【テレビ出演】3月22日(日)夜9時〜「週刊BS-TBS報道部」に出演し、チュニジア分析をします

明日日曜夜に、例外的にテレビ出演を行います。

3月22日(日)夜9時〜BS-TBSの「週刊BS-TBS報道部」にて、スタジオでチュニジア情勢について、その中での3月18日のバルドー博物館へのテロについて、解説します。

前回2月1日と同じく、元『フォーサイト』編集長の堤信輔氏がレギュラーのゲストで一緒に出演してくださるという条件の元で、また事前に番組構成について私の見解を踏まえてテレビ局側が入念に準備するという条件で、お引き受けしました。

実は私は2月7日−2月20日にかけてチュニジアへの現地調査に赴いておりました。その間にフェイスブック上で、適宜現地から情報を提供していましたが、当時は、1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃事件から1月20日−2月1日の日本人人質脅迫殺害事件にかけての、「イスラーム国」をめぐる議論の日本での急激な政治問題化によって、世論が過熱していたことから、調査を行っている場所と期間は、意図的に分からないようにしていました。

私は危険な場所には極力立ち寄らず、とりたて重要な情報源に接触するわけでもないため、元来は動静を隠す必要は全くありません。しかしどのような誤解や曲解、宣伝の対象となるか計り知れないため、念のため居所を意図的に不明確にしていました。

しかしチュニジアにいたという痕跡を若干残しておきたい思いもあり、滞在中にチュニジアで起こった事件のうち、2月18日朝に発覚した西部カスリーン県ブー・アラーバでの、アンサール・シャリーアの傘下にあると称するウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省治安部隊員4名の殺害という事件について、中東国際政治の議論では通常はあまり参照されないチュニジアのローカルなメディアの報道を紹介して、記録しておいた。

この事件は、その前に頻繁にシェアしていた、リビア情勢とイメエン情勢の悪化という文脈の上に置くと、チュニジアへ過激派の影がじわじわと忍び寄った危険な兆候、という大きな意味を持つと考えた。そのため、一見平穏なチュニジアの、辺境地域での小さなテロについて、注目されていたリビアの「イスラーム国」の動向や、エジプトの空爆などの反応、あるいはイエメンやシリアやイラクの混乱と同様の大きな意味を持つものとして、下記のように記事のサンプルを記録しておいた。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

今見ると、なんらかの兆候に触れてはいたのだが、チュニジアの治安情勢のみに集中していることはできないことから、継続的な追求の手を緩めたと思う。

なお、同様の兆候はアラブ世界の多くの専門家が感じ取っており、リビアの混乱がチュニジアおよび、アルジェリア、エジプトに及ぶ危険性について、3月半ばにかけて、徐々に警鐘の音が高く鳴らされつつあった。

しかしそのような鋭敏で継続的な分析者たちにしても、このようなテロを未然に予測できた人はいなかったと思われる。【記事の例、3月15日付の警鐘3月10日付のアラビア語元記事

本来なら、帰国してさほど期間をおかずに、ブログなどで、チュニジア政治と、チュニジアを軸にしたアラブ地域国際政治の動向や、グローバル・ジハードがチュニジアに及ぶ影響について、まとめてみようと思っていた。また、余談として、チュニジアの一般市民の休日の過ごし方など、アラブ諸国の中で例外的に平穏で安定しているチュニジアの日常や人々の生活に触れることのできるコラムなども、公開しようと下書きを準備してあったた。ただし、著作の出版予定が相次ぐ上に、中東情勢の流動化で絶えずチュニジア以外のより混乱した国・地域についての分析に迫られることから、チュニジア報告に時間を割くことができずにきた。

チュニジア報告の中には、チュニジアでの調査の重点項目である、リビアを通じた「イスラーム国」からチュニジアへの影響、チュニジアの辺境地域および首都の重要施設を狙った武装集団の動きについて、まとめる予定で、帰国後の動きも含めて逐次情報は集めてきたが、まとめる時間と労力は到底割くことができなかった。そのうちに、予想を超えた速さと規模で、手薄な警備の地点を突かれて、チュニスでテロが起きてしまった。

今回のテレビ出演では、可能な限りそれらの知見を提供して、事件の全容解明になんらかの手がかりを提供し、また今後の日本のチュニジアとの関わりのあるべき姿を示そうと思う。

なお、お世話になってきた、また信頼する堤さんとの関係でご縁ができた「週刊BS-TBS報道部」だが、前回2月1日の出演について、このブログのエントリを探したが見つからない。

どうやら忙しすぎてテレビ出演情報をブログに上げることさえできなかったようだ。代わりに1月31日にフェイスブックで通知してあった

フェイスブックの方がシェアしてコメントを走り書きするだけなので短時間でアップできるのと、この頃非常に読者が増えていたのでこちらだけでも十分と思ったのだろう。

しかしフェイスブックの検索機能の弱さ、ハッシュタグ機能の弱さを見るにつけ、やはりデータをブログに集約させなければという気になっている。

ただし、2月1日の番組出演の内容のうち、日本での人質事件をめぐる政治的な議論に一石を投じる、いわば「キラー・コンテンツ」として提示した、「1月20日脅迫ビデオの冒頭映像を見れば、イスラーム国は日本の支援が非軍事的であることを明確に認識している」という論点については、ブログのエントリで後に詳細に示しておいたこれはかなり多くの人にシェアされ、いろいろなところで議論に使われたようだ。

2月1日の出演は、堤さんのご紹介で、1週間以上前から決まって準備してきており、この日の未明にかけて、二人目の人質の殺害という痛ましい結果になったことを受けて出演したわけでも、このような事態に終わると予想していたわけでも全くない。

しかし偶然、日本でニュース番組が少ない日曜日に事件の結末が明らかになr、その直後の出演であったため、2月1日のこの番組は、BSにしてはかなり注目されたようだ。

今回のチュニジアのテロについての、これまで私が見た限りのテレビ報道では、そもそもチュニジアについてほとんど全く何の知見もないことが明らかな「専門家」の不確かな議論が目立った。

私が事件のひと月前にチュニジア調査をしていたというのは偶然にすぎず、半年ほど前に安いチケットを買って、この時期にチュニジア調査に行くと決めていたから行ったというだけである。しかし結果としてこの事件の直前のチュニジアの情勢を直接見聞きした数少ない日本人になってしまったので、その知見から言い得ることを、少しでも伝えられればいいと思っている。

今回の出演では、そもそもチュニジアの社会と政治はどのようなものなのか、日本で伝えられてこなかったチュニジアの政治変動と民主化はどのように進んできたのか、チュニジア政治の現状とチュニジアの置かれた国際関係の中で、今回のテロ事件はどのような意味を持つのかを考えてみたい。

また、「イスラーム国」やそれに共鳴して傘下入りを試みている内外の諸武装集団が、チュニジアをどのように見ているのか、どのように攻撃の対象としているのかも、検討してみたい。

このような見方は、思想史と比較政治学を用いてイラクとシリアの「イスラーム国」を分析した『イスラーム国の衝撃』と同じか、その延長線上にある。ただし、チュニジアを調査地に選んだ理由は、「イスラーム国」がこれまで伸長できなかった、浸透できなかった国に対して、イラクやシリアでの、あるいはイエメンやリビアでの「イスラーム国」と関連する組織の動きがどのような波及効果や影響をもたらすのか、というところが、次の大きな課題になると考えていたからである。その意味で、ぼんやりと感じ取ってはいたものの、やはり今回の事件は私の予想より早く、想像より大きな規模で、グローバル・ジハードの影響がチュニジアに及んだと言わざるを得ない。背後にある勢力とその意図が何なのか、できる限り情報を精査して考え直してみたい。

また、チュニジアを渡航先に選んだのは、危険の兆しが表れていたと言えども、やはりチュニジアがアラブ世界の中の比較の上で非常に安全だから、その安全な場所を拠点として、非常に危険であって私の持つ資源では身の安全を確保し得ないリビアやイエメンの動静を見る、という意味があった。

しかしそうしていたところ、チュニジアの中心にテロが及んでしまったわけで、やはり私の想像を超えた動きであったと認めざるを得ない。その程度の予見力しかないぼんやりとした人間のぼんやりとした知見だが、何かの役に立つことを願っている。