マニラ2000

 ミンダナオ和平の話のついで。

 そういえば2000年にもマニラに立ち寄ったことがあった。その時も新聞を開けばミンダナオ紛争ばかりだった。2000年にMILFとフィリピン政府は全面的な衝突を繰り広げていた。その時はエストラーダ大統領だった。

 マニラに着いて乗ったタクシーの運転手がムスリムで、興奮してメッカの写真を掲げて「ジハード・ジハード!」と言っていた。マニラでも熱くなっていたんですね。

 この時は外務省のサウジとの若者交流かなんかで、同年代の商社マンやメーカー社員や自衛官などと一緒に、サウジのリヤードに行った帰りだった。サウジ側から渡されたチケットがフィリピン航空だったので、帰りにマニラに一泊したのだった。
 
 商社マン達はフィリピンの歩き方などはよくご存じだったのだろうが、私と東大出のNHKのディレクターは一番無縁な感じで、並んで飛行機に座って、二人でフィリピン航空のキャビン・アテンダントに「マニラで一泊しないといけないんだけどどこ見物したらいい?」とうきうきと聞いたら、即座に「Girls」と言われて開いた口が塞がりませんでした。

一応ナショナル・フラッグ・キャリアの乗務員がこう答えるって・・・それにびっくりしている我ら(私だけか)が一番びっくりかもしれませんね。幼き日々。

 2000年は大学院生最後の年で、サウジ訪問でフィリピンに立ち寄った時にはちょうど翌年からの就職が決まったという通知も受けて、私にとっては考えてみればあの時が今の仕事につながる何もかもが始まるちょっと前の静かな時間だったかもしれません。

 中東とイスラーム世界そのものも、今につながる動きが始まる少し前。

 翌年の2001年の9・11事件から、あらゆることがある方向に動き出す。

 私自身のキャリアの方向性、将来への想定も、それ以前と以後で、まったく違うものになりました。
 
 サウジ訪問そのものはそれほど記憶にない(毎日3回おざなりに供される変わり映えのしないビュッフェとか、アルコールがないから一行がずらっとペリエを飲んでいたとかいった点は、その後湾岸諸国のいろいろな会議などに送られた際に、似たような状況があって思い出しますが)。
 
 むしろ、マニラに向けて戻ってくる途中の飛行機の中で読んだ新聞で、ミンダナオ紛争の前線の状況とか、タイでタクシンが首相になるための法的な障害とか(たしか大株主であることを隠蔽・偽装工作していた問題)を読んだことが記憶に残っています。大学に入って、特に大学3年からは中東の事ばかりしてきたけれども、日本と中東の間にはこんなにいろいろな世界があるんだな、と空を飛んでいて実感したのでしょうか。

 2000年はタクシンがまだ首相になっていなかったんですねーー。あれからいろいろなことがありました。

 そういえばこの時のサウジ滞在中に小さなテロがあったことを思い出しました。2001年への予兆はすでにありました。その時には将来を何も予想できませんでしたが。
 
 年度末につれづれなるままに。