研究所所属というと、「ヒマなんでしょ?」とよく聞かれる。
確かに、大学だけど研究所、というのは、大学業界の外の人には分かり難いと思う。東京大学・先端科学技術研究センター(通称「先端研」)というのは、大学業界の中では「附置研究所」という枠に入る。附置研究所の形態や存在意義は、分かる人にしか分からない、というか端的に「いらん」と言っている人すら大学業界の中にもいると思う。
附置研究所の中でも先端研はさらに変わっている。最近は附置研究所は存在意義を示すために、大学院での教育を拡大して行ってほとんどいわゆる「学部」(正確には大学院の研究科)同様になっている場合も多い。また「共同利用・共同研究拠点」として全国の大学との共同研究のお世話をする機能を拡張していく場合が大多数だ。しかし先端研はそれも意識して避け、独自の研究と情報発信だけで存在意義を示そうとしている。
最大の違いは、他の学部学科や附置研究所とは違って、あるいは全国の大学の大部分の教員とも違って、「業績が挙がらないとクビになる」制度を取り入れていることだ。何が「業績」かというとこれが曖昧だから、誰からも文句をつけられないように、研究、教育、社会貢献、国際展開のあらゆる方面で業績を挙げ続けていないといけない焦燥感に常に駆られるシステムである。
なので、オーバーワークになる。
例えば、研究成果をできるだけ多様な形で発信して影響力を持つことが一般に奨励されるので、呼ばれれば断らずにあらゆる場所で研究報告・一般講演・講義・コメントなどをする。そういった講演は必ずしも公開されていないので、何をやっているのか一般には分からないかもしれない。
例えば、ある日は大学の外の研究会でこんな報告・討論をしていた。
研究会自体はクローズドだったが、ホームページに内容が公開されていたのでご紹介。
非常にエネルギッシュな、昭和の経済政策の最前線にいた(平成も)人とその関係者たちの集まり(なのかな、いやこの日初めて呼んでもらったので全貌は把握していませんが)で、新年会も続いて企画されていたので、熱心に聞いていただき、活発に議論をした。
まとめをみると、さすが、というか、私が目を通して手を入れたわけではないのに、正確に内容を伝えつつ、聞き手の側が興味を持った点を強調して、「勢い」みたいなものも加えて、私がしゃべったよりももっと面白くしている(私の分野だと、講義録や要約が事務局から出てきたとき、意味が大きく取り違えられていて、書き直さないといけないことも多い)。
まあこの日のテーマは中東だけでなく日本や日米関係、東アジア国際関係への影響といった、これまでの日本社会の「メインストリーム」の人たちにとってピンとくる内容だったせいもあるとは思うけど。
しかしこの日は朝7時30分の朝食勉強会(朝食は出なかったけど)に始まり、午前中は職場の会議、昼過ぎから編集者との打ち合わせ、学内で別の学部に出講している授業、そしてこの研究会での報告に走っていって、その後の懇親会(新年会なので本来私はメンバーではないのだが)でもずっと議論をしていた。
なので写真を見ても、もはやふらふら。真冬なのに汗かいて、ネクタイ緩んでます。
そもそも、「ネクタイを締めてスーツを着なくていい」「朝早く通勤列車に乗って行かなくていい」というのが研究者の道を選んだ大きな理由だったと思うのだが、結局、朝まだ暗い時間帯にネクタイ・スーツで電車に乗って出かけて一日中外回りで帰るのは深夜、ということも多くなっている。
どこで道を誤ったのか。
最近は役所の人の方がネクタイ締めていないぐらいだ。でも私は昭和時代に鍛えられた人たちのところに話に行くことが多いので、そういう人は今もびしっとネクタイしているので、こちらがしていかないとまずいでしょう。でも緩んでる。