【今日の一枚】(11)「イスラーム国」のイラクとシリアでの領域支配の変遷(その1)衝撃の瞬間

昨日はシリア内戦の最新の動向を見てみましたが、今日からはシリアとイラクでの「イスラーム国」の領域支配について、順を追って見ていきましょう。「イスラーム国」はシリア内戦やイラクの紛争の全体構図から言えば一部の勢力に過ぎませんが、重要であり、国際的な関心を最も集め、国際的な取り組みの焦点となることは確かです。

現在、米国やイギリス・フランスなどを中心にした、対「イスラーム国」の作戦が、イラク、シリア、リビアで並行して行われている模様です。

リビアでは一応隠密作戦ですが、スィルトの攻略作戦では、米国やイギリス、フランス、あるいはヨルダンの関与が報じられています。

これに対してイラクとシリアではもっとあからさまに「イスラーム国」制圧作戦が行われており、むしろ実態以上に進展が報じられている宣伝戦の様相も濃くしています。

イラクでは、イラク中央政府軍やシーア派民兵集団がラマーディーなどのアンバール県の制圧を進めると共に、「イスラーム国」の首都でカリフの座でありイラク第二の都市であるモースルの攻略をイラク中央政府軍、あるいはクルディスターン地域政府(KRG)のペシュメルガが近く行う、と言われ続けて一向に始まらず、しまいには「年内」といった曖昧な期日が設定されるようになっています。

シリアでは、米国に支援されたクルド系YPG(民衆防衛部隊)とそれと同盟したアラブ系などのSDF(シリア民主部隊)が、シリアでの「イスラーム国」の首都ラッカを今にも制圧しそうな様子が報じられながら、実際には方向を転じて、トルコとの国境に近いエリアの要衝マンビジュの攻略に向かっています。

領域支配のモデルを提供したイラクとシリアでの「イスラーム国」について、今日から、順に地図で見てみましょう。

全くの周知の事実ですが、『イスラーム国の衝撃』でも冒頭12頁に書いておきましたが、「イスラーム国」が国際政治上の大問題として現れたのは、イラクのモースルを制圧して広範な領域支配を確立した2014年6月10日のことです。

それから2年の歳月がたちました。この辺りで、領域支配を行う勢力としての「イスラーム国」の変遷を、地図で見てみましょう。ここでは「イスラーム国」が領域支配を広げて世界に衝撃を与えた直後にEconomistが出してきた地図を転載しておきます。

ISIS Iraq Syria June 14 2014 Economist
“Two Arab countries fall apart: The Islamic State of Iraq and Greater Syria,” The Economist, June 14, 2014.

英エコノミスト誌の地図には定評があります。地図を過去のものまで無尽蔵に検索してみることができることのためだけにもウェブ版を購読する価値があります。

(1)この時点で、「イスラーム国」の勢力範囲についてだけでなく、イラクとシリアのクルド人勢力の範囲を描いているところはさすがですね。もちろん、イラクでの「イスラーム国」の電撃的な勢力拡大に対して、イラク政府軍がなすすべもなく逃亡・消滅したのに対して、KRG (クルディスターン自治政府)のペシュメルガが有効に対処するだけでなく、この機会にイラク中央政府との係争の地であるキルクークなどへの実効支配を進めたという点は当時から報じられていましたので、「イスラーム国」による実効支配の地域の拡大は、クルド人勢力の実効支配の拡大と対になっているという点は知られていました。

しかしそれを当時まだクルド人勢力の帰趨が定かでなかったシリアにも拡張し、緑色を二種類使い分けて、イラクとシリアのクルド人勢力のその時点での勢力範囲を塗っておいたことは、いかにも慧眼です。こういうことは多くの人がモヤッと頭で思っていても、実際に手が動いてこのように塗れるかというとそれは別問題です。この点で英エコノミストは他の媒体と比べて一日の長があり、その差はちょっとのように見えて果てしなく大きなものです。

(2)マンビジュ(地図上ではMinbijと表記)の戦略的重要性をこの時点で認識して、地図上に記しているところもさすがです。シリアとトルコの国境地帯の重要地点で、イドリブ近辺の反体制勢力にとっても、「イスラーム国」勢力にとっても補給ライン上の要衝であり、またクルド人勢力にとっては飛び地の間をつなぐために重要な地点です。

(3)なお、イラクの「イスラーム国」の範囲については、モースルなどニネヴェ(ニーナワー)県からサラーハッディーン県にかけての「イスラーム国」の勢力拡大が進んでいた地域を、そしてアンバール県の全体を、塗りつぶしています。

その後、英語圏のメディアの報道ではあまり塗りつぶさないようになり、都市と大河の流域の人口密集地、都市間をつなぐ幹線道路以外は、人が住んでいない土地として白く塗り残すようになりました。これは実態の解明が進んだということもありますが、実態以上に「イスラーム国」を大きく見せ、義勇兵が集まることを避ける、メディアの側の配慮があったのではないかとも推測します。「イスラーム国」が突然に拡大した2014年の6月の時点では、このようにべったり塗りつぶしていたことが分かります。