「イスラーム国」関連の解説仕事の刊行情報をまとめていく作業の続き。
そういえば『公研』に対談を出していた。
池内恵・山形浩生(対談)「「イスラーム国」に集まる人々」『公研』2014年10月号(第52巻第10号・通巻614号)、36-54頁
『公研』の発行元は公益産業研究調査会という電力系の団体。『公研』は会員企業とメディアなどの決まった配布先にのみ流通している、一般には手に入りにくい媒体だが、政治経済や国際関係についての情報誌として質は非常に高い。非営利なので、商業出版ではもう不可能になったハイブローな特集や議論の切り口が可能。研究者が噛み砕いて話したことをそのまま載せてくれるし、的確に編集してくれる。
電力会社が団体のスポンサーになっているので電力業界には当然広く流通している。また、出版やメディアの業界にはどこからか入手して丹念に読んでいる人がいる。書き手である研究者の動向を察知するのには有効なメディアなのだと思う。電力業界のバーチャル政策シンクタンクのような位置づけなのではないかと思う。私が普段、専門分野を横断した研究会などでご一緒する機会がある方々が非常によく載っており、彼らが普段クローズドの研究会などで話してくれているような内容が、そのまま活字になっているという意味でも、なんだか不思議な感じがするメディアだ。
普通は、専門家と率直に話し合った時に出てくるような内容がそのままメディア上で活字になっていることはあまりない。普通は日本のメディアのどこかで各種のフィルター・バイアスがかかっていて、それらを解除したり補ったりして読むような工夫がいる。そんな工夫をして読むのは面倒なので、専門的な内容はこういった専門家から直接聞ける機会に聞くか、彼らが共通の情報源にしている英語の媒体に直接あたってしまう、ということになる。『公研』は例外的なメディアだ。もちろん電力に関する問題については、団体に寄付する企業が業界の利害関係者なので、構造的に、中立という訳にはいかないだろうし、読む方もそう思ってくれないだろうが、国際問題に関する限り、非常にストレスなく議論を展開できる媒体である。「買ってくれる読者の興味に応えろ、いい気分にさせろ」という要求がないからである。
「イスラーム国」問題について、話したいことを話したい形で、話したい量だけ論じられたのは、この対談だけではないかと思う。コメントを取りに来る媒体は多かったが、非常に紙幅が限られているだけでなく、そもそもこちらが明確に「この部分だけを強調してはいけませんよ」と念を押した部分だけを強調どころかそれだけ取り上げるといった、完全に駄目なものが多かった。
そんな中、談話の形では『公研』の対談で言いたいことをすべて言ったので、特にこれ以上何かを言う気がしない。
対談をした時期も9月半ばである。10月6日に日本人大学生の参加未遂への捜査が表面化して以降のメディア・ハイプとは無縁に、先に企画され実施されていた対談。しかし10月以降の騒ぎを受けても、付け加えることは特にない。これは編集・企画がしっかりしているからです。
それにしても、「イスラーム国」で「山形浩生」を出してくる『公研』編集部のセンスは非常に良い。
実は個人的な理由で山形さんとは知り合いだったのだが、仕事でご一緒するのは初めて。
私が山形さんの名前を出したのではなく、編集部が私をまず私を一方の対談者として日程を押さえたうえで、対談相手の筆頭候補に挙げてきたのである。
以前から、この問題だったら、全く別の切り口で山形さんに聞くと面白いのじゃないか?と思っていたが、そのような企画は、商業出版の雑誌や新聞の編集者の発想からは到底理解されそうもない(要するに国際問題というと何でもかんでも「佐藤優」の奈落に落ち込んでしまう人たち)ので、黙っていたら、『公研』がこの名前を出してきたので、喜んで対談を引き受けた。
本業の傍らのピケティの大著急速翻訳で忙しいはずなので、引き受けてもらえるか半信半疑で山形さんを希望したのだが、快諾していただけた。「イスラーム国」の問題は、一方で中東地域の内側からの文脈を見て、そこには日本からの思い入れや投影を排除しなければならないが、他方でグローバルな何らかの共通現象に絡んでいるので、そこは中東研究者の狭い知見からの当て推量では力が及ばない。その意味で、山形さんが中東・イスラームに関してはひたすら聞き役に徹した上で、ネットワーク的組織論についてのコメントで返してくれたのはすごくよかった。
『公研』の巻頭随筆「めいんすとりいと」(←すごく昭和な感じの欄の名前・・・)にも3・4号に一回ぐらいコラムを書いています。11月号にはコラムが載る。