【地図】地中海の難民・移民の流れ

シリア難民の西欧(特にドイツ)への大量流入が話題になっているが、問題自体は2011年の「アラブの春」で各国の政権が揺れたり内戦が生じたりしてすぐに発生しており、2013年頃から激化していた。

そしてこれはシリアから難民が発生しているというだけの問題ではなく、アフガニスタンやアフリカ諸国からの難民・移民が地中海南岸のアラブ諸国に到達して、そこから西欧への渡航を目指すというより大きな問題の一部です。

昨年から今年の初めまでは、むしろサブサハラ・アフリカ諸国や東アフリカからの移民が、モロッコのスペイン領飛び地のセウタとメリリャに侵入しようとする問題に焦点が当たっていた。しかしこれについてはモロッコと西欧諸国の両方の協力による取り締まり・対策強化で一定の沈静化が見られた。しかしこれはモグラ叩きの一部で、今年に入るとリビア内戦の混乱の隙をついて密航業者がリビアに多く現れ、リビアからマルタやイタリアやギリシアへ移民・難民を「泥舟」的な密航船に乗せる動きへと焦点が移った。これに対しても、イタリアなどは密航船の接収・破壊などで対処したが、リビア側の対処が不十分で効果は限定的だ。

また、ここでドイツや北欧のような内陸諸国と、イタリアやギリシアのような地中海に接していて移民・難民の上陸地点となる諸国との温度差が表面化した。

そこにはユーロ経済の中で「一人勝ち」で経済が好調で、高齢化・少子化による人手不足も抱えているドイツと、経済的な苦境にあり失業率が高いギリシアやスペインやイタリアとの事情の違いも大きい。

今年の2月頃には、リビアからイタリアへ向けて出航して転覆する密航船が相次ぎ、人道危機が明確になった。これに対する対処でEU諸国がもめている間に、今度はシリアから船でギリシアに渡ったり、陸路ブルガリアを突破したりしてドイツ・北欧を目指すシリア難民の波が加わった。

このような地理的な焦点の移動やそれに伴う移民・難民の構成要素の変化について、BBCが地図と図表を駆使して概観してくれている。

“EU migration: Crisis in graphics,” BBC, 7 September 2015.

まず全体像がこれですね。

地中海難民全体像

この記事では次のように分類している。

西地中海(濃い緑):モロッコからスペインへ
中央地中海(赤):リビアやチュニジアからイタリア(シチリア島)へ
東地中海(黄緑):トルコからギリシアへ
西バルカン(紫):ギリシアからマケドニアやセルビアを経由してハンガリーへ
(これ以外にアルバニアからギリシアに入るルートや、東欧を経由してスロバキアに入るルートも示されている)

今話題のドイツへのルートは、東地中海ルートと西バルカン・ルートのこと。

シリア難民トルコ・ギリシア・ルート

ここではブルガリアのルートが書いてありませんが、これも問題化しています

これらのルートを辿る昨年と今年の難民・移民の数がグラフで示されている。

地中海難民の焦点の移行

西地中海ルートでスペイン入りする数は2014・2015年は相対的に小さくなっている。

中東地中海ルートで昨年は大規模に人間が動き、今年もそれが続いている。東地中海と西バルカンルートが、今年になって激増し、年の半ばにしてすでに昨年比で倍増しており、このままのペースだと昨年の4倍にも達しようとしていることがわかる。

それぞれのルートを渡る移民・難民の主要な出身国はそれぞれ次のようになっています。

地中海難民の出身地別

チュニジアやリビアを経由する中央地中海ルートでは多数が、東アフリカのエリトリアや西アフリカのナイジェリア、その他のサブサハラ・アフリカからきている。

それに対して東地中海ルートや西バルカン・ルートではシリアやアフガニスタンから多くがきている。

さらにいくつか地図を見てみよう。

西地中海のルートの一つが、なんとかしてモロッコの沿岸のスペイン飛び地に入って難民申請すること。モロッコのスペイン飛び地という、15世紀末 にさかのぼる特殊事情が関係している。

アフリカ移民モロッコ・ルート
“Ceuta, Melilla profile,” BBC, 16 March 2015.

これを阻止するために二つの町の周囲に巨大なフェンスが設置されるようになっているが、今でもそれを突破しようとする移民が跡を絶たない。

これ以外に、以前はモロッコの西岸から大西洋のスペイン領の島に密航しようとして、これも「泥舟」に乗せられて命を落とす事例が相次いだが、取り締まり強化で減ってきたようだ。

それに対して、東地中海ルートの最大の難関は、トルコまでやってきてそこからギリシア領の島にたどり着くこと。一つはブルガリアで陸路、徒歩やトラックの背や荷台に乗った密航による。

もう一つがトルコのエーゲ海沿岸から、すぐ沖合に位置するギリシア領の島に渡るやり方。

ギリシアの島の人気のないところに上陸し、島で難民申請を行って、その後は安全にフェリーなどでギリシア本土に上陸し、その後は陸路ひたひたとドイツを目指すのです。

トルコのエーゲ海沿岸のすぐ向かいには、ギリシア領のレスボス島、キオス島、サモス島、コス島などが点在する。トルコの主要都市イズミル近辺にはサモス島が、欧米でも人気の保養地ボドルムの向かいにはコス島がある。距離は狭いところでは10−20キロほどしかない。

フェリー会社の地図があったので見てみましょう。

エーゲ海フェリー地図

出典:http://ferries-turkey.com/popup-route/routemap-800-e-europe.html

拡大地図を見てみましょう。

トルコ沿岸のギリシア諸島

こんな感じです。アナトリア半島の本土はトルコ領で、目と鼻の先の島々はギリシア領。普通は陸地のすぐそばも同じ国の領土ですよね。しかしトルコ・ギリシアの国境はちょっと変わっています。

これは、第一次世界大戦中・戦後のオスマン帝国領をめぐる戦乱で、ギリシアが一時アナトリア本土まで占領した後に、トルコ民族主義勢力が本土を奪還した経緯から定まった国境線です。

以前に記したましたが(「トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)」)、1920年のセーブル条約でギリシアがイズミルを中心としたアナトリアの領土を主張したのに対し、トルコ民族主義勢力が盛り返して1923年にローザンヌ条約で、本土とエーゲ海の島々の間にトルコとギリシアの国境線を引きました。それらの地図については以前のエントリを見ていただきたい。

最近こんな記事も出ていました。
Nick Danforth, “Forget Sykes-Picot. It’s the Treaty of Sèvres That Explains the Modern Middle East,” Foreign Policy, August 10, 2015.

「本当に重要なのはサイクス・ピコ協定じゃなくて、セーブル条約だよ!」というタイトル。一理あります。

この記事の装画には、ギリシアがエーゲ海沿岸を現在のトルコ領まで領土に組み入れようとした1920年のセーブル条約の地図のギリシア・トルコ・シリアの部分があしらってあります。

セーブル条約1920年

セーブル条約からローザンヌ条約の過程で、戦争と難民流出と住民交換で、多くの人命が失われるとともに、住民構成が大きく変わりました。100年後の今再び、この近辺で住民構成の変化を伴う戦乱が生じていることになります。トルコ本体もクルド武装勢力との紛争が激化していますから、変動の波は当分収まりそうにありません。

現在の歴史認識問題について

現在の東アジアの国際政治の最大の課題は、すでに活力を失った日本をどう縛るかではなく、活力がありすぎる中国をどう縛るか(「縛る」という表現がよくなければ、「猫の首に鈴をつける」)というものである。この基礎の基礎が、日本の議論ではしばしば忘れられていないだろうか。

かつて「日本を縛る」ことが東アジアの平和になにがしか役立っていた時代があった。といってもその間に東アジアに地域紛争は起きていたが。その時代を生きてきて、「どう日本を縛るか」を考えて発言して、それによって自我を形作り人生を築いてきた人たちが、現在高齢化し、新たな世界状況を見る意欲や能力を失っている。歳をとれば無理もないことである。かつて高齢者が希少だった頃は、むやみに新しいことを知っている必要はなかった。昔の知恵を伝えてくれるだけでよかった。

「自分たちが信じてきたもの、当然と思っていたもの、支えにしてきたものが、大きく変わってしまった」ということを認め難いのも、人の情である。できればそんなことには気づかずにそっと長生きしてもらいたい。ただ、そうばかり言ってはいられないこともある。

そんな時、遠くからわれわれを見ている同時代人の文章を読んでみるといい。

「8月15日」を日付とする英エコノミスト誌最新号の特集では「歴史問題」を扱い、東アジアの国際政治の勘所を簡潔に、象徴的に描き出している。カバーストーリーは、もちろん日本の歴史認識問題ではなく、中国の歴史認識問題を、現在の課題として取り上げる。表紙の惹句も単刀直入で「習近平の教訓:いかに中国が未来をコントロールするために歴史を書き換えているか」というものだ。

表紙はこのようになっている。

Xi's history lessons Economist 15 Aug 2015

この記事では、中国が9月3日に行う予定の対日戦勝記念日の軍事パレードに込められた中国の歴史認識を不安視している。“Xi’s history lessons: The Communist Party is plundering history to justify its present-day ambitions”(習近平の歴史の教訓:共産党は現在の野望を正当化するために歴史を強奪している)と題された記事の最も重要な部分を2か所訳出しよう。

【引用1】
This is the first time that China is commemorating the war with a military show, rather than with solemn ceremony. The symbolism will not be lost on its neighbours. And it will unsettle them, for in East Asia today the rising, disruptive, undemocratic power is no longer a string of islands presided over by a god-emperor. It is the world’s most populous nation, led by a man whose vision for the future (a richer country with a stronger military arm) sounds a bit like one of Japan’s early imperial slogans.
「中国が戦争を、厳かな式典ではなく軍事ショーで祝おうというのは初めてのことである。これが象徴するものを、近隣諸国は見逃さないだろうし、不穏に感じるだろう。なぜならば、東アジアで現在、勃興していて、破壊的で、非民主的な勢力は、もはや神である天皇の知らしめす列島ではないからだ。それは世界最大の人口を擁する民族で、それを率いる人物の未来へのヴィジョンは、より強盛な軍事力を持つより富裕な国、というものであり、日本のかつての帝国時代のスローガンによく似ている。」

日本が戦前に戻ってしまうことを本気で心配している人は、日本の外では少ない。それよりも、中国が日本の戦前に似てきていることを、多くの人が心配している。

結びに近く、エコノミスト誌は中国に反語的に問いかけ、忠告とする。

【引用2】
How much better it would be if China sought regional leadership not on the basis of the past, but on how constructive its behaviour is today.
「もし中国が、地域の指導性を過去に基づいて求めるのではなく、今日いかに建設的に振る舞えるかに依拠してくれれば、どんなにか良いだろう。」

理性の言葉とはこのように平明で簡潔なものだ。

【地図】リビア東部ダルナで「イスラーム国」が別のジハード組織によって掃討される

リビアの東部ダルナ(デルナ)で、7月30日、イスラーム系武装勢力「ムジャーヒディーン・シューラー評議会」が、「イスラーム国」勢力を、町の主要部から放逐したとのニュースが入りました。

“Libya officials: Jihadis driving IS from eastern stronghold,” Associated Press, 30 June 2015.

ダルナは元々宗教保守派が強い町ですが、そこに昨年10月「イスラーム国」に地元で呼応する勢力、あるいはイラク・シリアの「イスラーム国」から帰還した勢力などが勢力を増して、「イスラーム国」の支配を確立したと宣言していました。

これに対して、内戦を繰り広げるリビアの武装勢力の一翼をなすイスラーム系武装勢力の動向が注目されてきました。要するに彼らが「イスラーム国」に相乗りして鞍替えしてしまえば、リビアにも「イスラーム国」の領域支配が広がりかねない、ということです。

実際に呼応する勢力は現れて、例えば中部のスルト(スィルト)では「イスラーム国」が活動を活発化させています。しかし「イスラーム国」に対抗するイスラーム系武装勢力の勢力も強く、昨年12月にはアル=カーイダ系の「リビア・イスラーム闘争集団(The Libyan Islamic Fighting Group: LIFG)にかつて加わっていた人物を中心に、ダルナの「アンサール・シャリーア」なども加わって、「ダルナ・ムジャーヒデイーン・シューラー評議会」が結成され、「イスラーム国」に対峙するようになりました。この集団はダルナで優勢に立ち、今年の6月半ば以降、ダルナから「イスラーム国」勢力を追い出しかけています。今回、さらに「イスラーム国」から勢力範囲を奪還したとのことです。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がつくってくれた、リビアでの「イスラーム国」の広がり具合の地図。ダルナでの「イスラーム国」を名乗る勢力の劣勢についても記されています。

リビアのイスラーム国NYT_June31_2015Where ISIS is gaining ground in Libya
“Where ISIS Is Gaining Ground in Libya,” The New York Times, Updated June 30, 2015.

【関連記事】
“Western Officials Alarmed as ISIS Expands Territory in Libya,” The New York Times, May 31, 2015.

しかし、「イスラーム国」が駆逐されても、イスラーム法(シャリーア)の施行を掲げるムジャーヒディーン・シューラー評議会が、同様の支配をしないとも限りません。

ちなみに、上記のAPの記事では、それほど親切ではありませんが、単に「イスラーム国」系と非「イスラーム国」系のイスラーム系武装勢力同士が戦っているだけではない、全体構図の一端を伝えてくれています。

例えばこの部分。

Forces loyal to the internationally recognized government based in Libya’s east have meanwhile surrounded Darna and were moving in on it from the south, seeking to drive out all of the jihadis, military officials said.

ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会がダルナの中心部で「イスラーム国」系勢力を掃討している間に、もう一つの軍勢がダルナをさらに外から包囲していて、南部から侵攻してムジャーヒディーン・シューラー評議会と「イスラーム国」をもろともに掃討しようとしているのですね。なんでしょうかこれは。

その軍勢は「国際的に承認された政府」の国軍であるという。

「internationally recognized government」というのは、東部のトブルク、あるいはバイダー(ベイダ)を拠点とする、2014年6月の選挙で選出された議会を正統性の根拠とする政権を指します。特にエジプトや、UAEやサウジアラビアなど湾岸産油国に支援され、国連や欧米諸国の政府に支持されています。エジプトに支持されたハフタル将軍を3月には国軍最高司令官に任命し、「リビアの尊厳」を旗印に諸勢力を糾合して失地挽回を図っています。

それに対して、西部にある首都トリポリを押さえた政権は、それ2012年7月の選挙結果を受けて召集された国民総会議(GNC)をまだ有効と主張し、西部を中心に国土の大きな部分を統治しつづけています。

各地のイスラーム系武装勢力の多くは、トリポリのGNCと連合して「リビアの夜明け」を旗印に立てた民兵集団を形作っています。ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会もこの系統で、「イスラーム国」だけでなく東部トブルク政権の国軍やそれと連合する武装勢力と戦ってきました。

というわけで、東部の支配を固めたいトブルク政権系の軍がダルナを包囲している最中に、ダルナの中では、どちらかといえば西部トリポリ政権に近いイスラーム系武装勢力が「イスラーム国」と戦うという、入れ子状のややこしい状況になっています。

東部の中心都市ベンガジでは、トブルク政権の軍が「イスラーム国」の掃討作戦を行っているようです。

リビアの分裂政府と内戦の展開を、初歩的なところから教えてくれる概要は、例えばEconomistのこの記事。地図もあります。

“Libya’s civil war: That it should come to this,” The Economist, 10 January 2015.

リビア地図Economist_Jan10 2015that is should come to this

シリア北部の「安全地帯」の詳細と米・トルコの同床異夢

トルコが設定を主張しているシリア北部の「安全地帯」について、先日紹介した『ワシントン・ポスト』紙の地図に続いて、今度は『ニューヨーク・タイムズ』紙の地図を拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯NYT27July2015
Turkey and U.S. Plan to Create Syria ‘Safe Zone’ Free of ISIS, The New York Times, July 27, 2015.

東はジャラーブルスから、西はマーレアまで、アブ=バーブやマンビジュといった「イスラーム国」の拠点を含む。「イスラーム国」の機関紙のタイトルにもなって象徴的な意味を持つ「ダービク」の町も含まれる。

この記事では、トルコと米国で、「合意」したとされる「安全地帯」の性質について、双方の認識は異なっており、同床異夢の「外交的解決」であることが描かれている。「安全地帯」が「イスラーム国」の支配からの保護だけでなくアサド政権の空爆も阻止するものなのか、国連安保理などの公式の裁可を求めるのか、シリアのクルド民兵を支援するのかどうか、などで依然として溝がある。

イラク北部のPKK拠点

トルコは7月24日から26日にかけて、シリア北部の「イスラーム国」支配地域と共に、イラク北部に拠点を築いているトルコのクルド反政府組織PKK(クルド労働者党)の拠点を攻撃しました。

空爆の地点について、概略図を、AFPが作っていました。

トルコのイラク北部PKK空爆AFP26July2015
“Forced to strike IS, Turkey gambles on attacking PKK,” AFP, 27 July 2015.

この地図では、24日から26日にかけてのイラク北部のトルコによる空爆地点を記した上で、26日に生じた、PKKによる報復とみられるトルコのディヤルバクル県リジェでのトルコ軍警察に対する自動車爆弾による攻撃の地点、また7月20日以来の紛争の地点(スルチュ、キリス、ジェイランプナル)や、シリア北部からイラク北部にかけてのクルド人の勢力範囲と重要地点(コバネ、テッル・アブヤド、ハサカ、モースル、アルビール、キルクーク、スィンジャール、テッル・アファル)が、過不足なく記されています。

攻撃対象については色々な地名が出てきていますが、一般的・概括的に言うと、「カンディール山地(Mount Qandil; Kandil, Kandeel)」の各地を空爆しています。カンディール山地とはイラク北部のイランとの国境地帯の山地で、ドフーク県とスレイマーニーヤ県にまたがり、イランのザグロス山脈につながっています。ここにPKKが拠点を築いています。この山脈のイラン側ではイランのクルド反政府組織PJAK(the Party for Freedom and Life in Kurdistan)が活動しているとのことです。カンディール山地でのPKKと関連組織の活動については、次のようなレポートが10年近く前にあります。

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 1,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 17, September 21, 2006.

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 2,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 18, September 21, 2006.

次のものは、2011年1月にニューヨーク・タイムズに掲載されたルポ。この後「アラブの春」でPKKのことは一時期すっかり忘れられていましたが・・・

“With the P.K.K. in Iraq’s Qandil Mountains,” The New York Times, January 5, 2011.

この時点ではトルコがイラクのクルディスターン地域政府(KRG)を取り込んでPKKをじわじわと追い込んでいっている様子が描かれていました。その後2012年から2013年にかけて、PKKをゆくゆくは武装解除させる見通しが立つほどのトルコにとって有利な和平交渉を開始することができたのですが、いまや状況が変わりました。

クルディスターン地域政府は、トルコのPKKがイラクに越境してきて拠点を築くことを、「客人を歓待する」という曖昧な形で黙認してきました。一緒になってトルコと戦うのではなく、PKKを積極的に匿うわけでもない、ただ、遠い親戚の同胞が逃げてきたから一時的に住まわせている、という姿勢です。

クルディスターン地域政府、特にその大統領のマスウード・バルザーニーが指導し自治区の北部を地盤とするクルディスターン民主党はトルコ政府と関係を強化しており、トルコにとってはイラク北部は経済的な影響圏となっています。トルコに接したエリアを拠点とするクルディスターン民主党にとっては、陸の孤島であるクルド自治区を経済的に成り立たせるにはトルコとの良好な関係が不可欠です。イラク中央政府との関係が常に緊張含みであるクルド地域政府は、トルコから兵糧攻めにあったら持ちません。

ですので、クルディスターン地域政府は、PKKに「用が済んだら帰るように」と告げています。

“‘PKK should evacuate Mount Qandil’: KRG official,”ARA News, July 5, 2015.

でも、強制的に追い出すわけではないので、立ち退かないでしょうね。一時的にトルコやシリアに越境して軍事作戦をやるなどして留守にするにしても。

このPKKの拠点をトルコが攻撃したので、イラクのクルディスターン地域政府は、一応遺憾の意を表明しています。

“Kurds condemn Turkish air strikes inside Iraq,” al-Jazeera English, 26 July 2015.

これがトルコの関係を悪くするほどの強い意志表明なのか、クルド民族意識に配慮してトルコに抗議して見せたのか。真実はまだわかりません。

PKKそのものも、これで2013年以来のトルコとの和平交渉を破棄して、全面的に武装闘争に戻るかというと、そうでもないかもしれません。ただし、しばらくの間はテロを行って力を示し、交渉に戻るにしても強い立場で戻ろうとするので、トルコとPKKの紛争がしばらく続きそうです。

これについて米国は、トルコが自衛の権利を行使してイラクのPKK拠点を攻撃しているものとみなして、原則は黙認していますが、和平に戻ることを要請しています。

西欧諸国は、トルコがPKKと戦うことを苦々しく見ているようです。

このあたりは、ガーディアンの記事が手際よくまとめています。

“Turkey’s peace with Kurds splinters as car bomb kills soldiers,” The Guardian, 26 July 2015.

トルコはPKKと時に激しく対立し軍事行動に出ることが、5年に一回ぐらいはありますから、今回の空爆で、完全に和平が壊れたとは言えないでしょうが、「イスラーム国」の出現でクルド勢力の役割が高まっている中でのトルコの対クルド軍事行動は、これまでとは違った意味を持つようになるかもしれません。

特に、イラクのPKK拠点を攻撃している間は、イラク・クルディスターン地域政府は目をつぶり、米国は消極的に支持し、西欧諸国からも窘められながら黙認されるかもしれませんが、「イスラーム国」の打倒という共通目標に逆行すると

その意味では、シリア北部でのトルコの軍事行動が、対「イスラーム国」ではなく明確に対クルドである、特に対「イスラーム国」で現在もっとも力を発揮しているYPGに対するものであるとはっきりした場合、トルコの欧米との関係も危うくなるでしょう。その点で心配なのが、この記事です。

“Turkey denies targeting Kurdish forces in Syria.” al-Jazeera English, 27 July 2015.

トルコの砲撃が、YPG主導で掌握しているコバニ近辺の村に対して行われている、という報道です。

【寄稿】トルコのシリア国境の町スルチュでクルド勢力を狙った自爆テロ

連休も講演をすませてあとは必死に論文書きをしていたが終わらず。いや、そのうち二本は終わったんだが大きいのが二本終わっていない。限界までやっているんだがなあ。

しかし日々のニュースは見ておかないとついていけなくなる。論文にも関係あるし。

没頭しているとこのブログにはほとんど手をつけられないのだが、英語やアラビア語のニュースはPC画面ではこの横に表示されるツイッターの窓@chutoislamで、空いた時間の一瞬をついてリツイートしてあります。また、『フォーサイト』では日本語でニュースの要約・解説をする「中東通信」をやっています。

最新のものは、池内恵「トルコのシリア(コバネ)との国境の町スルチュで支援団体の集会に自爆テロ」『フォーサイト』2015年7月20日

それにしてもややこしい。シリア北部のコバネの戦闘は注目を集めましたが、「イスラーム国」から奪還する勢力となったクルド人勢力に対して、コバネと接するトルコ側で自爆テロ。それもトルコ側とシリア側で同時にやっている・・・

トルコ政府からいうと「トルコ側でもシリア側でもクルド勢力は一体」ということを同時攻撃で見せつけられたわけで・・・「イスラーム国」はサウジやクウェートではシーア派を狙って、被害者と中央政府を分断する戦略ですが、同じことをトルコではクルド人を狙うことでやっているように見えます。これは効果がありそう。トルコ側のクルド人が「トルコ政府は頼りにならない」と武装化する→トルコ政府はトルコ側とシリア側のクルド勢力を攻撃→クルド勢力が一体化して独立武装闘争へ・・・なんてことにならないようにお願いしますよ。本当に行ける国がなくなってしまうではないか。

でも、この調子だと次にイスタンブールが狙われそうなのが怖い。あんな大きな都市だから、万が一テロがあっても自分が巻き込まれる可能性は極めて低いのだが、一回テロがあれば政府の「退避勧告」みたいな話になってしまいかねない。

中東問題としてのギリシア危機

今話題のギリシア債務危機。「借金払わないなら出て行け」と言うドイツの世論とそれに支えられたメルケル政権、言を左右し前言を覆し、挙げ句の果てに突如、交渉提案を拒否するよう訴えて国民投票に打って出たギリシアのチプラス政権、それに応えて圧倒的多数で交渉提案を否決してしまう国民。確かに面白い対比です。ユーロ離脱の決定的瞬間を見たい、といった野次馬根性もあって、国際メディアも、中東の厄介なニュースを暫し離れてギリシアに注目しています。

ギリシア問題は、一面で「中東問題」であるとも言えます。もちろん狭い意味での現在の中東問題ではありませんが、根幹では、オスマン帝国崩壊後に近代国際秩序に十分に統合されていない地中海東岸地域に共通した問題として、中東問題と地続きであると言えます。

私はギリシアは専門外なので、深いところはわからないのだが、目に見える表層を、特に建築を通じて、素人ながら調べてみたことがある。

そこでわかったことは、現在のアテネなどにある「ギリシア風」の建物は大部分、19世紀に「西欧人」特にドイツ人やオーストリア人の建築家がやってきて建てたということだった。途中からギリシア人の建築家が育ってきて、ドイツ人やオーストリア人建築家の弟子として引き継ぎはしたものの。

1832年のギリシア王国建国で王家の地位に就いたのはギリシア人ではない。なぜかドイツ南部のバイエルン王国から王子がやってきて就任した。なぜそうなったのかは西欧政治史の人に聞いてください。

それで王様にドイツやオーストリアの建築家がついてきて、ギリシアのあちこちに西欧人が考える「ギリシア風」の建物を建てたのである。

例えば、「ギリシア問題どうなる」についてのBBCなど国際メディアの特派員の現地レポートの背景に(私は6月末の本来の債務返済期限のカウントダウンの際には日本に居なかったので日本のニュース番組でどう報じていたかはわからないが、多分同じだったと思う)必ずと言っていいほど映り込むギリシア議会。

これです。

ギリシア議会

いかにも「ギリシア的」ですね。

でもこれ、ドイツ人の建築家が19世紀前半に建てたんです。ドイツから来た王様の最初の正式な王宮でした。

近代西欧に流行した建築様式としての、古代ギリシア(+ローマ)に範をとった「新古典様式」の建築です。西欧人の頭の中にあった「古代ギリシア」を近代ギリシアに作っていったんですね。

ギリシアの「ギリシア風」建築の多くがドイツ人など近代の「西欧人」が設計したものであるという点については、マーク・マゾワーのベストセラー歴史書『サロニカ』を『外交』で書評した時に、本の内容はそっちのけに詳細に書いてしまった。

『外交』の過去の号は無料で公開されています。このホームページの第12号のPDFのところの下の方、「ブックレビュー・洋書」というところをクリックすると記事がダウンロードされます。『外交』に2年間、12回にわたって連載した洋書書評の最終回でした。

池内恵「ギリシア 切り取られた過去」『外交』Vol. 12, 2012年3月, 156-159頁.

現在の世界の歴史家の中で、学者としての定評の高さだけでなく、一般読者の数においてもトップレベルと思われるマゾワー。その「ギリシアもの」の代表作で、英語圏の読者には最もよく知られて読まれている『サロニカ(Mark Mazower, Salonica, City of Ghosts: Christians, Muslims and Jews 1430-1950)』は、第一次世界大戦によるオスマン帝国の最終的な崩壊の際の、現在ギリシア領のテッサロニキ=当時のサロニカが被った悲劇を描いている。サロニカ=テッサロニキは、アナトリア半島のギリシア人(ギリシア正教徒)と、現在のギリシア側のトルコ人(イスラーム教徒)の「住民交換」とその過程で生じた多大な流血の主要な場であった。

マゾワーの本はやっと翻訳され始めている。まずこれ。Governing the World: The History of an Idea, 2012の翻訳が『国際協調の先駆者たち:理想と現実の二〇〇年』として、NTT出版から刊行されたところです。

続いてNo Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations, 2009『国連と帝国:世界秩序をめぐる攻防の20世紀』として慶應義塾大学出版会から刊行される予定だ。

さらに、Dark Continent: Europe’s Twentieth Century, 1998の翻訳が未来社から出る予定であるようだ

これらはいずれも、国連や国際協調主義の形成といった、国際関係史の分野のものだが、ぜひ著者の狭い意味での専門である、ギリシア史・バルカン史の著作にも関心が高まるといいものだ。

「中東」としてのギリシアについて、それがオスマン帝国の崩壊によって生まれたものという意味で中東問題と根が繋がる、といった点についての論考は、近く『フォーサイト』(新潮社)に掲載される予定です。

そんなにオリジナルな見解ではなくて、今日出席した鼎談でも、元外交官の中東論者が同じようなことを仰っていた。中東を見ている人がギリシアに行くと共通して思うんでしょうね。

『フォーサイト』に長く連載してきた「中東 危機の震源を読む」(『中東 危機の震源を読む (新潮選書)』として本になっています)と「中東の部屋」ですが、「イスラーム国」問題が人質問題として日本の問題になってしまったあたりから、個人としての日本社会向けの発言という意味もあって、その他いろいろ思うところがあって、個人ブログやフェイスブックを介した、読者への直接発信に労力を傾注してきた。

直接的な情報発信は今後も続けていこうと思うのだが、しかし、個人ブログで何もかも書いてしまうと、媒介となるメディアが育たない。私の議論を読む人は、私の議論だけでなく、ある程度は質と方法論を共有した他の専門家の議論にも触れて欲しい。

今後はもう少し、これまで縁のあった媒体を中心に、間接的な発信を再び強めていこうと思う。

そうはいっても、私の本来の任務である論文・著書の刊行義務がいよいよ重くのしかかってきているので、あまり頻繁にというわけにはいかないが。

そこで、ギリシアの中東としての意味や、建築史の搦め手から見たギリシア近代史といった、緩やかな話題からリハビリ的に『フォーサイト』への寄稿を再開してみようと思っている。

グローバル・ジハードの連動か:金曜日に3件のテロ(チュニジア、クウェート、フランス)

Braking News Al Jazeera Eng

本日、6月26日の金曜日、中東各地に加え西欧でも、グローバル・ジハードに感化されたか呼応したと見られるテロが並行して生じています。相互の関連は不明です。関連がなくても(むしろ関連のない人と組織が)、呼応してテロを連動させることがグルーバル・ジハードの基本メカニズムです。

(1)チュニジアの西海岸の主要都市スース近郊のビーチ・リゾートにあるホテル(Riu Imperial Marhaba hotel)を狙ったテロで少なくとも27人が死亡(GMT13:00前後)。なおも銃撃戦が続いているという報道もある。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/gunmen-attack-tourist-hotel-tunisia-150626114019519.html
http://www.bbc.com/news/world-africa-33287978
http://www.bbc.com/news/live/world-africa-33208573

(2)クウェートのクウェート市でシーア派のイマーム・ジャアファル・サーディク・モスク(Imam Ja’afar Sadiq Mosque)が爆破され、少なくとも8人が死亡。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/deadly-blast-hits-kuwait-mosque-friday-prayers-150626103633735.html
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-33287136

(3)フランスのリヨン近郊サン=カンタン=ファラヴィエール(Saint-Quentin-Fallavier)で米国系企業Air Productsの工場が襲撃され、少なくとも一人が殺害された。犯人は一人が銃撃戦で射殺され、一人が逮捕されたとする報道がある。「イスラーム国」の黒旗を掲げていた、車に爆発物を積んでいたとの報道もある。勤め先の上司を殺害し遺体の首を切断して襲撃現場に置き、メッセージを残したとされる。
http://www.theguardian.com/world/live/2015/jun/26/suspected-terror-attack-at-french-factory-live-updates
http://www.bbc.com/news/world-europe-33284937

クウェートの事件については、ラマダーン月の金曜日で集団礼拝に多くの人が集まるのを狙ったと見られる。サウジアラビア東部州で先月続いたシーア派モスクへのテロがクウェートに波及したことになる。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203169783844486
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171393244720
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171435885786

チュニジア・スースの事件については、ラマダーンと暑気払いを兼ねて金・土曜日の週末を現地人も外国人居住者も近郊リゾートなどで過ごすことが多いところを狙ったのだろう。

フランス・リヨン近郊の事件については、ローン・ウルフ型の小集団による自発的な犯行の可能性が高いが、詳細はまだ確定できない。

なお、池内はチュニジアにもクウェートにも、フランスにもいませんので、関係者はご安心ください。

チュニジアは今年2月の調査の裏を返し、3月のバルドー博物館襲撃事件以降の雰囲気を知りたかったが、明らかにチュニジアの安定を揺るがそうとする扇動が行われていて、呼応する集団がいることが感じられる状況では、身を守る手段を持っていない以上回避しました。

イラクとシリアの「イスラーム国」の活動が次に波及するのであれば、アラブ湾岸産油国のシーア派を抱えた国になるので、クウェートとバーレーンも調査の候補にしていたが、これも結局回避していました。直前まで検討して、最も危険が少ないところに渡航して、安全な距離をとって観察しています(前回のチュニジア渡航ではまだ安全だったチュニスからリビア情勢を見ていました)。

イスラーム教をなぜ理解できないか(4)「リベラル・バイアス」を単刀直入に言うと

先日紹介した、Temptations of Powerの著者Shadi Hamid氏が、‘Moderate Muslims’という小文をワシントン・ポスト紙のブログに寄せている。

「穏健派ムスリム」を探すのはもうやめよう、という議論で、欧米で(日本でもそれを一知半解に真似て)繰り返されるクリシェの批判から、根本的な思想問題に触れている。

The way we use the term, “moderate” means little more than “people we like or agree with.” Almost always, it signals moderation relative to American or European standards of liberalism, freedom of speech, gender equality and so on.

「穏健派ムスリム」を持ち上げて、「イスラーム国」などの「過激な」「本来の姿ではない」「多数派ではない」の価値を落とそうとする議論はごく自然に行われているが、中東の実態、宗教教義の実態を知れば、単純にそうは言い切れなくなる。ここでハミードは、「穏健派ムスリム」と言うときは、実際は欧米のリベラルな基準から、言論の自由やジェンダーの平等などを受け入れる相手のことを言っているだけで、要するに「欧米人が好きになれる相手、合意できる相手」と言っているに過ぎないのだ、と喝破する。

そんな欧米人に気に入られることを欧米で言っている人たちは出身国に帰ると「穏健派」とはみなされておらず、単にout of touchだと思われている、という。

Yet in their own countries, people who want to depoliticize Islam and privatize religion aren’t viewed as moderate; they’re viewed as out of touch.

中東を相手にしているとごく普通に感じられることをそのまま書いている。これが欧米の知識社会では言いにくいんですよね。言うとイスラーモフォビアに毒された非文明人であるかのように扱われてしまう。

エジプトのような現地の国では社会全体が保守的なので、世俗主義者でさえ非常に非リベラルな信念を報じているのだ。

The search for moderate Muslims misunderstands the nature of the societies we’re hoping to change. It would be extremely difficult to find many Egyptians, for instance, who would publicly affirm the right to blaspheme the prophet Muhammad. The spectrum is so skewed in a conservative direction that in countries like Egypt, even so-called secularists say and believe quite illiberal things.

欧米の議論は、なぜムスリムはリベラルで世俗的な時代に加わってくれないのか、というフラストレーションを抱えている。しかしこれはいかに善意であれども生産的ではない、見下した態度だ、という。

The subtext of so many debates over Islam and the Middle East is frustration and impatience with Muslims for not joining our liberal, secular age. However well-intentioned, such discussions are patronizing and counterproductive.

日本で俗に言う「欧米のイスラーム理解は間違っている!」という主張とはかなり異なった思想的課題があるということがよくわかりますね。通説は「本当はムスリムはリベラルなのに、そうではないとする欧米のオリエンタリズムが間違っているんだ」という議論なのです。実際に中東に行って議論をすれば、それは嘘だということはよく分かります。日本の俗説は、「中東」を根拠にして「欧米」を叩いているふりをしながら、実際には欧米の特定の学説を権威として掲げて日本での言説支配の手段とし、要するに流用しているだけのことが非常に多い。

俗説や「権威」に流されずにモノを考えるのが思想史。本当に考えるべきことを考えていれば、視野が開けてきます。

イスラーム教をなぜ理解できないか(3)「ルター・バイアス」が曇らす宗教改革への道

連続講座のようになってきた。今回が第3回となるのか。

まず、日本では宗教を「こころ」の問題と捉えることで、イスラーム教の律法主義的な原則が捉えにくくなる

それに対して、欧米のリベラル派は、リベラルな価値観が普遍的だと信じるあまり、「本当のイスラーム教はリベラルで、リベラルではないイスラーム教徒は何か間違っている、物質的原因によって強制されているのか、教育が足りない」と思ってしまう。さらには「イスラーム教がリベラルではないと分析する観察者はオリエンタリズムだ、イスラーモフォビアだ」と断定してしまって、現実に目を向けなくなる。

日本と欧米である種の論者がそれぞれ囚われているバイアスが、イスラーム教を見えにくくしている。

欧米では、自らの宗教改革の歴史を普遍的なものと捉え、世界に適用してしまうことで、イスラーム教徒が抱えている思想的課題が見えにくくなるという、もう一つ別のバイアスもある。

これについて指摘したのが、この論考。

Mehdi Hasan, “Why Islam doesn’t need a reformation,” The Guardian, 17 May 2015.

欧米では、「イスラーム国」の蛮行がイスラーム教の教義に基づいているという認識が出てきて、そこで「宗教改革をやれ」と問題化されるようになった。しかし、その際にイスラーム教でどのような宗教改革が必要なのかを理解せず、欧米の歴史をそのまま援用して論じてしまう。そこから、イスラーム世界にルターのような人物が出てきて、原典に立ち返り、教会権力と聖職者たちから解釈権を奪って宗教解釈を民主化すれば、テロも人権抑圧もなくなる、と安易に前提にしてしまう、というのがざっくりとまとめるとメフディ・ハサンがここで議論している内容だ。

イスラーム教のスンナ派では元々が聖職者によるヒエラルヒーや教会権威はない。ヨーロッパのプロテスタントが行った「純化」はすでにイスラーム教においては行われた。サウジアラビアはまさにそこから生まれた。

The truth is that Islam has already had its own reformation of sorts, in the sense of a stripping of cultural accretions and a process of supposed “purification”. And it didn’t produce a tolerant, pluralistic, multifaith utopia, a Scandinavia-on-the-Euphrates. Instead, it produced … the kingdom of Saudi Arabia.

異なる宗教には異なる歴史的経緯があり、教義の体系があるのだから、どこの宗教にも「ルター」が出てくるわけではないし、「ルター」が出て来れば宗教改革になるわけではない。むしろ、イスラーム世界にルターが現れるとすれば、それはまさに「イスラーム国」のバグダーディーのような言動をとるだろう、とも言うのである。

With apologies to Luther, if anyone wants to do the same to the religion of Islam today, it is Isis leader Abu Bakr al-Baghdadi, who claims to rape and pillage in the name of a “purer form” of Islam – and who isn’t, incidentally, a fan of the Jews either. Those who cry so simplistically, and not a little inanely, for an Islamic reformation, should be careful what they wish for.

ところが欧米では、イスラーム教徒を出自とする論者がルター風な宗教権威批判をすると、それこそが未来のイスラーム教解釈だと思い込んでもてはやされてしまい、現実を見失う、というのがこのコラムでの批判である。

これもまた頷けるところが多い議論だ。

昨日紹介したシャーディー・ハミードの論考でもこの点は触れられている。

The Muslim world, by comparison, has already experienced a weakening of the clerics, who, in being co-opted by newly independent states, fell into disrepute.

宗教権威が弱くなったことで、イスラーム主義者が台頭し、「イスラーム国」のような種類のものも現れてくる。

また、イスラーム世界に「ルター」に相当する人物を探すなら、それはサウジアラビアの厳格な宗教解釈を形作ったイブン・アブドルワッハーブだろう、と言う。

Some might argue that if anyone deserves the title of a Muslim Luther, it is Ibn Abdul Wahhab who, in the eyes of his critics, combined Luther’s puritanism with the German monk’s antipathy towards the Jews.

ルター的な宗教改革は現在のイスラーム世界で求められてもいないし、必要でもない。

もちろんある種の宗教改革は必要であるという。ムスリムは自らの伝統遺産の中から多元主義と寛容と相互尊重の理念を見出してこなければならない。

Don’t get me wrong. Reforms are of course needed across the crisis-ridden Muslim-majority world: political, socio-economic and, yes, religious too. Muslims need to rediscover their own heritage of pluralism, tolerance and mutual respect – embodied in, say, the Prophet’s letter to the monks of St Catherine’s monastery, or the “convivencia” (or co-existence) of medieval Muslim Spain.

不要なのは、非ムスリムあるいは離教ムスリムによる、非歴史的で反歴史的な改革要求であるという。

What they don’t need are lazy calls for an Islamic reformation from non-Muslims and ex-Muslims, the repetition of which merely illustrates how shallow and simplistic, how ahistorical and even anti-historical, some of the west’s leading commentators are on this issue.

私自身も『イスラーム国の衝撃』の中で、「宗教改革を必要とする時期にきているのではないか」という旨を簡潔に記しておいた。イスラーム教の固有の発展を踏まえた、現段階で必要な宗教改革とはどういうものなのか。私自身も議論を進めてみたいと思う。

イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス

昨日の「「こころ教」のガラパゴス」(2015年6月10日)が随分シェアされて、いいねが1100を超えている。イスラーム教の宗教規範について、日本の規範と対比させることで理解しやすくなった人もいるのではないか。

日本では「こころ」に特化した宗教認識が広がることで、それを「常識」「普遍」と受け止めてしまい、それに合わないイスラーム教が「宗教ではない」ように見えてしまったり、「真のイスラームはそんなものではない、もっとひとりひとりの『こころ』を大事にしたものであるはずだ」と強弁して中東の現実から目を閉ざしたりしてしまう。

これについては、読んだ人自身が思い当たるところがあったのではないだろうか。イスラーム教をなんとか知ろうとして手に取った本にそんなようなことが書いてあったりもしたはずだ。

少し構図は違うのだが、欧米でも固有の条件下で同様の障壁があり、認識や議論が阻害されている。欧米の議論は日本でそれを一知半解に受け売りする人たちによってさらに歪みを増幅させて、日本国内での知的権力構造の中で移入され拡散されるので、新たな誤解と障壁を生む。

「欧米のイスラーム理解は誤っている」という議論は多いが、実際にはそういった議論は、欧米のリベラル派の立場からイスラーム教の実際の信仰のあり方に目を閉ざし、欧米での議論を保守派・宗教右派批判という文脈で一方的に表象しているため、それ自体が政治的な意図やバイアスを大いに含み、誤解を生んでいる。

欧米の議論の、本当の意味での制約やバイアスについては、「イスラーム国」をどう理解すればいいのか、という議論が湧き上がる中で、これまで躊躇していた人たちが、慎重に、あるいは思い切って、提起し始めている。

例えばこれ。

Shadi Hamid, “The Roots of the Islamic State’s Appeal: ISIS’s rise is related to Islam. The question is: How?” The Atlantic, Oct 31, 2014.

著者のシャーディー・ハミードは、「イスラーム国」の参加者たちは、宗教を「イデオロギーとして利用」しているのではなく、本当に信じているのだ、という点を、どうにか欧米の読者に理解させようとする。

In this most basic sense, religion—rather than what one might call ideology—matters. ISIS fighters are not only willing to die in a blaze of religious ecstasy; they welcome it, believing that they will be granted direct entry into heaven. It doesn’t particularly matter if this sounds absurd to most people. It’s what they believe.

これは「リベラル・バイアス」の問題だろう。いくつもある、欧米の主流派の議論が、善意のつもりで帰って中東の現実を見誤ってしまう原因の、一つである。これ以外にプロテスタント的な宗教改革をイスラーム世界に生じさせれば問題は解決すると信じるいわば「ルター・バイアス」や、宗教解釈を民主化して一般信徒が解釈できるようにして聖職者・教会権力の支配を解体すれば一般信徒は穏健な解釈をするようになる、という「民主化バイアス」もあると思われるが、これについては別のエントリで論じよう。

ハミードは、欧米の政治学者(ハミード自身を含む。彼はアラブ系だが欧米で教育を受けて欧米の研究機関に勤める、明らかに個人的信条としてはリベラルな人である)は、イスラーム教徒が非リベラルな宗教教義を自発的に信じていることを理解しがたいという。宗教やイデオロギーやアイデンティティを、物質的な要因によって引き起こされるものだと捉えるように、欧米の政治学者は教育・訓練される。これは、政治学者だけでなく、合理的・個人主義的で世俗主義的な世界観を持つ欧米の一般的な人、その中でも特に知識階層に共通すると言ってもいいだろう。それが、「イスラーム国」が依拠する、多数のイスラーム教徒が実際に信じている信条や行動原理を、理解することを妨げているというのだ。

Political scientists, including myself, have tended to see religion, ideology, and identity as epiphenomenal—products of a given set of material factors. We are trained to believe in the primacy of “politics.” This isn’t necessarily incorrect, but it can sometimes obscure the independent power of ideas that seem, to much of the Western world, quaint and archaic.

「イスラーム国」は、リベラル派が信奉する決定論、すなわち歴史は合理的で世俗的な未来へと発展していくことを運命づけられているという決定論が、中東の現実を説明できないことを明らかにした、とハーミドは論じる。

The rise of ISIS is only the most extreme example of the way in which liberal determinism—the notion that history moves with intent toward a more reasonable, secular future—has failed to explain the realities of the Middle East.

ここでハミードは、「イスラーム国」は「イスラーム的」と言えるのか?という核心をついた、専門家が誠実であれば誰もが内心は問いかけつつ、表向き表現することに躊躇する問いを立てる。そして、「イスラーム的だ」と答える。イスラーム教徒の多数派が「イスラーム国」を支持するわけではない。しかし、「イスラーム法によって統治されるカリフ制を復興すること」そのものについては異論がない。

ISIS draws on, and draws strength from, ideas that have broad resonance among Muslim-majority populations. They may not agree with ISIS’s interpretation of the caliphate, but the notion of a caliphate—the historical political entity governed by Islamic law and tradition—is a powerful one, even among more secular-minded Muslims.

「イスラーム教徒は我々と同じように育っているじゃないか、同じもの食べて、同じように子供達を育てているじゃないか」といった、おそらくは善意からの共感の言説は、実態から目を逸らすだけである。大多数のイスラーム教徒にとって、平和を求めることと、離教者には死刑で臨むべき、姦通には石打ちの刑を、と信じることの間に矛盾はないのだから、とハーミドは世論調査の結果を踏まえて言う。

This is why the well-intentioned discourse of “they bleed just like us; they want to eat sandwiches and raise their children just like we do” is a red herring. After all, one can like sandwiches and want peace, or whatever else, while also supporting the death penalty for apostasy, as 88 percent of Egyptian Muslims and 83 percent of Jordanian Muslims did in a 2011 Pew poll. (In the same survey, 80 percent of Egyptian respondents said they favored stoning adulterers while 70 percent supported cutting off the hands of thieves).

ハミードの議論はまだ続くのだけれども、それはまた別の論考とも合わせて議論することにしよう。

このようなことも言っている。

イスラーム教の教義体系にムスリムが完全に縛られているわけではないが、完全にそれから脱することもできない、というのだ。

Muslims are not bound to Islam’s founding moment, but neither can they fully escape it.

イスラーム教は教義の構造上、信者個々人が自由に選んだり捨てたりできるものではない。根幹の部分を変えることも難しい。ただ「棚上げ」して実際には適用しない、という便法が社会的な合意があれば通用するだけだ。その合意も簡単に壊れてしまう。

ハミードのこういった議論は、「アラブの春」以後の民主化の試みによって、実際にアラブ諸国の多数派のムスリムの民意が選挙で表出されたことを踏まえている。そこからハーミドが出した結論は、「政治的な自由化が行われば、非リベラルな思想の持ち主が多数派を占めるアラブ世界では、非リベラルな民主主義が誕生しかねない」というものだ。

これがハミードが昨年刊行した『権力の誘惑ーー新しい中東におけるイスラーム主義者と非リベラルな民主主義』(オクスフォード大学出版会)の中核的な議論である。


Shadi Hamid, Temptations of Power: Islamists and Illiberal Democracy in a New Middle East, Oxford University Press, 2014.

ハミードはこれを東欧やラテン・アメリカなど欧米的な価値観を基本的に受容した地域の事例とは異なる、世界の民主化の中での新たな事例としてとらえる。東欧やラテン・アメリカでは、社会の多数派の信条としては欧米的なリベラルな思想が広がっているにも関わらず、政権は言論の自由とか人権とか法の支配といったリベラルな規範を実現すると権力を維持できないから、それらを制限する。そこで、何らかの原因で制限が弱くなれば、リベラルな民主主義が実現しうる。ところがアラブ世界の場合は、社会の側が非リベラルな信条を抱いているために、民主化して多数派の意見が取り入れらると、非リベラル化してしまう、という。

アラブ世界のイスラーム教徒の多数派が実際に信じているものを、そのまま見つめれば、事態はかなり分かりやすくなる。欧米の議論のゆがみとは、実際には、現実のアラブ世界のイスラーム教徒はリベラルではないにも関わらず、リベラルな価値や世界観が普遍的であると信じている欧米のリベラル派がそのことを認められないがゆえに議論が混乱しているのである。

しかし欧米のリベラル派はしばしば、「アラブ世界のイスラーム教徒は実際にはリベラルなのに、欧米がオリエンタリズムによる誤った表象によって非リベラルであると誤認している、そのことが中東で問題を引き起こすのだ」という議論をする。しかし実際に選挙をやってみると、本当に非リベラルな主張が票を得て当選して権力を握ってしまう。民主化を是とするならば、非リベラルな、他者に寛容ではない民主主義を受け入れるのか?それが、中東に出自を持つ、リベラルな欧米人であるシャーディー・ハミードの問いかけである。

アンワルどうなる

「イスラーム国」日本人渡航計画騒ぎで10月のスケジュールは壊滅。

ひと月で原稿を4万字ぐらい書きました。時間的にも体力的にも墜落寸前まで行きましたが、ぎりぎりで大方終え、連休は会議のため日本脱出。少し休ませていただきます。

マレーシア・クアラルンプール行き。

ASEANシフトの一環です。恐れと憎しみが向かい合う欧米・中東を逃れて希望のアジアへ(ドミニク・モイジ『「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか』の受け売り。クーリエでの国際政治を読み解く10冊でも実は入れておきました。全部リストアップしてしまうと版元に悪いのでブログには書かなかったけれど)。

成田2サテライトJAL

中東に行くにはスターアライアンス系か湾岸系に乗るので、ほとんど行ったことのないことのないターミナル2のサテライトへ。JALは久しぶり。マレーシアやオーストラリアにはANA自社運航便がないんですね。

成田KLフライト1

上空は晴れ渡っていい気持ち。

成田KLフライト2

雲にもいろんな形がある。

窓閉めて、書評の〆切りが来ているイスラーム金融関連の本を読みながら(←マレーシアに行く途中で読むと気分が乗る)・・・

気づくと窓の下には・・・

マレーシアKL椰子1

もしかしてニッパ椰子?

金子光晴だ!

赤錆〔あかさび〕の水のおもてに
ニッパ椰子が茂る。
満々と漲〔みなぎ〕る水は、
天とおなじくらゐ
高い。
むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞〔みなひだ〕から出て、
ニッパはかるく
爪弾〔つまはじ〕きしあふ。
こころのまつすぐな
ニッパよ。
漂泊の友よ。
なみだにぬれた
新鮮な睫毛〔まつげ〕よ。
〔以下略〕(金子光晴「ニッパ椰子の唄」より)

でもよく見ると妙に列になって生え揃っているし、沼沢地よりは地面も堅そうなので、ニッパ椰子ではなくて普通の椰子を植林したのかもしれん。まあいいか。
マレーシアKL椰子3

再び「ニッパ椰子の唄」より

「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
金子光晴『女たちへのエレジー』 (講談社文芸文庫)より

・・・・注釈をつけると金子光晴は、今なら若干メンヘラ気味と言われたかもしれない詩人の森三千代とくっついたり離れたりしながら将来の見えない放浪の旅を続け、こういった詩を書きました。

せっかくだからここで、金子光晴の破れかぶれ放浪自伝を、『マレー蘭印紀行』に加え、「三部作」の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』を挙げておこう。



さて、空港に到着。お隣のゲートは、今年さんざんだったマレーシア航空機。

KL空港マレーシア航空機

タクシーでホテルに付いたらすぐにレセプション。

今回の主役はこの人(分かる人には分かるすごく偉い先生も写っています)。

アンワル1

アンワル・イブラヒム元マレーシア副首相。

ムスリム学生運動を指導して、マハティール首相に取り立てられ政権入り。後継者に指名されていたが、1998年のアジア通貨危機をきっかけにした内政危機でマハティールと決裂。

後継者に任命してくれたマハティールは一転、徹底的にアンワルを攻撃するようになり、それ以来、同性愛とか職権乱用とか、まあ普通に考えて濡れ衣だろうな、と見られる嫌疑をかけられては投獄され、風向きが変わると出てきて活動を再開する、という形でやってきて、今も裁判を続けている。

しかし野党を率いて、昨年5月の総選挙では総得票数では与党を超えるまでに伸長して、ナジブ政権を追い詰めている。

アンワル2

今回の会議は、絶妙に、マレーシア内政の政争にぶつかってしまった。蒸し返された「同性愛疑惑」裁判でアンワルに禁固刑の判決が下り、それに対する最高裁への上告審が先週10月28日から始まり、明日本人が最高裁に出廷して最後の弁論をし、それでも上告が棄却されて判決が確定すると、明後日にも収監されてしまうかもしれないという危機的状況にあります。

「「同性愛行為」事件でアンワル氏の審理開始 マレーシア最高裁、収監も」『産経新聞』2014年10月28日

この裁判の動向は各国で注目されていますが、とりあえずガーディアンから。

Anwar Ibrahim begins appeal against sodomy conviction, The Guardian, 28 October 2014.

アンワル出廷

政府寄りなのでまったく公平とは言えませんが(そもそものマハティールとの決裂以来ひたすら「疑惑」をかけられているという経緯を書いていない)、マレーシアの英字紙The New Straits Timesで、与野党の最近の法廷内・法定外での闘争の細かいところを押さえると、

Chronology of Datuk Seri Anwar Ibrahim’s sodomy trial, The New Straits Times, 27 October 2014.

Tension mounts as supporters of Anwar, Saiful camp, The New Straits Times, 29 October 2014.

Anwar’s appeal enters third day, defence continues with submission, The New Straits Times, 30 October 2014.

Anwar sodomy appeal: Prosecution to begin submission tomorrow, The New Straits Times, 30 October 2014.

アジアで政治家をやるのは大変です。それでも中東よりずっと平穏な気もしますが・・・

主役が会議の最終日には収監されてしまいかねないという劇的な展開になっております。

詩とか読んでノスタルジーに耽って一休み、という訳にはいかないようです。

最終日は本来は、イスラーム世界の民主主義の現状について、会議の結果を宣言文にして出す計画なのですが、別種のマレーシア内政に関わる政治的声明を出さねばならなくなってしまうのか。

欧米系のNGOが会議を仕切っているのであれば、非常にストレートに非難声明を出すのでしょうが、日本のやり方は内政干渉や上からの説教という形は取らないのが普通だ。しかし民主主義に関する会議を開いていて、最中に主催者が投獄されても何も言わないという訳にはいかないでしょう。緊張しますね。

スリン・元タイ外相・元ASEAN事務総長、ハビビ・元インドネシア大統領など、ムスリムでアジアの民主化を担ってきた人たちが会議の参加者なので、そういった人たちの発言が注目されます。

イスラーム世界の民主主義の経験を相互に共有し、達成点と問題点を洗い出して将来の方向性を見出していく、という今回の会議のテーマに、ある意味ぴったりの展開ですが、前途の困難さを再確認させてくれます。

~夏休みの自由研究の課題を発表~トルコの英字紙3紙を読み比べてみよう

いつもはこのブログではかなり懇切に中東に関するメディアの紹介や新聞記事の内容を解説していると思うが、今日は忙しいし、せっかくトルコにいるのでいろいろやることがある。

なので今回は媒体と記事のタイトルだけ。ちょうど夏休みの自由研究を駆け込みでやる時期なので、頑張ってみる人は自分で読み進んでください。

ちょうど滞在中の8月28日には、先日の大統領選挙の結果を受け、エルドアン首相が大統領に就任した。代わりに首相にはダウトウル外相が首相に指名された。翌29日にはダウトウル内閣が発足。

エルドアン大統領就任2014年8月28日
エルドアン新大統領夫妻とギュル前大統領夫妻

今後のトルコを基礎づける重要な動きが続くが、これをどう報じ、論評するか、トルコは各新聞が明確に党派性を打ち出すので、いわば「ポジション・トーク」が満載。慣れてくると読まないでもほぼ内容の見当がつき、タイトルや筆者の名前を見るだけでほとんど隅々まで予想できるようになる。

そのようになるための訓練として、下記の課題。

【課題】トルコにはウェブ上で読める主要な英字紙が3つある。『Daily Sabah』『Hurriyet Daily News』『Daily Zaman』の三紙のエルドアン大統領就任、ダウトウル首相就任、ダウトウル内閣組閣についての記事を読み、それぞれの媒体の政治的背景と、論調の特徴、相互の対立点についてまとめてみる。

という感じでいいんじゃないですか。

ウェブの紙面はどんどん更新されてしまうので、8月28日から29日午前にかけて画面に大きく出ていた記事をピックアップしてURLを張り付けておきます。

1.Daily Sabah
ERDOĞAN SWORN IN AS FIRST DIRECTLY ELECTED PRESIDENT OF TURKEY

SUCCESS STORY OF THE MAN WHO HAS BEEN LEADING TURKISH POLITICS FOR OVER A DECADE

NEW PM DAVUTOĞLU SEEKS SECOND ECONOMIC BOOM

PRESIDENT ERDOĞAN AND PRIME MINISTER DAVUTOĞLU

PRIME MINISTER DAVUTOĞLU ANNOUNCES THE NEW CABINET

BABACAN: THE ONLY MINISTER TO SERVE IN ALL AK PARTY GOV’TS SINCE 2002

“NEW TURKEY” MEANS NEW UNION AND PEACE

12 MORE GÜLENIST OFFICERS DETAINED OVER ESPIONAGE

2.Hurriyet Daily News

Erdoğan sworn in as Turkey’s 12th President

As it happened: Erdoğan takes over Turkey’s presidency after tense parliamentary ceremony

Erdoğan as 12th president and successor to Atatürk

Main opposition leader slams Erdoğan, boycotts presidential inauguration

Davutoğlu takes helm, pledges unity, harmony with presidency

The prime foreign minister

3.Daily Zaman

Kılıçdaroğlu: CHP won’t respect Erdoğan until he respects Constitution

Erdoğan sworn in as president, main opposition boycotts ceremony

Several media outlets denied entry to presidential palace

Turkish police fire teargas at protesters after Erdoğan sworn in

All 13 officers detained in Adana set free

Power back on in tense Southeast towns

Incoming Prime Minister Davutoğlu to announce new cabinet

Davutoğlu announces new government, Çavuşoğlu new foreign minister

Davutoğlu pledges to toe the line for Erdoğan

Erdoğan uses aggressive, discriminatory rhetoric in farewell speech

Attendance at Erdoğan’s inauguration not to be as planned

Historic character of mansion destroyed in renovations for Erdoğan

パトリック・シールの死

あんまり時間がたたないうちに書いておこう。

4月11日に、イギリスの著名な中東ジャーナリストのパトリック・シールが亡くなった。1930年生まれで、享年83歳。

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代表作はAsad: The Struggle for the Middle East, 1988.

今のシリアのバッシャール・アサド大統領の父親、ハーフィズ・アサド前大統領の評伝で、シリア現代政治史の一級資料とされる。この本自体はいわゆる学術書の体裁は取っていないが、どんな研究書でも必ず言及・引用される本だ。(もちろん日本のジャーナリストの作品と比べれば、文献の参照の仕方も引用の仕方も、格段に学術的な方法で書かれているのだが)。

アサド前大統領本人を含むシリアの政権・支配階層と親交を深めて、アサドの来歴・人物像と、アサド体制の在り方を明らかにした。秘密に閉ざされた独裁政権の存立根拠を知るために、最適の本となっている。今後も参照され続けるだろう。

他にも著名な作品がいくつもある。

The Struggle for Syria, 1965から始まったシールの著作家としてのキャリアは、レバノン建国の父リヤード・アッ=スルフの評伝、The Struggle for Arab Independence: Riad el-Solh and the Makers of the Modern Middle East, 2010まで続いた。2011年以来のシリア内戦に際しても、イギリスや国際的なメディアに姿を現して解説することも多かった。亡くなったと聞いてちょっと驚いた。

彼の文章のスタイル自体が、パトリック・シールの人となりを十分に表しているとは思うのだけれども、英語圏のインテリの間ではよく知られている彼の来歴やエピソードを記せば、より何かが伝わるかと思う。

この人は、「かつての」欧米の中東研究がどういうものであったか、身をもって示している。広く言えば、オリエンタリズムの伝統の中での現代中東研究という、一つの重要な流れだが、そこにはイギリスのエリート・上流社会(そしてそこに連なろうとする一時期の米国の上流社会を含めて)の精粋というべき華やかな光の部分と、同時に、少なくとも私から見れば、嫌~な影の部分、あるいは残酷な日常の両方が、現れている。

欧米の中東研究の厚みというものは、欧米諸国が国として、社会として、文化として、中東の国家と社会と文化に深く絡み合ってきたところに由来する。そのことを忘れて、現地のアラブ社会やイラン社会などの表面上の民族主義的な言説に囚われると、現実を見失う。あまりに欧米の影響が強いから、それを否定する民族主義的言説も強まるのであって、反欧米の言説の存在は、現実の社会が欧米とかけ離れているとか無縁でありうることを全く意味しない。

だから、中東に興味を持つ際には、日本人のぼんやりした欧米への反感・コンプレックスを中東の「民衆」に託さないでください、というのが短期的にはアドバイスなのだけど、そういう日本独自の問題はここではもはやどうでもいい。

この欧米と中東との骨がらみの関係を知るということがまず第一に重要なことだ。

植民地時代が遠ざかるにつれて、欧米と中東との関係は薄れてはいるが、形を変えて残っている。根っこにはどのような関係があってそれが今でもどのように影響を与えているかを窺い知るには、幾人かの、際立った個性を持った、欧米社会の中で突出し、世間の耳目を集めてきた人たちが、どのように中東とかかわっていたかを知ることが、大きなヒントとなる。

イギリスやアメリカには、何人か同じような系統の人がいるけれども・・・今回はパトリック・シールについて。

イギリスの新聞のObituaryは格調高く、胸を打つものが多い。ガーディアンと(系列の日曜紙)オブザーバーに、同じ筆者が二つ書き分けているので、まずこれらを見てみよう。パトリック・シールはもともとオブザーバー紙の中東特派員だった。

まず彼の生まれ。オブザーバーの方では簡潔にこう書かれている。

Seale was born in Belfast in May 1930 but spent the first 15 years of his life in Syria, where his father Morris was a Christian missionary. He became irredeemably fascinated by the Levant.

北アイルランドのベルファスト生まれ。父が宣教師で赴いたレバント地方(シリアやレバノン)で幼少期を過ごした。

これらは重要な情報ですね。欧米の、年配世代の中東専門家は、第一次大戦後に植民地となったシリア・レバノンに出向いた宣教師や植民地行政官の子息が多い。小さいうちにアラビア語を身に着けつつ、欧米のエリート社会に根っこを持つ。エリート社会の生まれと言っても、本国に残って安楽な生活をするのではなく、冒険心や宣教意欲などが活発な、活動的な人の家庭で育ったということも、人格に影響を与えているだろう。

ガーディアンにはもっと踏み込んで来歴が書いてある。

Born in Belfast, Patrick was the son of Reine Attal, a midwife of Tunisian-Italian origin, and the Arabist and biblical scholar Morris Seale. Shortly after his birth the family moved to Syria, where for 20 years they ran the Irish Presbyterian mission. Patrick grew up between the Old City of Damascus and the mountain village of Bloudan, places and people in a landscape that would forever entrance him during the final years of Syria’s deeply resented French Mandate rule.

お父さんは宣教師だったが、お母さんにももともと北アフリカの血が入っていたのですね。単にシリア・レバノンで育っただけでなく、チュニジア人とイタリア人の混血という、当時はごく普通でもあった地中海世界を横断して行き来する人の流れと、母を通じてつながっている。当然、視野は地中海世界全体、アラブ世界全体に広がるだろう。

また、お父さんが宣教師でありつつアラビスト・聖書研究者であったとも書かれている。学者肌の人だったんですね。

また、北アイルランド生まれだけど、プロテスタント、というところも意味深い。北アイルランドの複雑で緊張した社会の中で、もともとが支配する側だったんですね。もちろんどういう経緯で父がアイルランドに住んでいたのかは分からないけれども。

カトリックとプロテスタントの紛争の最前線に生まれたともいえる。それがパトリックが生まれてすぐ家族でシリアに移住し、(カソリックの)フランスの支配の下にあったシリアでプロテスタントの宣教活動に従事している。今度は英仏の植民地競争の最前線に移ったわけだ。大戦と、宗派紛争や民族独立闘争も目にしているだろう。

ここまでが出自で、十分に劇的ですが、その後の人生はもっと陰影に富む。

例えば、キム・フィルビーとの関係。

In the early 1960s, he worked in Beirut as a freelance contributor to the Economist and the Observer. That paper’s Middle East correspondent, based in the city, was Seale’s friend Kim Philby, the British agent shared by MI6 and the KGB. Seale’s break came in 1963 when Philby fled to Moscow. Seale was awarded the Observer posting, though did not use it as cover for being an MI6 operative.

単にオブザーバーの特派員だった、というわけではなくて、あの有名な二重スパイ(イギリスのMI6の諜報員として活動しながら、実際にはソ連KGBのスパイだった)の「キム・フィルビーと親交があり、かの有名なソ連への亡命後には、後任の特派員となった」という点が、彼の経歴に彩りを与えている。

「ただしMI6には入らなかったよ」と書かれていますが、世間のイメージ的にはスパイ映画の主人公みたいな人なんですね。

イギリスのスパイ(風の人)ということになると、学歴はほぼ想像がつく。オックスフォードかケンブリッジです。キム・フィルビーは「ケンブリッジ5人組」の一人だが、シールはオックスフォード。しかしそれに至る過程も見ると面白い。

He was educated at the French lycee in Damascus and at Monkton Combe school, near Bath, a haven for sons of the clergy. After a national service commission, part of which he spent in a tent in the Suez Canal Zone and most of the rest in the Intelligence Corps, Seale studied philosophy and psychology at Balliol College, Oxford (1950-53).

第二次大戦直後の時期と思われますが、徴兵でスエズ運河地帯で過ごすとともに、やっぱりインテリジェンス部隊に配属されていますね。宣教師の家庭に生まれてかつ中東に、それもフランス統治下のシリアに一家で住んでいたのですから、ラテン語、ヘブライ語およびフランス語、アラビア語の言語能力には長けていたでしょう。最適の人材ではあります。それをもってその後の人生においてスパイとして活動していたと決めつけることはできませんが、そのような人材であったとはいえるでしょう。

で、名門のオックスフォード大学ベリオール・カレッジに学んでいます。

At the end of the decade he returned to Oxford to pursue Middle East studies at St Antony’s College.

大学院で、中東など国際関係に強いセント・アントニーズ・カレッジでも学んでいます。

ここまでは基礎編。

上級編は?

よく知られた「あのこと」はどこに書いてあるんだろう。

「あのこと」というのは、奥さんと娘さんのこと。

オブザーバーの末尾には簡潔にこのように。

He married twice: Lamorna Heath in 1971, who died in 1978, mother of Orlando and Delilah; and Rana Kabbani, from whom he was separated, mother of Alexander and Jasmine.

ガーディアンでは、より詳しく、
Seale married Lamorna Heath in 1971; she died in 1978. Seven years later, he married Rana Kabbani; they eventually separated. She survives him, as do their children Alexander and Yasmine, and Orlando and Delilah, the children of his first marriage.

とありますが、肝心なことが書いてないな。

負の側面や批判的なことも書くイギリスのObituaryも、男女関係のややこしい話については遠慮するのですね。一つ勉強になりました。

ためしにフィナンシャル・タイムズを見ると、私生活については一切書いていない。

なお、フィナンシャル・タイムズの末尾の

Patrick Seale wrote history in the grand style.

という一言はなかなか良いですね。

話を戻すと、私生活について、上品なガーディアンやビジネス誌のフィナンシャル・タイムズでは書かないにしてもよそではどうなっているんだろう。もうちょっと大衆的な(純然大衆紙ではないですけれども)テレグラフを見ると、、、書いてありましたよ。控えめですけれども。

In 1971 Patrick Seale married Lamorna Heath, who died by her own hand seven years later after producing a son and a daughter. It turned out that the daughter, Delilah, was actually fathered by the novelist Martin Amis. Seale told Delilah (and Amis) the truth when she was 18.

さらっと書いてるけれども、かなりの悲劇を私生活で体験してきた人だということは分かりますね。「1971年にラモーナ・ヒースと結婚したけれども、彼女は7年後に自殺した。息子一人、娘一人を残して。娘の方は、実際には小説家のマーティン・エイミスが父だった。シールはそのことを娘が18歳の時に告げた」。

ものすごく端折っているので、なんだかすごいひどいことが行われたという印象をかえって強く受けるような文章ですね。

しかも、娘の名前が「デリラ」・・・・

娘にそんな名前つけるかあ?

デリラというのは、旧約聖書に出てくるサムソンの妻。サムソンは古代イスラエルのヘブライ人の士師(指導者)で怪力の持ち主。ヘブライ人を糾合してペリシテ人の支配を退ける。ペリシテ人がサムソンを倒そうと虎視眈々と狙っているが倒せない。しかしサムソンはペリシテ人のデリラと恋に落ちる。サムソンの弱点は、その髪を切ると怪力が失われること。デリラはサムソンを誘惑してそれを聞き出し、夫が寝ている間に髪を切ってしまう。ペリシテ人たちはサムソンを捕え、両目をえぐり、ガザの牢獄に繋いで、石臼を挽かせる。サムソンは神に祈る。やがて髪が再び伸びだし、怪力を取り戻したサムソンは、つながれていた鎖を引きちぎり、建物の柱を倒して崩壊させ、ペリシテ人たちを皆殺しにする・・・・

聖書の中でも際立って酷薄で陰惨で妖艶な物語です。

サン=サーンス作曲のオペラ「サムソンとデリラ」でも有名です。映画もありました。

実は私、小学生の時に、父親がプログラムに解説を書いたか何かでチケットが回ってきて、このオペラを見に行かされたことがあって、全然意味分かりませんでしたが、石臼に繋がれて暗闇で呻吟するサムソンの唸り声、最後に盲目のサムソンが力を振り絞って大伽藍を崩壊させる時の大音響、ペリシテ人たちの阿鼻叫喚の声、だけが記憶に残っています。子供に見せるようなものではありません。トラウマになりますね。

「デリラちゃん」の命名で度肝を抜かれてしまいましたが、そもそもその出生が尋常でなかったですね。ええと、母は1971年にパトリック・シールと結婚したんだけど、7年後の1978年に母は自殺して、実はデリラちゃんはシールとの間の子供ではない?相手はマーチン・エイミスとかいう作家?

このあたりは、「イギリスの読者は知っているから書かない」という部分と「追悼文だからあえて書かない」ところが混じって分かりにくいです。ですので、下世話で不謹慎ですが、パトリック・シール+デリラとかで検索してみると、出てきます。

デリラさんについての記事。まず、あんまり下世話ではないガーディアンの記事にしましょう。

“My long lost dad, Martin Amis,” The Guardian, 26 February 2011.

Her own family narrative has been rather more complex. When Delilah was two, and her brother, Orlando, three, their mother, Lamorna Heath, hanged herself. Heath, a writer, had had depression for many years. Her husband, the writer Patrick Seale, was left to bring up the two children alone, which he did, in spite of having learned, a few months after Delilah’s birth, that he was not her father. During a short period when he and Heath were separated, Heath had had an affair with the novelist Martin Amis, and Delilah was the result.

デリラさんが二歳の時に母は首を吊った・・・それだけで怖いですが、勇気を振り絞って先を読んでみましょう。彼女はこの時まだ2歳。

あれ、年齢が合いませんね。お母さんのラモーナ・ヒースさんがパトリック・シールと結婚したのは1971年で自殺したのが1978年のはずでしたが。亡くなった時にデリラさんはまだ2歳で、しかし父親が違う?

During a short period when he and Heath were separated, Heath had had an affair with the novelist Martin Amis, and Delilah was the result.

お母さんが家を出ていた時期というか不倫していたというか、私のようなお子様にはよく分からな~いオトナの事情があった上で戻ってきたお母さんはデリラを身に宿していた。パトリックはそれを受け入れ、自分の子として育てた・・・

まあ、二人(三人)の間のことですから、そこにどのような事情があったのかは、分かりませんけれども。ヒースさんは戻ってきて3年後には自殺しているわけですよね。

デリラさんの実の父のマーティン・エイミスは、パトリック・シールよりももっと有名な作家です。

マーティン・エイミスは自伝でこの件について触れているようです。

Amis knew about her. As he wrote in his autobiography, Experience, Heath had told him and had given him a photograph. “It showed a two-year-old girl in a dark flower dress, smocked at the chest, with short puffed sleeves and pink trim. She had fine blond hair. Her smile was demure: pleased, but quietly pleased.”

ガーディアンの記事ですから、上品に書いてありますね。

しかしマーティン・エイミスという作家、有名ですが、そんなに評判の良い作家ではありません。悪名高きというべきか、いや、それこそ悪名ばかりが高いというべきか。

もっと大衆的な新聞を読んでみましょう。

“Martin Amis’s lovers laid bare,” Evening Standard, 2 June 2009.

「マーティン・エイミスの恋人を暴露する」。「暴露する」が「裸にする」をも意味する表現で、まあ、お下品。

そこで過去のスキャンダルのうち有名なものをいくつか列挙されているのだが、そこでデリラさんの名前が挙げられている。

Delilah Seale
Learned Amis was her father on the night of her A-level results when journalist Patrick Seale, who had brought her up, broke the news over dinner. “I cried and cried,” she wrote. Met Amis a year later after exchanging letters in which he told how he had decided not to be part of her life. Now a 33-year-old television producer living in west London.

Aレベル試験というのはイギリスの高校卒業資格試験=大学入学試験のことだが、その結果が出た嬉しい日の夕食の席で、大人になった日ということでもあるのか、育ての父パトリックはデリラに出生の秘密を明かした。何もそんな日に教えてくれなくっても・・・

デリラさんは “I cried and cried.”

大衆紙らしい単調なお涙ちょうだいの表現ですが、痛ましい話であることは確かです。

ここは多分に想像ですけれども、パトリックさんは優しいけれども、複雑で、かなり残酷な一面があるんじゃないかな。そもそもデリラなんて名前、普通は付けないだろう。

しかし「デリラ」と名付けて、パトリック・シールは血の繋がっていない娘にどのような人生を送ってほしいと思っていたんですかね。異民族の権力者を誘惑し、籠絡し、欺き、裏切って、悲劇のどん底に突き落とし、それが原因で最後は自らの国を崩壊させる?

実の名前というよりタレントの芸名ならあるかもしれませんが。

娘さんの方は自分の名前の意味を分かるようになると、呪いでもかけられたように感じるのではないかと心配しますがどうでしょうか。

デリラさんはテレビ業界に勤めていて、写真を見るとなかなかきれいな人であって、それでゴシップ紙にしょっちゅう取り上げられているのでしょうね。で、常に「マーティン・エイミスの子」「母親は不倫の末自殺」と言われ続ける。

その際に、「影」のような人物としてパトリック・シールは取り上げられるということなんですね。中東専門家として世界中の学生に知られているシールさんですが、イギリスでは、奥さんが有名な作家とあんなことがあってこんなことがあった人なんだよ、と常に語られてしまう人でもあったんですね。

しかしマーティン・エイミスって、確かに名前は聞いたことあるけれども、どんな作品書いていたっけ?というと思いつかない。

こんな記事を読むと、

Martin Amis is the most argued about novelist in the United Kingdom, largely, I suspect, because hardly anyone reads him.

「エイミスはイギリスで最も議論の的になる小説家だ。なぜかというと、誰も彼の小説を読んじゃいないからだ」なんて書かれているので、私が不勉強というだけではないようだ。要するに作品よりも私生活で有名な人。

この記事のタイトル”Martin Amis: The Mick Jagger of letters(マーティン・エイミス──文学のミック・ジャガー)”がすべてを物語っているんでしょうな。

マーティン・エイミスは、お父さんが著名作家のキングズレイ・エイミス(Kingsley Amis)という、毛並みの良い二世作家。先ほどのイブニング・スタンダードの記事によると、実はマーティンは大学生の途中まであんまりイケてなくて、しかしティナ・ブラウンという、後にニューヨーカーとかヴァニティ・フェアとかの編集者になったセンスのいい女性と付き合ってから開眼して「文学のミック・ジャガー」になったそうな。開眼したといっても「文学に」というよりは「ミック・ジャガー方面に」なんでしょうけど、と突っ込みを入れたくなるのは私がずっとイケてないままだからか。たぶんそうです。

In 2007, he revealed that it was Tina Brown, former editor of Tatler, the New Yorker and Vanity Fair, who made him the man he is today and he credited her with transforming him into a literary Mick Jagger.
The romance began when he was 23 and she was a 19-year-old undergraduate at St Anne’s College, Oxford. “She was and is adorable,” he said.
Amis was the son of Lucky Jim author Kingsley Amis and had graduated with a First in English from Exeter College, Oxford. After Brown, he went on to squire some of the most eligible women of his generation.

学歴はやっぱりオックスフォードだそうです。オックスフォード出の人たちの中でぐるぐる回っている人間関係なんですね。マーティン・エイミスは1949年生まれ。パトリック・シールより19歳も年下なのか・・・

なお、パトリック・シールは再婚して、そして離婚しているのだが、その相手の名前を見ると中東研究者にはピンとくる。

テレグラフの追悼文では、次のようにあります。

In 1985 he married Rana Kabbani, a Syrian from whom he was later separated. He is survived by his second wife and by four children, two from each marriage.

ラナ・カッパ―ニーさんという、シールの次の奥さんは、調べてみるとやはり、ニザール・カッバーニーという、シリアの近代史上最大の詩人の姪のようです。

かつてのイギリスの中東専門家というのは、イギリスの上流・エリート社会の文化に根差していた。もちろんすごい主流というよりは、ちょっと脇の方の「影」の方なんだけれども。それでも社会の注目を集める人士であることは確かだ。彼らは植民地支配や世界大戦を背景に中東に渡って経験を積み、現地の上流・エリート階級と交じり合った。欧米の植民地的な中東への進出は、双方の上流階級を結合させることで、現地の民族が国家として独立した後も、影響力を保っているのです。シールさんは元の奥さんとの関係を通じて、シリアの上流階級の一部でもあるわけです。そういうところから、アサド家への排他的なアクセスも得られて、誰にも書けない本を書ける根拠になる。逆に、ラナ・カッバーニーさんにしても、イギリスのメディアでシリア問題のコメンテーターとして活躍する「セレブ」となっています。

日本で大学のアラビア語クラスで必死に単語や活用憶えて、ひげ生やしてアラブ人風にしてみて、、、などというやり方では到底敵わない世界ですね。

でもまあ、中東と関係の薄い日本から中東を見ているのは、息苦しくなくていいんですけど、個人的には。

【海外の新聞を読んでみる】オバマの言葉と行動

ワシントン・ポスト紙のデービッド・イグネイシアスのコラムが、分かりやすく面白かったのでメモしておく。

David Ignatius, “Obama tends to create his own foreign policy headaches,” The Washington Post, May 7, 2014.

オバマの来日(アジア歴訪)の評価には諸説あったし、実際に各国の会談で何が話し合われたかとか、それが今後の国際政治にどのような影響を与えていくかについては、その場にいた人にしか分からないし、時間がたってみないと分からないことだ。ここではより広い背景として、オバマ政権の外交をめぐって、ワシントンで定着した「雰囲気」「共通認識」を読み解いていこう。

「弱くなったアメリカ」という印象は日本でも一般レベルにまで浸透しつつあるので、イグネイシアスの議論は一見してそれほど意外なものではないかもしれない。

昨年のシリア問題での「弱腰」、対イラン交渉での「宥和姿勢」、そして打つ手に欠くウクライナ情勢と対ロ政策・・・といった一連の出来事の中で、米国の覇権の衰退の「印象」は世界的に広がり、そこにオバマ大統領の政治姿勢が特に要因となって作用しているのか、あるいはもっと根底的な米国そのものの弱さが露呈しているのかは、米国でも世界各国でも議論の的になっている。

日本でも、これまで抑えられていた反米感情の噴出が、左右両方の議論に出てきている。

そんな中で、米国のリベラルな秩序原理による覇権の持続を志向し、オバマ大統領にかなり好意的で、オバマが叩かれているときにもかなり無理して擁護論を買って出る傾向の強いイグネイシアスが、ここにきてオバマにかなり厳しい言葉を投げつけている。最終的には支持して応援しているんだけれども。

タイトルは「オバマは対外政策の悩みの種を自分で撒いている」といった意味。

最初の段落では、オバマのアジア歴訪のハイライトだったフィリピン・マニラでのオバマの発言に触れながら、

Everything he says is measured, and most of it is correct. But he acts as if he’s talking to a rational world, as opposed to one inhabited by leaders such as Russia’s Vladimir Putin.

(意訳)「彼の言っていることはいつも正しいんだよ。でも行動がね~。世界は理性的な人たちばかりだと思っているみたいなんだよ。実際には世界はロシアのプーチンみたいな指導者ばかりなんだけれど」

プーチンのウクライナ政策が「理性的」でないかどうかは議論があるだろう。少なくとも軍事的・安全保障上の戦略合理性という意味では理性的だと言いうる余地がある。経済的に中長期的に持続可能かというと理性的でない、というのは欧米の議論だけでなくロシア側の学者も内心は認める人が多いかもしれない。ただしここでのイグネイシアスの「理性的」という言葉にはアメリカの議論の当然の前提として「リベラルな」という要素が含まれている。その意味ではプーチンは「理性的でない」ように見えるだろう。

イグネイシアスは基本的に米国中心のリベラルな国際秩序が今後も支配的であり続けることを支持している人であると思うが、リベラルな側が一時的であれ劣勢に立たされているという点を認める。プーチンのような相手に対して、オバマはあまりにもリベラルで理性的すぎるというのだ。世界政治には厳然とパワーポリティクスの要素があり、ロシアはそれを前面に押し出してきている。

In the realm of power politics, U.S. presidents get points not for being right but for being (or appearing) strong. Presidents either say they’re going to knock the ball out of the park, or they say nothing. The intangible factors of strength and credibility (so easy to mock) are, in fact, the glue of a rules-based international system.

(意訳)「パワーポリティクスの領域では、米国大統領は正しいことによってではなく、強いこと(あるいは強く見えること)によって得点を挙げるのだ。大統領は「場外ホームランを打ってやる」と言えばよい。さもなければ何も言うな。力と信頼性(これを嘲るのは簡単だ)という、目に見えない要因が、ルールに依拠した国際システムを成り立たせているのだ。」

「オバマの言葉」の卓越性は広く知られている。私も中東政策をめぐって、有名な「カイロ演説」やエルサレムでの演説などいくつか読み込んでみたことがある。実によくできている。感動的だ。言葉の上では。それが行動による裏付けを伴うものであれば、本当にオバマ政権は「変化」を世界に及ぼせるという期待を呼び覚ますに十分だった。

しかし大統領の任期も終盤に来て、「オバマの言葉」がどれだけ行動による実質を伴っているか、大いに疑問が付されるようになっている。そしてオバマ大統領やその政権の資質と能力によるのか、あるいは米国の相対的な国力の低下によるのか、華々しい言葉と裏腹の貧弱な実施能力、あるいは意志の欠如が、世界各国で印象づけられている。2013年の中東政策はそれをもっとも鮮明にした。同じことがウクライナ問題をめぐっても、あるいは中国をめぐる東アジアでも起こりかけているのではないか、と世界中の視線が集まっている。

イグネイシアスはここで、行動への能力や意志とかけ離れた、華々しすぎるオバマの言葉を控えよと論じている。相手がプーチンなので、昔のヤンキーの喧嘩みたいになっているが・・・でっかいホームランを打ってやるぞと言うか、そうでなければ黙ってろ、というのだから。

ここで重要なのは、でかいことを言えというのではなく、言うこととやることを一致させて、できないことなら言うな、ということだろう。これは世界中でオバマに言いたい人がいっぱいいるだろう。

Under Obama, the United States has suffered some real reputational damage. I say that as someone who sympathizes with many of Obama’s foreign policy goals. This damage, unfortunately, has largely been self-inflicted by an administration that focuses too much on short-term messaging.

(意訳)「オバマ政権下では、米国はかなり手ひどく評判を損ねた。オバマの対外政策の目標に共感する私にしてそう言わざるをえない。この損害は、不幸なことに、オバマ政権の自傷行為だ。政権は短期的なメッセージにこだわりすぎるのだ。」

リビアのベンガジで米国の総領事館が襲撃され大使が殺害された2012年9月のベンガジ事件の際のオバマ政権の対応が再検討されて今また政治問題になっている。この問題の本質は、オバマ政権がメディア向け広報戦術の「スピン」を気にかけすぎたことだ、というのがイグネイシアスの批判だ。巧みに言いつくろったことで、かえって印象操作で失策を隠蔽したと批判される原因になっている、という。

そして、これは単なるミスではなくオバマ政権の本質にかかわるものではないかと示唆している。

the administration spent more time thinking about what to say than what to do.
「オバマ政権は何をするかよりも何を言うかに時間をかけすぎている」

明確にオバマを支持している論客のイグナチエフは、しばしば政権から最新の情報をリークされてコラムを書き、ワシントンの政策論のフレーミング(枠組み・方向づけ)や、観測気球を揚げる役割を果たしている(と広く認識されている)。いわばオバマ政権の広報戦術の実施部隊みたいな人なんだが、その彼にしてこんなことを言い始めている。

しかし反オバマに回ったというよりは、ワシントンや同盟国の首都(日本を含む)のオバマ大統領・政権に対する不満・不信感があまりに強いのを察知してガス抜きに走っているような印象を受ける。認識ギャップの修正、期待値の下方安定化ですね。

じゃあオバマはどうしたらいいか?と言うと、「でっかいホームランを打て」というのではなく、「慎重であれ」と一転して矛先が鈍る。

How can Obama repair the damage? One obvious answer is to be careful: The perception of weakness can goad a president into taking rash and counterproductive actions to show he’s strong.
「弱いという印象を跳ね除けようとして、強く見せようとするあまり、短兵急な、逆効果の政策に走ることがあるからね」という。で、

One of Obama’s strengths is that he does indeed understand the value of caution.

「そのことは大統領も十分わかっていらっしゃいます」とな。結局お仲間なんですね。

“Say less and do more” is how one U.S. official puts it. That’s a simple recipe, and a correct one.

「多くを語らずに、多くを為せ」というシンプルなやり方が、正しいやり方だ、という。これからは無口なオバマが見られそうですね。すでに訪日・訪韓でもそんな感じでした。無口で小食。

で、ウクライナをめぐって強硬な発言でプーチンと競り合って見せたりせずに、米国の強みである経済でじっくり追い詰めろ、とアドバイスしています。

しめくくりに再び、

The counter to Putin is strong, sustainable U.S. policy. To a battered Obama, three words: Suck it up.

「ボコボコにされたオバマだが、ここはぐちゃぐちゃ言わずにじっと耐えろ」だって。

基本的にオバマ政権の政策に賛成であるイグネイシアスのような論客からも、「語りすぎたオバマ」の、言葉と行動のギャップから来る米国の威信の過度な衰退への危機意識が高まっているようです。

なお、ウクライナ問題をめぐって「最終的には経済要因が重要だ」から「プーチンの政策は持続的ではない」というのは英語圏の有力メディア・論客の議論の最大公約数のようで、イグネイシアスもこの立場のようだ。それに対しては、「非合理的」なものを含む安全保障の論理、特に地政学的な要因を強調して反論する議論も、これまた英語圏の一部の有力な論客から出ている。この論点についてはいくつも面白い論稿が出ているので、また考えてみたい。

(関連本)
オバマとイグネイシアスが念頭に置くであろう、アメリカのリベラル派の考える「国際秩序」とは?

【海外の新聞を読んでみる】ヘーゲル国防長官訪日を世界はこう見る

 米国のヘーゲル国防長官が4月4日に来日し、昨日(4月5日)夕方には安倍首相と会談した。国際的にはかなり注目されている訪日なのだけれども、肝心の日本での報道は、全部見たわけではないけれども、低調。

例えば毎日は、

「安倍首相:アジア重視堅持歓迎 米国防長官に」『毎日新聞』2014年04月06日東京朝刊

 この記事では、首相側から「中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発などを念頭に『米国がアジア太平洋重視政策(リバランス)を堅持していることを歓迎する』と表明」したとされ、その上で「両氏は日米同盟を一層強化していくことで一致した」という。

 また、首相から「集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更を検討」していることを説明して、ヘーゲル国防長官から「歓迎する」という応答があったという。

 また、首相から「『アジアの安全保障環境が厳しさを増す中、(ヘーゲル氏の)今回の来日で日米の強力な同盟関係は不変だというメッセージを出してほしい』と述べた」という。

 そして普天間問題についてのやり取り。

 国際的にみて重要なのは、「ウクライナ情勢を巡っては『力を背景とする一方的な現状変更の試みは決して容認できない』との立場を確認」した、と辛うじて一文で触れている点。

 その上で、

「北朝鮮の核開発に対し、韓国を含めた3カ国で緊密に連携することでも一致した」という。

 で、だからなんだという分析は一切載っていない。

 興味深いのは、ほとんどすべてが「首相側から」何を言ったかという点に終始していること。それに対するヘーゲル国防長官の反応については、この記事からは良く分からない。米側がなんて言っているのかが聞きたいのですが。

 朝日ではもっと短くしか触れられていない。

「米国防長官が安倍首相と会談 普天間問題などで意見交換」『朝日新聞』(デジタル版)2014年4月5日20時34分

 安倍・ヘーゲル会談の全体像については、「東アジア情勢や米軍普天間飛行場の移設問題について意見交換した」という意味づけ。

 集団的自衛権、普天間、と短く触れた上で、ヘーゲル国防長官が「私のアジア歴訪の理由の一つは、この地域に対する米国のコミットメントを再び保証するためだ」と述べたとされる。

 重要なのは、この記事では、中国問題について非常にあいまいで(「中国の海洋進出」について話し合われた、とあるが誰がどういう姿勢なのかが分からない)、ウクライナ問題については、どんなやり取りがあったのかどころかやり取りがあったか否かすら、一言も触れられていないこと。

 もしかすると紙面では、あるいはデジタル版のどこかほかの記事では、触れられていたのかもしれないけれども、私は探し出せていない。社論として他にキャンペーンを張りたいことが多分あるので、肝心なことが紙面から押し出されて、載らなくなる。あるいは、今の外交・安全保障上の問題そのものを、読者に認識させたくないのかもしれないとすら邪推させてしまう。

 どうも埒が明かないので、もう一方の直接の当事者である米国の視点での意味づけを、ためしにニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストから見てみよう。

 まずワシントン・ポスト。

“Hagel seeks to reassure allies in Asia amid questions about U.S. commitment,” The Washington Post, April 6, 2014.

冒頭から、ロシアのクリミア併合を受けて、米国との同盟が信頼に値するのか不安を感じ、再確認を求める米同盟国の一つとして日本を見ている。

On his fourth trip to Asia as secretary of defense, Chuck Hagel is attempting to reassure allies in a region brimming with territorial disputes amid concerns about Russia’s takeover of Crimea.

Spooked by the speed and ease with which Russia annexed the peninsula last month, close U.S. partners in the region are questioning the strength of security cooperation agreements with Washington.

 グローバルな視点からは、日本は、米国との安全保障関係上、サウジアラビアとか、イスラエルとか、トルコとかと似た立場にあって、似たような懸念を持っている、と見られています。

 そういう文脈への意識が日本の新聞では見られないのは、残念です。もっぱら中国と韓国との関係が感情的にクローズアップされますが、もっと広い視野も提示してほしいものです。

 さらに、ニューヨーク・タイムズの記事。

“U.S. Response to Crimea Worries Japan’s Leaders,” The New York Times, April 5, 2014.

 これは「そのものずばり」ですね。

 タイトルは、「米国のクリミア問題への対応は、日本の指導者を不安にさせている」。

 この記事では、現在の日米関係の懸案事項を、グローバルな視野においては、ウクライナ情勢と根を同じくする問題としてとらえている。クリミア併合をめぐって米国が言葉の上ではロシアを批判しつつ、実際の行動ではロシアの行動を抑制する能力あるいは意思がなさそうに見えている点が、どう日米関係に影響するか、という問題設定がなされている。

 問題となっているのは、ウクライナをめぐって、米国が冷戦終結後に行った約束を反故にしたこと。ここでの「約束」とは、冒頭に触れられている1994年の「ブタペスト覚書」である。冷戦時代に旧ソ連の内部だったウクライナに配備されていた核兵器を、1991年に独立したウクライナが廃棄する代わりに、米国の当時のクリントン大統領が、ウクライナの領土保全を「尊重する」と約束した。

 しかし実際に2014年にロシアがウクライナからクリミアを武力の威嚇の下で奪取すると、米国はこれを黙認する姿勢である。米側はブタペスト覚書については「拘束力がない」と知らんぷり。

 これでは日米安保条約に基づいて、中国の脅威から守ってくれるという約束も、いざとなると履行されなくなるんじゃないの?と日本側が思っても当然だよね、と米側、というか世界中の国際政治に関係する人は思っている。ヘーゲル訪日で最大の議題はこれだよね、と誰もが思っているので、そこのところどうなの?とあちこちに聞いてみました、という趣旨の記事。

 記事はこういう風に書いてほしい。

 で、米側の匿名の軍関係者に聞くと、日本側がしきりに聞いてきている、「同じことがウチについても起こるんじゃないの?」と。

Japanese officials, a senior American military official said, “keep asking, ‘Are you going to do the same thing to us when something happens?’”

 そうなると、今回のヘーゲル訪日の要点は、米側が日本に対して、日米同盟の意義と堅固さをどれだけ「再確認(reaffirm)」することができるか、ということになる。ヘーゲル訪日に至る、日米防相会談や軍参謀総長レベルでのやり取りなどを、この問題のすり合わせの過程としてこの記事では触れている。

 で、これまでのやり取りでは北朝鮮のミサイルの脅威に関しては両国の一致した対処に何ら揺らぎがないことが確認されている。まあ当然ですね。
 
 しかし日本側は、対中国、特に尖閣問題について米側が日米安保条約の範囲とすると確認することを求めている、というのが記事の後段のヤマ場のところですね。

 But in meetings over the last few weeks, Obama administration officials said, Japanese officials have been seeking reassurances that the security treaty will apply to the Senkakus.

 対中国の問題になると米側も口を濁すようになる。尖閣が占領されたら米国は守る、とは米国は絶対に言わない。その言わない感じがどう英語で表現されるかが、次の部分などに見えますね。

American officials say there is a wealth of difference between Ukraine and Japan, and between Crimea and the Senkakus. What is more, they say, there is a big difference between the Budapest Memorandum and the mutual security treaty with Japan that was signed in 1952 and that has redefined American-Japanese relations in the 60 years since.

 ウクライナに与えた約束と、日米安保条約じゃ全然質が違うよ、といった形で間接的に「安心しろ」と言っているわけです。

 その後のところでは、そういった形でとりなされても、日本側では、でもなあ、クリミア問題への米国の対応を見ていると、米国には中国に立ち向かう意志がないだけじゃなくて、能力もないんじゃないの?と思い始めている、という点が記されています。予算強制削減があって軍が縮小しているところに、対ロシアで東欧に重点配備しなければならないとなると、米のアジアを重視する、という政策も頓挫してしまうのではないかな、という恐れが日本側にあるという。

 そして、日本側がそういう不安を抱くのと同時に、中国側は勢いづいているだろう、と日本側は予測することになる。

Specifically, some analysts said they feared China might feel emboldened by the American response to Crimea to try something similar in Senkaku/Diaoyu.

 そういった不安感が高まっているのだから、ヘーゲル訪日、そして4月23(あるいは24日早朝)-25日に予定されているオバマ訪日の際には、東シナ海での問題はクリミア問題とは別なんだ、とはっきりと日本防衛の再保証を米国がすることを日本側は要求している、という。

Japanese experts said Mr. Hagel, and also Mr. Obama when he visits Tokyo later this month, might be pressed for not only verbal assurances, but also some sort of symbolic action to show that America would handle a crisis in the East China Sea differently from the one in Crimea.

 もしそうならないとどうなるの?もし、米国の保証がないがゆえに中国が増長して、いっそう事態を悪化させて、ついに衝突が生じて、そしてやっぱり米国はクリミア問題に対するように知らんぷりだったら、どうなるの?というところを誰もが考えるわけですが、それは、日本側の宮家邦彦さんのコメントで強烈に暗示させてこの記事は終わります。

“If Japan is attacked, and the Americans decline to respond, then it is time from the Americans to pull out” of their bases here, Mr. Miyake said. “Without those bases, America is not going to be a Pacific power anymore. America knows that.”

「日本が攻撃されて、アメリカが対応することを拒んだら、その時はアメリカが日本から基地を引き上げる時ですよ。日本の基地がなければ、アメリカはもはや太平洋の大国ではなくなりますよ。ご存知ですよね」

 かなりきわどい発言ですね。

 安倍首相のブレーンとして知られる宮家氏は、公式発言とは別の、安倍政権の「本音」を何らかの意味で反映していると米側では思われているのでしょう。

 日本側の政権に近い人がここまで言わなければならないほど、オバマ政権の同盟政策への信頼性は低下していますよ、という点は、米側でもかなり多くの人に受け入れられ、共有される論点だろう。

 日本側もなんとか米側に伝えようとして表現がきつくなるし、米側の新聞もセンセーショナルに報じて売りたいから大げさに煽り気味になるとは言える。だからこういった記事がどれだけ現実を反映しているかは、多少割り引いてみるという姿勢を持った方がいい。だが、現在の日米の安全保障関係をめぐる論点の基本構図はこういうものだ、と知っておいた方がいい。

 それにしても、引用されている宮家氏の発言は米側の文脈では強烈。

 まず、「太平洋の大国ではなくなる」。

 これって、米国がまだ西欧の列強に大きく後れを取っていた19世紀半ば、ペリーが来る前の時代に戻ってしまうということ。

 これが反米論者なら「バイバーイ、太平洋の向こうに帰ってくださーい」と言うところだろう。

 宮家発言は、それでもいいんですか?といいたげな、親米派からの挑発的な発言に見えます。

 そしてこんなことも連想。オバマ大統領は2009年11月に来日した際の演説(サントリーホール演説)で、自らを「米国の最初の太平洋大統領(America’s first Pacific President)」と呼んだが、現在の雰囲気では、「米国の最後の太平洋大統領」になってしまうという、最悪の冗談みたいな終わり方になりかねない。

 さらに、オバマ大統領は3月25日にオランダのハーグでの記者会見で、ロシアを「地域大国」に過ぎないと発言したが、もし中国が太平洋の覇権国となるならば、米国も北米から大西洋にかけての「地域大国」になってしまうことになる。

 それでもいいんですか?と日本側が米側に選択を突き付けている様子が、うまく反映されたのが、ニューヨーク・タイムズの記事だろう。

 日本側の国際情報戦略も頑張っているな、という気がする。

 なお、今回は米国の新聞のみを紹介しましたが、世界の多くの国ではこのように見ていると思います。