イスラーム教をなぜ理解できないか(5)米保守派による共鳴

日本の「こころ教」によるイスラーム教理解の阻害、欧米のリベラル・バイアスや、ルター的宗教改革を普遍的モデルとしてしまう問題などを取り上げてきたが、そういえば、今、仕事で依頼されてこの本をずっと読んでいて、関連書籍と合わせて検討しているのだけれども(遅れています)、ここでも関連する議論が出てくる。


ウォルター・ラッセル・ミード『神と黄金 上 イギリス、アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか』

アメリカの保守派と目され るウォルター・ラッセル・ミードも、イスラーム教のいわゆる「過激派」と論じられがちなワッハーブ派やサラフィー主義と、アメリカのプロテスタントとの類似性を論じている。そして、ミードはアメリカの活力と指導力の発展の過程では、負の側面はあれども、「過激」なプロテスタントの運動が不可欠な要素だったと肯定的評価をしているのである。間接的に、ワッハーブ派はサラフィー主義についても、長期的に見れば、イスラーム世界の発展に肯定的な意味を持つ可能性があると示唆している。

「西洋のマスメディアでは、一方の側に、開かれた社会の自由【ルビ:リベラル】な理念と相性が良いと考えられているキリスト教の価値観を置き、もう一方の側に、イスラームの本質的な一部であるとみなされ、閉鎖的で無知蒙昧だと思われている価値観を置き、これら両方の価値観は永遠に相容れることはないと言われている。

これはほぼ間違いなく間違っている。カトリックは最終的に開かれた社会との和解に至るまでに、その社会の価値観に抵抗する長く苦い歴史を経てきた。プロテスタントでさえ、当初は開かれた社会を受け入れようとはしなかった。イスラームを外部から観察する人びとのなかには、イスラームがもっと寛容で開かれた信仰となるような「イスラームの宗教改革」が起こってくれればと願っている者もあるが、彼らは宗教改革の本質についてもイスラームの現状についてもよく分かっていない。

あらゆる文化にはそれぞれ固有の特徴があるとはいうものの、イスラームのワッハーブ派とサラフィー主義の運動およびそれらに根ざす政治運動は、〔キリスト教の〕宗教改革における最も急進的なプロテスタント諸派の運動と不気味なほど似ている。・・(中略)・・ワッハーブ派もその他の現代の改革派ムスリムたちも、イスラームの本源回帰を望んでいる。それはちょうどピューリタンが使徒時代の純粋なキリスト教への回帰をめざしたのとよく似ている。」(ウォルター・ラッセル・ミード著、寺下滝郎訳『神と黄金 イギリス,アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか(下)』青灯社、2014年、242−243頁)

非リベラルな思想が主流なイスラーム世界については、アメリカの保守派の良質な部分は、ある種の共感の力を持って理解を試みている面がある。

「マルティン・ルター、ジャン・カルヴァン、オリヴァー・クロムウェルは、彼らの教義や主義がワッハーブ派の教義とどれほど違っているにせよ(もとより彼ら三人の教義や主義自体がぴったりと一致しているわけでもないが)、それでも現代の改革派ムスリムたちの精神と神学には多くの点で敬意を払うことだろう。
 中長期的に見れば、これは明るい兆しである。プロテスタントの宗教改革は、それにいかなる問題があろうとも、近代の動的社会を発展に向かわせる環境をつくったことは確かである。その運動から生じた宗教闘争、教義上の革命、個人の改心体験、迫害、犯罪、政治闘争は、ベルグソンのいう動的宗教【ダイナミック・リリジョン】を発生させ、ひいては新たな社会を生み出すことを立証した。今日イスラームは活発な宗教となっており、世界が激変するなかで真性の声を聴こうともがいている。これはムスリム、非ムスリムのいずれをも等しく不安にさせ、時として恐怖させる危険な現象である。だがそれはまた、偉大な文明に特有の生命力と積極的関与【エンゲイジメント】の重要な現れでもある。」(ウォルター・ラッセル・ミード著、寺下滝郎訳『神と黄金 イギリス,アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか(下)』青灯社、2014年、244−245頁)

ミードは非合理的な宗教のダイナミズムこそがアメリカの躍進の不可欠の(唯一のではない)要素であるとする立場であり、であるからこそ、イスラーム教の根本理念に立ち返ろうと主張する運動が根強いイスラーム世界への、ある種の内在的理解による共感を可能にしている。

ただし保守派の多数、特に宗教右派や福音派、イスラーム教の挑戦を真っ向から受けて、十字軍で対抗しようとするので、摩擦と衝突を煽る結果を招きかねない。

これについてはミードはラインホールト・ニーバーの「原罪」を核とした議論を引いて、信念に基づく行動に内側からの抑制を課すことを、福音派などが力を持つアメリカ政治において、保守派こそが再認識するよう求めている。ここがこの長大な本の肝となっている重要なところだろう。それが安心できるものか、説得的かはともかく。

元来はアメリカの保守は、根底においてリベラリズムを共有している。ここが新世界のアメリカと欧州を分けるところである。その意味で、ミードはアメリカ保守主義の本来の姿を受け継いだ知識人といえるのではないか。


ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統』(有賀貞訳、講談社学術文庫)