disappointedいっぱい言ってるよ

またこういった見当はずれな・・・

無視すればいいのかもしれませんが、ウェブの無料の媒体しか読まない層が増えているようで、その中ではよく読まれているように見える日経ビジネス・オンラインの記事なので、いちおうコメントしておく。

「日本は米国の属国であり続けるのか―」現代日本史の専門家、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック名誉教授に聞く

なる記事で、例の安倍首相の靖国参拝への米国側のdisappointed発言について触れているが、まるっきり現実離れしている。

「日本は米の属国だ」という、極右と極左の民族派を意識したような煽りを繰り返したうえで、

「『失望した』という表現は通常、他国に対しては使わない」と大々的に赤く中見出しを打ち、disappointedという言葉を使ったことこそが米が日本を属国扱いしていることの表れだと主張する。しかも、日本にだけ、disappointedという言葉を使っているがゆえに、日本だけが特に属国なのだと示唆している。

【以下その部分を引用】
 そして、日本は従うものだと思っているから、期待外れな事態が起きたりすると、その反応も凄まじい。昨年12月に安倍首相が、米政府による再三の反対にもかかわらず、靖国神社参拝をした時、米政府は「失望した(disappointed)」という表現を使いました。

 私も安倍首相は靖国神社に参拝すべきではなかったと思いますが、「失望した」などという言葉は、通常、同じ主権を有する他国に対して使う言葉ではありません。親が子供に対して試験の結果やゲームで負けたりすれば「(期待していたのに)失望した」と言う。あるいは上司が部下にがっかりした場面で使う言葉です。恐らく米国はいかなるほかの主権国に対してもあのような言葉を使ったことは日本以外にないでしょう。
【引用終わり】

はい、間違いです。

このブログでも書きましたが、歴代の米政権は、民主党政権を中心に、disappointedを用いた発言を連発してきました。最近は特に多い印象。私はイスラエルについてだけ簡単に調べましたが、インターネットで数回検索するだけで、出てきます。このエントリで書いて以降も米国務省はdisappointedを用いています。イスラエルにだけでなくパレスチナ指導部に対しても用いて、さらにイスラエルも多分嫌味で米側の対応にdisappointedしたと表明したりしています。

普通に英語で新聞を読んでいれば得られるような認識すらないままに、この老名誉教授はコメントをして、編集部は大々的に赤字で中見出しを打ってしまう。

ネット情報の信憑性というのはこの程度なのです。「日経」とかいった名前に騙されてはいけません。英単語一つデータベースに入れれば分かる程度の裏取りすらしていないのですから。

メディア・リテラシーという意味でも貴重な資料です。「白人・欧米人」「日本史専門家」「名誉教授」といった肩書がついていると、米政府のdisappointedの用法についてもわれわれより高次の判断能力や識見を持ち合わせているかのような印象が生じてしまいますね?しかし実際にはそんなことはありません。ちょっと調べれば分かるようなことも調べないで得意げに説教している先生だということが、読み手の方で少し努力すれば分かります。記事は検索しながら読みましょう。英語ネイティブ風の人が本当に英語圏で通用する議論をしているとは限りません。特にそれが日本語で行われている場合は十分に注意しましょう。

まあ、この名誉教授は、極左・北朝鮮礼賛の人で、今回の議論は典型的な日米離間策のプロパガンダです。編集部は今時よくこんな人を取り上げたな、というのが第一印象。冷戦時代の化石を引っ張り出してきたような印象があります。

私も一時「国際日本研究」の研究所に勤めていたことがあるので、こういう人にはたまに出会いました。「アメリカ帝国主義けしからん」「その手先となってる日本けしからん」「日本の帝国主義はまだ続いている」と、青い目の白人が言うと、日本の大学とかメディアでちやほやされてそれで食えてしまう、という時代がありました。

「グローバル人材育成のために外国人教員を雇え」という昨今の政策で、またそれが繰り返されるのかと思うと気が重いですが・・・

いいんです。人生一度しかないので、何を言ったっていいんです。思想信条の自由は絶対です。

それはつまり、人は見当はずれなことをいって、運良く(か悪くか)それで一生食えてしまったりすることもある。破れかぶれの議論でも、それを珍重してくれる人がいれば食えそうな国に移動してそこで生きていく。そういう自由があるんです。そういうのがグローバル人材と言ってもいい。

1960年代にはまだ、北朝鮮が夢の国として発展して、日本が暗黒の帝国主義に落ち込む可能性だってゼロではなかったはずです。そのころに何かのはずみに「北朝鮮素晴らしい」「日本が米国の手先になって北朝鮮の発展を邪魔している」というセオリーを立てて、それをたゆまず主張し続けたら、様々な理由で一定の支持を得てしまった、というのはそれはそれで人生でしょう。

それが結果として、現実の進展との間でとてつもなくつじつまが合わなくなってしまったとしても、そういうお年寄りのことを人々はあまり厳しく問い詰めたりはしません(本当はちょっとは問い詰めた方がいいのかもしれませんが・・・)。

ただ、「あなたはとてつもなく運が良かったんですよ、生まれも育ちもね」ということは生暖かく言ってあげるべきでしょう。多分極端にガンコで尊大な人で、絶対聞いてもらえないと想像しますが・・・もう何を見ても帝国主義に見えてしまう。

こういう左翼の先生は最近は珍しくなりましたが、少し位相を変えて、イデオロギーではなく「欧米先進国VSニッポン」という形式の議論ならまだいますね。日本の地方都市とかで英会話教師とかやっていて、ときどきメディアに出て「流ちょうな日本語で」、「日本は遅れてマス!」とか言っている人は今でも見ることができる。こういうのを見ると、複雑な気持ちになってしまう。

確かに日本社会には各方面に遅れている、というか改善すべき点は非常にたくさん、多々あると思うんだけど、それを言っているあなたの立場はどうなのよ?あなたが母語の英語をしゃべっているだけで生計を立てられて、たいていは日本人のヨメもらって、たいしたことしゃべってないのにときどきメディアにも取り上げられて「有識者」として生きていけるのって、日本が「遅れている」からじゃないの?そしてあなたがそうやって日本に説教できる背後の権力構造にはもっと深ーいところで、問題視しないといけないものがないですか?という根本的な矛盾を指摘したくなる。

もちろん、こういった市井の「ニッポンおかしいよ」系の論客というのはたいていはメディアを通してしか知られていないから、そういう役割を期待する日本のメディアの中で切り取られている面しか伝わってこないのかもしれない。でも、日本のメディアや学界や、国際交流にまつわる様々な公的機関・資金の「遅れた」構造の中で甘やかされているうちに、自己が肥大化したな、と見えるケースも間近でいくつか見た。

「グローバルな新自由主義けしからん、その手先の日本けしからん、という趣旨の会議を日本の役所のお金で海外のリゾート・ホテルでやれ」みたいな意味不明なことを言ってきて本当に実現してしまう「リベラルな日本研究者」とかいるんですよ。露骨に新自由主義的な南国リゾートホテルのプールサイドで「アジアの民衆」にピニャコラーダとか運ばせながら「グローバルな資本主義の暴力性とそこにおける日本の役割」とか語ってしまえる人たちがいるんです。そういう人たちと一緒に会議をやると「グローバルな最先端の共同研究だ」とかいうことにされて日本のお役所からお金が出てしまう仕組みがまさに「遅れている」のだけれども。

国際日本研究にある程度関わると、そのような構造の中でしか生きていけないということに悩みを抱えている人も中にはいるということも感じられる瞬間があった。でもそういうまっとうな感覚を持っている人って、往々にして生き残っていけないんです。日本育ちなんで日本語だけで調査もできれば論文も書けるはずなんだが顔は白人なので、日本では日本語をしゃべらないで英語だけで活動した方が将来が開けるよ、と友人からアドバイスされて悩んでいる研究者もいたな・・・

余談だが、この人、そう悩みながらも(悩むからこそ?)、日本人の奥さんとはやはりアイリッシュ・パブでの英会話で知り合ったんだと恥ずかしそうに明かしていた。ずいぶん昔の話ですが、日本の外国人コミュニティの中での了解として、アイリッシュ・パブに来る日本人の女の子には積極的に声かけていいことになっていたんだそうです。来る側はそのつもりだという了解が相互に成立していたのだそうです。ただし英語で声かけないといけなかったんだそうです。いや別にどこでだって何語でだって声かけていいと思いますが。その当時はほかに声をかける場所がなかったのか。「英会話」という言い訳を媒介にしてそういう場が成立していたのか。この人ものすごく日本語上手(というかネイティブ)なんだが、日本語だと確かにモテなさそうなんだ・・・今思うと、この人、思い切って「アイリッシュ・パブのジェンダーと文化権力」みたいなテーマでポスト・フェミニズム的な論文とか書いたら一皮むけたかもね。グローバルに比較調査するのも可。その過程での自らの深刻なアイデンティティの危機を乗り越えられれば・・・

今は日本のアイリッシュ・パブも全国にチェーン展開したりして、そういう特別な場ではなくなって単なる近所のおやじさんたちの昼から飲める居酒屋になっていると思いますが。

話を戻すと、「日本は遅れている」と言っていれば食っていける(逆に言うとそれ以外の議論は認められない)、まさに「遅れた」構造に無批判・無自覚に乗らないと、排除されてしまう。そのことにしっくりいかない思いを抱えながら、「立ち遅れて」いる人もいたということです。この場合誰が本当に「遅れて」いるんでしょうね、と考えないといけません。

これとの関係で連想するのが、拉致被害者の配偶者として運よく北朝鮮を脱出できた「チャールズ・ジェンキンスさん」。今どうしているんだろう。米軍を脱走して北朝鮮に投降し、北朝鮮当局からはアメリカ人ということで珍重されて「米帝国主義」を非難するプロパガンダ映画に出演。拉致被害者の曽我ひとみさんを北朝鮮当局に「紹介」されて結婚している。2002年の日朝首脳会談で曽我ひとみさんらの帰国の道筋がついたが、ここで問題になったのが配偶者のジェンキンスさんの立場。米軍から脱走したという過去は消えないので帰国して軍法会議にかけられれば厳罰が科せられる可能性もある。これも日本政府が米国と交渉して穏便な処分に済ますことを約束してもらってから北朝鮮を出国、日本で妻と合流した。

ジェンキンスさんは、勘違いだったかもしれないが、来た瞬間は望んで北朝鮮に来たはずだ。すぐに後悔したらしいけど。ジェンキンスさんは自分が捨ててきたはずの米帝国主義の先兵だったから、「アジアを侵略する悪い白人」の役にぴったりの容姿だったからこそ温存され、厚遇された。配偶者が偶然日本人だったことから僥倖のように出国でき、祖国での重罪も免除された。北朝鮮で塗炭の苦しみをなめて死んでいった日本からの「帰国者」や、今も消息すら隠されている拉致被害者と比べると、国際社会の中での命の価値は、国籍や人種によってここまでも違うのかと思わざるを得ない。このような「特権」や幸運を享受してきたことについて、ジェンキンスさん個人に非はないが、ずいぶん違うんだな・・・ともやもやっとした気持ちになった人は当時いたのではないか。

さて、上記の名誉教授とか、あるいは「日本は遅れている」と言って日本で食っている方々には、どことなくこの「ジェンキンスさん」の立場と似通うところがある(なお、ジェンキンスさんが日本に来てからこのような発言をしているわけではないので念のため)。

「日本は属国でえーす」とかいってこの先生が扇動できるのって、この先生がまとっている属性と、記者や想定された読者との間に「属国」的関係が成立して(いると仮定している人が)いないと成り立たない。

こういう方々は、もしかすると本当に心の底から「遅れている日本」を前進させたいと思っているのかもしれない。どんなに見当はずれであったり、見通しが甘かったり、根拠がないことを言っていても、その善意の存在を完全に否定し去ることはできない。同時に、自分が乗っかっている歪な権力関係に対してものすごく無自覚なのか、あるいは確信犯的にそこに乗っかっているのか、あるいはかなり無理な理屈をつけてその構造を正当化しているか隠蔽しているのではないか、という深刻な疑いが生じる。

エドワード・サイードって、まさにこういう構造を批判したんじゃなかったっけ?(最後は自分もそこに取り込まれていった感があるが)。

なお、善意のあるなしに関係なく、勝手なことを思って、優越感に浸り、説教できる相手を捕まえて説教しながら心地よく人生を送るというのは、尊敬はできないけれども、まったく人生における自由の範囲内だ。「本当の自分」探しとかに囚われがちな人は、いっそこういった八方破れでも運良くけっこううまく生きてこれてしまった人たちの多種多様な人生から何かを学んでもいいとすら思う(何もかもを学んじゃダメだが)。

重要なのは、そういう人々がいるということを知っておいて、そういう人たちが生きていく自由は認めたうえで、あまり相手にしないことじゃないかな。そして、そういう人々が時に夜郎自大にふるまうのを可能にしている国際社会の権力構造ってなんだろうね、と考えるのもいい。そしてゆがみを増幅・助長するような政策を採用しないように国や自治体の政策に気を配ることじゃないかな。

(それ以前に、青い目の白人の「権威」に説教してもらう、ていう手法が、思想内容よりも何よりも、どうしようもなく古すぎる、とは思いますが・・・)