【寄稿】年初のサウジ・イラン緊張について『中東協力センターニュース』に

寄稿しました。

池内恵「サウジ・イラン関係の緊張ー背景と見通し」、連載《中東 混沌の中の秩序》第4回、『中東協力センターニュース』1月号、2016年1月20日発行、14ー25頁

中東協力センターニュース2016年1月号表紙

中東協力センターのウェブサイトの「JCCMEライブラリー」から、1月号掲載の各論考を無料でダウンロードできます。

私の論考のダウンロードのためのダイレクトリンクはこちらから。

サウジとイランは1月2日の、サウジによるシーア派説教しの処刑と、それに抗議した群衆によるテヘランのサウジ大使館への焼き討ちを受けて、一時はかなりの対立姿勢を双方が示しました。そこから見えてきたものは何か。

この間の政策論壇の主要な議論をまとめてリンク集を提供する、ワーキング・ペーパーを意図して書きました。現在サウジ論、米中東同盟論が、米のイランとの関係改善を受けて活発になっていますので、主要な議論の整理として、便利ではあると思います。

【寄稿】「アラブの春から5年」をテーマに『毎日新聞』に談話を

寄稿に近い談話とでも言えばいいでしょうか。長い時間話してまとめてもらったものをいろいろ直したものが、『毎日新聞』1月15日付朝刊に掲載されました。

《アラブの春 5年 独裁崩壊の代償 識者は見る》「◆アラブの混乱 地域分裂、危機は深まる 池内恵・東大准教授(イスラム政治思想) 」『毎日新聞』2016年1月15日朝刊

私の発言とされるものの部分の本文を貼り付けておきます。

 「アラブの春」で、独裁者が統治してきたアラブ世界は大きく変わった。もはや独裁は不可能になり、民主化にも行き詰まり、宗派、部族単位の分裂が強まって極めて統治が難しくなったのだ。

 独裁政権の崩壊はメディアの変化によるところが大きい。新聞やテレビなど従来のメディアは、政府などのプロパガンダを伝えていた。ところが突然、衛星放 送や携帯電話、インターネットが登場したことで人々は多様な情報に接し、自ら情報を発信できるようになった。独裁政権は情報統制できなくなり、崩壊すべく して崩壊したと言える。

 ただ、民主化を目指す過程で、各国はそれぞれ困難を抱えた。選挙を行うと組織の結束力が強く、反汚職を掲げるイスラム勢力が勝つ。だが、既得権益層は権 力の移譲や教義の押しつけを認めることができない。その結果、武力で覆すケースが出た。エジプトのクーデターは一例だ。

 リビアは憲法制定を目指して数回の選挙を実施したが、民意はその度に変わった。結果として二つの政府ができ、双方が武力を持って正統性を主張するように なった。イエメンは選挙をせずに多様な勢力の代表による対話を進めたが、結論を認められない反対勢力が政府を放逐した。シリアは政権の弾圧で地方住民が離 反し、義勇兵が入って内戦に陥った。

 アラブ世界は元々、政府が正規軍の他に特殊部隊など複数の武装組織を持っており、政治が分裂すると武力も分裂、拡散する。また各勢力が宗派などを頼りに 周辺国などに援助を求めるため、国際政治も宗派紛争化した。チュニジアは軍が強くなく、労働組合などが政党間を仲介できたため、辛うじて民主化の道を進ん でいる。

 昨年は第二次大戦後最大の人道危機と言われたが、今年はより事態が悪化する可能性がある。今後は長い時間をかけて宗派や部族で似通った人たちが住み分けしていく流れがいっそう進むと思う。その過程で難民はさらに増えるだろう。

 過激派組織「イスラム国」(IS)はアラブの春の混乱で存在が可能になった組織だ。国際社会の攻撃が激しくなれば、今の場所から移動するだろう。無秩序の場所は必ず存在するからだ。

 この混乱は基本的に地元の対立に根ざしているので、国際社会はできるだけ関わらない方がいい。だが、人道危機は進行するし、米国が関与しなければロシアの関与が強まるというのが国際社会のパワーバランスだ。先行きを読むのは難しい。
(構成:三木幸治)

【テレビ出演】1月1日放送の「ニッポンのジレンマ」が1月30日0時30分から再放送へ

米国出張で、米自治領プエルトリコ(学会)→テキサス州ダラス(サザンメソジスト大学)→同カレッジステーション(テキサスA&M大学)等を周って最後の用務をすませ帰国便に乗るはずだったニューヨークで、米東海岸を北上する暴風雪(Winter Storm Jonas→Blizzard 2016)に捕まり、足止めを食っております。SnowstormとBlizzardの定義を勉強いたしました。

20インチ以上、もしかすると24〜28インチ近くにもなろうかと予想されている、ニューヨークの観測史上(1869年以降)5指に入るとも喧伝される大雪のため、車両通行止めとなってマンハッタン島は「歩行者天国」状態になって静まり返っており、駸々と雪のみが降り続いておりまして、ホテルで缶詰になって遅れた原稿を進めています。

米国のもっと北、五大湖のあたりなどは気温もはるかに低く、ずっとBlizzardが吹いていると言っていいぐらい降雪・積雪もすごいので、雪国の人は大騒ぎを見て笑っているとは思いますが・・・「ニューヨーク雪まつり」のような雰囲気ですね。もっとも関連した死者も出ているのであまり興味本位ではいられませんが。

この機会に、1月初頭から滞っていた、刊行・テレビ出演情報の更新をいたします。

まず、元旦に放送されていた討論番組へのビデオ出演について。近く再放送されるようですので、今のうちにおしらせしておきます。

「ニッポンのジレンマ元日SP「 ”競争”と”共生”のジレンマ」NHK・Eテレ、2016年1月1日午後11時〜(150分)

ニッポンのジレンマ・ロゴ

これが、2016年1月30日(土)深夜0時30分〜3時(どうやら1月31日の0時30分〜3時ということらしいです。公式ウェブサイトの表記は紛らわしいというか、言語として間違っているのではないかと思います。1月30日24時30分〜と書くべきでしょう)に再放送される模様です

この番組の中で、スタジオの討論者ではなく、収録ビデオで出演しています。事前収録のVTRがスタジオで映し出される3人の「上の世代」(と言ってもあまり年齢が違わない人たちがスタジオに混じっていますが・・・)の一人として、間接的に参加しています。他の二人は堀江貴文氏、川上量生氏です

なぜかホームページにもこの3人の名前が載っておらず、事前にウェブで公開されていたらしいVTR(もしかすると放送されたものよりも長め)も視聴不能になっているなど、番組・ウェブサイトのいずれも全般に分かりにくい立て付けになっていますが、まあいいでしょう。番組にはフェイスブックのアカウントも存在しているようです。

研究室でディレクターとカメラに向かって長くしゃべった中のごく一部を切り取って編集されてVTRにされ、それを見せられたスタジオの論者があまり準備もせずに反応して、それがまた編集されているようですので、噛み合っていません。

キャッチフレーズのようにして言っておいたため、おそらく番組で必ず使うだろうな、と予想していた部分への反応がなかったのが(少なくとも編集後の放送されたものには)、残念でした。

その部分は、だいたい覚えている範囲では「2015年は西欧・欧米の普遍主義が実はそれほど普遍ではないことを様々な形で気づかされた年だった。2016年はそのことをもっとあからさまに認めてしまう年になるだろう」と、かなりアイロニーやニュアンスを載せて話したので、もう少し良く考えて欲しかったのですが、これについて誰も反応せず、学者の世界では良くある反応、つまり「文明の衝突」という言葉をあえて私が使ったところ「使っちゃいかん」と反応するという形の議論が行われ、それに反論する議論も出ましたが、煮えきらないまま終わったようです。

単に「文明の衝突」と言っていいのかいかんのか、という話ではなく(それは定義や目的次第で様々に議論できますが)、それとグローバル化が進む中で「普遍主義」が今後も理念的にそして実際的に可能なのかどうか、という話を加えて、思想的あるいは歴史的な状況認識を再検討したり、現状と将来を見通すための分析概念の再構成をしたりすれば面白かったと思いますが、考えてみたらそんな議論は既存の学問の枠組みの中で誰もやっていないのだから、突然テレビで行われるはずもないのかもしれません。しかしテレビは学会発表でも研究者の研究会でもないので、出る人はもっと「片鱗」を見せればいいんじゃないかと思いますが。

再放送で、この噛み合わない感じをぜひご覧ください。