本日の『朝日新聞』朝刊のオピニオン欄に、コメントが掲載されています。
「奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん」『朝日新聞』2016年10月21日付朝刊
私のコメントは、この日のオピニオン欄の大部分を占めるターリク・ラマダーンへのインタビュー「イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん」に付された、背景解説のようなコメントで、いわば「セカンド・オピニオン」を提供したものです。
スイス出身・エジプト系の著名なイスラーム主義活動家ターリク・ラマダーンが、先月来日して、各地で講演などを行ったのですが、その際に彼にインタビューした朝日新聞社の国末憲人さんが、いわば「裏をとる」形で私に解説とコメントを要請し、それに私が応じたため、このような形式の紙面が実現しました。
イスラーム主義の思想家は、時と場合に応じて、相手の知識の程度に応じて、読者・聴衆の抱く(想定された)固定観念に応じて、実に巧みに戦略的に言葉を使い分けます。
そのため、イスラーム教の基本的かつほぼ変更不能な規範と、一時的にその思想家がその場に応じて言っていることとの間の、あるいは「言わないこと」との間の、食い違いがあるのか否か、あればそれは何であるか、どれほど重大なのか、その食い違いによって論者はどのような効果を生じさせているのか、かなりそのテーマに関する議論に習熟し、かつ意識して基準を定めて取り組まないと、正確に理解することも言語化することもできません。
イスラーム主義思想家が繰り広げている言語闘争とはまさにそのような、ズレをうまく突いてくるものです。そのような闘争を行う言論の自由はありますが、同時に、理解した上で受け入れるなり、問いかけを返すなりしないといけません。
私のコメントは「イスラーム教の規範を西欧社会で受け入れるなら、非リベラルな規範の部分も受け入れるということを認識して覚悟した上で受け入れるんですよね?」と釘を刺すものとなりました。
世界各地で行われている主張と問いかけのぶつかり合いの一端を紙面に反映させられたことは、稀なことですが、新聞の社会的機能を有益に担えた事例でしょう。
この機会に、国末さんと、今世界で起こっていること、西欧で起こっていることの深い部分について、徹底的に議論をし、ある程度の認識の共有をできたことは、非常に有益でした。今後もこのような稀な機会は逃さないようにしようと思っています。