自由主義者の「イスラーム国」論・再び~異なる規範を持った他者を理解するとはどういうことか

今日の『朝日新聞』に、「イスラーム国」についての識者の発言が載っていました。

特に、「イスラーム国」に関して、当事者でもある、中田考さんの発言が注目されます。

まず、私は、世界にはこのような多様な考え方があるということを知ることは大切だと思います。そもそも新聞とは、その厳しい制約条件から、中立的でも、客観的でも、卓越的でもあり得ないものである以上、様々な意見が、さほど正確なフィルターなしに載ってしまっても、やむを得ないものだと思います。

重要なのは、「朝日に載ったから正しい」などと思わないことです(その逆に「朝日に載ったから間違い」と思う必要もありません)。朝日や岩波に載った、ということのみをとって、その意見が真であるとか権威的であるとか、特に知識業界に身を置く人たちが思う状況がかつてありました。朝日に載った意見に反対すると学界で干されて大学で就職できなくなってマスコミ全般から干される、という恐怖を抱かざるを得ないような自縄自縛の状況がありました。しかし、それは過去のものです(と思いますが、そうではない業界がまだあるということも伝え聞いてはおりますがここでは等閑視しておきます)。朝日新聞を批判したり、あからさまに意見が違ったりすると朝日新聞の紙面に載らなくなることは確かですが、長い話を短くすると、一私企業のやることなので、あまり気にする必要はないのではないでしょうか。

ですので、いろんな意見がこの世にはあるんだなーと思いつつ、どこがおかしいか、自分の頭で考えられるようになればいいのではないかと思います。もちろん「おかしい」というのは特定の基準を定めたうえで言えることです。この世の中にある基準は一つではありません。

そして一番重要なのは、複数の基準が世界には存在することを認めたうえで、自分が属す社会・政治共同体ではどの基準が適用されるべきなのか、よく考えることです。それは自分が生きていく社会を選び、その社会を自分も一員としてどう形作っていくかを主体的に考えて、発言し、行動していくことの、第一歩です。自分が属すと決めた(あるいは生まれ落ちて育ってそこ以外に行く場所がない)社会の基準を、さらに磨いていく営為に参加することで、われわれは本当の意味で社会の一員となるのです。

その過程で、異なる基準を持った人々の存在を、どのような論理で、どこまで認めるか(あるいはどこからは認められないか)も、考えていくことが必要となります。

政治思想とはそういうものです。思想研究というと、無意味に些末な点をこねくり回して人を煙に巻くことだと思われているかもしれませんが、本当はそうではないのです。人々が自分が属する社会の基準を認識し、守り、改めていくことを助けるのが政治思想研究です。自分の社会の基準とは異なる他の基準を持つ人々の存在を認識し、その論理を見極め、どの地点で折り合いがつけられるのか(つけられないのか)、指針を示すのも、政治思想研究の役割です。

本当は政治思想とその研究とは、それぐらいわかりやすいものなのです。

私が「イスラーム政治思想」を研究しているというのも、そのような意味での政治思想研究をしています。

突飛な説を立てて超越的に自らの属する社会を否定したり他者に上から説教する根拠を得ようとして研究をしているわけではないのです。

なお、メディアというものも、社会の規範を読者が社会の一員として築き上げていくための場を提供することが、その本来の使命と思いますので、朝日新聞もやがてそのような役割を認識し、適切に担っていく作法を身につけていくことを、期待してやみません。

さて、中田考さんは、今回のインタビューでも、嘘は言っていません。ただし日本社会の大多数の人が想定しない(したがらない)前提に立って言葉を用いているため、正反対に意味を受け取る一般読者、あるいは知識人がいるかもしれません。また、逆に、日本社会の多くが決定的に忌避・拒絶するであろう点については、寸前のところまで口にしながらも、触れていません。ご本人があえて触れなかったのか、記者が自粛あるいは善意で紙面に載せなかったのかは、分かりません。

例えば、「イスラーム国」に参加する人たちの背景として、中田さんは、「7世紀に完成したイスラム教の聖典コーランの内容を厳格に解釈し、実行するためには武力闘争を辞さないと考える。出身国では迫害され、居場所がありませんでした。」と語っています。

気になるのは、「イスラーム国」の参加者が、「迫害され、居場所が」ないがゆえに参加したとされることです。ここではそもそもいかなる事例を挙げての議論か分かりませんので、実証性を議論することはできず、中田さんの「意見」「主張」にとどまるというところがありますが、これが中田さんの意見だとした場合、中田さんが認定している「迫害」とは何のことでしょうか?

もし、「迫害」の原因が、「イスラーム国」に参加する人たちの信仰なり行動なりが、ジハードによって他者を武力の下で支配下に置くことを目指す活動、あるいはその宣伝だったのであるとすれば、西欧社会に居住していれば、西欧の市民社会の規範に反し、西欧諸国の法に反するので、社会の中で白眼視されたとしても、あるいは警察・司法当局のなんらかの捜査や訴追の対象となったとしても、それを一義的に「迫害」すなわち不当な行為ととらえることは、西欧諸国の規範・法制度上は適切ではないでしょう。むしろ、西欧諸国では当然に課される制約を課されたということではないでしょうか。もちろんその制約を課すための手段は、適正な法的基準の枠内にとどまることが求められるのは言うまでもありません。また、クルド民族の義勇兵として戦闘に参加するために渡航することを公言する人々については制約が課されていないではないか、といった法の下の平等という観点からの批判も可能かと思われますが、それだけではジハードによる武力の行使の称揚あるいは準備を正当とし、それに対する制約を「迫害」とする根拠とはならないように思います。

もちろん中田考さんが、イスラーム法学の観点から、いかなる理由であれ、世俗の国民国家の法などの、イスラーム教に基づかない社会規範によって、ジハードに制約を課すことは(イスラーム法上)違法であると考えておられることは、ほぼ確かなものと思われます。

しかし西欧諸国にもイスラーム法が適用されるべきだと言う中田さんの主張(あるいは暗黙あるいは明示的な前提)は、西欧社会においては、妥当ではないでしょう。

あるいは、西欧の法制度上もグレーゾーンあるいは違法とされるような制約がジハードの使嗾、宣伝、準備に対して課されたのかもしれず、それを中田さんが念頭に置いているのかもしれません。すなわち、イスラーム法学上のみならず、西欧の法体系上も違法の可能性がある制限がジハードに対してあるいは信仰行為一般に関して課されたと非難されているのかもしれません。そのあたりはこの記事からは分かりません。

なお、これは記者のまとめ方、デスクの論点の立て方に難があり、実際には中田さんはアラブ諸国あるいはイスラーム諸国で政権に対してジハードを行なったうえで弾圧され、シリアやイラクに流れ着いた勢力のことを言っているのかもしれません。その場合は、イスラーム教が支配的価値観であり、憲法にもイスラーム法が世俗法を超越すると規定されているにもかかわらずイスラーム法を施行していない政権に対するジハードは正しく、それを制約する政権の施策は違法であると中田さんがとらえていることはほぼ確実です。ただ、その場合「迫害」という言葉を中田さんが本当に使ったのかというと、若干疑問です。むしろ「弾圧」でしょう。「迫害」という場合は異教徒からの宗教的な迫害、つまり欧米でイスラーム教徒の儀礼や生活規範を制限された、といった事例を通常は意味します。意図して異なるイメージを抱かせる言葉を使ったのか、記者の固定観念から、すべて西欧諸国の事例を意味していると思い込んで「迫害」と記したのかは不明です。

シリア・イラクでの「イスラーム国」をはじめとした武装組織へ流入する義勇兵は、大多数が近隣アラブ諸国からきているという事実は、日本の報道では忘れられがちです。大多数は、「アサド政権が国民を弾圧しているからジハードで打倒する」というシンプルな論理で参加しているものと見られます。そこには「反欧米」という契機は希薄あるいは二の次なのです。ですが、日本では、これが反欧米の運動として理解され、であるがゆえに反欧米論者によって熱く期待されもするという状況があり、メディアはそれに大きな責任を負っていると考えています。もちろんメディアに気に入られるような説を、巧みに空気を読んで提供する研究者にも問題はありますが、記者がきちんと選別できれば歪んだ議論は紙面に載ることはないのです。

なお、私の推測では、中田さんであれば、ジハード戦士が西欧から来たかアラブ諸国から来たかはあいまいに、一緒にしてしゃべると思います。同じ一つのイスラーム共同体(ウンマ)なのだからどこから来ようと同じだ、ということではないかと思いますが、信仰の立場からではなく、政治学的に分析するのであればこれらは分ける必要がありますし、メディアもきちんと分節化する必要があります。

また、中田さんは、「イスラム教徒ならば国籍や民族で差別されることはない「イスラムの下の平等」が、コーランの教えの核心です。」と仰っています。

ここで中田考さんは正確に、「イスラム教徒ならば」と述べておられます。ここでは、異教徒が差別される(イスラーム法学者の立場から異教徒に説明・説得する場合は、「制限された、イスラーム教徒とは異なる権利を与えられる」)のは当然であるという前提があります。異教徒が制限された権利に満足できなければ、立ち退くか、あるいはイスラーム教に改宗する自由があるというのが、主要なイスラーム法学者の立場です。中田さんはこれについてはかねがね、隠すことなく、公言しておられます。ここで異教徒は差別される、されて当然であると記事中で明言していないのは、記者の前で発言をしなかったからなのか、あるいは記者がそれを記さなかったからなのか、読者には知る由もありません。

これはヤジーディー教徒への迫害があったのかなかったのか、征服下の異教徒の殺害や奴隷化があったのかなかったのか、そもそも「イスラーム国」はそのような異教徒への迫害を正当化しているのかいないのか、「イスラーム国」による異教徒の迫害の正当化根拠がどの程度宗教的な正当性を持っているのかという、国際報道上の重要な論点について判断するために不可欠な情報であっただけに、記事で触れられていないのは残念でした。

なお、日本でこの記事を読んで中田さんあるいは「イスラーム国」またはその背後にあるとされる理念に共感していらっしゃる方々は、「国籍や民族で差別されることはない「イスラムの下の平等」」という部分のみ捉えて、行き詰った近代国民国家に対するイスラームの比較優位性と受け止めていらっしゃる可能性があります。記事のタイトルでも「平等の理想」とのみ記されていることもあって、「イスラム教徒であれば」という留保を中田先生がつけておられることを見落としていらっしゃる方もいるかもしれません。そのような方がもしいらっしゃるとすれば、そのような理解は、少なくとも中田さんが念頭に置いている議論とは、少し違う、ということを、知っておいた方がいいと思います。

もちろん、誤解や想像や思い入れを含めて、あらゆる信条・信念を持つ自由が日本では保障されています。

イスラーム世界では、イスラーム法が適用される限り、異教徒がイスラーム教徒と平等で差別されない権利は、認められません。これは穏健とされる法学者の解釈でもそうです。そのため、サウジアラビアだけではなく、エジプトでも、その他大部分のイスラーム諸国でも、異教徒が教会・礼拝施設を作ることは明確に禁止されているか、極めて困難です。もちろん、イスラーム教徒に対して異なる宗教への改宗を働きかけることは明確に違法であり、イスラーム教徒の目に触れるところで明確な信仰行為を行うことも認められません。あからさまに異教、特に多神教の宗教的象徴を身にまとうことも、身体・生命の危機を覚悟しなければならない行為です。ですので、「カイロ西本願寺派寺院」といったものは存在しないのです。これをもって宗教への迫害が行われているとは、イスラーム世界の各国の社会での圧倒的に支配的な規範では、とらえられていません。イスラーム教の真理が広まることを阻害しないための当然の制限とされています。

もちろん、世界のイスラーム教徒が差別主義者であるとここで言っているわけではありません。多くのイスラーム教徒は、穏健な解釈に従って、ユダヤ教徒やキリスト教徒といった「啓典の民」であれば「庇護民」として、(本来であれば)異教徒に課される人頭税を払えば、宗教を維持したまま生存を認められるがゆえに、イスラーム教は寛容であると信じており、実際に友好的に接してくれます。

多神教徒については、「啓典の民」に入らないことから、その法的立場は脆弱ですが、実態としては近代世界においては仏教徒なども、啓典の民同様の分類をされ、少なくとも戦争状態にない平時においては、生存を許されています。つまり、原則としては不平等だが、実態としては不平等はそれほど徹底されてはいないのです。

(1)西欧に端を発する近代の「原則として平等だが、社会の実態として平等ではない場合がある」社会と、(2)イスラーム法に依拠する「原則として不平等だが、社会の実態としてはそれほど不平等ではない場合がある」社会では、どちらが優れているのでしょうか。

その判断は信仰によって異なります。日本では、西欧社会とほぼ同様に、(1)が優れているという人が多いのではないかと思います。

しかし世界は広く、(1)の状態が望ましいと信じない人が多数である世界もあります。イスラーム教を信じる人々にとっては、アッラーの示した絶対普遍の真理を護持することが第一の優先事項ですので、(2)の、原則としての不平等は当然とされます。

ただし人間の情としては、友人となった人が異教徒だからと言って差別するということは普通はないでしょう。また、今現在異教徒であるということは、将来において改宗するという可能性があるため、むしろ、一定期間は、非常に歓待的になるという場合も多く目にしてきました。

なお、歓待されて過ごしてもなお改宗をしないことを不審がられ、嘆かれることはあります。長期間にわたってイスラーム世界に滞在し、イスラーム教について学びながら、なおも改宗しない場合は、改宗する意図が最初からない、すなわち悪意があるという嫌疑がかけられる場合もあり、あるいは自明の価値規範を認識できない、何らかの欠陥のある人物と疑われる場合もあります。

世界は広いのです。そのような世界があると知ったとしても、拒否しないでください。非難しないでください。それは状況によっては「迫害」あるいは「誹謗中傷」と受け止められる可能性がありますので厳に戒めてください。

私自身は、少なくとも日本国内では、「原則としては平等」が社会の規範であるべきであり、社会の実態もそれに極力近づけていくべきであると考えています。

「原則としては平等」という規範があるにもかかわらず、社会の実態は平等でないではないか、という批判があります。しかしそのような批判が可能になるのは、「原則としては平等」という規範があるがゆえです。その規範がなくなれば、特定の宗教が優越することが当然であり、その状態を不平等ととらえて批判すること自体が宗教への挑戦として「処罰」されることになりかねず、そのような処罰が「迫害」であり得るとする根拠そのものが消滅します。

実態として平等ではないではないか、という批判から、あるいはもっと漠然とした社会に対する怒りから、「原則として不平等」という規範の方が優れていると主張することは、破れかぶれの暴論や、面白半分の極論でないのであれば、矛盾です。そもそも不平等を批判する根拠を放棄したことになるからです。

「イスラーム教が正しいからそれに及ばない宗教は制限されてしかるべきだ」と主張するのであれば、信仰の表明ですから、尊重されるべきであると思います。ただし異教徒への権利の制限を実際に施行することを主張するさらには行動に移さない限りにおいては。

自由社会を守るとは、自由な社会を可能にしている規範がどのようなものかを熟知し、それを維持し刷新し、それによって、極力多くの、多様な価値観を持った人たちを迎え入れることを可能にしていくことです。日本は法制度上は自由ですが、市民社会の実態としてはその自由が徹底されているとは言えません。それは国・政府による直接の自由の侵害に由来するというよりは、相互監視・同質化を迫る社会の側に多くを起因しています。

また、自由な社会において、異なる規範を持つ他者をどのような形で受け入れるか、基準が社会通念として定まっていません。他者を受け入れるためには他者の護持する規範も知らなければなりません。そのためには、他者の規範の、自分にとって心地いい部分だけを知るのではなく、自分にとってきわめて不都合なこともある、想像もしない別の論理によって、他者の社会が成り立っているということに気づかされるのも必要です。

日本では、他者の規範とは、日本社会への不満、あるいは日本社会の権力構造の背景にある米国への不満を表出するための憑代として、断片的に導入され、かつ短期間に次の流行の憑代が現れるために、すぐに忘れ去られる傾向があります。

しかしイスラーム教のような力強い世界宗教は、一時的に日本で都合のいい部分だけが取り入れられ、後に忘れ去られたとしても、それとは無関係に続いて行きます。グローバル化によって、情報化の進展によって、日本をイスラーム世界から閉ざしていることは不可能です。

「イスラーム国」の台頭によって、本当の意味での、生々しい他者の存在を、その理念を、日本は目にし始めています。

自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について

10月7日のニュースウォッチ9で使われたコメントはほんの1行だけでしたが、この日報じられた二つの事案に関連したコメントとしてはこれだけで十分でしょう。

NHKニュースウォッチ9_10月7日

このキャプチャ画面(おでこが保守系政治家並みにテカってるのはブラインドの隙間から西日が当たっているから。カメラマンがすごく気にしていましたが、時間がないので続行しました)はコメントの後段部分ですが、この前に、日本には、イスラーム国、あるいはイスラーム教一般に対して、社会の周縁や、文科系知識人の間でのぼんやりとした流行として、自らの不満や願望を投影して勘違いして賛同・共鳴・期待する動きがサブカル的にあり(もちろん膨大な世間一般保守層にとっては単に印象が劣悪なんだろうけど)、そういった経路で情報を仕入れた、現実をよく知らずにそれぞれの特殊な不満を持っている人が、打ちどころが悪くて武器をもって参加してしまう例は今後も出るだろう、という旨を語ってあります(実際にはもうちょっと言葉を選んで婉曲かつ厳密にしゃべっていますけれども、まあ真意はこうであるということはまともな人には分かるでしょう)。

おそらく今後五月雨式に出てくる事例のほうが、今回のものより、影響も、主体の意図や能力においても、深刻なものになるでしょう。

翌日付でNHKのホームページに特集を文字で再現したものが掲載されています。

7日の放送は録画してありますがきちんと対照させる時間がないので正確には分かりませんが、ホームページのものはおそらく放送されたニュース特集で時間の関係で盛り込めなかった部分をごくわずか補ったものでしょう。私のコメントについても、放送された部分と若干異なっているかもしれませんが、包括的にコメントを出してあるので、私がしゃべった部分であることは確かです。

このニュース特集については、7日に少し書きましたが、9月29日に収録したもので、26歳の北大生がイスラーム国への参加を図って取り調べを受けた件の発覚する以前に話したものです。一般論・理論的な話をしたものの一部です。

元来は、このニュース番組でも少し取り上げられた別の26歳の男性(U氏)がシリアの武装勢力に参加したという件を軸に、日本人がもし「イスラーム国」に加わっていた場合、それが何を意味するのか、どのような国際的影響が考えられるのかなどを課題にするはずであった(少なくとも私に対してはそのような設問で取材をし、コメントを収録した)のですが、その後の新たな事件の発生や、放送時間を制約する別のニュースの出現が相次いだことで、放送される量が変わり、重点を置かれる論点も若干変わっていったのかもしれないと推測します。

なお、私自身はU氏のインタビューや発言内容を知らされずにコメントをしており、U氏の行動や発言そのものを分析をしたものではありません。しかし私が思想史と中東研究の経験から類推して提示した、日本側の参加者の人物類型や思想傾向、シリア側の武装勢力の状況や受け入れ態勢を、ほとんどそのままU氏が語っていました。双方の状況において、典型的なケースと思います。

なお、この特集と私のコメントは有為転変を経ております(先日ちょっと書きましたが)。9月23日に電話で取材を受けて詳細に問題の構図を伝えており、その後私のコメント内容を打ち合わせたうえで9月29日の収録となったわけですが、27日の御岳山噴火の影響で、いつこの問題を放送できるかが分からなくなり、お蔵入りしかけていました。それが、10月6日に発覚した「イスラーム国」への参加希望学生の問題の浮上で、急遽これについての報道と抱き合わせで7時のニュースで一部の素材を使うことにしたようです。

しかし、ご案内の通り、10月7日夕方には「日本人(日系アメリカ人含む)3人ノーベル物理学賞受賞」という、全てを上回るメガトン級のニュースが落ちてきて、まず7時のニュースは特別編成になり、私のコメント部分は省略(ついでに7時30分からの牧原出先生のクローズアップ現代・公文書管理特集も飛んでしまったようです・・・先端研受難の日。こちらは日を改めて放送されるようですので期待しましょう)。

9時からのニュース番組に移されたものの、「イスラーム国」参加希望北大生と、顔も名前も出していいという、別の武装集団に参加して帰ってきた26歳の男性の両方についての映像や本人の発言が長い時間をかけて流れる中で、問題の全体像を包括的に語った私のコメントのうち、放送されたのはほんの一瞬だけとなりました。しかし重ねて言いますが、この二人についてのみ取り上げるならば、放送されたコメントの部分だけで十分と思います。

U氏については、実名で顔を出して、その主張がかなり長く放送されました。売名行為・承認欲求を満たす場になりかねないので、極めて浅く未熟な行動とその理由づけの論理を、NHKニュースで流すことには弊害もあると思います。しかしこういった人々が現実に社会の中にいることを伝えたという意味で、メディアの役割は果たしたと言えるのではないかと思います。ある考えが報じられるということはそれが正しいということを意味しない、そもそも正しいと認定する主体は存在しない(少なくともNHKではない)という、最低限のメディア・リテラシーさえあれば、見紛うことのない映像であったと思います。

一昔前の、父権主義的な制約と配慮が多く加味されたニュース番組であれば、「本人が自分がやっていることの意味を深く分かっていないのではないか」「社会に知らせれば本人の将来のためにもならず、社会不安も生じさせるのではないか」といった様々な配慮から、U氏の発言はほとんど報じられず、顔も名前も伏せられたかもしれません。

しかし、現在の日本は自由な社会なので、法の範囲内で、自由にものを考えて発言することはまさに自由であり、本人が同意の上で公言したこと、やってしまったことを報じられて、それによってその後の人生に不利益をこうむることもまた自由です。自由主義社会とは愚行を犯す権利を認める社会であり、それによってもたらされる不利益を自らが担う義務を負うという条件の下で、今回の二人はそれを行使したということであると考えています。

北大生については顔と名前が伏せられていますが、これは今現在捜査中で立件されるか否かが不分明であることと、本人の発言の不明瞭さの次元がより著しいため、公開することがふさわしいか否かの判断が留保されたものと推測しています。U氏の場合は、発言の表面上の矛盾がより少なく、コメンテーターや評論家が流している程度のずさんさの社会批判であるため、それがなぜシリアでの戦闘と結びつくかにおいて飛躍が著しいものの、顔と実名を出して発言が報じられたものと考えられます。

そのような愚行をNHKの公共の電波がニュースとして流すか否かという問題に関して、重要なのは客観視・相対化する視点を番組が備えているかです。それを私のコメントが果たしたのかもしれません。ただし私はU氏の行動の詳細や発言映像を見ずにコメントしていますので、本来ならコメンテーターあるいはキャスターが加えるべき批判的・相対的・批評的な言及を、具体的にU氏の発言や行動に関して行ったわけではありません。その意味では、若干足りないところがある番組構成であったと思います。

ただし、私の事前コメントで想定した人物類型と関与形態であったため、実質的には客観視・相対化・批判的言及を行なった形になりました。

なお、この報道では二点の極めて重要な情報に触れられていません。①U氏が元自衛官であること、②U氏が加わった武装集団の名前。

①については、自衛隊出身者が海外で勝手に紛争に参加したことが政争の的になりかねないことが配慮されたのかもしれません。しかしU氏がなぜ武装集団に受け入れられたか、という点を見る際に、この情報があるのとないのとでは全く異なります。この点、毎日新聞の報道は有益でした。

「シリア:戦闘に元自衛官 けがで帰国「政治・思想的信条なし」」『毎日新聞』2014年10月09日 東京夕刊

②はその武装集団が、後にアル=カーイダあるいは「イスラーム国」といった国際的に、特に米国によってテロ組織認定を受けている組織に統合されている可能性が考えられます。

確証がないのでここでは名前を挙げませんが、おそらくU氏は、アレッポ北方・トルコとの国境近くのアザーズで勢力を保っていた組織に加わったのではないかと思います。その当時は独立していたが、その後合併あるいはより強い勢力による征服で異なる組織の傘下に入り、結果として上部勢力の指導部が「イスラーム国」に忠誠を誓う表明を行ったとみられています。

直接・同時期ではないにせよU氏が「国際テロ組織」の傘下に後に入る組織に加わっていたことになれば、北大生の場合以上に、「私戦」を行なったとして刑法上の疑義も生じかねず、そのような人物の体験談と主張を放送することがふさわしいかという問題になり得るが故に武装勢力の名前を言及するのを本人が避けたあるいはNHKが報じなかったのではないかと推測しています。これらは私の研究者としての推測で、NHKからは何も説明を受けていません(問うてもいません)。

そもそもこういった現地の複雑な情勢を理解できる人たちが番組を作っているかどうかも定かでなく、単によく分からなかったから報じなかった可能性もあります。また、本人が明確に武装集団の名前を覚えていないか発音できないといった可能性もあり得ます。

確かにこれらは厄介な問題ですが、こういった側面もテレビ局が報じることができ、かつ知識人も政治家も、感情論や表層的なこじつけによる、短絡的な政争の議論に持ち込むのでなく、本質的な政治問題として分析したうえで議論できるようになれば、日本も真の意味での近代の自由社会になったと言えると思います。それができないうちは、補助輪付きの自由にとどまると言っていいでしょう。

単に「NHKは自主規制・配慮するな」という問題ではなく、それを受け止める成熟した知性が社会に存在するか、というところがより本質的な問題であると思います。メディアはその国の市民社会の程度を反映したものにしかなりえないのです。

また、この段階では顔と名前が出ていませんでしたが、元同志社大学神学部教授の中田考氏の関与をめぐる捜索についても番組では取り上げられていました。

中田考氏は東京大学文学部イスラム学科という、日本の大学の中では稀な学科の一期生です。1982年設立と歴史も新しく、3年時にこの学科を選んで進学してくる者の数も極めて少数に限られています(2人か、1人か、0人か、というのが通例と思われます。あと学士入学・修士からの入学者がそれ以上にいます)。

実は私もまたこの学科を卒業しており、1994年に進学しているので、一回り下の後輩ということになります(なんでこの学科に入ったかはココで)。私自身は大学院は地域研究に移っており、1・2年の教養学部においてもイスラム思想以外のさまざまな学問に触れており(そもそも家庭教育で全然別のことを仕込まれていた)、イスラム学のみを自分の学問の基礎とはしておりませんが、同時に最も重要な学部3・4年を過ごしたことから、今に至るまで強い影響を受けてきたと自覚しています。この学科の一期生が、このような形で脚光を浴びるに至ったことには、卒業生として他人事とは見ていられず、世間一般にとっては奇異・不可解にのみ見えかねない状況を少しでも理解しやすくしておきたいという気持ちがあります。

この学科は歴代の卒業生を合わせてもそれほどの数ではなく、特に一期生は、業界内ではいろいろな意味で目立つ人たちであり、学生時代から意識せざるを得なかったことから、中田考氏についてはその人となりと思想・行動を私なりに理解しているつもりです。

いくつか言えることを記すと、まず、彼は顔を隠したり、思想や実際に行った行動について問われて否定することはないだろう、ということです。彼にとっては、「アッラーの教えに従った正しいこと」をしていると信じているがゆえに、「無知な異教徒」に積極的に話す必要はないが、問われれば話してもいい、ということであろうと思います。現にその後顔と名前を出したインタビュー記事が表に出るようになっています。

中田氏自身は日本の刑法に明確に触れるようなことはしていないと思いますが、ジハードによる武装闘争をシリアで行うことには強く賛同していると見られます。「イスラーム国」についてはその手法の一部が適切ではないと批判していますが、イスラーム法学的に明確に違法とまでは言えないと解釈しているようであり、その存在を肯定的に見て、接触を図っていることは、公言している通り、おそらく事実であると思われます

そのことだけでも、日本の法制度では「私戦」の予備あるいは陰謀に関与したととらえられる可能性が、法の解釈と適用の裁量如何ではあり得るものであり、そのことも、現在の中田氏は自覚していると思います。日本の刑法の存在と実際の効力は認めているものの、本人の思想によって超越的な視点から日本の刑法の価値を(「永遠の相の下では」)限定的(あるいは無価値)と捉えているため、刑に問われる可能性を認識しつつ、それほど意に介していないのではないかと思われます。

ただし2014年9月24日の国連安保理決議で「イスラーム国」への支援を阻止することが各国に義務付けられる以前には、この規定の適用によって「イスラーム国」への支援・参加を処罰することが現実的にあり得ると周知されていたわけではありません。死文化していたこの条文を適用して公判維持が可能なほどの犯罪事実を、9月24日から10月6日までの間に中田考氏が行ない得ていたかどうかを考えると、そのようなことはなかろうとかなり確信を持って言えます。

ジハードに関する中田考氏の立場は、イスラーム世界の中で、少なくともアラブ世界においては、さほど極端な意見ではなく、一つの有力な考え方であると見られます。ただし実際に実践することができる人はそれほど多くないとされる立場です。尊重されるが必ずしも多くによって実践されることのない、アラブ世界において一定の有効性を保っている思想を、ほぼそのままの形で日本に伝えてくれるという点で、中田考氏は貴重な存在です。日本向けに、日本社会に受け入れられることを主眼として、現実のアラブ世界ではさほど通用していない議論を「真のイスラーム」として発言する方が、長期的には認識と対処策を誤らせると考えます。

「イスラームは平和の宗教だ、対話せよ、共生せよ」といった議論を表向き行なっている人物が、学界の権力・権威主義・コネクションを背景に、気に入らない相手に公衆の面前で暴力をふるうに及ぶ(そして高い地位にある教授のほぼすべてが一堂に会しておりながら黙認して問わない)、といった事例さえ複数回体験している私にとっては、中田考氏からは、現世的な意味での権威主義を嫌い、暴力を忌避する、温和で、概して公正な人物であるという印象を受けます。その評価は、この事件に関する報道を見た上でも、変わっていません。

ただし、いくら現実が欺瞞に満ちたものであり、浅薄で劣悪な人間が世にはびこっているとしても、それに対抗して別の世界から何か絶対的な超越的な価値基準を持ってきてそれを当てはめて現実を全否定しても、自己満足以外に得るものはあまりないと私は考えています。

中田氏の日常・対人関係における穏和さは、イスラーム教によって示された真理を自分が知っているという確信から来るものであるため、「それを知らない・知ろうとしない異教徒」である私に対しては、別種の超越的な権威主義をもって接してくるため、かなり遠い過去に何度かあった会話の機会において、それほど話が通じたとは思いません。(そもそもまともに話したのはかなり若い時であり、年齢や研究者としての経験が違い過ぎたという事情もありました。また、イスラーム法学者としての聖典・法学解釈の運用能力を普遍的に価値的に優越したものととらえる中田氏からは、私の議論はそもそも前提としてなんら評価に値しないといった理由もあります)。

そして、中田氏の宗教信仰からもたらされる政治規範では、異教徒にはイスラーム教徒よりも制限された権利が与えられ、その価値を一段劣るものとして認定され、その立場と価値基準を受け入れる限りにおいて生存が許されることになっており、それを受け入れることは自由主義の原則の放棄を意味し、近代的な社会の崩壊を容認するに等しいと考えており、私は強く反対しています。

しかし立場が異なる人々の思想を、それが他者への危害を加えない範囲であれば認めるのが近代の自由主義の原則です。中田氏の思想に内包する危険性を認識しつつ、それを日本において実効的に他者に対して強制する機会が現れない段階では、中田氏の思想表現に規制をかける正当性は、自由主義社会の原則に照らせば、ないと考えています(そもそも人の頭の中身は外から規制できませんが)。そのことは中田氏の思想そのものを真理であるとか優越したものであると私が認めているということではありません。

イスラーム思想研究者としては、中田氏はまったく異なる見地から私と同じものを見ているということではないかと考えています。もちろん、中田氏の方では私がイスラーム教を日本の言説空間に紹介する際に「正直に話している」という点においては一定の評価をしつつ、(アッラーの下した唯一絶対の真理を認識することができないという意味で)「無知である」と認識しておられ、そもそもそのような「無知(超越的な視点からの)」であるにもかかわらずイスラーム教について発言することが本来(超越的な視点から)は許されないことであると考えていることを、いくつかのインターネット上の発言などから見知っています。中田氏の立場からは論理的必然としてそのような認識になることを私は理解しており、私の発言を実効的に制約したり物理的危害を加えることを自ら行うか教唆したりしない限りにおいては、表現の自由の範囲内であろうと考えています(受け取る人が中田氏の真意や思想体系を理解しておらず、中田氏の私に対する批判を異なる目的のために利用することは困ったことだとは考えていますが、基本的にそれは受け取って利用する人の理解力や品性の問題であると考えています。誤解による利用に中田氏がまったく責がないとも無意識・無垢であるとも思いませんが・・・)。

中田氏は、今回の事案を受けてのさまざまなインタビューでおそらく公に認めていることではないかと思いますが(活字になっているかどうかは別として)、正しい目的のためのジハードで軍事的に戦うことは正しい行いであり、そのような行いを目指す人物が自分を頼ってきたときにはできるだけの手助けをする、という信念を持ち実際にその手助けを行なっているものと思われます。これは、アラブ世界で(あるいはより広いイスラーム世界で)非常に多くの人が抱いており、可能であれば実践しようとしている考えであり、だからこそ国家間の取り決めによるグローバル・ジハード包囲網に効果が薄く、「イスラーム国」あるいはそれと競合する諸武装勢力への、多様なムスリム個々人による自発的な支援や参加が有効に阻止できていないのだと思います。

中田考氏が「イスラーム国」のリクルート組織の一員か?と問われれば、私は捜査機関ではなく、個人的に付き合いもないので本当のところは調べようがないのですが、イスラーム政治思想を研究し、グローバル・ジハード現象を研究してきた立場からは、「中田氏は組織の一員とは言えない」と推論します。

その理由は、中田氏がジハードに不熱心だとか組織と意見が違うといったことではなく、そもそも「イスラーム国」やアル=カーイダは明確な組織をもたずに運動を展開しているからです。シリア・イラクの外で「イスラーム国」に共鳴している人物・集団のうち、中田氏に限らず、シリア・イラクの「イスラーム国」そのものとの組織的なつながりが実証されうる人物や集団は、ごく限られていると考えられます。

しかし共鳴した人物・集団がもし実際に国境を超えて「イスラーム国」に合流し武装闘争に有機的に統合されれば、紛れもなくその組織の一員となります。中田氏はおそらく年齢・体力的にもそれは困難で、本人がインタビュー等で認めているように、組織の一員の友人、あるいはその紹介で訪れた客人、という立場を超えることはおそらくなかったのではないか、と推測します。

中田考氏は、そもそも正しいことをしているという信念が前提にあるために、インタビュー等で実際の行動や意図を偽ることはないと思います。ただし、その行動や意図の「正しさ」の基準が、イスラーム法学であるために、日本の一般的な聞き手や読み手には、真意が測りがたく、冗談か不真面目なウケ狙いの回答であるかのように見えてしまう場合もあるかと思います。また、イスラーム教を世界に広め、守ることを本分とするイスラーム法学者の役割に忠実であるため、異なる価値観が支配的な日本において、イスラーム教そのものへの強い批判や排斥を招きかねないと考える主張については、聞き手・読み手の誤解をあえて誘う立論を行なって関心を逸らす、あるいは肯定的な誤解をさせるということも、イスラーム教を広め守るための教義論争上のやむを得ない戦術として肯定しているのではないかと思われる節があり、日本の読み手が自らの論理や規範の範囲内で額面通りに受け取ることも、若干の危険性があるのではないかと危惧します。しかしそのような発言も自由の行使の範囲内であって、重要なのは、編集者や読み手が、発言の前提となる極めて異なる価値観(それはイスラーム世界では非常に支配的な価値観である)を認識した上で中田氏の意図を読み解くことであろうかと思います。

「イスラーム国」をはじめとしたグローバル・ジハードの諸運動については、「日本に組織ができたら危険だ」/「日本には組織がないから安全だ」という議論も、「あの人は組織に入っているからテロリストだ」/「組織に入っていないから無関係で無実だ」といった議論も、的を外しています。組織がないにもかかわらず、自発的に、一定数の支持者・共鳴者を動員できることにこそ、グローバル・ジハード運動の特徴があり、日本社会あるいはその他の社会にとっての危険性があります(それを支持する人にとっては「可能性」があります)。「イスラーム国」そのものにしても、複数の小集団のネットワーク的なつながりしかないものと考えています。イスラーム教の特定の理念、つまりカリフ制といった誰もが知る共通の理念の実現という目標を一つにしているからこそ、つながりのない諸集団がほぼ統一した行動を結果的に行っているものと考えています。

宗教者がテロを教唆したか否か、という問題には、人間の意志と行動との間の、非常に複雑で実証しがたい関係を含んでいます。

宗教者として一定の尊敬を集める人物が、例えば「ジハードに命をささげるのはアッラーに大きな報奨を受ける行為だ」と発言した場合、世界宗教であるイスラーム教の明文規定に支えられているために、信仰者あるいは異教徒のいずれの立場からもその発言を批判することは困難です。そして、このような一般的な発言を行なうことで、結果的に一定数の聞き手が武器を取って紛争地に赴き、状況によってはテロと国際社会から認定される行為を行うことは、一定の蓋然性をもって予測されます。しかし一般的な宗教的発言と受け手の行動との間に因果関係を実証することは容易ではなく、宗教者が意図を持って行った教唆として認定することも容易ではないため、法の支配の理念を堅持した法執行機関の適正な運用による対処を行なって実効性を得るには、困難が伴います。

分かりにくいと思いますが、この問題について、事情をよく分かっていないまま勘違いして発言・反応する人を含めた様々な人たちから揚げ足を取られないように書くには、このような書き方になります。

グローバル・ジハードへの動員は、日本では極めて小さな規模で、日本のサブカル的文脈でガラパゴス的な形で発生しています。しかし西欧社会では大規模な移民コミュニティを背景に、非常に大きな規模で、この「組織なき動員」が生じています。そのため、問題の対処は緊急性を帯び、かつ困難を極めています。

日本でも、やがてこの問題にもっと正面から向き合わなければならなくなると思います。

火山の噴火による多くの方々の死傷、日本出身者のノーベル賞受賞、いずれも重大なニュースです。しかし日本が将来に直面する問題の先触れとして、今回の、多くの人にとっては奇異なことばかりに見える「イスラーム国・その他武装勢力への参加希望者出現」という話題は、もしかすると、より重要な意味を持っているのではないかと思います。


【本エントリが増補のうえ、中田考『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社新書)に解説として収録されました】

「イスラーム国」の黒旗の由来

イスラーム世界の価値規範と、われわれの世界の価値観で、食い違うところは随所にあります。

もちろん、イスラーム世界一般とは必ずしも常にくくることができず、穏健な一般市民と、過激派の間で同じものを見てもまったく異なる印象を持つ場合はありますが、今回はイスラーム世界一般に、価値規範上、正統とされ高い価値を置かれているシンボルが、事情を知らない日本の一般市民には単に否定的な、邪悪な印象を与えてしまう事例を取り上げてみよう。

この旗を見てください。国際ニュースに注目していた人たちには、すでに見慣れているものと思います。

黒旗_イスラーム国

「イスラーム国」が掲げる旗ですね。この下や上に、「カリフ制イスラーム国」とか、少し前に作ったものでは「イラクとシャームのイスラーム国」と書いてあるものもありますが、基本はこのモチーフです。上の行に白抜きで「アッラー以外に神はなし」と書かれており、その下の白い円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と書いてあります。正確には、

アッラーの
使徒なり
ムハンマドは

というように、アラビア語で下から上に読むと意味が通るような順序で書いてあります。後で書きますが、これには理由があります。

この黒旗は、「イスラーム国」の専売特許なのかというと、そうではありません。

例えば、ソマリアで勢力を持っているイスラーム過激派の「アッシャバーブ(al-Shabaab)」も、2006年ごろから、つまりほぼ「イスラーム国」の前身となる「イラクのイスラーム国」と同時期に、この旗を使うようになっているのが確認されています。

例えばこんな写真があります。

ソマリアのシャバーブの黒旗
出典:Harakat al-Shabab & Somalia’s Clans

大勢の女子生徒の誘拐で有名になった、ナイジェリア北部のボコ・ハラムが公表した映像ですが、

ボコ・ハラムの少女誘拐声明ビデオと黒旗

左後ろを見ると、やはりこの旗が映りこんでいますね。アラビア語が何だか「金釘流」に見えますが・・・

ソマリアのシャバーブの黒旗abc news
出典:abc news

イエメンに拠点を置いている「アラビア半島のアル=カーイダ」も同じ図柄の旗を用いています。

黒旗イエメンのアルカイダ
出典:The Guardian

「そうか、じゃあ黒旗は過激派の旗なんだ」と思った方は、早とちりです。

“Islamic State flag burning ignites controversy in Lebanon,” al-Monitor, September 29, 2014.

この記事にあるように、うっかりと(おそらくは異教徒が)この黒旗を焼いたりなどして、「イスラーム国」への反対を表明しようとすれば、多数のムスリムから強い反発を受け、暴動が起きかねません。

レバノンの法務大臣も、非難声明を出し、裁きを受けることになる、と警告しています。「イスラーム国」に対してではなく、「イスラーム国」の黒旗を焼く運動に対してです。

“Lebanese minister calls for ISIS flag burners to face trial,” Asharq Al-Awsat, 31 August, 2014.

先代のローマ法王が「イスラーム教がジハードの武力の下で拡大した」と発言したら世界中で暴動が起き、少なからぬ人命が失われましたが、同様の事象すら生じかねないものです。

われわれが「黒旗」に持つイメージと、イスラーム世界の宗教的な伝統・価値規範に根差した黒旗へのイメージは全く異なります。

われわれの「黒旗」へのイメージは、おそらく「海賊旗」に代表されるものでしょう。

海賊旗
海賊旗

こんなのもありましたね。

海賊旗(One Piece)
麦わら海賊団(ONE PIECE)

シリアの戦況を示す地図などを情勢分析のために見ますが、各陣営の配置を旗で示している地図がよく出回ります。シリア政府の旗、シリア反政府勢力(自由シリア軍)の旗がいずれも「三色旗」系統の、近代の民族主義・革命にまつわる配色なのに対して、イスラーム主義系統の諸勢力の旗の国旗は目立ちますし、われわれの抱く認識枠組みでは、「海賊」が迫ってきているかのような不穏な印象を与えます。時代劇でもゲームでも、黒旗はたいてい悪者を意味します。

しかしイスラーム教の文脈では、黒旗は、ムハンマドが戦闘で掲げていたものとされ、極めて肯定的な意味を持ちます。

そしてその黒旗に「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白の文言が染め抜かれた、「イスラーム国」らの黒旗は、宗教的に侵すべからざるものとして、政治的な立場に関わらず、多くのイスラーム教徒に受け止められます。ごくごく一部、西欧諸国などで、移民が受け入れ社会の価値観に順応していることを示すために、無理をしてこの旗をからかったり、稀には破いて見せりしますが、むしろその周りで多くのイスラーム教徒を疎外し、憤らせ、かえってテロに向かわせているかもしれません。

これは非常に厄介な問題です。こうすればいい、という解決策はありません。「ある」と言い放っている人たちは、むしろかえって問題をこじらせる側の一部ではないかと思います。たとえ善意や思い込みであっても。

イラクとシリアでの「イスラーム国」の主体や、その制圧した領域の統治のあり方を伝えてくれる写真・映像は、彼ら自身が出してくる宣伝映像を除けば、きわめて限られています。

非常に多く用いられるのが、これでしょう。

黒旗_イスラーム国のラッカ
出典:Reuters/msn news

黒旗を掲げるだけでなく、おどろおどろしい目出し帽をかぶっている、ということで、われわれの目には非常に不気味に恐ろしく感じますね。

しかし次の写真はどうでしょうか。これもまた、欧米の主要メディアでよく用いられている写真です。

黒旗ラッカの若者戦車の上
出典:Reuters/msn news

スポーツ選手が勝利の喜びを表現しているような、爽やかないい顔をしている、とつい思ってしまった人もいるのではないでしょうか。欧米のメディアでは、特に記事の内容が肯定的・否定的であるのには関係なく、これとそれに類似した写真が使われます。単純に「欧米のメディアはイスラーム国を一方的に敵視してイメージ操作をしている」などと、一部の日本の「ものの分かった」風の人が言っているようなことは当たらないことが分かるはずです。

こんな写真もあります。頭の軽そうなお兄ちゃんたちが黒旗を振って走り回っていますね。サッカーのどこかのチームのサポーターかフーリガンでもあるかのようです。

黒旗ラッカのバイク若者
出典:Reuters/msn news

これらの写真はいずれも今年6月のラッカで撮られたとみられるものです。

「イスラーム国」は6月にイラク北部で急激に支配地域を拡大し、同時にシリア東部ラッカでの支配を固めた。このころラッカで「イスラーム国」の戦闘員たちの写真が多く撮影され、ロイターなど国際メディアに渡りました。その後外部からのアクセスが困難になり、住民の行動が制約されたとみられることから、あまり情報が出てきていません。

6月には「イスラーム国」はラッカで戦利品の戦車やミサイルなどを引き出して堂々とパレードをやっていました。シリアのアサド政権もまったくこれに手を付けずに放置していたのです。

黒旗ラッカのパレード
出典:Reuters/msn news

黒旗ラッカ6月戦車と若者
出典:Reuters/msn news

先ほど掲げた「いい顔」してる若者の写真もこういった場面で撮影されたようです。

黒旗を原型にした、県のマークなども作られて、中心広場に塗られました。

黒旗ラッカの広場
出典:Reuters/msn news

黒旗ラッカの県庁
出典:Reuters/msn news

黒旗というのは、もともとムハンマドが戦闘で掲げていたとされることから正統性があり、イスラーム史上の歴代の政権が用いてきました。

また、終末論的にも黒旗は象徴です。世界の終わりが近づくと、東の方角、ホラサーン地方から黒旗を掲げたマフディー(救世主)の軍勢が現れて現世の邪悪な勢力を打倒す、という趣旨のムハンマドのものとされるハディース(発言の伝承)が広く知られています。そこからも現在のジハード主義者たちが、自らが「世直し」の運動であるという自覚と主張を強めるために黒旗を用いるのでしょう。なかなか抵抗しがたい、またイスラーム教徒を引きつけ易いシンボルなのです。

そして、白地の円の中に黒字で「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、下から上に書いてある特徴的なロゴにも、宗教的な意味があります。

ムハンマドは読み書きができなかった、ということはイスラーム教徒の側が誇らしげに語るところです。文字すら解さなかったムハンマドだからこそ、その口から伝えられた啓示は神の言葉であるに違いないと「論証」するのです。

イスラーム教団が強大化し支配地域を広げると、ムハンマドは教祖であるだけでなく政治指導者となり、軍事司令官となりました。家臣に命令を出したり、外国の君主に宣教・宣戦布告の書を送りつけたりする機会が出てくる。そのようなとき、側近が文章を書き、ムハンマドはそれに印章を押しました。

そのいくつかが現存しています(と信じられています)。

例えばこれ。エジプトのムカウキスという統治者あるいは知事に宛てて送ったとされる親書です。

ムハンマドのムカウキスへの親書
出典:Wikipedia

右下に丸い印章が押されているのが見えますね。この印影を図案化したものは広く出回っています。「イスラーム国」をはじめとして、黒旗を振る人たちは、このモチーフを使って、自らの軍勢を「官軍」と主張しているのです。これはシンボル操作としてかなり効果的です。少なくともこの旗そのものにイスラーム教徒であれば誰も正面から異を唱えられないからです。この旗を冒涜したと非難されるような言動をなせば、厳しい社会的制裁を覚悟しなければならない。

単にこの図案がカッコいいから用いたのか、というとそうでもなくて、深い意味があります。

この印章が押された現存するムハンマドの親書には、いずれも周辺諸国の君主・統治者に、イスラーム教に改宗してムハンマドの支配する国家の元に下れ、と呼びかけたものです。コーランの第3章64節を引用するのが通例です。コーラン第3章64節のうちこの部分です。

言ってやるがいい。「啓典の民よ,わたしたちとあなたがたとの間の共通のことば(の下)に来なさい。わたしたちはアッラーにだけ仕え,何ものをもかれに列しない。またわたしたちはアッラーを差し置いて,外のものを主として崇ない。」
日本ムスリム協会ホームページ

ムハンマド自身が、周辺の諸国の統治者に向けて宣教を行ない、その後従わない者たちを討伐していった。その事績を想いおこし、自らを奮い立たせ、人々を従わせるか少なくとも恐れさせる。そのような心理的効果をムハンマドの印章は持ちます。

日本で言えば「水戸黄門の印籠」のようなものです(ちょっと軽すぎますが)。

円の中に、なぜ

アッラーの
使徒なり
ムハンマドは

という順で書かれているかというと、歴史上残っているムハンマドの印章でそのような順で記されているので、そのまま用いているのです。ムハンマドの事跡は絶対的に正しいとされるのですから。

ムハンマドの印章指輪2
このような

ムハンマドの印章指輪1
指輪にして

ムハンマドの印章指輪3
封蝋を押していたとされます。

エジプトでも、ムバーラク政権崩壊後に、タハリール広場に黒旗を掲げた集団が現れたことがあります。

エジプトタハリール広場の黒旗
出典:MEMRI

「アラブの春」後に活動を活発化させた「アンサール・シャリーア(啓示法の護持者たち)」を名乗る各国の集団は盛んに黒旗を用いるようになっています。ムハンマドの印章のモチーフが入っているものを用いる場合と、そうでない場合がありますが、その違いが思想の違いに由来するのか、あまり関係ない単なるデザインなのか、私はまだ判定できていません。

なお、「アンサール(護持者)」とは、ムハンマドがメッカから一度「ヒジュラ(聖遷)」してメディナに移った際に、ムハンマドらを受け入れて助けた「護持者」たちのことを言います。

これらの集団のアル=カーイダの中枢組織あるいは各地のアル=カーイダや「イスラーム国」との関係はまちまちで、共鳴して傘下に入ると申し出る場合もあれば、そうでない場合もあります。これらのシンボルはアル=カーイダや「イスラーム国」の専有物ではないので、勝手に用いても誰も文句を言わないのです。

リビアでは現在激しい戦闘が続き、「アンサール・シャリーア」がベンガジを制圧して「イスラームのアミール国」を宣言してします。イエメンにもアンサール・シャリーアを名乗る集団は出てきています。

ここはチュニジアのアンサール・シャリーアの写真を見てみましょう。

チュニジアのアンサール・シャリーアと黒旗
出典:Magharebia

なお、ムハンマドは白旗も用いていたという伝承もあるので、同じ図柄で白黒を反転させて白旗を掲げていることもあります。例えばこれ(チュニジアのアンサール・シャリーアの記者会見)。黒旗はal-Uqabやal-Ra’yaと呼ばれ、それとは別にal-Liwa’と呼ばれる軍旗(隊ごとに掲げる旗)の白旗があるという具合に、用語を使い分ける傾向があるようですが、素材や使い方などの詳細は私にはよく分かりません。
チュニジアのアンサール・シャリーアの黒旗・白旗
出典:Nawaat

ムハンマドの印章が入っていない、黒地に白で信仰告白「アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」のみを記した旗であれば、もっと前から、諸勢力によって90年代にはすでに広く使われていました。

有名なのはこの場面。

ビン・ラーディンと黒旗

この有名な写真は、1998年の会見の際に撮影されたとみられ、パキスタン人ジャーナリストが撮影したものであるようです

引いてみるとこんな感じ。

黒旗ビンラーディンとザワーヒリー1998年

黒地に文字だけのこのヴァージョンは、もっと広範に広がっています。図柄とその意味は歴史や宗教テキストに由来すると言えども、近年にその政治的意味を定め、多くの組織が用いるようになった転換点は、いつ頃、誰によってもたらされたのか。そこにムハンマドの印章を加えて今の大流行の図柄に仕上げたのは誰なのか。

もう少し調べてみたいと思っています。

井筒俊彦論がアンソロジーに再録されました

国際日本文化研究センターに勤務していた時代にカイロで開催した研究大会で発表し、『日本研究』に掲載した井筒俊彦論が、井筒をめぐるアンソロジーに再録されました。

池内恵「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『井筒俊彦』(KAWADE 道の手帖)2014年6月、162-171頁(初出は『日本研究』第36集、2007年9月)


『井筒俊彦: 言語の根源と哲学の発生』(KAWADE道の手帖)

なかなか多面的な仕上がり。今度じっくり読んでみよう。

カタール・ドーハの国営モスク

今日はあまりに忙しく、ブログに文章を書く時間なし。

代わりに3月末に行ったカタールの写真を何枚かアップしましょう。

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ムハンマド・アブドルワッハーブ・モスクの中庭。大雨の後で、水面に回廊が反射して幻想的です。

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ミナレット。

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湾岸らしい、おなかおっきいお兄さんとミナレット。

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キブラ(カアバ神殿の方向)を示すキブラ(壁の窪み)に向かって礼拝

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オイル・マネー(正確にはガス・マネーか)の精粋というべき巨大建築物でした。

しかしなんで超伝統主義のワッハーブ派の祖を、カタールが国家として顕彰しているんでしょうね。

王柯先生の著作


王柯『東トルキスタン共和国研究―中国のイスラムと民族問題』東京大学出版会、1995年

今日は東大出版会の本の紹介が重なりました。

無事のご帰還を祈ります。

先日は、楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月刊、をご紹介しましたが(「モンゴルとイスラーム的中国」2月19日)、いずれも日本留学で学者となった先生方です。

日本の学界は、適切に運営・支援が行われれば(←ここ重要)、中国に極めて近くに位置して情報を密接に取り込みながら、自由に議論し、客観視できるという強みがあり、欧米へのアドバンテージを得られます。

中国に最も近いところにいる自由世界の橋頭保として日本は輝いていたいものです。

井筒俊彦のイスラーム学

あまりに忙しくて、中東情勢も、トルコ・途上国経済ウォッチングも、ウクライナ情勢横睨みも、合間に続けているけれどもブログにアップする時間が取れない。

それはそうと、本来の本業のイスラーム思想で、鼎談が出ました。

池内恵×澤井義次×若松英輔 「我々にとっての井筒俊彦はこれから始まる 生誕一〇〇年 イスラーム、禅、東洋哲学・・・・・・」『中央公論』2014年4月号(1566号・第129巻第4号)、156-168頁。

日本で「イスラームを学ぶ」というと、最初に手に取る人も多いであろう井筒俊彦。私自身もそうだった。

井筒俊彦のオリジナリティに私も大いに憧れる。

格調高く生き生きとした井筒訳『コーラン』 (岩波文庫)
は今でも最良の翻訳と言っていい。

『「コーラン」を読む』(岩波セミナーブックス→岩波現代文庫)ではコーランのほんの数行の章句の解釈が分厚い一冊に及んで尽きない、人文学・文献学の宇宙を垣間見せてくれる。

そして『イスラーム思想史』 (中公文庫BIBLIO)こそ、イスラーム世界に向かい合う際に座右に置いておいて無駄はない。

個人的には井筒俊彦『イスラーム文化−その根柢にあるもの』(岩波文庫)の、井筒の、井筒による、井筒のための、独断と価値判断に満ちた、一筆書きのような思想史・社会論が好きだ。「井筒個人のイスラーム観」は、このようなものだったと思う。

他の本では、概説のために、ある程度は網羅したり(でもイスラーム法学については興味がないから書かないとか数行で済ませたり)、ある方法論に則って順序立てて書いたりしているが、『イスラーム文化』は、講演ということもあり、さらっと彼の頭の中にある「イスラーム」の歴史と方向性を描いている。言わずもがなだが、「シーア派重視」「神秘主義こそ宗教の発展する道」ということですね。

だが、現代の中東社会の中でイスラーム教やイスラーム思想がどのような影響をもっているかを研究する際には、井筒のイスラーム思想史論がそのまま現地のムスリムの大多数から現に信仰されているものであると考えると間違える。

というか、教育の高いインテリにも「異端だ」と言われてしまう。

井筒を受容したイランのイスラーム思想はかなり変わっているからね・・・革命で無理やりイスラーム化しないといけないぐらい西洋化した国ですし(文化は日本などよりはるかに西欧化・アメリカ化しています)。そういう国でこそ受け入れられた最先端のポスト・モダンな解釈だということ。

私は別に井筒を批判しているわけではない(それどころか日本が誇るイスラーム思想だと思っている)。ただし、それはイスラーム世界の大多数の人にはまだ受け入れられないでしょうね、とは言わざるを得ない。

井筒の言っていることだけを読んでそれが「イスラーム」だと思い込んで、現実のアラブ世界の政治についてまで論評してしまう人が出ると、しかも「現代思想」の分野ではそれが主流だったりすると、頭を抱えます。

でも、そこが学問的には、「ビジネス・チャンス」だったりするんだけどね。

そうこうしているうちに井筒とイスラーム世界を同一視するような「現代思想」は絶滅しかけている。

でも井筒は生きている。

井筒から遠く離れてしまったように見える私の最近の仕事も、本当はどこかで、井筒を通してイスラーム学に入ったあの頃とつながっている。そんなことも想い出すきっかけになった鼎談でした。

あまりブログという形態では思想について語りにくいな、と思っているので、思想史に興味がある人は、例えばこの『中央公論』の鼎談を読んでみてください。

エイズとC型肝炎にも勝利したエジプト軍

インターネットの時代になって、怖いのは、どこの国でも、夜郎自大に自国民を威圧してこられたエラいさんの、実態としてはトホホな水準の発言や、それをもてはやす一部の人の行状が、一瞬にして世界中に晒されてしまい、デジタル的に永遠に保存されて複製され、取り返しがつかないこと。

日本でも最近続発していますが、こういった方面で人後に落ちない(?)のはエジプト。

2月22日に、エジプト軍の軍医のかなり偉い人(少将:軍医としては最高レベルでしょう)のイブラーヒーム・アブドルアーティー(Ibrahim Abdel Aaty)が記者会見して、軍の医学研究所が、C型肝炎もエイズも、血液検査もせずに探知し、治癒する技術を開発した、と大々的に発表。エジプト軍は「エイズに打ち勝った」と、軍の公式会見場で声を張り上げ、スィースィー国防相・元帥からもご支援いただいている、と謳い上げるアブドルアーティー将軍の前に、翼賛体制を支持し、ナショナリズムで盛り上がるエジプトの記者たちからは拍手の連続(ビデオは軍政を批判する勢力が字幕をつけてアップしたものです)。

「C-FAST」とかいう機械。棒みたいなもので、患者に触れもせずにC型肝炎とエイズを探知し、治療できるという。もともと爆発物探知機だったものを発展させたのだという。

この発表をエジプト軍としても全面サポート。昨年の7・3クーデタ以来、軍のイメージアップ作戦で重用されているイケメン報道官アハマド・アリー大佐も、公式フェイスブック・ページでこれを称賛し、マンスール暫定大統領、そして最高権力者のスィースィー国防相もこの装置のプレゼンを受けご満悦、というところまで流してしまった。

インフルエンザのH1N1ウイルスにも効くとまで言っているらしい。

Egypt’s military claims AIDS-detecting invention, Ahram Online, 23 February 2014.

しかし、どうみてもこれはオカルト科学の一種だろう。「ダウジング」という分野で、もともとは、特殊な能力を持った人が、なんらかの形状の棒を持って鉱脈や水脈の上を通ると棒が勝手に反応する、というやつ。それが医学にも応用できる、という話になっていたとは知らなかった。

歴史を遡れば「占い棒」として人類史上ずっと、底流で続いてきた信仰の一つの流れだろう。

私はオカルトの分野には個人的にはまったくなんの興味も持ったことがない人間で、詳しくもない。霊感とか幽霊とか感じたことも見たこともない。

が、「エジプトの社会思想におけるオカルト思想の影響」に関しては、「専門家」で「オーソリティ」と言ってもいいと思う(威張れませんが・・・)。

1990年代後半のエジプトの思想・世論を研究した時に、結果として、「ある意味で、一番有力なのは陰謀論とオカルト思想」という厳然とした事実を突き付けられ、こんな本を書くしかなくなってしまいました。

『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年、大佛次郎論壇賞受賞!!)

そのようなわけで、忙しいんだが、エジプトでオカルト思想が、政治的に意味がある水準にまで盛り上がった時には、解説をせざるを得ない(←誰が頼んだのか)。

なお、こういった「科学」に取り組んでいる人は世界中にいて、似たような「発見」が、針が振り切れた科学者から発表されては黙殺される、ということが、時々起こる。

アブドルアーティーさんも、軍の研究所でどうやらすごく長い間これに取り組んできたらしく(本人は「22年間」と言っている)研究所には「先達」もいるらしいということが記者会見の映像から分かる。

そして、格調高き英ガーディアン紙が、これをそれなりに信憑性の高いものとして報じてしまった

“Scientists sceptical about device that ‘remotely detects hepatitis C'” The Guardian, 25 February 2013.

タイトルだと「科学者は懐疑的」となっているが(これはイギリスのデスクがつけたのでしょう)、本文はこの探知機・治療器をかなり信憑性の高いものとして扱ってしまっている。ガマール・シーハー(Gamal Shiha)博士というエジプトの最高水準の肝臓病専門家という人の話も取り上げ、さらにエジプト以外でもいろいろな治験例があってそれなりに検証されているようなことを書いてしまっている。

しかし記事を書いたのは科学記者ではなくて、カイロ特派員。

エジプトの雰囲気に呑まれてしまったのでしょう。エジプトの医学界・科学行政で権威の高い、影響力のある、しばしばメディアに登場する人たちが、軒並み「すごい」と言っているのだろう。特派員が現地の現実を忠実に伝えたら、確かにこういう記事になってもおかしくない。

確かに、エジプトの科学研究の上の方にいる偉い人たちや、それを取り巻く知識人たちが、こんなことを言って盛り上がっていそうなことは、かなり想像できる。言っているだろう。みんながみんなそうではないし、すごく優秀な人はいっぱいいるけど、そういう人はコネがなかったり、偉い人にひざまずいたりできなかったりして偉くなれず、外国に行ってしまう。外国に行けなかった人はひどい生活をして、くすぶっている。

ガーディアンの科学記者たちは大慌てでブログで火消しに走っている。
Scientists are not divided over device that ‘remotely detects hepatitis C’
(C型肝炎の遠隔探知機について、科学者の意見は分かれてないよ)
Hepatitis C detector promises hope and nothing more
(C型肝炎探知機は希望以外の何も約束しない)

もちろん、どんな手法であれ、C型肝炎やエイズが探知したり治療できたりするというのであれば、すばらしいことだ。それがこれまでに想像されていなかったやり方であっても、検証可能な厳正な治験を経て立証されれば、科学の進歩に寄与するはずだ。

ただ、今回の話は、そのような手順を踏んだとは思えない。

そして、出ました!陰謀論。はい、セオリー通りに出てきましたよ。

“AIDS-detecting device’s inventor says was offered $2 billion to ‘forget’ it.” Egypt Independent, 25 February 2014.

ビデオはここから(シュルーク紙のホームページで民間テレビ局バラドの映像をアップしている)

エジプト人、そして偉大なるエジプト軍の優秀さを世界に知らしめて引っ張りだこになったアブドルアーティー少将はテレビ出演して、「20億ドルを提示されたが断った」と語る。単に20億ドルを提示されたというのではなくて、この発明をもみ消そうとする国際陰謀の魔の手にかかりそうになって、エジプトの諜報当局の助けを借りて逃げ延びた、という。だめだこりゃ。

In a TV interview on the privately-owned Sada al-Balad satellite channel on Monday, that he was then offered the money to ‘forget’ about the device. “I told them to note that it was invented by an a Muslim Egyptian Arab scientist, but I was told to take the check and the device will be taken to any country. I said okay and then escaped back to my country. The intelligence service protected me,” he said.

単に阿呆な話、というよりも、軍政のプロパガンダと翼賛メディアのヒステリア、という文脈で出てきた話なので、政治分析の重要な傍証として取り上げる意義のある問題です。

(1)もともとエジプトではこういったオカルト/陰謀論を庶民だけでなく、高等教育を受けた知識層の一定の部分が信じている場合があり、コネ社会なのでそういう人が有力になると誰も止められない。

(2)現在の政治的背景として、軍礼賛とナショナリズムでメディアや知識層が高揚しており、エジプトの山積する難題に対して「軍万能説」を盛んに流している。

というのを前提にして、

(3)根深いオカルト説と、現在の軍政・翼賛化の流れが合致して、以前からこういう説を唱えていた軍医さんに光が当たり、大々的に発表する場が与えられ、広く報じられるに至ったのだろう。

ということが推測される。

エジプトのアラビア語紙では「快挙」と祝賀・礼賛モードなのに対して、政府系でも英語紙は当初から懐疑的に伝えている。本音で「エジプトではよくある話」と思って信じていないのだろう。アラビア語紙の方はひたすら時流に乗る。

逆に、ガーディアンの特派員が現地のヒステリアに呑みこまれているのが面白い。

さすがにエジプト大統領府の科学担当の顧問も、「科学研究の国際的な手順を踏まないといけない」と恐る恐る火消しに出た上で、
“Egypt presidential advisor: Army health devices for virus C & AIDS must comply with int’l standards,” Ahram Online, 25 February 2014.

どうやら軍からもOKが出たらしく「この発表はエジプトの科学にとってのスキャンダルだ」と全面否定に転じた。マンスール暫定大統領もスィスィー国防相も詳細を知らされていなかった。そして「これは外国の新聞がエジプトのイメージを国際的に損なうのに利用される」と危惧している。しかしエジプトの軍政の一面がこのようなものであることはすでに十分広報されてしまった。

“An issue this sensitive, in my personal opinion, could hurt the image of the state,” Heggy said, adding that foreign newspapers could utilise the announcement to harm Egypt’s image internationally.

“Claims of cure for HIV, Hepatitis C are a ‘scandal’: Egypt presidential advisor,” Ahram Online, 26 february 2014.

でも記事を読んでみると、軍医・工兵部門の高官にはこの発明の支持者がかなりいるようだ。

英語紙の記事自体が、国際常識とローカルな権力構造の間で引き割かれて、一貫した文体を見い出せないでいるようだ。

「エジプト軍万能説」を信じている、あるいは信じているふりをするエジプト人は多いし、それを真に受けるエジプト専門家や報道関係者も多いが、実態はこの程度。文民のテクノクラートも内心は辟易しているだろうが、口には出せない。

エジプト研究をしてきた人間としては、「うちのエジプトがご迷惑をおかけしています」と菓子折りを持ってご近所を廻りたい気分です。

モンゴルとイスラーム的中国

見本が届いたばかりの、最新の寄稿です。


楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月20日刊(単行本は2007年、風響社より刊行)

ここに「解説」を寄せました(425-430頁)。

イスラーム世界を専門にしているといっても、中国ムスリムは私にとって最も未知の世界。勉強させてもらいました。

中国西北部、モンゴル系やウイグル系のムスリム諸民族を訪ね歩く。「民族」が縦糸、スーフィー教団の系譜が横糸か。

全体を通して導き手となるのは、回族出身で、文革期に内モンゴルで遊牧生活を送った作家・歴史家の張承志。

独特の文体。オリジナルな研究というのは通り一遍の解釈を拒むもので、解説を書くのは大変でした。