今のうちにご通知。8月8日に北大でシンポジウムに登壇します。14時から17時にかけて行われる予定です。
「北海道大学公共政策大学院(HOPS)創立10周年記念シンポジウム」というもので、北海道新聞の共催ということもあって、かなり大掛かりな、また参加無料で、一般に開かれたものになります。
タイトルは正式には決まっていないようですが、現代社会における宗教、といったテーマになりそうです。近く広報されると思います(私が遠隔地への出張で連絡を怠っていたために遅らせているような気がいたします)。
私以外に、北大法学部の辻康夫先生(西欧政治思想史)が予定されています。辻先生は多文化主義やマイノリティの問題に関心を寄せていらっしゃいます。
チャールズ・テイラー編著のこの古典的名作の訳者の一人でもありますね。
この本は、イスラーム教と近代社会との関係について突き詰めなければならなくなる時には結局ここに戻ってこないといけなくなる、と考えて私が当初から論文で引用してきたものです。その後色々な議論が出たように見えますが、新しいことを言おうとして認識はかえって混乱した面もあり、この本の重要性は今も変わっていないどころか、いっそう価値を高めています。
この本も絶版なのか・・・信じられんな。
「岩波モダンクラシックス」のレーベルで出しなおしていたようだが、これも版元品切れ。
あのー、「クラシックス」といったレーベルをあえて作るのであれば、いくつかの厳選した本だけは恒久的に本屋で常に手に取れるようにしたい、在庫を常に持っておいて、必要とするひとがいればいつでも出荷できるようにしたい、というふうな志があるのかと思ったら、大部分が品切れじゃないですか。がっかりだな。
夏になるたびに私が一人で帰省していた母方の祖父の家では、『広辞苑』の各版を、「大変な苦労をして作ったものだから、時代の変化が後々になってから分かるから」と予約注文して買い支えて、大事に並べていました。他社の『大辞林』が出た時も、当然の義務のように買い支えていました。ところが出版社の経営上の一時しのぎのために、さほど改定もしていないのに「新版」を乱発して中身が薄くなっていき信頼を失っていった。そのことを「祖父のような人たちに対する背信だ」と怒っていた父を思い出します。幼い頃のそんなやりとりは、不意に蘇ってきます。
「クラシックス」も、一時的な商売のために使われるのであれば、結果的に市場での価値を失わせる、書物に対する背信と言えるのではないでしょうか。
最近は文庫が「本の墓場」である、などという実態を明かす編集者もいます。「文庫に入ればずっと本屋に置かれる」というのは過去の話で、いまや「文庫も新書も多すぎて本屋の棚に置いてもらえず、文庫になったらもう流通せず、出版した月だけ出版社の『資産』を帳簿上増やすのに使われて、やがて廃棄処分されて本としての生命を終える」ということです。
少子化・高齢化・デフレ・組織の高コスト体質で出版業界がヘタって粗製乱造本をばら撒きながら(不動産収入で社員に給料を出しながら)基本書を絶版にしてコストを浮かし、それによって学芸の基礎が深刻にダメージを受けていくのを感じます。最近特にそのことを感じます。
とりあえずこの本も中古で買っちゃいましょましょう。あと、もう今後は原書で読んじゃいましょう。Kindle版もある。
シンポジウムではイスラーム教とかキリスト教といった厳密な「宗教」に限らず、主権国家や民主政体や資本主義といった世界を成り立たせている制度への不信や不満や被害者意識が、ギリシアのEU緊縮案否決に見られる、集団の非合理的な感情の激発を誘い、先行きの見通せない状況を生じさせていることについて、考えてみたいと思います。
西欧政治史・思想史が分厚い北大ですから、このあたりについて歴史を踏まえた洞察が得られるものと、期待しています。
その意味で、企画を担い登壇もされる予定の吉田徹さんの『感情の政治学 (講談社選書メチエ)』は参考文献となるのではないでしょうか。
お近くの方はぜひ。
お近くでない方も、酷暑の時期に、涼しい札幌にぜひお越しになっては。北海道に来ちゃってシンポジウムは忘れてくつろがれてもそれはそれで。
詳細はまた通知します。