展の抱えた限界、特にリベラリズムの発展の限界について取り組んだ、古典的な研究書が現在でもなお有効であることを思い知らされざるを得ませんでした。

エジプトの2011年の「アラブの春」から2013年のクーデタまでの間にリベラル派が見せた振る舞いや、それと対象的で、競合・対立したムスリム同胞団の思想と行動、あるいは軍の動きとそれを支持する多数の市民の存在は、50年以上前のエジプトを対象にしてこの研究書が特定していたイスラーム教とリベラリズムの間にある問題を、今でもなお根強く存在していることを、あからさまに思い出させるものでした。この本の、時代を超えた有効性が明らかになった瞬間でもありました。

Facebookでまだそれほど多くの読者がいなかった(直接知っている人たちだけが読者だった)頃に、試験的にFacebookに主要なテキストの主要部分を抜書きしてみたのですが、Facebookは検索機能が弱いとか、アカウントがない人が見られないといった理由から、古典的な文献の抜粋を恒久的に提供して議論の支えにするという目的には相応しくないと考えて、試みが途絶していました。

その後このブログを立ち上げ、読者が増えたFacebookと連動させたり、ブログ上の様々な試み、例えば現代中東情勢のリアルタイムの分析などが、『フォーサイト』の固定ページとしてスピンオフしていきましたが、今回、このブログで、恒久的に、イスラーム政治とその分析に関わる主要な文献の、エッセンスを伝える部分を、日本語で提示しておく欄を設定してみようという気になりました。

今回転記する抜き書きを作成してから4年近くが経ちますが、「アラブの春」や、それをきっかけに新たに活動を拡大したイスラーム主義のさまざまな現象を対象にする論文や本を書き続ける中で、今度は私自身が立て続けに「イスラーム教とリベラリズム」の思想問題に取り組み何らかの形で解明する学会報告や論文提出を次々に求められることになり、自分の頭の整理のためにも、それらの学会報告を聞き、論文を読む人の予備知識のためにも、あえて論文に引用しないかもしれない、大前提となるテキストや、古典的で今も生きている研究書の著名・有力フレーズを、ブログで蓄積してデータベース化しておくことが有益と考えるに至りました。

今後私が書く本や論文を読む際にも(これまでの本を読む際にもそうですが)、「イスラーム政治思想のことば」に載せられているテキストは、前提中の前提になっていると考えていただけるといいと思います。

今日はまず、2013年8月にFacebookにメモしておいたこの本の紹介を転記します。今回は私が書いた解説的な文章で、まだスミス=中村訳の本文からの引用は出てきません。明日から本文そのものからの引用が始まります。

「イスラーム政治思想のことば」と題した新設コーナーの第一回が、政治思想のテキストそのものではなくそれに取り組んだ古典的研究書を取り上げることになってしまっていますが、今後はもちろん中東のイスラーム政治思想家のテキストそのものから見繕って、今現在の問題を見る際に有用なものを、紹介しようと思っています。

***

アラブ世界の現在を理解するために「一冊」を挙げよと言われるなら、下記の名著です。W・C・スミス(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』(中公文庫、1998年)

なぜアラブ世界で自由主義が短命に終わるのか、自由主義者はその数に比してなぜ過度に発言力があるのか、しかしなぜ肝心な時になると逃げてしまって軍人が出てくるのか、ムスリム同胞団の伸張は社会と歴史の何を背景にしているのか、その限界はどこにあるのか・・・1957年に出版されたものですが、今の状況に照らし合わせて読むと怖いぐらいに良く当たっています。

考えてみればこの本が出たころは、1920-30年代のリベラリズムが衰退し、ムスリム同胞団が伸長し、政治暴力・衝突が激化し、1952年に軍が介入。1954年には議会再開を求めるリベラル派のナギーブ初代大統領とムスリム同胞団を両方ナセルら青年将校たちが排除して、その後長く政党も団体活動も禁じ、メディアを統制し、軍を翼賛するプロパガンダを開始していった。ムバーラク政権に繋がる独裁・抑圧体制が立ち上がったころです。

その頃の状況や構図と現在のものは、非常によく似ている。カナダのマックギル大学教授のスミスは思想史と現代社会分析の双方で優れた人です。訳書は1974年に紀伊國屋書店から出て、その後1998年に上下巻で中公文庫に入っていたのですが、絶版なようです。

「アラブの春」が暗転している現在、近代にアラブ社会が直面している問題についての洞察力を得るのに、最良の一冊ですので、ぜひ再刊してもらいたいものです。(2013年8月26日