イエメンの情勢を現場から、かつ政治対立の構造を見事に可視化してくれるドキュメンタリーが、BBCのホームページで公開された。
これはすごい。
2014年9月に首都サヌアを制圧してから3ヶ月の間の変化を記録しており、一つ一つの画面や登場人物から目を離せない。
取材・構成はサファー・アハマド(Safa Al-Ahmad)。BBCアラビックの記者で、急速に注目される女性である。サファーはその前に作った、サウジ東部州のシーア派の反政府運動を扱った Saudi’s Secret Uprising で高い評価を受けたところだった。
しかし、すでにイエメンのフーシー派の首都制圧、南部進出でドキュメンタリーを用意していたとは
サファーはフーシー派に密着しつつ、「アラビア半島のアル=カーイダ」制圧地にもカメラを入れる(ここは女性のサファーは受け入れてくれないようで、クルーだけが行っている)。
取材・撮影のための仲介者になってくれているのが、ムハンマド・アブドルマリク・ムタワッキルというのも、分かる人には分かる、すごい伝手。
ムタワッキルはサヌア大学の教授も務めた政治学者だが、預言者ムハンマドの血を引くサイイドの家系とされる名家の出身で、かつ政治家として知られる。野党を幅広く結集させたJoint Meeting Parties の主要人物で、欧米型市民社会活動の組織から、イスラーム主義のイスラーハ党まで顔が効く、イエメン政治のまとめ役の一人だった。
このムタワッキルが、取材の間に暗殺されてしまう。
この事件自体が、イエメンの政治共同体が崩壊していく過程の重要な局面だった。そんな人の家に住まわせてもらって取材しているわけで、それはBBCにはかなわない、と思うしかない。
フーシー派は最初は「革命」だといって汚職追及などをしていたが、あっという間にモスクをザイド派に変えたり、敵対するとみたものを「アメリカ、イスラエル、アル=カーイダ、イスラーム国」のいずれかあるいは全てであるとレッテルを貼って弾圧するようにある。にこやかに、信仰に満ち溢れた顔で、敵を「テロリストでCIA」と呼ばわるフーシー派の、カルト的な話の通じなさがよく伝わってくる。しかしやることはどんどん荒っぽくなってくるので、部族地帯では武装してアル=カーイダに接近する動きが進む。
どうしようもなく混乱したところでサウジアラビアの介入が入ったが、一層火に油を注ぐ結果にもなりかねない。
他方で、アル=カーイダがイエメン南部や東部で、外来のテロ集団というよりも、部族勢力に根深く浸透している様子が描かれる。
これについては2012年の詳細なドキュメンタリーが活字になっているので、熟読すると色々伝わってくる。
1990年代後半から、2001年の9・11事件を経て、南部や東部で「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」やその別働隊とみられるアンサール・シャリーアがなぜ浸透・台頭してしまったのか、アメリカの公共放送PBSが歴代の米の駐イエメン大使や、代表的な研究者に徹底的に聞いている。漠然とした「印象」ではなくて、実務家の当事者の証言であり、有能な分析者の分析であるので、非常に有益である。
Understanding Yemen’s Al Qaeda Threat, May 29, PBS, 2012.
1998年頃、イエメン政府は米国に、アル=カーイダが浸透しているから、車とか無線とか支援して、といってきたが断った、という米国の元駐イエメン大使。
当時安全保障上はあまり重視されていなかった国に送られた、いかにもリベラルな大使なのですね。この人の在任中に、米駆逐艦コールへのテロも起こる。これが9・11への先触れとなったが、気づけなかった。
9・11の時ちょうど大使は帰任していた。
ここで新しい大使として送り込まれたのが、うって変わって対テロ専門家、というのがいかにもアメリカですが・・・・
サーレハ大統領をどやしつけてアル=カーイダ掃討作戦をやらせた。
しかしアル=カーイダも組織の性質が変わって、結局根絶できなかった。この辺りは拙著『イスラーム国の衝撃』をどうぞ。
最新のイエメン情勢の解説は、下記の記事が最もいいと思う。
Laurent Bonnefoy, “Yemen’s ‘great game’ is not black and white,” al-Araby al-Jadeed, 27 March, 2015.