【寄稿】井筒俊彦全集第12巻の月報に井筒俊彦における宗教と言語の関係について

二つほど、文庫や全集に寄せた解説が刊行されました。

そのうち一つは『井筒俊彦全集 第12巻 アラビア語入門』の月報に書いたものです。

「月報」というのは、全集などが刊行される際に挟み込まれている冊子です。解説というよりは、井筒俊彦の思想そのものについて、そしてこの巻の主題となる「言語」についての、論考を寄稿しました。

池内恵「言語的現象としての宗教」『月報 井筒俊彦全集 第12巻 アラビア語入門』慶應義塾大学出版会、2016年3月


『アラビア語入門 』(井筒俊彦全集 第十二巻)

井筒俊彦全集の全貌についての、慶應義塾大学出版会の特設サイトはこちらから

私の寄稿のタイトル「言語的現象としての宗教」は、井筒の論文「言語的現象としての『啓示』」をちょっと意識しています(こちらは第11巻に収録されています)。私なりに、井筒における言語と宗教の関係を、対象化してみました。井筒のイスラーム論の特性と、その受容の際の日本的バイアスについては、過去に論文を書いてみましたが、今回はその続きとも言える論考です。

慶應義塾大学出版会の井筒俊彦全集は、全12巻+別巻で計13巻出ることになっています。次回の別巻で、いよいよ完結です。最後から二番目の巻で月報に滑り込むことができて、大変光栄でした。

なお、第12巻(詳細目次はこちらから)の主体をなす『アラビア語入門』が刊行されたのは1950年・・・。今でも役に立つのか?というと、たぶん、実用的にアラビア語の勉強を始めたいという人には、さすがに、向かないのじゃないかと思います。

ですが、アラビア語をできるようにならなくてもいい、という人にとってむしろ有益なのではないかと思います。そして日本人の圧倒的多数は、アラビア語を実用的にはやる必要がないでしょう。しかし日本語とも英語とも全く異なる言語体系がある、ということを感じ取るには、もしかすると井筒の大昔の入門が、最適かもしれません。

そして、井筒の本は多くが文庫になっていますが、さすがに『アラビア語入門』は文庫になっていませんし、今後もならないでしょう。そういう意味で、今回の全集で一番意義がある一冊と、言えるのかもしれません。全集で買わなければ手に入らない。これまでは入手が極めて困難だったのですから。

井筒俊彦は著作集が1991−93年に中央公論社から刊行されています。そちらは全11巻+別巻1の計12巻で、そこではアラビア語入門は収録されていませんでした。待望の一冊、と言えるでしょう。アッカド語やヒンドゥスターニー語についての論考・解説など、異世界に遊ぶには最適の一冊と言えるでしょう。

井筒俊彦全集12

安田純平さんのビデオ声明について

シリアで消息を絶っている安田純平さんについて、私は個人的には面識がなく、安田さんの交友関係も知らないので、何も情報を持っていませんが、安田さんのものとみられる映像については、Facebookで書いておきました。私にはこれ以上のことは分かりませんし、言うことができません。無事の帰還を祈っています。

安田純平さんが、どの程度、英語を正確に話すのか、私は知らない。ビデオでの発言のこの部分は、英語の語法が不確かなので、意味を正確に理解することは難しい。

“I have to say to something to my country:When you’re sitting there, wherever you are, in a dark room, suffering with the pain, there’s still no one. No one answering. No one responding. You’re invisible.”

しかし、シリア内戦の対立関係と、3月14日に開始されたジュネーブでの和平協議を背景に解釈すると、ほぼ想像できる。「アサド政権の攻撃によってシリアの人々が苦しんでいるのに、日本は何もしていない。日本の声が聞こえてこない」と訴えているのではないか。和平協議によってアサド政権の存続が認められようとしているタイミングで、この映像が発信されたのは、和平協議に反対する意思を伝えるためかもしれない。

「国際社会がアサド政権による空爆や殺害に反対してくれない」という批判は、シリアの反体制派が共通して表明する立場であり、和平協議に参加していないヌスラ戦線の立場でもある。もし安田さんがヌスラ戦線の拘束下にあるのであれば、安田さんがこのように話すのは理解出来る。

また、安田純平さんもある程度反体制派に共感しており、アサド政権による市民の殺害を批判する立場なので、「強制されて言わされている」だけではなく、本心で言っているのかもしれない。

ヌスラ戦線は、ISとは異なり、人質を殺して映像を発信することそのものを、目的にはしていないはずだ。人質を殺せば、シリア反体制派に対する日本の世論は悪くなる。安田さんを生かしておき、日本国民や日本政府に対するメッセージを伝える報道官とすることが合理的だ。私は彼らがそのように決断をすることを願っている。

【テレビ出演】本日の「NHKクローズアップ現代」でグローバル・ジハードの拡散について

本日3月16日午後7時30分からNHKクローズアップ現代「テロ“拡散”時代 世界はどう向き合うか」に出演し、グローバル・ジハードの拡散と拡大のメカニズムについて解説します。(再放送は日付変わって17日の午前1時3分〜)

番組予告はここから

クローズアップ現代

番組予告ではテロの「標的」がソフトターゲットになっていることを強調しているようですが、私自身の解説は、テロの「主体」の側が拡散し分散型・自発的呼応型になっていること、さらにそれがイラクやシリアなどで領域支配を「拡大」することによって、聖域・拠点を得て、拡散にもさらに強度を増したハイブリッド型になっているといった基本ラインを説明しようと思っています。

また、クローズアップ現代のリニューアルも近づいている間近ですので、2001年の9・11事件以来の世界の変動についても振り返ってみたいですね。長かったような、短かったような。

【寄稿】(補遺)パリ同時テロ事件について『ふらんす』増刊に書いていた

年末年初の出版物の通知を忘れていました。

昨年暮れから今まで、プエルトリコ、テキサス、ニューヨーク、神戸、シンガポール、ロンドンと回っていましたので、その間にいくつか抜け落ちていました。

池内恵「『イスラーム国』の二つの顔」白水社編集部編『ふらんす 特別編集 パリ同時テロ事件を考える』
白水社、2015年12月25日発行、106−109頁


『パリ同時テロ事件を考える』

前回、シャルリー・エブド誌襲撃事件の時の『ふらんす 特別編集 シャルリ・エブド事件を考える』に続いての寄稿です。


『シャルリ・エブド事件を考える』

前回と同じく、巻末の収録となりました。

「自由をめぐる二つの公準」
「『イスラーム国』の二つの顔」

どこか韻を踏んでいますね?対になる作品です。前回からすでに今回があることを予想していたわけではないが、対になる部分のことはなんとなく予想していた。

なお、4月末か5月初頭までに、品切れになって入手が難しくなっている『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年)に、この論考を含めて10本余りを加えて、増補新版を出します。もともと分厚い本がさらに分厚くなりすぎるので、これが決定版。

単行本が出た後に発表した論考だけでなく、もっと前の、2002年の講義録を元にして論文集に収録されていたため前回は収録を見送った幻の論文なども再録します。あの頃、先の先まで考えて、一生懸命書いていたことは、全然古くなっていない。むしろ理論的に想定して仮定に仮定を重ねて書いたことが、どんどん現実化していく。

足掛け15年くらいかけての、イスラーム世界の思想面での年代記となってしまった。

そして、値段は初版と変わらない2600円にする予定なのです。

この本の増補再刊はかなり前から話があったのだけれども、価格と部数について、市場の声を聞くために、クラウドファンディング的なアンケートに協力もお願いした。その後押しもあって、増補したのに本体価格は据え置きの2600円、という現在の萎縮する出版業界では通常はあり得ない条件で刊行作業が進んでいます。皆様に御礼申し上げます。

また通知します。

パリ同時テロ事件を考える

【寄稿】『學士會会報』にグローバル・ジハードについて

寄稿しました。

池内恵「グローバル・ジハードが来た道−−拡大と拡散の往還−−」『學士會会報』No. 917(2016-II), 2016年3月1日, 19-23頁

「イスラーム国」の背後にあるグローバル・ジハードの理論と実践について、歴史的な文脈の前半部分を特に厚めに書きました。このテーマについて講演などで喋りながら頭をまとめている最中です。なおこれは講演録ではなく書き下ろしです。

學士會とはなんぞや

學士會ロゴ

なお、私、學士會は入っておりません。卒業の時に会費払うのが嫌で入会しないでいるとそのままおそらく一生入らない、という感じなのではないかな。いや、今はホームページから入会申し込みができるそうなので入会資格のある方はどうぞ。「学士」が最終学歴で出身母体や身分みたいになっていた時代がいいとも思わないのだが、たぶん入会資格も時代に合わせて変わっているのではないかと思うが調べていない。

これが「同窓会」とどう違うかもわからない。最近は各大学が寄付を募るためにも同窓会を上から組織化しようとしているようで、それと學士會との関係は・・・なんてことも気にならないわけではないが、現役世代はとにかく仕事が忙しくてそれどころではないのだよ。

【寄稿】週刊エコノミストの読書日記で『漂流するトルコ』『トルコのもう一つの顔』を紹介

昨日発売の『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)2016年3月8日号掲載の読書日記で、小島剛一『漂流するトルコ』(旅行人)と、『トルコのもう一つの顔』(中公新書)を取り上げました。

以前にフェイスブックでこの2冊について紹介した時は(『トルコのもう一つの顔』『漂流するトルコ』)非常に反響があったので、品薄状態が続いていましたが、そろそろ解消されていると思います。

クルド人勢力への強硬な措置でも、「イスラーム国」との関係でも、シリア内戦をめぐる「問題児」化でも、まさに「トルコのもう一つの顔」が明らかになる今日この頃ですが、そのたびに昔読んだ中公新書を思い出すのです。20年後に出た続編も買っていました。

なお、書評は2月17日のアンカラのテロよりも前に書きました。

今回、書評を書くために段ボール箱の奥から中公新書を引っ張り出してきたのですが、なんと、比較文学をやっていた大学の同級生(一年上だったかな)から借りたもので、ずっと借りっぱなしになっていたということが判明いたしました。そうでした。返していませんでした。すみません。

しかも長く連絡が途絶えていたその友人が、転職して、今は『週刊エコノミスト』を出している毎日新聞社にいると判明。

そういったことも含めて、尽きせぬ特異な力を秘めた本であると再認識いたしました。魅入られてしまった人がずいぶんいる。

池内恵「『新興国の雄』だったトルコの漂流する素顔」『週刊エコノミスト』2016年3月8日号(2月29日発売)、61頁

今回もKindleなど電子版には掲載されていません。

5回に1回担当する読書日記欄ですが、もう19回目になります。このブログでは読書日記の連載をきっかけにして、電子書籍を含む出版のありかたや、書評という制度の役割や可能性、今後のあり方なども考える論考をいくつか掲載してありますので、文化としての出版と書評、そして産業としての出版について、興味がある人は検索してみてください。

【寄稿】『北海道新聞』に待鳥聡史『代議制民主主義』の書評を

このブログで以前に紹介した、待鳥聡史さんの『代議制民主主義』の書評が『北海道新聞』に掲載され、ウェブサイトでも公開されました。

池内恵「書評 待鳥聡史『代議制民主主義』 制度使いこなす「説明書」『北海道新聞』2016年2月21日

書評としては、一般向けにすらすら読める文体と論理展開で書けました。対象となる本が明晰だからですね。

全文を貼り付けておきます。北海道新聞のウェブサイトも探索してみてください。

代議制民主主義 待鳥聡史著
評 池内恵 東京大准教授

制度使いこなす「説明書」

「議会の決定は国民の声を反映していない」「多数決がすべてではない」といった議会制への懐疑論、あるいはあからさまな否定論すら、しばしば耳にする。あるいは「小選挙区制になって、最近の議員は小ツブになった」といった議論も、新聞紙上を含めて、頻繁に目にするだろう。「なぜ自民党内で安倍政権に反旗を翻さないのか。かつての自民党は党内抗争が活発で、そこから論争が起こり、政権交代がなされたのだ」云々(うんぬん)。
 これらは、しかるべき先達と共に議会制と民主主義の原則と制度を根気良く考えていけば、いずれも俗説にすぎず、知ってしまえば恥ずかしくなるぐらいの誤謬(ごびゅう)を含むと分かる。人口に膾炙(かいしゃ)した議論に部分的には多少の真理が含まれていないではないが、それは「三分の理」程度の話である。しかしそのことを分かる機会がある人はそう多くはない。この本をじっくり読んでみる機会を得た人は幸運である。
 骨格となるのは第3章の制度論である。代議制民主主義とはすなわち、委任と責任の連鎖である、と著者は言い切る。委任とは、有権者から政治家を経て官僚に至る、権限の一部が委ねられていく連鎖の仕組みである。有権者はただ権限を委ねてしまうわけではない。委任の連鎖と逆向きに、官僚から政治家を経て有権者に至る説明責任の経路が確保されている。しかし委任と責任を適切に対応させるのは至難の業である。歴史と国柄、その時々の国民の意思によって、そのための制度は異なり、それぞれに得失がある。政治学の研究蓄積を踏まえ、代議制民主主義の可能なあり方が、隅々まで論理的に展開される。
 今の制度が嫌なら別の制度もありうる。重要なのは、選んだ制度を使いこなすことだ。使いこなす主体は議員でもアベさんでもなく、有権者である読者一人一人であり、代議制民主主義の成否は読者にかかっていることを、思い出させてくれる。民主主義とその制度の明晰(めいせき)な「取扱説明書」である。